平 成 28 年 6 月 3 日 公 開 平 成 28 年 6 月 7 日 修 正 平 成 28 年 熊 本 地 震 調 査 報 告 書 ( 速 報 ) ~ 東 北 大 学 災 害 科 学 国 際 研 究 所 構 造 物 土 砂 災 害 調 査 チーム~ < 調 査 対 象 > 土 砂 災 害 地 盤 災 害 構 造 物 被 害 など < 調 査 対 象 地 域 > 熊 本 県 阿 蘇 郡 南 阿 蘇 村 熊 本 県 益 城 郡 益 城 町 < 調 査 実 施 日 時 > 平 成 28 年 4 月 30 日 ( 土 )~ 5 月 1 日 ( 日 ) < 調 査 メンバー> 森 口 周 二 ( 東 北 大 学 災 害 科 学 国 際 研 究 所 ) 寺 田 賢 二 郎 ( 東 北 大 学 災 害 科 学 国 際 研 究 所 )
1. 本 報 告 の 位 置 付 け 本 報 告 は, 平 成 28 年 熊 本 地 震 に 伴 う 土 砂 災 害 および 構 造 物 被 害 ( 特 に 橋 梁 )について 調 査 した 結 果 を 報 告 するものである.また, 調 査 によって 得 られた 事 実 に 基 づいて 工 学 的 な 知 見 の 整 理 や 被 災 メカメカニズムの 分 析 を 行 っている.ただし, 現 段 階 では 憶 測 を 含 む 部 分 があることを 予 め 了 承 されたい. 2. 調 査 地 域 調 査 対 象 地 域 は, 下 記 の 3 ヶ 所 であり,その 位 置 を 図 1に 示 す.なお, 以 降 の 説 明 では, 下 記 3 地 域 に 分 けて 報 告 する. 1 南 阿 蘇 村 立 野 河 陽 地 区 ( 道 路 橋 梁, 土 砂 災 害 ) 阿 蘇 大 橋 の 被 害 およびその 周 辺 2 南 阿 蘇 村 河 陽 地 区 ( 道 路 橋 梁, 土 砂 災 害, 宅 地 被 害 ) 南 阿 蘇 橋 とその 周 辺, 宅 地 被 害, 京 都 大 学 火 山 研 究 センター 周 辺 の 表 層 崩 壊 3 益 城 町 ( 道 路 橋 梁, 地 盤 変 状 ) 断 層 付 近 の 道 路 橋 梁 の 被 害, 家 屋 被 害 図 1 調 査 地 域 (Google Map に 加 筆 )
3. 南 阿 蘇 村 立 野 河 陽 地 区 ( 道 路 橋 梁, 土 砂 災 害 ) ここでは, 主 に 地 震 によって 落 橋 した 阿 蘇 大 橋 とその 周 辺 について 調 査 した 結 果 を 示 す. 阿 蘇 大 橋 の 位 置 は 図 2に 示 すとおりであり, 国 道 57 号 線 から 国 道 325 号 線 への 接 続 部 に 位 置 する. 崩 壊 後 の 周 辺 の 様 子 を 図 3に, 地 震 前 後 の 阿 蘇 大 橋 の 様 子 を 図 4に 示 す.これら の 図 は, 国 土 地 理 院 が 公 開 している 資 料 やデータに 加 筆 して 作 成 したものである. 阿 蘇 大 橋 は, 黒 川 に 架 かる 橋 梁 であるが,ほとんど 跡 形 もなく 落 橋 し, 隣 接 する 斜 面 で 大 規 模 崩 壊 が 発 生 していることが 確 認 できる. 図 5は 阿 蘇 大 橋 周 辺 の 赤 色 立 体 図 であるが,この 図 より, 崩 壊 が 発 生 した 阿 蘇 大 橋 に 隣 接 する 斜 面 には, 今 回 の 崩 壊 部 分 とは 別 の 崩 壊 の 形 跡 が 確 認 される.これらの 崩 壊 がいつ 発 生 したものであるかは 不 明 であるが, 長 い 年 月 を 遡 れば, 過 去 にも 崩 壊 が 発 生 していたことが 伺 える. 図 2 崩 壊 部 分 の 位 置 (Google Map に 加 筆 ) 図 3 崩 壊 部 分 の 位 置 ( 国 土 地 理 院 の 公 開 資 料 1) のキャプチャー 画 像 に 加 筆 )
図 4 崩 壊 部 分 の 位 置 ( 国 土 地 理 院 の 公 開 資 料 1) に 加 筆 ) 図 5 赤 色 立 体 図 (アジア 航 測 作 成 の 公 開 資 料 2) に 加 筆 )
阿 蘇 大 橋 は, 橋 長 206m で 片 側 2 車 線,1970 年 に 完 成 したトラスド 逆 ランガー 桁 橋 であ る. 図 6に 示 すように, 斜 面 崩 壊 が 発 生 した 立 野 地 区 側 に 橋 脚 を 3 本 有 し,その 他 の 部 分 は 桁 の 下 に 設 置 されたトラスで 支 える 構 造 である. 大 部 分 が 落 橋 したが, 右 岸 ( 立 野 地 区 側 )と 左 岸 で 橋 の 一 部 が 残 っていた. 図 7は, 右 岸 側 に 残 った 橋 脚 の 写 真 であり, 図 6に おける 3 本 の 橋 脚 のうち, 最 も 右 岸 側 のものと 思 われる. 残 りの 2 本 の 橋 脚 は, 現 地 で 確 認 されなかったため, 落 橋 に 伴 って 河 川 へと 落 下 したか, 斜 面 崩 壊 によって 発 生 した 土 砂 で 埋 没 したものと 思 われる.また, 図 8に 示 すように, 左 岸 側 には 桁 の 一 部 が 残 っていた. 図 9は, 左 岸 の 橋 台 と 桁 のジョイント 部 の 写 真 であるが,ジョイント 部 で 複 雑 な 変 形 の 跡 が 確 認 されない.そのため, 地 震 動 によってジョイント 部 で 大 きな 損 傷 を 受 けたというこ とは 考 えにくく, 右 岸 側 に 向 かって 引 っ 張 りを 受 けて 落 橋 したのではないかと 推 察 される. 河 陽 側 左 岸 斜 立 面 野 崩 側 壊 発 右 生 岸 図 6 阿 蘇 大 橋 の 図 面 ( 参 考 文 献 3)に 一 部 加 筆 ) 図 7 残 った 橋 脚 の 一 部 ( 右 岸 : 立 野 側 ) 図 8 残 った 桁 の 一 部 ( 左 岸 : 河 陽 側 )
図 9 左 岸 側 ( 河 陽 側 )の 橋 台 と 桁 のジョイント 部 阿 蘇 大 橋 に 隣 接 した 斜 面 の 崩 壊 の 他 にも, 周 辺 では 多 くの 崩 壊 が 発 生 している. 図 11 ~14の 写 真 は, 図 10の1~4の 各 箇 所 を 撮 影 したものである.1は 崩 壊 土 砂 に 近 接 す る 箇 所 であり,その 様 子 は 図 11に 示 している. 土 砂 が 堆 積 していない 部 分 にはブルーシ ートが 設 置 されていたため, 表 面 の 詳 細 な 様 子 は 確 認 できなかったが,ブルーシートの 脇 に 見 える 亀 裂 の 状 態 などから,この 箇 所 は 全 体 的 に 引 っ 張 りを 受 けた 様 子 が 伺 える.1の 箇 所 から 少 し 離 れた2の 個 所 では, 片 側 2 車 線 で 路 肩 崩 壊 が 発 生 していた.この 箇 所 の 様 子 は 図 12に 示 している.この 部 分 の 亀 裂 は 盛 り 上 がるように 発 生 しており,この 箇 所 で は 圧 縮 力 が 作 用 したものと 思 われる.この 亀 裂 の 他 にも,この 近 辺 には 圧 縮 を 受 けたと 考 えられる 形 跡 がいくつか 見 られたため,2の 箇 所 の 路 肩 崩 壊 は, 水 平 方 向 に 圧 縮 されるこ とによって 可 能 性 が 高 い.3の 箇 所 は, 黒 川 を 挟 んで 対 岸 ( 左 岸 )であり,その 箇 所 の 様 子 は 図 13に 示 している.この 箇 所 でも 多 くの 崩 壊 が 発 生 しており, 落 下 寸 前 の 車 両 や 建 物 の 一 部 に 滑 落 崖 がかかっているなどの 状 況 も 確 認 された.また, 崩 壊 せずに 残 った 部 分 でも, 大 きな 亀 裂 が 発 生 しており, 河 川 側 に 向 かって 崩 壊 が 発 生 しそうになっている 状 況 が 確 認 された.4も 斜 面 崩 壊 とは 反 対 側 の 対 岸 に 位 置 する 箇 所 であり,3の 箇 所 と 同 様 の 崩 壊 が 発 生 していた.この 個 所 の 様 子 は 図 14に 示 している このように, 阿 蘇 大 橋 周 辺 では, 河 川 に 向 かって 多 くの 崩 壊 が 発 生 しており, 崩 壊 に 至 っていない 部 分 でも 不 安 定 化 している 箇 所 が 数 多 く 存 在 していることが 確 認 された.なお,これらの 崩 壊 箇 所 の 大 部 分 は, 盛 土 や 切 土 などの 人 工 的 なのり 面 ではなく, 地 山 部 であると 思 われる.
図 10 写 真 の 撮 影 対 象 箇 所 ( 図 11~14の 写 真 に 対 応 ) 図 11 撮 影 対 象 箇 所 1の 様 子 図 12 撮 影 対 象 箇 所 2の 様 子
図 13 撮 影 対 象 箇 所 3の 様 子 図 14 撮 影 対 象 箇 所 4の 様 子
ここで, 阿 蘇 大 橋 の 落 橋 が 発 生 した 時 刻 について 整 理 する. 既 に 多 くの 報 道 で 住 民 の 証 言 などが 紹 介 されており,それらから 考 えて 地 震 の 最 中,またはその 直 後 に 落 橋 したこと はほぼ 間 違 いない.ただし,ここでは, 工 学 的 な 観 点 から 落 橋 の 時 刻 を 推 定 できる 判 断 材 料 が 存 在 するため,そのデータを 示 す. 阿 蘇 大 橋 は, 黒 川 に 架 かっていた 橋 梁 であるが, 黒 川 は 阿 蘇 大 橋 の 下 流 で 白 川 に 合 流 する その 白 川 の 水 位 観 測 所 ( 立 野 観 測 所 )の 地 震 前 後 のデータが 図 14である. 図 15は, 水 位 観 測 所 と 阿 蘇 大 橋 の 位 置 関 係 を 示 したもので あり, 水 位 観 測 所 が 阿 蘇 大 橋 から 見 て 下 流 側 にあることがわかる. 河 川 水 位 は 4/16 の 午 前 1~2 時 の 間 に 急 激 に 低 下 している.この 原 因 は, 阿 蘇 大 橋 付 近 で 発 生 した 崩 壊 によって 天 然 ダムが 形 成 され, 河 川 が 堰 き 止 められたためと 考 えられる. 実 際 に, 阿 蘇 大 橋 があった 位 置 の 下 には, 調 査 実 施 時 点 でも 天 然 ダムの 形 跡 が 確 認 されている.そのため, 落 橋 は 地 震 の 最 中,またはその 直 後 と 考 えて 問 題 ない.なお, 水 位 低 下 の 後 に 急 激 な 水 位 の 上 昇 が 確 認 できるが,この 理 由 は 天 然 ダムの 許 容 量 を 超 えてオーバーフローし, 一 気 に 流 れ 下 っ たためと 思 われる. 単 位 :m 1:25( 本 震 ) 2:00 1:00 3:00 0:00 6:00 12:00 18:00 0:00 6:00 12:00 18:00 0:00 4/15 4/16 4/17 図 15 本 震 (4/16 1:25) 前 後 の 白 川 の 水 位 変 動 ( 立 野 観 測 所 ) 4 ) Google map に 加 筆 黒 川 白 川 図 16 立 野 観 測 所 と 阿 蘇 大 橋 の 位 置 関 係 (Google map に 加 筆 )
次 に, 阿 蘇 大 橋 近 辺 の 地 盤 の 動 きについて 整 理 する. 図 17は 国 土 地 理 院 が 作 成 した 試 料 であり,ALOS-2 に 搭 載 されている PALSAR-2 のデータから 作 成 した 地 盤 の 変 動 量 を 示 す 分 布 図 である.この 図 の 中 に, 阿 蘇 大 橋 の 位 置 を 加 筆 している.これより, 布 田 川 断 層 を 境 に 地 盤 が 逆 方 向 に 変 動 しており, 布 田 川 断 層 の 先 端 に 阿 蘇 大 橋 が 存 在 していたことが 理 解 できる.また, 図 18と 図 19に 示 すように, 阿 蘇 大 橋 に 近 い 河 陽 地 区 においても 断 層 変 位 が 地 表 面 に 現 れていることが 確 認 されている.この 断 層 位 置 は, 図 20の 黄 色 の 線 で 表 現 した 位 置 に 存 在 し, 阿 蘇 大 橋 とかなり 近 い 位 置 関 係 にある.ただし,この 断 層 は 図 16の 中 の 布 田 川 断 層 を 延 長 した 線 から 考 えて 少 しずれた 位 置 にある.そのため, 必 ずし も 断 言 できるわけではないが, 図 20の 断 層 の 周 辺 で 図 17と 同 じような 地 盤 変 動 の 傾 向 があったのではないかと 推 察 される.なお, 図 20には, 図 11と 図 12で 説 明 した 引 張 と 圧 縮 の 箇 所 も 示 している. 断 層 の 線 の 延 長 線 を 考 えた 場 合, 圧 縮 の 箇 所 付 近 になるが, 断 層 付 近 で 地 盤 が 逆 方 向 に 動 いたとすれば,せん 断 によってこの 部 分 が 局 所 的 に 圧 縮 を 受 けたことと 整 合 する. 阿 蘇 大 橋 図 17 国 土 地 理 院 資 料 5) に 加 筆
図 18 河 陽 黒 川 地 区 の 地 表 面 亀 裂 1) 図 19 地 表 面 に 現 れた 断 層 6) 断 層 引 張 圧 縮 図 20 断 層 の 位 置 (Google map 航 空 写 真 に 加 筆 )
ここまでに 整 理 した 情 報 に 基 づいて 阿 蘇 大 橋 の 落 橋 のメカニズムの 説 明 を 試 みる.まず, 斜 面 崩 壊 の 土 砂 が 堆 積 して 乗 載 荷 重 の 限 界 を 超 えたことが 考 えられるが,この 可 能 性 は 低 いと 思 われる. 図 10からわかるように, 阿 蘇 大 橋 は 土 砂 の 流 出 範 囲 の 中 心 からずれて 位 置 しており, 崩 壊 土 砂 の 大 部 分 はそのまま 白 川 に 流 れ 込 んでいる. 阿 蘇 大 橋 の 上 に 堆 積 し たとしても,それが 原 因 となって 落 橋 が 発 生 するほどの 大 きな 被 害 を 発 生 させるとは 考 え にくい. 次 に, 地 震 動 によって 阿 蘇 大 橋 自 体 が 大 きな 被 害 を 受 けて 落 橋 したことが 考 えら れる. 本 調 査 で 確 認 した 限 りでは, 周 辺 の 他 の 橋 梁 でも 大 きな 被 害 が 発 生 しているものの, 落 橋 にまで 至 っている 橋 梁 は 阿 蘇 大 橋 だけであり,そのことを 考 えると, 地 震 動 による 直 接 的 な 落 橋 も 可 能 性 が 低 い. 最 後 に, 橋 台 を 支 える 地 盤 の 変 状 に 伴 って 落 橋 が 発 生 したと いうことが 考 えられるが, 現 段 階 の 分 析 ではこの 可 能 性 が 高 い. 先 述 のように, 落 橋 は 地 震 に 伴 って 発 生 し, 阿 蘇 大 橋 の 近 辺 では 断 層 の 運 動 も 影 響 して, 地 盤 が 複 雑 な 動 きをして いる.このために, 白 川 の 両 岸 の 崖 部 で 多 くの 崩 壊 が 発 生 しており, 阿 蘇 大 橋 の 橋 台 付 近 の 崖 部 が 崩 壊 した 可 能 性 は 大 いにある. 図 21は, 阿 蘇 大 橋 が 存 在 した 位 置 の 右 岸 の 様 子 であり, 黄 色 の 点 線 が 阿 蘇 大 橋 のあった 位 置 を 示 している. 図 7の 説 明 で 記 載 したように, 橋 脚 が 残 っているが, 最 も 右 岸 側 のものと 思 われ, 残 りの 2 本 の 橋 脚 とトラス 部 を 支 える 橋 台 については 存 在 しない.つまり,まずこの 部 分 で 崩 壊 が 発 生 し, 橋 台 や 橋 脚 が 落 下, それによって 阿 蘇 大 橋 の 落 橋 が 発 生 したのではないかと 考 えられる. 地 震 動 により 直 接 的 に 崩 壊 が 生 じたのか, 上 部 から 流 動 してきた 崩 壊 土 砂 が 橋 脚 や 橋 台 に 衝 突 して 崩 壊 を 誘 発 したのかは,どちらもその 可 能 性 が 残 るが,このように 足 下 からすくわれて 落 橋 に 至 った のではないかと 考 えられる. 図 21 阿 蘇 大 橋 ( 右 岸 )の 様 子 ( 国 土 地 理 院 の UAV 動 画 1) のキャプチャー 画 像 に 加 筆 )
4. 南 阿 蘇 村 河 陽 地 区 ( 道 路 橋 梁, 土 砂 災 害 ) まず, 先 述 の 阿 蘇 大 橋 から 少 し 離 れた 位 置 に 存 在 する 南 阿 蘇 橋 とその 周 辺 の 被 害 につい て 報 告 する. 南 阿 蘇 橋 の 位 置 は 図 22に 示 すとおりであり, 阿 蘇 山 の 方 向 から 白 川 に 流 れ 込 む 河 川 に 架 かる 橋 梁 である. 図 25に 示 すように, 道 路 と 橋 梁 のジョイント 部 で 何 かし らの 変 状 があったようであるが, 調 査 を 実 施 した 時 点 で 既 に 応 急 対 策 が 施 されていた. 図 23からわかるように, 先 述 の 阿 蘇 大 橋 とは 異 なり, 落 橋 にまでは 至 っていない.ただし, 左 岸 側 で 免 振 ダンパーが 破 壊 される 被 害 が 発 生 していた. 図 24に 免 振 ダンパーの 被 害 の 様 子 を 示 す.また, 図 25は, 左 岸 下 流 川 の 緩 衝 装 置 付 近 の 様 子 である. 緩 衝 装 置 はゴム 製 であり,そのゴムが 橋 台 に 接 触 した 後 が 確 認 された. 地 震 の 最 中 に 緩 衝 装 置 が 機 能 した と 考 えられ, 接 触 の 痕 跡 から, 左 岸 側 では 下 流 側 へ 移 動 するような 動 きがあったことがわ かる. 図 26は 南 阿 蘇 橋 周 辺 の 航 空 写 真 である. 阿 蘇 大 橋 周 辺 と 同 じく, 南 阿 蘇 橋 周 辺 でも 多 くの 崩 壊 が 発 生 していることがわかる. 図 26 中 に 示 した1の 箇 所 ( 上 流 側 )の 様 子 は 図 27に 示 しており,この 写 真 から, 特 に 上 流 側 では 多 くの 崩 壊 が 発 生 していることが 確 認 できる.また,2の 箇 所 は 南 阿 蘇 橋 の 下 方 の 白 川 沿 いに 位 置 するキャンプ 場 ( 村 営 碧 流 キ ャンプ 場 )の 様 子 であり,その 様 子 は 図 28に 示 している. 崩 壊 した 土 砂 が 建 物 やキャン プ 場 の 敷 地 内 に 流 れ 込 んで 大 きな 被 害 が 発 生 していることが 確 認 できる.3の 箇 所 は 南 阿 蘇 橋 の 左 岸 側 の 崖 部 であり, 図 26からも 判 別 できるように, 大 きなクラックが 発 生 して いる.この 箇 所 に 近 づいてみると, 図 29に 示 すような 状 況 であり,クラックの 幅 は 50cm 以 上 ある 部 分 もあった.この 個 所 は 非 常 に 危 険 な 状 態 と 考 えられ, 今 後, 不 安 定 化 がさら に 進 む 可 能 性 も 大 いにあると 考 えられる. 図 22 南 阿 蘇 橋 の 位 置 図 23 南 阿 蘇 橋 の 写 真 ( 国 土 地 理 院 の 公 開 資 料 1) のキャプチャー 画 像 ) ( 右 岸 から 撮 影 )
図 24 免 振 ダンパーの 様 子 図 25 左 岸 下 流 側 の 緩 衝 材 が 橋 台 に 衝 突 跡 図 26 写 真 の 撮 影 対 象 箇 所 ( 図 27~29の 写 真 に 対 応, 国 際 航 業 資 料 に 加 筆 )
図 27 写 真 対 象 箇 所 1の 様 子 図 28 写 真 対 象 箇 所 2の 様 子 図 29 写 真 対 象 箇 所 3の 様 子 次 に, 南 阿 蘇 橋 から 少 し 離 れたところに 位 置 する 宅 地 の 被 害 について 説 明 する. 調 査 対 象 とした 宅 地 の 位 置 を 図 30に 示 す.この 宅 地 には 亀 裂 幅 が 大 きく, 亀 裂 長 さの 長 い 地 表 面 亀 裂 が 多 く 発 生 しており, 図 31に 示 したように, 航 空 写 真 からこれらの 発 生 状 況 が 判 読 可 能 であった.この 亀 裂 発 生 の 理 由 を 調 べることも 含 めて,この 箇 所 を 調 査 対 象 として 選 定 した. 図 32は, 年 代 の 異 なる 航 空 写 真 でこの 地 域 の 変 化 を 示 したものである.1970 年 代 には 宅 地 として 造 成 されていないが,2004 年 には 概 ね 今 回 の 地 震 前 の 状 態 になってい る. 住 民 の 証 言 によれば, 造 成 地 として 建 設 が 終 了 したのが 20 年 程 度 前 とのことであり, 1980~1990 年 代 に 造 成 されたものと 推 察 される. 図 33は,この 地 域 周 辺 の3D モデルの キャプキャー 画 像 に 加 筆 したものである. 図 33からわかるように, 宅 地 造 成 地 に 隣 接 し て 河 川 があることがわかる.この 河 川 の 下 流 に 先 述 の 南 阿 蘇 橋 が 存 在 し, 河 川 の 両 岸 が 図 27に 示 したような 崖 になっている.つまり, 調 査 対 象 である 宅 地 造 成 地 は 河 川 沿 いの 崖 に 隣 接 するように 位 置 している.このために, 図 34に 示 すように, 崖 部 付 近 で 河 川 側 に 向 かって 崩 壊 や 地 盤 変 状 が 多 数 発 生 しており, 家 屋 被 害 が 生 じていた.
阿 蘇 市 阿 蘇 大 橋 調 査 対 象 箇 所 Google map に 加 筆 図 30 調 査 対 象 の 宅 地 造 成 地 の 位 置 Google map に 加 筆 149 号 線 南 阿 蘇 橋 Google map 航 空 写 真 上 で 地 表 面 亀 裂 を 判 読 ( 黄 線 が 地 表 面 亀 裂 ) 図 31 宅 地 造 成 地 およびその 周 辺 の 地 表 面 亀 裂 (Google map に 加 筆 )
1974-1978 年 2004 年 図 32 宅 地 およびその 周 辺 航 空 写 真 ( 地 理 院 地 図 航 空 写 真 1974-1978 年,2004 年 ) 8) 南 阿 蘇 橋 河 川 149 号 線 地 理 院 地 図 3Dモデルに 加 筆 村 営 碧 流 キャンプ 場 図 33 宅 地 およびその 周 辺 の 様 子 ( 地 理 院 地 図 3D モデルのキャプキャー 画 像 8) に 加 筆 ) 河 川 側 国 際 航 業 HP(http://www.kkc.co.jp/service/bousai/csr/disaster/201604_kumamoto/) 図 34 宅 地 造 成 地 およびその 周 辺 の 航 空 写 真 7)
宅 地 造 成 地 の 内 部 では, 地 盤 変 状 に 伴 う 多 くの 家 屋 被 害 が 発 生 していた.その 様 子 を 図 35~38に 示 す.これらの 図 には, 震 災 前 の 様 子 と 撮 影 箇 所 の 地 図 上 での 位 置 を 示 して いる. 図 35~37は 河 川 沿 いの 崖 部 に 隣 接 する 家 屋 であり, 大 きな 地 盤 変 状 に 伴 い, 家 屋 が 傾 いたり, 変 形 したりしている. 図 36に 示 した 家 屋 では,1 階 部 分 が 押 しつぶされて おり, 家 屋 自 体 が 大 きな 被 害 を 受 けているが,この 宅 地 造 成 地 全 体 でこのような 被 害 形 態 は 多 くはなく, 地 盤 変 状 に 伴 う 家 屋 の 傾 きや 一 部 損 壊 が 多 く 見 られた. 図 37に 示 した 被 害 が 特 に 特 徴 的 であり, 家 屋 は 大 きく 傾 いているが, 家 屋 そのものには 大 きな 亀 裂 や 変 形 が 見 られなかった. 大 部 分 がコンクリート 製 であり, 地 震 動 に 対 しては 十 分 な 強 度 を 有 し ていたと 考 えられるが, 地 盤 の 変 状 に 伴 って 大 きく 傾 きが 生 じたものと 推 察 される. 図 3 7の 家 屋 の 所 有 者 によれば,4/16 の 本 震 の 前 まではほとんど 被 害 がなく,この 宅 地 造 成 地 の 被 害 の 大 部 分 は 本 震 で 発 生 したものとのことであった. 図 38は, 河 川 から 離 れた 位 置 に 存 在 する 家 屋 であるが, 図 中 に 示 すような 大 きな 段 差 を 伴 う 亀 裂 が 発 生 していた.この 亀 裂 は 家 屋 の 一 部 を 通 るように 発 生 しており, 河 川 側 とは 反 対 側 に 傾 きが 生 じていた. 家 屋 の 所 有 者 によれば,4/16 の 本 震 直 後 には 本 調 査 時 よりも 大 きな 亀 裂 の 段 差 が 発 生 してい たとのことで,その 段 差 が 徐 々に 解 消 されるように 地 面 が 動 いているように 感 じられると のことであった.なお,この 家 屋 の 周 辺 には, 図 中 に 示 した 亀 裂 の 他 に, 家 屋 を 挟 んでこ の 亀 裂 に 並 行 するようにもう 1 本 の 亀 裂 が 発 生 しており,その 2 本 の 亀 裂 に 沿 ってその 相 田 の 家 屋 の 部 分 が 落 ち 込 むような 地 盤 変 状 が 発 生 していた. この 宅 地 全 体 を 踏 査 した 結 果, 河 川 側 とその 反 対 側 で 大 きな 地 盤 変 状 が 発 生 しているが, その 間 の 一 部 の 範 囲 では 大 きな 地 盤 変 状 が 発 生 しておらず, 家 屋 被 害 も 小 さい 範 囲 がある ことがわかった.この 理 由 は 次 のように 考 えられる. 図 39は 宅 地 造 成 地 の 等 高 線 図 であ るが, 崖 部 の 手 前 の 宅 地 部 分 が 最 も 高 くなっていることがわかる.このため, 図 40と 図 41に 示 すように, 高 くなっている 部 分 を 境 にして, 河 川 側 とその 反 対 側 へ 地 盤 の 変 状 が 発 生 しているのではないかと 推 察 される.このため,その 中 間 に 位 置 する 部 分 では, 大 き な 変 位 が 発 生 せず, 被 害 が 小 さくなったものと 思 われる.これを 裏 付 けるものとして, 図 42を 示 した. 図 42は,この 宅 地 の 本 震 前 後 の 航 空 写 真 を 重 ねたものであり, 中 央 には 道 路 のズレが 確 認 できるが,この 結 果 からも 宅 地 の 河 川 側 とその 反 対 側 で 異 なる 動 きをし ていることが 確 認 できる. ここまでに 説 明 した 状 況 から 考 えて,この 宅 地 ( 特 に 河 川 側 )では 地 盤 が 非 常 に 不 安 定 な 状 態 にあると 推 察 される. 今 後 の 梅 雨 や 台 風 時 期 には, 不 安 定 化 がさらに 進 む 可 能 性 が あり, 対 策 が 望 まれる.ただし, 図 41に 示 したように, 不 安 定 化 している 領 域 がかなり 広 範 囲 に 及 んでいると 考 えられ, 抜 本 的 な 対 策 は 非 常 に 難 しいのも 事 実 である. 詳 細 な 調 査 を 実 施 した 上 で, 時 間 をかけてでも 適 切 な 対 策 を 講 じる 必 要 がある.
図 35 地 盤 変 状 と 家 屋 被 害 (その1)(Google map に 加 筆 ) 図 36 地 盤 変 状 と 家 屋 被 害 (その2)(Google map に 加 筆 )
Google ストリートビュー (2003 年 11 月 ) 住 民 の 許 可 を 得 て 撮 影 Google map に 加 筆 図 37 地 盤 変 状 と 家 屋 被 害 (その3)(Google map に 加 筆 ) Google map に 加 筆 図 38 地 盤 変 状 と 家 屋 被 害 (その4)(Google map に 加 筆 )
地 理 院 地 図 ( 航 空 写 真 (2004 年 以 降 ) と 等 高 線 の 重 ね 合 わせ) Google map 航 空 写 真 に 加 筆 ( 黄 線 は 地 表 面 亀 裂 ) このあたりが 周 辺 に 比 べてやや 高 い 図 39 等 高 線 図 ( 国 土 地 理 院 資 料 1) に 加 筆 ) 図 40 地 盤 の 動 き(Googlemap に 加 筆 ) 図 41 地 盤 の 動 き( 地 理 院 地 図 3D モデルのキャプキャー 画 像 8) に 加 筆 ) 河 川 側 空 中 写 真 での 被 災 前 後 の 比 較 国 土 地 理 院 作 成 http://www.gsi.go.jp/bousai/h27- kumamoto-earthquake-index.html 地 震 後 地 震 前 道 路 のセンターラインのズレ 図 42 地 震 前 後 の 道 路 のズレ( 国 土 地 理 院 資 料 1) に 加 筆 )
次 に, 阿 蘇 大 橋 の 東 側 に 位 置 する 京 都 大 学 火 山 研 究 所 周 辺 ( 高 野 台 地 区 )の 大 規 模 斜 面 崩 壊 について 報 告 する. 図 43は 崩 壊 箇 所 の 位 置 を 示 しており, 図 44はその 周 辺 の 航 空 写 真 を 示 したものである. 図 45は 地 震 前 後 を 比 較 したものであり, 黄 色 の 線 は 崩 壊 土 砂 の 流 出 範 囲 を 示 している. 図 45に 示 したように, 最 も 大 きな 崩 壊 は 火 山 研 究 所 から 見 て 南 西 の 方 向 で 発 生 しており,3 方 向 に 土 砂 が 流 出 していることが 確 認 できる. 非 常 に 緩 勾 配 な 斜 面 でありながら, 流 出 距 離 は 非 常 に 長 いのが 特 的 であり,3 方 向 に 流 出 したうちの 1 方 向 で 家 屋 が 土 砂 に 巻 き 込 まれる 被 害 が 発 生 している. 図 46~49は, 崩 壊 箇 所 内 部 の 様 子 と 家 屋 被 害 の 写 真 である. 基 盤 となる 岩 盤 層 が 崩 壊 したのではなく, 火 山 灰 土 と 黒 ぼく で 構 成 される 表 層 が 動 いたものであり, 崩 壊 形 態 は 表 層 崩 壊 に 部 類 されるが, 規 模 が 大 き いため, 内 部 では 非 常 に 大 きな 変 状 が 発 生 している. 火 山 研 究 所 を 頂 上 として, 小 高 い 丘 になっており, 溶 岩 ドームの 表 面 に 火 山 灰 土 が 堆 積 して 形 成 されたものと 推 察 される. 図 50は, 南 阿 蘇 村 河 陽 の 土 砂 災 害 と 地 盤 変 状 の 発 生 個 所 を 示 している. 既 に, 国 土 地 1) 理 院 や 地 盤 工 学 会 9) からも 報 告 されているが,この 地 域 では 非 常 に 多 くの 土 砂 災 害 や 地 盤 変 状 が 発 生 している. 今 後 の 梅 雨 や 台 風 の 時 期 には, 降 雨 による 地 下 水 の 上 昇 に 伴 う 地 盤 の 更 なる 不 安 定 化 や 土 砂 災 害 の 発 生 のリスクが 高 まると 思 われるが, 全 ての 箇 所 に 対 す る 対 策 にはかなりの 時 間 を 要 すると 思 われる. 今 後 の 被 害 を 最 小 限 にとどめるためには, 行 政 の 努 力 だけでなく, 降 雨 時 の 早 期 避 難 などの 住 民 レベルの 対 応 が 極 めて 重 要 になると 考 えられる. 阿 蘇 大 橋 崩 壊 箇 所 図 43 崩 壊 箇 所 の 位 置 (Google map に 加 筆 )
図 44 崩 壊 箇 所 およびその 周 辺 の 航 空 写 真 7) 地 震 後 地 震 前 200m 200m 火 山 研 究 所 200m 150m 300m 図 45 地 震 前 後 の 比 較 ( 国 土 地 理 院 資 料 1) に 加 筆 )
図 46 崩 壊 箇 所 内 部 の 様 子 図 47 崩 壊 箇 所 内 部 の 土 図 48 崩 壊 箇 所 内 部 の 道 路 の 段 差 図 49 崩 壊 土 砂 による 家 屋 被 害 阿 蘇 大 橋 図 50 南 阿 蘇 村 の 土 砂 災 害 と 地 盤 変 状 の 発 生 個 所 (Google map 衛 星 写 真 から 判 読 )
5. 益 城 町 ( 道 路 橋 梁, 地 盤 変 状 ) 今 回 の 地 震 で 甚 大 な 被 害 が 発 生 した 益 城 町 についても, 橋 梁 の 被 害 を 中 心 に 調 査 を 行 っ た. 特 に 布 田 川 断 層 に 近 い 被 害 の 大 きかった 地 域 について 調 査 を 行 っており, 主 な 調 査 対 象 箇 所 は 図 51に 示 すとおりである. 調 査 では, 図 51に 示 す 範 囲 以 外 も 確 認 しているが, 被 害 は 断 層 沿 いに 集 中 しており, 断 層 からの 距 離 と 被 害 の 大 きさに 強 い 関 係 があることが 伺 えた. 図 52と 図 53に 示 した 木 山 橋 と 畑 中 橋 では, 一 部 損 傷 が 確 認 されたものの, 大 きな 被 害 には 至 っておらず, 調 査 時 点 で 通 行 止 めなどにはなっていなかった. 図 54と 図 55に 示 した 新 木 山 橋 と 第 一 畑 中 橋 は, 隣 接 して 存 在 するが, 被 害 の 程 度 に 大 きな 差 が 確 認 され た.どちらの 橋 梁 も, 堤 防 の 変 状 により, 堤 防 と 橋 梁 の 接 続 部 で 大 きな 段 差 が 生 じている. 新 木 山 橋 については,アスファルトのオーバーレイによる 応 急 対 策 が 施 され, 調 査 時 点 で 通 行 が 可 能 となっていた.これに 対 して, 第 一 畑 中 橋 は, 特 に 応 急 対 策 は 施 されずに 通 行 止 めになっていた. 第 一 畑 中 橋 は 図 55に 示 すように, 橋 脚 が 損 傷 しており, 非 常 に 危 険 な 状 態 であり, 簡 易 的 な 応 急 対 策 による 復 旧 は 難 しいためにこのような 措 置 がとられてい るものと 推 察 される. 図 56の 第 二 畑 中 橋 でも 堤 防 と 橋 梁 の 接 続 部 で 段 差 が 発 生 したと 思 われるが, 砂 を 敷 くことによって 応 急 的 な 手 当 てがされており, 走 行 可 能 な 状 態 であった. 図 57に 示 したのは 第 一 畑 中 橋 と 第 二 畑 中 橋 の 間 の 堤 防 の 様 子 を 撮 影 したものであり, トラックの 割 合 が 多 く, 渋 滞 が 発 生 していた.これは, 図 58に 示 した 震 災 ゴミ 集 積 場 へ と 続 いた 渋 滞 である.この 近 辺 にある 益 城 町 総 合 体 育 館 は 避 難 所 になっており, 震 災 ゴミ 集 積 場 も 近 くにあることから, 多 くの 人 が 集 中 してアクセスする 状 態 になっていた.その 意 味 で 周 辺 の 橋 梁 は 重 要 なアクセス 網 の 一 部 になっている.これらの 橋 梁 は 第 一 畑 中 橋 を 除 いて 調 査 時 点 で 既 に 応 急 対 策 が 施 されていたものの, 地 震 直 後 には 通 行 が 困 難 であった と 推 察 される. 震 災 後 の 早 期 復 旧 を 考 える 上 で, 重 要 拠 点 の 周 辺 の 橋 梁 の 耐 震 化 は 重 要 な 課 題 である.ただし, 今 回 の 被 害 形 態 を 考 えると, 橋 梁 自 体 の 被 害 よりも, 堤 防 の 変 状 に 伴 って 発 生 した 被 害 が 特 徴 的 であり,そのような 被 害 形 態 に 対 する 事 前 の 対 策 についても 考 えることが 課 題 として 挙 げられる. 最 後 に, 橋 梁 に 関 するものではないが, 家 屋 被 害 が 特 に 甚 大 であった 範 囲 についても 報 告 しておく. 図 51に 示 した 範 囲 では,いたるところで 家 屋 被 害 が 発 生 していたが,その 中 でも 特 に 被 害 が 大 きかった 範 囲 があった. 図 51の 調 査 対 象 箇 所 8の 範 囲 であり,その 様 子 は 図 59に 示 している.この 範 囲 では, 地 震 動 による 直 接 的 な 家 屋 被 害 と, 地 盤 変 状 による 家 屋 被 害 が 重 なって 被 害 が 甚 大 なっていると 推 察 される. 大 きな 地 盤 変 状 が 発 生 し た 理 由 について 調 べるために, 図 60に 示 すように 土 地 利 用 の 変 遷 をたどってみたが, 現 状 の 分 析 では,その 理 由 について 明 確 な 説 明 ができるまでには 至 っていない. 今 後,より 詳 細 な 調 査 が 必 要 である.
益 城 町 役 場 8 7 震 災 ゴミ 集 積 場 1 木 山 橋 2 畑 中 橋 6 5 第 二 畑 中 橋 3 新 木 山 橋 4 第 一 畑 中 橋 図 51 益 城 町 の 調 査 対 象 箇 所 (Google map に 加 筆 ) 図 52 木 山 橋 ( 撮 影 対 象 箇 所 1) 図 53 畑 中 橋 ( 撮 影 対 象 箇 所 2)
図 54 新 木 山 橋 ( 撮 影 対 象 箇 所 3) 図 55 第 一 畑 中 橋 ( 撮 影 対 象 箇 所 4) 図 56 第 二 畑 中 橋 ( 撮 影 対 象 箇 所 5)
図 57 堤 防 沿 いの 道 路 ( 撮 影 対 象 箇 所 6) 図 58 震 災 ゴミ 集 積 場 ( 撮 影 対 象 箇 所 7) 図 59 特 に 建 物 被 害 が 甚 大 な 範 囲 の 様 子 ( 撮 影 対 象 箇 所 8)
2007 年 ~ 1974 年 ~1978 年 1956 年 図 60 航 空 写 真 による 土 地 利 用 形 態 の 変 遷 の 確 認 10) < 参 考 文 献 > 1) 平 成 28 年 熊 本 地 震 に 関 する 情 報, 国 土 交 通 省 国 土 地 理 院, http://www.gsi.go.jp/bousai/h27-kumamoto-earthquake-index.html 2) 平 成 28 年 熊 本 地 震 災 害 状 況 (2016 年 4 月 ),アジア 航 測 株 式 会 社, http://www.ajiko.co.jp/article/detail/id56edf7ezh/ 3) 熊 本 県 下 における 近 代 橋 梁 の 発 展 史 に 関 する 研 究, 戸 塚 誠 司, 熊 本 大 学,1999. 4) 河 川 の 防 災 情 報, 国 土 交 通 省, http://www.river.go.jp/kawabou/ipsuiikobetu.do?obsrvid=2282500400026&gamenid =01-1003&stgGrpKind=survOnly&fldCtlParty=no&fvrt=yes&timeType=10 5) 平 成 28 年 (2016 年 ) 熊 本 地 震 に 伴 う 断 層 近 傍 の 地 殻 変 動, 国 土 地 理 院, http://www.gsi.go.jp/common/000140142.png 6) 熊 本 地 震 による 地 表 地 震 断 層 調 査, 遠 田 晋 次 岡 田 真 介 石 村 大 輔, 平 成 28 年 (2016 年 ) 熊 本 地 震 に 関 する 調 査 報 告 会 ( 第 4 階 ), http://irides.tohoku.ac.jp/event/2016kumamotoeq.html 7) 速 報 平 成 28 年 (2016 年 ) 熊 本 地 震 2016 年 4 月, 国 際 航 業, http://www.kkc.co.jp/service/bousai/csr/disaster/201604_kumamoto/ 8) 地 理 院 地 図, 国 土 地 理 院,http://cyberjapandata.gsi.go.jp/3d/browse.html 9) 熊 本 地 震 調 査 結 果 報 告, 地 盤 工 学 会, https://www.jiban.or.jp/index.php?option=com_content&view=article&id=1845:2016-4-14-kumamotojishin-top&catid=52:2008-09-15-02-30-46&itemid=29 10) 国 土 地 理 院 地 図 航 空 写 真 閲 覧 サービス,http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do#1