生物工学88-10

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超臨界流体クロマトグラフィーを用いた香料化合物の光学異性体分離 矢口 善博 我々の生活の中には多くの香りがあふれている. 果実, 生花のみずみずしい香り, シャンプーやオーデコロンの華やかな香り, 焼き菓子の甘くて香ばしいにおい. これらのにおいは人間が嗅覚で感じ取っているが, その本体は香質や香気強度の異なる数百にもおよぶ化合物がそれぞれに異なる比率で混合された状態である. 香気を構成するそれぞれの化合物の多くは分子量 300 程度までの比較的小さな揮発性の分子である. これらの香気成分の中には, 構造中に不斉中心を有するキラル化合物が数多く存在する. これまでにキラル化合物のエナンチオマー間で香気 香質の面で差異が見られることが多数報告されており 1), 香料のキラルサイエンスはひとつの研究分野として認識されている. 超臨界流体クロマトグラフィー (SFC) はHPLCに比較し効率的に光学分割が可能であるが, その応用例は芳香環を有する医薬系化合物がほとんどであった. 今回著者らはキラルな固定相を利用した SFC を用い, 不斉合成手法などでは入手困難な香料化合物の光学活性体を得るべく検討したので報告する 2). 香料 ( 香気成分 ) の一般的性質においと化学構造香気成分物質は主に炭素, 水素, 酸素, 窒素, 硫黄原子から構成され, 分子量 300 程度までが一般的である. しかしながら, このような組み合わせであればすべての化合物でにおいを発するかというとそうでもない. まったく無臭のものもあれば, 空気中数 ppb 程度の濃度でそのにおいを感ずる化合物もある. 一般的には炭素数 10 前後で香気強度が最大となり, 構造中に二重結合を有すると, その飽和体と比べ香気強度が強くなる傾向がある. また, 窒素, 硫黄などヘテロ原子を含有すると香気強度, 香質とも大きく変化する. 分子の立体的な構造に関しても二重結合のシス, トランスの異性体間およびジアステレオマー間はもとより一般的なクロマト分析では区別できないエナンチオマー間においても香質 強度とも異なるものが存在する. たとえば, ミ 図 1. 香気化合物のエナンチオマーントガムなどに含まれる menthol の場合, そのほとんどが ( )- 体である.( )-mentholは清涼感とミント感が強いが,(+)- 体やラセミ体を使用すると冷感が損なわれ, カビ臭やフェノール臭を呈する 3). また,wine lactoneにおいては天然型である ( )- 体は非天然型である (+)- 体に比べ 1 億倍もの香気閾値の違いがあると報告 4) されている ( 図 1). 天然物中のキラル分析例食品や飲料向けの香料を調合する際には, 天然界の素晴らしい嗜好性の高い香りをより忠実に再現することが求められる. 上述したように, エナンチオマー間で香質が異なることがあることから, 天然物香気成分中のキラル化合物のエナンチオマー存在比を分析することは調合上たいへん重要な情報である. 分析の結果, 一方のエナンチオマーが非常に有用であることがわかったとしても, 光学活性な香料素材として流通していないこともある. その際には自社で素材開発する場合もある. 表 1および図 2に生果の香気成分中の特徴的なキラル化合物のエナンチオマー過剰率を示す 5). 一方のエナンチオマーに偏っているものがあり, 香質に影響を与えている. OH 著者紹介 高砂香料工業 ( 株 ) 研究開発本部分析技術研究所 ( 主管 ) E-mail: yoshihiro_yaguchi@takasago.com 520 生物工学第 88 巻

超臨界流体テクノロジー 表 1. 生果香気成分中のエナンチオマー比 Fruit Compound Enantiomeric ratio Raspberry α-ionone ( ): >99% ee Blueberry Ethyl 2-methylbutanoate (+): 89% ee White peach γ-decalactone (+): 82% ee Passion fruit Theaspiran A (+): 66% ee 図 3. メントール不斉合成 図 2. 天然物香気中にみられるキラル化合物 香気成分の光学分割光学活性体調達方法キラル化合物の光学活性体を得るためにはいくつかの手段があり, 取り扱う試料のスケールや得られた光学活性体の用途, 調達手段の容易性により使い分けられる. 光学活性体を直接得る方法として,1) 天然ソースからの単離精製,2) 不斉合成がある. たとえば前述した menthol においては市場のニーズのほとんどが ( )- 体である.( )-mentholは天然ペパーミントオイルの主成分で, 高度に精製されたものが市場に流通している. 一方, 不斉合成された ( )-mentholも流通している. たとえば弊社ではアキラルな myrcene を原料に diethylgeranylamine へ誘導した後, 光学活性 BINAP 触媒を用いて不斉異性化させ,(+)-citronellal を得ている. その後, 閉環, 水素化を経て, 光学活性 ( )-mentholを製造 6) している ( 図 3). 一方, ラセミ体を得たのちに光学分割する方法として, 3) 酵素を用いた光学分割,4) クロマトグラフィーを用いた光学分割が知られている. 原田らは光学活性テアスピランを得る方法として, 酵素を用いた光学分割を行っている ( 図 4). すなわち,β-iononeより誘導されるホモアリルアルコールに対し, 酵素としてリパーゼ存在下エステル化を行うとエナンチオ選択的に反応が進行し,R 体のエステルおよび S 体のアルコールを得ている.(R)- 図 4. 酵素による光学分割を用いたテアスピラン合成エステルを加水分解したのち, 酸処理することにより (2R)-theaspiran を得ており,(S)- アルコールを直接酸処理することにより (2S)-theaspiranを得ている 7). クロマトグラフィーを用いた光学分割では, ガスクロマトグラフィー (GC), 高速液体クロマトグラフィー (HPLC) に光学活性なキラル固定相を有する分離カラムを用いてエナンチオマーを分離する. すでにラセミ体が得られている場合には分離条件を検討するだけでよいので, 不斉合成などに比べ簡便である. 工業的な生産を目的とするには規模の面で困難がある. 光学活性体の効果をスクリーニングするような少量を迅速に得たい場合に有効である. GC では主にシクロデキストリンの誘導体がキラル固定相として用いられ,HPLC ではセルロース, アミロースといった多糖類の誘導体や, アミノ酸, 光学活性アミンなどが固定相として用いられる.GC, HPLCどちらも多種のキラル固定相を有するカラムが販売されており, 目的成分の分離を達成するため, カラムスクリーニングは必須の作業となっている.GC での光学分割はその試料負荷量の点から主に分析目的であるのに対し,HPLC では分析のみならず分取目的にも対応可能である. さて, 今回著者が検討したSFCであるが,HPLCと比 2010 年第 10 号 521

較しいくつかの特徴 利点がある. 第一にカラム線速度を速くしても, 分離が損なわれないことにある. すなわち,1 回の分析時間を短くすることが可能である. 次いで,SFC では液化炭酸ガスを溶離液とするため, 一般的なHPLCの溶離液である有機溶媒に比べ安価である. 分析時間が短いこともあいまって, 廃棄の際の環境負荷も削減できる. 著者が検討しているような香料化合物類は沸点が低いものが多く, 溶媒留去時に分取物も同時に留去されることがある. その点,SFC で分取する際には, 常圧下で液化炭酸ガスが気化するため, エントレーナーおよび分取管を洗浄するリンス液と呼ばれる少量の有機溶媒のみを留去すればよい. そのため, 分取物のロスや分取物への熱履歴の点から大変有利である. 今回いくつかの特徴的な構造を有する香料化合物のラセミ体をセミ分取スケールのSFCにて光学分割の検討を行ったので以下に述べる. 三級アリルアルコールの光学分割花や果実の香気などに含まれる linalool や nerolidol は三級アリルアルコール部位に不斉点を有するキラルな化合物である ( 図 5). 天然物中に含まれるこれらの成分はエナンチオマー比に偏りが見られることがある. これら化合物は合成香料として流通しているが, 工業的な不斉合成手法や酵素分割手法が確立していないことからラセミ体で流通している. そのため高純度の光学活性体を得て, 香質を認識し調合試作などを行うことは大変重要である. まず, 合成ラセミ体の linalool を用いて HPLC と SFC での分離の比較を行った. カラムはどちらもセミ分取スケールの CHIRALPAK IA (Daicel: 250 20 mm) を用い, ラセミ体試料 20 mgを負荷した. 溶離液としてHPLCはhexane/ 2-propanol,SFC ではCO 2 / 2-propanol を使用した. 流速はどちらも31.2 ml/minとした. その結果, 図 6に示すようにHPLCの分析時間は15 分,SFCでは6 分であった. この際に使用した有機溶媒は HPLC で約 500 ml, 一方 SFCでは2-propanolとリンス液である酢酸エチルを併せて10 mlであった. このようにlinaloolの分取においては SFC を用いることにより大幅に時間短縮, 省溶媒となることが確認できた. 続いて,E, Z 混合物の nerolidol および (E, E)-geranyllinaloolについてSFCでの分離検討を行った. どちらも試料負荷量は20 mgである ( 図 7). いずれも10 分以内で非常によい分離が得られた. ただ 図 5. 三級アリルアルコール類 図 6.Linalool の光学分割比較 図 7. 三級アリルアルコール光学分割. 上段,linalool; 中段, nerolidol; 下段,(E, E)-geranyl-linalool. 522 生物工学第 88 巻

超臨界流体テクノロジー し,nerolidol においては Z 体の分離は不十分であった. イソプレンユニットの数に関わらず, キラル固定相の不斉認識は同一で, いずれも (S)-(+)- 体が先に溶出した. 置換位置の異なる三級アルコールの光学分割続いて, 置換位置の異なる三級アルコール部位を有するテルペンアルコールの分離検討を行った. 図 8 に示すように terpinen-4-ol と α-terpineol は p- menth-1-en の炭素骨格にそれぞれ水酸基が 4 位と 8 位に存在し, いずれも 4 位が不斉点となっている. 今回用いた試料はどちらも天然物由来であり, エナンチオマー比が3:1 程度 (50% ee) である. 試料負荷量はterpinen- 4-olが10 mg,α-terpineolが3 mgである. 分離検討の結果,terpinen-4-olの分離が良好であった( 図 9). 不斉点に存在する水酸基が, キラル固定相とのより強い相互作用をもたらしていると推察される. 立体的に込み合った不斉点を有するケトン類の光学分割図 10 に示す α-damascone はバラの花や紅茶の香気成分のひとつとして知られている. フローラル, フルーティな香質と低いにおい閾値から調合上において大変重図 8. テルペンアルコール 図 10.α-Damascone 図 11.α-Damasconeの光学分割 (3 mg) 要な香料化合物のひとつである. すでに α-damascone の不斉合成例が報告 8) されているが, 市販の α-damascone はラセミ体である.2,2,6-trimethylcyclohexene 環とカルボニルを有する側鎖により不斉点近傍が非常に込み合った構造となっており, 不斉認識の点において困難が予想された. 試料負荷量を調整することにより両エナンチオマーを分取可能なピーク分離を得ることができた ( 図 11). 結論これまでほとんど例を見ないテルペン類化合物のSFCを用いた光学分割を検討し, 良好な結果を得た. 香料化合物は置換基が少なく, 極性が低いものが多いため, 少量のエントレーナーの添加でも化合物が早期に溶出してしまう. このことからエントレーナーの量や混合比率などを大きく振るような条件検討は難しい. 今回検討したもののうち 4 種の香料化合物の分取結果を表 2 に示す. 繰り返し分取を行うことによって,10~100 mg の光学活性体を高化学純度および高エナンチオ過剰率にて得ることができた. おわりに 図 9. テルペンアルコールの光学分割. 上段,terpinen-4-ol(10 mg); 下段,α-terpineol(3 mg). 天然界が創成する香りはキラル化合物のエナンチオマー存在比も含め絶妙な配合となっている. この天然界の在り様を詳細に調べること, そして, それを再現させることは香料に携わる者として永遠の研究課題である. そして, 天然物の放つ香り, それを感じとるヒトの感覚, これらはまさに生物の営みの結果である. 今後この生物工学の分野でSFCを利用した研究がますます発展していくことを大いに期待する. 2010 年第 10 号 523

表 2.SFC 分取の結果 Substrate (Loaded amount cycle) Analytical time (min) Configuration Isolated amount (mg) Yield (%) Chemical purity / Enantio excess Linalool (20 mg 20) 7.5 (R)-( ) 152 38 >99% / >99% ee a (S)-(+) 137 34 >99% / >99% ee a E, Z mixture of nerolidol (20 mg 10) 7.5 (R)-( )-(E) 48 24 97.4% / >99% ee b (S)-(+)-(E) 48 24 >99% / >99% ee b Terpinen-4-ol (10 mg 10) 10.0 α-damascone (3 mg 16) 7.5 (R)-( ) 37.9 38 >99% / 97.5% ee a (S)-(+) 8.8 9 >99% / >99% ee a (R)-(+) 9.8 20 >99% / >99% ee c (S)-( ) 14.4 30 >99% / 90% ee c a β-dex 225, b β-dex 325, c Chirasil-DEX CB. Experimental: エナンチオ選択的分取 SFC の条件は以下のとおりである.SFC 装置は日本分光社製を使用した. 分離カラムはダイセル化学社製 CHIRALPAK IA(20 250 mm) を使用した. 背圧を 15 MPa に設定した. 移動相として液化炭酸ガスの流速を 30 ml/min とし, エントレーナーである 2-propanol を化合物により 0.5 から 1.5 ml/min の流速でアイソクラティックにて送液した. 酢酸エチルをリンス液として使用し, 分取管洗浄時 10 ml/min にて送液した. カラムオーブン温度を 35 C に設定し, 検出は UV 210 nm を用いた. エナンチオ選択的 HPLC 条件は以下のとおりである. 装置は Agilent 社製 HP-1100 HPLC system を使用した. 分離カラムはダイセル化学社製 CHIRALPAK IA(20 250 mm) を使用した. 移動相に Hexane/2-propanol を 300/1 にて混合し, アイソクラティックにて流速 31.2 ml/min で送液した. カラムオーブン温度は室温, 検出器は UV 210 nm とした. 分取した光学活性体の GC および GC/MS 分析条件は以下のとおりである.GC は Hewlett-Packard 社製 HP5890 GC または島津製作所社製 GC2010 を用いた. 分離カラムは Varian 社製 Chirasil-DEX CB (25 m 0.25 mm) および Supelco 社製 β-dex 225(30 m 0.25 mm),β-dex 325(30 m 0.25 mm) を使用した. カラムヘッド圧はいずれも 100 kpa としキャリアガスはヘリウムを使用した. オーブンプログラムは初期温度を 70 C とし,200 C まで 1.0 C/min にて昇温した. 検出器は FID を使用した.GC/MS 装置は島津製作所社製 GCMS-QP2010 を使用した. 分離カラムに Restek 社製 Rxi-5ms(30 m 0.25 mm) を使用した. カラムヘッド圧は 60 kpa とし, キャリアガスはヘリウムを使用した. オーブンプログラムは初期温度 60 Cで3 分保持し 280 Cまで10 C/minにて昇温した. イオン化はEIを用い, イオン化エネルギーは27 evとした. 文 1) Bentley, R.: Chem. Rev., 106, 4099 (2006). 2) Sugimoto, D. et al.: Recent Highlights in Flavor Chemistry & Biology: Proc. 8th Wartburg Symposium (Hofmann, T. et al.), p.340, Deutsche Forschungsanstalt fur Lebensmittelchemie, Germany (2008). 献 3) Enberger, R. et al.: Topics in Flavor Research (Berger, R. G. et al.), p.201, Marzling, Germany (1988). 4) Guth, H.: Helv. Chim. Acta, 79, 1559 (1996). 5) 桝村 聡 : 高砂香料時報, 156, 12 (2006). 6) 印藤元一 : 合成香料増補改訂版, 化学工業日報社 (2005). 7) Harada, M. et al.: WO2007/032279 8) Fehr, C. et al.: J. Am. Chem. Soc., 110, 6909 (1988). 524 生物工学第 88 巻