交 渉 理 論 を 用 いたミャンマーの 政 治 制 度 分 析 i 慶 應 義 塾 大 学 総 合 政 策 学 部 4 年 経 済 学 部 大 西 研 究 会 学 籍 番 号 :71007850 松 清 敏 生
第 1 章 ミャンマーの 現 状 とその 歴 史 現 在 ミャンマーが 抱 える 問 題 を 考 え 今 後 どのような 政 治 統 治 システムが 望 ましい のかを 考 えるためには ミャンマーがどのような 歴 史 を 歩 んで 現 在 に 至 るのか そし てどのような 民 族 宗 教 言 語 などから 構 成 させているのかを 確 認 することは 非 常 に 重 要 な 作 業 になる 本 章 では 大 きくミャンマーの 歴 史 と 内 政 状 況 の 二 つに 焦 点 を 当 て 分 析 を 行 う ミャンマーの 内 政 状 況 人 口 宗 教 民 族 ミャンマーは 人 口 の 大 きさ 宗 教 民 族 的 多 様 性 が 現 在 の 政 治 制 度 改 革 へ 持 つ 重 要 性 が 極 めて 大 きい 本 節 ではその3 要 素 について 確 認 する ミャンマーはおよそ6 千 万 人 の 人 口 ii を 抱 える 東 南 アジア 地 域 をみても iii 世 界 的 にも 比 較 的 巨 大 な 人 口 を 抱 え る 国 家 である そしてその 人 口 の 構 成 員 は 複 雑 を 極 めている ミャンマーには 大 きく 8 種 類 の 人 種 部 族 が 存 在 するとされており またその8 部 族 の 中 にもさらに 細 かい 分 類 わけが 存 在 するため 全 体 としては135の 部 族 が6 千 万 人 の 人 口 を 構 成 している とされる 最 大 のマジョリティは 人 口 の3 分 の2を 構 成 するビルマ 人 で のこりの3 分 の1をマイノリティである 少 数 民 族 が 構 成 している iv また 在 留 外 国 人 はバングラデ シュ インド 中 国 パキスタンの 順 で 人 口 が 構 成 されている v 宗 教 については8 0%が 仏 教 土 着 宗 教 が6% キリスト 教 やイスラム 教 もそれぞれ2%と4%という 少 数 ではあるが 存 在 している 特 にキリスト 教 に 関 しては 現 在 も 紛 争 が 続 くカチン 族 を 中 心 として 信 仰 されており 言 語 的 な 差 異 も 大 きく 停 戦 合 意 に 達 することができな い 原 因 の 大 きな 要 因 の 一 つでもある ミャンマー 史 本 節 ではミャンマーの 歴 史 について 特 に 現 在 の 状 況 に 関 係 の 深 い 植 民 地 統 治 時 代 か ら 概 説 していく ミャンマーにおける 植 民 地 時 代 は 比 較 的 短 く1885 年 から194 8 年 までとなっている ミャンマーはイギリスとの 間 に3 回 の 戦 争 を 経 験 (1824 年 1852 年 1885 年 )する 3 回 目 の 戦 争 でイギリスに 敗 れる 国 王 一 家 はイ ンドに 配 流 され インドの 一 部 としてイギリス 連 邦 に 併 合 された その 際 ビルマ 人
が 多 く 住 む 地 域 をイギリスが 直 接 統 治 し その 周 辺 部 ( 少 数 民 族 地 域 )を 間 接 統 治 す るという インドを 統 治 した 同 様 の 方 法 を 用 いて 統 治 をおこなった また 統 治 の 際 に はミャンマーの 軍 隊 がイギリス 主 導 で 組 織 されたが 多 数 派 であるビルマ 人 をイギリ スは 信 用 せず 少 数 民 族 が 軍 隊 の 大 部 分 を 占 めるというゆがんだ 民 族 比 率 の 軍 隊 が 組 織 された 内 訳 としてはカレン 族 が 27.8% チン 族 が 22.6% カチン 族 が 22.9% そ して 12.3%だけがミャンマー 人 だった 1vi またミャンマーはチーク 材 を 含 めた 天 然 資 源 が 豊 富 だったことからイギリスは 郵 便 技 術 をはじめとしたコミュニケーション 手 段 の 改 善 道 路 建 設 鉄 道 建 設 港 の 整 備 などインフラ 発 展 に 大 きなインパクトを 与 え た またその 過 程 で 世 界 的 にコメの 生 産 効 率 が 非 常 に 高 いことで 有 名 なイラワディ 川 のデルタ 地 域 が 整 備 されたが その 地 域 は 主 にカレン 族 が 影 響 力 を 及 ぼした 地 域 であ り カレン 族 の 発 展 に 大 きく 寄 与 することになった 次 に 大 きなインパクトをミャンマーにもたらしたのは 第 二 次 世 界 大 戦 と 独 立 そし て 軍 事 政 権 の 成 立 であった 第 二 次 大 戦 はミャンマーにおけるインフラ 設 備 を 壊 滅 さ せ ミャンマー 経 済 に 壊 滅 的 な 打 撃 を 与 える 出 来 事 になった その 結 果 ミャンマーの 一 人 当 たりGDPが 第 二 次 世 界 大 戦 以 前 の 水 準 に 戻 ったのは 戦 後 30 年 が 経 過 してから であったことからもよくわかる またこの 大 戦 の 際 多 くのミャンマー 人 が 日 本 軍 の ゲリラ 部 隊 としてミャンマー 国 内 で 戦 ったが その 際 少 数 民 族 であるカレン 族 との 戦 闘 で 大 規 模 な 虐 殺 者 を 出 すなど この 戦 争 当 時 引 き 起 こされたミャンマー 国 内 での 激 しい 戦 闘 は 今 も 続 く 少 数 民 族 問 題 に 大 きな 影 響 を 与 えているとされている 1942 年 に 日 本 がミャンマーを 侵 略 すると 日 本 軍 はビルマ 国 民 軍 を 組 織 し イギリスからの 独 立 を 支 持 した このときに 成 立 した 日 本 の 傀 儡 政 権 でトップについたのがアウンサン であり 国 民 軍 の 将 軍 であったのがネ ウィンであった その 後 ミャンマーは 独 立 を 果 たし 1947 年 にはイギリスで 教 育 を 受 けた15 人 のミャンマー 人 によって 憲 法 も 制 定 され 大 統 領 が 国 家 を 代 表 し 国 民 評 議 会 の 議 長 が 大 統 領 に 就 任 するという 民 主 主 義 的 政 治 システムが 初 めて 組 織 された またこの 憲 法 ではミャンマー 人 と 少 数 民 族 の 間 で 権 力 の 分 散 が 図 られ それぞれの 少 数 民 族 定 住 する 地 域 ごとに 地 域 政 府 を 持 ちつ つ 中 央 政 府 に 財 政 的 なサポートを 求 めるという 連 邦 制 のようなシステムが 採 用 され ていた しかしそのような 民 主 主 義 的 なムードも 長 くは 続 かず 1962 年 にはネ ウィ ン 将 軍 がクーデターを 起 こし ビルマ 社 会 主 義 計 画 党 を 結 成 して 大 統 領 となり 長 い 軍 事 政 権 時 代 社 会 主 義 時 代 が 開 始 されることになる その 間 イギリスはカレン 族 を バングラデシュはムスリム 系 の 民 族 を インドはカチン 族 及 び カレン 族 を そ して 中 国 人 はネガ 族 カチン 族 を アメリカはミャンマー 北 部 に 基 盤 を 置 いていた 中 国 国 民 党 を 防 共 作 戦 の 一 環 として 強 く 支 持 した(この 国 民 党 時 代 に 今 でも 続 く 北 部 で の 麻 薬 密 造 が 大 きく 拡 大 された) このような 諸 外 国 による 少 数 民 族 などへの 援 助 は 中 央 政 府 にとって 大 きな 脅 威 となったとともに 現 在 まで 続 く 外 国 からの 投 資 について
懐 疑 的 な 姿 勢 を 生 み 出 した 1962 年 に 成 立 したネ ウィンによる 軍 事 社 会 主 義 政 権 は 1988 年 まで 続 いた 1988 年 カフェで 口 論 になったラングーン 工 科 大 学 の 学 生 を 警 察 官 が 殺 してしまう 事 件 が 発 端 となり 大 規 模 な 学 生 によるデモンストレーションが 開 始 され その 拡 大 と ともに 市 民 も 参 入 し 軍 隊 との 衝 突 の 末 多 くの 犠 牲 者 が 生 まれた この 動 きによっ てネ ウィン 大 統 領 は 憲 法 の 改 定 を 目 指 し 複 数 党 による 国 家 統 治 を 目 指 そうとした が 政 党 側 がそれを 許 さずネ ウィンは 大 統 領 から 退 くことになる その 後 すぐに 新 しい 大 統 領 が 選 出 されるも アウンサンスーチーなどを 代 表 とする 反 政 府 デモンスト レーションの 全 国 的 な 拡 大 によって23 日 しか 持 たない 短 命 な 政 権 となった その 後 選 挙 が 実 施 されるものの 1988 年 9 月 18 日 軍 事 政 権 側 は 新 たにSLORC(Law and Order Restiration Council)を 設 立 形 を 変 えた 軍 による 体 制 維 持 が 再 度 図 られ た その 後 SLORCによる 統 治 は 続 けられ 2007 年 2003 年 から 大 統 領 を 務 めてい たソー ウィン 大 統 領 が 死 去 したことに 伴 い テイン セインが 大 統 領 に 就 任 すると 2008 年 新 憲 法 案 についての 国 民 投 票 が 実 施 され 民 主 化 の 動 きが 加 速 することにな った 2010 年 には 新 憲 法 に 基 づく 総 選 挙 が 実 施 され 民 主 化 運 動 の 代 表 格 とされたア ウンサンスーチーも 自 宅 軟 禁 を 解 除 され 政 治 的 活 動 を 再 開 した 2012 年 にはEU 2013 年 にはアメリカが 相 次 いで 経 済 制 裁 を 解 除 するなど 民 主 化 運 動 の 流 れを 後 押 し する 流 れも 形 成 されつつある しかしながら 国 内 的 にこのアウンサンスーチー 氏 をア イコンとする 民 主 化 運 動 が100%の 支 持 を 受 け 進 んでいるとはいいがたい これま で 見 てきたように ミャンマーにおける 少 数 民 族 問 題 はその 人 口 構 成 上 の 問 題 点 彼 らの 持 つ 軍 事 的 なプレゼンスなどから 政 治 的 に 大 きな 重 要 性 を 持 つイシューとなっ ている 国 民 の3 分 の1を 占 め 文 化 宗 教 言 語 慣 習 といった 面 でビルマ 人 と 大 きな 差 異 を 持 つ 少 数 民 族 からのサポートを 得 られなければ 国 民 的 な 民 主 化 運 動 のさら なる 高 まりは 期 待 できない しかし 現 状 として 少 数 民 族 側 はそれぞれに 固 有 の 土 地 を 持 ち 定 住 していることもあり 連 邦 制 に 似 た それぞれが 自 治 を 認 められた 政 治 シス テムの 成 立 を 希 望 している たとえば に 現 在 も 内 戦 の 停 戦 が 行 われていないカチン 族 の 活 動 家 によれば 連 邦 制 を 支 持 していないどのグループ そして 2008 年 憲 法 を ベースとしてシステムを 構 築 しようとするグループそのすべてに 民 主 化 派 や 軍 事 政 権 派 などの 差 はなく 我 々はそのようなグループはいかなる 可 能 性 があっても 支 持 でき ない と 英 ガーディアンの 記 事 で 伝 えられているように vii 現 状 は 楽 観 視 できるもので はないといえる
第 2 章 交 渉 理 論 を 用 いた 分 析 本 章 ではミャンマーにおけるこれからの 政 治 制 度 がどのようなものになってゆくのか 交 渉 理 論 を 用 いて 分 析 を 行 い どのような 要 因 がミャンマーの 政 治 制 度 の 確 立 に 対 して 影 響 を 与 えうるのか 分 析 を 行 いたい プレイヤーとゲーム 実 施 条 件 の 設 定 第 一 章 で 確 認 したように ミャンマーはイギリスによる 植 民 地 支 配 日 本 による 統 治 を 経 て 第 二 次 大 戦 後 は 主 に 軍 事 政 権 による 支 配 が 行 われてきた それに 対 し 特 に19 80 年 以 降 民 主 化 勢 力 のプレゼンスが 上 昇 してくるとともに イギリス 統 治 時 代 から 続 く 少 数 民 族 問 題 も 表 面 化 しており 現 在 も 停 戦 協 定 が 続 けられている 状 況 を 確 認 した そのような 状 況 からミャンマー 国 内 には 主 に3つのアクターが 存 在 することを 仮 定 す る 第 一 に 統 治 を 続 けてきた 政 府 = 軍 事 政 権 勢 力 第 二 に 近 年 拡 大 を 続 ける 民 主 化 勢 力 そして 第 三 にビルマ 人 ではない 人 口 の3 分 の1を 占 めるとされる 少 数 民 族 勢 力 であ る さらにここでは 人 種 によってこの3つの 勢 力 を 二 つの 勢 力 に 分 類 する つまりビル マ 人 と 少 数 民 族 の 二 つのグループである 軍 事 政 権 民 主 化 グループともにトップはビ ルマ 人 が 占 めており 実 質 的 にビルマ 人 内 での 権 力 闘 争 が 軍 事 民 主 グループとして 表 面 化 したものと 捉 えることができる それを 示 すように 新 政 府 樹 立 後 少 数 民 族 グルー プは 少 数 民 族 武 装 勢 力 各 派 を 合 体 した 軍 の 設 立 を 行 うなどして 新 政 府 つまりビ ルマ 人 勢 力 から 自 身 の 安 全 と 権 利 を 守 る 手 段 を 講 じている viii 以 上 のようなことからミ ャンマーにはビルマ 人 グループ 内 で 軍 事 政 権 側 と 民 主 化 側 に 分 かれた 二 つのグループ が 抗 争 を 行 っている 部 分 と 少 数 民 族 によって 構 成 され 連 邦 制 による 民 族 自 立 や 独 自 言 語 や 宗 教 教 育 の 尊 重 などビルマ 人 グループとは 異 なった 彼 らの 独 自 の 利 益 を 主 張 する グループの3つが 存 在 していると 考 えることができる そのため 国 内 的 な 政 治 制 度 はこれら3つのアクターの 戦 略 によって 決 定 されるもの であるとここでは 考 えることにしたい まずはビルマ 人 グループ 内 での 均 衡 点 はどのよ うなところにあるのか 確 認 する
<ミャンマーにおける 政 治 勢 力 バランス> <ビルマ 人 > < 少 数 民 族 > 民 主 化 勢 力 VS 政 府 軍 事 政 権 勢 力 VS 少 数 民 族 勢 力 プレイヤーAを 民 主 化 推 進 グループ プレイヤーBを 政 権 側 グループとする 繰 り 返 しゲ ームを 考 える ω a,ω b プレイヤーA,Bそれぞれのフォールバックポジション ρ 時 間 選 好 率 β 合 意 後 の 利 得 α 交 渉 で 得 られる 利 得 ε a ε b Bが 妥 協 するであろうというAの 予 想 確 率 Aが 妥 協 するであろうというBの 予 想 確 率 と 文 字 を 定 義 すると 利 得 表 は 以 下 のようになる
推 進 プレイヤーB 妥 協 推 進 ω a /ρ,ω b /ρ ι a +(1-ρ)ω a /ρ, (1-ρ)ω b /ρ プレイヤーA 妥 協 (1-ρ)ω a /ρ,ι b +(1-ρ)ω b /ρ βα/ρ,β(1-α)/ρ このとき 両 プレイヤーが 妥 協 の 戦 略 をとることがナッシュ 均 衡 であると 仮 定 すれ ば 以 下 の 条 件 が 成 立 する 1)βα>ι a +(1-ρ)ω a /ρ かつ 2)β(1-α)/ρ>ι b+(1-ρ)ω b/ρ となりAが 妥 協 したときの 期 待 利 得 を 求 めると Πa C =ε a βα/ρ+(1-ε a ){(1-ρ) ω a /ρ} Aが 推 進 したときの 期 待 利 得 は Π a P =ε a {ι a +(1-ρ)ω a /ρ}+(1-ε a ) ω a /ρ となりここでεa は 臨 界 点 であり たとえばεa>εa であればAは 妥 協 することを 選 択 することを 意 味 する 同 様 にしてεb>εb であるときにはBも 妥 協 することを 選 択 する つまりεa>εa とεb>εb が 同 時 に 達 成 されるとき 両 プレイヤーは 妥 協 を 選 択 する これをまとめると 図 としてまとめると 以 下 のように 示 される
βα/ρ ι a +(1-ρ)ω a /ρ ω a /ρ (1-ρ)ω a /ρ 0 εa 1 この 時 計 算 すると εa =ρω a /(βα-ρι a -ω a +2ρω a ) となる 現 在 のミャンマーの 状 況 を 考 えると 政 権 側 は 議 会 の4 分 の1は 軍 出 身 者 で なければならないなどとする2008 年 憲 法 を 保 持 している 一 方 2012 年 には 民 軍 事 的 なものと 民 主 的 なものの 妥 協 の 産 物 であることがわかる 一 方 アウンサンスー チーを 代 表 とする 民 主 化 運 動 サイドも2008 年 憲 法 をあからさまに 批 判 しないなど の 妥 協 策 をとっており 政 権 民 主 化 両 サイドが 双 方 の 主 張 を 尊 重 しつつ 均 衡 点 を 探 ろうとする 動 きが 読 み 取 れる つまり 現 在 は 利 得 表 で 言 う 政 権 民 主 双 方 が 妥 協 の 戦 略 で 均 衡 していると 考 えられる ここではさらに 一 歩 進 んで 妥 協 が 両 者 の 戦 略 として 選 択 されたとき それがどの ような 条 件 下 においてサステイナブルな 戦 略 となりうるのか 考 えてみる 上 で 述 べた ように この 妥 協 の 合 意 条 件 がナッシュ 均 衡 として 選 択 されるためにはεa より も 現 実 のεa の 値 が 大 きくなければならない(Bに 関 しても 同 様 )ため 現 在 保 たれて いる 妥 協 で 均 衡 する 状 態 をよりサステイナブルにするためには 以 下 に 示 されるR が 最 大 になる 点 (つまりεa, εb の 値 がそれぞれ 限 りなく 低 くなるとき)αOPT が 均 衡 点 として 維 持 されるための 最 適 点 となる
εa εb R 計 算 すると 0 α OPT 1 αopt={ρ(ω b ε a- ω a ε b )+ ω a β}/(ω a +ω b )β となる 以 上 のことからβが 増 加 すればするほど(εa の 低 下 を 意 味 することから) 妥 協 選 択 の 実 現 可 能 領 域 は 増 加 し その 選 択 の 強 固 度 もより 強 いといえる またωやι ρの 増 加 は 逆 の 効 果 をもたらすこともわかる 以 上 ではビルマ 人 の 中 における 軍 事 政 権 グループと 民 主 化 グループの 交 渉 について 分 析 を 行 った ミャンマーには 前 に 述 べた 仮 説 の 通 り ビルマ 人 グループ 以 外 に 少 数 民 族 もアクターの 重 要 な 要 素 の 一 つであると 考 えるため 次 はビルマ 人 と 少 数 民 族 の 交 渉 問 題 についてさらに 分 析 を 行 う 先 ほどと 同 じ 利 得 表 を 考 えるときプレイヤーAをビルマ 人 グループ プレイヤーB を 少 数 民 族 として 同 様 に 分 析 を 行 う 両 者 がそれぞれの 主 張 を 推 進 させることが 均 衡 点 だとすれば ビルマ 人 グループと 少 数 民 族 グループの 間 にこれまでもみられたよう な 交 戦 状 態 つまり 内 戦 に 近 い 状 態 が 国 家 の 総 体 として 考 えられる また 一 方 が 妥 協 し 一 方 が 推 進 する 戦 略 が 均 衡 点 だとすれば どちらか 一 方 のプレイヤーが 相 手 プレ イヤーを 抑 圧 しつつ 国 家 統 治 を 行 っている 状 態 が 考 えられる また 最 後 に 両 者 が 妥 協
を 選 択 した 際 に 考 えられる 国 家 統 治 としては 両 者 が 互 いの 利 益 を 尊 重 しつつ 併 存 す る 状 態 が 考 えられる プレイヤーB ( 少 数 民 族 ) 推 進 妥 協 推 進 民 族 の 分 裂 内 戦 どちらか 一 方 による 抑 圧 プレイヤーA (ビルマ 人 ) 妥 協 どちらか 一 方 による 抑 圧 互 いを 尊 重 した 並 存 第 一 章 で 確 認 したような 民 主 的 な 国 家 を 目 指 すのであれば ナッシュ 均 衡 は 互 いに 妥 協 を 選 択 する 戦 略 になる つまりこれまでの 分 析 で 確 認 したことがこのビルマ 人 と 少 数 民 族 の 問 題 にも 適 用 することができる
第 3 章 結 論 と 政 策 へのインプリケーション 本 章 ではこれまでの 分 析 で 明 らかになったことをまとめるとともに そこから 考 えう る 政 策 へのインプリケーションについて 述 べる 第 一 章 を 通 してミャンマーの 問 題 を 考 えるうえで 重 要 なこととしてはビルマ 人 にお おける 伝 統 的 にパワーを 維 持 してきた 軍 事 勢 力 近 年 台 頭 を 見 せている 民 主 化 勢 力 のパ ワーバランスを 分 析 すること そして135におよぶとされる 少 数 民 族 とビルマ 人 との パワーバランスを 分 析 することが ミャンマーの 国 家 としての 姿 を 考 えるうえで 非 常 に 重 要 だということがわかった まず ビルマ 人 同 士 での 権 力 闘 争 が 続 く 限 り 少 数 民 族 との 交 渉 にまで 発 展 できず 国 家 としては 混 乱 が 続 く まずはビルマ 人 の 中 で 均 衡 点 を 見 つけ そこで 交 渉 をまとめることが 重 要 であった そしてそのうえで 民 族 間 の 交 渉 を 行 い 国 家 としての 均 衡 点 (ありうべき 統 治 システム)を 見 出 すことが 必 要 であるこ とが 分 かった さらに 第 二 章 の 分 析 から 現 在 みられる 軍 事 政 府 民 主 化 グループのとっている 妥 協 妥 協 の 戦 略 がナッシュ 均 衡 であり 続 けるためにはまずαが 限 りなくαOPT へ 近 づく 事 そしてさらにε βの 値 を 上 昇 させ ω,ι,ρの 値 を 小 さくすることが 必 要 であること がわかった これは 具 体 的 に 述 べれば 指 導 者 などトップレベルでの 信 頼 度 を 高 めるよ うな 外 交 的 努 力 を 両 者 が 重 ねる 事 そして 両 者 が 合 意 後 の 経 済 状 況 の 改 善 が 見 込 まれる 状 況 になること( 諸 外 国 がODAの 増 加 を 約 束 する ミャンマーへの 投 資 を 促 進 するこ とを 確 約 することなど)がおこなれることが 重 要 であることを 意 味 する 一 方 で 互 いの フォールバックポジションを 限 りなく 小 さくするような 経 済 制 裁 武 器 輸 出 や 輸 入 の 規 制 などが 必 要 なこと 意 思 決 定 者 への 資 金 提 供 によって 戦 略 を 変 えさせようとするカバ ートアクションを 阻 止 すること 指 導 者 層 が 自 らの 立 場 を 安 全 と 認 識 することが 出 来 る ような 外 交 努 力 を 払 うことが 必 要 であるということも 確 認 できた このような 施 策 を 行 うことによって ビルマ 人 の 中 における 紛 争 は 両 者 が 尊 重 しあうという 戦 略 に 落 ち 着 く ことが 可 能 となる 1960 年 代 にみられた 急 激 な 民 主 化 が 失 敗 に 終 わった 事 未 だに 少 数 民 族 を 中 心 として 多 くの 武 装 集 団 が 国 内 を 闊 歩 していることなどをかんがみても 妥 協 妥 協 を 軸 とするソフトランディングを 目 指 すべきであると 考 えられる またさらにビルマ 人 グループと 少 数 民 族 グループの 交 渉 についても 同 様 に αの 値 を 限 りなくα OPT へ 近 づける 事 両 者 の 理 解 と 信 頼 を 深 めることができるような 努 力 を 払 う こと 調 停 後 の 経 済 的 投 資 の 確 約 や 教 育 文 化 などへ 投 資 することなどを 確 約 すること が 有 益 だと 考 えられる 一 方 で 経 済 制 裁 や 北 部 で 見 られる 麻 薬 栽 培 への 規 制 などによ
って 既 得 利 益 を 限 りなく 低 下 させること 資 金 提 供 による 相 手 側 リーダー 買 収 などのカ バートアクションを 阻 止 すること 指 導 者 層 への 長 期 的 安 全 利 益 の 維 持 を 確 約 するこ となどが 有 効 といえる i 全 体 を 構 成 するうえで 参 考 にしたのがサミュエルボウルズ 進 化 と 制 度 のミクロ 経 済 学 (2013)そして 青 木 昌 彦 比 較 制 度 分 析 に 向 けて (2003)である ii 2008 年 の 政 府 公 式 データによれば 人 口 は 57,504,368 人 となっている iii 各 国 別 の 人 口 を 見 ると 2010 年 度 データであるが フィリピン:9344 万 人 タイ: 6640 万 人 マレーシア:2827 万 人 ベトナム:8904 万 人 カンボジア:1436 万 人 ラ オス:639 万 人 となっている iv David Steinberg Burma/Myanmar What everyone needs to know (2010) Introduction v オフィシャルデータが 1983 年 のものしか 発 見 できなかったため この 人 口 もそのデー タを 基 にしている バングラデシュがおよそ57 万 人 インドが42 万 人 中 国 が23 万 人 パキスタンが42 万 人 となっている ただし83 年 以 降 中 国 の 影 響 力 が 増 加 している 背 景 があるため 現 在 の 数 値 とはかい 離 がある 可 能 性 が 高 いと 考 えられる vi David Steinberg Burma/Myanmar What everyone needs to know (2010) P.29
vii http://www.theguardian.com/world/2013/feb/12/aung-san-suu-kyi-burma viii http://www.asiapress.org/apn/archives/2011/02/01111944.php