批 判 的 談 話 分 析 からみた 通 念 の 定 冠 詞 言 語 の 隠 蔽 機 能 に 注 目 して 柳 田 亮 吾 Parler de la langue, sans autre précision, comme font les linguistes, c est accepter tacitment la définition officielle de la langue officielle d une unité politique... (Bourdieu 1982 S. 28 強 調 ママ 1 ) 1 はじめに かつてフランスの 社 会 学 者 Pierre Bourdieu は, 研 究 対 象 である 言 語 の 歴 史 社 会 的 構 築 過 程 に 目 を 向 けることのない Ferdinand de Saussure や Noam Chomsky といった 言 語 学 者 を 批 判 し, 社 会 学 の 眼 差 しから 言 語 と いう 対 象 を 捉 えなおそうとした 冒 頭 の 引 用 は,Bourdieu のこの 批 判 的 態 度 を 端 的 に 表 現 している つまり, 言 語 学 者 達 は la langue の 名 の 下 に 公 用 語 = 国 語 を 暗 黙 の 内 に 所 与 の 研 究 対 象 とすることで,その 公 用 語 = 国 語 が 正 統 言 語 としていかに 社 会 的 に 構 築 されたかを 不 問 に 付 してしまっている 言 い 換 える ならば,la langue に 冠 された 定 冠 詞 には,langue に 関 する 社 会 学 的 な 問 いを 黙 殺 する 機 能 があるといえるかもしれない この Bourdieu の 指 摘 を 手 がかりにして, 本 稿 ではドイツ 語 の 冠 詞 を 言 語 の 隠 蔽 機 能 という 観 点 から 考 察 してみたい まずは, 批 判 的 言 語 学, 批 判 的 談 話 分 析 の 知 見 を 参 照 しながら, 言 語 の 隠 蔽 機 能 ( 山 下 2001)について 確 認 す る 次 に, 関 口 存 男 の 冠 詞 論 (1960, 1961)を 読 み 解 きながら, 通 念 の 定 冠 詞 に 焦 点 をあて,その 隠 蔽 機 能 について 考 察 する 1 断 り 書 きなく, 言 語 一 般 なるものを, 定 冠 詞 つきで 口 にするのが 言 語 学 者 の 常 であ るが,これは,ある 政 治 的 統 一 体 = 単 位 が 公 式 に 定 義 する 公 用 言 語 の 定 義 を 暗 黙 のうち に 受 け 入 れることである ( 稲 賀 繁 美 訳 1993 S. 37 強 調 ママ, 訳 者 補 足 略 )
60 批 判 的 談 話 分 析 からみた 通 念 の 定 冠 詞 2 批 判 的 談 話 分 析 と 言 語 の 隠 蔽 機 能 2.1 批 判 的 談 話 分 析 批 判 的 談 話 分 析 (Critical Discourse Analysis/ Kritische Diskursanalyse) は, 談 話 を 社 会 的 実 践 と 捉 え,それによっていかなる 社 会 的 不 平 等 が( 再 ) 生 産 されているかを 批 判 的 に 分 析 する 学 術 的 政 治 的 営 為 である(Fairclough and Wodak 1997, Wodak and Meyer 2009) 男 女 差 別, 人 種 差 別, 外 国 人 差 別, 反 ユダヤ 主 義 といった 談 話 を 対 象 とし, 談 話 において 自 明 視 されている あ たりまえ の 詳 細 な 言 語 分 析 を 通 してそこに 潜 在 するイデオロギー 性 を 明 らか にしていく 批 判 的 談 話 分 析 は, 個 々の 論 者 が 様 々な 社 会 文 化 言 語 理 論 を 基 に 発 展 さ せてきた 学 際 的 な 研 究 プログラムであるが 2, 本 稿 では M. A. K. Halliday の 選 択 体 系 機 能 文 法 (systemic functional grammar)に 影 響 をうけたイギリスに おける 研 究 を 取 り 上 げる 言 語 は 人 間 の 必 要 性 を 満 たすよう 進 化 してきた そして 言 語 はその 必 要 性 に 応 じて 組 織 化 されているという 点 で 機 能 的 であり, 恣 意 的 ではない (Halliday 1985/1994 S.ⅩⅢ 筆 者 訳 )という 認 識 をもとに 社 会 的 なコンテク ストにおいて 言 語 を 捉 えるHallidayの 研 究 は, 批 判 的 談 話 分 析 の 研 究 者 が 個 々 の 具 体 的 なテキストを 分 析 するにあたって 有 用 な 道 具 を 提 供 してきた 例 えば, Fairclough(2003)は Halliday の 提 唱 する 言 語 の 三 つの 機 能, 観 念 構 成 的 (ideational), 対 人 関 係 的 (interpersonal), テキスト 形 成 的 (textual) 機 能 を 援 用 し, 三 つそれぞれの 観 点 から 社 会 構 造 と 個 々の 具 体 的 なテキストを 媒 介 する 談 話 実 践 を 分 析 している 本 稿 ではその 内 の 一 つ, 経 験 を 加 工 言 語 化 し, 世 界 を 表 象 する 観 念 構 成 的 機 能 に 焦 点 を 当 て, 言 語 による 隠 蔽 につ いて 考 察 する 2.2 言 語 の 隠 蔽 機 能 社 会 的 な 出 来 事 を 表 象 するにあたっては,その 出 来 事 を 構 成 する 諸 要 素 をい 2 ドイツ 語 圏 の 研 究 者 としては,Michel Foucalut の 研 究 を 援 用 した Siegfried Jäger, Jürgen Habermas の 批 判 理 論 を 組 み 込 んだ Ruth Wodak などがその 代 表 である
柳 田 亮 吾 61 かに 取 捨 選 択,つまり 包 摂 / 排 除 もしくは 卓 越 させるか 否 か,そしてそれをど のように 配 置 するかが,テキストのイデオロギー 的 形 成 に 大 きな 意 味 を 持 つ 批 判 的 言 語 学 (Critical Linguistics)の 創 始 者 の 一 人 である Tony Trew の 古 典 的 研 究 (1979)は,それを 見 事 に 示 している 図 1 は 1975 年 にジンバブエの ハラレで 起 きた 警 官 による 市 民 への 発 砲 殺 害 事 件 について 報 じた 英 新 聞 の 記 事 の 見 出 しを 節 の 三 つの 要 素 ( 参 与 者 (participant), 過 程 (process), 状 況 (Circumstance) Halliday 1985/1994)から 分 析 したものである(Trew S.104) この 節 においては,police と 11 Africans が 参 与 者 であり, 前 者 が shot dead という 過 程 における 動 作 主 (agent)であり, 後 者 がその 対 象 者 (affected) であることが 表 象 されている この 図 1 の 節 における 特 定 の 要 素 は 時 系 列 と 共 に 排 除 され, 以 下 のように 変 形 されていく( 例 文 1.~6.) AGENT PROCESS AFFECTED CIRCMUSTANCES Police shot dead 11 Africans in riots. 図 1 1. Police shot dead 11 Africans in riots. 2. 11 Africans were shot dead by police in riots. 3. 11 Africans were shot dead when police opened fire on a rioting crowd. 4. 11 Africans were killed in riots. 5. 11 Africans lost their lives in riots. 6. The rioting and sad loss of life are warning that (---). (Trew 1979 S.104 をもとに 筆 者 作 成 ) 2.では 1.の 能 動 文 が 受 動 文 になり 文 の 主 題 (theme)が police から 11 Africans へと 入 れ 替 わり,3.ではさらに when police opened fire on a rioting crowd と いう 節 によって,shot dead という 過 程 における 動 作 主 が 不 明 瞭 になる そし て 4.の 受 動 文 では 動 作 主 が 完 全 に 削 除 されている 次 の 5.では 11 Africans lost their lives in riots.と 過 程 そのものが 入 れ 替 わり,さらに 6.では sad loss of life と 名 詞 化 されることで, 過 程 における 参 与 者 時 制 なども 消 失 している この 一 連 の 操 作 によって 達 成 されているのは, 出 来 事 の 因 果 関 係 を 曖 昧 にし,
62 批 判 的 談 話 分 析 からみた 通 念 の 定 冠 詞 11 人 のアフリカ 人 を 殺 害 した 警 察 の 責 任 を 不 明 瞭 にすることである つまり 1.~6.は, 既 存 社 会 の 支 配 的 イデオロギー( 権 威 を 付 与 された 警 察 が 市 民 を 守 る)が,その 正 統 性 を 脅 かしうる 出 来 事 ( 警 察 が 市 民 を 射 殺 した)を 変 形 させ た イデオロギー 的 過 程 (ideological process) ( 同 上 S.95)である そして それを 可 能 にする 言 語 的 装 置 こそが, 動 作 主 なき 受 動 文 と 名 詞 化 である 3 この Trew の 研 究 は,ある 社 会 的 出 来 事 を 表 象 するにあたって 特 定 の 行 為 者 を 排 除 することのイデオロギー 的 な 意 味 を 指 摘 しているが, 行 為 者 をどのよう に 表 象 するかもまた 重 要 な 含 意 をもつ 例 えば,1.では 動 作 主 は police という 集 合 名 詞 によって 表 象 され,その 社 会 的 属 性 に 焦 点 が 当 てられている これに 対 して, 性 別, 年 齢, 宗 教 などといった 動 作 主 の 他 の 属 性 や, 具 体 的 にどの 警 官 ( 達 )が 射 殺 したのかは 重 要 視 されておらず,このニュースというテキスト では 排 除 されている つまり, 社 会 的 な 行 為 者 の 表 象 するにあたっては,ある 属 性 を 際 立 たせることでステレオタイプ 的 なテキストを 作 り 上 げることもで きれば, 行 為 者 を 抽 象 的 に 表 象 することでその 具 体 性 をぼやかすこともできる 後 者 の 一 例 としては, 非 個 人 化 (impersonalisation) が 挙 げられる(Machin and Mayr 2012 S. 79-80) 以 下 の 7.では 参 与 者 を 非 個 人 化 された unser Volk と 表 象 することにより, 具 体 的 には 誰 が Raum を 必 要 としているのかを 隠 し ている 7. Unser Volk braucht Raum! つまり 個 人 的 な 要 求 や 願 望 をあたかもより 広 範 な 団 体 や 社 会 全 体 によるもの であるかのように 語 ることで, 話 し 手 はその 要 求 を 正 当 化 すると 同 時 に, 責 任 の 所 在 を 不 明 瞭 にすることが 可 能 である ここまで 節 における 過 程 と 参 与 者 に 焦 点 をあてながら, 主 に 表 象 における 排 除 について 概 観 してきた 本 稿 では 山 下 (2011)にならい,そうした 言 語 や 3 この Trew の 研 究 は,Fairclough( 例 えば 1992, 1989/2001)に 継 承 され,また, 多 く の 入 門 書 においても 紹 介 されており( 例 えば Machin and Mayr 2012), 批 判 的 談 話 分 析 の 実 践 において 有 用 な 道 具 として 定 着 している
柳 田 亮 吾 63 言 語 使 用 が 社 会 的 現 実 をそのまま 反 映 するのではなく, 社 会 的 現 実 の 一 部 を 見 えなくさせるような 働 き のことを 言 語 の 隠 蔽 機 能 と 捉 えることにする 4 (S.144) ただ, 次 の 二 点 には 留 意 が 必 要 である 第 一 に,ある 特 定 の 言 語 表 現 を 隠 蔽 という 機 能 にのみ 還 元 することはできない 例 えば,7.は 世 界 の 表 象 でもあれば, 提 案 や 要 求 といった 言 語 行 為 ともなりうる それはつまり, 非 個 人 化 は 隠 蔽 機 能 を 有 すると 同 時 に, 聞 き 手 への 要 求 を 間 接 的 に 伝 え, 相 手 への 負 担 を 緩 和 することで 対 人 関 係 的 にも 機 能 することを 意 味 している Halliday(1985/1994)が 指 摘 するように, 節 は 多 機 能 的 に 分 析 可 能 である 第 二 に, 隠 蔽 は 話 し 手 書 き 手 の 意 図 とは 必 ずしも 関 係 ない 社 会 的 な 出 来 事 の 表 象 において 特 定 の 要 素 が 排 除 されている 場 合,それが 隠 蔽 を 意 図 した 話 し 手 書 き 手 の 言 語 戦 略 であることも 確 かにあり 得 るが, 冗 長 さを 避 けるた めの 単 なる 省 略 であることもあろう 問 題 としているのは, 話 し 手 の 真 の 意 図 なのではなく, 選 択 可 能 な 言 語 表 現 間 ( 例 えば 能 動 文 と 受 動 文 もしくは 定 冠 詞 と 不 定 冠 詞 )にどのよう 差 異 があり,それが 隠 蔽 という 観 点 から 見 たとき どのような 役 割 を 果 たしているかである 以 上 を 踏 まえ, 次 章 ではドイツ 語 の 冠 詞 を 隠 蔽 機 能 という 観 点 から 考 察 して いく 3 冠 詞 と 隠 蔽 機 能 3.1 定 冠 詞 と 不 定 冠 詞 Fairclough(2003)は, 英 語 の 冠 詞 の 有 無 ( 例 えば doctors/ the doctors) が 社 会 的 行 為 者 を 特 定 的 に(specifically)/ 一 般 的 に(generically) 表 象 する のに 寄 与 するとしている(S. 146) しかし,この 単 純 な 二 分 法 ではとても 冠 詞 の 意 味 形 態 を 十 分 に 掴 んでいるとは 言 い 難 く,またそのままドイツ 語 の 冠 詞 の 分 析 に 援 用 することもできない そこでまずは 関 口 存 男 の 冠 詞 第 一 巻 定 冠 詞 篇 (1960), 冠 詞 第 二 巻 不 定 冠 詞 篇 (1961)をもとに, 定 冠 詞 と 不 4 山 下 (2011)は Ulrich Amon のドイツ 語 の 呼 称 表 現 (du/sie)の 研 究 を 皮 切 りに, 日 本 における 障 害 / 障 碍 者 の 表 記 や 方 言 コンプレックスといった 幅 広 い 問 題 を 取 り 上 げている 因 みに 批 判 的 談 話 分 析 では 隠 蔽 に 相 当 する 語 としてocclude(Fairclough 2003 S.137)や conceal(machin and Mayr 2012 S.80)などが 用 いられている
64 批 判 的 談 話 分 析 からみた 通 念 の 定 冠 詞 定 冠 詞 の 基 本 的 な 特 徴 について 確 認 しておこう 定 冠 詞 は どの? という 問 いに 答 える 具 体 化 規 定 であり,その 機 能 は, その 次 に 置 かれた 名 詞 の 表 示 する 概 念 が, 何 等 かの 意 味 において 既 知 と 前 提 されてよろしいということを 暗 示 することにある ( 関 口 1960 S.1) これに 対 して 不 定 冠 詞 は, 具 体 化 規 定 をせずに, どんな? という 特 殊 化 規 定 を するための 冠 詞 である そして, 次 に 置 かれる 名 詞 の 表 示 する 概 念 が 未 知 と 前 提 されることを 暗 示 する 従 って, 医 者 が 私 にそれを 禁 じた,という 社 会 的 な 出 来 事 を 表 象 にする 場 合 には 次 のような 選 択 肢 が 考 えられる 8. Der Arzt (, der aus Japan kommt,) hat es mir verboten. 9. Ein Arzt hat es mir verboten. 10. Es ist mir (von einem/dem Arzt) verboten worden. 日 本 語 とは 異 なり 冠 詞 を 有 するドイツ 語 においては, 医 者 という 行 為 者 を 表 象 するにあたって 定 冠 詞 / 不 定 冠 詞 の 有 無 が 問 題 となる 医 者 を 指 示 力 なき 指 示 詞 としての 定 冠 詞 を 用 いて 表 示 すると,それによって 具 体 性 を 持 った どの 医 者 かが 明 示 され, 話 し 手 と 聞 き 手 双 方 が 以 前 から 知 っている その 医 者 か,もしくは, 関 係 文 などで 直 接 に 規 定 され ( 日 本 から 来 た)その 医 者 と いうことになる( 例 文 8.) これに 対 し, 具 体 化 規 定 をしない 不 定 冠 詞 を 用 い ると, 具 体 的 にはどの 医 者 なのか という 問 いをはぐらかすことになる( 例 文 9.:ある 医 者 がそれはいけないと 言 った) 5 従 って, 同 一 の 社 会 的 出 来 事 を 表 象 するにあたって, 行 為 者 を 医 者 という 社 会 的 属 性 をもって 表 象 する 場 合, 定 冠 詞 つきの der Arzt との 比 較 において, 不 定 冠 詞 つきの ein Arzt は 医 者 の 具 体 性 を 曖 昧 化 し, 隠 すことになる ただし, 不 定 冠 詞 は 新 情 報 と してのニュース 価 値 を 持 ち 常 に 達 意 眼 目 の 主 局 に 立 つため,その 不 定 性 の 含 み が 前 面 に 押 し 出 され( 紹 介 導 入 の 不 定 冠 詞 ),ある 種 の 鋭 さを 有 している 6 5 例 文 9.においては 特 殊 化 規 定 も 同 様 にされていないが, 不 定 冠 詞 は 質 の 含 み によ って どんな? という 特 殊 化 の 余 地 を 残 す Sie machte dabei ein Gesicht!( 彼 女 は 実 に 何 とも 云 えない 妙 ちきりんな 顔 をしたよ)はその 好 例 である( 関 口 1961 S.8) 6 定 冠 詞 は 対 照 的 に, 穏 やかに 達 意 眼 目 の 主 局 に 立 つか,もしくは, 形 式 的 定 冠 詞 ( 示
柳 田 亮 吾 65 従 って,その 隠 蔽 は 極 めて 明 示 的 である また, 前 章 で 見 たような 動 作 主 なき 受 動 文 ( 例 文 10.)や 名 詞 化 ( 例 えば das Verbot)による 行 為 者 の 排 除 は,ド イツ 語 においてもそのまま 援 用 することができる この 場 合, 動 作 主 を 排 除 し ているという 点 で, 節 において ein Arzt を 包 摂 し,そこに 達 意 眼 目 の 焦 点 があ たっている 例 文 8.とはレベルの 異 なる 隠 蔽 となる 以 上 に 加 えて, 医 者 の 表 象 にあたっては, 具 体 的 な 指 示 対 象 を 受 けない der Arzt を 用 いることもできる(Der Arzt hat es mir verboten.) この der が 関 口 のいう 通 念 の 定 冠 詞 であり, その 次 に 置 かれた 名 詞 の 表 示 する 概 念 が, 何 等 かの 意 味 において 既 知 と 前 提 されてよろしいということを 暗 示 するこ とにある という 定 義 が 活 きてくることになる 3.2 通 念 の 定 冠 詞 前 節 8.の 指 示 力 なき 指 示 詞 としての 定 冠 詞 は, 後 置 される 名 詞 が 何 らかの 規 定 詞 規 定 句 規 定 文 あるいはコンテクストによって 具 体 的 に 規 定 されている ため,その 名 詞 が どの? という 見 地 からは 既 知 ということを 暗 示 する これに 対 して 通 念 の 定 冠 詞 は, 後 置 される 名 詞 が 何 の 規 定 をもたなくと も 一 概 に 明 瞭 であるという 意 味 において, 話 者 にも 聴 者 にも 既 知 ということを 暗 示 する つまり, 当 該 の 名 詞 を 一 概 に 通 念 として 取 り 扱 ったのだとい う 意 思 表 示 が 即 ち 通 念 の 定 冠 詞 である( 関 口 1960 S. 393) この 関 口 の 通 念 という 用 語 はやや 分 かりにくいが, 概 念 という 語 が 意 味 内 容 や 適 用 範 囲 などについて 分 析 的 に 思 考 されたものというコノテーションを 持 つため,そ れとの 区 別 をするために 設 けられたものである 通 念 というのは,その 名 詞 の 意 味 するところのものが 未 だ 概 念 としての 形 を 取 るに 至 らない 一 歩 手 前 に 存 する 意 味 形 態 である 概 念 というのは, 通 念 の 上 に 多 少 の 論 理 操 作, 思 惟 的 処 理 の 加 わったものである ( 関 口 1960 S. 394) 格 定 冠 詞 温 存 定 冠 詞 )のように 達 意 眼 目 の 傍 局 に 立 つのみである
66 批 判 的 談 話 分 析 からみた 通 念 の 定 冠 詞 つまり 医 者 といえども 色 々な 概 念 があり, 定 冠 詞 つきの der Arzt, 不 定 冠 詞 つ きの ein Arzt, 無 冠 詞 の Arzt,さらには 複 数 形 の die Ärzte と Ärzte があるが, そうした 個 別 の 概 念 はそれぞれに 共 通 する 根 本 的 な 通 念 に 何 らかの 規 定 がされたものである どの 医 者 でもなければ,どんな 医 者 でもなく,ただ 一 概 に 医 者 という 場 合 の 医 者 が 医 者 の 通 念 であり,その 本 質 はその 一 概 性 に ある 8 この 通 念 を 言 語 の 隠 蔽 機 能 という 観 点 から 見 ると,その 特 徴 として 以 下 の 二 点 が 挙 げられる 第 一 に, 通 念 の 定 冠 詞 は 後 置 される 名 詞 の 個 別 性 を 隠 蔽 する 8.の 指 示 力 なき 指 示 詞 としての 定 冠 詞 を 冠 した der Arzt は 個 々の 具 体 概 念 で ある 医 者 を 指 し 示 し,9.の ein Arzt の 医 者 は 医 者 でも 色 々な 医 者 がいるという 個 別 差 の 含 み を 持 っている これに 対 して 通 念 の 定 冠 詞 が 冠 せられた der Arzt は, 医 者 のそうした 個 別 差 を 認 めずに, 医 者 といえばまるで 世 に 一 人 しか 医 者 がいないかのように 取 り 扱 う( 遍 在 通 念 ) 第 二 に, 通 念 の 定 冠 詞 は,そ の 通 念 という 語 の 通 り 広 く 世 に 流 布 した あたりまえ に 依 拠 した 概 念 で あり,それによりその あたりまえ がどのような 歴 史 文 化 社 会 的 な 力 学 の 中 において 形 成 されてきたのかという 問 いを 隠 してしまう 現 代 の 日 本 では, 大 学 の 医 学 部 で 勉 学 に 励 み, 実 習 を 積 み, 国 家 資 格 を 取 得 したのが 医 者 で あり,それが 通 念 化 されている つまり, 通 念 としての 医 者 は 質 の 含 み を 利 かした Er ist ein Arzt( 彼 は 道 楽 でやっているある 種 の 医 者 だ)における ein Arzt とは 根 本 的 に 異 なる つまり, 通 念 の 定 冠 詞 は, どんな 医 者 かと いう 特 殊 化 規 定 の 問 いを 不 問 に 付 す 以 上 関 口 の 冠 詞 論 を 読 み 解 きながら, 定 冠 詞 と 不 定 冠 詞 の 区 別 を 経 て, 通 念 の 定 冠 詞 を 隠 蔽 機 能 の 観 点 から 考 察 した 以 下 でその 具 体 例 をみていく 前 に, 冒 頭 の Bourdieu の 指 摘 に 立 ち 戻 っておこう すると,その 批 判 は, 研 究 対 象 としてしての 言 語 の 個 別 性 を 捨 象 し, 通 念 を 無 批 判 に 受 け 入 れる 言 語 学 者 の 態 度 に 向 けられている,と 読 み 替 えることができるであろう 日 本 語 なり ドイツ 語 という 言 葉 を 日 常 会 話 において 口 にする 時, 我 々 8 通 念 には 広 義 と 狭 義 の 通 念 があり, 前 者 は 素 朴 全 称 概 念, 純 粋 理 念, 後 者 は 特 殊 通 念, 俚 俗 通 念 など, 様 々な 観 点 から 考 察 することが 可 能 であるが,その 本 質 は 一 概 性 にある
柳 田 亮 吾 67 はそれがどの 日 本 語 なりドイツ 語 なのか,そしてそれがどんな 日 本 語 なりドイ ツ 語 なのかということを 改 めて 意 識 をすることはない しかし 当 然 ながら, 日 本 語 といえどもそこには 標 準 語 や 方 言 といった 多 様 な 言 語 変 種 の 個 別 差 があ り 一 概 に 扱 えるものでもない また,そもそも 日 本 語 という 通 念 自 体 も 所 与 で はなく, 国 民 国 家 の 成 立 に 伴 う 標 準 語 となりうる 言 語 変 種 の 選 定, 文 法 家 によ る 辞 書 の 編 纂, 正 書 法 の 確 立, 教 育 による 国 民 への 教 え 込 みなどといった 複 雑 な 歴 史 文 化 的 な 過 程 を 経 て あたりまえ にまで 昇 華 されたのである ハイ ンリッヒ(2011)の 言 葉 を 借 りるならば, 言 語 学 が 対 象 とする 言 語 や Sprache は 言 語 学 者 が 確 信 するような 普 遍 妥 当 性 を 持 つイーティックな (etic) 概 念 ではなく, 歴 史 文 化 的 な 認 識 に 依 拠 したイーミックな(emic) 概 念 である(S.94) このイーミックな 概 念 こそが 関 口 のいうところの 通 念 に 相 当 し,それを 無 批 判 に 受 け 入 れることは, 社 会 学 的 に 解 明 されるべき 過 程 を 暗 黙 の 内 に 排 除 することにつながる,といえよう 最 後 に, 通 念 の 定 冠 詞 を 類 型 単 数 という 角 度 から 眺 め, 個 別 差 の 隠 蔽 の 例 に ついてみてみる 上 述 のとおり 医 者 にもder Arzt,ein Arzt,Arztと 色 々な 概 念 があるが, 通 念 を 通 念 として 素 朴 に 表 現 する 形 式 は 定 冠 詞 と 単 数 である そしてそれは, 一 つには, 普 遍 妥 当 命 題 の 主 題 目 に 据 えられ, 素 朴 全 称 概 念 と いう 形 をとる( 例 文 11.) 定 冠 詞 と 単 数 は 同 様 に 具 体 描 写 文 や 事 実 確 認 文 にも 用 いられ,その 名 詞 によって 示 される 類 (Gattung/Typ)の 特 性 を 強 調 す る 類 型 単 数 の 形 をとることもある( 例 文 12.) 9 11. Der Mensch ist ein Säugetier. 12. Der Abendländer hat auch nicht die pflanzhafte Trägheit des Inders, auch nicht die beharrende Art des Chinesen, der sich seit 9 この 類 型 単 数 は, 英 語 においても 同 様 に 見 られる 米 人 もこの 揮 球 面 上 を 殆 んど 我 家 のごとくに 考 え, 日 々 世 界 中 のありとあらゆる 国 民 に 接 し, 或 種 の 自 負 心 を 以 て アメ リカ 人 という 国 民 意 識 を 高 揚 し 来 たった 結 果 として,ちょうど 曽 ての Hitler 治 下 の 独 人 が Der deutsche Mensch という 類 型 単 数 をあらゆる 機 会 に 口 走 ったのと 同 じように, 或 種 emphasis をもって 近 来 しきりに The American worker とか The American woman とか 云 った 類 型 単 数 を 新 聞 記 事 や 雑 誌 記 事 で 振 りまわす ( 関 口 1960 S. 467)
68 批 判 的 談 話 分 析 からみた 通 念 の 定 冠 詞 Jahrtausenden gleichsam nur auf der Stelle bewegt, keinen Fortschritt kennt. (R. Müller-Freienfels: Die Psychologie des deutschen Menschen u. seiner Kultur: 関 口 1960 S. 463) 12.では der Abendländer などの 類 型 単 数 によって,いわゆる 国 民 性 が 論 じら れている 言 うまでもなく,ヨーロッパはもちろんインドにせよ 中 国 にせよそ れぞれの 社 会 には 複 数 の 民 族 が 居 住 し, 同 様 に 複 数 の 文 化 言 語 が 存 在 し,さ らにその 社 会 も 階 層 や 地 域 などによって 分 化 しているということに 鑑 みれば, そうした 多 様 性 を 一 概 に 取 り 扱 うことはおそらく 不 可 能 であろう しかし, 通 念 の 定 冠 詞 が 冠 されることで,ヨーロッパ 人,インド 人, 中 国 人 の 内 実 は 問 わ れることなく,その 一 概 性 が 暗 黙 の 前 提 とされてしまう そしてそれにより, インド 人 中 国 人 のステレオタイプ 的 な 評 価 が 下 されると 共 に,ヨーロッパ 人 の 優 位 性 が 仄 めかされる つまり 類 型 単 数 は, 我 々の 属 する 内 集 団 と 彼 らの 属 する 外 集 団 を 形 成 し,それによって 前 者 を 肯 定 的 に, 後 者 を 否 定 的 に 描 写 する ための 言 語 的 装 置 となりうる 次 に 示 すのは Adolf Hitler の Mein Kampf か らの 引 用 である 13. Siegt der Jude mit Hilfe seines marxistischen Glaubensbekenntnisses über die Völker dieser Welt, dann wird seine Krone der Totentanz der Menschheit sein, dann wird dieser Planet wieder wie einst vor Jahrmillionen menschenleer durch den Äther ziehen. (Hitler 1939 S.69-70) 14. In diesem Brennpunkt der verschiedensten Nationalitäten zeigte sich sofort am klarsten, daß eben nur der deutsche Pazifist die Belange der eigenen Nation immer objektiv zu betrachten versucht, aber niemals der Jude etwa die des jüdischen Volkes; daß nur der deutsche Sozialist international in einem Sinne ist, der ihm dann verbietet, seinem eigenen Volke Gerechtigkeit anders als durch Winseln und Flennen bei den internationalen Genossen zu erbetteln, niemals aber
柳 田 亮 吾 69 auch der Tscheche oder Pole usw... ( 同 上 S.123) ここでも 基 本 的 な 構 造 は 類 型 単 数 による 肯 定 的 な 自 己 呈 示 と 否 定 的 な 他 者 呈 示 の 対 照 である こうしたレトリックは, 現 代 の 政 治 談 話 においても 見 出 すこ とができる オーストリアの 極 右 政 党 党 首 であった Jörg Haider の 談 話 を 分 析 した Wodak(2002)は,その 談 話 の 特 徴 を 端 的 に Us and Them : The Simple Division of the World into Good and Bad Guys と 述 べ,グロバ ール 化 が 進 み 不 安 と 不 確 実 性 の 増 大 する 現 代 においてもそのレトリックの 有 効 性 を 指 摘 している(S. 35) つまり 通 念 の 定 冠 詞 類 型 単 数 は, 本 来 は 複 雑 であるはずの 世 界 のその 複 雑 性 を 隠 蔽 し 単 純 化 することで, 大 衆 迎 合 的 な 政 治 談 話 を 作 り 上 げることに 寄 与 するといえるだろう 4 おわりに 本 稿 では, 言 語 の 隠 蔽 機 能 という 観 点 からドイツ 語 の 冠 詞, 特 に 通 念 の 定 冠 詞 に 焦 点 を 当 てて 考 察 を 行 った 批 判 的 談 話 分 析 と 言 語 の 隠 蔽 機 能 という 考 えを 援 用 するならば, 冠 詞 は 後 置 される 名 詞 を 特 定 の 意 味 形 態 にはめ 込 むこ とによって 社 会 的 現 実 を 隠 蔽 することができるといえるであろう 本 稿 では 定 冠 詞 の 中 でも 通 念 の 定 冠 詞 のみを 取 り 扱 ったが, 定 冠 詞 不 定 冠 詞 無 冠 詞 を 論 じた 関 口 の 大 著 を 批 判 的 談 話 分 析 に 体 系 的 に 援 用 することができれば, 冠 詞 の 隠 蔽 機 能 についてより 詳 細 に 論 じることができるであろう これについ ては 今 後 の 課 題 としたい 参 考 文 献 Bourdieu, P. (1982) Ce que parler veut dire: l économie des échanges linguistiques. Paris: Fayard. ( 稲 賀 繁 美 訳 1993 話 すということ 言 語 的 交 換 のエコノミー 藤 原 書 店 ) Fairclough, N. (1992) Discourse and Social Change. Cambridge: Polity Press. Fairclough, N. (1989/2001) (2 nd edition) Language and Power. London:
70 批 判 的 談 話 分 析 からみた 通 念 の 定 冠 詞 Longman. Fairclough, N. (2003) Analysing Discourse: Textual Analysis for Social Research. London : Routledge. Fairclough, N. and Wodak, R. (1997) Critical Discourse Analysis, in T. A. Van Dijk (ed.), Discourse as Social Interaction. London: Sage, S. 258-285. Halliday, M. A. K. (1985/1994) (2 nd edition) Introduction to Functional Grammar. London: Edward Arnold. ハインリッヒ パトリック (2011) 言 語 学 と 言 語 意 識 山 下 仁 渡 辺 学 高 田 博 行 ( 編 著 ) 言 語 意 識 と 社 会 -ドイツの 視 点 日 本 の 視 点 三 元 社 S. 91-111. Hitler, A. (1939) Mein Kampf. Zwei Bände in einem Band. München: Franz Eher Nachfolger GmbH. Machin, D. and Mayr, A. (2012) How To Do Critical Discourse Analysis: A Multimodal Introduction. London: Sage. 関 口 存 男 (1960) 冠 詞 第 一 巻 定 冠 詞 篇 三 修 社 関 口 存 男 (1961) 冠 詞 第 二 巻 不 定 冠 詞 篇 三 修 社 Trew, T. (1979) Theory and ideology at work, in R. Fowler, R. Hodge, G. Kress and T. Trew Language and Control. London: Routledge. S. 94-116. Wodak, R. and Meyer, M. (2001/2009) (2 nd edition) Critical Discourse analysis: history, agenda, theory, in R. Wodak and M. Meyer (eds.) Methods of Critical Discourse Analysis. London: Sage, S.1-33. Wodak, R. (2002) Discourse and Politics: The Rhetoric of Exclusion in R. Wodak and A. Pelinka (eds.) The Haider Phenomenon in Austria. New Brunswick and London: Transaction Publishers, S. 33-60. 山 下 仁 (2011) 言 語 の 隠 蔽 機 能 言 語 意 識 と 批 判 的 談 話 分 析 について 山 下 仁 渡 辺 学 高 田 博 行 ( 編 著 ) 言 語 意 識 と 社 会 -ドイツの 視 点 日 本 の 視 点 三 元 社 S. 139-166.