膳所城遺跡 記者発表資料(2012.7)

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○現説資料 2回目作成中 その3


す 遺跡の標高は約 250 m前後で 標高 510 mを測る竜王山の南側にひろがります 千提寺クルス山遺跡では 舌状に 高速自動車国道近畿自動車道名古屋神戸線 新名神高速道路 建設事業に伴い 平成 24 年1月より公益財団法人大 張り出した丘陵の頂部を中心とした 阪府文化財センターが当地域で発掘調査


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され 南北方向に走る幅約 1 mの壁石列の両側 で 階段を伴う中庭と考えられる石敷きの床面 西側 部屋を区切る立石の柱列 ウィン 部屋C ドウ ウォール 東側 が確認された またフ 部屋B ラスコ彩色壁画の断片多数や 西暦 1 世紀の土 器やコインが出土していた これを受けて第 7 次調査では 調査

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Ⅰ. 八王子城跡の中世城郭としての価値八王子城は 関東に覇を唱えた戦国大名北条氏の統治手法である支城領支配における 武蔵国の西南部と相模国の西部の一部を支配していた支城の一つである 八王子城の城主である北条氏照は 兄である北条四代目当主氏政を支え 甲斐の武田氏や越後の上杉氏との戦いや同盟の中心的な役



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表紙

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文化フォーラムレジュメ2014(本文)最終.indd

新潟県立歴史博物館研究紀要第4号

象鼻山ペラ校正


5. 先端的科学 技術による保存研究アブ シール南丘陵遺跡における GPR 探査 101 アブ シール南丘陵遺跡における GPR 探査 * 岸田徹 1 * 津村宏臣 2 * 3 渡邊俊祐 1. はじめに 本調査では 遺跡の保存管理のための地下遺跡マップを作成することを目的として アブ シール南丘陵遺

はじめに 奈良時代を今に感じる 公園を目指して 国営平城宮跡歴史公園は 奈良市内に広がる特別史跡平城宮跡を計画地とした国営公園です 世界遺産 古都奈良の文化財 の構成資産の一つであり 我が国を代表する歴史 文化資産である平城宮跡の一層の保存 活用を図る目的で 国と奈良県を中心とした地域が連携して整備

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物件番号 物件名称小出島住宅用地 伊那市西春近 584 番 自治会 ( 行政区 ) 名小出島 最低売却価格金,450,000 円 連番 登記地目 現況地目 公簿面積m2実測面積m2 1 西春近 584 番 雑種地 雑種地 坪 2 合計

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宅地造成費の金額表

第 5 回土地区画整理事業準備会会議要旨 日時 :2018 年 1 月 27 日 ( 土 )14:00~14:40 場所 : 和光大学ポプリホール鶴川 3 階多目的室出席者 :21 名 ( 地権者ほか ) 町田市 : 都市づくり部地区街づくり課職員 東京都都市づくり公社職員日本測地設計株式会社職員


研究紀要 第3号 (その2)

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イマジン_表1表4

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現地説明会資料

石器の実測は 698 点を対象に業務を外部に委託した 自然科学分析では土壌洗浄 火山灰分析に ついて 業務を外部に委託した 土壌分析は微細な資料を得るとともに 今後の分析方針を決め るために 火山灰分析は 土壌の堆積時期を特定するためにそれぞれ実施した ウ学識者の招聘 今年度は土器の編年 器種 産地

1 整備目標 方針 地区名大井五 七丁目 西大井二 三 四丁目地区位置東京都品川区大井五 七丁目 西大井二 三 四丁目の全域地区の現況 課題 現状 当地区は 品川区の南に位置しており 北側に滝王子通り 東側に補助 28 号線 ( 池上通り ) 西側にJR 東海道新幹線及びJR 横須賀線 南側に大田区

(2) 空間構成 歴史 文化ゾーン 遺構等の保全 歴史と文化を堪能する空間 交流ゾーン 来訪者の交流の場 国史跡指定地区 国際センター地区 追廻地区 公園センター地区 自然散策ゾーン 自然散策を行う空間 いこい にぎわいゾーン 広瀬川 本丸跡の眺望 広がりと奥行きのある空間 活動の場 図 1 青葉山

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物 件 調 書

歴史的環境 図 31 御三丸図 ( 部分城郭図 2) 図 32 二之御丸全図 ( 部分城郭図 6) 58

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8 < ア -2> 用地の北側に位置する市営住宅団地内通路 ( 破線部分 ) について 使用することが可能か? 当該通路について使用を希望する場合は どのような活用をされるのか併せてご提案ください なお 取扱いの詳細については マーケット サウンディングの結果を踏まえ 今後検討していくことになります

速報 亀居城跡は慶長 8(1603) 年から5 年をかけて築城されましたが, 築城から3 年後の慶長 16(1611) 年には破棄されています 調査区は亀居城本丸跡の東にある郭 ( 妙見丸 ) の北東端に位置しています 調査で見つかった石垣は, 郭 ( 妙見丸 ) の北東隅 ( 標高 28m) から

第 37 次発掘調査成果 (9 月 30 日現在 ) 奉行名石垣 調査期間平成 29 年 7 月 25 日 ~ 同年 11 月下旬 ( 予定 ) 調査位置三ノ丸北西石垣上面 (A 区 ), 三ノ丸瓦門北側石垣上面 (B 区 ) 三ノ丸北西石垣下面 (C 区 ) 調査目的三ノ丸北西石垣解体修理に伴う事


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二〇一九年浜田城とその城下浜田開府四〇〇年

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みなとっぷ20号

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物件番号

中央新幹線(東京都・名古屋市間)環境影響評価書 【愛知県】

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強化プラスチック裏込め材の 耐荷実験 実験報告書 平成 26 年 6 月 5 日 ( 株 ) アスモ建築事務所石橋一彦建築構造研究室千葉工業大学名誉教授石橋一彦


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物件番号 1 ポケートパーク 仮換地面積価格状況備考 E-27 街区 11 画地 従前地 法律等に基づく制限 m2約 66 坪 6,384,504 円引渡可 北側 西側で幅員 6m の舗装市道に面している 地番地目面積 ( 公簿 ) 名取市閖上字新大塚 156 番田 401 m2 都市

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区域の整備 開発及び保全に関する方針 地区施設の整備の方針 建築物等の整備の方針 (1) 道路の整備方針区域内外との円滑な交通ネットワークの形成と歩行者等の安全で快適な歩行環境の向上を図るため 街区幹線道路及び区画道路を整備する 生活利便施設や良質な街並みを形成する住宅等の立地を誘導し 地域拠点にふ

(3) 土砂災害土砂災害の想定は 急傾斜地崩壊危険箇所 地すべり危険箇所 山腹崩壊危険地区のうち 保全人家 ( 公共施設を含む ) を有し かつ 対策工事の実施されていない箇所などを対象に 各危険箇所などの耐震ランクと震度から危険度ランク (A B C) を判定した ここでいう危険度は 相対的なラン

大阪府営門真住宅まちづくり基本構想 平成 25 年 6 月 大阪府 門真市

Ⅳ 二の丸いわゆる二の丸の殿舎と その周辺にあった勘定所 七十間兵具蔵 破損方会所等 扇坂などを含めた範囲 Ⅴ 御裏林と本丸縁辺の崖地 Ⅴ-1 御裏林 Ⅴ-2 本丸縁辺崖地 Ⅵ 城の東縁に配された武家屋敷 馬場 厩等 Ⅳ Ⅲ Ⅵ Ⅱ Ⅴ-1 Ⅰ Ⅴ-2 図 4-1 地区区分図 92

8. ピンポイント渋滞対策について 資料 8

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木造住宅の価格(理論値)と建築数

タンニン酸を用いた師範RO/NF膜の酸化剤体制処理

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平成 27 年 9 月 14 日 情報通信審議会答申 加入光ファイバに係る接続制度の在り方について の中で ~ 略 ~ NTT 東西において 1 光配線区画を分割 縮小する事例を類型化した上で 公表することが適当である また NTT 東西においては 事後的に分割 縮小される光配線区画等について 接続

Message From The President

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題名・目次

4. 見直し検討委員会における検討方法について見直しについては 都市機能上の必要性 経済性 実現可能性を見直しの視点とし 各路線の検証を行いました 具体的には 都市計画マスタープランなどの上位計画に掲げられた都市の将来像を踏まえ 都市全体の道路ネットワークを対象とした検討を行い その必要性や効果を明


( 対象区域 ) 第 5 地区計画の対象区域は 工業団地 ( 国母工業団地 南部工業団地 機械金属工業団地 ファッション工業団地 ( アリア ディ フィレンツェ ) をいう 以下同じ ) の区域内及び隣接地又は近接地 ( おおむね工業団地から500メートル以内 ) とする ( 区域の設定 ) 第 6

177 箇所名 那珂市 -1 都道府県茨城県 市区町村那珂市 地区 瓜連, 鹿島 2/6 発生面積 中 地形分類自然堤防 氾濫平野 液状化発生履歴 なし 土地改変履歴 大正 4 年測量の地形図では 那珂川右岸の支流が直線化された以外は ほぼ現在の地形となっている 被害概要 瓜連では気象庁震度 6 強

研究成果報告書

生産緑地制度の概要 市街化区域内の農地で 良好な生活環境の確保に相当の効用があり 公共施設等の敷地に供する用地として適している 500 m2以上 *1 の農地を都市計画に定め 建築行為や宅地の造成を許可制により規制し 都市農地の計画的な保全を図る 市街化区域農地は宅地並み課税がされるのに対し 生産緑

ほんぶん/pdf用表紙

目次 第 1 章序論 3 1. 構想策定の趣旨 4 2. 上位計画 5 3. 関連計画 6 4. 構想の対象区域 11 第 2 章現状と課題 岡山城の概要 15 1) 位置 15 2) 沿革 16 3) 文化財等の指定状況 岡山城と旧城下町の現状 24 1) 岡山城の現状 2

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表 1: 堀の再生手法と再生場所の関係性 ( 次頁に続く )

本文/彩絵仏像幡修理報告 2007‐2

和泉市の宅地開発における制度

Transcription:

記者資料提供資料提供日 : 平成 24 年 (2012 年 )7 月 17 日 ( 火 ) ( 県庁教育記者クラブ ) 機関 : 公益財団法人滋賀県文化財保護協会 件名 : 大津市膳所城遺跡の発掘調査の成果 ぜぜじょう膳所城 北の丸 の石垣を確認 内容 公益財団法人滋賀県文化財保護協会では 滋賀県教育委員会ならびに滋賀県道路公社からの依頼により 近江大橋有料道路建設工事 ( 西詰交差点改良 ) に伴い平成 24 年 5 月に膳所城遺跡の発掘調査を実施しました 調査対象地は 膳所城 ( ぜぜじょう ) の 北の丸 に推定される一角にあたり 調査面積は 271 m2です 調査の結果 膳所城 北の丸 の南北端を検出し 北の丸 内において石垣 石組溝 土坑 井戸等を検出しました これらの遺構からは屋瓦類 陶磁器類 土器類 金属器類 石造物類 自然遺物等が出土しました 道路工事計画の状況と安全確保の観点から 現地説明会を実施することができませんでしたが 調査成果を広くお知らせすることを目的として 今回の調査結果の概要を資料提供いたします * * * 1. はじめに今回の発掘調査は 近江大橋有料道路建設工事 ( 西詰交差点 ) に伴い 道路幅を広げる部分が膳所城遺跡の範囲内に含まれるため 平成 24 年 4 月 ~5 月に実施しました 調査の結果 これまで具体像がよくわからなかった膳所城の北の丸の様相を知るうえで重要な手がかりが得られました 2. 膳所城の沿革と現況 ( 図 1) 沿革関ケ原合戦の後 慶長 6 年 (1601) 徳川家康は西国大名への抑えのため 関ケ原合戦で落城した大津城から 新たに膳所崎 ( 現大津市本丸町 丸の内町 ) に城郭を築城しました これが膳所城です 膳所城には 三河以来の家康の家臣である戸田一西 ( とだかずあき ) が入封し 膳所藩主 ( 三万石 ) なりました その後 本多氏 菅沼氏 石川氏 ( 七万石 ) と城主は移り変わりましたが 慶安 4 年 (1651) に再び本多氏が入封し ( 六万石 ) 明治 3 年 (1870) の廃城まで膳所藩政の中枢施設として機能していました 現況廃城後 天守等の主要施設は解体 移築されました 城域を画した石垣も琵琶湖疏水工事 東海道線建設工事や南郷洗堰工事等に石材が転用されました 戦後には 湖岸道路等の建設によって湖岸部が埋め立てられるとともに 周辺一帯も市街化が進んだため 公園となった本丸跡等を除くと 膳所城の遺構は現在地表にはほとんど残っていません 発掘調査についても 本丸跡での数次にわたる調査等以外にほとんど実施されておらず その実態はよくわかっていませんでした

3. 調査の概要概要今回の発掘調査では 膳所城北の丸が推定される範囲内 ( 写真 1 の黒太破線 ) に 3 か所の調査区 ( 写真 1 の黒塗り部分 : 調査区 1~3) を設定しました それぞれの調査区では 膳所城北の丸に関係する遺構が検出されたほか 膳所城に伴うさまざまな遺物が出土しました 以下 それらの内容について簡単に紹介します 北の丸北端部を検出調査区 1 では 北の丸北端部を検出しました ( 写真 2) 写真 2 では 南側 ( 写真奥側 ) の北の丸内部の地面が 調査区の北側で高さ約 1.3~1.5mの段差をなしてほぼ垂直に落ち込む状況を示しました さらに この段差の北側 ( 北の丸の外側 ) は近代期の遺物を含む砂層が厚く堆積していました この砂層は 湖岸道路等を埋め立てる際の盛土と考えられます もともと 北の丸は石垣によって囲まれていました しかし 今回の調査では 明確な石垣を確認することができませんでした ただし 段差付近には石垣の裏込めに用いられたと見られる小石材が認められたので 石垣を検出できなかったのは さきに述べたように 廃城後に石垣石材を転用するために除去されたからだと考えています 北の丸内部の様子江戸時代の絵図等により 北の丸には膳所藩の米蔵があったとされています しかし いままで発掘調査が行われていなかったので 内部の具体的な様子はわかりませんでした 今回 調査区 2 3 で石組溝 2 条を検出しました ( 写真 3) 東側石組溝は幅約 1~1.5mで 溝内の埋め土内からは 多くの陶磁器類 土器類 瓦類とともに海産貝類の貝殻等が出土しました 陶磁器類の時期は 17 世紀前葉頃が中心です 西側石組溝は幅 0.3m 程度と小規模でした 東側石組溝は北の丸内を区画する用水路 西側石組溝は建物の雨落ち溝の可能性があります 新たに見つかった石垣調査区 3 で新たに石垣を検出しました ( 写真 4) この石垣は上下 2 段あり 上段の石垣はおおむね東西方向にのびます 一方 下段の石垣は 西半では上段の石垣と同様に東西方向なのですが 途中でほぼ直角に折れ曲がり 南側へのびています 上段の石垣は 西端部で 3 段が遺存していましたが 東半部は石材の抜け落ちた箇所が多く 遺存する石材も本来の位置から移動しています 下段の石垣は 基底石のみが遺存するもので 上段石垣よりもさらに遺存状態がよくありませんでした これらの石垣は 少なくとも近世段階に埋められたようです 北の丸の南端部については 本丸跡 ( 膳所公園 ) 側にある現状の石垣が相当すると考えていました しかし 今回の調査によって 新たにその北側でこれらの石垣がみつかったことから 北の丸内の区割りがある段階に変更されていたことがわかりました 出土遺物調査区 1~3 において 多数の遺物が出土しました これらは 現在未整理であるため 概要を示すことにします 瓦類 出土遺物の大半を占めるのが瓦類です 丸瓦 平瓦 桟瓦( さんがわら ) 軒瓦 ( の きがわら : 軒先に葺く装飾付瓦 ) があります 軒丸瓦の多くは巴紋軒丸瓦 ( ともえもんのきまるが わら ) ですが そのなかに本多家の家紋である立葵 ( たちあおい )( 図 2) を施した例 ( 写真 6) がありました 土器 陶磁器類 東側石組溝内からまとまって陶磁器 土器類等が出土しました( 写真 5) これらは 17 世紀前葉を中心とする時期のものです 貝殻 同じく東側石組溝内からは 海産貝類( ハマグリ サザエ等 ) の貝殻がまとまって出土しています

4. まとめ 調査からわかったこと今回の調査は 膳所城北の丸における初めての発掘調査となりました その結果の概要については 先に述べたとおりですが それらは以下のようにまとめることができます 1 北の丸の北端部を確認し 北の丸の規模 ( 南北 ) を推測する手がかりが得られました 2 北の丸内において 区画溝 ( 東側の石組溝 ) や 建物に伴うと見られる雨落ち溝 ( 西側の石組溝 ) を検出し 北の丸内の建物配置や区割り等の具体的様相を知るうえでの手がかりが得られました 3 当初想定していた北の丸南端よりも内側で新たに石垣を検出したことから 北の丸内の区割り あるいは北の丸本体の規模がある段階に変化した可能性が見いだされました 4 石組溝内からまとまった遺物が出土したことで 北の丸内の建物等の構造や時期 さらには北の丸内での活動を推測する手がかりが得られました 今後 整理調査を進めるなかで 1~4を手がかりとして さらに分析を進め 膳所城の具体像を明らかにしたいと考えています なお 今回の資料提供の内容は 本格的な整理調査を実施していないため 以下の見解は今後変更する可能性があります

近江大橋 北の丸 今回の調査地 膳所城遺跡 図 1 膳所城遺跡と今回の調査地 図 2 膳所城と城下町 ( 拠 新修大津市史第 4 巻 ) 各種の絵図をもとに想定復原されたもの 今回の調査地が含まれる北の丸を図示している 膳所公園 ( 膳所城本丸跡 ) 調査区 3 調査区 2 調査区 1 推定される北の丸の範囲 道路拡幅範囲 ( 黒細線内 ) 写真 1 調査地の場所 ( 北から ) 手前側が浜大津方面 奥が石山方面

東側石組溝 西側石組溝 写真 2 北の丸北端部 ( 北から ) 写真 3 北の丸内部で見つかった石組溝 ( 調査区 3: 北から ) 上段の石垣 下段の石垣 写真 4 新たに見つかった石垣 ( 調査区 3: 南東から )

写真 5 東側の石組溝から出土した陶磁器類ほとんどが 17 世紀前葉頃のものと思われます 図 2 本多家の家紋 立葵 写真 6 出土した立葵紋軒丸瓦