平 成 20 年 9 月 6 日 ( 土 ) 15:00~16:20 富 山 県 民 会 館 302 号 室 第 1 回 2 限 目 明 治 前 期 の 日 本 海 交 易 における 菓 子 と 菓 子 原 材 料 講 師 富 山 短 期 大 学 食 物 栄 養 学 科 教 授 深 井 康 子 氏 1.はじめに 私 は 平 成 13 年 からお 菓 子 の 研 究 をしている 虎 屋 文 庫 の 和 菓 子 という 雑 誌 は 平 成 6 年 に 創 刊 され 現 在 15 号 まで 発 行 されている 日 本 初 の 菓 子 研 究 の 学 術 雑 誌 として 毎 年 さまざまな 特 集 を 組 み これからの 菓 子 文 化 をより 豊 かにしていく 大 変 貴 重 な 存 在 となっている また 菓 子 の 文 化 誌 の 著 者 である 元 奈 良 教 育 大 学 学 長 の 赤 井 達 郎 先 生 は 菓 子 はそれぞれの 時 代 の 文 化 の 産 物 で あるという 観 点 で 菓 子 を 考 えてお られる 先 生 のこの 著 書 は 私 の 菓 子 研 究 の 道 標 となっている 菓 子 は 食 生 活 の 中 ではあくまで 嗜 好 品 で 食 べなくても 困 らないものだが 嗜 好 品 で あるからこそ 生 活 に 潤 いを 与 えてくれるのであり 日 本 の 歴 史 や 文 化 伝 統 の 上 に 成 り 立 っているものであるといえる 今 回 は 商 品 流 通 の 一 つの 転 機 と 思 われる 明 治 前 期 に 視 点 を 置 いて 日 本 海 地 域 の 主 要 港 における 菓 子 と 菓 子 原 材 料 について 当 時 の 貴 重 な 史 料 をも とにお 話 したい 2. 明 治 前 期 の 日 本 経 済 と 食 文 化 明 治 10 年 代 に 初 めて 各 府 県 における 主 要 港 湾 の 移 出 入 状 態 が 全 国 にわたって 明 らかに なった 明 治 10 年 代 後 半 は 特 に 富 山 県 では 伏 木 港 における 米 の 移 出 入 が 際 立 っている が 敦 賀 港 その 他 で 汽 船 の 入 港 数 がかなり 多 くなっている 明 治 18 年 10 月 に 日 本 郵 船 会 1
社 が 設 立 され 明 治 19 年 から 日 本 海 航 路 がより 発 達 する そして 明 治 20 年 代 ~30 年 代 に なると 和 船 や 西 洋 型 帆 船 に 代 わって 汽 船 が 輸 送 機 関 として 重 要 な 位 置 を 占 める 鉄 道 が ほとんど 発 達 していなかった 当 時 にあっては 貨 物 の 主 要 部 分 が 海 上 輸 送 に 依 存 していた と 考 えられるので 明 治 前 期 は 日 本 海 の 交 易 を 考 える 上 で 特 に 商 品 流 通 においてはか なり 把 握 できる 時 期 だと 考 えられる では そのころの 食 文 化 はどのようなものであったか 明 治 初 期 ~ 中 期 は 西 洋 文 化 の 模 倣 時 代 といえる 特 徴 としては 1 肉 食 の 奨 励 で 牛 肉 食 が 発 展 した 2 西 洋 野 菜 の 移 入 で 今 までの 野 菜 の 品 種 改 良 と 新 顔 野 菜 が 登 場 した 3 牛 乳 と 乳 製 品 嗜 好 飲 料 が 導 入 され 始 めた 4パンや 洋 菓 子 の 導 入 で 折 衷 菓 子 が 考 案 され るようになった 5 砂 糖 などの 調 味 料 が 普 及 した 砂 糖 は 非 常 に 貴 重 なものだったが 羊 羹 や 饅 頭 などの 甘 味 料 に 使 用 され 和 菓 子 の 発 生 がより 一 層 促 された 6 西 洋 料 理 は 模 倣 と 折 衷 料 理 から 洋 食 という 形 で 発 達 していった ちょうど 同 じころ カステラなど 現 在 食 べられている 洋 菓 子 の 製 法 が 詳 しく 記 された 西 洋 料 理 書 が 出 版 されている 私 が 菓 子 研 究 を 始 めたころ 明 治 10 年 ~30 年 ごろのお 菓 子 の 専 門 雑 誌 をひもとく 機 会 があったのだが 実 に 多 くの 洋 菓 子 の 製 法 がみられ 専 門 的 に 考 案 されていたようである そこで 再 び 明 治 前 期 の 食 文 化 をたどってみると このころは 欧 米 の 影 響 を 受 けない 日 本 の 伝 統 的 な 食 文 化 を 築 いていた 時 期 ではないだろうか また 砂 糖 などの 調 味 料 が 安 価 に 手 に 入 るようになった 時 期 でもあるので 砂 糖 が 金 沢 に 比 較 的 安 価 に 供 給 されるように なった 文 政 以 降 には 金 沢 の 菓 子 屋 は 砂 糖 を 多 用 した 菓 子 を 盛 んに 生 産 するようになった と 深 井 甚 三 氏 が 和 菓 子 ( 虎 屋 文 庫 )に 掲 載 した 近 世 後 期 城 下 町 金 沢 の 菓 子 屋 と 菓 子 について の 中 で 述 べている そしてお 菓 子 が 金 沢 の 人 々を 魅 了 するようになり 年 中 行 事 や 贈 答 などに 使 われて 菓 子 屋 が 大 きな 発 展 を 遂 げた 時 期 といえる このように 明 治 前 期 は 伝 統 的 な 日 本 の 食 の 在 り 方 が 充 実 し 安 く 広 範 囲 に 物 品 が 流 通 して 日 本 の 食 の 今 の 体 系 を 築 いた 重 要 な 時 期 であるといえる 3. 内 国 貿 易 に 関 する 調 査 資 料 とこれまでの 研 究 概 観 内 国 貿 易 に 関 する 有 名 な 調 査 資 料 として 明 治 12 年 ~15 年 に 出 された 二 府 四 懸 采 覧 報 文 東 北 諸 港 報 告 書 西 南 諸 港 報 告 書 という 三 つの 報 告 書 がある これらは 開 拓 使 の 役 人 が 長 官 の 命 を 受 けて 東 北 北 陸 西 南 の 主 要 な 港 に 出 張 し 各 港 における 北 海 道 物 産 の 出 入 りの 状 態 を 詳 細 に 調 査 の 上 復 命 書 にしたものである 全 輸 出 入 の 状 態 をも 併 せて 調 査 した 詳 細 な 統 計 資 料 が 残 っている ( 注 ) 前 述 の 三 報 告 書 では 輸 出 輸 入 の 言 葉 で 物 品 の 記 載 がされているが 国 内 での 流 通 であるため 今 後 移 出 移 入 で 示 すことにする 二 府 四 懸 采 覧 報 文 は 京 都 大 阪 の2 府 と 滋 賀 石 川 ( 現 在 の 福 井 と 富 山 も 含 む) 島 根 山 口 の4 県 東 北 諸 港 報 告 書 は 青 森 岩 手 宮 城 ほか4 県 西 南 諸 港 報 告 書 は 大 阪 兵 庫 徳 島 愛 媛 ほか6 県 の 報 告 書 で 大 変 克 明 な 統 計 資 料 として 現 在 でもいろい ろな 研 究 者 が 主 に 経 済 の 面 から 研 究 している これまで 材 木 米 類 肥 料 ( 主 に 魚 肥 ) の 移 出 入 についての 研 究 例 がある これらの 資 料 を 基 にした 経 済 流 通 面 から 研 究 として 代 表 的 なものには 山 口 和 雄 先 生 の 明 治 前 期 経 済 の 分 析 や 近 代 日 本 の 商 品 流 通 越 中 史 壇 ( 現 富 山 史 壇 に 掲 載 2
されている 吉 岡 英 明 氏 水 島 茂 氏 高 瀬 保 先 生 らの 研 究 高 瀬 保 先 生 の 加 賀 藩 流 通 史 の 研 究 がある 最 近 の 例 では 流 通 経 済 史 の 中 で 先 の3 報 告 書 に 基 づいた 研 究 がなされ ている 菓 子 と 菓 子 原 材 料 の 面 から 見 ると 今 から 10 年 前 に 和 菓 子 の5 号 に 掲 載 された 渡 辺 篤 二 氏 の 和 菓 子 原 材 料 の 現 状 と 将 来 や 虎 屋 文 庫 の 中 山 圭 子 氏 の 江 戸 時 代 の 絵 図 帳 製 法 書 に 見 る 菓 子 材 料 がある 中 山 氏 は 七 つの 史 料 を 基 に 史 料 に 見 られる 菓 子 材 料 を7 分 類 したとても 貴 重 な 研 究 である 今 回 の 研 究 では 中 山 氏 の7 分 類 に 準 じて 先 ほど の 報 告 書 を 基 に 菓 子 原 材 料 を 分 類 した 4. 日 本 海 地 域 の 主 要 港 における 菓 子 と 菓 子 原 材 料 の 移 出 入 調 査 今 回 の 調 査 の 目 的 は 日 本 海 地 域 の 各 港 の 移 出 入 表 に 出 現 した 物 品 の 中 で 菓 子 および 菓 子 原 材 料 の 移 出 入 量 とその 金 額 を 調 査 し 各 港 の 地 域 的 な 特 徴 を 踏 まえて 商 品 の 流 通 を 分 析 することと 今 日 の 食 文 化 に 果 たした 菓 子 原 材 料 の 過 去 と 未 来 を 生 活 文 化 とのかかわり の 中 で 考 察 することである 日 本 海 学 が 自 然 共 生 日 本 海 という 三 つの 視 点 で 展 開 されているので 日 本 海 という 視 点 から 菓 子 と 菓 子 原 材 料 を 見 てみたい 調 査 したのは 1906 年 時 点 で 移 出 入 額 が 合 計 100 万 円 以 上 の 港 では 能 代 酒 田 新 潟 直 江 津 伏 木 鳥 取 県 の 境 山 口 の 下 関 ( 赤 間 関 ) 北 陸 の 主 要 港 としては 伏 木 のほかに 魚 津 東 岩 瀬 七 尾 輪 島 福 浦 宮 津 阪 井 小 浜 である 資 料 としては 先 ほどの 二 府 四 懸 采 覧 報 文 東 北 諸 港 報 告 書 のほかに 明 治 34 年 の 明 治 前 期 産 業 発 達 史 資 料 第 2 集 明 治 18 年 富 山 懸 統 計 書 を 用 いた 資 料 の 表 1は 富 山 県 諸 港 の 明 治 11 年 分 の 物 品 移 出 入 表 である 滑 川 港 と 魚 津 港 は 全 体 の 移 出 入 量 のみ 東 岩 瀬 港 と 伏 木 港 については 全 体 の 移 出 入 量 と 北 海 道 への 移 出 入 量 を 出 してある 菓 子 と 菓 子 原 材 料 の 分 類 は 中 山 氏 の 分 類 に 従 って 穀 類 およびその 加 工 品 (A) 砂 糖 および 甘 味 料 (B) 豆 類 およびその 加 工 品 (C) 果 実 芋 ほか 野 菜 類 (D) 調 味 料 香 料 (E) 色 素 (F) その 他 (G)としている 5. 調 査 結 果 日 本 海 交 易 でみると 特 に 北 陸 において 伏 木 港 が 果 たした 役 割 はとても 大 きく 菓 子 と 菓 子 原 材 料 を 取 り 上 げただけでも 際 立 っていたということが その 金 額 を 見 ても 明 らかで ある 伏 木 港 では 米 の 輸 出 が 99 万 5400 円 で この 港 における 全 体 の 金 額 の 49.7%を 占 め ている 砂 糖 では 黒 砂 糖 と 白 砂 糖 が 挙 がっている 中 山 氏 の 研 究 によると 江 戸 時 代 にお いては 氷 砂 糖 と 白 砂 糖 の 二 つが 目 立 ったということだが 明 治 期 になると 黒 砂 糖 も 多 く 移 出 されるようになり このころから 黒 砂 糖 がお 菓 子 に 使 われるようになったことが 見 受 け られる 和 三 盆 糖 はほぼ 移 入 だと 思 うのだが 富 山 湾 のどの 港 でも 見 られていない 江 戸 の 後 期 から 氷 砂 糖 が 姿 を 消 し 黒 砂 糖 が 中 心 になっていたと 想 像 される 菓 子 について 見 ると 荒 粉 菓 子 と 菓 子 の 記 述 は 東 岩 瀬 港 と 伏 木 港 の2 港 でしか 見 られな い 富 山 の 伏 木 港 と 東 岩 瀬 港 で 菓 子 という 記 載 が 見 られたのは 新 たな 発 見 であったと 思 っ ている 荒 粉 は 粗 粉 とも 書 き 粗 いみじん 粉 で 乾 菓 子 の 材 料 として 使 われるものである 日 持 ちがいいので 当 時 の 輸 送 のことを 考 えると 乾 菓 子 として 移 出 されていたと 考 えら 3
れる また 荒 粉 菓 子 と 菓 子 はともに すべて 北 海 道 へ 移 出 されていたことが 明 らかにな った 諸 港 名 滑 川 港 魚 津 港 東 岩 瀬 港 年 菓 子 及 び 菓 子 原 材 料 の 分 類 表 1 富 山 県 各 諸 港 の 物 品 移 出 入 表 物 品 代 金 (%) 物 品 代 金 (%) 総 数 2 品 合 計 227,500 円 総 数 15 品 合 計 227,555 円 A 米 25,000 石 147,500 円 (64.8) B 砂 糖 400 樽 3,200 円 (1.4) C 大 豆 1,000 石 5,800 円 (2.5) C 小 豆 100 石 520 円 (0.2) A 小 麦 1,000 石 4,700 円 (2.1) 総 数 6 品 合 計 161,400 円 総 数 13 品 合 計 132,103 円 A 米 8,000 石 47,200 円 (29.2) 1 石 4 円 32 銭 A 酒 500 石 4,500 円 E 醤 油 200 石 1,340 円 B 砂 糖 200 樽 1,600 円 (1.2) 中 白 砂 糖 1 樽 6 円 C 大 豆 2,000 石 11,600 円 (8.8) 1 石 4 円 50 銭 C 小 豆 300 石 1,560 円 (1.2) 1 石 3 円 90 銭 A 小 麦 2,000 石 9,400 円 (7.1) 1 石 3 円 70 銭 総 数 13 品 合 計 325,050 円 総 数 8 品 合 計 49,525 円 20 銭 A 米 65,000 石 270,400 円 (83.2) 1 石 4 円 16 銭 E 醤 油 1,800 樽 1,220 円 A 味 噌 3,900 樽 2,370 円 (0.7) 1 斗 70 銭 A 酢 5,800 樽 1,160 円 荒 粉 菓 子 1,300 函 3,250 円 (1.0) 1 函 2 円 50 銭 東 岩 瀬 港 A 米 19,000 石 79,040 円 (59.2) 北 海 道 へ 移 出 入 E 醤 油 1,800 樽 1,220 円 E 味 噌 3,900 樽 2,370 円 (1.8) A 酢 5,800 樽 1,160 円 荒 粉 菓 子 1,300 函 3,250 円 (2.4) 伏 木 港 総 数 13 品 合 計 133,609 円 総 数 8 品 合 計 57,692 円 70 銭 総 数 103 品 合 計 2002,668 円 総 数 106 品 合 計 1957,340 円 A 米 237,000 石 995,400 円 (49.7) 11,500 石 48,300 円 (2.5) A 酒 1,520 樽 1,520 円 B 黒 砂 糖 890 挺 8,900 円 (0.5) 4,130 挺 41,300 円 (2.1) B 白 砂 糖 300 挺 5,100 円 (0.3) 4,800 挺 81,600 円 (4.2) 菓 子 240 箇 1,200 円 (0.1) A 荒 粉 20,000 袋 800 円 (0.04) A 酢 2,000 樽 800 円 E 味 噌 2,350 樽 2,350 円 (0.1) B 砂 糖 漬 895 瓶 1,340 円 (0.07) G 心 太 草 34 箇 340 円 105 箇 1,500 円 (0.08) B 洋 砂 糖 830 樽 1,000 円 (0.05) B 蜜 180 挺 1,260 円 (0.06) 355 挺 2,500 円 (0.1) E 紅 花 120 箇 12,000 円 D 生 姜 850 俵 1,500 円 (0.07) 5,200 俵 1,040 円 (0.05) D 蜜 柑 5,000 函 2,500 円 D 蒟 蒻 粉 50 俵 1,500 円 (0.07) 710 俵 2,130 円 (0.1) 総 数 44 品 合 計 477,405 円 A 米 700,000 石 294,000 円 (61.6) A 酒 1,520 樽 1,520 円 伏 木 港 B 黒 砂 糖 500 挺 5,000 円 (1.0) 北 海 道 へ 移 出 入 B 白 砂 糖 270 挺 4,600 円 (1.0) E 醤 油 1,710 樽 1,200 円 菓 子 240 箇 1,200 円 (0.3) A 荒 粉 10,000 袋 800 円 (0.2) E 味 噌 2,350 樽 2,350 円 (0.5) 注 :( )の 数 値 (%)はその 年 の 合 計 金 額 に 占 める 各 材 料 の 割 合 を 示 す 移 出 移 入 4 総 数 11 品 合 計 507,055 円 物 価 表
次 に 穀 類 およびその 加 工 品 だが 米 ( 玄 米 白 米 糯 白 米 など)はほとんどの 港 で 移 出 されている 伏 木 港 はいろいろな 商 品 が 流 通 していたので 米 の 割 合 が 49.7%と 低 くなって いるが ほとんどの 港 では 米 が 全 移 出 額 の 80~90%を 占 めている 米 の 加 工 品 としては 富 山 では 記 載 がなかったが 新 潟 港 では 求 肥 餅 の 原 料 に 使 われる 白 玉 粉 小 浜 港 と 直 江 津 港 では 葛 粉 魚 津 港 伏 木 港 福 井 の 坂 井 港 では 酒 東 岩 瀬 港 と 七 尾 港 では 酢 の 記 載 が 見 られた 酢 が 菓 子 の 原 材 料 に 入 るというのは 意 外 に 思 われるかも しれないが 餡 を 練 るときには 白 砂 糖 と 水 を 煮 詰 めて 酢 を 入 れると 砂 糖 の 結 晶 化 が 防 げ る 酢 はもともと 調 味 料 としても 使 われるが 伏 木 港 になぜ 酢 の 記 載 がないのかは 疑 問 な のだが 酢 も 和 菓 子 の 餡 作 りの 中 ではとても 重 要 な 穀 類 として 分 類 することができる 米 の 移 出 額 は 日 本 海 地 域 では 伏 木 港 が 99 万 5400 円 で 圧 倒 的 に 多 く 伏 木 港 の 商 品 流 通 がい かに 盛 んであったかということが 分 かる 次 に 砂 糖 および 甘 味 料 だが 砂 糖 の 種 類 はとても 多 く 見 られた 白 砂 糖 と 黒 砂 糖 はほぼ どの 港 でも 移 出 入 が 見 られるのだが 移 出 よりも 移 入 の 方 が 多 いのが 特 徴 である 伏 木 港 では 洋 砂 糖 酒 田 港 では 玉 砂 糖 という 記 載 で 移 入 されていたということが 見 られた それ から とても 特 徴 的 なことなのだが 福 井 の 坂 井 港 では 焚 込 砂 糖 出 島 砂 糖 氷 室 砂 糖 唐 番 砂 糖 三 盆 白 砂 糖 ( 現 在 の 和 三 盆 糖 ) 黒 砂 糖 氷 砂 糖 と 多 種 類 の 砂 糖 の 移 入 が 見 ら れたことである これらの 砂 糖 がどのような 原 材 料 であったのかは 今 後 調 査 してみなけれ ばならない 昔 から 使 われ 近 世 後 期 の 主 流 であった 氷 砂 糖 は 新 潟 港 坂 井 港 で 移 入 され ている 東 岩 瀬 を 除 くすべての 西 日 本 主 要 港 で 白 砂 糖 と 黒 砂 糖 の 移 出 入 輸 送 が 見 られた 伏 木 港 七 尾 港 では 移 出 額 より 移 入 額 の 方 が 約 5 倍 多 い つまり 砂 糖 はだんだん 移 入 の 方 が 多 くなってきているということである そして 伏 木 港 の 移 出 先 は 約 90%が 北 海 道 であ った 白 砂 糖 の 移 入 額 は 多 い 方 から 伏 木 新 潟 七 尾 直 江 津 の 順 である 黒 砂 糖 の 移 入 については 新 潟 港 が 極 めて 多 く 以 下 伏 木 七 尾 坂 井 の 順 になっていた 豆 類 は 大 豆 小 豆 が 西 日 本 ほぼすべての 諸 港 で 主 に 移 出 として 見 られた 加 工 品 につ いては 現 在 の 分 類 では 味 噌 醤 油 が 該 当 するが 今 回 の 調 査 では 中 山 の 分 類 に 従 って 調 味 料 香 料 に 入 れることにする こし 餡 が 羊 羹 の 材 料 として 珍 重 されているので 菓 子 材 料 については 主 に 小 豆 がいろいろな 加 工 をされていたと 考 えられる 次 に 果 実 芋 ほか 野 菜 類 をみる 果 実 は 江 戸 後 期 の 菓 子 帳 には 栗 柚 子 柿 など 現 在 よく 利 用 されるものが 見 られるのだが 今 回 の 調 査 では 栗 や 柚 子 などは 見 られず 蜜 柑 串 柿 の 移 出 入 が 見 られた 蜜 柑 は 求 肥 の 中 に 入 れる 餡 としてすりつぶして 使 ったり ジャ ム 状 にして 寒 天 と 合 わせて 固 めるという 使 い 方 もされていたと 考 えられる 江 戸 後 期 には 蓮 根 を 蒸 し 羊 羹 の 生 地 に 入 れた 例 があるのだが 今 回 は 蓮 根 も 移 出 入 が 見 られなかった ただ 芋 として 蒟 蒻 粉 の 移 出 入 が 伏 木 港 直 江 津 港 で 見 られたので 蒟 蒻 芋 などもこのこ ろに 生 産 していたのではないかと 推 察 される 野 菜 類 はほとんど 記 載 がないが 生 姜 は 坂 井 小 浜 七 尾 新 潟 港 などで 移 入 直 江 津 では 移 出 伏 木 では 移 出 入 というどの 港 にも 見 られた 酒 田 港 では 生 姜 漬 の 記 載 があった 珍 しい 例 としては 坂 井 港 で 百 合 根 が 見 られた 百 合 根 は 羊 羹 などに 混 ぜ 込 んで 今 日 でも 利 用 されている 調 味 料 と 香 料 については 醤 油 は 東 岩 瀬 伏 木 七 尾 坂 井 小 浜 の 北 陸 諸 港 だけに 移 出 が 見 られた 味 噌 も 新 潟 と 北 陸 の 東 岩 瀬 伏 木 七 尾 港 に 大 体 限 られていた 味 噌 は 5
味 噌 松 風 という 焼 き 菓 子 に 使 われ 今 日 でも 京 菓 子 の 中 で 重 要 な 位 置 を 占 めている また 坂 井 港 では 黒 胡 麻 の 移 入 が 見 られた そして 今 回 は 色 素 を 挙 げていないが 表 1の 伏 木 港 で 紅 花 が 該 当 するのではないかと 思 う 江 戸 時 代 は 植 物 素 材 で 色 の 工 夫 をしており 例 えば 黄 色 はクチナシやウコン 緑 は ひき 茶 やヨモギ 青 のりの 粉 のような 青 粉 赤 は 紅 花 黒 は 灰 墨 や 黒 砂 糖 昆 布 小 豆 の 汁 などを 利 用 していた 紅 花 が 伏 木 港 に 見 られたのは いろいろなお 菓 子 などに 使 われて いたのだろうと 想 像 される その 他 としては 新 潟 港 では 寒 天 直 江 津 港 ではテン 草 酒 田 港 では 角 天 と 異 なる 名 称 で 見 られるが これらは 主 に 移 入 である 表 1の 伏 木 港 に 見 られる 心 太 草 は ところて ん のことだと 思 われるが 草 とあるので 材 料 のテン 草 のことなのか この 分 類 について は 検 討 する 必 要 がある ( 後 で 事 典 和 菓 子 の 世 界 岩 波 書 店 中 山 圭 子 著 を 調 べて 分 か ったことだが ところてん は 和 菓 子 に 入 る ) 卵 および 鶏 卵 は 輪 島 港 で 移 入 能 代 新 潟 港 で 移 出 の 記 載 があった 卵 の 記 載 は 三 港 に 限 られている 卵 が 見 られたのは 西 洋 菓 子 の 製 法 書 の 出 版 の 影 響 ではないかと 考 えられる 輪 島 能 代 新 潟 の 三 港 に 卵 がみられ た 関 連 性 については 今 後 調 べてみたい 6. 終 わりに 和 菓 子 の 材 料 は 江 戸 時 代 から 既 に 現 在 のものが 皆 そろっているが 明 治 期 では 日 本 海 側 の 主 要 港 の 海 上 輸 送 によって 一 段 と 頻 繁 な 物 流 の 移 出 入 が 明 らかとなった 砂 糖 は 先 ほどの 坂 井 港 で 見 られるように 実 に 多 くの 名 称 で 記 載 されている この 理 由 としては 地 域 での 多 様 な 需 要 があったことが 考 えられ 多 様 な 砂 糖 がその 地 での 豊 かな 食 文 化 の 展 開 をうかがわせる 坂 井 港 が 中 心 だったが それは 金 沢 への 菓 子 文 化 にもつながったのでは ないか その 後 富 山 の 菓 子 文 化 へと 伝 播 されていったのではないかと 考 えられる 今 回 は 植 物 性 の 原 料 を 中 心 にした 菓 子 の 材 料 だったが 今 作 られている 菓 子 は 植 物 性 と 動 物 性 洋 菓 子 と 和 菓 子 が 折 衷 している 和 菓 子 がなぜ 発 展 したのか その 原 材 料 が 今 日 までどのような 変 遷 をたどってきたかを 知 る 上 で 明 治 前 期 の 移 出 入 について 調 べるこ とには 価 値 があるのではないだろうか 今 後 は 日 本 の 菓 子 文 化 を 築 き 上 げた 菓 子 と 菓 子 原 材 料 について 地 域 の 生 活 文 化 の 特 色 や 日 本 海 とのかかわりの 中 で 生 きてきた 信 仰 などから 探 りたいと 思 っている 実 は 私 は 菓 子 木 型 の 研 究 で 平 成 15 年 に 富 山 県 の 菓 子 屋 にある 菓 子 木 型 について その 意 匠 や 数 な どについて 調 査 したのだが 貴 重 なものであるにもかかわらず 使 わないからという 理 由 で 譲 ったり 処 分 したりするなど 菓 子 木 型 がだんだん 少 なくなってきているのである 菓 子 木 型 の 利 用 については 信 仰 とのかかわりが 大 きいことも 分 かっているので いずれはお 菓 子 道 具 としての 面 からも 木 型 を 探 りたいと 思 っている 今 回 日 本 海 学 という 視 点 から 菓 子 および 菓 子 原 材 料 を 取 り 上 げる 貴 重 なチャンスを 与 えていただいたことに 感 謝 している 6