過 去 から 未 来 を 訪 ねる 技 術 史 という 視 座 の 定 着 のために 佐 藤 建 吉 In order to well-establish the history of engineering for viewing the future states through the past experience Kenkichi SATO Key words: History of Technology, Future Perspective, Brunel, Monodzukuri, Brunel Spirit 1. 序 技 術 と 社 会 は, 日 本 機 械 学 会 の 部 門 名 として 掲 げている 言 葉 ですが,もちろん 一 般 にも 用 いられ ています.いま,これを 技 術 社 会 と 書 いた 場 合, 読 者 はどのように 感 じるでしょうか.ずいぶんと 硬 い 感 じを 受 けるのではないでしょうか.それでは, 科 学 技 術 はどうでしょうか.これは, 同 じ4 字 熟 語 ですが, 毎 日, 新 聞 や TV で 見 聞 きする 言 葉 で 違 和 感 はなく, 本 論 文 集 を 手 にしている 読 者 は,むし らそれが 自 分 の 専 門 であるという 方 が 多 いことでし ょう.それでは, 科 学 と 技 術 はどのように 感 じら れるでしょうか. 先 にあげた 科 学 技 術 という 現 代 性 が 消 え 科 学 と 技 術 の 対 比 ばかりが 強 く 感 じるのは 筆 者 ばかりでしょうか? 上 の 書 き 出 しは, 私 たちの 生 活 や 活 動 が, 科 学 技 術,そして 技 術 社 会 という 両 面 に 強 く 関 わって おり, 現 状 は 言 葉 とそれが 持 つ 意 味 合 いで,かなり 異 なるということの 確 認 のためです. 技 術 と 社 会 部 門 では, 技 術 工 学 教 育, 技 術 倫 理, 知 的 財 産 権, 技 術 史 工 学 史,そして 機 械 遺 産 ほか, 技 術 と 社 会 に 深 く 係 わる 委 員 会 活 動 を 行 っています. 個 々の 委 員 会 で 対 象 とするテーマは, 上 に 述 べたよ うな 現 状 における 捉 え 方 や 認 識 を 基 盤 とし, 将 来 に おける 方 向 性 を 予 測 し,その 時 代 に 遅 れを 取 らない 研 究 活 動, 委 員 会 活 動 が 重 要 になります.これは, 機 械 工 学 は 勿 論 のこと, 日 本 機 械 学 会 および 他 部 門 の 活 動 が 社 会 との 関 わりなしには 成 立 しないので, これらに 共 通 する 重 要 な 認 識 です. では, 未 来 を 創 成 する 機 械 工 学 者 たちにとって 重 要 なことは 何 でしょうか. 数 学 や 力 学,そして 関 連 するその 他 の 科 学 についての 一 般 的 な 知 識 を 身 につ けていることは 勿 論 のこと, 設 計 というものづくり を 進 める 工 学 や 技 術 について, 先 人 が 培 って 来 た 歴 史 を 知 ることが 挙 げられます.いま 私 たちが 対 象 と するのは, 機 械 技 術 を 中 心 とする 工 学,すなわち 機 械 工 学 における 技 術 の 歴 史, 広 いくくりとしては, 技 術 史 工 学 史 です. この 小 論 では, 主 として, 日 本 機 械 学 会 の 技 術 と 社 会 部 門 における 技 術 史 について 取 り 上 げ, 技 術 と 社 会 の 関 連 を 巡 って: 過 去 から 未 来 を 訪 ねる というフレーズに 応 えるように, 過 去 から 現 在,そ して 未 来 へと, 時 間 と 位 相 を 変 えて, 社 会 と 技 術 に 関 する 写 像 を 述 べてみたいと 思 います. 地 球 において 通 り 過 ぎた 時 間 と 場 所 への 知 識 は, 人 類 にとって 装 飾 品 となり, 食 糧 となる. (1) (ダ ヴィンチ) 2. 破 2.1 技 術 史 研 究 の 意 義 日 本 機 械 学 会 技 術 と 社 会 部 門 では, 毎 年 秋 季 には 技 術 と 社 会 の 関 連 を 巡 って: 過 去 から 未 来 を 訪 ねる と 題 する 講 演 会 を 開 催 しています.このフレーズの 由 来 については 不 明 ですが,いまここで 述 べようとしている 内 容 を 体 現 しており, 筆 者 はこのメッセージを 大 切 にしたい と 考 えています.また, 過 去 を 訪 ね 未 来 を 展 望 する, これが 技 術 の 歴 史 を 技 術 史 として 呼 び, 学 問 として 取 り 上 げる 別 の 見 方 です. 三 輪 修 三 氏 は, 機 械 工 学 史 ( 丸 善,2000 年 刊 ) で, 技 術 史, 科 学 技 術 史 を 学 ぶことは, 次 のような 意 味 があると 述 べています (2). 1 現 代 の 機 械 技 術 と 機 械 工 学 の 範 囲 と 内 容 は 果 てし なく 広 がって, 当 事 者 ですら 全 体 が 見 えなくなって 1
しまった.これは 危 険 なことである.しかし 歴 史 に よってこれらを 過 去 からの 変 化 のすがた として 捉 えれば, 全 体 を 総 合 的 立 体 的 に 把 握 することが できる. 2 重 要 な 工 学 概 念, 原 理, 法 則 などは 与 えられた もの としてではなく, 着 想 から 論 争 を 経 て, 定 着 に 至 る 創 造 のダイナミクス の 中 で 捉 えることが できる.この 立 場 の 歴 史 は< 内 部 史 >あるいは< 学 説 史 >といわれる. 3 技 術 は 社 会 を 変 える. 社 会 もまた 技 術 のすがたを 強 く 規 定 する. 各 時 代, 各 場 所 で 社 会 は 技 術 に 何 を 求 めてきたか.このような 技 術 と 社 会 との 関 わり を 歴 史 の 中 に 見 れば, 技 術 の 生 成 変 転 のありさま がわかり, 未 来 への 手 がかりが 得 られる.また, 人 間 の 文 化 と 文 明 における 技 術 の 功 罪 について 幅 広 い 視 野 をもつことができる.この 立 場 の 歴 史 を< 外 部 史 >または< 社 会 史 >という. 4 時 代 を 切 り 開 いた 技 術 者 工 学 者 の 姿 と 生 きざま を 歴 史 の 中 に 見 ることで,ある 状 況 におかれた 個 人 の 決 断 と 行 動 の 正 しさと 限 界,あるいは 歴 史 におけ る 個 人 の 役 割 を 知 ることができる.これは 技 術 と 工 学 の 世 界 で 専 門 職 業 人 として 生 きようとする 自 分 へ の 励 みと 反 省 を 与 える. 三 輪 氏 は,2を 内 部 史,3を 外 部 史 とされていま すが, 筆 者 はこれに 追 加 して,1を 鳥 瞰 視 観,4を 演 劇 舞 台 物 語 観 と 呼 ぶことに 致 します. 技 術 史 の4 つのとらえ 方, 意 味 です. 2.2 現 在 から 過 去 と 未 来 への 探 訪 現 在 から 過 去 へそして 未 来 を 訪 ねることは,2002 年 の 映 画 Back to the Future で 明 確 に 描 かれています. この 映 画 は, 現 在 から 過 去 へ,そして 過 去 から 未 来 へとタイムスリップし, 自 分 自 身 の 過 去 や 未 来 を 覗 くことができるコメディー 系 の 科 学 映 画 でした. 科 学 としてとらえる 技 術 史 は, 著 述 により 過 去 と 未 来 の 関 連 を 取 り 上 げますが,その 切 り 口 として, 小 説 家 で 評 論 家 の 堀 田 善 衛 氏 による 未 来 からの 挨 拶 (3) があります. 同 氏 は, 自 身 がスペイン 滞 在 中 に 得 たヒントから,この 映 画 Back to the Future を ホメロスの 歴 史 書 オデュッセイア に 由 来 すると して, 以 下 のような 見 解 を 述 べています (3). 古 代 ギリシアでは, 過 去 と 現 在 が(われわれの) 前 方 にあるものであり,したがって(われわれが) 見 ることのできるものであり,(われわれが) 見 るこ とのできない 未 来 は,(われわれの) 背 後 にあるもの である,と 考 えられていた. さらに, 未 来 を 見 据 えることができる 人 は,ごく 少 数 で, 大 半 は, 過 去 や 現 在 を 見 つめるにとどまる だけであると 語 っています. 過 去 から 現 在 までは 歴 史 として 置 き 換 えられており, 温 故 知 新 の 精 神 に それを 高 めることが 可 能 です. 温 故 知 新 を 辞 書 で 引 くと, 過 去 の 多 くのことを 知 って 初 めて 未 来 のこ とがわかるということを 意 味 しており, 過 去 を 訪 ね て 未 来 を 展 望 することこそ, 普 通 の 人 物 に 取 っては, 必 要 で 妥 当 なことであります. 歴 史 とは, 混 沌 や 偶 然 を 意 味 するものではない. それは,むしろ 一 部 には 予 想 可 能 で, 目 に 見 える 秩 序 や 規 範 として 現 れる 人 間 の 行 動 である. (1) ( 社 会 科 学 の 歴 史 研 究 会 ) 2.3 過 去 から 未 来 への 継 続 前 項 では, 未 来 を 直 ちに 予 測 することは 困 難 であり, 過 去 を 尋 訪 し 初 めてそれが 可 能 にあることを 述 べました.しばし は 引 用 されるのですが, 未 来 予 測 の 成 功 例 として Moore の 法 則 が 挙 げられます.それは,Intel の 共 同 創 始 者 のMooreが1965 年 に 発 表 した 記 述 に 由 来 して いますが, 計 算 速 度 が 毎 年,2 倍 になるというもの でした. Kurzwell は,その 後, 図 1 (4) に 示 すように 今 日 に 至 る 技 術 の 発 展 は, 前 歴 の 技 術 によって 支 援 される ことをプロットしました. 初 期 の 電 子 計 算 機 からリ レー, 真 空 管,トランジスタの 技 術 的 背 景 があって, LSI の 発 展 につながったというものです.5 年 ごとに メモリー 容 量 が 10 倍 になるというものです.この 図 では,1900-2000 年 までの 100 年 間 の 西 暦 年 とプロ セッサの 価 格 1000 ドル 当 たり,1 秒 当 りの 計 算 処 理 回 数 の 関 係 をプロットしています.この 法 則 におい ても 通 常 は,1985 年 以 降 の LSI のデータで 語 られて いますが, 実 はそれ 以 前 の 真 空 管,トランジスタの 発 展 を 踏 まえての 予 測 でした. このことは, 明 確 に, 将 来 予 測 は,その 当 時 の 過 去 と 現 在 における 傾 向 を 知 って,かつその 業 界 の 予 測 が 可 能 です. 事 実,Moore のトレンドが, 目 標 と しての 技 術 を 生 み, 社 会 も 技 術 に 期 待 した 背 景 があ りました. 上 の 進 展 は,LSI などの 先 端 的 な 製 品 の 例 でした. 一 方,もう 少 し 年 数 を 要 した 成 長 と 変 革 の 例 としては, 馬 車 と 自 動 車 があります. 図 2 (5) が それで, 陸 上 交 通 が 馬 車 から 自 動 車 への 推 移 が, 著 しく 普 及 したことがわかります.この 図 で 細 線 は 予 想 曲 線 ですが, 太 線 は 実 績 です. 2
100 年 後 の 未 来 予 測 では,1901 年 の 報 知 新 聞 によ る 二 十 世 紀 の 予 測 (6) がしばしば 引 用 されます. その 予 測 では,テレビや 電 話,ファックス, 戦 闘 機 など 多 くのものが 予 測 されています. 以 上 は, 過 去 現 在 未 来 と 時 世,すなわち 時 間 の 位 相 を 区 分 しますが, 決 して 非 関 連 ではなく, 連 続 的 な 挙 動 として 推 移 するものであることを 示 し ています. 現 在, 問 題 となっている 地 球 温 暖 化 における CO 2 の 増 加 も, 同 じく 急 激 に 増 加 していますが,それを 如 何 に CO 2 の 排 出 しない 方 式 に 転 換 するかが 問 われ ています. 技 術 と 社 会 のキャッチボールこそがそれ を 実 現 することになります. Fig.1 Moore s law by Kurzwell Fig.2 Surface transportation substitution from draft horses to cars in the USA. すべての 機 械 は, 自 然 から 得 られたものであり, 天 空 の 回 転 という 教 えと 教 訓 に 基 礎 がある. (1) (ヴィトリウス) 2.4 過 去 から 未 来 をつなぐエンジニアの 存 在 変 革 は 上 述 したような 趨 勢 であるのですが,それ は 社 会 が 技 術 をそして 技 術 が 社 会 を 誘 導 した 結 果 と しての 現 れでした.そうした 背 景 にはエンジニアの 存 在 が 必 須 です. いま 筆 者 が 注 目 しているのは,イギリスのヴィク トリア 時 代 のエンジニア,イザムバード キングダ ム ブルネル(Isambard Kingdom Brunel,1806-1859) (6)~(10) です.ブルネルは, 多 くの 歴 史 研 究 家 などが 評 論 しているように 変 革 のエンジニアであったとい えます.ブルネルは 日 本 人 にはあまり 知 られていま せんが, 母 国 イギリスでは 表 1 (11) のように, 第 2 位 の 偉 大 な 英 国 人 として 得 票 しています.いまブルネ ルを 知 ることは, 私 たちの 未 来 を 挑 戦 的 につくるこ Table 1 The best ten ranking for Great Britons Fig.3 The top space of Houchi Shinbumn, describing A Prospect for the 20 th Century 3
とで, 換 言 すれば 過 去 の 偉 大 なエンジニアの 気 概 を 知 り, 未 来 を 構 築 することになるといえるでしょう. 2.4 イザムバード キングダム ブルネル (7)~(10) ブルネルは,1806 年 4 月 9 日,ポーツマスのポート シー(Portsea)で 生 まれました( 図 4). 発 明 家 の エンジニアであった 父 マーク イザムバード ブル ネル(1769-1849)は, 息 子 ブルネルが6 歳 のときか ら 才 能 を 現 した 数 学 と 図 学 の 能 力 を,イギリス 南 部 のホーブ(Hove)にある 寄 宿 学 校 に 入 学 させ, 英 才 教 育 を 施 しました. その 後 ブルネルは,フランスのカーン(Carne)で, 後 にパリのヘンリ 4 世 学 校 (Henri Quadric Ecole) で 学 びました.パリでは, 時 計 修 理 業 を 営 む 業 界 の 秀 逸 のブルゲー(Louis Breguet)のところで 徒 弟 修 行 しました.16 歳 になったブルネルはロンドンに 戻 り, 父 の 事 業 であるテムズ 河 底 トンネル 工 事 に 参 画 しました. 工 事 中,4 度 目 の 出 水 事 故 で 怪 我 し,ブ リストルで 療 養 中 に,クリフトン 吊 り 橋 の 設 計 コン ペに 優 勝 し,エンジニアとしての 成 功 の 鍵 を 勝 ち 取 りました.その 後,GWR(Great Western Railway) で,ロンドン~ブリストル 間 の 鉄 道 建 設 を 行 いまし た. ブルネルが 設 計 し, 監 督 製 造 した 橋 やトンネル, 鉄 道 や 船,そして 建 築 物 は,デザインの 面 でもすぐ れており, よいモノは 美 しい, 美 しいモノはよい が 活 かされています. 彼 の 事 績 を 調 査 しその 価 値 を 知 ると,ものづくりへの 感 動 を 受 け 取 ることができ ます.その 結 果 として, 学 生 や 生 徒, 若 い 機 械 エン ジニアが,ブルネルに 負 けない 設 計 やものづくりに 挑 戦 し,さらには 科 学 技 術 への 興 味 を 引 き 出 すこと ができると, 筆 者 は 考 えています. ブルネルは,19 世 紀 の 激 動 の 時 代 にイギリスで, 170 年 以 上 先 の 今 日 につなぐ, 橋 やトンネル, 鉄 道 や 船 など 都 市 交 通 インフラの 分 野 で, 技 術 を 通 し て 問 題 や 現 状 を 打 開 し, 変 革 を 成 し 遂 げたエンジニ アでした. 彼 は, ものづくり, ことづくり, し くみづくり に 挑 戦 し 続 けたのでした. (7)~(10) 2.5 ブルネルの 事 績 ブルネルの 革 新 的 な 事 績 について 述 べます.それには,1クリフトン 吊 り 橋 (1830 年 設 計, 図 5),2ロンドン~ブリストル 間 を 高 速 大 量 安 定 走 行 の 超 広 軌 鉄 道 GWR 建 設 (ゲ ージ 2140mm,1841 年 開 通, 図 6),3 低 橋 桁 で 長 ス パンのメイデンヘッドのアーチ 橋 (1844 年 完 成, 図 7),4 当 時 世 界 最 長 のボックス トンネル(1841 年, 図 8),5 大 西 洋 横 断 蒸 気 船 のグレイト ウエスタン 号 (1837 年 進 水, 図 9),6 総 鉄 鋼 スクリュー(プ ロペラ) 推 進 の 蒸 気 船 グレイト ブリテン 号 (1843 年 進 水, 図 10),7 高 勾 配 走 行 可 能, 騒 音 環 境 配 慮 の 大 気 圧 鉄 道 (1847 1848 年 運 転, 図 11),8ロン ドンパディントン 駅 (1854 年 完 成 ),9シダナムの クリスタルパレスの 給 水 塔 (1853 年 ),10 空 調 設 備 のあるクリミア 戦 争 の 野 戦 プレハブ 病 院 (1855 年 設 置 ),11オーストラリア 航 路 用 巨 大 蒸 気 船 のグレイ ト イースタン 号 (1858 年 進 水, 図 12),12ロイヤ ル アルバート 橋 (1859 年 開 通, 図 13)などがあり, ( )に 示 した 年 代 で 先 例 を 越 える 事 績 でした. Fig.5 Clifton suspension bridge, Bristol Fig.4 Isambard Kingdom Brunel Fig.6 North Star and Brunel s statue, Swindon 4
Fig.7 Arch bridge, Maidenhead Fig.11 Atmospheric railway Fig.8 Box tunnel, Box Fig.12 Great Eastern Fig.9 Great Western steam ship Fig.13 Royal Albert bridge, Saltash Fig.10 Great Britain and its Propeller このように,ブルネルは 53 年 の 短 い 人 生,37 年 の 実 務 年 間 で 上 のような 吊 り 橋, 蒸 気 鉄 道,トンネ ル, 蒸 気 船, 駅 舎 などの 都 市 交 通 インフラの 多 くの 対 象 の 設 計, 建 設 を 行 いました. 以 下 に,そのうち の 一 部 についてその 特 長 を 記 します. ブルネルは,クリフトンの 吊 り 橋 のコンペでは, 760ft から 900ft の 長 大 スパンの 4 案 を 提 案 しまし たが, 審 査 委 員 長 を 務 めた 当 時 の 橋 の 権 威 者 テルフ ォード(Telford)の 定 めたスパンの 最 大 値 600ft (183m)を 超 えていたため, 他 の 提 案 とともに 全 部 で 22 案 は 失 格 とされ,コンペはやり 直 しとなりまし た.2 回 目 のコンペは,テルフォード 自 身 も 提 案 し ましたが,ブルネルの 設 計 案 が 選 定 されました.そ の 橋 のスパンは 630ft(192m)で,その 優 美 なデザ インは,その 後 構 造 芸 術 の 端 緒,と 評 価 される 5
ことになりました. 次 にブルネルの 超 広 軌 鉄 道 について 述 べます. 貿 易 港 ブリストルと 首 都 ロンドンの 交 通 は, 馬 を 乗 り 継 いでの 馬 車 では 16 時 間 を 要 し, 冬 季 には 運 河 が 凍 結 するなど 苦 痛 で,ブリストルの 富 裕 商 人 には, 鉄 道 は 悲 願 でした.ブルネルは, 高 速 で 安 定,しかも 輸 送 量 を 多 くするためには,スティーブンソンのゲ ージを 超 える 7ft 1 /4in (2140mm)の 超 広 軌 ゲージが 必 要 であるとし,できるだけ 平 坦 な 経 路 を 選 択 し,グ レイト ウエスタン 鉄 道 GWR を 敷 設 しました. テムズ 河 を 越 えるために 必 要 だったのがメイデン ヘッドのアーチ 橋 でした. 前 述 のようにこのアーチ 橋 で 橋 桁 を 低 く 抑 えたのは,テムズ 河 を 越 える 際 に 線 路 に 勾 配 を 大 きくしないためでした. 同 様 に,ブ リストル 手 前,バースの 近 くには 大 きな 丘 陵 地 があ り,そこを 勾 配 なしに 通 過 するために 造 られたのが ボックス トンネルでした.こうした 工 夫 をして, GWR は 最 初 にロンドン~メイデンヘッド 間 が 1838 年 に 部 分 開 通 し,1841 年 にはロンドン~ブリストル 間 約 190km が 全 線 開 通 しました.ブルネルは, 高 速 大 量 安 定 輸 送 という 今 日 の 要 求 をすでに 鉄 道 の 発 展 期 に 着 眼 し,それを 主 張 し, 実 現 しています. 最 後 に, 大 気 圧 鉄 道 について 紹 介 します.この 鉄 道 は, 線 路 間 に 設 置 された 鋳 鉄 製 パイプの 中 にピス トンを 入 れ, 列 車 の 進 行 方 向 にあるパイプ 内 の 空 気 圧 を 負 圧 にすると,ピストンが 移 動 することを 推 進 力 としました.この 推 進 方 式 は,19 世 紀 の 初 めにサ ムエル クレッグ(Samuel Clegg)ならびにヤコブ とヨセフのサムダ 兄 弟 (Jacob Samuda & Joseph Samuda)が 特 許 を 取 得 しております. 彼 らは,ロン ドンで 長 さ 半 マイル(0.8km)の 線 路 で 実 験 しており ましたが,1844 年 にアイルランドのダブリン-キン グスタウン 鉄 道 で 実 用 されていました. ブルネルは,ロンドンで 実 験 を 行 い,アイルラン ドも 視 察 し, 丘 陵 地 があり 勾 配 のきつい 南 デボン 鉄 道 会 社 (South Devon Railway)では 大 気 圧 方 式 にす べきであると 提 案 しました. 彼 の 主 張 が 通 り, 大 気 圧 鉄 道 は1847 年 9 月 にエクセター~ニュートンアボ ット 間 で 実 験 走 行 が 開 始 されました.パイプ 内 を 真 空 にする 蒸 気 機 関 が 駆 動 する 真 空 ポンプ(パワース テーション)は,エクセター,スタークロスほか8 ヶ 所 に 設 置 されました. 試 験 運 転 すると 多 くの 問 題 が 露 呈 しました. 推 力 不 足 でブルネルは,エクセター~ニュートンアボッ ト 間 に 敷 設 したパイプの 直 径 を 12in (30cm)から 15in (38cm)に 増 加 させると, 今 度 はポンプの 出 力 不 足 を 引 き 起 こし, 設 計 点 を 越 える 高 速 回 転 で 蒸 気 機 関 を 運 転 することになり, 石 炭 消 費 量 が 増 えて 運 転 コストが 増 加 しました.また 当 時 は 電 信 技 術 が 開 発 中 で 使 用 できなかったため, 列 車 と 駅 (パワーステ ーション) 間 での 通 信 が 取 れなく, 列 車 が 前 駅 から 出 発 したのか,いつ 次 駅 に 到 着 するか 不 明 であった ため, 真 空 ポンプを 常 時 運 転 し 続 けなければならず, 石 炭 消 費 量 はこのためにも 大 幅 に 増 加 しました. 大 気 圧 鉄 道 はこうして 走 行 しましたが, 最 大 速 度 は 時 速 70mile(112km)に 達 し, 通 常 の 営 業 は 時 速 40mile(32km)でした.しかし,パイプの 上 部 にあ る 開 閉 式 の 弁 から 真 空 漏 れが 発 生 し, 運 転 半 年 の 1848 年 には, 終 止 されました. 筆 者 は,ブルネルの この 挑 戦 は 時 代 が 早 すぎたためで, 現 在 では 通 信 技 術 と 制 御 技 術,さらに 優 れた 耐 摩 耗 材 料 があるので ブルネルの 大 気 圧 鉄 道 は, 環 境 面 でも 有 利 さがある ので, 観 光 地 でのミニ 鉄 道 として 復 元 利 用 できると 考 えて,その 実 施 に 向 けて 準 備 しております. 科 学 は, 司 令 官 であり, 実 戦 であり, 兵 士 である. (1) (ダ ヴィンチ) 3. 急 いま 私 たちがブルネルを 知 ることは, 私 たちの 未 来 を 挑 戦 的 につくることで, 換 言 すれば 過 去 の 偉 大 なエンジニアの 気 概 を 知 り, 未 来 を 構 築 するという ことです. 私 たちは,これまでブルネルについて 調 査 研 究 し, 彼 の 実 像 の 一 部 を 知 りました.イギリス のバース 大 学 のブキャナン(Angus Buchanan) 名 誉 教 授 のほか 多 くの 方 々がイギリスでブルネルについ て 研 究 していますが,それはイギリス 人 の 視 点 であ り, 日 本 人 による 見 解 として, 理 解 し, 定 着 しなけ ればなりません. ブルネルの 実 際 の 技 術 は, 日 本 の 中 に 伝 承 され 存 在 しているわけではありません.しかし,ヴィクト リア 時 代 に 彼 が 自 身 の 健 康 をも 蝕 みながら, 研 鑽 と 精 神 力 をもって, 対 象 に 向 かって 挑 戦 的 に 技 術 開 発 し,その 提 案 を 資 本 家 に 合 意 させ,しかも 事 業 を 完 成 させた 気 概 を 学 ぶことができます.それを, 筆 者 は ブルネル スピリット と 呼 んでいます. この 点 についての 一 層 の 理 解 には,ブルネルの 行 った 事 績 の 先 進 性, 革 新 性 を, 要 素 技 術 として 解 析 し, 評 価 研 究 することが 重 要 であると 考 えます. これは, 三 輪 氏 による 外 部 史 としての 技 術 史 であり, 6
また 物 語 観 としての 技 術 史 でもあります.わが 国 に ブルネル スピリットを 周 知, 定 着 させ,ものづく りに 挑 戦 する 気 概 を 再 び 醸 成 させることができそう です. 過 去 から 未 来, 西 から 東 へ(イギリスから 日 本 へ)のスピリットの 移 転 を 図 りたいと 思 います. その 活 動 として, 日 本 機 械 学 会 技 術 と 社 会 部 門 の ブルネル 研 究 会 ( 主 査, 佐 藤 建 吉 )は 取 り 組 ん でいます. (12)~(15) これまでの 活 動 歴 を 記 しますと, 2004 年 12 月 には, 公 開 講 演 会 として 時 代 を 超 え て 活 躍 したブルネル 父 子 の 物 語 (12) としてブルネル とスティーブンソンの 比 較 ( 菅 建 彦 氏 ),ブルネルか らエンジニア 魂 を 学 ぶ( 与 儀 博 氏 ),ブルネル 作 品 の 模 型 精 査 買 う 教 室 ( 筆 者 )などが 展 開 されました. 2005 年 12 月 には, ブルネリストのひろがりがつ くるエンジニアリング (13) として, 模 型 展 示 のほか ブルネル 賞 について( 酒 井 敦 司 氏 ),イギリスのシビ ルエンジニアからみたブルネル( 近 藤 邦 明 氏 ),ブル ネルからいま 何 を 学 ぶか( 北 河 大 次 郎 氏 )の 講 演 を 行 い,その 後 ブルネルを 超 えるエンジニア 像 と 題 し て 討 論 が 行 われました. 2006 年 は,ブルネルの 生 誕 200 年 にあたり, 千 葉 県 立 現 代 産 業 科 学 館 において,10 月 27,28 日 の 両 日 にわたり, ブルネル 生 誕 200 年 記 念 行 事 (14) が 開 催 されました.この 行 事 では,ロバート ハルス 氏 (Robert Hulse,ブルネル 博 物 館 長 ),アンガス ブキャナン 氏 (Angus Buchanan,バース 大 学 名 誉 教 授 )の2 名 のイギリス 人 によるブルネル 紹 介 がなさ れました.また, 日 本 人 によるブルネル 紹 介 では, フォトシネマ( 綿 貫 潤 氏,ブルネル 研 究 会 ),TV 番 組 ( 日 本 テレビ 系 列 で 10 月 17 日 に 放 送, 藤 保 修 一 氏,TV ディレクタ),また 講 談 ( 田 辺 一 鶴 氏, 講 談 師 )が 行 われました. その 後 パネルディスカッション( 司 会 : 大 川 時 夫 氏 )では, 英 国 人 3 名 のほか 小 池 滋 氏 ( 英 文 学 者 ), 菅 建 彦 氏 ( 交 通 文 化 振 興 財 団 ), 鈴 木 孝 氏 ( 元 日 野 自 動 車 )により, 関 連 分 野 からわかりやすく ブルネ ル スピリットについて 提 言 がなされました. また, 第 2 日 目 は,ブルネルの 革 新 性, 挑 戦 心 を ものづくり,ひとづくり に 生 かすために, 各 界 の 方 々による 講 演, 提 言 がなされました.レオナル ド ダ ヴィンチの 創 造 性 ( 神 谷 和 秀 氏, 富 山 県 立 大 学, 司 会 : 白 井 靖 幸 氏 ), デザインは 公 共 のため に( 水 戸 岡 鋭 治 氏,ドーンデザイン 研 究 所 ),また 江 戸 の 技 術 の 粋, 萬 年 時 計 の 復 元 模 型 製 作 ( 土 屋 栄 夫 氏, 元 精 工 舎 ), 本 田 宗 一 郎 について( 西 田 通 弘 氏, 元 本 田 技 研 工 業, 司 会 : 渡 辺 辰 郎 氏 )が, 講 演 され ました. パネルディスカッション( 司 会 : 大 河 内 信 夫 氏 ) では, 大 輪 武 司 氏 ( 日 本 機 械 学 会, 元 工 学 教 育 セ ンター 長 ), 坂 本 勇 氏 ( 大 阪 産 業 大 学 名 誉 教 授 ), 上 野 耕 史 氏 ( 文 部 科 学 省 ), 出 浦 淑 枝 氏 ( 小 松 製 作 所 ), 山 崎 和 雄 氏 ( 日 刊 工 業 新 聞 社 ) が 登 壇 し,ものづく り,ひとづくりについて 意 見 討 論 が 行 われました. 2007 年 8 月 には,2 週 間 にわたり, 機 械 の 日 記 念 行 事 自 分 発 見 ものづくり 発 見 第 1 回 (15) が 東 京 上 野 の 国 立 科 学 博 物 館 で 開 催 され, 夏 休 みの 子 供 たちにブルネルの 事 績 と, 大 気 圧 鉄 道 の 模 型 に よる 走 行 実 演 が 行 われ, 感 動 を 提 供 しました.こう して, 多 くの 行 事 にご 参 加,ご 協 力 頂 いた 方 々に 謝 意 を 述 べ, 技 術 史 への 深 い 関 心 とその 適 用 をお 願 い する 次 第 です. 参 考 文 献 1) Dowson, D., History of Tribology, (1979), pp.1-677, Longman Group Ltd. 2) Miwa, S., History of Mechanical Engineering, (2000), p.5, Maruzen. 3) Hotta, Z., Modern Sentence (revised edition), A Greeting from the Future, (2002), pp.8-13, Chikuma Shobou. 4) On line web for the word Moore s Law, http://en.wikipedia.org/wiki/moore s_law 5) Nakicenovic, (1986), p.321. 6) Hochi Shimbun, Prophecy of the 20 th Century, No.8503, (1901). 7) Buchanan, A., The Life and Times of Isambard Kingdom Brunel,(2002), Humbleton and London. 8) Ookawa, T., Translated book of 7),(2006), LLP House of History of Engineering. 9) Brunel, I., The Life of Isambard Kingdom Brunel, Civil Engineer, (1870), pp.105-132, Nonsuch Pub. 10) Sato, K.,The Great Challenge of Brunel, (2006), Nikkan Kogyo Shimbun Press. 11) Eikoku news Digest, No.877, (2003). 12) Sato, K.(ed.), Stories of the Great Engineers of Brunel s Father and Son, Proceeding of the Technology and Society Division of the JSME, No.04-79, pp.82-104,(2004). 13) Sato, K.(ed.), Re-engineering built by Brunelists in Japan, Proceeding of the Technology and Society Division of the JSME, No.05-86, pp.147-166,(2005). 14) On line web, Newsletter of the Technology and Society, No.17, February 2007, http://www.jsme.or.jp/tds/news/newsletter17 /satoh.html 15) On line web, Newsletter of the Technology and Society, No.18, November 2007, http://www.jsme.or.jp/tsd/news/newsletter18 /conf2.html 7