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A. 研究目的後天性免疫不全症群 (AIDS 未発症の HIV 感染者及び AIDS 指標疾患を発病した AIDS 患者 : 以下 HIV/AIDS) の発生動向調査は 1984 に開始され 1989 以降は 後天性免疫不全症候群の予防に関する法律 ( エイズ予防法 ) に基づき また

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別記様式 7-2 感染症発生動向調査 ( インフルエンザ定点 ) 調査期間平成年月日 月日医療機関名 : 性別 歳 歳以上 合計 ( 注 ) *

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2016年度 事業計画書(第一次補正)

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現在にいたっております その結果 現在 HPVワクチンは定期接種でありながら 接種対象となる12 歳から16 歳の女子に対する接種がほとんど行われていないのが現状です このような状況は先進国では日本だけで見られていることであり 将来 子宮頸がんの発症が他国に比べて著しく高くなるというような事態が起き

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Transcription:

6. エイズ対策の実際 2 日本のエイズ対策の現状と課題 慶應義塾大学樽井正義 ( 第 3 版 ) 流行の現状 2013 年末までに 日本では累計約 2 万 3 千人の HIV 感染者が報告されている 欧米先進国に比べて 1 人数の上では少なく UNAIDS の 3 段階分類ではまだ第一の低流行期にあると言える 2しかし HIV 感染者報告は一貫して増加傾向にある 新規 HIV 感染者 ( 発症前に検査で知る ) は 2009 年以降 それまでの急増からほぼ横這いになったように見えるが 新規エイズ患者 ( 発症してから感染を知る つまりそれまでは感染を知らない ) は増加を続けている 2013 年には新規 HIV 感染者は 1,106 名 新規エイズ患者は 484 名 その合計 1,950 名は過去最高となった ( データと図は資料 1 による ) なお 2009 年の新規感染者報告減少は 保健所が新型インフルエンザ対策に忙殺されて検査件数が減ったことも一因と考えられる その後も保健所の検査件数は 2008 年の 14 万 7 千件より 4 万件以上減少し 年間 10 万 3-5 千件にとどまっている 感染経路はほとんどが性的接触であり HIV 感染者では 70.5% が同性間 17.5% が異性間 エイズ患者では 56.4% が同性間 24.0% が異性間と報告されている つまり 3MSM が流 55

行の主流をなしており 局限流行期 ( 特定集団の陽性率 5% 超 ) に近づいているとの見方 もある また HIV 感染者の 3 割近くは発症して初めて感染を知ることから 4 未受検の HIV 感染者がかなりおり それには少なからぬ異性愛者が含まれると推測される 対策の枠組流行への国としての最初のまとまった対策は 1989 年制定の 後天性免疫不全症候群の予防に関する法律 ( エイズ予防法 ) だった この法律に対しては HIV 感染者の入国規制といった科学的根拠と人権への配慮とを欠く差別を含んでおり 偏見をむしろ助長するという批判があった 同様に伝染病予防法と性病予防法にも 社会防衛を理由として人権を不当過度に制限する傾向が指摘されるようになり 99 年にこれらの法に代わって 感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律 ( 感染症新法 ) が制定された 新法は感染症を 感染力と必要な対応の相違により 4 つに分類し HIV 感染症は感染力がもっとも弱い四類とされている しかし 総合的施策の推進が必要な 特定感染症 として 2000 年には 後天性免疫不全症候群に関する特定感染症予防指針 が策定され その規定に従い 2006 年と 2012 年に改訂が行われている ( 資料 2 参照 ) 伝染病予防法とエイズ予防法から感染症新法とエイズ予防指針への移行によって 社会 56

防衛としての感染予防から 感染者と関係者の人権に配慮し 予防のみならず治療と支援を含む包括的感染症対策へと政策転換がはかられている 指針の新改訂では 普及啓発および教育 検査 相談体制の充実 医療の提供 が三つの柱となっている これに社会生活の支援を加え さらに対策の策定について 現状と課題を見ることにする 予防 啓発と検査 相談感染症とその予防にかかわる知識の啓発は 一つには広く国民全体を対象とするが 重要なのは性的活動が活発な若い世代であり 学校における健康教育 性教育がその鍵となる 1990 年代前半にはまだしも共有されていた HIV への関心がその後希薄になり 性教育では性関係の抑制が強調され 避妊や性感染予防は単なる技術として無視ないし軽視される傾向にある また地方自治体の対策費も 薬害和解後の 90 年代後半から減額を続け 予防啓発の予算では 検査と相談を維持するのに手一杯という状況にある いま一つには社会のなかには 感染の可能性が懸念されるが 社会的立場が弱く 差別や偏見が向けられるために 予防や治療のサービスを受けにくい人びとがいる 予防指針では個別施策層と呼ばれ 青少年 外国人 MSM セックスワーカーとその顧客が挙げられていた 前述のように日本ではわけても MSM の陽性報告が多く このグループに適した予防啓発が必要とされる それを担ってきたのは当事者の NGO だったが 行政との連携により東京 新宿の akta 大阪 堂島の dista 等のコミュニティセンター ( ドロップインセンター ) が設置され 研究者の協力もあって 一定の成果を挙げてきた その活動の継続と展開が 今後の流行を左右すると言っても過言ではない さらに指針の新改訂では 個別施策層に薬物使用者が加えられたが 日本では世界的に問題とされている注射器の共利用による感染は少ない むしろ薬物使用が性関係と結びつき コンドームを用いる予防行動が疎かになることが憂慮されており この対策が新たな課題とされる 感染 未感染を知る方法として 保健所における無料 匿名検査が 早くから全国的に実施されてきた VCT という国際基準に沿うこと 検査を拡大することが求められ 2006 年からは 6 月初旬に HIV 検査普及週間 が設定され また大都市では近年 受検者の便宜に配慮して夜間 土日の検査実施や迅速検査も導入されている しかし前述のように受検者数は増えず 自発的な検査で陽性が判明するケースは全報告の 3 分の 1 にとどまり さらに工夫が求められる また 商業的な郵送検査も始められているが 医療行為とは見なされず 指針や規制は検討されていない 陽性報告の 3 分の 2 は 病院における外科手術等観血性治療前の感染症検査 あるいは産院における妊婦検診による しかしその際のインフォームド コンセントはたいていは簡略にとどまり 陽性告知の準備が不十分なことも指摘されている 言うまでもなく 検査には 結果への適切な対応が前提とされる 治療と生活支援エイズ診療体制としては エイズ治療 研究開発センター (ACC 東京 戸山) を頂点に 全国 8 ブロックに 14 のブロック拠点病院 (1997 年 ) が置かれ そのもとに 400 近い拠点病院が厚生労働省により指定されている これらの病院を中心にして 抗レトロウイルス治療や日和見感染治療が提供されており 治療には健康保険が適用されている 57

さらに 免疫不全は内的障害とされ 障害者認定と障害者手帳交付の制度が 1998 年より導入されている 保険診療の自己負担分が軽減されるとともに 社会生活が支援されることになる この優れた支援策は 血友病患者グループの尽力により 薬害被害救済の恒久対策の一環として導入された こうした医療サービスは 日本では優れた健康保険制度によって提供されているが ビザが 1 年未満あるいは超過滞在の外国人はこの制度を利用できない 経済的理由で さらには言葉や文化の違いに阻まれて 必要な診療を受けられずに一命にもかかわるという事態は 残念ながら後を絶たない NGO と医療機関が努力を続けているが それには限りがある 救急医療 感染症医療を誰もが利用できる制度 医療の場で通訳が利用できる支援が 人権と公衆衛生の観点から強く求められる ともあれ医療環境については 8 割以上の陽性者が 整っている まあ整っている という肯定的な評価をしている これとは対照的に社会生活の環境については 陽性者は否定的な評価をしている 社会における偏見の低減や職場の対応については 9 割前後の陽性者が あまり整っていない 整っていない と見ている ( データと図は資料 3 による ) 医療が向上し 制約なしに就労を望む陽性者は増えているが 30 歳から 60 歳の就業率は一般人口を 5-15% 下回っている その背景に HIV 感染症に対する社会の不寛容 プライバシー侵害への陽性者の不安があるように思われる 就労や福祉等 陽性者が社会生活で直面する問題に関しては NGO が電話と面談による相談事業を担ってきた 相談内容はさらに 予防や感染不安 検査 治療等多岐にわたる 陽性者はもとよりその関係者をはじめ 広く一般から相談や問い合わせが寄せられている また NGO は 陽性者やその関係者のための各種の集会とともに 地域で HIV への理解をはかる行事を開催している 社会環境を整えていくには そうした地道な活動が不可欠であり その継続が求められる 対策の立案 実施 評価エイズ対策は立案 実施 評価の 3 つの段階からなるが UNAIDS はそれぞれについて政府が指導力を発揮し 全国的に統一して行うことを奨励している (Three Ones) 第一の段階については 前述のように予防指針が策定されており その作業には厚生労働省の主導のもとに 医療者 研究者 当事者を含む NGO も参加している これは 陽性者の参画拡大 (GIPA) という国際基準にも適っている 第三の監視 評価としては エイズ動向委員会 が年 4 回 冒頭に示したように HIV 感染者 エイズ患者等の報告等を収集し 流行の分析を行っているが これは対策自体の評価ではない 対策が評価されるのは指針が見直されるときだけである より頻回に 流行のみならず対策の各課題について 必要とされるデータを収集し 検討することが 個別具体的な方策を実施するためにも求められる (2015 年 1 月 ) 資料 1. 平成 25(2013) 年エイズ発生動向年報, 厚生労働省エイズ動向委員会, 2009.6. http://api-net.jfap.or.jp/htmls/frameset-03-02.html 2. 厚生労働省告示, 後天性免疫不全症候群に関する特定感染症予防指針, 2012.1. http://api-net.jfap.or.jp/library/meareldoc/03/images/120131sisin.pdf 58

エイズ予防財団編, 新エイズ予防指針と私たち, 連合出版 2012.7. 3. HIV/ エイズとともに生きる人々の仕事 くらし 社会, 平成 21 年度厚生労働省科学研究費補助金 ( エイズ対策研究事業 ) 地域における HIV 陽性者等支援のための研究, HIV 陽性者の生活と社会参加に関する調査報告書, 2009.11. http://www.chiiki-shien.jp/resource.html#a_tool 59