青森県八幡遺跡 12 号住居から検出された雑穀類とコメほかの植物穂子 北海道大学吉崎昌一 (1) 遺跡について遺跡の所在 : 青森県八戸市大字八幡字舘ノ下 12-6 資料の時代 : 弥生時代前期 ( 砂沢式とその直後の土器相当型式 ) 資料の出土層準 : 砂沢式とその直後の土器相当型式に属する 12

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青森県八幡遺跡 12 号住居から検出された雑穀類とコメほかの植物種子 -::1= 山 1>. 臼一一北海道大学仁 ~ ",OJ Eヨ 八幡遺跡発掘調査報告書 ll( 平成 4 年 ) 7J IJ 刷 八戸市埋蔵文化財調査報告書第 47 集 ( 八戸市教育委員会 )

青森県八幡遺跡 12 号住居から検出された雑穀類とコメほかの植物穂子 北海道大学吉崎昌一 (1) 遺跡について遺跡の所在 : 青森県八戸市大字八幡字舘ノ下 12-6 資料の時代 : 弥生時代前期 ( 砂沢式とその直後の土器相当型式 ) 資料の出土層準 : 砂沢式とその直後の土器相当型式に属する 12 号住居床面土壌中調査の主体 : 青森県八戸市教育委員会調査担当者 : 社会教育課小笠原善範調査日時 : 平成 2 年 6 月 4 日 ~ 同年 7 丹 11 日資料の所盆 : 人工遺物八戸市博物館 : 植物遺体北海道大学人類学研究室に同定資料を一時保管 ) 扱った資料の性格ここに扱う炭化植物種子は 1990 年度の八幡遺跡調査の際に確認された第四号住居床面の土壌を rproject SEEDS 方式 (l )J にのっとって処理し採集した浮遊炭化物中から検出されたものである この住居は ほぽ全形の 1/2 か撹乱を免れて残っていた ( 第 1 図 ) 調査の過程で 床面には 50cm メッシュのグ I) ッドが設定されている 処理用の土壌は それらのグリッドで 後世の汚染を受けていないと見られる区域を選ぴ その部分の床面直上の有機物を含む層準 ( 第 2 層 ) を lo cm の厚さで削翁 j し採取したものである ( 第 1 図 ) このようにして各グリッドから採 取された土壌サンプルの量ならびにこれを処理して得られた浮遊物の総重量は第 l 表に示して おいた 発掘調査者が本報告にも述べているように この層準からは砂沢式とその直後の土器に相当する型式の土器片と いわゆる遠賀川式土器類似の土器片が主体的に出土している ( 第 1 図 ) こうした現場における諜査結果から 本稿で扱った炭化植物種子のほとんどは これらの土器型式の存続していた時代のものとして間違いないものと考えられる したがって 現在の日本考古学の一般的年代観によれば これらの資料は西暦紀元前 3 世紀から西暦紀元前 4 世紀の偶に位置付けられることになるであろう また その所属する文化については 報告者の説明するように土器型式の樹目からみても あるいはここで報告する栽培植物のコンブレクスから考えても 明らかに東日本伝統の弥生文化前期にグルーピングされるものである

第 1 図 in比il--(3) 検出された炭化植物種子八幡遺跡 12 号住居第 2 層からは 個体数の特定ができない琵果類細片を除いて 329 粒の炭化 i種子が検出された その主体は栽培植物の種子で 出土総数のほぼ85% 278 粒見つかり その 中でもコメがもっとも多かった 2/3 以上の形を残したコメだけをとっても 129 粒もある ( 第 2 表 ) この住居に居住した人間集団が 農耕を実施しており さらにきわめて強 コメにひか れていた事が読み取れる 以下 出土した炭化植物種子について述べよう 四国土蝋 ; 間 { 出土種子 ] (I> は出土状況から見て利用度が高かったと思われるもの : 診は栽培植物種子 ) @ カヤツリグサ科 CYPERACEAE ( 図版 1-1a, lb) 厚い平出レンズ状広倒卵形 凸顕 傑面観が熱気球に似た形態を持つカヤツ I) グサ科の種 子と思われるものがグリッド 21から 3 粒 グ I) ッド 25 27から各 l 粒検出された 水間雑 草の f 中関としてよく注意されるホタルイかとも思われるが 詳細は分からない 図版にあ げた標本は長さ1. 6 服 幅 1.3mm 厚さ 0.8 阻 I> ナス科 SOLANACEAE ( 図版 1-2a, 2b) 勝平広卵形 腎臓のような外観を見せる 表面にしわ状の網目斑が観察される グリッド 11および 16から各 1 粒ずつ出土している ホオズキ属の可能性がある 図版の標本は長さ 1. 6mm 幅 1.lmm 厚さ 0.8mm @ アカザ膳 Chenopodium ( 密版 1 3a, 3b) 扇平球形でややレンズ形 中央に近いへソにむけて外周よりへソ粂部分のくぼみが通って いる 表菌は比較的平滑 わずかに石垣状斑紋が観察される グリッド 7 および 13 から 1 粒ずつ出土している 図示した標本は長さ 1. 2 醐 幅 1. 0mm 厚さ 0.6mm I>@ タデ科 POLYGONACEAE ( 図版 1-4) 断面がほぼ三角形で側面観が i 戻漉状の形態を持つタデ科の種子が 34 粒出土している 果皮 は図示した標本のようにまったく残っていないものが多い 部分的に種皮の表皮細胞の石 垣状斑紋が観察できるものがある イタドリの可能性があるが詳細は不明 グリッド 2 3 6 7 9 10 12 14 15 16 17 18 21 22 23 24 から検出された この数値は ほかの雑 草の出土量に比べてー桁多い さらに 栽培植物の中のヒエやキピの出土量と比べてみて も多いことが注目される 食用として積極的に利用していた可能性が考えられる 図示し た標本は長さ 1. 9mm 幅 1. 2mm o @ ニワトコ属 Sambucus ( 図版 1-5) やや平たい長卵形 かなり表面が腐食しており 通常 長軸に対して横位方向に波状にみえる特有の構造は 痕跡的にしか残っていない しかし種子全体の形態と大きさ 辛うじて残存する表面構造からニワトコと判断しておきたい グリッド 9 21 22 から 3 粒検出さ

れた 長さ 1. 2 剛 幅 1. 0mm 厚さ 0.6mm o ~1 アワ Setaria ( 図版 2-6a.6b) 惨 1 コムギア riticum ( 盤版 3-11a.11b) ほぽ全形の残っているものがグリッド 10 15 20 21 から各 1 粒ずつ 1/ 2 より小さい破片が アワは穎果が 6 粒出土している 闘に示したものは外穎の一部を残す穎巣 長軸断面が厚 グリッド 1 から 2 片検出された 検出された穎果はオオムギより小型で 背揃または腹面 い凸レンズ状で 背面から見るとほぼ球形を呈する 背面には穎果全長の 2/3 くらいまでの からみる両側辺がやや平行な感じを示す 11b の腹閣には縦溝が見られる ここにあげた標 長さで伍が観察される 図示した資料 6a 左肩部分に示した矢印の位置を 500 倍に拡大した 6b では 外穎の残存部分に特有の乳頭突起が剥落寸前の状態で見える アワはグリッド l 本はその代表的なもので 長さ 3.9 岡田 幅 2.2 醐 厚さ 1. 6mm この大きさは通常のパンコムギ から 3 粒 同 10 から 2 粒 同 21 から 1 粒検出された 図示した標本は長さ 1.lmm 幅 1. 0mm 厚さ 0.9mm 惨 @ キビ Panicum mil 勾, ceum ( 図版 2-7a.7b) キピ穎巣が グリッド 15 から 1 粒 同 21 からは 2 粒出土している おおよその形態はアワ に似るが アワより大型である 旺の形態もアワとは異なり その長さの全長に占める割 合が 1 /2 を越えることがなく 幅も広い また長軸横断面の最大幅が頭頂部に偏る傾向を持 つ 7a 左側中央部矢印崩辺に舛痛が残っており 拡大してみると 7b に示したような典型 的なキビの長細胞か曜認できる 検出された他のキビ標本のほうが全形の保存の良いものがあるが ここでは長細胞がはっきり残っていたものをとりあげておいた 長さ 1. 9mm 幡 1. 6 畑 厚さ 1. 3mm ~(fi) ヒエ Echinochloa ( 盟版 2 に比べてきわめて小さい値である 数値の上からは いわゆるコンパクト コムギ (Tritic 肌 aestivum comp α ct 叫 m) の範障に属する可能性も考えられるが 形態的に若干異な る部分もあり 決定しかねる しかし これまでに筆者のファイルにある日本列島内出土の古代のコムギは そのほとんどがこの類の小型サイズのものであることが注意される 筆者らはこの類の小型コムギをエゾコムギと仮称しているが ( 吉崎 : 198) その実態を 明らかにするためには 炭化していない標本の入手ともにそれらの地理的時滞的分布の詳細な検討が必要であろう 惨 @ コメ 0η yza ( 図版 3 コメの出土量は他の種子 雑穀類に比較して圧倒的に多い はぽ全形を残すものが 129 粒 破片が 111 粒検出されている ただし 秤を残すものは見られなかった 全体に保存が惑 中には明らかに煮沸による発泡の認められるものがあったほ } 図示した 12 13 の標本はそ れぞれ長さ 5.1mm 幅 2.3 盟国 厚さ 1. 7mm 長さ 5.0mm 幅 2.55mm 淳さ 1.75mm 栽培型のヒエ穎果が グリッド 4 6 10 11 20 21 27 から総数日粒出土している イヌビ エ Echinochloa Beauv. とは呉なり 横幅が一段と膨張し上下端の切断された角の ない菱形あるいは球形に近い感じを与える 側面から見ると 腹面の膨張が著しい その 検出されたコメのうちから比較的保存が良く計測に耐える資料 測定した数値を第 3 表および第 4 表に示しておく l>1 クリ属 Castanea ( 図版 3 50 粒を選ぴ 長さと幅を 形態的な特徴は現生の栽培型ヒエにほとんど一致する 8a は腹商から 9a は背菌から撮 影したもの それぞれ形態的な特徴 へソ 大きな庄が観察できる 8b と 9b には 8a およ 堅果類としては 14 に示したクリ属 Castanea Mil l. の子葉破片がある 図示したものは比較 的完全なもので 長さ 19.2mm 幅 17.7mm おそらく Castanea ZUCo であろ ひ :9a に示した穎果のそれぞれの外 内穎の矢印部分に見られたヒエ特有の長細胞を示して う 第 2 表に示したように 出土量は別にしてクりの出現鎖度は他の堅果類に比べて多い おいた 長細胞の形態はアワやキピとまったく異なることがわかる 8a は長さ 1. 65 皿 幅 1. 25m 厚さ 0.6m o 8b は長さ 1. 5 師 幅 1. 4m 厚さ 0.9 問 惨 1 オムギ Hordeum ( 図版 3 ほとんどのグリッドから少量ずつ検出されている l>15 トチノキ属 Aesculus ( 図版 3 断面のでんぷん粒子の状態や子葉表面に残るしわの構造から見て 15 はトチの子葉破片で オオムギは小破片 2 粒 ほぽ全形の残っているもの 8 粒が出土している 出土グリッドは 6 10 19 21 27 これらのうち比較的保存の良いものを図示しておく lo a に見られるよう に背面あるいは腹面から見ると長楕円形 lob に示した腹面には縦溝がみられる ここにあ あろう 子葉などの破片 縮片は 第 いる l>@ クルミ膳 Juglans ( 図版 3 2 表に示したように各グリッドから散漫に出土して げた標本は 現存部分の最大長が 4.8 個 幅 2.6mm 厚さ 1. 8mm 種子 ffitl 縁のカーフ. より推謝さ れる最大長は 5.7 回前後となろうか この大きさは 北海道大学構内サクシュコトニ川遺跡 クルミの内果皮細片がごく少量出土している 内果皮表面のしわは く深い トチノキに比べて粗 出土の西暦 9 世紀のオオムギの数値範囲内である @ キハダ属 Phellodendron ( 図版 3

第 1 表八幡遺跡フローテ -Y3 ン台帳 第 2 表 八幡遺跡 フローテーション出土炭化種子 サンプ区ル番コメオオム位ギコムギアワヒエキピ Hヵャ 'I'Wサ位ナ z 邑?Tl 位 アカザ1 桂 ニワトコ位属ブドウ桂毘キ, F 属且 7ルミ属?'! 昆トチノキ属不明置世子採取区号位位位設位 7 10 2 焼 ili 2. 羽 4 燦悶 7. 剖 2 O. 加 1 4 O. 印 O. 羽 お 6 6 2 日 諜コメ オオムギ コムギの舗数 I 主点銭円者側が破片設 (1/2 以下を対象 } を示す 遺 t 葺名探サ Z ン Z プ区番ル号サンプル (t 量 浮遊物総重 (g 量 > 12 号住居跡 20. 220. 2 焼図 2 1. 26. 382. 4 焼街 48. 7 凶.50 お. 493.ω 440.ω 13. 22. 印 忽 5. 34.ω 24. 23. 28. お 2.50 部 8.0 18. 印 29. 2. 3 1. ω 3 1. ω 398. 1. 123. 6. 154. 幻 613. 第 3 農コメ計測表 第 4 表コメ計測グラフ 6.ω L( 阻 } W( 阻 } T( 阻 } 4 お ー 1. 95 5. I. 印 2. 初 4. 邸 お 2. お 平均 分散 標準偏差 凶 fj 軍 2.ω3.0 5. 6.ω7.0

ηt半月形の種皮で表面に編み目状の構造を持つ組織が観察できる ここに図示した標本は種 皮部分だけがかろうじて残ったもので それも裏側は欠損している グリッド 6 から 1 粒 検出されている 長さ 4.2 阻 幅 2.2mm 厚さは欠損のために計測されていない 強という点と コメの栄光の陰に隠れてかこれら雑穀類の正確な伴出例や同定についての報告 は少ないように思う とくに来日本において八幡遺跡と時間的に平行するかそれ以前の時期の 雑穀に関する資料は アワとヒエに関する報告 { 引を除き見あたらない @ ブドウ属 Vi 的 SP. オオムギについてみれば 九州熊本市上ノ原遺跡の昭和 44 年度の調査の慌に 小谷凱宣氏が やや蔚平な球形で凸頭の種子 隆起気味の縦筋沿いの雨 { 閣は大きな臼みになっている グ 縄文時代晩期と考えられる竪穴住居の埋積土を採取してフローテーションを実施 そこで得ら リッド 24 から 1 偲検出された 長さ 4.2mm 幅 3.2mm れた炭化穂子を植物学者の前川文夫氏に依頼して同定し 1 例のオオムギを報告している こ の例が縄文時代晩期のオオムギに関する報告の崎矢である ( 小谷 : 1971) その後 笠原安夫 (4) 問題の所在 八戸市教育委員会の調査担当者より植物種子分析のために送付されてきた第四号住居社床面 採取の土壌中からは 前節に述べた種類の植物種子が検出された これらの中で ヒトの生活 氏らによって 米子市目久美遺跡の縄文時代晩期とされる VII 層からオオムギの穎破片と果皮片 が ( 笠原ほか : 1986) 菜畑遺跡の縄文時代晩期末の層準からオオムギが ( 笠原ほか : 前出 ) 福岡県四箇遺跡の縄文時代後期後半の特殊柁炭層からは 1 粒ではあるがオオムギが検出されて に直接利用されていないものとしては カヤツ I) グサ科の種子がある 前節でもふれたが こ いる ( 笠原 : 1987) こうした事例から どうやらオオムギはコメ向様に 縄文時代の後期あ の種子カカ '1< 田雑草のホタルイの仲間だとすれば この種子は当然コメとともに運び込まれたも のと考えられる まだ雑草資料が少ないので確定的にはいえないだろうが 可能性としては その場合のコメは水稲であったと考えるほうが理解しやすい もちろん 八幡遺跡の地理的立 るいは晩期に臼本列島に現れるらしい では肝心の弥生時代のオオムギはどうであろうか 調査報告書で 1 まないが 寺沢燕 知子両 氏が出土植物種子の記述されている文献を集成し見解をまとめた 弥生時代植物質食料の基礎 地を考えると いかなる場合でも陸稲の存在カ f 否定されるわけではない 的研究.!I ( 寺沢 寺沢 : 1981 年 ) がある 再氏はこの論文の中て帝 L 筆当時つまり 1979 年頃まで 検出された種子の数量的な分布を見ると この住居の居住者は 予想通り " コメに強い関心 を抱いていたと解釈できるだろう ほぽ問じ土器型式を出土する青森県砂沢遺跡の集団が水田 を伴っていたこと ( 村越 : 1990) を考えると 八幡遺跡 のヒトの集団も 日本考古学者が常々 の資料にもとづいて ムギ類 (6) の出土リストをあげ ムギは 弥生時代前期段階で他の穀類に 見られない多くの出土遺跡 が認められる とし それが 北部九州! ならびに防長地区であるこ とは特に留意しておきたい... H.. ( 中略 )... H.. 後期段階になると関東地方にまで広がるが 主張する 弥生文化 の一員としての資絡をもっていた可能性が強いといえる 今度は逆に西日本ではほとんど姿を消している J とその出土傾向をまとめている これら出土 ただ コメの存在そのものについては 新たな問題が残っているのである 何故なら 記庄の炭化種子分析のデータによると 本州島の東北地方におけるコメの存在は それが整量三 n ていたかどうかは別にして 一般的に土器編年上弥生文化として理解されている段階以前の いわゆる縄文時代晩期前半あるいは後期後半に認められる可能性が強くなってきていることがあげられる (KUDO 199 1) 日本列島全体を見渡しでも 縄文時代後期末から晩期前半の時期に 南九,;+\ を初め日本海沿いの各地あるいは瀬戸内沿岸の一部などに局地的にしろコメを知っていた集団が存在していたという確実な証拠が プラント オパールなどの資料も含めて蓄積されつつあるのが現状である (3) こうした状況が 縄文時代査後の そしてごく蹴立まで続縄文文化の一員と考えられていた青森県砂沢遺跡や八幡遺跡などの土器を指標とす抑制丹や さらにこれらの土器製式伝統を引き継いた田舎館式土器などの集団が持っていた水田耕作の技術伝統やコメの遺伝形質そのものに どのように関連するのか関心が持たれるところであろう { 針 資料に基づく両氏の仮説が 現在でも大筋で認められているとしよう そうなれば 今回 本州島北半の八幡遺跡から検出されたオオムギの持つ意味は 決して小さくないことが理解できるであろう 東北北部には 弥生時代前期の段階にすでにコメだけではなくオオムギまでも存在しているのであるから それまで言われていたように弥生時代後期になってからオオムギなどの雑穀がこの地域にも拡がったのではない すくなくとも 八幡遺跡の資料などに立脚すると このように訂正されなければならない また 八幡遺跡で確認されたオオムギ コムギ アワ キビ ヒエなどが 単純にコメとのセットとして西から伝来したのかどうかについても 検討の余地が生まれる 前述したようにコメ自体も東北北部までいつの時期に流入したのであるか不確定であるし そのうえ縄文時代後期や晩期初頭のコメが 果たして弥生時代のものに直接連続し得るのかどうかについても問題が残るからである ヒエも難しい問題を抱えている この植物は日本で栽培化された可能性が指摘されているの さらに興味あるのは オオムギ コムギ アワ ヒエなど雑穀類の存在である 筆者の不勉 だが ( 阪本 : 1988) 東北地方では 出土資料によるかぎり 現生型の栽培ヒエの存在が確認

行円口コされていたのは せいぜい奈良時代末のものまでであったげ } だが 今田の調査でその年代が一挙に千年ほどさかのぼったことになる 残念ながら八轍遺跡出土資料からは数値処理ができるほどの十分な個体数と保存良好な標本が得られなかった しかしながら 出土している標本は 多少形態変異の幅が大きいにしろ 土壌条件や登熟の穂度などを考慮にいれると図版に示したように明確な栽培型といって良いだろう ヒエは原始的な作物といわれ エスケープすることも多い 古記録にも登場するので 心情 耕集団が八幡遺跡 に出現しているような雑穀セットを取り込んで いわゆる弥生文化の主要構成要素である水田毅 K'F 技術とともに西日本の一部に到着し そこから東に広がっていくという図式が本当に成立し得るものなのかどうか 大きな問題となろう おそらく植物生態学者や民族学者らがかなり以前から主張しているように (9) 水田稲作文化が日本列島に普通化する以前や以降に 異なった時代やルートでこの地に雑穀や各種の栽培植物か持ち込まれ あるいは持ち出されもした仰のではないだろうか 的には古くから存在していたと考えたいのであるが その実態はなかなか明らかになっていな い ' 踏みがある 比較的種子分析の実施例の多い北海道においても 現生栽培型のものを痕跡的 謝辞 にでも見出せるのは商麿 9 世紀代以降 これがはっきりとまとまって出土するのは 12 世紀か こうした重要な資料を提供された八戸市教育委員会ならびに調査メンバーの工藤竹久氏 小 らである ( へそれ以前の奈良 平安時代のものは擦文ヒエ さらに古い西南北海道の縄文時代のものは縄文ヒエと仮称することにしている この縄文ヒエは 穎果のふくらみがイヌピエより大きいものの 現生の栽培ヒエとは形態的に幸子千異なっている ( 吉崎 : 199 1) これまで縄文ヒエは 野生ヒエの思 II 化の過程のものと考えてきたが (Crawford: 1983 吉崎: 1984 1988 1991) その根拠となった資料は 北海道南西部の海岸に近いところに分布する縄 笠原著範氏ほかの諸氏に深く感謝したい また 種子分析作業や揖影などにはいつもながら北海道大学埋蔵文化財調査室の椿坂恭代氏に分担して項いたし 竪果類の同定には北海道開拓記念館の山間惜郎氏に手伝って項いた また 仮説作成の過程でも荷氏に議論と相談の相手になって噴いた 合わせて感謝する次第である なお この研究のために科学研究費 般 C r 課題番号 : 02610187J の一部を使用した 文時代前期 ~ 中期の遺跡から出土したものによっている たしかに これらの遺跡は 文化様 相から見て東北北部の該時期のものと密接に関係 のある一連のものではあるが 本来ヒエの! J II 化のセンターに擁されている東北地方そのものから得られたものではない その簡の事情については これまで何屈か述べたことがある ( 吉崎 : 1988 1991) したがって 仮定のヒエ センターに関連する実物資料としては いまのところ八幡遺跡のものがもっとも古い 今後栽培 注 種子研究グループ プロジェクト シーズ方式 詳細は PROJECT No.1 1989 煮沸ほかによるコメの変形あるいは脱穀のレベル別から見た炭化米の研究が椿坂恭代氏の手で進められている 氏によると コメは加熱の結果の変形マある可能性が高いという 型のヒエが年代的にどこまでさかのぼり得るのか 西日本の弥生時代前期 中期の段階に栽培型のヒエの確実なものがほとんど報告されていないことを考え合わせて 早急な追求を行うべきであろう また 前述してきた様にコメ以外の雑穀の視点からあえて推理するならば ある種の原始的 藤原宏志氏たちのプラント オパールによる研究成果が代表的 ( たとえば藤原 : 縄文時代後期や晩期初頭のもの中には陸稲が多いのではなかろうか しかし明確な証拠 はまだ無い 保存の良いものが発見されば DNA などで追跡できる可能性があろう 渡島半島南茅部町の臼尻遺跡で縄文時代の中期後半に伴ってアワとヒエらしきものが出土 な農耕は必ずしも西日本に定着してから東に拡散したと考えなくてもよいのではないか 小山 している ( 小笠原忠久 : のいうような東日本の縄文人口の卓越現像 ( 小山 : 1984) などや 縄文時代の古人骨に見られ 論文中ではオムギとコムギがわかれている場合と 単にムギ類とした場合があるという る甑歯の出現塁手が通常の採集狩猟民に比べてきわめて高いことなども 地域によってはこうし た生業のちがいも視点に含めて再検討する必要があるのではないかと思う (7) 筆者が自をとおした文献では平安時代 余市町教育委員会の資料 正式な報告は未刊 多量の米ともにタイヌビエ 栽培ヒエ ソパなどがかたまって出土している 米は Cl.l 年代が得られている ( 宮宏明 : ここで繰り返し注意を喚起しておきたい アジア大陸の新石器時代農耕文化をみても 南に 水稲耕作の中心があり その北には雑穀を栽培していた広大な地域が存在していた 中層東北 たとえば佐々木高明 r 日本における畑作農耕の成立をめぐって J ( 佐々木 : 側朝鮮半島や沿海地方に存在するヒエは倭人の行動と関係が無いだろうか 部や朝鮮半島の北部あるいはロシアの沿海地方の南半などは 明らかにこうした雑穀圏に含ま れている このような周辺地域の状況下にありながら 韓国南部や中国山東半島辺りの稲作農

引用文献 図版 1 小笠原忠久 r 南茅部町で検出された縄文 jtjj のアワ t ニエ J N o. 1 pp.4-5 笠原安夫 r 菜畑遺跡の埋蔵穏実の分析 同定研究 J T 菜畑遺跡 J pp.351-463 唐津市教育委員会 r 福岡市鴎筒遺跡の稜子分析について J r 問筒遺跡 J 福岡市埋蔵文化財溺査報告第 172~ 長福間市教育委員会 笠原安夫 武閃 i 待子 篠沢浅 r 米子市白久美逃跡の種突の分析同定 J ' 目久美遺跡 J pp.98-128 米子市教育委員会 カヤツリグサ H a の批 k 小谷凱宣 r 動槌物造物 J r 熊本市縫箪開 I 上ノ! 京遺跡調査報告 J 熊本市教育委員会 小山修三 r 縄文時代 中公新書 中央公論社 佐々木高明 r 日本における畑作農耕の成立をめぐって J r 焔作文化の誕生 J 1-22 日本放送出版協会 寺沢潔 知子 r 弥生時代植物質食料の基礎的研究 考古学治政援原考古学研究所紀要第 5~ 長 宮宏明 r~t 海道余市大川遺跡出土の炭化米とその年代 J No. 3, ナス科 2a の拡大 x2ω 藤原 * 志 r プラント オパール分析法の基礎約研究 J (I 41 考古学と自然科学第 14 号 村越潔 r 東北北部の初期 *ffj 逸機 伊東信雄先生退 4 博考古学古代史論 lit 伊東信雄先生 追悼論文集刊行会 吉崎昌一 l 鉛 4: ri 祭文文化研究の諮問題 J 北海道考古学第 20 続 pp.6 石 -74 北海道考古学会 r 縄文段耕から擦文農耕へ J r 考古学と関連科学 J pp.105-122 鎌木義昌先生古稀記念論文集刊行会 岡山狸科大学 アカザ鴎 3a の拡大 r フコヘ y べ貝塚から出土した植物遺体とヒエ烏種子についての諮問題 J r フゴッペ貝塚 平成元 2 年度 北海道埋蔵文化財センター調査報告書第 72 集 ( 財 ) 北海道埋蔵文化財センター CRAWFORD, PAPERS, ANTHROPOLOGY, No. 3, タヂ科 X お 5 ニワトコ胤 スケール の削減 l 0", 一 70

ηtl内η υt図版 2 図版 3 アワ { 子 fili i) 6a の拡大 キピ ('IT 溜 } 7a の拡大 ヒエ (ij 主面 } Sa の拡大 写真説明 オオムギ ( 符簡 ) オオムギ { 政商 ) コムギ ( 背国 ) コムギ ( 腹蘭 ) コメ コメ 14 ク IJ トチノキ J レミ内果皮 ヒエ ( 背箇 ) 9a の鉱大 スケール f の Ill l 隔 1. 0 阻 η~. べ '~":c~ r'.'." キハダ属 ブドウ腐