ピロリ菌のはなし ( 上 ) 大阪掖済会病院部長 消化器内科佐藤博之 1. はじめにピロリ菌という言葉を聞いたことがある方も多いと思います ピロリ菌はヒトの胃の中に住む細菌で 胃潰瘍や十二指腸潰瘍に深く関わっていることが明らかにされています 22 年前に発見されてから研究が精力的に進められ 以後 胃潰瘍や十二指腸潰瘍の治療法が大きく様変わりすることになりました 我が国では 2000 年 11 月に胃潰瘍 十二指腸潰瘍の患者さんに対してピロリ菌の除菌療法を行うことが保険適用されました 2. ピロリ菌発見の歴史ヒトの胃の中に細菌が存在することが最初に報告されたのは約 100 年も前ですが 胃酸が存在する胃の中に細菌が生存できるはずがないと考えられ その後研究は進展しませんでした しかし 1983 年 オーストラリアの研究者が胃内ラセン菌の分離 培養に初めて成功し ここからピロリ菌の研究が大きく進歩することとなりました 生存できるはずがないと考えられていた胃の中で ピロリ菌は生きていたのです では どうしてピロリ菌は ヒトの胃の中で生きられるのでしょうか? 実は ピロリ菌には 胃酸の存在下でも生存できるいくつかの仕組みがあったのです その中でも最も巧妙な仕組みは 次の通りです ピロリ菌はウレアーゼという酵素を持っていて 胃の中の尿素からアルカリ性であるアンモニアを産生し 自分の周囲の胃酸を中和して 自らを胃酸から保護していたのでした 3. ピロリ菌はどのようにして感染するのか現在 ピロリ菌はヒトの胃内でのみ繁殖することが明らかにされており ヒトからヒトに水や食物 手指を介して感染すると考えられています 特に小児期での飲料水による感染が重要視されています ピロリ菌の感染率が先進国では低く 発展途上国では高いことが明らかにされていますが 我が国では 50 歳以上では発展途上国のように感染率が高く ( 約 80%) それ以下では先進国のように低いことが特徴です これは 戦後上下水道などの環境が整備され 感染率が低下
したことによると考えられています 4. ピロリ菌の検査法ピロリ菌の検査法にはいくつかの種類があり 内視鏡を使うものとそうでないものに大きく分けられます 前者は 内視鏡を使って胃の組織を採取し それを材料にしてピロリ菌の有無を調べます 胃粘膜組織を顕微鏡で見てピロリ菌を探す方法 ( 鏡検法 ) 先に述べたようにピロリ菌がアルカリ性であるアンモニアを産生することを利用して 胃粘膜組織に尿素を加えてアルカリの反応を示すかを調べる方法 ( 迅速ウレアーゼテスト ) などがあります また 後者には 血液中のピロリ菌の抗体価を調べる方法や尿素呼気テストなどがあります 尿素呼気テストはそれに用いる薬剤が高価であることが欠点ですが 精度が優れているため ピロリ菌の除菌後のように菌量が少ない状況でも最も正確に判定できます ピロリ菌の検査は現在 胃潰瘍および十二指腸潰瘍と診断された患者さんにのみ 保険適用されています
ピロリ菌のはなし ( 下 ) 大阪掖済会病院部長 消化器内科佐藤博之 前回は ピロリ菌の検査法までお話いたしましたが 今回は ピロリ菌の関与する病気からお話したいと思います 5. ピロリ菌が関与する病気 1) 胃潰瘍 十二指腸潰瘍これらは消化性潰瘍と呼ばれています すなわち 胃酸により胃や十二指腸の粘膜が消化されることによって潰瘍が発生します このため 胃酸の分泌を抑制する治療が一般に行われていますが これらの潰瘍は一旦治っても再発を繰り返すことが多く ピロリ菌が発見されるまで 再発を繰り返す理由がわかりませんでした ピロリ菌を除菌することにより再発することがほとんどなくなり 現在では消化性潰瘍の根底にある原因は ピロリ菌であると考えられています つまり ピロリ菌がいると胃や十二指腸の粘膜が弱くなり 自らの胃酸によって消化されてしまうけれど ピロリ菌がいなくなると胃酸に抵抗できる強い粘膜に戻るという訳です 実際に除菌群と非除菌群で潰瘍の再発率を比べてみると 非除菌群では 3 年以内に約 80% が再発するのに対し 除菌群ではわずかに数 % しか再発がみられません では ピロリ菌に感染しているとすべての人が潰瘍になるのかというと そうではありません 我が国ではピロリ菌感染は 40-50 歳以上で約 80% 日本人全体では約 50% と高率ですが 潰瘍になる人はその内のわずか数 % にすぎないのです これは ピロリ菌に何種類かあり その種類の差によるのではないかと考えられています 2) 胃炎胃潰瘍や十二指腸潰瘍がピロリ菌感染者のわずか数 % にしか認められないのに対し 胃炎はほぼ全例に認められます 感染初期は粘膜の表層が発赤したりただれたりしますが 慢性期になると次第に胃粘膜は荒廃し 萎縮性胃炎の状態になります 萎縮性胃炎の状態にまでなった胃粘膜が ピロリ菌を除去することにより元の元気な粘膜にまで回復するかどうかについては 賛否両論があります ただし 我が国では胃炎におけるピロリ菌の除菌療法は保険適用されていません
3) MALT リンパ腫胃 MALT リンパ腫はピロリ菌による炎症に反応してリンパ球が増殖し 腫瘍を形成したものと考えられており ピロリ菌の除菌により縮小 消失することが報告されています しかし 除菌療法を行っても効果のない例もあり 今後の研究が期待されます 4) 過形成性ポリープ胃の過形成性ポリープもピロリ菌の除菌により縮小することが報告されています ポリペクトミー ( 内視鏡を使用したポリープ切除術 ) をせずにすむのなら一度は除菌療法を試みてみたいところですが 残念ながらこれも保険適用されていません 5) 胃癌ピロリ菌が消化性潰瘍と密接な関係があることが明らかになるにつれ 胃癌についても研究が進められるようになりました これまでのところ すべてとは言わないまでも両者の間には かなり深い関係があることがわかってきました 以前から萎縮性胃炎が胃癌の発生母地であると考えられてきましたが ピロリ菌によって萎縮性胃炎がもたらされることを考慮すれば当然とも考えられます 早期胃癌を内視鏡で切除した患者さんを その後ピロリ菌の除菌療法を行った群と行わなかった群に分けて追跡を行ってみたところ ピロリ菌を除菌することによって胃癌の発生が明らかに抑制されたとの報告が 日本の研究者によってなされており 大きな評価を得ています 6) 消化管以外の疾患胃や十二指腸などの消化管以外にも ピロリ菌が関与していることを推測させる疾患があります なかでも 特発性血小板減少性紫斑病はピロリ菌の除菌療法により約 60% に血小板の増加がみられ これまでステロイド剤や脾臓の摘出手術以外に有効な治療法がなかったこの疾患の新たな治療法として ピロリ菌の除菌療法が注目されています 6. ピロリ菌の除菌療法現在 ピロリ菌の除菌療法は 胃および十二指腸潰瘍においてピロリ菌感染が明らかにされている場合に限って 保険が適用されます その方法は 抗潰瘍剤であり強力に胃酸の分泌を抑制するランソプラゾールまたはオメプラゾールと 抗生物質であるアモキシシリンおよびクラリスロマイシンの 3 剤を 1 週間服用するというものです その効果は 80~90% と非常に有効性が高いと言えますが 逆に言えば 10
人に 1~2 人は残念ながら不成功に終わることになります 除菌療法が不成功であった場合 保険では同じ除菌療法をもう一度だけ行うことが認められていますが その場合の除菌成功率は高くありません 副作用としては 多くは下痢や軟便などの軽いものがほとんどです まれに ペニシリンであるアモキシシリンに対するアレルギー反応がみられることがあります 軽い場合は発疹ですみますが ごくまれにアナフィラキシー反応によりショック状態となり 致命的となることがあります その他 口の苦みを訴える方もおられます これは クラリスロマイシンによるものと考えられています 7. 最後に現在は ピロリ菌の検査も治療も胃潰瘍と十二指腸潰瘍の患者さんのみが対象となっています すでにピロリ菌の除菌療法を受けられた方は再発がみられなくなり その恩恵を受けられていることと思います 潰瘍以外にもピロリ菌の関与が示唆されており 前述のように ピロリ菌除去が胃癌の発生を予防し また 特発性血小板減少性紫斑病に対して有効性を示すなど興味ある研究結果が報告されています 今後ピロリ菌関連の研究 治療に大きな進展が期待されています