谷達彦氏博士論文審査報告書201401

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参考 平成 27 年 11 月 政府税制調査会 経済社会の構造変化を踏まえた税制のあり方に関する論点整理 において示された個人所得課税についての考え方 4 平成 28 年 11 月 14 日 政府税制調査会から 経済社会の構造変化を踏まえた税制のあり方に関する中間報告 が公表され 前記 1 の 配偶

博士学位論文審査報告書

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市場と経済A

資料 1 税財政制度を通じた論点 Ⅰ 現状と課題 1. 地方財政の財政の概要 地方財政の平成 23 年度決算は 歳入約 兆円 歳出 97.0 兆円となっている なお 借入金残高は約 兆円と依然と高い水準にある 国と地方における最終支出ベースにおける比率は 42:58 となって

「経済政策論(後期)《運営方法と予定表(1997、三井)

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平成18年度地方税制改正(案)について

女性が働きやすい制度等への見直しについて

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( 続紙 1 ) 京都大学博士 ( 経済学 ) 氏名衣笠陽子 論文題目 医療経営と医療管理会計 ( 論文内容の要旨 ) 本論文は 医療機関経営における管理会計システムの役割について 制度的環境の変化の影響と組織構造上の特徴の両面から考察している 医療領域における管理会計の既存研究の多くが 活動基準原

資料9

第2回税制調査会 総2-2

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[2] 株式の場合 (1) 発行会社以外に譲渡した場合株式の譲渡による譲渡所得は 上記の 不動産の場合 と同様に 譲渡収入から取得費および譲渡費用を控除した金額とされます (2) 発行会社に譲渡した場合株式を発行会社に譲渡した場合は 一定の場合を除いて 売却価格を 資本金等の払戻し と 留保利益の分

市場と経済A

1. 復興基本法 復興の基本方針 B 型肝炎対策の基本方針における考え方 復旧 復興のための財源については 次の世代に負担を先送りすることなく 今を生きる世代全体で連帯し負担を分かち合うこととする B 型肝炎対策のための財源については 期間を限って国民全体で広く分かち合うこととする 復旧 復興のため

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( 続紙 1 ) 京都大学 博士 ( 経済学 ) 氏名 蔡美芳 論文題目 観光開発のあり方と地域の持続可能性に関する研究 台湾を中心に ( 論文内容の要旨 ) 本論文の目的は 著者によれば (1) 観光開発を行なう際に 地域における持続可能性を実現するための基本的支柱である 観光開発 社会開発 及び

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このページを印刷する 2017 年 11 月 23 日森信茂樹 : 中央大学法科大学院教授東京財団上席研究員 副業 兼業の時代 所得税控除見直 し で不公平を正せ 来年度税制改正の作業が 与党税調で始まっている 連日のように改正案の 断片が報道されているが 全体像がいまだよくわからない そこで これ

第1回基礎問題小委員会  礎1-6

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(2) 消費税率 10% への引上げ時に導入が予定されている軽減税率制度については 消費税 地方消費税の引上げ分のうち地方交付税原資分も含めると 約 3 割が地方の社会保障財源であり 仮に減収分のすべてが確保されない場合 地方の社会保障財源に影響を与えることになることから 確実に代替財源を確保するこ

1 検査の背景 (1) 租税特別措置の趣旨及び租税特別措置を取り巻く状況租税特別措置 ( 以下 特別措置 という ) は 租税特別措置法 ( 昭和 32 年法律第 26 号 ) に基づき 特定の個人や企業の税負担を軽減することなどにより 国による特定の政策目的を実現するための特別な政策手段であるとさ

ニュースリリース 平成 3 1 年 3 月 2 8 日 消費者動向調査 : 軽減税率 株式会社日本政策金融公庫 消費税の 軽減税率制度 消費者の受け止め方を調査 ~ 約 7 割の消費者が制度を認知認知 制度運用には わかりやすさ を求める ~ < 平成 31 年 1 月消費者動向調査 > 日本政策金

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チャイナアラート(中国速報)- 第6回, 2012年4月-増値税ゼロ税率課税役務の税金免除、控除及び還付の管理弁法の公布について

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個人市民税 控除・税率等の変遷【市民税課】

博士論文 考え続ける義務感と反復思考の役割に注目した 診断横断的なメタ認知モデルの構築 ( 要約 ) 平成 30 年 3 月 広島大学大学院総合科学研究科 向井秀文

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市場と経済A

平成 31 年度国民健康保険税率等 及び多子世帯に対する国民健康保 険税の減免について ( 答申 ) 平成 31 年 1 月 31 日 武蔵村山市国民健康保険運営協議会

本稿では筆者が知る範囲で この個人住民税検討会での検討内容とこれからの課題について論じたい なお 本文中意見に関わる部分は筆者の個人的な見解である 一一九九〇年代の検討会一九八〇年代後半に世界的な潮流となった税制改革の方向性は 家計の税負担のフラット化であった 日本でも中曽根政権のもとで シャウプ勧

H28秋_24地方税財源

【資料1】

「経済政策論(後期)」運営方法と予定表(1997、三井)

構成 Ⅰ 所得税改革 下向きジェットコースターの不安 格差への対応 - 所得税の四位一体改革 日本の所得税 - 負担の実態 税額控除制度の効果 Ⅱ 納税者番号制度 適正課税と利便性のための基盤整備 ドイツ ( 税務識別番号 ) イギリス ( 国民保険番号 NINO) オランダ ( 市民サービス番号

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2. 改正の趣旨 背景給与所得控除額の変遷 1 昭和 49 年産業構造が転換し会社員が急速に増加 ( 働き方が変化 ) する中 (1) 実際の勤務関連経費が給与所得控除を上回っても 当時は特定支出控除 ( 昭和 63 年導入 ) がなく 会社員は実際の勤務関連経費がいくら高くても実額控除できなかった

早稲田大学大学院日本語教育研究科 修士論文概要書 論文題目 ネパール人日本語学習者による日本語のリズム生成 大熊伊宗 2018 年 3 月

第8回税制調査会 総8-2(案とれ)

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社会的責任に関する円卓会議の役割と協働プロジェクト 1. 役割 本円卓会議の役割は 安全 安心で持続可能な経済社会を実現するために 多様な担い手が様々な課題を 協働の力 で解決するための協働戦略を策定し その実現に向けて行動することにあります この役割を果たすために 現在 以下の担い手の代表等が参加

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地方創生応援税制 ( 企業版ふるさと納税 ) の運用改善 ( 別紙 1) 平成 31 年度税制改正 企業版ふるさと納税の一層の活用促進を図るため 企業や地方公共団体からの意見等を踏まえ 徹底した運用改善を実施する 地方創生関係交付金と併用する地方公共団体へのインセンティブ付与 地方創生関係交付金の対

本要望に対応する縮減案 3 自動車の取得段階では消費税と自動車取得税が二重課税となっており 保有段階でも自動車重量税のほかに自動車税 ( 又は軽自動車税 ) の 2 つの税が課されており 自動車ユーザーに対して複雑かつ過大な負担を強いている 特に 移動手段を車に依存せざるをえず複数台を保有する場合が

公平な税制って なに? 高校生用 Ⅲ < 挨拶 自己紹介 > はじめに講師の自己紹介と 税理士の職業紹介をお願いします 我が国は民主主義 ( 国民主権 ) の国で 申告納税制度が採用されています しかし我が国の税制は複雑で 専門知識なしに正しく申告納税を行うのが困難となっています そこで我々税理士が

新長を必要とする理由今回合理性の要望に設 拡充又は延⑴ 政策目的 資源に乏しい我が国にあって 近年 一層激しさを増す国際社会経済の変化に臨機応変に対応する上で 最も重要な資源は 人材 である 特に 私立学校は 建学の精神に基づき多様な人材育成や特色ある教育研究を展開し 公教育の大きな部分を担っている

つのシナリオにおける社会保障給付費の超長期見通し ( マクロ ) (GDP 比 %) 年金 医療 介護の社会保障給付費合計 現行制度に即して社会保障給付の将来を推計 生産性 ( 実質賃金 ) 人口の規模や構成によって将来像 (1 人当たりや GDP 比 ) が違ってくる

市場と経済A

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イ税務署へ確定申告書を提出し 所得税の住宅ローン控除の適用を受けている 退職所得 山林所得がある方 所得税の平均課税の適用を受けている方は 住宅ローン控除申告書を提出することにより控除額が大きくなる場合があります 申告書を提出される方は3 月 15 日 ( 月 ) までに申告してください 申告しなけ

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( 図表 1) 平成 28 年度医療法人の事業収益の分布 ( 図表 2) 平成 28 年度医療法人の従事者数の分布 25.4% 27.3% 15.8% 11.2% 5.9% n=961 n=961 n= % 18.6% 18.5% 18.9% 14.4% 11.6% 8.1% 資料出所

内部統制ガイドラインについて 資料

改正された事項 ( 平成 23 年 12 月 2 日公布 施行 ) 増税 減税 1. 復興増税 企業関係 法人税額の 10% を 3 年間上乗せ 法人税の臨時増税 復興特別法人税の創設 1 復興特別法人税の内容 a. 納税義務者は? 法人 ( 収益事業を行うなどの人格のない社団等及び法人課税信託の引

スライド 1

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第3回税制調査会 総3-2

個人住民税の特別徴収税額決定通知書(納税義務者用)の記載内容に係る秘匿措置の促進(概要)

所得控除 基礎控除 配偶者控除などの下記の表に記載されたものをいいます それぞれ一定の要件を満たしている場合は 課税所得金額を計算する際に それぞれの控除が受けられます 個人の県民税 個人の市町村民税 12

「経済政策論(後期)《運営方法と予定表(1997、三井)

この特例は居住期間が短期間でも その家屋がその人の日常の生活状況などから 生活の本拠として居住しているものであれば適用が受けられます ただし 次のような場合には 適用はありません 1 居住用財産の特例の適用を受けるためのみの目的で入居した場合 2 自己の居住用家屋の新築期間中や改築期間中だけの仮住い

博士学位論文審査報告書

資料3

5 事業用の車両等を売却 ( 譲渡 ) した場合の売却益 ( 譲渡益 ) 売却損 ( 譲渡損 ) については 事業所得とはならない 総合課税の譲渡所得 ( 土地 建物以外 ) の扱いになり 所有期間 (5 年超か以下か ) によって長期譲渡所得 短期譲渡所得に区分される 6 使用可能期間が1 年未満

市場と経済A

税法実務コース 所得税 学習スケジュール 回数 学 習 テ ー マ 内 容 第 1 章 テーマ1 所得税の仕組みテーマ2 所得税額の計算テーマ3 非課税所得 所得税の仕組み 税額計算 所得税が課税されないものについて学習します テーマ1 各種所得金額の計算の概要テーマ2 利子所得テーマ3 配当所得

( 続紙 1 ) 京都大学博士 ( 法学 ) 氏名小塚真啓 論文題目 税法上の配当概念の意義と課題 ( 論文内容の要旨 ) 本論文は 法人から株主が受け取る配当が 株主においてなぜ所得として課税を受けるのかという疑問を出発点に 所得税法および法人税法上の配当概念について検討を加え 配当課税の課題を明

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本要望に対応する縮減案 ページ 2 2

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平成19年度分から

Ⅱ. 赤字の解消計画 Ⅱ (1) 赤字解消のための基本方針 Ⅱ (2) 赤字解消のための具体的取組 国保は構造的な問題を抱えており 被保険者の保険料負担軽減のために法定外繰入金を繰入れているといった状況は 全国的な状況であることから 国は全国で約 3,400 億円の公費を拡充し 国保の財政基盤の強化

小中学生講義用テキスト 講義型 解説書スライド解説 授業開始前機材準備や資料の置き場所等の確認のため 授業開始の直前ではなく 余裕をもって学校に到着するようにしましょう 学校の先生の承諾があれば早めに教室に入り クラスの雰囲気に馴染めるよう 児童生徒とコミュニケーションをとりましょう 自己紹介 自己

所得控除 基礎控除 配偶者控除などの下記の表に記載されたものをいいます それぞれ一定の要件を満たしている場合は 課税所得金額を計算する際に それぞれの控除が受けられます 個人の県民税 個人の市町村民税 12

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ワコープラネット/標準テンプレート

シラバス-マクロ経済学-

☆表紙・目次 (国会議員説明会用:案なし)

研究報告(田近、小林)

PrimoPDF, Job 20

公共債の税金について Q 公共債の利子に対する税金はどのようになっていますか? 平成 28 年 1 月 1 日以後に個人のお客様が支払いを受ける国債や地方債などの特定公社債 ( 注 1) の利子については 申告分離課税の対象となります なお 利子の支払いを受ける際に源泉徴収 ( 注 2) された税金

「経済政策論(後期)《運営方法と予定表(1997、三井)

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1 見直しの視点 個人住民税の諸控除 住民税の所得控除については 控除項目 金額ともに所得税の範囲内としてきたところであり 所得税において成年扶養控除 配偶者控除を見直す場合には 住民税についても同様の検討が必要ではないか 所得税の給与所得控除や退職所得金額の計算方法の見直しは 住民税には原則 自動

平成20年度税制改正(地方税)要望事項

経済成長論

Transcription:

15 氏 名谷達彦 学 位 の 種 類博士 ( 経済学 ) 報 告 番 号乙第 301 号 学位授与年月日 2014 年 3 月 31 日 学位授与の要件学位規則 ( 昭和 28 年 4 月 1 日文部省令第 9 号 ) 第 4 条第 2 項該当 学位論文題目アメリカにおける地方所得税の研究 審 査 委 員 ( 主査 ) 池上岳彦アンドリュー デウィット沼尾波子 ( 日本大学経済学部教授 ) 1

1. 論文の内容の要旨 本論文は, アメリカにおける地方所得税制度について, 導入の背景と経緯, 展開過程, 現状, 改革の方向性などを検討することにより, 地方所得税が地域の課題に応じて独自に展開されている実態を明らかにし, アメリカにおける地方所得税の意義と役割を明らかにした研究である 序章 本論文の課題 では, 本論文における問題意識が述べられ, 本論文の課題と構成が提示される アメリカにおいて地方所得税が課税されている州は限られる しかし本論文は, 地方分権を支える財源として地方所得税に対する期待は世界的に高まっており, アメリカについても地方所得税の実態解明が重要だと述べている アメリカにおける先行研究の主な論点は, 地方所得税が不動産税にとって代わる, あるいは地方財源の拡充に資する可能性であった 一方で地方所得税の地方財源としての限界を強調する見解があるが, 他方で地方所得税が大都市財政危機の克服に貢献したことや, 簡素な仕組みで多額の税収をあげる点を肯定的に評価する見解もある ただし, これまで主に検討されてきたのは地方所得税の全般的動向に過ぎない そこで本論文では, 地方所得税の課税実態が具体的に検討されて, 地方所得税の意義が再評価される アメリカの地方所得税は, 労働所得のみに課税する労働所得税型と, 労働所得に資本所得も加えた総合所得に課税する総合所得税型に大別される 本論文では, 労働所得税型としてのフィラデルフィア市と総合所得税型としてのニューヨーク市の実態分析を通じて, 地方所得課税の多様性が解明される 第 1 章 アメリカにおける地方所得税の評価 では, アメリカの地方所得税制度が概観され, 地方財源としての位置, 歴史的展開, 制度的特徴が明らかにされたうえで, アメリカの主要な地方税研究において, 地方所得税の地方税としての適性がどのように評価されているかが検討される 財政連邦主義の理論に基づく研究をみると, 一方でマスグレイブおよびマクルアーは税源の移動性が相対的に低いことや公共サービスの一般的便益の対価となることを根拠に地方所得税を肯定するが, 他方でオーツは税源分離により地方団体のアカウンタビリティを確保する観点から不動産税を重視し, 地方所得税を否定的に評価する ただし, オーツも近年は, 不動産税と地方所得税の間に効率と公平の観点からみた優劣の差は見出せないと述べている また, 地方財源の多様化を志向する立場から, 政府間関係諮問委員会 (ACIR) およびゴールドは不動産税の代替財源として地方所得税を肯定的に評価する このように, 地方所得税の課税が一部地域に限られるアメリカでも, 地方所得税を望ましい地方税として評価する議論が展開されている ただしそれらの議論は, 労働所得税型の地方所得税には批判的であり, 負担の公平性や税務行政効率化の観点から州所得税と同様の課税所得を用いる総合所得税型の地方所得税のほうを高く評価する 第 2 章 フィラデルフィア市の地方所得税 では, フィラデルフィア市の地方所得税が 1939 年に導入された経緯および1996 年から始められた減税の政策過程が分析され, 減税の意味が検討されている 地方所得税の減税は, 市経済の活性化を図ることを名目として行 2

われているが, 減税の規模は小さく, 実質的には累積した財政黒字を住民に還元する減税としての性格が強いことが本章で明らかにされている 経済団体などからは地方所得税から不動産税へのシフトを推し進める圧力が強くかけられているものの,1960 年代以降, 不動産税を上回る税収を調達し, 基幹税として定着している地方所得税の地方財源調達手段としての地位は揺らいでいない 第 3 章 ニューヨーク市の地方所得税 では, 累進税率の採用, 低所得者向け税額控除の導入などの面で応能性に対する配慮が目立つニューヨーク市の地方所得税について, その導入過程, 現状, 制度の特徴および近年の改革論が検討される ニューヨーク市の地方所得税に累進税率が採用されたのは,1966 年の導入の際に負担の垂直的公平が重視されたからである 垂直的公平を重視する点は, 所得格差拡大への対応が課題となった2000 年代以降においても同様である 連邦と州の所得税の賦課を免れながらも地方所得税を負担しなければならない低所得者の存在が問題とされ, 連邦と州で既に導入されていた還付可能型税額控除である勤労所得税額控除 (EITC) と児童税額控除 (CCC) がニューヨーク市の地方所得税にも導入され, 低所得層の負担軽減が図られた 本章は, 市の地方所得税の負担構造が累進的であり, 応能課税の役割を担うことが期待されていることを強調する 第 4 章 大都市圏における通勤者課税の課題 では, ニューヨーク市の通勤者税が1999 年に廃止された要因の検討を通じて, 地方所得税における通勤者課税の課題が検討される 本章は, ニューヨーク市の通勤者税が廃止された経済的要因として, 多額の累積黒字の存在を指摘する また, 政治的要因として,1966 年の導入の際には通勤者税を支持したニューヨーク州議会の下院が1999 年には廃止を支持したことを挙げ, その理由として, 下院民主党内部において1970 年代半ば以降ニューヨーク市外選出の議員の勢力が増加したため, ニューヨーク市外の利益が重視されたことを指摘する この事例は, 大都市圏において, 通勤者税を課税する大都市と郊外団体との間に鋭い対立が生じていることを示す 終章では, アメリカの大都市における地方所得税の意義がまとめられる 第 1は, 財源調達手段としての意義である フィラデルフィア市, ニューヨーク市の両市において, 巨額の財政赤字が発生したことを契機として, 均衡予算の達成に必要な新しい財源調達手段として地方所得税が導入された その理由は, 市外からの通勤者に課税できることや, 源泉徴収を通じて税収の大部分を調達するため, 徴税の困難さが比較的小さいことである 第 2は, 応益課税としての意義である 公共サービスの受益者には市外からの通勤者も含まれるが, 通勤者課税は中心都市と郊外地域との対立を招くため, 税率のあり方や 代表なき課税 への対策などの面で持続可能性を高めるための制度設計が課題となる 第 3は, 応能課税としての意義である ニューヨーク市の地方所得税は, 応能課税としての役割を連邦および州所得税とともに担う しかし, アメリカの地方所得税の多くは労働所得税型であり, 全体的にみれば応能課税としての役割は大きくない とはいえ, 労働所得税型地方所得税においても低所得層の負担軽減が課題となっている 3

2. 審査の結果の要旨 アメリカの地方所得税を研究した本論文は, 以下の点で大きな意義をもつ 第 1に, 本論文は, アメリカの地方税制研究の主要な議論および全国的な都市財政の動向を確認したうえで, 東部 中西部の大都市における税財政運営の実態を詳細に分析し, 従来のアメリカ地方税制研究が不動産課税を偏重してきた傾向を批判し, 地方所得税の重要性を見出している もちろん現在も 北米地域の主要な地方税は不動産税のみである との視点に立つ議論はみられる しかし, 治安維持 道路といった狭い意味の 公共財 だけでなく, 福祉 保健 教育などの社会サービスをも担う大都市において, 財源調達力 応能性 応益性などを備えた地方所得税が基幹税となりうることは, 本論文が明らかにした通りである 第 2に, 本論文は, アメリカの地方所得税が労働所得のみに課税する労働所得税型と, 総合所得に課税する総合所得税型に大別されることを明らかにし, フィラデルフィア市とニューヨーク市をそれぞれの典型例として分析を行った 前者は応益性を重視し, 後者はそれに加えて応能性も重視する点が強調され, 地方所得税の多様性が明らかにされている そのなかで, フィラデルフィア市については, 歴史的にみた同市の特別な優越的地位が指摘され, またニューヨーク市については超過累進税率のみならず独自の税額控除などを通じて所得再分配が重視されていることが強調される しかも, 本論文が制度の説明に偏ることなく, むしろ両市の経費支出に示される都市政府としての役割との関連および課税実態, とくに階層別 地域別の負担構造まで踏み込んで解明した点は高く評価される 第 3に, 本論文は, 地方税制をめぐる政治制度と政策過程を分析した点にも特徴がある 連邦制国家であるアメリカの場合, 都市の税制改革においても州が最終的な決定権をもつ また, その政策決定の仕組みは州ごとに異なる 本論文は, フィラデルフィア市とニューヨーク市がそれぞれ地方所得税を導入した経緯およびその後の改正について, 各市における市長の方針, それを取り巻く市政状況, 諮問機関の提言, そして州政府 議会の動向を分析する とくに, 通勤者課税をめぐっては市内と郊外地域の利害が対立する 本論文では, それらを含む政策過程が, 政策文書, 報道などを用いて詳しく分析される その結果, 地域間対立をはらみつつも, 地方所得税が両市において持続性をもって運営されてきたことが明らかにされている 第 4に, 本論文は, 地方所得税の多様性を国際比較まで広げて分析する基盤となる研究である たとえば, 日本の地方所得税である個人住民税所得割は, 総合課税型である点ではニューヨーク市に近いが, 応益性を重視して比例税率をとる点ではフィラデルフィア市に近い ただし, 個々の地方公共団体が課税自主権を発揮して超過課税を行う場合は累進税率をとる可能性を認めるべきだ, との議論もある また, 日本における通勤者課税の可能性もしくは困難さについて議論することも可能である アメリカにおける地方所得税の課税実態および議論を詳細に解明した本論文は, 日本における地方税制改革の議論にも示 4

唆を与える 以上の理由により, 本論文は博士論文としての水準に達しているものと評価できる 今後の課題としては, 地域の社会 経済 政治構造の視点から, 不動産課税を中心とする都市との財政構造比較, 都市財政における売上税の役割, 州レベルの所得税における制度の多様性, 日本をはじめとする諸外国の地方所得税との比較, といった観点から研究をさらに発展させることが望まれる 5