御 同 朋 の 社 会 をめざす 運 動 中 央 委 員 会 御 中 2016( 平 成 28) 年 1 月 22 日 福 岡 教 区 教 務 所 長 菊 池 慈 峰 御 同 朋 の 社 会 をめざす 運 動 ( 実 践 運 動 ) 推 進 についての 意 見 具 申 今 般 御 同 朋 の 社 会 をめざす 運 動 の 実 践 に 関 する 宗 則 第 十 二 条 第 一 項 第 五 号 により 下 記 の 事 項 を 意 見 具 申 いたします 記 1. 御 同 朋 の 社 会 をめざす 運 動 の 教 義 上 の 拠 りどころを 示 してください 御 同 朋 の 社 会 をめざす 運 動 も 2 期 4 年 を 終 えようとしています 基 幹 運 動 の 成 果 と 課 題 を 継 承 する として 始 められ 各 教 区 各 組 とも 戸 惑 いながらもそれぞれに 重 点 プ ロジェクトを 策 定 して 運 動 を 展 開 してきました しかし 御 同 朋 の 社 会 をめざす 運 動 という 運 動 展 開 の 教 義 上 の 拠 りどころが 明 らかで ないため ともすれば 運 動 が 拡 散 して 聴 聞 伝 道 を 本 旨 とする 宗 教 教 団 としての 運 動 の 態 をなしていないのではないでしょうか 基 幹 運 動 においては 部 落 差 別 や 戦 争 協 力 という 本 来 の 念 仏 教 団 から 逸 脱 した 教 団 の 現 実 を 問 い 直 し 真 の 同 朋 教 団 に 戻 ろうという 願 いに 立 って 教 義 を 学 びつつ 広 く 宗 門 外 にもみ 教 えを 伝 えてきたはずでした そこには 常 に 親 鸞 聖 人 の 開 かれた 浄 土 真 宗 の 本 義 を 確 かめるという 当 然 の 営 みを 以 て そこから 逸 脱 した 教 団 の 歴 史 と 教 学 をも 批 判 的 に 検 証 することが 可 能 でありました いうなれば 敗 戦 と 糾 弾 という 外 からの 力 によっ て 教 団 の 負 の 現 実 が 突 きつけられ それを 悲 泣 する 者 が 自 らの 課 題 として 自 発 的 に 展 開 し てきたのです その 運 動 の 積 み 重 ねにより 真 俗 二 諦 の 克 服 と 差 別 被 差 別 からの 解 放 という 命 題 がかろうじて 教 団 全 体 の 基 本 認 識 として 共 有 されてきたのでありましょう ところが 御 同 朋 の 社 会 をめざす 運 動 においては 基 幹 運 動 の 成 果 と 課 題 を 継 承 す るといわれながら それぞれの 現 場 からの 自 由 な 発 想 に 基 づく 運 動 展 開 がなされており そっとつながる ホッがつたわる という 言 葉 に 象 徴 されるように 単 なる 新 たな 縁 づく りのみが 強 調 されています しかし 縁 づくりの 前 提 となるべき 現 代 の 社 会 をどのように 捉 え 本 来 はどのようにあるべきかという 真 宗 の 教 えに 立 脚 した 社 会 観 は 提 示 されていません めざすべき 御 同 朋 の 社 会 が 明 らかではないのです 御 同 朋 の 社 会 をめざす 運 動 ( 実 践 運 動 ) 重 点 プロジェクトのさらなる 推 進 <2015( 平 成 27) 年 度 >について には 次 のようにあります 正 依 の 経 典 である 仏 説 無 量 寿 経 には 十 方 衆 生 と 示 されている あらゆる 世
界 に 生 きる すべてのいのちが 阿 弥 陀 如 来 のはたらきによって 救 われていくことが 釈 尊 のお 言 葉 として 経 典 の 上 に 示 されている 生 きとし 生 けるものをいつくしむ 大 慈 悲 が 阿 弥 陀 如 来 の 救 いのはたらきである 私 たちは この 救 いの 平 等 性 に 基 づき 差 別 の 現 実 に 向 き 合 い さらに 広 く 他 者 と 共 に 歩 み 悲 しみや 痛 みを 共 有 し 御 同 朋 の 社 会 をめざすのである このように 阿 弥 陀 如 来 の 大 悲 を 仰 ぎ 大 悲 のはたらきを 行 動 原 理 として 手 を 携 え 苦 悩 に 満 ちた 世 界 を 生 き 抜 いていくことは 仏 の 大 いなる 救 いに 包 まれている 私 たちが 歩 むべき 姿 であろう 私 たちが 取 り 組 む 実 践 運 動 は 自 他 を 超 える 救 いのはたらきに 包 まれた 私 たちが 自 らの 限 界 を 知 らされつつも 念 仏 しつつ 共 に 歩 むことによって 御 同 朋 の 社 会 をめざ し 恒 久 の 平 和 を 求 め 自 他 共 に 心 豊 かに 生 きることのできる 社 会 の 実 現 に 寄 与 して いこうとするものである ここで この 救 いの 平 等 性 に 基 づき( 中 略 ) 御 同 朋 の 社 会 をめざすのである といわ れていますが 阿 弥 陀 如 来 の 救 いの 平 等 性 を 直 ちにわれら 凡 夫 の 運 動 の 基 とすることがで きるのでしょうか また 大 悲 のはたらきを 行 動 原 理 として ともいわれていますが 如 来 の 大 悲 のはたら きを 無 媒 介 に 直 接 われら 凡 夫 の 行 動 原 理 にすることが 可 能 なのでしょうか そこには 二 種 深 信 としてある 信 心 が 言 外 に 前 提 とされているとも 読 み 取 れますが どのような 教 義 上 の 説 明 がなされるのでしょうか これらはすでに 基 幹 運 動 で 学 んできた 信 心 の 社 会 性 の 実 践 運 動 における 新 たな 表 現 とも 理 解 できるのですが 基 幹 運 動 におけるこの 教 学 課 題 をめぐる 成 果 を 継 承 して 展 開 さ れているのでしょうか 現 代 の 日 本 が 抱 える 新 安 保 法 制 原 発 再 稼 働 死 刑 制 度 歴 史 認 識 生 命 倫 理 人 権 問 題 等 々 山 積 する 具 体 的 な 課 題 に 対 して どのような 角 度 から 捉 えてどのように 解 決 し ていこうとするのか 本 願 に 生 きるものとしての 態 度 決 定 が 要 請 されています このことを 踏 まえ 福 岡 教 区 委 員 会 では 第 2 期 の 重 点 プロジェクトとして 運 動 の 拠 り どころをたしかめよう を 掲 げ 御 同 朋 の 社 会 をめざす 運 動 が 単 に 世 間 の 価 値 観 に 迎 合 する 運 動 に 陥 ることなく 現 代 の 念 仏 運 動 たる 根 拠 を 模 索 しています 総 局 におかれましてはこの 願 いに 応 えられ 御 同 朋 の 社 会 をめざす 運 動 がめざすべき 社 会 像 と 教 義 上 の 根 拠 をお 示 しくださるようお 願 いいたします 2. 平 和 に 関 する 論 点 整 理 ( 中 間 報 告 ) を 踏 まえた 本 願 寺 教 団 としての 具 体 的 な 取 り 組 み を 求 めます 2015( 平 成 27) 年 は 先 のアジア 太 平 洋 戦 争 の 敗 戦 から 70 年 という 節 目 を 迎 えて 新 聞 テレビ 出 版 あらゆるメディアが 戦 後 70 年 を 振 り 返 る 特 集 を 組 みました 先 の 大 戦 によっ て 日 本 の 軍 人 軍 属 230 万 人 民 間 人 80 万 人 アジア 全 域 では 2000 万 人 以 上 が 犠 牲 とな り かけがえのない 者 愛 する 者 を 奪 われた 苦 しみ 悲 しみは 70 年 という 時 を 経 ても 決 して
癒 されることはないことを 思 い 知 らされました 重 く 苦 しい 記 憶 の 殻 を 破 り 多 くの 戦 争 体 験 者 が 口 にしたのは 今 の 日 本 の 状 況 は 戦 前 に 似 ている 決 してあのような 過 ちを 繰 り 返 してはならないという 言 葉 でした 本 来 ならば 日 本 が 行 った 過 去 の 過 ちを 顧 みて 戦 争 の 犠 牲 となった 人 々に 心 静 かに 思 いを 馳 せなければならない 状 況 であったにもかかわらず 安 倍 晋 三 内 閣 は 多 くの 世 論 の 反 対 を 押 し 切 り 外 国 軍 隊 に 後 方 支 援 することを 可 能 とする 国 際 平 和 支 援 法 案 と 集 団 的 自 衛 権 行 使 容 認 による 自 衛 隊 の 活 動 範 囲 拡 大 武 器 使 用 権 限 拡 充 を 目 的 とした 10 の 法 律 の 改 悪 を 一 括 して 行 う 平 和 安 全 法 整 備 法 案 いわゆる 戦 争 法 案 を 十 分 な 説 明 と 丁 寧 な 審 議 を 尽 くすことなく 可 決 成 立 させました そのような 戦 後 70 年 を 振 り 返 るという 節 目 と 日 本 の 進 むべき 道 を 根 本 から 変 更 しよ うという 安 保 関 連 法 案 を 巡 る 論 議 という 混 沌 とした 状 況 のなかで 7 月 3 日 に 広 島 平 和 記 念 公 園 において 平 和 を 願 う 法 要 が 執 り 行 われ 大 谷 光 淳 門 主 が お 言 葉 を 述 べ られました また 8 月 10 日 には 石 上 総 長 による 戦 後 70 年 にあたって 非 戦 平 和 を 願 う 総 長 談 話 が 出 され その 談 話 で 明 言 されていた 平 和 に 関 する 論 点 整 理 の 中 間 報 告 が 宗 報 (2015 年 11 12 月 合 併 号 )に 掲 載 されました 福 岡 教 区 内 でも この 平 和 に 関 する 論 点 整 理 について 様 々な 意 見 を 聞 き 問 題 点 についても 話 し 合 いました まず 冒 頭 の 素 朴 な 問 い から 唐 突 に 隣 国 が 武 力 で 日 本 に 攻 撃 してきたら 自 衛 権 に 基 づいて 反 撃 しないのか? と 設 問 されていますが 隣 国 とはどこの 国 のことを 指 して 言 っているのでしょうか Ⅷ. 武 力 の 否 定 と 日 本 の 平 和 という 項 目 のなかで いたずらに 脅 威 を 煽 る 言 説 には 注 意 が 必 要 である と 述 べながら まさに 安 倍 晋 三 首 相 が 参 議 院 特 別 審 議 のなかで 名 指 しした 中 国 北 朝 鮮 の 仮 想 敵 国 視 脅 威 論 と 同 様 の 設 問 は 暴 論 でし かありません なぜ 何 の 前 提 もなく 突 然 隣 国 が 武 力 で 攻 撃 などということを 想 定 し なければならないのでしょうか もしそのような 状 況 に 陥 ったとするならば 国 際 社 会 の なかですでに 対 話 を 失 った 状 態 であり 完 全 なる 外 交 の 失 敗 でしかありません 参 考 資 料 のなかには 古 今 東 西 の 国 際 政 治 学 憲 法 学 平 和 学 関 連 の 著 書 が 挙 げられ 多 数 の 事 例 が 紹 介 されていますが 平 和 に 関 する 論 点 整 理 は 戦 争 になったら 仏 教 者 と してどう 応 えるのか 等 という あたかも 現 在 の 日 本 の 状 況 では 戦 争 も 止 むなしと 言 わんば かりの 極 論 で 問 いかけてきます 果 たしてこれが 非 戦 平 和 を 願 う 念 仏 者 としての 学 びの 土 台 として 今 本 当 に 必 要 とされていることなのでしょうか 我 々は 今 まさに 他 国 によっ て 自 国 の 利 益 が 脅 かされつつある だからこそ 軍 事 による 抑 止 力 が 必 要 なのだという 主 張 や これからは 一 国 平 和 主 義 では 国 際 社 会 の 中 で 認 められないのであって 世 界 の 平 和 を 生 み 出 すために 同 盟 国 と 協 力 し 必 要 なときは 紛 争 地 域 にも 軍 隊 を 派 遣 しなければならな い などという 考 え 方 は 自 ら 紛 争 の 火 種 を 拡 大 し 続 ける 大 国 の 論 理 でしかありませ ん 2015( 平 成 27) 年 11 月 フランスでイスラム 国 戦 闘 員 とみられる 者 たちによって 同 時 多 発 テロが 起 き 130 名 が 犠 牲 となった 事 件 は 世 界 中 が 震 撼 し 連 日 トップニュースで 報 じ られ 人 々は 祈 りや 黙 とうを 捧 げましたが 前 日 にレバノンの 首 都 ベイルートで 連 続 自 爆 テロによって 43 人 が 犠 牲 になったことや イラク シリアでは 米 軍 主 体 の 空 爆 が 8 千 回 以 上 行 われていること イラク 戦 争 開 始 から 現 在 までに 14~16 万 人 の 死 者 が 出 ていることに
対 して 多 くの 人 たちは 心 を 痛 めることなく 無 関 心 でいられることができるのは 何 故 で しょうか そこには 明 らかに 富 や 情 報 の 偏 在 とともに 命 の 格 差 や 文 明 に 対 する 優 劣 視 が 根 底 にあると 言 えます 私 たちはどれだけ 気 づき 得 ているでしょうか 今 も いし かはら つぶて のように 顧 みられることなく 簡 単 に 踏 みつけられ 奪 われていく 命 に 対 して 十 方 衆 生 よ と 呼 び かけられている 阿 弥 陀 如 来 の 本 願 が 働 いていることを そのうえで すべての 者 がつなが り 合 った 命 を 生 きる 存 在 であることに 目 覚 めた 私 たち 念 仏 者 は たとえどのような 論 理 を 突 き 付 けられたとしても かけがえのない 命 を 奪 うあらゆる 戦 争 を 拒 否 することを 根 本 に おいて 態 度 表 明 しなくてはなりません それこそが 世 をいとうしるし ということでは ないでしょうか また 平 和 に 関 する 論 点 整 理 には 戦 争 が 起 きる 背 景 や 構 造 過 去 の 歴 史 に 学 ぶ 視 点 が 決 定 的 に 欠 落 していると 言 わざるを 得 ません Ⅰ. 仏 教 の 考 え 方 やⅡ. 仏 教 の 説 く 平 和 の 項 目 にあるように 人 間 には 限 りない 欲 望 根 本 的 な 愚 かさがあり それが 自 他 の 対 立 を 生 む のであり 阿 弥 陀 如 来 の 智 慧 の 光 に 照 らされて この 欲 望 と 自 己 の 在 り 方 を 知 らされていくこと( 気 づき 自 覚 )が 念 仏 者 の 行 動 の 原 点 であることは 間 違 いありません しかし 私 たちの 教 団 は 宗 祖 親 鸞 聖 人 の 教 えを 捻 じ 曲 げて 侵 略 戦 争 に 積 極 的 に 加 担 し 多 くの 門 徒 僧 侶 を 鼓 舞 して 戦 地 に 赴 かせた 過 去 があります 釈 尊 の 教 戒 に 反 して 殺 してしまった 殺 させてしまった 他 の 人 々が 殺 害 するのを 容 認 してしまった のであり 武 器 を 持 つものに 対 して 戦 死 は 無 我 の 行 仏 の 慈 悲 に 適 う 菩 薩 行 である 人 の 命 を 取 るのではない 煩 悩 の 命 をとること であると 説 いた 教 団 の 歴 史 があるのです このような 過 去 を 不 問 に 付 したまま 戦 争 という 極 限 状 況 において 念 仏 者 が 取 るべき 道 は Ⅵ. 不 殺 生 か 利 他 か などと 安 易 に 問 いを 投 げかけるこ とに 対 しても 疑 念 を 感 じずにはいられません なぜ 非 戦 平 和 を 願 う 本 願 寺 教 団 が このような 過 ちを 犯 してしまったのかが 問 われてい るのがⅨ.にあげられている 真 俗 二 諦 ( 論 ) の 問 題 です 近 代 の 本 願 寺 教 団 は 新 たに 誕 生 した 体 制 に 順 応 するために それまでの 教 学 路 線 を 基 盤 としながらも さらにそこから 大 きく 踏 み 出 す 新 たな 教 学 の 枠 組 みを 打 ち 出 しました それが その 後 の 本 願 寺 教 団 のありようを 根 底 から 規 定 することとなった 真 俗 二 諦 で す 真 俗 二 諦 とは 真 と 俗 すなわち 宗 教 的 世 界 と 世 俗 の 世 界 とに それぞれ 別 の 諦 つまり 真 実 があるということです そこでは 真 宗 の 教 えが 死 後 の 往 生 浄 土 とそれを 保 障 するための 信 心 の 獲 得 のみに 集 約 されて 真 諦 として 説 かれ 同 時 に 真 宗 の 教 えとは 全 く 別 の 領 域 のこととして この 世 における 世 俗 の 支 配 秩 序 が 真 諦 と 並 立 する もう 一 つの 真 実 = 俗 諦 として 語 られていきました 真 俗 二 諦 のもとでは 真 宗 を 信 じる ことと この 世 をどう 生 きるかということが 全 く 切 り 離 されてしまいます Ⅸ.には 真 諦 と 分 離 させ 世 俗 の 論 理 を 無 条 件 にそのまま 受 容 するダブルスタンダード と 説 明 され ていますが そもそも 世 俗 の 論 理 を 無 条 件 に 受 容 しながら もう 一 方 で 信 心 獲 得 して 死 後 往 生 浄 土 が 成 立 する 真 諦 など 真 如 = 真 実 とは 言 えません 浄 土 真 宗 にもとづいて 生 きることを 不 可 能 にしていくもの それが 真 俗 二 諦 であったのです 戦 前 戦 中 戦 後 も 一 貫 して 本 願 寺 教 団 のありようは 真 俗 二 諦 を 基 盤 とし そこ
から 一 歩 も 出 るものではありませんでした たとえば 国 家 がその 総 力 を 挙 げて 戦 争 を 遂 行 しようとすれば 教 団 はそれを 世 俗 の 真 実 として 全 力 で 戦 時 奉 公 に 邁 進 し 敗 戦 直 後 からも 平 和 日 本 建 設 のために 国 法 を 本 とし 仁 義 を 先 とすべきよし 懇 ろに 教 えをうけ し 一 宗 の 門 葉 承 詔 必 謹 の 下 国 体 を 護 持 し 奉 り 信 義 を 篤 くし 敬 愛 を 旨 とし 挙 国 一 家 の 喜 を 共 にし 万 邦 講 和 の 実 を 挙 げ るべく 己 が 本 分 を 全 うするようつとめよと 消 息 で 述 べま した (1945( 昭 和 20) 年 9 月 28 日 ) 1995( 平 成 7) 年 に 大 谷 光 真 門 主 ( 当 時 )が 終 戦 五 十 周 年 全 戦 没 者 総 追 悼 法 要 ご 親 教 の 中 で 戦 争 責 任 を 表 明 したのを 機 に 戦 後 問 題 検 討 委 員 会 が 設 置 され 処 理 方 法 を 検 討 し 2004( 平 成 16) 年 に 発 布 した 宗 令 宗 告 で 15 年 戦 争 中 (1931~1945 年 )の 戦 争 協 力 に 関 する 消 息 や 通 達 を 事 実 上 失 効 させました さらに この 宗 令 との 整 合 性 をとるため 2007( 平 成 19) 年 には 宗 制 を 改 正 し 戦 争 協 力 を 呼 びかけた 前 門 主 ( 当 時 )の 消 息 を 無 効 としました これをもって 本 願 寺 派 は 戦 争 責 任 を 完 全 に 清 算 したと 当 時 の 各 新 聞 にも 報 道 され ましたが 果 たして 本 当 に 清 算 されたといえるのでしょうか 真 俗 二 諦 の 問 題 の 本 質 はⅨ.に 述 べられているような 本 来 の 正 しい 意 味 を 理 解 するこ とでも 用 語 の 使 用 に 気 を 配 ることでもありません 先 述 したように 教 団 の 犯 してきた 過 ちという 歴 史 的 事 実 に 鑑 みても その 教 えの 基 盤 であった 真 俗 二 諦 は 今 もって 清 算 される べき 最 重 要 課 題 です 平 和 に 関 する 論 点 整 理 が 発 表 された 背 景 には 最 悪 な 状 況 を 想 定 した 時 日 本 がこ れから 新 たな 戦 争 の 時 代 に 入 っていくのではないかという 危 機 感 から 起 こされたものだと 理 解 しています しかし 過 去 の 歴 史 に 向 き 合 い 差 別 や 戦 争 の 問 題 を 克 服 していこうと することの 出 来 ない 教 学 理 解 に 安 住 したままでは また 新 たな 戦 争 の 時 代 に 即 応 した 真 俗 二 諦 の 論 理 が 生 み 出 されないと 誰 が 保 証 できるでしょうか 安 倍 首 相 の 戦 後 70 年 談 話 のなかで 日 本 では 戦 後 生 まれの 世 代 が 今 や 人 口 の 八 割 を 超 えています あの 戦 争 には 何 ら 関 わりのない 私 たちの 子 や 孫 そしてその 先 の 世 代 の 子 どもたちに 謝 罪 を 続 ける 宿 命 を 背 負 わせてはなりません と 述 べました この 言 葉 は 僧 侶 研 修 会 で ある 若 手 僧 侶 の 過 去 に 差 別 していた 教 団 や 僧 侶 の 罪 を なぜ 今 私 たち が 問 われなければならないのか という 発 言 が 思 い 起 こされたことでした なぜ 過 去 の 人 たちの 罪 を 今 は 差 別 などしていない(はずの) 私 が 担 わなければならないのかという 問 いです この 発 言 者 の 差 別 の 現 実 に 対 する 認 識 の 甘 さを 指 摘 しなければならないことはも ちろんですが このように かつての 基 幹 運 動 推 進 僧 侶 研 修 会 で その 都 度 確 認 されてい た 差 別 法 名 過 去 帳 調 査 から 僧 侶 研 修 会 に 至 る 経 緯 などの 学 びの 場 を 失 った 現 在 教 団 の 差 別 と 戦 争 協 力 の 歴 史 的 過 去 そのものを 知 らない 次 代 を 担 う 新 たな 僧 侶 が 誕 生 し 続 けてい る 現 状 に 対 して 御 同 朋 の 社 会 をめざす 運 動 では 具 体 的 に 如 何 なる 対 応 をしていくのか が 明 示 されていません 戦 後 70 年 にあたって 非 戦 平 和 を 願 う 総 長 談 話 には 私 たち 浄 土 真 宗 本 願 寺 派 でも 先 の 戦 争 の 遂 行 に 協 力 した 慚 愧 すべき 歴 史 の 事 実 から 目 をそらすことなく 念 仏 者 がどの ように 恒 久 平 和 に 貢 献 しうるかにについて 研 究 を 重 ねてきました と 述 べられています
慚 はみづから 罪 を 作 らず 愧 は 他 を 教 へてなさしめず 慚 は 内 にみづから 羞 恥 す 愧 は 発 露 して 人 に 向 かふ 慚 は 人 に 羞 づ 愧 は 天 に 羞 づ これを 慚 愧 と 名 づく 教 行 信 証 信 文 類 慚 愧 とは 言 うまでもなくただ 自 らの 恥 ずべき 行 為 を 認 め 謝 罪 することだけではなく 自 らが 決 して 再 び 同 じ 過 ちを 繰 り 返 さないことと 同 時 に 縁 ある 他 者 に 対 しても 自 らの 過 ちを 教 え 伝 えて そのような 過 ちを 起 させないことであると 領 解 します そして つね にそこに 立 ち 帰 り 続 けることだけが 私 たちの 子 や 孫 そしてその 先 の 世 代 の 念 仏 者 た ちが 教 団 の 犯 してきた 過 去 の 過 ちという 業 を 自 ら 主 体 的 に 担 い 続 け 宗 祖 親 鸞 聖 人 が 願 われた 御 同 朋 の 社 会 を 目 指 して 未 来 へ 向 かい 歩 み 続 けることができる 道 ではな いでしょうか 今 般 出 された 平 和 に 関 する 論 点 整 理 は 宗 派 としての 最 終 的 な 見 解 を 示 したもので はないと 記 されていますが これからの 平 和 に 関 する 論 点 整 理 討 議 について 戦 争 協 力 してきた 教 団 の 歴 史 を 振 り 返 り その 教 えの 基 盤 となった 真 俗 二 諦 ( 論 ) の 清 算 に 向 けた 取 り 組 みをしていただくことをお 願 いいたします そして これからも 戦 争 責 任 を 担 いつづけ 再 び 戦 争 への 道 を 開 かせることを 許 さない 本 願 寺 教 団 としての 態 度 表 明 として 今 まさに 政 府 与 党 が 目 指 そうとしている 自 民 党 の 新 憲 法 草 案 に 基 づく 憲 法 改 定 やその 中 に 新 たに 盛 り 込 もうとしている 有 事 の 際 に 総 理 大 臣 の 権 限 で 憲 法 を 一 時 停 止 す ることができるという 緊 急 事 態 条 項 の 規 定 共 謀 罪 の 新 設 など 国 民 の 基 本 的 人 権 思 想 信 教 の 自 由 を 著 しく 制 限 する 法 律 や 国 民 主 権 ではなく 国 家 主 権 に 重 きを 置 い た 新 憲 法 制 定 に 対 して これらの 内 容 問 題 点 を 精 査 し いのちの 尊 厳 性 を 何 よりも 尊 ぶ 教 団 として 明 確 な 反 対 の 意 思 を 表 明 してくださるよう 意 見 具 申 いたします 以 上