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聖書と宗教 1(2011) ISSN 2186-4020 Bible and Religions 1(2011) 論文 Article 誰と共に死ぬのか ヨハネ福音書 11:16bをめぐって With whom shall we die? An interpretation of John 11:16b 前川裕 MAEKAWA, Yutaka 要旨ヨハネ福音書 11:16bのトマスの言葉は 誰と共に死ぬのか について二通りの解釈が可能である それらは (1) これからベタニアに向かおうとする イエスと共に か あるいは (2) これから行く先にいる ラザロと共に かである 従来後者の解釈は否定的とされてきたが ここでの検討の結果トマスの発言は (1) イエスと共に死ぬ (2) ラザロと共に死ぬという二つの意味合いを同時に含んでいると解釈できることが分かった 後者の解釈から 読者はラザロと同じように死ぬことによってラザロと同じ運命 = 復活に至ることが可能となるという内容を受け取る これを効果的に伝えるために用いられているのが接続法一人称複数による勧めの表現であり 読者に対して同じ行動を取ることを呼びかけている トマスの言葉は われわれもまたラザロと共に死に イエスの栄光に預かって復活するものとなろう というメッセージとして 現代の読者に語りかけるものである Summary The speech of Thomas in John 11:16b regarding with whom shall the disciples die can be interpreted in two ways: (1) with Jesus, who is going to Bethany or (2) with Lazarus, who is in Bethany. The second interpretation has not been accepted widely; however, through this investigation, the speech of Thomas can be simultaneously interpreted as follows: (1) they will die with Jesus and (2) they will die with Lazarus. By the latter interpretation, readers will have the message that by dying with Lazarus, they can receive the same fortune as his, that is, resurrection. To support this message, a few hortative usages of verbs exist in the subjunctive first person plural. Hortative verbs exhort the readers to act as they address them. Thus, the speech of Thomas contains the message to the modern readers, Let us die with Lazarus too and be resurrected with the glory of Jesus. キーワードヨハネ福音書 ラザロ物語 二重の意味 読者への影響 接続法一人称複数 Keywords Gospel of John, Story of Lazarus, Double meaning, Effect on readers, Subjunctive first person plural 1. 問題設定ヨハネ福音書 11:16bに記されたトマスの言葉は 誰と共に死ぬのか をめぐって二通りの解釈が可能となっている すなわち これからベタニアに向かおうとする イエスと共に か あるいはこれ 1

聖書と宗教 No.1 から行く先にいる ラザロと共に かである 通常は イエスと共に と解釈されており 1 後者の解釈は 奇妙な考え ( ブルトマン ) 2 夢想( ラグランジュ ) 3 とまで言われている しかし ラザロと共に 死ぬという解釈は不可能なのだろうか もし可能な場合には どのような意味の広がりを考えることができるのか ここで再検討してみたい 2. テキストの検討 :11 章 16 節 [ 本文 ] εἶπεν οὖν Θωμᾶς ὁ λεγόμενος Δίδυμος τοῖς συμμαθηταῖς Ἄγωμεν καὶ ἡμεῖς ἵνα ἀποθάνωμεν μετ αὐτοῦ. 日本語訳の代表的な例は以下の通りである 私たちも行って 一緒に死のうではないか ( 新共同訳 ) われわれも行こう 彼と一緒に死ぬために ( 岩波 : 小林稔訳 ) わたしたちも行って 先生と一緒に死のうではないか ( 口語訳 ) (1) 文法 語法的問題この節には 本文批判上で問題になる部分はない Ἄγωμενという接続法一人称複数現在形の用例は 新約聖書では7 回と少ない 4 そのうち4 例がヨハネ福音書 特に11 章に3 回出る 11:7ではイエス自身がこの言葉を用いている 5 Ἄγωは新約聖書の用例 47 回のうち13 回がヨハネ福音書に出ており ヨハネに好まれる動詞であるといえる 6 Ἀποθάνωμεν という接続法一人称複数現在形は 新約聖書でこの部分にしか出てこない大変珍しい形である 7 Ἀποθάνωμεν が μετά と共に使われる例は 新約聖書中ではここのみである 8 他にこの動詞に続く前置詞としては 新約聖書では ἐκ 9 εἰς 10 ἐν 11 ὑπέρ 12 σύν 13 などが見られる なお ἵνα ποθάνωμεν という組み合わせは新約聖書 七十人訳旧約聖書を通じてここのみである 14 上記の両者に用いられている接続法一人称複数現在は 新約聖書において183 例が見られる 15 また 1 Cf. Kostenberger, A. J., John, Baker Exegetical Commentary on the New Testament, Baker Academic, Grand Rapids: Michigan, 2004, 332. 2 eine barocke Idee (Bultmann, R., Das Evangelium des Johannes, KEK II, Göttingen, 1964(18), 305 n.4) 3 ラグランジュは この解釈をツァーンの fantaisie と述べている Lagrange, M. -J, Evangile selon saint Jean, Paris : Lecoffre/ J. Gabalda, 1925, 299. Cf. Zahn, Th, Das Evangelium des Johannes, Leibzig, 1908, 474-475. 4 マタ26:46; マコ1:38, 14:42; ヨハ11:7, 11:15, 11:16, 14:31 LXXにおいてはこの形は見られず わずかにアオリスト Ἀγάγωμενで民 32:17に1 回出るのみである 5 ヘンヒェンを始め 11:16が11:7に影響されていると考える研究者は多い Haenchen, E., Das Johannesevangelium. Ein Kommentar, hg. Ulrich Busse, Tübingen, 1980, 403. 6 マタ4 回 マコ3 回 ルカ13 回 ヨハ13 回 使 6 回 ロマ2 回 一コリ1 回 ガラ1 回 一テサ1 回 二テモ1 回 ヘブ1 回 ルカ文書にも用例が多く ルカにも好まれた言葉であるといえる 7 LXXでは16 回の用例がある ( 創 47:19; 出 20:19; 民 17:28; 申 18:16; 一サム12:19; 二サム18:3; 列下 7:3; 一マカ 2:37, 2:41, 9:10; 四マカ13:9; ハバ1:12) 8 LXXにおいては2 回用例がある ( 一サム31:5; 四マカ1:10) 9 黙 8:11 10 ヨハ11:26; 使 21:13 11 マタ 8:32; ヨハ 8:24; ロマ 7:6 12 ヨハ11:50, 51; ロマ5:7; 一コリ 15:3; 一テサ 5:10 13 ロマ 6:8; コロ2:20 14 ブローディーは ἵνα 節について トマスがイエスの言葉を本当に理解していたかどうかについて問題となる箇所であると述べている (Brodie, Th. L., The Gospel according to John, New York/ Oxford, 1993, 392) 15 マタ12 回 マコ19 回 ルカ15 回 ヨハ14 回 使 7 回 ロマ17 回 一コリ11 回 二コリ8 回 ガラ9 回 エフェ4 回 2

誰と共に死ぬのか ヨハネ福音書 11:16b をめぐって ἵνα と接続法一人称複数現在が組み合わされている例は新約聖書に18 回見られるが 16 七十人訳旧約聖書には見いだされない Μετά と αὐτοῦ の組み合わせは 新約聖書では84 回出る 17 ヨハネ福音書では15 回出てくるが その指示内容はイエス 18 弟子たち 19 人々 20 などさまざまであり 約半分の場合にイエスを指すとはいえ 必ずしも特定の人物に対して用いられているわけではない 文法的には αὐτοῦ の指示する対象はイエス ラザロのいずれも可能である 21 このため その指示内容については文脈からの理解が必要となる また15 節に イエスの発言として αὐτόν があり これはラザロを指している 必ずしも16 節の αὐτοῦ に対応しているとは言えないが 解釈の参考材料になりうる 22 (2) 文脈現在のテキストにみられる文脈は ラザロの病気についての報告 ユダヤへ行くというイエスの決意 弟子たちとの問答 トマスの言葉 という流れになっている 23 ラザロは既に死んでしまっているということを理解しない弟子たちに イエスは ラザロは死んだのだ と明言する それを受けて トマスが問題の発言を行っている (3) 翻訳の問題上記に挙げたように 日本語訳聖書における αὐτοῦ の翻訳にはいくつかのパターンがある 24 すなわち 1この言葉について何も触れないもの ( 新共同訳 ) 2 彼 とするもの( 岩波訳 ) 3 先生 など解釈を加えているもの ( 口語訳 ) である 3のように言葉を加えて解釈するのは 訳者の意図が含まれてしまうために翻訳として望ましくない 1のように何も触れないのは 2のように 彼 という生硬い翻訳語を当てはめるよりも 日本語としてはむしろ自然になっている しかし 原文との正確な対応関係という点で問題を残している 結局のところ 日本語としての自然さを犠牲にしても 2のスタイルが望ましいといえる ここでは 私たちも行こう 彼と一緒に死ぬために 25 という訳を採用する フィレ1 回 コロ1 回 一テサ8 回 二テサ2 回 一テモ1 回 テト2 回 ヘブ8 回 一ペト1 回 一ヨハ25 回 二ヨハ2 回 三ヨハ1 回 黙 4 回 ヘブライ書および第一ヨハネ書での用例が突出して多いことが分かる 16 マコ1 回 ルカ1 回 ヨハ3 回 (6:28, 6:30, 11:16) ロマ1 回 一コリ1 回 ガラ2 回 コロ1 回 二テサ1 回 ヘブ1 回 一ヨハ4 回 二ヨハ2 回 17 マタ12 回 マコ13 回 ルカ12 回 ヨハ15 回 使 9 回 一コリ2 回 二コリ1 回 一ヨハ1 回 黙 14 回 なおこの数字には女性形 複数形なども含む 18 3:2; 6:66; 9:40; 11:16( またはラザロ ); 12:17; 18:26; 19:18 19 3:22; 20:24; 20:26 20 人々 (17:12) マルタ(11:31) 兵士たち(18:5) 僕 下役たち(18:18) 21 Kostenberger, 332; Moloney, 337. この両者は指示内容を ラザロ とすることについて特に評価を行っていないが それぞれブルトマンとラグランジュの否定的な引用をしていることから ラザロとすることには否定的な立場であろう 22 Brodie, 392. 23 7-10 節は挿入部分と考えられている Haenchen, 399-400; 他 24 なお諸外国語の翻訳では 例えばRSVやNRSVでは "with him" と ドイツ語共同訳 (Einheitsübersetzung der Heiligen Schrift, 1980) では "mit ihm" となっている フランス語共同訳 (TOB) では "avec lui" と訳すと同時に 注にて "mourir avec Jésus" と記載している このTOBの方法は大いに参考になる 25 この場合 ἵνα 節の目的意識が強くなり 一人称複数接続法の勧奨の意味合いが十分に表現できていない嫌い がある 3

聖書と宗教 No.1 3. 考察 (1) 史実性この言葉が歴史的なトマス 26 にさかのぼる可能性については 判断が困難である 印象的な言葉であるがゆえに 伝承の中で伝えられ 27 福音書に取り入れられた可能性は残る しかし決定的な判断材料はない 28 (2) 他の聖書箇所との関連ヨハネ福音書の内部では 12:24 26の 命を失うことによって命を得る 視点との関連 29 20:24 29 のイエス復活後のトマスとの関係 30 などが指摘されている またこの部分の解釈を検討する上で マルコ8:34 37 31 や14:31 32 の影響を見ることができる その他 ローマ6:8や2コリント4:10および5:14 等に基づくパウロ神学との関連がある 33 パウロ書簡やマルコ福音書がヨハネ福音書よりも先に書かれたものと考えるのが通説である以上 これらの影響がないとは言いがたい ただしこれらがヨハネ文書の解釈において過大な影響を与えないように注意しなければならないだろう (3) 一緒に死のう 文脈からすると ここでの 一緒に死のう という発言はいかにも唐突な感を免れない 34 このラザロのエピソードにおいて 死ぬ ( Ἀπέθανεν) は14 節になって初めて出てくる単語である ラザロの死の理由については 病気 (3 4 節 ) としか言われておらず イエスの迫害 (8 節 ) と対応してはいない イエスは単に 行こう というだけである それにも関わらずトマスが ラザロの死の話を受け 26 そもそも 史的トマス の存在自体がまず検討されねばならないにも関わらず 多くの注解者は名前の由来などを解説するのみで トマスの存在自体は疑っていないようである しかしトマスの存在そのものが史的事実とも言い切れず またヨハネ福音書に描かれたような性格であったかどうかということも定かではない 27 Barrettは マルコ8:34と比較しつつも この言葉が伝承にさかのぼることに対して否定的である (Barrett, C.K., The Gospel according to John, London, 1978(2), 394.) 28 この点に関して不思議なことは ほとんどの注解者がこの言葉が史的トマスにさかのぼり得るかどうかの判断をせずに この部分をもとにしてトマスの性格を判断している点である 歴史的なトマス と 福音書記者の語るトマス とを明確に区別している例は驚くほど少ない 29 Lightfoot, 220 モッリスは キリストに従う者は もし本当に生きようとするならば 死なねばならない と読む (Morris, L., The Gospel according to John, NIC, Grand Rapids, 1971, 484) 30 リンダースは トマスの言葉はイエスの復活についての彼の疑念のもとに解釈しなければならない と述べ トマスの発言は無意識のironyであり 対話を閉じるにふさわしいものである と説明する (Lindars, B., The Gospel of John, NCB, London, 1972, 392) 31 Lightfoot, R. H., St. John's Gospel. A Commentary, ed. C. F. Evans, Oxford, 1956, 220-221. 32 Nestle-Aland, Novum Testamentum Graece, 27 版の聖書引用箇所他 注 4で述べたように Ἄγωμεν はヨハネ福音書に 4 回出るが そのうちの3 回はイエスによる発言である その点から見れば トマスがこの表現を使っているというのは大変興味深い 33 すなわち キリストとともに死ぬならば キリストと共に生きることになるのである という思想である Brown, R. E., The Gospel according to John, Anchor Bible 29/29A, New York etc., 1966/70, 424; Lightfoot, 220-221; Morris, 484; Beasley-Murray, G., John, WBC 36, Waco, 1987, 189. 34 このことをもって トマスは衝動的な 悲観的な性格である などと論じることが多いが それは印象による感想でしかない ヘンヒェンによれば (Haenchen, 403) この部分の解釈は三種類にまとめられる:(1) イエスに対するトマスの忠誠心 (2) イエスの力についての トマスの無知 (3) ベタニアへの旅はイエスの死へとつながっているということを トマスは知らず知らずのうちの表明 またこの言葉を 弟子の手本 と読む研究者が多いことをウィザリントンやモロニーは批判し 手本と読むことは 弟子の誤解 というモチーフを見失わせる と述べている (Moloney, 337; Witherington III, B., John's Wisdom. A Commentary on the Fourth Gospel, Louisville, 1998, 202) 4

誰と共に死ぬのか ヨハネ福音書 11:16b をめぐって ていきなり イエスと共に死のう というのは不自然である また7 10 節を挿入句とする見解があるが 35 その立場を取る場合 ユダヤ人たちがイエスを殺そうとしている と述べている部分は8 節に含まれるため オリジナルではこの言葉がなかったことになる そうすると ますます16 節を イエスと共に と読むことが難しくなってくる このように考えると ここで ラザロと共に死のう という読みの可能性は決して突飛なものではないといえる (4) 弟子の無理解 の複数性 11 章 16 節におけるトマス またこの部分における弟子たち全体の無理解について指摘する研究者は多い 36 ところでこの 無理解 については 複数の内容が含まれている i) イエス自身が死ぬことが 命へとつながる ということの無理解 ii) 弟子たちがイエスと共に死ぬことによって 命へとつながる ということへの無理解ここで もう一つの無理解を加えることが可能である iii) ラザロと共に死ぬことによって 弟子たちもまた新たな命へと導かれる ということの無理解ラザロと同じように死ぬことによって 弟子たちもまた ラザロと同じくイエスによる復活 命に導かれる ということを含意しているのである リンダースは ユダヤに行くことは ラザロの運命を共に分け合う (share) こと であると説明しているが 37 ラザロと弟子たちとは同じ運命を 共に分け合う 存在であることを 弟子たちは理解していなかったのである (5) 二重の可能性 イエスも ラザロもモッリスは (αὐτοῦ がラザロを指すというのは ) まったくありえない解釈 ここはイエスが一人で死ぬのを避けようとしているのであって ラザロと共にあろうとしているのではない と述べている 38 モッリスに限らず 注釈者たちはこの αὐτοῦ の対象を一つに決めたがっているように見受けられる しかし この語が示している対象を一つに限る必要があるのだろうか ヨハネ福音書全体にみられる言語の二重性を考えると この αὐτοῦ にも二重の意味が込められていると考えることができないだろうか つまり ここでのトマスの発言は 1イエスと共に死ぬ 2ラザロと共に死ぬという二つの意味合いを同時に含んでいる と解釈できる 後者から引き出される解釈は (4) に述べたとおりであり ラザロと同じく死ぬことにより ラザロと同じ運命 = 復活に至ることが可能となるのである これを助けるのが 接続法一人称複数による勧めの表現である 福音書の読者にとって 勧めの表現は読者へ働きかける力を持つ 読者という福音書の中で進行している物語からは距離を置いた存在でありながら いつのまにか物語の中に組み込まれ トマスの言葉を自分に対する言葉として受け入れるのである (6) 現代の読者への可能性 ラザロとともに死ぬこと 35 注 23を参照 なお筆者は 現在私たちが手にする形での福音書 を出発点とするため この立場はとらない 36 例としてLindars, 392; Moloney, 337など 37 Lindars, 392. 38 Morris, 484. 5

聖書と宗教 No.1 ラザロと共に死ぬ という読みは現代の読者にとって大きな意味を持つ それは ラザロのように死ぬことが永遠の命につながるというメッセージを持っているからである イエスと共にユダヤに行き 共に死ぬことは 現代の読者には遠いイメージでしかない それは イエスと弟子たちとの歴史的な事件である ところが 病気で死んだと言われるラザロは 読者にきわめて近い共感を呼び起こす 病気による死は現代の読者にも起こりうるからである ラザロの死は 復活へとつながった 現代の読者もまた ラザロと同じ状況におかれたとき 同じ復活への希望が与えられるのである また健康な読者に対しても 弟子たちと同じようにラザロの死に向かうことによって 復活の命へとつながることを伝えている さらに 接続法一人称複数現在形は 我々は しよう という意味合いをもつため 物語内の登場人物への呼びかけに留まらず 時代を超えた読者への呼びかけという効果を持ちうる この表現は 読む者に直接訴えかける力をもっている 物語の中の現在でありながら 読者の現在に同化することを可能にしているのである トマスの言葉は われわれもまたラザロと共に死に イエスの栄光に預かって復活するものとなろう というメッセージとなって 現代の読者に語りかけるものとなるのである 4. まとめビアズリー =マリーは (11 章 16 節の ) トマスの言葉は 福音書のすべての読者に向けられている と述べている 39 彼自身は αὐτοῦ に関して取り立てて議論をしていない 前記はトマスの言葉が イエスの死を暗示 =イエスの復活を指し示す= 教会の誕生へとつながるものだ ということを受けたものである 我々の考察を通じて 上記の記述が ( ビアズリー =マリーが考えていたものとは違った形ではあるが ) 適切な指摘であるといえる このトマスの言葉は 現代においてもなお読者を導き 力づけるものとなるのである 39 Beasley-Murray, 189. 6