吃 音 (どもり)を 理 解 するために 1.はじめに 吃 音 または どもり と 言 う 病 気 はギリシャ 時 代 以 前 から 知 られている 病 気 で す.しかし,その 原 因 は 何 かということは,この 科 学 が 発 達 した 時 代 になっても 明 ら かになっていません. 吃 音 がどういうものかということも 正 確 には 知 られていない 傾 向 にあります. 吃 音 に 関 しては 多 くの 説 があります. 吃 音 は 苦 しく 生 活 に 大 きく 悪 影 響 を 及 ぼす 病 気 ですから, 何 とか 治 そうと 各 説 を 中 心 とした 治 し 方 もいろいろ 試 みられてきました が, 残 念 ながら 著 しい 効 果 を 上 げているものを 探 すのは 困 難 です. 病 院 や 専 門 機 関 に 行 っても 残 念 ながら 著 しい 効 果 を 得 たということをほとんど 聞 きません. 物 心 ついて からは 発 声 練 習 や 呼 吸 法 などで 治 す などが 試 みられてきましたが 結 果 は 悲 惨 でし た.そのため, 吃 音 を 治 すよりも 言 葉 がでやすいように 訓 練 しよう とか, 大 人 に なったら 治 らない のなら 吃 音 と 一 生 つきあっていく 方 法 を 探 そうなどと 考 えられる 場 合 も 少 なくありません. 2. 吃 音 とは 吃 音 というのは 1 人 で 人 に( 人 前 で) 何 かを 言 葉 で 伝 えようとする 時, 時 々 言 葉 がでなくなる 病 気 です. 人 前 で, 1 人 で, 言 葉 で 伝 える が 重 要 なキーワー ドです.ある 言 葉 を 言 おうとしてもそれがどうしても 言 えないのです.こんなことは 吃 音 者 でない 人 には 起 こることがありませんから, 一 般 の 人 には 吃 音 を 理 解 すること はほとんど 不 可 能 です. 言 おうとすると 自 動 的 に 言 葉 がでているからです.だから, 焦 っているから 言 葉 がでない, 早 口 だから 言 葉 がでない, 緊 張 しているから 言 葉 が 出 ない,...くらいしか 考 えつきません. 話 し 中 に 言 葉 がでなくなると 困 りますし 変 に 思 われますから, 吃 音 者 は 言 葉 を 出 そ うと 必 死 になります.その 結 果 が, おおお...お 母 さん となったり( 連 発 性 吃 音 と 呼 ばれている),...お 母 さん となったり( 難 発 性 吃 音 と 呼 ばれま す)します.ですから, 多 くの 人 は, 吃 音 者 とは おおお...お 母 さん,... お 母 さん のような 話 し 方 をする 人 だと 思 っていますが, 吃 音 の 本 質 は 人 前 で 時 々 言 葉 がでなくなること です. 出 ない 言 葉 を 無 理 に 出 そうとするから 上 記 のような 症 状 がでてしまうのです. 出 にくい 言 葉 も 周 囲 に 人 がいなくなれば 問 題 なく 言 えます.みんなで 唱 和 するとき も 問 題 なく 言 えます. 周 囲 に 人 がいれば 言 葉 が 出 なくて,いなくなれば 言 葉 が 出 る, 1
1 人 では 言 葉 がでないけれども, 皆 で 言 うときには 言 葉 がでる.こんな 信 じられ ないことが 起 こるのが 吃 音 です.しかもこんな 簡 単 な 基 本 的 事 項 さえ 世 間 の 常 識 とし て 知 られていないのが 現 状 です. 言 語 訓 練 の 専 門 家 でさえ 知 らない 場 合 があります. 吃 音 は 時 々 言 葉 がでなくなるだけですから, 吃 音 でない 人 には 吃 音 者 がそれほど 苦 しんでいるとは 想 像 もできません.ところが, 実 は 吃 音 は 心 に 大 きく 関 係 している 病 気 と 考 えられるので, 吃 音 者 は 言 葉 がでない 以 上 に 大 きく 苦 しんでいます( 特 にもの 心 がついてからは).この 世 に 生 きていることさえ 困 難 な 位 に 苦 しんでいます. 一 方 でこの 世 の 中 で 言 葉 が 必 要 でない 世 界 はありませんから, 吃 音 者 は 能 力 があるにもか かわらす 一 生 苦 しみながら 不 利 な 生 活 を 強 いられることも 少 なくありませんでした. 3. 吃 音 の 発 生 吃 音 は, 生 まれたとき 持 っている 吃 音 資 質 ( 体 質 ) とでもいってよいような 吃 音 になりやすい 体 質 に, 幼 児 期 ( 第 一 反 抗 期 )の 育 児 環 境 が 関 係 して 発 生 します (1). 吃 音 者 のほぼ70%の 人 が 2 歳 で 発 症 し, 残 りの 人 もこの 時 の 影 響 をかかえて 後 に 発 症 します.2 歳 の 育 児 環 境 は 家 庭 内 にありますから,この 意 味 で 両 親, 特 に 母 親 が 大 きく 関 係 している 病 気 です. 吃 音 を 発 症 させるような 環 境 を 吃 音 環 境 と 呼 んでいます が, 育 児 環 境 は 親 がその 親 から 受 けついていることが 多 いので, 世 代 間 を 連 鎖 してい きます. 一 方, 吃 音 資 質 は 吃 音 特 有 のものではなく, 防 衛 本 能 が 強 い, 怖 がり, 人 見 知 り,...など 誰 もが 持 っていそうな 普 通 の 資 質 です. 吃 音 発 症 は, アレルギー 体 質 の 人 が 花 粉 やハウスダスト などの 環 境 によっ てアレルギーになるのと 似 ています. 花 粉 やハススダスト などがある 環 境 はアレ ルギー 体 質 を 持 った 人 には 過 酷 な 環 境 ですが,そうでない 人 にはなんてことない 普 通 の 環 境 です.それと 同 じように 吃 音 を 発 生 させる 環 境 も 普 通 の 人 にはなんてことない 普 通 の 環 境 ですが, 吃 音 体 質 を 持 った 人 には 過 酷 な 環 境 です. この 吃 音 資 質 を 持 った 者 にとって, 他 人 がいる 過 酷 な 環 境 からくる( 簡 単 に 言 え ば)ストレスが, 幼 い 脳 にトラウマ( 吃 音 トラウマという)として 住 み 着 き, 人 前 で 言 葉 を 出 すのは 危 険 だ と 感 じた 時 言 葉 を 出 させないようにするのが 吃 音 です. 人 間 が 成 長 していく 上 で2 歳 前 後 という 年 齢 は, 人 間 の 内 面 の 基 礎 を 作 る, 自 我 を 成 長 させる 超 大 切 な 時 期 です. 自 我 というとピンときませんが, 人 柄 がいい なー, どこか 信 頼 できるな, 意 欲 的 だな, 落 ち 着 いているな,...,... という,その 人 そのものの 基 礎 を 作 る 時 期 です. 何 か 落 ち 着 かない, 不 安 だ, 心 配 だ, 何 か 充 実 感 を 感 じられない なども,この 時 期 の 自 我 の 成 長 に 関 係 している 部 分 が 大 きいです. 2
この 時 期 はしつけや 基 礎 トレーニングなどを 行 う 時 で, 一 方 では 第 一 反 抗 期, 魔 の2 歳 児 と 呼 ばれ, 育 児 にお 母 さん 達 が 育 児 ノイローゼぎみになったり, 最 高 に 苦 労 するときです. 吃 音 体 質 を 持 った 幼 児 の 場 合 には,2 歳 という 年 齢 は 吃 音 環 境 を 避 けにくくする 条 件 がそろっています.だから, 細 心 の 注 意 をして 育 児 をしなければな らない 大 切 な 大 切 な 時 期 なのです. 吃 音 者 にとって 過 酷 な 環 境 とは, 断 乳 やトイレトレーニング,しつけなどに 関 係 す る 環 境 で, 子 供 のためを 思 って,...してはダメ,...しなさい などが, 子 供 目 線 で 見 て 過 剰 に 繰 り 返 されると, 自 分 は 認 められていない, 自 分 は 否 定 されて いる, 人 間 が 怖 い, 味 方 がいなくて 孤 独 だ, 自 分 の 心 を 出 したら 危 険 だ など といった 感 情 が 脳 の 奥 深 くに 刻 み 込 まれトラウマとなって 住 み 着 いてしまいます.こ のトラウマが 似 たような 環 境 ( 人 がいる 環 境 )にあったとき 言 葉 を 出 させなくしてい ます.このような 環 境 は, 吃 音 資 質 を 持 った 幼 児 には 過 酷 な 環 境 ですが, 大 人 にとっ ては 子 供 のことを 思 って 行 う 良 い 常 識 なので,それだけに 気 づくことが 難 しく 深 刻 です. 大 人 目 線 からは 一 般 にごく 普 通 に 行 われている 環 境 なのです. トラウマは 脳 内 の 無 意 識 層 に 関 することであるので 本 人 が 意 識 することは 出 来 ま せん.それ 故 認 められていないなんてそんなことはないよ, 私 はあなたを 愛 して いるのよ と 言 葉 でいくら 説 得 してもほとんど 効 果 はありません. 思 春 期 を 中 心 に 出 現 する 引 きこもり, 登 校 拒 否, 家 庭 内 暴 力, 摂 食 障 害 などもこの 時 期 の 影 響 が 強 くあるようです.そう 言 う 意 味 で, 吃 音 もこれらと 根 を 同 じくする 病 気 といっても 間 違 いではありません. 吃 音 者 には 上 記 の 症 状 を 併 せ 持 って いる 人 も 少 なくありません. 吃 音 は 言 葉 の 問 題 として 出 ますが, 言 葉 とは 関 係 のない 幼 い 時 についた 心 の 病 気 なのです. 4. 吃 音 を 治 すには 吃 音 を 治 すにはどうすればよいのでしょうか? 幼 児 期 には, 吃 っている 人 が 自 然 に 治 る 例 が 多 かった( 約 2/3, 恐 らく 子 供 が 保 育 園 や 幼 稚 園 に 行 くようになって 母 親 の 心 に 余 裕 ができたからでしょう)のと, 吃 音 を 治 す 方 法 がなかったこともあって, 幼 児 期 によくある 現 象 なので 成 長 にともなっ て 自 然 に 治 るのを 待 つ というのがこれまでの 常 識 でした.しかし, 全 員 が 治 るわけ ではなく 治 らなかった 人 が 吃 音 者 となって 一 生 を 過 ごしていました. アレルギーなどは 一 度 発 生 するとアレルゲンを 少 なくしても 治 る 人 が 多 くはない 病 気 ですが, 吃 音 は,この 吃 音 トラウマを 取 り 除 くことで 治 る 可 能 性 が 非 常 に 高 い 病 気 であることが 最 近 わかってきました (2). 特 に 幼 児 の 場 合 には, 発 症 したらできる 3
だけ 早 く 周 囲 の 環 境 から, 吃 音 環 境 を 取 り 除 き, 吃 音 環 境 とは 逆 の 良 い 環 境 を 用 意 す る ことによって, 自 分 は 認 められている, 人 間 が 怖 くない, 孤 独 でない, 自 分 がやりたいことをやるのは 良 いことなのだ などが 頭 の 無 意 識 層 に 宿 ると, 見 事 な ほど 言 葉 がスムーズにでるようになっています. 吃 音 を 治 す 原 理 は 簡 単 ですが,これを 実 行 するにはかなり 難 しい 現 実 があります. 幼 児 期 は, 両 親 に 世 代 連 鎖 がありお 母 さんの 考 え 方 を 変 えるのは 難 しいとはいうもの の, 家 庭 環 境 を 整 えることで 吃 音 環 境 を 取 り 除 くことが 出 来 ますので 比 較 的 簡 単 で 短 期 間 で 治 っているケースがほとんどです. 特 にお 母 さんが 吃 音 の 原 理 を 理 解 し, 自 身 の 心 を 安 定 させ, 育 児 に 生 き 甲 斐 を 感 じるような 環 境 を 整 備 するだけで 治 っていくケ ースがいっぱいです.これを 魔 の2 歳 児 に 行 うという 難 しさ, 第 二 子 が 誕 生 する 時 期 に 行 う 難 しさがありますが. ところが, 大 人 になると 周 囲 を 変 えることはほとんど 不 可 能 です.だから 自 分 を 変 えて 社 会 に 適 応 するほかありません.しかも 社 会 の 中 で 吃 音 を 持 ちながら 自 分 でこれ を 実 現 しなければなりませんから, 吃 音 治 療 はかなり 難 しい 仕 事 になります.そう 言 う 事 もあって 一 般 的 には, 大 人 の 吃 音 は 治 しにくかったのが 現 実 です. 吃 音 が 治 った 人 は,すばらしい 仲 間 に 恵 まれ, 本 人 が 生 き 生 きとして 毎 日 を 過 ごし, 他 人 の 役 に 立 てるようなことをして, 生 活 や 勉 強 や 遊 び, 仕 事 に 生 き 甲 斐 を 感 じて 充 実 感 を 感 じて 過 ごすことによって 言 葉 がでるようになっています.すなわち, 自 分 は 否 定 されて いない, 人 は 怖 くない, 自 分 と 他 の 人 はほとんど 同 じだ, 自 分 は 必 要 とされて いる 人 間 だ などと 脳 の 深 い 無 意 識 層 が 認 識 できるようになると, 幼 児 期 についたト ラウマが 上 塗 りされ,その 結 果 として 言 葉 が 自 然 にでるようになっていきます. 言 葉 の 問 題 を 治 すのに 言 葉 とは 関 係 のないことをしなければならない,このことも 吃 音 治 療 を 難 しくする 原 因 です. 多 くの 幼 児 の 吃 音 が 治 っている 吃 音 ドットコム の 内 容 は,この 大 人 の 吃 音 完 治 の 研 究 結 果 からでたものです. 結 局 年 齢 に 関 係 なく 吃 音 の 原 理 や 吃 音 の 治 し 方 は 同 じなのです. 5. 正 しく 吃 音 を 理 解 した 対 策 を 吃 音 に 関 してはいろんな 常 識 が 流 通 しています. 子 供 に 吃 音 を 意 識 させてはい けない, 吃 っている 言 葉 を 言 いきるまで 辛 抱 強 く 聞 かなければいけない などです. だから, 吃 っているのに 気 がつかないふりをしたり, 子 供 が 自 分 の 吃 音 に 気 がついて いることに 気 づくと 危 機 感 を 感 じたりします. 言 い 直 しをさせてはいけない, ゆ っくりおちついて 言 いなさい などと 言 ってはいけないなどと 気 をつかいますが,そ の 原 理 を 理 解 している 人 はまれなようです. 吃 音 は 言 葉 の 問 題 としてでますが, 心 の 問 題 と 考 える 方 が 正 解 に 近 い 病 気 です. 心 4
の 問 題 を ゆっくりいいなさい などと, 言 葉 の 問 題 としてとりあつかっても 何 の 効 果 がないばかりか, 逆 に 心 に 負 担 をかけ 吃 音 を 強 化 してしまいます. 本 人 が 吃 って いるのに 気 がつかない なんてことはありえません. 気 がついて 正 常 です. 一 番 大 切 なことは, 周 囲 の 人 が 自 分 のことを 認 めてくれていて, 自 分 は 否 定 され ていない などと 無 意 識 層 が 感 じられるようにすることです.すなわち 心 の 負 担 を 少 なくすることが 一 番 大 切 なことです.もっと 積 極 的 に 何 か 役 割 を 与 えてあげるのも 自 分 は 認 められている ということを 知 らせる 良 い 方 法 です.ほめてあげるのも 大 切 です. 幼 児 期 にこのことに 成 功 すると, 吃 音 が 治 るだけではなく,やる 気 や 独 立 心, 自 己 肯 定 感 が 育 ちますので, 吃 音 が 直 るばかりではなく, 積 極 的 に 行 動 し 自 分 で 成 長 していきます. 6.お 願 い 吃 音 者 は 吃 音 を 隠 そうとする 人 も 多 くビクビクしながら(そのようには 見 えない 場 合 も 多 いのですが) 消 極 的 な 生 活 をしている 人 も 少 なくありません.そして 表 面 から 想 像 できる 以 上 に 内 面 では 苦 しんでいます.しかし, 吃 音 者 は 一 般 的 にまじめで 正 直 で, 優 秀 な 人 も 少 なくありません.ぜひ, 吃 音 は 単 なる 一 病 気 に 過 ぎないことや 吃 音 の 本 質 を 正 しく 理 解 していただいて, 吃 音 が 治 る 環 境, 吃 音 者 が 活 躍 できる 場 を 作 っ ていただきたいと 思 います. ChiNa 日 本 吃 音 研 究 所 青 山 ヒロ (1) 吃 音 ドットコム http://homepage1.nifty.com/heroiga/ (2) 青 山 ヒロ 著 : 吃 音 は 治 っていく,CS 出 版,2011 Copyright 2012/09/15 5