京 都 産 業 学 研 究 第 11 号 < 寄 稿 > 京 野 菜 文 化 に 学 ぶ 京 都 市 東 部 農 業 振 興 センター 所 長 高 橋 武 博 九 条 ねぎと 弘 法 さん 京 都 の 冬 の 鍋 に 欠 かせない 野 菜 と 言 えば 九 条 ネギ 霜 に 当 たって 柔 らかくなった 葱 をかつおと 昆 布 だしの 醤 油 味 でネギ 鍋 にしていただけば 肉 や 魚 は 不 要 食 通 にはたまらない 冬 の 味 覚 である この 九 条 ネギは 浪 速 ( 大 阪 ) 由 来 の 原 種 が 平 安 遷 都 の 少 し 前 に 伏 見 の 稲 荷 に 献 上 され その 周 辺 で 定 着 したといわれている 京 都 にはほんの 一 昔 前 まで 毎 月 21 日 の 弘 法 さんの 日 だけは 葱 を 食 べないという 風 習 があった 昔 弘 法 大 使 が 大 蛇 に 襲 われた 時 ネギ 畑 に 身 を 隠 して 難 を 逃 れたという 言 い 伝 えから ねぎに 感 謝 したのだ 植 物 であるネギに 対 しても 人 間 と 同 じように 感 謝 の 対 象 とする 京 の 町 衆 の 気 持 ちが 表 れている 京 野 菜 と 農 家 古 くから 栽 培 されてきた 京 の 伝 統 野 菜 と 呼 ばれるいわゆる 京 野 菜 は 平 安 遷 都 以 降 献 上 品 として 全 国 各 地 から 持 ち 込 まれた 野 菜 も 多 く 都 の 周 辺 で 栽 培 されるようになり 京 都 の 気 候 風 土 にあわせて 様 々な 変 異 を 遂 げながら 衰 退 や 発 展 を 重 ねていったものである 現 在 41 種 類 の 野 菜 が 京 の 伝 統 野 菜 として 指 定 されており 中 には 九 条 ねぎやみずな すぐき 賀 茂 ナス 等 のように 今 でも 活 発 に 生 産 され 農 家 の 経 営 を 支 えているものもあれば 桃 山 大 根 やうぐいす 菜 等 のようにかろうじて 種 子 保 存 だけしているもの また 絶 滅 したものもある これらの 京 野 菜 の 伝 統 を 背 景 に 現 在 でも 京 都 府 全 体 の 野 菜 生 産 量 の 約 40% 余 りを 京 都 市 域 の 農 家 が 生 産 している また 不 思 議 なことに 京 都 市 内 に おける 野 菜 生 産 は 農 業 振 興 地 域 として 位 置 づけられた 周 辺 地 域 ではなく 131
京 野 菜 文 化 に 学 ぶ 都 市 化 の 進 んだ 市 街 化 区 域 での 生 産 が 約 8 割 を 占 め 後 継 者 も 多 い 京 都 府 域 全 体 を 眺 めても 野 菜 作 は 京 都 市 に 隣 接 する 人 口 が 多 い 都 市 化 の 進 んだ 地 域 での 生 産 が 大 半 を 占 めており 府 北 部 方 面 の 農 山 村 部 では 野 菜 生 産 は 究 めて 少 ないのが 現 状 である また 京 都 市 の 農 業 の 特 徴 のひとつとして 環 境 調 節 型 の 施 設 園 芸 が 極 め て 少 ないことが 挙 げられる 一 部 でトマト きうりの 温 室 が 少 しあるくらい で 今 でもほとんどが 季 節 に 合 わせて 生 産 する 露 地 栽 培 が 中 心 である 農 業 技 術 が 発 達 して いつでもどこでも 色 々な 野 菜 が 生 産 できるようになったに もかかわらず 京 都 の 農 家 はその 道 を 選 択 しなかったのである この 傾 向 は 日 本 の 都 市 農 業 全 般 に 言 えることではあるが 京 都 は 特 にその 傾 向 が 強 い では 何 故 京 都 の 野 菜 生 産 農 家 は 収 益 性 の 高 い 施 設 園 芸 を 選 択 せず 露 地 栽 培 に 拘 り 続 けるのだろうか また 農 業 施 策 も 手 厚 く 良 好 な 生 産 環 境 も 安 定 的 に 確 保 しやすい 農 業 振 興 地 域 ではなく 都 市 部 の 市 街 化 区 域 での 生 産 が 圧 倒 的 多 数 なのだろうか 京 野 菜 文 化 京 都 盆 地 は 夏 は 極 めて 蒸 し 暑 く 冬 は 京 の 底 冷 え といわれるくらい 冷 たく 寒 い 居 心 地 の 悪 い 夏 と 厳 しい 冬 を 耐 えるからこそ 京 都 人 には 北 山 の 雪 解 け 水 と 共 に 運 ばれてくる 暖 かな 春 は 有 難 く 秋 の 三 山 の 紅 葉 は 格 別 に 美 しく 感 じる この 感 覚 こそが 頼 山 陽 をして 山 紫 水 明 の 名 言 を 発 せしめ た 源 である 私 は 京 都 の 原 点 はここにあると 考 えている 京 野 菜 農 家 は 古 くから 土 地 土 地 の 土 壌 条 件 や 微 気 象 まで 察 知 して そ の 土 地 の 気 候 風 土 にあわせて 栽 培 するということに 一 番 気 を 遣 ってきたし 京 都 にはそのことを 理 解 し 同 じように 季 節 を 大 切 に 想 う 町 の 暮 らしが 根 付 いていた 採 れた 野 菜 は 大 八 車 というリヤカーに 乗 せて 農 家 の 女 性 が 街 に 歩 いて 売 り 歩 く 振 り 売 り という 農 家 直 送 便 が 毎 日 各 家 庭 に 季 節 の 野 菜 を 届 けていた 各 家 庭 では もうなすびの 時 期 かあ 夏 どすなあ とか 寒 いけどおネギがおいしおすなあ とか 農 家 の 大 八 車 に 乗 っている 野 菜 で 季 節 を 実 感 する 日 常 があったのである 消 費 者 も 夏 にネギやほうれんそうを 欲 しがらない 冬 になすびやスイカを 欲 しがらないのである 消 費 者 と 日 常 の 交 流 があった 農 家 は 客 は 旬 を 待 っ 132
京 都 産 業 学 研 究 第 11 号 てくれることを 知 っていた スイカを 食 べたいと 思 えば 夏 まで 我 慢 して 食 べ たい 想 いをつのらせて やっと 食 べられた 旬 のスイカのおいしさを 農 家 も 消 費 者 も 実 感 としてわかっていた 京 都 には 旬 を 待 つ 暮 らしが 定 着 していたの である 京 都 の 伝 統 的 な 料 理 店 でも 農 家 から 直 接 野 菜 をもって 来 てもらうという ところが 多 い 京 料 理 で 最 も 大 切 に 考 えられているのも 旬 即 ち 季 節 感 である 夏 にみず 菜 を 売 りに 行 っても 料 理 店 はあまり 喜 ばないのである 旬 を 届 けるのに 最 も 効 率 的 で 都 合 のよい 農 業 の 形 が 消 費 者 に 隣 接 して 季 節 に 合 わせた 露 地 栽 培 をすることだったのである 今 でも 大 八 車 こそ 軽 トラッ クに 変 わったけれども 特 に 北 区 左 京 区 山 科 区 や 右 京 区 の 一 部 等 の 農 家 は 振 り 売 りが 中 心 である 農 家 と 共 存 した 旬 や 季 節 感 を 大 事 に 思 う 昔 からの 京 都 人 の 暮 らしが 京 野 菜 の 栽 培 形 態 を 作 り 育 て 支 え 続 けてきたのであ ろう 加 えて 市 街 化 区 域 での 農 業 の 大 きなメリットがもうひとつある 確 かに 宅 地 開 発 等 の 都 市 圧 により 農 業 生 産 環 境 は 制 限 され 行 政 の 農 業 施 策 も 届 き にくい 市 街 化 区 域 内 農 業 ではあるが 逆 に 農 外 収 入 は 得 やすく 農 家 経 営 とし ては 安 定 するのである 実 際 に 京 都 市 の 都 市 農 家 の 多 くは 不 動 産 経 営 もあ わせて 行 っている 事 が 多 いし, 他 の 就 業 機 会 が 近 くにあり 半 農 半 XのXの 部 分 の 収 入 が 得 やすい 環 境 にあるということである 儲 けの 薄 い 農 業 の 収 益 を 他 の 部 門 でカバーしているのである このような 農 家 により 京 野 菜 の 伝 統 は 継 承 されてきた たとえ 農 外 収 入 に 支 えられた 農 家 経 営 であっても 農 家 は 自 分 が 消 費 者 に 京 の 旬 を 提 供 する 京 野 菜 農 家 であることに 強 い 誇 りを 感 じ 先 祖 から 受 け 継 いだ 農 業 を 必 死 に 守 り 続 けようとしてきたし また それを 肯 定 する 町 の 気 風 が 京 都 にはあっ た その 結 果 農 業 生 産 条 件 が 整 い 行 政 の 農 業 施 策 の 恩 恵 も 受 けやすい 周 辺 の 農 業 振 興 地 域 に 生 産 拠 点 を 移 す 事 もなく 安 定 兼 業 に 好 都 合 な 市 街 化 区 域 のメリットを 生 かし 伝 統 的 な 野 菜 作 を 街 中 で 継 続 し 続 けてきたのである 特 に 京 都 市 では 保 全 する 農 地 として 都 市 計 画 に 位 置 づけられた 市 街 化 区 域 内 農 地 ( 生 産 緑 地 )の 指 定 率 も 三 大 都 市 圏 の 中 でも 際 立 って 高 くなっており 133
京 野 菜 文 化 に 学 ぶ 文 化 都 市 京 都 の 街 づくりに 一 役 買 っている 時 代 の 流 れにあわせて 農 を 活 かす 話 は 変 わるが 最 近 我 が 国 ではTPP 交 渉 参 加 の 是 非 をめぐり 農 業 分 野 等 への 影 響 について 様 々な 議 論 がされている 世 界 的 なグローバル 経 済 の 中 で 非 常 にちっぽけで 非 効 率 な 日 本 の 農 業 など 生 き 延 びる 道 は 見 出 せるの であろうか 政 府 も 規 模 拡 大 や 六 次 産 業 化 所 得 補 償 等 様 々な 対 策 を 講 じ 始 めてはいるが 私 は 日 本 の 農 業 農 村 を 守 り 続 けるヒントは 経 済 中 心 社 会 の 象 徴 とも 言 うべき 大 都 市 の 中 にあっても 季 節 に 合 わせた 農 法 を 頑 なに 守 りながら 継 承 されてきた 京 野 菜 づくりにあると 感 じている ここで 国 の 礎 とも 言 える 大 切 な 農 耕 を 守 る 道 を 私 流 に 考 えてみたい まず 第 一 に 政 府 は 六 次 産 業 化 を 基 本 とする 農 家 の 兼 業 化 推 進 施 策 をもう 一 歩 進 めて 日 本 農 業 全 体 を 都 市 農 業 的 にとらえ 直 し 半 農 半 XのX 部 分 で 日 本 農 業 を 支 える 仕 組 みを 構 築 するのである 言 い 換 えれば 農 業 の 業 ではなく 農 に 重 点 を 置 いた 施 策 即 ち 産 業 としては 非 効 率 であっても 農 業 農 地 の 持 つ 多 面 的 機 能 をより 積 極 的 に 評 価 し 自 然 と 人 間 を 繋 ぐかけ 橋 として 農 を 大 切 に 想 い 真 に 豊 かな 国 づくりに 活 かしていく 社 会 を 二 次 産 業 や 三 次 産 業 が 参 加 して 創 り 上 げることである 例 えば まず 農 村 部 に 食 品 関 連 産 業 や 自 然 エネルギー 関 連 産 業 観 光 産 業 等 農 村 資 源 を 活 用 したい 企 業 を 誘 致 し 都 市 部 から 農 村 に 大 量 の 人 を 送 り 込 む そして 農 地 を 農 地 のまま 都 市 部 の 住 民 や 企 業 にも 開 放 し できる だけ 多 くの 住 民 が 農 に 参 加 できるようにして 逆 に 農 家 の 規 模 を 縮 小 し 農 家 を 増 やして 地 域 を 活 性 化 する また 誘 致 企 業 にも 従 業 員 の 食 糧 確 保 対 策 と して 農 に 取 組 んでもらう 企 業 が 従 業 員 に 安 心 で 豊 かな 食 を 保 障 するために 本 業 とは 別 に 自 らが 土 を 耕 し 農 に 参 加 する いわゆる 企 業 の 新 規 兼 業 農 家 化 推 進 策 である 一 方 都 市 部 においては 企 業 と 都 市 農 家 の 間 で 都 市 農 業 支 援 契 約 な るものを 締 結 し 生 産 物 を 買 取 ったり 市 民 農 園 等 で 従 業 員 の 福 利 厚 生 に 都 市 農 地 を 活 用 する その 企 業 には 当 該 農 地 を 守 ることを 条 件 に 例 えば 建 物 の 建 蔽 率 の 緩 和 を 行 い 自 社 敷 地 を 全 面 的 に 有 効 利 用 できるようにする 等 周 辺 に 農 地 があることを 企 業 側 のメリットにもしていく また 空 家 等 の 利 134
京 都 産 業 学 研 究 第 11 号 用 しなくなった 宅 地 等 を 新 たに 農 地 にした 場 合 固 定 資 産 税 を 減 免 する 等 の 措 置 により 街 中 に 日 本 の 食 文 化 を 支 える 農 の 空 間 を 創 造 する 事 も 都 会 で 人 が 豊 かに 暮 らせる 環 境 を 創 る 上 では 大 いに 貢 献 するであろう このような 対 策 で 都 市 と 農 が 混 在 して 互 いに 支 え 合 い それを 行 政 も 支 援 するような 体 制 が 整 えば 農 村 部 は 活 性 化 し 都 市 部 では 豊 かな 生 活 環 境 が 維 持 されるし 例 え 国 として TPP に 参 加 したとしても 京 都 の 町 衆 が 京 野 菜 づくりを 支 えてきたように 日 本 の 農 は 国 民 全 体 に 支 えられて 新 たな 命 を 吹 き 込 まれ より 存 在 感 を 増 して 生 き 残 るのではないだろうか 又 和 食 を 世 界 遺 産 に 登 録 しようとする 動 きもある 中 農 や 食 を 通 じて 環 境 にやさし い 季 節 に 順 応 して 暮 らす 本 来 の 日 本 人 の 感 性 を 呼 びさますようなまちづくり むらづくりを 意 識 して 進 めることが 非 常 に 重 要 である 京 野 菜 文 化 に 学 ぶ 結 びに もう 一 つ 京 野 菜 のお 話 をしよう 聖 護 院 大 根 という 蕪 のように 丸 い 大 きな 煮 炊 き 物 にする ととろけるように 柔 らかくおいしい 大 根 がある と ころがこの 丸 大 根 は 江 戸 時 代 に 黒 谷 の 金 戒 光 明 寺 に 奉 納 された 尾 張 の 長 大 根 が 起 源 と 言 われている 作 土 の 浅 い 聖 護 院 地 域 の 土 地 柄 で 長 大 根 を 栽 培 してい る 間 に 大 根 の 方 が 浅 い 作 土 にあわせて 球 形 に 変 化 してしまったという その 結 果 聖 護 院 大 根 という 高 級 な 京 野 菜 が 誕 生 したのだ あらゆる 生 命 は 途 方 もなく 長 い 時 間 の 経 過 の 中 で 世 代 を 重 ねて 自 然 界 の 環 境 に 適 合 するように 自 らを 変 化 させながらその 命 を 受 け 継 いできた それが 生 命 の 逞 しさなので ある 自 然 をコントロールして 何 の 苦 労 もせずにボタン 一 つで 何 でもできる 便 利 な 暮 らしの 中 では 人 間 は 進 化 できようはずはない この 辺 で 人 間 も 聖 護 院 大 根 を 見 習 って 多 少 の 不 便 は 受 け 入 れ 自 己 改 造 をして 逞 しさを 再 生 する 必 要 があるのではないだろうか 際 限 のない 人 間 の 欲 望 を 満 たそうとする 経 済 優 先 の 文 明 社 会 によって 急 速 に 地 球 は 人 間 が 住 めない 環 境 になりつつあるし 人 に 本 来 備 わった 能 力 は 135
京 野 菜 文 化 に 学 ぶ 退 化 し 人 間 は 逞 しく 生 きる 力 や 幸 せを 感 じる 能 力 すら 失 いかけている 記 紀 の 時 代 から 日 本 人 は 農 耕 によって 自 然 に 対 する 豊 かな 感 性 を 育 て 四 季 折 々の 気 候 の 変 化 を 敏 感 に 感 じ 取 りながら 自 然 に 寄 り 添 って 暮 らそうと する 国 民 性 を 培 ってきた このような 自 然 共 生 型 の 日 本 人 の 暮 らしの 感 性 こ そ 人 に 生 きる 力 を 蘇 らせ 人 間 の 生 存 できる 地 球 環 境 を 守 り 続 けるもので これからの 時 代 に 最 も 求 められる 成 熟 社 会 の 価 値 基 準 である 京 野 菜 づくりは この 大 切 な 日 本 人 の 感 性 を 大 事 に 大 事 に 守 り 続 けてきた 京 都 人 は 聖 護 院 大 根 のように 蒸 し 暑 い 夏 冷 たい 冬 を 受 け 入 れ 耐 えながら 五 感 を 研 ぎ 澄 ませて 様 々な 暮 らしの 知 恵 を 編 み 出 し 味 のある 暮 らしと 文 化 を 育 んできた この 受 容 と 粋 な 我 慢 が 生 みだす 文 化 力 が 内 外 から 年 間 観 光 客 5 千 万 人 を 集 める 京 都 力 となっているのである これからの 成 熟 社 会 においては 京 野 菜 づくりに 象 徴 されるような 農 の 感 性 に 学 び 腹 八 分 を 基 本 に 人 間 が 自 然 に 寄 り 添 いながら 逞 しく 感 性 豊 かに 暮 らせる 街 づくり 国 づくりを 目 指 すべきであると 私 は 考 えている 平 成 25 年 冬 136