-5 5 1 15 2-5 25 5-15 -5 229 228 9 228 8 228 7 7 8 1. はじめに 2. 第 7 次調査 (213 年度調査 ) の調査区 ( 図 1 ) De Df Df DjEaEb DiDiEaEb 3. 第 7 次調査の主な調査成果 3 1. 初期ローマ時代の村落址 (D3e1 D3f1 D4f1 区画 図 2 ) 5 6 7 Tel Rekhesh -1 2 3 4 B C D E 3 35 3 25 2 15 5 1m 1-5 -1-15 -2-2 F -1 図 1 テル レヘシュの地形と発掘調査区 111
され 南北方向に走る幅約 1 mの壁石列の両側 で 階段を伴う中庭と考えられる石敷きの床面 西側 部屋を区切る立石の柱列 ウィン 部屋C ドウ ウォール 東側 が確認された またフ 部屋B ラスコ彩色壁画の断片多数や 西暦 1 世紀の土 器やコインが出土していた これを受けて第 7 次調査では 調査区を東側と北側に拡張し こ 部屋D1 N 部屋A E W S の部屋の全体像とその周囲の状況を追及するこ 部屋D2 とを課題とした 壁石列で区切られた 6 つの空 間が確認され 部屋の中に落ち込んだ多量の石 材は 部屋Aで階段の一部が遺存していること と相まって 建物が 2 階建てであることを示し 図2 G地区の建築遺構平面図 図3 大型建造物の推定プランと規模 3m ていると想定された 新しく確認された部屋の うち 部屋Cは中庭とみられる部屋Aと同様に 石敷きになっていて 未発掘の北側の部屋に伴 う中庭である可能性が考えられる やや幅の狭 い隔壁で区切られた部屋D 1 D 2 は 出入口 が認められず はしごを用いて出入りする貯蔵 庫等の可能性が考えられる 出土遺物には調理鍋 壺 水差しなどの土器 のほか 完形のランプ 2 点があり いずれも紀元前 1 世紀から紀元 2 世紀までの年代幅に収まるもので ある 3 2 F地区の鉄器時代末期の推定大型複合建造物 D4j8 E4a8 E4b8 D4i1 D5i1 E5a2 E5b2 区画 図 3 テル頂部の平坦面の南東隅でその存在が認識された鉄器時代末期の推定大型建造物に関しては 21 年の調査までに 2 列の石壁が確認され 北側の石壁の入り口に通路状に石敷きの床面が北側に向けて延 びている状況が確認されていた また その築造年代は出土した少量の土器から前 7 世紀末以降である と考えられ かつ建築遺構全体のプランが 1 辺5mほどの方形を呈していた可能性があると推定された ため 近隣地域における軍事 行政の拠点となっていた可能性が指摘されていた 第 7 次調査では 上 記建築遺構の年代を明確にするため 調査区を各方向に拡大して発掘調査をおこなった その中で 最 も注目されるのは 南東角に位置する小部屋で 部屋内部の埋土から分厚い漆喰の断片が多数検出され 破片の形状からバスタブのような大型容器が設置されていたと想定されたという点であった 出土遺物 のうち注目されるのは青銅製の三翼鏃であり その型式から前 7 世紀 6 世紀であると推定される 4 第 8 次調査 214年度調査 の経緯と調査区 図 1 4 7 第 8 次調査は当初 214年 7 月31日から 8 月23日まで実施される予定であった ところが パレスチ 112
ナ自治区で発生したイスラエル人少年殺害事件に端を発するイスラエルとハマスの軍事衝突の激化など を理由として ボランティアの多くが予約していた航空会社のテル アヴィヴ行の便がキャンセルされ た これを受けて調査団内部で検討をおこない ボランティア参加での調査を断念し 調査団スタッフ のみによる 8 月 6 日から 8 月23日までの調査へと調査体制 内容を変更するに至った 第 8 次調査の主たる目的は アクロポリス南部分で検出されている大型建造物の可能性のある区画に ついて 年代 規模 機能について検証するための基礎情報を収集することであった そのために設定 された発掘区は次の二つである 26年春の第 1 次調査において 今 ①推定大型建造物の南中央部 F地区の西方 D4f 9 f1区画 回調査区の西に隣接する D4e1地区の東壁セクションで検出された 建造物の床面と目される漆喰の面 の広がりを確認することを目的とする ②推定大型建造物の南東部 F地区 E4b9 b1区画 テルの 上の町 東縁を南北に走る 大型建造物 の東側外壁の構造を解明することを目的とする 5 第 8 次調査の主な調査成果 5 1 鉄器時代末期推定大型建造物の南中央 部 F地区の西方 D4f9 f1区画 図 4 南の D4 f1区画では 調査区東側において 当初の想定より4 以上高い標高で漆喰の床 面が検出された 床面は階段状に 2 段目 3 段目と落ちることが確認され この遺構は 少なくとも 3 段からなる階段状の構造物であ ることが分かった 図 5 現状での最下面 は 26年の第 1 次調査において 西に隣接 する D4e1区画の東壁セクションで検出され ていた床面に対応する また 漆喰は 鉄器 時代の遺構である北側の石壁W14の側面に も貼られている 階段状の構造物の年代を精 図4 推定大型建造物南中央部の調査区 査するため 漆喰下の一部を発掘したところ 鉄器時代の土器が主体的に検出された この 階段状の構造物の年代や機能については い くつかの可能性が考えられる W14が鉄器 時代後期のものであると見られることから 構造物もまた鉄器時代後期に建造され 大型 建造物の内部に入るための儀礼的な階段 な いしは方角を鑑みて タボル山を望むテラス とする見解 その一方で 床面直上で出土し た土器の多くがローマ時代のものであること 図5 113 階段状遺構
から この構造物はローマ時代に鉄器時代の石壁であるW 14を再利用して作られたと見ることもできる また そ の特徴的な形状から ミクヴェである可能性も排除できな い 北の D4f 9区画では 南の D4f1区画で階段状の遺構の 最上面が検出されたことを受けて 同じ標高まで全体を掘 り下げた 出土する遺物の年代はさまざまであったが 中 図6 心となるのはローマ時代のものであった 床面直上からは パン焼き窯 直径約8 のパン焼き窯が検出された 図 6 上部は土圧により破壊されているが 円形に並ぶ石の内側に沿って 被熱した土が 貼りつけられているのが確認できた 内部を 掘り下げたところ 鉄器時代の土器小片が出 土したが 炭化物などは見られなかった さ らに 推定大型建造物の床面を確認するとい う当初の目的に沿うため 調査区西半分を掘 り下げた 結果として26年の D4e9区画の 調査時に検出された石灰質の面に相当すると 推定される面を検出した このサブトレンチ から出土した土器小片はほとんどが鉄器時代 のものである 図7 5 2 鉄器時代末期推定大型建造物東南隅部 F区全景と遺構 F地区 E4b9 b1区画 図 7 南北に走る二つの石壁W979とW982は い ずれも推定大型建造物の東側周壁を構成して いると想定されていたが 幅 W979は約1 2 m W982は約 1 m や方向のわずかな差異 から 両者が一体の壁を構成するものである のか などの関係性の解明が課題であった E4b9 b1地区の発掘調査の結果 この二つ の壁は一直線につながってはおらず W979 図8 は 東西に走るW195と接続して角を形成し G地区の遺構修復作業 ていることが明らかとなった この部分から約 1 m西には 南北に走る幅約 1 m 長さ約 9mの短い W992が W195の北側に接続している このW992の幅と方向はW982のそれと同じであり この二つの 壁は一直線上に並ぶ W982とW992の間には約1 8mの断絶があり これは推定大型建造物への入り口 のひとつであると思われる この入り口の中間部には 直径約 6m 高さ約 5mの裁頭円錐形の石製 114
5 3. 遺構の保存作業 6. まとめ 115
参考文献 116