Title < 書 評 > 阿 部 志 郎 岡 本 榮 一 監 修 日 本 キリスト 教 社 会 福 祉 学 会 編 日 本 キリスト 教 社 会 福 祉 の 歴 史 Author(s) 白 波 瀬, 達 也 Citation 宗 教 と 社 会 貢 献. 5(1) P.103-P.108 Issue 2015-04 Date Text Version publisher URL http://hdl.handle.net/11094/51350 DOI Rights Osaka University
書 評 阿 部 志 郎 岡 本 榮 一 監 修 日 本 キリスト 教 社 会 福 祉 学 会 編 日 本 キリスト 教 社 会 福 祉 の 歴 史 ミネルヴァ 書 房 2014 年 6 月 A5 判 522 頁 5,500 円 ( 税 別 ) * 白 波 瀬 達 也 1. はじめに 本 書 は 日 本 キリスト 教 社 会 福 祉 学 会 の 発 足 50 周 年 の 記 念 として 企 画 さ れたもので 日 本 のキリスト 教 社 会 福 祉 を 通 史 的 に 扱 う 大 著 である 類 書 としては 生 江 孝 之 の 日 本 基 督 教 社 会 事 業 史 と 竹 中 勝 男 の 日 本 基 督 教 社 会 事 業 史 があるが これらは 戦 前 の 事 象 を 対 象 としており 戦 後 の 展 開 が 捉 えられていない[ 生 江 1931; 竹 中 1940] こうした 課 題 をふまえ 本 書 は 戦 前 から 現 代 に 至 るまでの 日 本 のキリスト 教 社 会 福 祉 の 歩 みを 一 冊 に まとめることを 目 的 としている また 本 書 は 約 20 人 の 執 筆 者 が 社 会 福 祉 学 のみならず キリスト 教 神 学 や 歴 史 学 等 の 隣 接 領 域 の 歴 史 的 認 識 を 考 慮 している 点 が 特 徴 である 宗 派 教 派 を 超 えて これまでのキリスト 教 社 会 福 祉 の 実 践 研 究 が 網 羅 さ れている 点 も 類 書 にはみられない 本 書 の 特 徴 となっている 2. 本 書 の 目 次 と 内 容 本 書 は 序 章 と 終 章 を 合 わせると 17 章 で 構 成 されており 第 1 章 から 第 11 章 は 第 1 部 キリスト 教 社 会 福 祉 の 歴 史 に 含 まれている 一 方 第 12 章 から 第 15 章 は 第 2 部 各 教 派 団 体 教 育 研 究 の 歩 み に 含 まれている 序 章 社 会 の 地 殻 変 動 と 福 祉 ( 岡 山 孝 太 郎 )では キリスト 教 社 会 福 祉 の 理 論 的 特 性 について 述 べられている 本 章 では キリスト 教 社 会 福 祉 が 市 場 原 理 主 義 の 力 の 原 理 に 対 し 弱 さの 原 理 ( 福 音 使 信 に 基 づいて 展 開 される 福 祉 の 原 理 )を 追 求 すべきであることが 強 調 されている 第 1 章 世 界 のキリスト 教 社 会 福 祉 の 歩 み ( 木 原 活 信 春 見 静 子 )では 最 初 に 世 界 のキリスト 教 社 会 福 祉 史 の 概 略 が 述 べられ 次 に 現 代 社 会 とキ リスト 教 社 会 福 祉 の 関 係 について 主 に 欧 米 の 展 開 が 述 べられる 最 後 にア * 関 西 学 院 大 学 社 会 学 部 准 教 授 shirahase@kwansei.ac.jp 宗 教 と 社 会 貢 献 Religion and Social Contribution 2015.04, Volume 5, Issue 1: 103-108. 103
宗 教 と 社 会 貢 献 Religion and Social Contribution 2015.04, Volume 5, Issue 1: 103-108. ジア 諸 国 の 動 向 についてアジア キリスト 教 会 議 アジア 福 音 同 盟 カリ タス アジアなどが 取 り 上 げられている 第 2 章 キリシタンの 慈 善 事 業 ( 田 代 菊 雄 )では キリスト 教 の 伝 来 以 来 キリシタンによる 慈 善 事 業 が 展 開 されたことに 着 目 している また キリシタンの 慈 善 事 業 の 特 徴 として 主 たる 担 い 手 が 一 般 信 徒 であったこ とが 指 摘 されている 信 徒 が 自 発 的 積 極 的 に 慈 善 事 業 に 参 加 していた 点 が 明 治 以 降 のカトリックの 社 会 事 業 との 相 違 点 であると 述 べられている 第 3 章 明 治 初 期 キリスト 教 慈 善 事 業 の 形 成 ( 坂 本 道 子 杉 山 博 昭 )で は 近 代 初 期 におけるキリスト 教 社 会 福 祉 の 展 開 に 着 目 している 本 章 で はこの 時 期 にける 公 的 救 済 が 不 十 分 で 他 の 民 間 の 救 済 も 不 足 するなか キリスト 教 慈 善 事 業 が 多 く 生 まれたと 記 されている また カトリックと プロテスタントの 慈 善 事 業 の 相 違 点 として プロテスタントが 売 春 制 度 監 獄 飲 酒 などの 問 題 を 社 会 倫 理 として 追 求 し ときに 政 府 への 働 きかけ などを 展 開 していくのに 対 し 修 道 会 を 中 心 としたカトリックの 活 動 は 社 会 や 国 家 に 積 極 的 にかかわろうとする 姿 勢 ではなかった (p.73)との 指 摘 がみられる 第 4 章 明 治 中 期 におけるキリスト 教 慈 善 事 業 の 展 開 ( 室 田 保 夫 )では 1887 年 頃 から 1905 年 頃 までの 約 20 年 間 を 対 象 にしている この 期 間 は 日 清 戦 争 後 の 資 本 主 義 の 展 開 によって 新 たな 社 会 問 題 が 生 じるとともに 日 露 戦 争 に 突 入 する 時 期 であり 国 家 の 社 会 事 業 への 取 り 組 みはきわめて 貧 困 であった (p.97) こうしたなか 岡 山 孤 児 院 やキングスレー 館 をはじめと する 先 駆 的 な 慈 善 事 業 施 設 が 創 設 され それらの 事 業 が 開 花 したことが 記 されている 第 5 章 日 露 戦 争 後 の 感 化 救 済 事 業 とキリスト 教 ( 細 井 勇 )では 日 露 戦 争 後 の 明 治 末 期 において キリスト 教 およびキリスト 教 慈 善 事 業 がそれ までの 社 会 改 良 主 義 的 な 政 治 運 動 との 連 続 性 を 失 い 日 露 戦 争 後 の 体 制 危 機 に 対 応 する 国 家 による 国 民 統 合 策 を 担 うようになっていく (p.100)こと が 指 摘 されている その 象 徴 的 な 出 来 事 として 1912 年 の 神 仏 基 の 三 教 合 同 が 取 り 上 げられている 国 民 統 合 策 の 一 環 として 実 現 した 三 教 合 同 によっ てキリスト 教 は 国 家 による 公 認 化 を 受 けることになった しかし このこ とによって キリスト 教 は 労 働 運 動 との 関 係 が 希 薄 になり 国 家 による 政 治 的 活 用 の 対 象 となっていったと 述 べられている 104
書 評 第 6 章 大 正 デモクラシー 下 のキリスト 教 社 会 事 業 ( 遠 藤 興 一 )では 大 正 期 におけるキリスト 教 社 会 事 業 に 焦 点 が 当 てられている この 時 期 の キリスト 教 は 明 治 期 と 異 なり 社 会 主 義 との 関 係 が 希 薄 になり 社 会 改 革 的 な 性 格 を 弱 めていくと 指 摘 されている 一 方 で 社 会 事 業 はニーズの 飛 躍 的 拡 大 に 伴 って 組 織 化 制 度 化 が 進 むようになった 本 章 では こうし た 時 代 状 況 下 におけるキリスト 教 社 会 事 業 の 動 向 が 教 派 社 会 事 業 組 織 社 会 事 業 家 別 に 分 析 されている 第 7 章 世 界 恐 慌 期 のキリスト 教 会 とキリスト 教 社 会 事 業 ( 杉 山 博 昭 ) では 世 界 恐 慌 から 日 中 戦 争 が 始 まるまでの 時 期 のキリスト 教 社 会 事 業 が 取 り 上 げられている この 時 期 はキリスト 教 に 基 づく 社 会 事 業 思 想 理 論 によって 社 会 事 業 の 質 を 高 めた 反 面 ファシズムの 流 れに 抵 抗 できず キリスト 教 社 会 事 業 家 たちは ハンセン 病 者 の 隔 離 や 優 生 思 想 に 賛 意 を 表 するなどし 人 権 抑 圧 に 加 担 したことが 指 摘 されている 第 8 章 日 中 戦 争 太 平 洋 戦 争 期 のキリスト 教 社 会 事 業 ( 永 岡 正 己 )で は 日 中 戦 争 から 第 二 次 世 界 大 戦 にかけてのキリスト 教 社 会 事 業 が 取 り 上 げられている この 時 期 においては 敵 国 に 関 係 する 宣 教 師 や 団 体 が 弾 圧 されるだけでなく キリスト 教 とキリスト 教 社 会 事 業 全 体 が 戦 時 国 家 体 制 によって それまで 以 上 に 統 制 され 天 皇 制 国 家 への 忠 誠 が 厳 しく 問 われることになった (p.175) 結 果 キリスト 教 社 会 事 業 が 戦 争 協 力 に 向 かい 思 想 的 に 変 質 していったことが 述 べられている 第 9 章 第 二 次 世 界 大 戦 後 のキリスト 教 社 会 福 祉 ( 遠 藤 久 江 西 川 淑 子 ) では 第 二 次 世 界 大 戦 後 から 高 度 経 済 成 長 期 前 までのキリスト 教 社 会 福 祉 が 取 り 上 げられている この 時 期 において 社 会 福 祉 事 業 は 民 間 への 責 任 転 嫁 が 許 されなくなり 宗 教 法 人 による 社 会 福 祉 事 業 の 実 施 や 施 設 の 設 置 は 歓 迎 されず 社 会 福 祉 法 人 への 転 換 を 強 要 されたことが 指 摘 されている また 憲 法 で 規 定 された 政 教 分 離 によって 福 祉 実 践 が 伝 道 と 切 り 離 され るようになったことが 記 されている 第 10 章 高 度 経 済 成 長 期 のキリスト 教 社 会 福 祉 ( 岸 川 洋 治 )では 高 度 経 済 成 長 期 におけるキリスト 教 社 会 福 祉 の 動 向 について 日 本 基 督 教 団 とカトリックの 比 較 を 通 じて 論 じられている プロテスタントの 場 合 信 徒 が 施 設 の 運 営 主 体 であることが 多 いのに 対 し カトリックは 修 道 会 や 教 区 が 運 営 主 体 となることが 多 いことが 指 摘 されている また この 時 期 に 105
宗 教 と 社 会 貢 献 Religion and Social Contribution 2015.04, Volume 5, Issue 1: 103-108. は 社 会 福 祉 法 人 の 定 款 からキリスト 教 主 義 の 文 言 を 削 除 するよう 行 政 指 導 が 入 るようになったことが 記 されている こうした 危 機 が キリスト 教 社 会 福 祉 の 実 践 と 理 論 を 統 合 する 必 要 性 を 高 め キリスト 教 社 会 福 祉 学 会 結 成 の 要 因 となったことが 述 べられている 第 11 章 福 祉 改 革 期 のキリスト 教 社 会 福 祉 ( 市 川 一 宏 髙 山 直 樹 )では 高 度 経 済 成 長 期 後 から 現 在 までのキリスト 教 社 会 福 祉 の 動 向 が 論 じられて いる この 時 期 は 地 域 福 祉 の 推 進 福 祉 サービスの 供 給 主 体 の 多 元 化 社 会 福 祉 専 門 職 の 国 家 資 格 化 など 社 会 福 祉 を 取 り 巻 く 状 況 がめまぐるしく 変 化 した しかしながら キリスト 教 社 会 福 祉 の 担 い 手 がこうした 変 化 に 十 分 に 対 応 しきれなかったと 指 摘 されている また この 時 期 にはキリス ト 教 社 会 福 祉 施 設 の 後 継 者 に 教 会 の 人 材 を 送 り 込 むことができなくなり キリスト 教 主 義 というミッションの 形 骸 化 がみられるようになったと 述 べ られている 第 12 章 各 教 派 の 歩 みと 福 祉 実 践 ( 田 代 菊 雄 杉 山 博 昭 )では 教 派 という 視 点 からキリスト 教 社 会 福 祉 の 歴 史 が 整 理 されている 本 章 ではカ トリックとプロテスタントの 各 教 派 の 福 祉 実 践 が 取 り 上 げられているが 特 にカトリックの 動 向 について 詳 しく 記 されている カトリック 社 会 福 祉 の 歴 史 的 特 徴 については 以 下 のように 述 べられている 1その 時 代 におい いてもっとも 高 いニーズを 有 する 活 動 あるいはもっとも 排 除 されている 人 たちの 福 祉 に 特 に 精 力 的 に 取 り 組 んできたこと 2その 時 代 のニーズに 迅 速 に 取 り 組 んでいること 3 修 道 会 により 創 設 されており 創 設 者 個 人 が 全 面 に 出 ることは 少 ないこと 4カトリック 社 会 福 祉 は 全 国 的 にみられ るが どちらかといえば 地 方 での 展 開 が 目 立 つこと 5 対 外 的 な 宣 伝 をほ とんど 行 わないこと 6 第 二 バチカン 公 会 議 の 精 神 を 受 けて 社 会 への 関 心 を 深 め 差 別 抑 圧 の 現 実 を 受 けとめ 宣 教 の 課 題 としていく 姿 勢 が 鮮 明 になっていること 第 13 章 日 本 におけるキリスト 教 社 会 福 祉 関 係 団 体 の 歩 み ( 山 本 誠 市 川 一 宏 谷 川 修 )では 運 営 主 体 の 定 款 等 が キリスト 教 の 精 神 に 基 づ いて 社 会 福 祉 事 業 を 行 う と 定 めて 運 営 されている 法 人 施 設 および 運 営 の 責 任 者 が キリスト 教 の 精 神 信 仰 に 基 づいて 社 会 福 祉 事 業 を 行 う 方 針 をもって 実 践 がなされている 法 人 施 設 の 集 合 体 (p.317)をキリスト 教 社 会 福 祉 関 係 団 体 と 呼 び カリタスジャパンや 救 世 軍 社 会 事 業 団 など 106
書 評 各 団 体 の 歴 史 が 紹 介 されている 第 14 章 国 際 動 向 と 国 際 団 体 の 歩 み ( 木 原 活 信 春 見 静 子 マーサ メンセンディーク 遠 藤 久 江 )では それまでの 章 とは 視 点 を 異 にして キリスト 教 社 会 福 祉 に 関 する 国 際 的 な 動 向 と 世 界 を 股 にかける 国 際 団 体 ( 国 際 カリタス ユーロディアコニアなど)が 紹 介 されている また 日 本 を 拠 点 に 移 住 労 働 者 や 難 民 などの 支 援 にかかわり 多 文 化 共 生 や 平 和 活 動 を 展 開 しているキリスト 教 系 団 体 ( 日 本 カトリック 難 民 移 住 移 動 者 委 員 会 女 性 の 家 HELP など)が 紹 介 されている 第 15 章 キリスト 教 社 会 福 祉 の 養 成 教 育 専 門 職 の 歩 み ( 新 野 三 四 子 今 堀 美 樹 )では 総 論 的 にキリスト 教 社 会 福 祉 教 育 におけるワーカー 養 成 の 歴 史 が 述 べられるとともに 具 体 的 な 教 育 実 践 事 例 が 紹 介 されている 終 章 座 談 会 キリスト 教 社 会 福 祉 史 の 課 題 と 展 望 ( 日 本 キリスト 教 社 会 福 祉 学 会 記 念 出 版 編 集 委 員 会 )では 本 書 の 執 筆 陣 が 参 加 した 座 談 会 日 本 キリスト 教 社 会 福 祉 史 の 課 題 と 展 望 の 内 容 が 収 録 されている 3. 本 書 の 成 果 と 課 題 日 本 キリスト 教 社 会 福 祉 の 歴 史 は 戦 前 から 現 在 に 至 る 日 本 のキリス ト 教 社 会 福 祉 の 歴 史 を 多 角 的 な 視 点 から 取 り 上 げ 一 冊 の 本 にまとめるこ とに 成 功 している 特 に 戦 後 におけるキリスト 教 社 会 福 祉 に 関 する 研 究 や 資 料 については 教 派 ごとの 通 史 施 設 史 人 物 史 地 域 史 が 個 別 的 に 存 在 する 傾 向 があったことから 本 書 がそれらを 統 合 整 理 した 意 義 は 大 き いといえるだろう 本 書 を 第 1 部 キリスト 教 社 会 福 祉 の 歴 史 と 第 2 部 各 教 派 団 体 教 育 研 究 の 歩 み に 大 別 したことも 非 常 に 奏 功 していると 評 者 は 考 えて いる 第 1 部 の 著 述 スタイルは 社 会 福 祉 史 の 定 番 だが 戦 前 だけでなく 戦 後 から 現 在 までを 通 史 として 取 り 上 げたことは 意 欲 的 な 試 みとして 高 く 評 価 できる また 第 2 部 の 著 述 は 類 書 が 少 なく 資 料 的 価 値 も 高 い 第 1 部 と 第 2 部 は 内 容 が 部 分 的 に 重 なるところがあるが 異 なる 視 点 から 書 か れているため 相 補 的 な 関 係 になっている そのため 両 方 に 目 を 通 すこ とでキリスト 教 社 会 福 祉 を 多 角 的 に 把 握 することができるといえるだろう 最 後 に 本 書 の 課 題 について 指 摘 する 社 会 福 祉 史 の 分 野 には キリスト 107
宗 教 と 社 会 貢 献 Religion and Social Contribution 2015.04, Volume 5, Issue 1: 103-108. 教 社 会 福 祉 史 と 並 んで 仏 教 社 会 福 祉 史 の 蓄 積 があるが 本 書 ではほとんど 顧 慮 されていない 本 書 ではキリスト 教 社 会 福 祉 を 通 時 的 に 捉 えているが その 変 化 の 要 因 は 大 きく 内 在 的 要 因 (キリスト 教 に 固 有 のもの)と 外 在 的 要 因 ( 国 家 による 管 理 統 制 や 法 制 度 )に 分 けることができる 本 書 を 通 読 する 限 り 後 者 の 影 響 が 大 きいことが 看 取 される そのため キリスト 教 社 会 福 祉 を 論 じる 際 に 仏 教 社 会 福 祉 の 動 向 を 把 握 することは 比 較 の 上 で 相 当 に 有 益 ではないかと 考 えられる 奇 しくも 本 書 が 刊 行 される 直 前 に 日 本 仏 教 社 会 福 祉 学 会 が 仏 教 社 会 福 祉 入 門 を 刊 行 している[ 日 本 仏 教 社 会 福 祉 学 会 編 2014] 同 書 は 日 本 キリスト 教 社 会 福 祉 の 歴 史 に 比 べると 入 門 的 な 内 容 ではあるが 問 題 意 識 や 対 象 としている 時 期 には 共 通 点 が 多 い また 近 年 では 神 道 と 社 会 福 祉 の 関 係 を 論 じた 注 目 すべき 研 究 も 増 えてきている[ 藤 本 2009; 板 井 2011] こうした 研 究 の 知 見 との 照 らし 合 わせが 進 めば 日 本 における 宗 教 と 社 会 福 祉 の 関 係 を 包 括 的 に 捉 えることが 可 能 になってくると 思 われる 本 書 で 繰 り 返 し 述 べられている 通 り 日 本 キリスト 教 社 会 福 祉 学 会 には クリスチャンコードがある こうした 制 限 は 学 問 の 純 粋 性 を 担 保 すること に 効 果 を 発 揮 すると 考 えられるが キリスト 教 の 枠 を 越 境 して 物 事 を 把 握 する 足 かせにもなっているのではないだろうか クリスチャンコードの 是 非 について 論 じる 紙 幅 の 余 裕 はないが 学 問 の 発 展 のためには 隣 接 領 域 と の 一 層 のコラボレーションが 求 められよう このことが 翻 って 各 々の 研 究 実 践 に 新 たな 視 点 をもたらすのではないかと 評 者 は 考 えている 参 考 文 献 藤 本 頼 生 2009 神 道 と 社 会 事 業 の 近 代 史 弘 文 堂 板 井 正 斉 2011 ささえあいの 神 道 文 化 弘 文 堂 生 江 孝 之 1931 日 本 基 督 教 社 会 事 業 史 教 文 館 日 本 仏 教 社 会 福 祉 学 会 編 2014 仏 教 社 会 福 祉 入 門 法 蔵 館 竹 中 勝 男 1940 日 本 基 督 教 社 会 事 業 史 社 会 事 業 研 究 所 108