中性子関連技術解説書 中性子利用技術名 ; 中性子小角散乱法 解説書作成者 ; 技術士氏名保坂義男 1. はじめに中性子小角散乱法は 中性子の物質透過能力や同位体識別能力および磁気解析能力などの優れた特徴を利用して 数ナノメートル (10-9m) から数ミクロン (10-6m) の大きさの微小な物質構造を解明できる方法として 幅広い科学分野での利用が期待されています 2. 中性子小角散乱法の概要中性子小角散乱法は 平行性の高い中性子ビームを試料に当てたときに 原子や分子 ( 粒子 ) などでおこる非常に小さい角度 (0.0001 度から5 度程度 ) の散乱現象を扱う中性子利用技術です 我が国では 1980 年代に高エネルギー加速器研究所 (KEK) に中性子小角散乱専用の分光器が設置され 共同利用が開始されました 1990 年以降は 日本原子力研究所 (JAERT) の改造 3 号炉に4 台の中性子小角散乱測定装置 (SANS-J-Ⅱ S ANS-U PNO ULS) が設置され 金属材料 磁性材料 超伝導材料 高分子物質 生体高分子などの構造解析や揺らぎの研究に利用され 新技術開発に貢献してきました 現在 J-PARCに完成した高強度パルス中性子源は 既存の中性子源に比べ100 0 倍以上のピーク強度があり そこに整備される大強度型中性子小中角散乱装置 大観 ( 図 -1 2011 年度完成予定 ) は 広い空間スケールの構造を短時間に測定でき またナノ構造体の物質構造を精度良く測定できる能力を備える予定です 大観 では 金属材料の析出過程や析出物の内部や表面の原子構造を明らかにすることや 磁性材料の磁気構造評価 水素を含むソフトマターや生体高分子などの構造解析で活用され 多くの成果が生み出されることが期待されています 図 1 大強度型中性子小中角散乱装置 大観 イメージ図 資料提供 JAEA/KEK J-PARC センタ -
3. 中性子小角散乱法の原理 3.1 中性子の特性 中性子は粒子であると同時に波の性質を持っています 原子面 1により回折された波と原子面 2により回折された波は 波の干渉作用により 2つの波の位相が揃うと強め合い 異なれば打ち消し合います 図図? 2 散乱現象の摸式図原子や分子の大きさ程度の波長の中性子を試料 ( 物質 ) に照射し 散乱された中性子の波の干渉現象を観察することで その物質の内部構造を明らかにすることができます パルス中性子源から ほぼ同時に生み出されたパルスを構成する中性子の速度には ある程度の幅があります そのため 速度が速く波長の短い中性子は早く試料に入射し 速度が遅く波長の長い中性子は遅れて試料に入射します 中性子が同じ距離を飛行するのにかかる時間は 中性子の波長に反比例します 中性子が発生し 試料に到達するまでの時間を観測することで 中性子の速度 ( あるいは波長 ) を知ることができます 試料に入射した中性子は 原子や分子などにより散乱されます 試料からエネルギーを受け取った中性子は速度を速め 試料にエネルギーを与えた中性子は速度を落とします 中性子のエネルギーのやり取りは 試料の原子や分子の配列や運動状態を反映したものになります 図 3に示したのが中性子小角散乱実験で検出器に到達した中性子強度の分布の一例です 中性子小角散乱実験では 検出器に到達した中性子の到達位置 到達時間 到達強度 ( 到達量 ) を正確に計測して そのデータを解析することで 試料の持つ構造特性や原子 分子の結合状態などの情報を明らかにすることができます 図 3 中性子小角散乱強度分布図 4 X 線と中性子の散乱概念資料提供 JAEA/KEK J-PARCセンタ- 3.2 中性子小角散乱法とX 線小角散乱法との異なる点 X 線を照射するX 線小角散乱法は図 4に示すようにX 線の原子内の電子による散乱を利用する技術であり 原子番号の大きい原子ほど感度が高くなります
一方 中性子小角散乱法は原子核による散乱を利用する技術であり 大きい原子番号を持つ物質内の原子番号の小さい水素 へリウム リチウムなどの原子の分布を調べることもできます また 中性子は水素と重水素など元素の同位体も区別して評価することもできます 4. 技術解説中性子小角散乱法は 電子顕微鏡による微細組織の局所解明と異なり 中性子小角散乱法では 内部に分布している粒子の平均サイズや粒子間の平均距離 粒界相の平均組成などを定量良く知ることができます 磁性材料の構造研究では 中性子が原子の磁気モーメントが生み出す磁場により散乱される特徴を活かして 局所磁化の空間分布の情報を得ることで磁気特性と微細組織の関係を調べることができます 小角散乱法はギニエらの1938 年の研究から出発しています 物質の微細構造を研究する手法として技術開発が進められてきました 1970 年代は 合金の析出現象や高分子物質の研究に利用されてきました 現在はソフトマター 生体高分子 金属材料 セラミックなどの幅広い研究分野で X 線や中性子を利用した小角散乱法が微細組織の構造研究に利用されています 最近では 中性子小角散乱法の特に鉄鋼材料研究への適用が精力的に進められています 構造解析に利用する中性子は X 線や電子線に比べエネルギーが低いので 物質を傷つけることなく 非破壊で内部構造の観察ができることも大きな特徴となっています 中性子小角散乱実験の手順の一例を以下に示します 試料調整 中性子小角散乱強度計測 バックグランドの補正 プロファイル作成 モデルフィッテング解析 モデル関数の選定 類似形状からの関数決定 構造因子の積算 モデルフィッテング解析 パラメーター決定 演算 物性値の比較 精密組成決定 解析 構造決定 中性子小角散乱実験では このような手順や既存技術情報を利用して ナノ組織 ナノ 構造の情報 ( 粒子のサイズ 形状 粒子間距離 組成 粒子間密度などの詳細情報 ) を得 ることが可能となります 5. 産業応用の事例 5.1 最近の国内での中性子小角散乱法で得られた知見 (1) 磁性材料分野 1Nd( ネオジウム )-Fe( 鉄 )-B( ホウ素 ) 焼結磁石の研究磁石材料の製造では 磁気特性を向上させるために必要不可欠な工程として 高温で焼き固めた後の低温熱処理があります これまでの研究で低温熱処理後に主相を取り囲む組成に変化が起こることは 電子顕微鏡の観察で確認されていました しかし その役割は完全に理解されていませんでした 中性子小角散乱実験で内部に分布している主
相の平均サイズ 平均距離 粒界相の組成が明らかになり 粒界相の役割についての説明が得られるようになりました 2Fe( 鉄 )-N( 窒素 ) 磁気記録材料の磁気構造解析研究 Fe16N2を主成分とするテープ状磁気記録媒体の粒子表面を覆う非磁性ラミネート層の正確な厚みを測定することが可能となりました (2) 構造材料分野 1 高窒素鋼の転位組織やオーステナイト鋼の組成の研究試料内の微細粒子の平均サイズ 微細粒子の析出量変化 相似性を保持した成長のずれなど 十分広い領域で微細組織の評価を行うことができました 213Cr-8Ni-1.2Mo-Alステンレス鋼の研究ステンレス鋼の熱処理後の引っ張り強度が Ni-Al 析出物の体積分率の変化によって増加することが 中性子小角散乱実験で解明されました (3) 生体物質 ソフトマター分野 1ペプチド両親媒性分子ミセル構造解析の研究ポリペプチドとアルキルブロックコポリマーの高次ナノ構造が 球状から紐状になることを証明する実験が中性子小角散乱法で得られました 2パーキンソン病の原因タンパク質の異常構造の解明中性子小角散乱法でタンパク質の凝集現象を解明する研究が進められています タンパク質の異常な構造を明らかにすることで パーキンソン病などの難病に効く薬の開発に役立つことが期待されます 5.2 今後の中性子小角散乱法の応用の可能性 (1) 金属材料分野等での中性子小角散乱法の利用技術 1タービンブレードに用いられるNi 基単結晶合金の組織発達過程研究 2Al 合金の析出現象の研究 3 合金の耐食性研究 4 鉄鋼材料の特性向上の研究 513Cr-8Ni-1.2Mo-Alステンレス鋼中のNiAl 析出物の研究微細組織の析出現象 平均サイズ変化 析出量の変化 相似性を保持した成長とそれからのずれなど 広い領域で評価することができます 6 新材料高窒素マルテンサイト鋼の研究 7 永久磁石材料の研究 (Nd-Fe-B 焼結磁石 ) Nd-Fe-B 焼結磁石では 比較的低い温度で磁力が弱まることが知られています この克服には高温で焼き固めた後の低温熱処理が重要であることが電子顕微鏡観察で明らかになっています 今後 中性子小角散乱法による微細組織構造解明から その役割が定量的に明らかになることが期待されています これらの永久磁石の研究は ハイブリット自動車の開発分野では特に重要です (2) ソフトマターでの中性子小角散乱法を利用した技術開発研究生体物質 ( 水素 水和構造を含む ) の原子配列の決定や パーキンソン病などの難病の
原因を原子レベルから解明する以下の研究に活用されと考えられています 1 タンパク質の溶液内の構造解析研究 2 高分子物質の構造解析 物性研究 6. 今後開発が必要な周辺機器 技術中性子小角散乱法は幅広い科学分野での物質の構造評価に適用できますが その実現には種々の試料環境機器の整備が欠かせません 測定したい試料の形態は 個体 粉末 液体と様々です また それらの試料の環境条件も室温 大気中だけでなく 低温や高温下 磁場中 圧力印可状態など様々です それは 様々な条件下での試料の特性が内部構造とどう関係するのか また 試料の特性が熱処理などの作成過程のどのような内部構造の変化に起因しているのかを知るのに必要だからです 試料環境機器には 試料を納めるアルミセルや 石英セル それらを取り付ける冷凍機 高温炉 磁石 圧力容器 引張り試験機などが考えられます また 高温 + 磁場 + 熱膨張測定など幾つかの条件を組み合わせることもあります しかし 幾つかの条件を単純に組み合わせただけでは 機器が大きくなり過ぎて実験装置に取り付けられません コンパクトな設計や優れた製作技術が求められています 7. まとめ今後 高効率に測定できる環境が整備されると 実験装置と試料環境機器を昼夜違わず自動制御できるシステム ( 機器やソフト ) とそのための安全装置も必要になります また 測定データも沢山得られますので 短時間で処理できる解析システムも必要になります 今後 中性子小角散乱法は このように様々な技術に支えられて更なる科学技術の革新に貢献することが期待できます 8. 参考文献 1) 小角散乱法によるハードマターの微細組織解析分科会 小角散乱日本語解説 論 文集 2) 実習小角散乱ビームライン :BL40XU ( 財 ) 高輝度光科学研究センター 岡俊彦 3) 中性子小角散乱の原理と基礎 J-PARCセンター 鈴木淳市 4) 月刊エネルギー J-PARCにおける中性子利用 日刊工業新聞月刊エネル ギー編集部 5) 原子力 eye J-PARCセンター 6) 大強度陽子加速器施設 J-PARC 物質 生命科学実験施設 資料 J-PARCセンター 7) 小特集 次世代新中性子源 J-PARCにより拡がる新しい材料科学 まてりあ第 48 巻第 7 号 (2009) ( 社 ) 日本金属学会 8)J-PARCの現状と今後の展望 J-PARCセンター 相沢一也 (2009.7.31)