上原記念生命科学財団研究報告集, 23(2009) 149. サルエイズウイルスのヒトへの感染伝播を規定する宿主制御因子の解明 武内寛明 Key words: エイズウイルス, 異種間感染, 感染症, 人畜共通感染症, 新興感染症 東京大学医科学研究所感染症国際研究センター微生物学分野 緒言ヒト後天性免疫不全症候群 ( ヒトエイズ ) は, ヒト免疫不全ウイルス (HIV) によって引き起こされる慢性持続感染症である. ヒトエイズはサル免疫不全ウイルス (SIV) が 種の壁 を乗り越えて, ヒトへ異種間感染伝播してきたことで生じた疾患であることが明らかとなっている. しかしながら,SIV がヒトに感染し, 病原性を示すようになった原因は, 未だ解明がなされていない部分が多く, このため,SIV に対するヒトの免疫反応の詳細も不明な点が多い. このことは, 新興感染症の主原因である, 異種間感染に対するメカニズムに不明な点が多いことに起因している. 近年の分子生物学的手法の発展により HIV 感染と宿主細胞との相互作用の解析が進んだ結果, 様々な宿主因子が報告されてきた. その中で非常に興味深いのは, 宿主細胞には, ウイルス増殖に必要な増殖必須因子だけでなく, ウイルス増殖を阻止する, すなわち増殖抑制因子をも備えていることが明らかとなってきたことである. 具体的には,cytidine-deaminase family の一つである Apobec 分子は,HIV 感染増殖に対する抑制因子であり,chaperon family の一つである CypA は, それを促進する宿主因子であることが, 既に報告されている. 一方, これらの宿主因子に対するウイルス側の因子として,Apobec family の機能を抑制するのは, アクセサリー蛋白の一つである Vif 蛋白であり,CypA の HIV 感染増殖促進機能は,Gag 領域内のキャプシド (CA) 蛋白との相互作用によって発揮されることが明らかとなっている. これまでに我々は, サル免疫不全ウイルス (SIV) がヒトへ感染伝播する際に,Apobec および CypA が SIV 増殖抑制因子として作用するが,SIV vif 蛋白が双方の機能を抑制することを明らかにしてきた 1,2). これらのことから, ヒト Apobec 分子は,HIV および SIV の感染増殖能を抑制する機能を保持しているが, ヒト CypA は,HIV および SIV の感染増殖能に対する効果が異なることから, サルからヒトへ感染する際に効力が発揮される宿主特異的なメカニズムであることが考えられる. そこで,SIV のヒト細胞内における CypA の詳細な機能を解析することにした. 具体的には,CypA 遺伝子発現抑制実験や,CypA の機能阻害剤である CsA を用いて, 試験管内における SIV 感染増殖効率の解析を行った. 方法 1. ウイルスストックの作製アカゲザル由来の SIV 分子クローンである psivmac239, およびアフリカミドリザル由来の psivagm を,HeLa 細胞へ遺伝子導入し,48 時間後に各 SIV 粒子が含まれる培養上清を回収し,SIV キャプシド (p27) 抗原量および逆転写酵素 (RT) 活性を測定した上で, 感染実験用のウイルスストックとした.HIV-1 分子クローンである pnl4-3 も, 同様に作製した. また,CEM- SS 細胞から産生された SIVagm,SIVmac239 および HIV-1 を,SIV および HIV 感染細胞内におけるウイルス DNA 合成量の解析に用いた. その際, ウイルス産生細胞として,CsA 存在 (2.5 µm) および非存在下の CEM-SS 細胞を用いた. 2. ウイルス DNA を定量するリアルタイム PCR 法 SIVagm および SIVmac239 株各々の gag 領域に特異的なプライマーおよび蛍光プローブを作製した. 定量する際に用いるウイルス DNA スタンダードとして, 段階希釈した既知量の SIV 分子クローンを含む非感染細胞ゲノム DNA を用いた. 3. SIV 感染細胞内におけるウイルス DNA 合成量の解析 1. で作製した各ウイルス株を,CEM-SS 細胞に感染させ,24 時間後の感染細胞内で, 逆転写反応を経て合成されたウイルス DNA 量を, ウイルス特異的プライマーおよびプローブを用いて, リアルタイム PCR 法にて測定した. 4. SIV 増殖能の解析 1
ヒト T 細胞株である CEM-SS および A3.01 細胞に, SIVagm,SIVmac239 および HIV-1 株を各々感染させた. この際, CsA 存在 (2.5 µm) および非存在下でのウイルス増殖効率を見極めるために, 経時的に培養上清を回収し,RT 活性を測定した. 結果 1. CsA 存在下におけるヒト T 細胞でのウイルス増殖能の解析 CEM-SS および A3.01 の各ヒト T 細胞株を用いた感染実験で,CsA 存在下における各 SIV 株および HIV-1 の感染増殖効率を解析した結果,HIV-1 は,CsA 存在下においてウイルス増殖効率が著しく低下したが,SIV については,2つの SIV 株共に,CsA 依存的なウイルス増殖効率がさらに上昇することが判明した. その結果を図 1に示す. 図 1. CEM-SS および A3.01 細胞株を用いた SIV および HIV-1 の感染増殖能の比較. SIVagm,SIVmac239 の各 SIV 株および HIV-1 (NL4-3 株 ) を CEM-SS 細胞 ( 上段 ) および A3.01 細胞 ( 下段 ) に感染させ,2 日もしくは 3 日毎の培養上清中のウイルス逆転写酵素 (RT) 活性を経時的に測定した結果を示す. 各曲線は,CsA(-): CsA 非存在下,CsA(+): CsA(2.5 µm) 存在下でのウイルス増殖曲線を示している. 2. SIV 感染細胞内におけるウイルス DNA 合成量の解析 SIVagm および SIVmac239 を CEM-SS 細胞に感染させ,24 時間後に感染細胞からゲノムを含む Total DNA を抽出し, ウイルス逆転写反応から得られたウイルス DNA 合成量を定量した. その結果を図 2に示す. まず, ウイルス粒子内に取り込まれた CypA とウイルス感染標的細胞内の CypA の, ウイルス感染におよぼす影響を解析するために, 通常のウイルスを産生する CEM-SS 細胞から得られる SIV および HIV-1 粒子と, その細胞に CsA(2.5 µm) を処理することにより CypA を含まない SIV とを作製した. またウイルス感染標的となる CEM-SS 細胞内の CypA の影響を解析するために, 通常の CEM-SS 細胞と, ウイルス感染前に CsA(2.5 µm) を処理することで CypA の機能を抑制した細胞とを用いた. その後,SIV および HIV-1 粒子と感染標的細胞との組み合わせによって, ヒト CypA のウイルス感染に対する影響を, 感染細胞内のウイルス DNA 合成量を, 比較することによって行った. その結果,HIV-1 感染については, 感染標的細胞側に CsA 処理を行うことで, ウイルス DNA 2
合成効率が著しく低下するのに対し ( 図 2 の 9 と 10 の比較, P<0.0001),SIV 感染については, その効率が低下するよりもむ しろ上昇する結果が得られた.( 図 2 の 1 と 2, および 5 と 6 との比較, P<0.0001). 図 2. 感染標的ヒト T 細胞 (CEM-SS) 内における感染細胞内ウイルス DNA(viral cdna) 合成量の比較. SIVagm( 左側 ),SIVmac239( 中央 ) および HIV-1( 左側 ) を CEM-SS 細胞に感染させ,24 時間後の感染細胞内にて合成されたウイルス DNA をリアルタイム PCR 法にて測定した結果を示す.Producer cell CsA は,CsA 存在下 (2.5 µm) におけるウイルス感染 CEM-SS 細胞から産生されるウイルス粒子を用いていることを示し,Target cell CsA は, ウイルス感染標的 CEM-SS 細胞に対し, ウイルス感染前に CsA(2.5 µm) を前処理していることを示している. 3. CypA 遺伝子発現抑制細胞株を用いたウイルス増殖能の解析ウイルス感染増殖効率に対する CsA の効果と CypA の機能との相関関係を見極めるために,CEM-SS T 細胞株に対する CypA 遺伝子発現抑制 T 細胞株 (CypA ノックダウン CEM-SS 細胞 ) を作製した. そして, これらを用いたウイルス感染実験を行った結果,HIV-1 については,CsA 存在下における CEM-SS 細胞を用いた際の感染増殖能と大きな差異は認められなかった ( 図 3). ところが,SIV については,CEM-SS 細胞株および各 CypA ノックダウン細胞株における SIV 増殖能の差異は認められず,CsA 処理した CypA ノックダウン細胞株における SIV 増殖効率は更に上昇する結果が得られた ( 図 3). 3
図 3. CEM-SS 細胞および CypA ノックダウン CEM-SS 細胞とを用いた SIV および HIV-1 の感染増殖能の比較. SIVagm( 左側 ) および HIV-1 ( 右側 ) を,CEM-SS 細胞 (Normal),CypA ノックダウン CEM-SS 細胞 (CypA- KD) および CsA(2.5 µm) 存在下における CypA ノックダウン CEM-SS 細胞 (CypA-KD-CsA) に感染させ,2 日毎の培養上清中のウイルス逆転写酵素 (RT) 活性を経時的に測定した結果を示す. 考察 SIV が, 種の壁 を乗り越えてヒトへ異種間感染伝播してきたメカニズムには不明な点が多い. これまでに,SIV 感染増殖抑制ヒト宿主因子として同定した CypA の更なる機能解析を行うために,Cyclophilin family の酵素活性阻害剤である CsA を用いて, ヒトへの野生型 SIV 感染増殖に対する影響を解析した結果,CsA 存在下において, その粒子感染性および増殖効率をさらに上昇させることから, ヒト CypA は野生型 SIV の増殖抑制因子として機能していることが示唆された ( 図 1). 近年, 宿主標的細胞側に存在する CypA が HIV 粒子感染性に大きく影響していることが報告されたことから,SIV 感染における CsA の効果が, ウイルス産生細胞側およびウイルス標的細胞側のどちらに規定されているかを検討したところ,HIV および SIV に対する, ヒト細胞における CsA の効果の違いは, ウイルス感染標的細胞側に規定されていることが明らかとなった ( 図 2). ところが,CypA 遺伝子をノックダウンしたヒト T 細胞を用いて SIV 感染実験を行ったところ, ウイルス増殖能が低下するよりもむしろ上昇する結果が得られたが,CsA 処理によって更に上昇することが認められた. 対照的に,HIV-1 感染においては,CypA が必須である結果が得られた ( 図 3). これらの結果から,CypA は,HIV 感染に対して必須宿主因子であるが,SIV 感染に対しては必須というよりもむしろ抑制的な機能を持っていることが示唆されたが,CypA が単独で SIV 感染に対する抑制機能を発揮しているのではなく,CsA の影響を受ける CypA 以外のヒト細胞内因子の存在が示唆されており, この因子 ( 群 ) が, 種間感染の差異を規定するものである可能性があると考えられる. これらの研究成果は, エイズのみならず, 新興および再興感染症, 更には人畜共通感染症に対するヒト宿主防御機構に対する理解を深めるものと考えられる. 4
文献 1) Takeuchi, H., Kao, S., Miyagi, E., Kahn, M. A., Buckler-White, A., Plishka, R. & Strebel, K. : Production of infectious SIVagm from human cells requires functional inactivation but not viral exclusion of human APOBEC3G. J. Biol. Chem., 280:375-382, 2005. 2) Takeuchi, H., Buckler-White, A., Goila-Gaur, R., Miyagim, E., Khan, M. A., Opi, S., Kao, S., Sokolskaja, E., Pertel, T., Luban, J. & Strebel, K. : Vif counteracts a cyclophilin A-imposed inhibition of Simian immunodeficiency viruses in human cells. J. Virol., 81(15):8080-8090, 2007. 5