192 愛 知 工 業 大 学 研 究 報 告 第 50 号 平 成 27 年 Jリーグ 22 年 の 変 革 と 最 高 経 営 責 任 者 の 戦 略 Innovative changes in the J League over 22 years and the strategies of league chairmen 竹 中 嘉 久 Yoshihisa Takenaka Abstract The development of the J League was a major disruption to the world of professional sports in Japan. This study examines the history of strategies and changes brought by J League chairmen. Saburo Kawabuchi is famous as the first chairman of the J League. However, the second to fourth chairmen, who are often hidden in his shadow, also achieved many far-sighted and innovative changes for the league. The J League chairman has great power and authority, including making the final decisions for J League bylaws. Each chairman has had distinct themes and characteristics in the changes they made to the league. The first chairman made strategic moves to break away from existing sports systems and continue the league on its own path. The second chairman stabilized the league s management setup and prepared for expansion. The third chairman expanded the fan base by establishing numerical targets that were carried out by the league overall. The fourth chairman introduced a club license system to strengthen the business foundation of individual J League clubs. At first both the league and clubs were greatly affected by the economic bubble, but stable allocations have come to be provided as the number of clubs has increased over time. In this way the business strategies and roles of the four J League chairmen occupy a large place among the factors for achieving innovative changes in the J League. 1.はじめに 2015 年 からの 日 本 プロサッカーリーグ( 以 下 J リーグ) は また2つ 大 きな 変 革 をした 1つは 2005 年 からの J1 リーグ 1 シーズン 制 から 2 シーズン 制 に 戻 すこと そ して もう1つの 変 化 は J リーグ 全 て(J1 J2 J3)の カテゴリーに 冠 スポンサー 名 をつけることになった 1993 年 から 始 まった J リーグは 1996 年 を 除 いて 2004 年 まで2 シーズン 制 だった 最 初 は10 クラブから 始 まり 各 シリーズ 総 当 たり 2 回 戦 18 試 合 を 行 い 前 期 優 勝 クラ ブと 後 期 優 勝 クラブとチャンピオンシップを 競 うリーグ であった J リーグはそれから 22 年 を 経 て 数 々の 変 革 を 行 った 愛 知 工 業 大 学 経 営 学 部 経 営 学 科 スポーツマネジメント 専 攻 ( 豊 田 市 ) その 間 J リーグの 最 高 経 営 責 任 者 であるチェアマンは 現 在 5 代 目 となっている チェアマン 職 自 体 今 までの プロスポーツには 見 られないリーダーの 形 であった J リーグのチェアマンは 日 本 のプロ 野 球 で 言 えば コミッ ショナーにあたる しかし その 権 限 はプロ 野 球 と 違 い 強 力 なものとなっている J リーグ 1) ではチェアマン 自 身 に 最 終 決 定 権 が 存 在 する リーグ 経 営 トップである 最 高 経 営 責 任 者 (この 場 合 ではチェアマン)がリーダーシ ップを 発 揮 しやすくしていると 言 える 昨 年 の 2 月 に 5 代 目 のチェアマンが 誕 生 している 本 研 究 では 4 代 目 までのチェアマンの 戦 略 と J リーグと 変 革 の 歴 史 を 考 察 する
193 愛 知 工 業 大 学 研 究 報 告, 第 50 号, 平 成 27 年,Vol.50,Mar,2015 2. 初 期 J リーグの 変 革 過 程 2) 竹 中 は J リーグ 発 展 過 程 を 述 べてきたがここでは 歴 代 チェアマンにスポットライトを 当 てることで プロスポ ーツ 自 体 のリーグ 最 高 経 営 責 任 者 の 戦 略 と 役 割 について 考 えていきたい J リーグが 始 まったのは 1993 年 5 月 当 初 のリーグ 戦 開 始 時 のクラブ 数 は 10 であった その 3 年 前 には 20 団 体 からの 参 加 申 し 込 みがあり 表 1 は 1993 年 リーグ 創 設 時 の 10 クラブを 示 したものであるが 3) 当 時 の 諸 条 件 を 満 たし ある 意 味 厳 選 された 10 クラブであ った 初 代 である 川 淵 三 郎 氏 が 先 頭 となって J リーグ を 盛 り 上 げ 新 しいプロスポーツのスタイルとして 多 くのメディアが 取 り 上 げて 話 題 となった 今 までのプロ スポーツにはないスタイルとは 理 念 が 前 面 に 打 ち 出 さ れていたことと 同 時 に FIFA ワールドカップ( 以 下 W 杯 ) 初 出 場 へ 挑 戦 するサッカー 日 本 代 表 と 共 に 相 乗 効 果 を 生 み 出 した 表 2 を 見 ても 分 かるように 4) 当 初 のJクラ ブの 平 均 の 配 分 金 は 5 億 円 以 上 もあった 選 手 もアイド ル 扱 いされ 年 俸 も 億 単 位 の 選 手 が 何 にも 生 まれた ま た J リーグ 入 りした 選 手 はブラジルを 筆 頭 に アルゼ ンチン ドイツ オランダ イングランド ユーゴスラ ビア チェコ 隣 国 である 韓 国 と 多 くの 外 国 人 選 手 が 在 籍 し 中 には 現 役 の 各 国 代 表 選 手 や 元 代 表 選 手 もいて プロ 野 球 のアメリカ 一 辺 倒 ではない サッカー 独 自 のワ ールドワイドなスポーツとしてのスケールを 感 じること ができた 日 本 人 選 手 も 個 性 的 な 選 手 が 多 く ブラジル 帰 りの 三 浦 和 良 日 本 に 帰 化 して 日 本 代 表 となったラモ ス 瑠 偉 また 当 時 金 髪 やロングヘアなどプロ 野 球 とは 違 った 自 由 なファッションスタイルも 話 題 を 呼 んだ J クラブ 名 旧 団 体 名 鹿 島 アントラーズ( 茨 城 県 ) 住 友 金 属 サッカー 部 ジェフユナイテッド 市 原 ( 千 葉 県 ) 古 河 電 工 サッカー 部 浦 和 レッドダイヤモンズ( 埼 玉 県 ) 三 菱 自 動 車 サッカー 部 ヴェルディ 川 崎 ( 神 奈 川 県 ) 読 売 日 本 サッカークラブ 横 浜 マリノス( 神 奈 川 県 ) 日 産 自 動 車 サッカー 部 全 日 空 横 浜 サッカークラ AS 横 浜 フリューゲルス( 神 奈 川 県 ) ブ 清 水 エスパルス( 静 岡 県 ) 清 水 FC エスパルス 名 古 屋 グランパスエイト( 愛 知 県 ) トヨタ 自 動 車 サッカー 部 ガンバ 大 阪 ( 大 阪 府 ) 松 下 電 器 サッカー 部 サンフレッチェ 広 島 ( 広 島 県 ) マツダ 自 動 車 サッカー 部 表 1.1993 年 リーグ 創 設 時 の 10 クラブ 10 クラブ 中 3 クラブ 以 外 は 実 業 団 のサッカー 部 そして 何 といっても 大 きな 話 題 となったのは この 年 アメリカ W 杯 の 初 出 場 を 賭 けた 試 合 の ドーハの 悲 劇 である 結 果 的 には 出 場 はできなかったが 経 済 大 国 で ある 日 本 という 国 が 簡 単 には 出 場 することができないス ポーツが 世 界 にあることを 印 象 付 けた サッカーの 日 本 代 表 強 化 の 意 味 でも サッカーがプロ 化 したことを 容 認 できる 状 態 になったと 言 える しかし それが 続 いたの は 最 初 の 3 年 までと 言 える まさにバブルであった 4 年 目 の 1996 年 には 放 送 権 料 が 半 減 している この 初 期 に おいての J リーグの 躍 進 は 初 代 である 川 淵 三 郎 に 拠 ると 5) ころが 大 きい 川 淵 によればリーグ 創 設 前 の 準 備 段 階 から 関 わり 行 き 詰 ったサッカー 界 に 多 くの 変 革 を 実 行 した まず 最 初 の J クラブ 選 考 段 階 で 実 業 団 サッカー 時 代 からの 実 績 は 一 切 考 慮 されなかった 大 手 企 業 でも チェアマン 川 淵 三 郎 鈴 木 昌 鬼 武 健 二 大 東 和 美 年 度 クラ ブ 数 収 入 合 計 クラブ 配 分 金 平 均 配 分 放 送 権 料 1993 10 8,892 6,460 646 1,093 1994 12 10,031 8,028 669 2,190 1995 14 10,400 7,363 526 2,214 1996 16 8,301 5,385 337 1,187 1997 17 8,016 5,127 302 2,056 1998 18 7,994 4,779 266 2,189 1999 26 7,546 4,362 168 2,386 2000 27 8,009 4,624 171 2,221 2001 28 8,520 5,212 186 2,461 2002 28 11,148 7,223 258 4,815 2003 28 11,454 7,667 274 4,818 2004 28 11,789 7,681 274 4,978 2005 30 11,718 6,959 232 4,905 2006 31 12,712 7,532 243 5,341 2007 31 12,342 7,196 232 5,278 2008 33 12,845 7,027 213 5,323 2009 36 12,776 7,066 196 5,197 2010 37 12,372 7,351 199 4,851 2011 38 9,888 6,434 170 4,340 2012 40 11,910 6,934 174 4,877 2013 40 11,625 7,330 183 4,650 表 2.J リーグの 歴 代 チェアマン クラブ 数 収 入 配 分 金 放 送 権 料 の 変 化 単 位 :100 万 円 この 年 度 は 決 算 日 変 更 のため 2 回 決 算 があり 合 算 とした ある 日 立 製 作 所 サッカー 部 輝 かしい 歴 史 を 持 つヤンマ ーディーセルサッカー 部 ヤマハ 発 動 機 サッカーなどは 創 設 1 年 後 2 年 後 の 参 加 となった 大 きな 選 考 ポイン トはホームタウンとなる 行 政 側 の 支 援 とチーム 名 から 企 業 名 をいずれ 外 すことであった J リーグには 大 きな 理 念 があり 企 業 スポーツから 市 民 スポーツへの 脱 皮 が 至 上 命 題 であったと 言 える また J リーグの 組 織 の 中 にオーナー 会 議 を 置 かず 意 思 決 定 機 関 を 各 クラブの 実 行 委 員 会 と 理 事 会 だけにした プロ 野 球 のような 屋 上 屋 を 重 ねるようなことは 排 除 している チェアマンとして のリーダーシップが 発 揮 できるようにしている プロ 野 球 との 徹 底 的 な 差 別 化 をはかることで 今 までにないプ ロスポーツの 変 革 を 生 み 出 したと 言 える
194 Jリーグ 22 年 の 変 革 と 最 高 経 営 責 任 者 の 戦 略 初 期 の 変 革 は 他 にもある チェアマン 自 身 が 広 告 塔 と なり ありとあらゆるメディアに 登 場 したことだ そし て 歯 切 れよくインタビューに 対 応 し 期 待 感 と 新 鮮 さ を 訴 求 した 選 手 だけが 表 に 出 るのではなく プロスポ ーツリーグのトップが 自 ら 表 にでるスタイルも 今 までに なかった また 公 共 性 と 公 益 性 をプロスポーツとつな げるために J リーグが 自 ら 社 会 貢 献 を 行 い 各 クラブに もホームタウン 活 動 と 称 して 地 域 貢 献 活 動 をする 試 みも 全 く 新 しいものである 1996 年 には J リーグ 百 年 構 想 というスローガンを 発 表 した これも 大 きな 変 革 として 捉 えたい サッカーだけでなく 他 のスポーツと 一 緒 に 幸 せな 国 を 目 指 すという 社 会 運 動 をプロスポーツが 提 唱 することは 前 代 未 聞 といえる このアピールは J リーグ 自 体 の 存 在 を 単 にスポーツでは 終 わらない 社 会 性 を 持 た せた 変 革 である しかし プロスポーツの 変 革 には 犠 牲 も 生 まれた 玉 木 6) によれば 1997 年 には 清 水 エスパルス の 運 営 会 社 が 破 たんし 地 元 有 力 企 業 グループによって 新 会 社 を 設 立 されたことや 1998 年 には 横 浜 フリューゲ ルスがメインスポンサーの 全 日 空 が 降 りたことで 経 営 が 困 難 となり 横 浜 マリノスと 合 併 し 事 実 上 消 滅 してい る または 2000 年 にはベルマーレ 平 塚 もスポンサー 撤 退 もあり 湘 南 ベルマーレとして 再 出 発 したと 説 明 して いる しかし 1999 年 にはプロスポーツリーグでは 初 め ての 2 部 制 を 実 施 した 1 部 リーグから 2 部 リーグへの 降 格 あるプロスポーツも 日 本 で 初 めての 試 みである ( 大 相 撲 も 昇 格 降 格 はあるいえるが この 場 合 はチームスポ ーツを 対 象 としている) 3.ライフサイクルから 見 た J リーグ 原 田 7) は 通 常 の 商 品 やサービスにはライフサイクル がある これは 導 入 期 に 始 まり 成 長 期 成 熟 期 衰 退 期 に 至 る 一 連 のプロセスである 市 場 に 導 入 された 新 商 品 も 時 間 が 経 てば 陳 腐 化 し 売 上 が 落 ち やがて 市 場 の 中 で 淘 汰 されていく とある J リーグの 導 入 期 は 最 初 でも 言 ったように 絶 好 調 であったが 4 年 後 には 陰 り が 見 え 始 めた しかし クラブ 数 は 当 初 の 10 クラブから 8) 4 年 後 には 16 クラブと 増 加 している 竹 中 も 述 べてい るが J リーグ 自 体 が 公 益 性 公 共 性 社 会 性 を 訴 えた 効 果 が 大 きい 地 域 活 性 化 も 叫 ばれて 多 くの 地 方 自 治 体 も 興 味 を 持 ち 始 めた 川 淵 三 郎 がチェアマンをしてい る 時 代 には 確 実 にクラブ 数 は 増 加 しており 1999 年 か ら J1リーグと J2 リーグの 2 部 制 となり 一 挙 に 26 ク ラブまで 増 えている ただ この 間 が 順 調 であった 訳 で はない 1996 年 から 2001 年 までは J リーグの 事 業 収 入 全 体 が 100 億 円 を 割 っており クラブ 数 では 成 長 しても 経 営 的 には 成 長 できなかったことが 分 かる そのために も J クラブの 経 営 を 安 定 させるために 経 営 諮 問 委 員 会 を 同 年 に 設 置 している 1996 年 からの J リーグは 経 営 的 な 低 迷 よりも 如 何 にして 継 続 していくかが 命 題 となって いた 配 分 金 を 減 少 させながらも 2 部 制 を 実 施 するこ とを 優 先 していった しかし それも 2002 年 からは 好 転 する 日 韓 W 杯 開 催 の 影 響 もあり 放 映 権 料 が 一 挙 に 2 倍 となり 好 転 している この 年 川 淵 チェアマンを 退 任 し 日 本 サッカー 協 会 の 会 長 となっている J リーグ 導 入 期 でのリーダーシップと 多 くの 功 績 そして 何 よりも 日 本 のサッカー プロスポーツリーグのへ 変 革 への 功 績 を 誰 もが 認 めた 10 年 であった 4. リーグ 経 営 安 定 化 と 拡 大 の 布 石 2 代 目 チェアマンに 就 任 したのは 鹿 島 アントラーズの 社 長 を 経 験 している 鈴 木 昌 である J リーグの 本 格 的 な 成 長 期 したのはここからであるのが 表 2 を 見 て 分 かる 2001 年 から 2004 年 の 4 年 間 はクラブ 数 を 増 やしていな いが J リーグの 収 入 は 安 定 をしている ここでの 大 き 9) な 変 革 は 鈴 木 チェアマンに 就 任 したことである 武 藤 が 述 べるには 通 常 の 競 技 スポーツ 組 織 においては 競 技 者 自 治 が 前 提 となり 競 技 者 出 身 以 外 が 競 技 スポーツ 組 織 のトップになることは 難 しい 彼 自 身 前 任 者 のサッ カー 選 手 ましてや 日 本 代 表 監 督 経 験 者 でもなく 長 年 サッカー 協 会 関 係 の 役 員 をしてきた 経 歴 ではない 専 門 誌 10) からのインタビュー 内 容 によれば 彼 とサッカーの つながりは 1987 年 の 住 友 金 属 工 業 鹿 島 製 鉄 所 の 副 所 長 時 代 に 住 友 金 属 工 業 蹴 球 団 という 実 業 団 サッカー 団 長 か らである そこから 1994 年 から 鹿 島 アントラーズの 社 長 を 6 年 間 経 験 している J クラブ 経 営 者 がチェアマンと なったことは 逆 にリーグ 経 営 がそれだけ 難 しいことも 意 味 している サッカーの 経 験 があれば 経 営 に 生 かせ る 現 実 はなかったということである 次 の 変 革 は 公 式 試 合 安 定 開 催 基 金 の 設 置 を 2005 年 7 月 の 理 事 会 におい て 決 定 したことである 1999 年 から J2 リーグが 開 始 さ れているが J2 クラブの 経 営 自 体 がまだまだ 未 熟 な 面 が あり 経 営 危 機 に 陥 ることを 想 定 してのことである 実 際 に 2005 年 10 月 に J2 クラブあるザスパ 草 津 ( 現 ザスパ クサツ 群 馬 )の 経 営 危 機 が 適 用 第 1 号 として 5000 万 円 の 低 利 融 資 11) を 行 っている リーグとしての 安 定 を 図 るた めにも 危 機 管 理 にも 対 処 する 経 営 ノウハウを 積 み 上 げて いき 事 業 継 続 性 を 高 めていく 重 要 性 を 認 識 している そ れ 以 外 の 変 革 にも V ゴール 方 式 の 廃 止 2シーズン 制 から1シーズン 制 の 変 更 をすることによるチャンピオン シップ 戦 の 廃 止 も 挙 げられる J リーグはプロスポーツ としての 情 報 公 開 にも 積 極 的 である 鈴 木 チェアマンは 2006 年 7 月 に 退 任 したが この 年
195 愛 知 工 業 大 学 研 究 報 告, 第 50 号, 平 成 27 年,Vol.50,Mar,2015 の 9 月 から 前 年 の 全 J クラブの 個 別 経 営 情 報 開 示 を 実 施 している お 金 の 面 で 閉 鎖 性 の 高 いスポーツの 世 界 にお 12) いて 大 きな 意 味 での 変 革 であった 同 年 3 月 の 発 表 では J リーグへの 準 加 盟 制 度 の 改 定 を 行 い 将 来 的 な J リーグ 入 会 を 目 指 すクラブが 入 会 基 準 のクリアと 安 定 し たクラブ 運 営 ができるよう 支 援 することを 念 頭 に 随 時 J リーグ 準 加 盟 申 請 を 受 け 付 けることにした それと 同 時 に 年 1 回 J リーグセミナーを 開 催 し J リーグ 入 会 に 必 要 となる 情 報 の 提 供 交 換 の 場 を 設 け J リーグ 自 体 の 拡 大 を 目 指 すための 布 石 をうったのである そして 後 任 の3 代 目 チェアマンである 鬼 武 健 二 を2004 年 から 専 務 理 事 に 置 き 後 継 者 の 育 成 という 流 れをつくっていく である 5. 集 客 とリーグの 変 革 2007 年 2 月 23 日 この 日 は J リーグが 新 たなシーズ ンを 迎 えるにあたり メディア 向 けの 毎 年 恒 例 のイベン トとして J リーグプレスカンファレンス が 開 催 され た この 時 に 3 代 目 チェアマンである 鬼 武 健 二 は J リー グ 関 係 者 とマスコミに 向 けてプレゼンテーション 13) を 行 った 2つの 大 きな 意 味 が 示 されていた 1つは J リーグのキャッチフレーズを 変 えたこと もう1つが J リーグの 新 たなる 挑 戦 として 打 ち 出 した イレブンミリ オンプロジェクト である 2010 年 までに J リーグの 全 ての 公 式 試 合 において 総 入 場 者 数 1100 万 人 を 目 指 すと いうものだ これは 力 強 いチェアマンの 意 思 表 示 であ った プロスポーツリーグ 自 体 が 入 場 者 数 の 数 値 目 標 を 設 定 し 全 クラブに 浸 透 させるというのは 画 期 的 とい っても 過 言 ではない 各 J クラブが 個 別 目 標 を 持 つので はなく 集 客 をリーグ 全 体 の 課 題 として 推 進 させるとと いことである そのために 鬼 武 チェアマンは 同 時 に J リーグ 事 務 局 の 組 織 変 更 も 行 った 6 部 制 から 3 グループ 制 に 変 更 し さらに イレブンミリオン 推 進 プロジェクトという 時 限 性 のプロジェクトチームを 発 足 させた リーグの 集 客 をクラブ 任 せにするのではなくリーグでも 積 極 的 に 関 与 する 姿 勢 は 今 までのプロスポーツリーグになく 野 心 的 な 試 みであったといえる 結 果 的 には 達 成 することは できなかったが J クラブが 集 客 を 真 剣 に 考 えたことは 大 きな 意 味 がある 今 までのスポーツの 常 識 であった 勝 てば お 客 が 来 る とか 強 ければお 客 が 来 る という 勝 利 至 上 主 義 から 脱 却 し サービス 業 としての 視 点 を 植 え 付 けた 意 味 は 大 きい 今 回 は 変 革 の 要 素 の1つとして 取 り 上 げたが このプロジェクトの 意 義 は 今 後 の 課 題 と したい 6. 新 たな 基 準 作 成 と 国 際 化 2010 年 ドイツ W 杯 があり この 年 7 月 に 4 代 目 のチ ェアマンとして 大 東 和 美 が 就 任 した 2 代 目 チェアマン 鈴 木 昌 と 同 じ 鹿 島 アントラーズの 社 長 経 験 者 である 同 クラブから 2 人 目 のチェアマンがでることは それだ け クラブ 経 営 としての 安 定 感 があるからと 言 える 彼 自 身 の 経 歴 にはサッカー 経 験 がなくスポーツ 選 手 経 験 者 ではあるがラグビー 出 身 であり 早 稲 田 大 学 ラグビー 部 監 督 という 経 歴 の 持 ち 主 であり しかも 大 学 選 手 権 優 勝 もさせている 人 物 である 大 東 チェアマンの J リーグ 変 革 のための 取 り 組 みの 最 重 要 課 題 はクラブライセンス 制 度 の 導 入 えあったが その 前 に 大 きな 試 練 が 立 ちはだか ることになる 2011 年 3 月 11 日 に 起 きた 東 日 本 大 震 災 である J リーグ 開 幕 から 2 戦 目 の 前 日 の 出 来 事 である 被 災 地 にホームタウンを 置 く J クラブはスタジアムや 練 習 施 設 に 大 きな 被 害 を 受 け その 他 のクラブも 電 力 事 情 など 活 動 が 困 難 な 状 況 となったため いち 早 くリーグ 戦 の 延 期 を 決 定 した これはJリーグ 広 報 誌 14) でも 発 表 さ れているが 3 月 29 日 は 復 興 支 援 のためのチャリティマ ッチを 開 催 し J リーグ 自 身 チカラをひとつに -TEAM AS ONE- というスローガンを 打 ち 出 して 復 興 支 援 へ の 取 り 組 みを 打 ち 出 した リーグとしてスピード 感 を 持 った 決 断 と 対 応 であった 同 年 12 月 末 までに 行 った 復 興 支 援 活 動 は 2012 年 6 月 に 東 日 本 大 震 災 関 連 活 動 調 査 報 告 書 として J リーグから 発 表 されている しかし 試 練 の 中 でも 最 重 要 課 題 であるクラブライセ ンス 制 度 の 導 入 も 着 実 に 準 備 をしていた このクラブラ イセンス 制 度 の 導 入 は J クラブの 経 営 基 盤 の 強 化 と 競 技 環 境 観 戦 環 境 育 成 環 境 の 強 化 充 実 を 図 ることが 狙 いとしている このクラブライセンスの 原 点 はドイツ である 毎 年 全 クラブのリーグ 戦 への 参 加 資 格 をチェッ クするための 基 準 として 導 入 した これを UEFA(ヨー ロッパサッカー 連 盟 )がチャンピオンズリーグ 参 加 資 格 として 2004 年 から 採 用 これを 評 価 した FIFA( 国 際 サ ッカー 連 盟 )は 2008 年 からクラブライセンス 制 度 の 導 入 し AFC(アジアサッカー 連 盟 )も 2013 年 からアジアチ ャンピオンズリーグの 参 加 資 格 として 導 入 を 決 定 した J リーグの 発 表 15) によれば これを 受 けて 日 本 サッカー 協 会 と J リーグは AFC クラブライセンスよりもやや 厳 しい クラブライセンスを 作 る 判 断 をした ここ 数 年 J リー グも J クラブも ビジネス 面 での 停 滞 感 が 蔓 延 しており 東 日 本 大 震 災 が 平 均 入 場 者 の 減 少 に 追 い 打 ちをかけ メ ディア 価 値 の 低 下 クラブ 間 の 階 層 の 固 定 化 など 憂 慮 すべき 案 件 が 数 多 くある J リーグはこのライセンス 制 度 によって J クラブの ハードとソフトの 整 備 投 資 対 象 としての J クラブの 魅 力 向 上 が 期 待 され J リ ーグ 全 体 のブランド 向 上 は 図 りたいと 考 えているのでは
196 Jリーグ 22 年 の 変 革 と 最 高 経 営 責 任 者 の 戦 略 ないだろうか 16) そのため 大 東 チェアマンは 2012 年 10 月 に 大 幅 な 組 織 変 更 を 実 施 した 鬼 武 チェアマン 時 代 の 3グループ 制 プラス1プロジェクトチームから 2 本 部 制 とクラブライセンス 事 務 局 とした J リーグはここの 年 4 月 より 社 団 法 人 日 本 プロサッカーリーグから 公 益 社 団 法 人 日 本 プロサッカーリーグとなり より 社 会 性 公 益 性 を 意 識 したプロスポーツ 団 体 としての 性 格 を 前 面 に 出 し た 組 織 にしたことも 大 きく 影 響 している そして 2013 年 には 翌 年 からスタートさせる J3 リーグの 準 備 室 を 設 置 させている さらなる 拡 大 のための 準 備 である 大 き な 荒 波 を 乗 り 越 えながらもやることはやる J リーグ 歴 代 4 人 のチェアマンは 理 念 を 軸 にプロスポーツリーグ の 最 高 責 任 者 として 戦 略 的 に 大 きな 役 割 を 果 たしてき た 参 考 歴 代 チェアマンの 略 歴 (チェアマン 就 任 時 ) 初 代 川 淵 三 郎 (かわぶちさぶろう)1936 年 12 月 3 日 生 大 阪 府 出 身 1961 年 早 稲 田 大 学 卒 業 同 年 古 河 電 気 工 業 入 社 1970 年 まで 同 社 サッカー 部 選 手 1972 年 同 社 サッカー 部 監 督 1988 年 古 河 産 業 取 締 役 日 本 サッカー 協 会 理 事 1990 年 同 協 会 プロリーグ 検 討 委 員 会 委 員 長 就 任 1991 年 同 協 会 プロリーグ 設 立 準 備 室 長 就 任 同 社 退 社 同 年 日 本 プロサッカーリーグ(J リーグ) 設 立 初 代 チェアマン 就 任 7. 総 括 J リーグのチェアマンは 前 述 したが 最 高 経 営 責 任 者 である その 中 で 初 代 チェアマンである 川 淵 三 郎 の 功 績 は 非 常 に 大 きい 創 設 時 から 関 わり 10 年 以 上 に 渡 って の 在 任 期 間 は J リーグという 新 しいプロスポーツリーグ を 定 着 させるには 時 間 がかかった 多 くの 人 の 目 は 日 本 サッカー 協 会 の 会 長 にもなった 川 淵 三 郎 だけに 行 きがち だが 2 代 目 以 降 のチェアマンもそれぞれに 大 きな 戦 略 と 役 割 を 実 行 してきた 鈴 木 チェアマンは 前 任 者 の 作 り 上 げた 資 産 を 安 定 させることを 考 え 同 時 に 拡 大 するた めの 布 石 を 打 ち 時 代 に 合 わせた 情 報 公 開 も 行 った 3 代 目 鬼 武 チェアマンは 集 客 のため 積 極 的 な 挑 戦 をした 4 代 目 大 東 チェアマンは 未 曽 有 の 災 害 に 向 き 合 いながら J リーグの 価 値 を 上 げるため 大 きな 制 度 変 更 を 行 った プ ロスポーツリーグの 最 高 経 営 責 任 者 は 常 に 現 状 に 満 足 す ることなく 変 革 へと 向 かう 姿 勢 は 一 貫 している 2014 年 2 月 から 5 代 目 チェアマンが 誕 生 している 新 チェア マンである 村 木 満 氏 にやるべき 経 営 課 題 は 多 岐 に 渡 る 冒 頭 で 述 べた 2 シーズン 制 への 変 更 と J リーグの 全 カテ ゴリーに 冠 スポンサーをつけたことなど ほんの 一 部 に すぎないが J リーグ 自 体 の 大 きな 変 革 と 言 える 2 節 で 述 べたライフサイクルで 言 えば J リーグは 導 入 期 から 少 しずつだがやっと 成 長 期 に 入 る 節 目 の 段 階 ではないの か プロスポーツリーグは 基 盤 づくりの 重 要 性 が 理 解 で きる それは 一 度 はじめたら 簡 単 にやめることができな いこと 時 代 に 合 わせた 継 続 性 を 最 高 経 営 責 任 者 である チェアマンが 重 く 受 け 止 めていることがうかがえる 今 回 の 研 究 では 経 営 面 での 戦 略 としての 方 針 面 を 中 心 に ふれたが J リーグチェアマン 各 氏 が 残 した 功 績 は ま だ 数 多 くある 今 後 の 新 たな 研 究 課 題 としていきたい 2 代 目 鈴 木 昌 (すずきまさる)1935 年 12 月 15 日 生 兵 庫 県 出 身 1959 年 東 京 大 学 卒 業 同 年 住 友 金 属 工 業 入 社 1980 年 同 社 広 報 部 東 京 広 報 室 長 1987 年 同 社 鹿 島 製 鉄 所 副 所 長 同 年 同 社 蹴 球 団 (サッカー 部 ) 団 長 1990 年 鹿 島 運 輸 社 長 1994 年 鹿 島 アントラーズ FC 代 表 取 締 役 社 長 同 年 日 本 プロサッカーリーグ 理 事 2000 年 鹿 島 アントラーズ FC 特 別 顧 問 2002 年 日 本 プロサッカーリーグチェアマン 就 任 3 代 目 鬼 武 健 二 (おにたけけんじ)1939 年 9 月 19 日 生 広 島 県 出 身 1962 年 早 稲 田 大 学 卒 業 同 年 ヤンマーディーゼル 入 社 1967 年 まで 同 社 サッカー 部 選 手 1967 年 から 同 社 サッカー 部 監 督 1978 年 まで 同 社 サッカー 部 監 督 同 年 ヤンマーディーゼル 東 京 支 社 1983 年 日 豊 ヤンマー 代 表 取 締 役 社 長 1986 年 ヤンマーディーゼル 舶 用 事 業 部 次 長 1988 年 同 社 マリンレジャー 営 業 部 長 1992 年 同 社 サッカープロ 化 推 進 室 長 1993 年 大 阪 サッカークラブ 代 表 取 締 役 社 長 1996 年 日 本 プロサッカーリーグ 理 事 2000 年 大 阪 サッカークラブ 代 表 取 締 役 会 長 2004 年 同 社 退 任 日 本 プロサッカーリーグ 専 務 理 事 2006 年 日 本 プロサッカーリーグチェアマン 就 任
197 愛 知 工 業 大 学 研 究 報 告, 第 50 号, 平 成 27 年,Vol.50,Mar,2015 4 代 目 大 東 和 美 (おおひがしかずみ)1948 年 10 月 22 日 生 兵 庫 県 出 身 1971 年 早 稲 田 大 学 卒 業 同 年 住 友 金 属 工 業 入 社 1976 年 早 稲 田 大 学 ラグビー 部 監 督 大 学 選 手 権 優 勝 1996 年 同 社 四 国 支 社 長 1999 年 同 社 大 阪 プロジェクト 開 発 部 長 2001 年 同 社 九 州 支 社 長 2005 年 鹿 島 アントラーズ FC 専 務 取 締 役 2006 年 同 社 代 表 取 締 役 社 長 2008 年 日 本 プロサッカーリーグ 理 事 2010 年 日 本 プロサッカーリーグチェアマン 就 任 各 資 料 17) をもとに 独 自 作 成 参 考 文 献 及 び 資 料 等 1)J リーグ 規 約 規 程 集 2014 年 版 第 2 章 第 2 節 第 6 条 チェアマンの 権 限 P13 2) 竹 中 嘉 久 J リーグ 発 展 への 道 程 愛 知 工 業 大 学 研 究 報 告 第 49 号 P143-P148 2014 3) 川 淵 三 郎 J の 履 歴 書 日 本 経 済 新 聞 社 P108-P131 2009 4)J リーグ HP(http://www.jleague.jp/) 経 営 情 報 (J リーグの 収 支 )より 5) 川 淵 三 郎 J の 履 歴 書 日 本 経 済 新 聞 社 P93-P103 2009 6) 玉 木 正 之 スポーツとは 何 か 講 談 社 現 代 新 書 P116-P120 1999 7) 原 田 宗 彦 他 J リーグマーケティングの 基 礎 知 識 創 文 企 画 P11-P12 2013 8) 竹 中 嘉 久 J リーグ 発 展 への 道 程 ~ソーシャル キャピタルの 可 能 性 の 探 求 教 育 医 学 第 59 巻 第 4 号 P252-P258 2014 9) 武 藤 泰 明 経 営 論 から 見 た 日 本 のプロサッカー 東 洋 経 済 新 報 社 一 橋 ビジネスレビュー (56 巻 4 号 ) P20-P31 2009 10)サッカー 批 評 VOL18 双 葉 社 P16-P23 2003 11) 朝 日 新 聞 朝 刊 群 馬 県 央 版 P35 2005 年 10 月 19 日 12) 準 加 盟 クラブ 募 集 開 始 J.LEAGUE NEWS vol.124 P4 2006 13) 鬼 武 チェアマンが 中 期 目 標 発 表 J.LEAGUE NEWS vol.134 P3 2007 14) チェアマン 総 括 J.LEAGUE NEWS vol.188 P8 2011 15)J リーグ 配 布 資 料 クラブライセンス 制 度 について 2010 10 18 16) 宇 都 宮 徹 壱 クラブライセンス 制 度 とは 何 か? スポーツナビ(http://soccer.yahoo.co.jp/jleague/) 2012 1 20 17) 川 淵 三 郎 51 歳 からの 左 遷 からすべては 始 まった PHP 新 書 略 歴 欄 より 2009 鈴 木 チェアマン 豊 かさを 語 る 略 歴 欄 より 三 菱 総 研 倶 楽 部 VOL2 J リーグ 百 年 構 想 2005 鬼 武 健 二 プロフィールより J.LEAGUE NEWS vol.127 P2 2006 大 東 和 美 プロフィールより J.LEAGUE NEWS vol.173 P2 2010 ( 受 理 平 成 27 年 3 月 19 日 )