3-2 ケルビンプローブフォース顕微鏡による仕事関数の定量測定 3-2-1 KFM の測定原理ケルビンプローブフォース顕微鏡 (Kelvin Force Microscopy: KFM) は ケルビン法という測定技術を AFM に応用した計測手法で 静電気力によるプローブ振動の計測を利用して プローブとサンプルの仕事関数差を測定するプローブ顕微鏡の手法である 仕事関数というのは 金属の表面から電子を無限遠まで取り出すのに必要なエネルギーであり 物質中の伝導電子の最大エネルギーの準位であるフェルミ準位と真空準位のエネルギー差である KFM の測定原理を理解するために 図 3.2.1 に示したプローブとサンプルのエネルギーバンド図を考える 図 3.2.1 (a) に示したように 金属のプローブとサンプルが非接触の場合には それぞれの仕事関数を φ 1 φ 2 とすると それぞれのフェルミ準位 E 1 E 2 と真空準位 E VAC を用いて φ 1 = E VAC - E 1 φ 2 = E VAC - E 2 となる 図 3.2.1 (b) のように プローブとサンプルを電気的に接触させると互いのフェルミ準位が揃い 2 つの仕事関数差に等しい接触電位差 V S = (φ 1 - φ 2 ) / e が生じる このとき 両者の表面間には静電気力が発生している そこで 図 3.2.1(c) に示したように プローブとサンプルの間に DC 電源を挿入して 静電気力が無くなるように電圧を印加すると その時の電圧が接触電位差 V S に等しいことが分かる 従って V S の測定には静電気力の計測が重要であり KFM 測定ではその力の検出に光てこ法によるプローブ振動の検出を利用している この計測のための測定系を図 3.2.2 (a) に示す プローブとサンプル間に電位差 V が存在するとき 両者の間の静電気力は 次のように表される 2 du d( CV 2) 1 dc 2 F V (3.2.1) dz dz 2 dz ここで C はプローブとサンプル間の静電容量 z は両者の距離である プローブとサンプル間に DC 電圧 V DC と AC 電圧 V AC sinωt を印加すると 静電気力は次のように表される 37
F 1 2 dc dz ( V V V sin t 2 S DC AC ) 1 2 dc 2 1 2 dc 1 dc {( VS VDC ) VAC} ( VS VDC ) VAC sin t VAC cos 2 t (3.2.2) 2 dz 2 dz 4 dz 静電気力には (3.2.2) 式の右辺の第 2 項と第 3 項に示されたように周波数 ω に依存する項と 2ω に依存する項がある 図 3.2.2 (b) は プローブとサンプルの間に 382 khz の AC 電圧を印加した ときのフォトディテクタの電圧出力をオシロスコープで計測した例であり (3.2.2) 式の右辺の 第 2 項に起因した振動を捉えているのが分かる DC 電圧を印加すると ω 成分の振幅が減少し ていき 振幅が 0 になるように V DC を印加すると V S = V DC となるため プローブとサンプルの 接触電位差を求めることができる 38
3-2-2 KFM の測定系と高感度測定の条件 KFM の測定系のブロック図を図 3.2.3 に示す KFM 測定では 任意の周波数 ω 2 の AC 電圧をプローブとサンプル間に印加する カンチレバーの振動は光てこ法によってフォトディテクタから電圧信号として出力され ロックインアンプで ω 2 成分の振幅を検出することができる 図 3.2.4 にロックインアンプで計測したカンチレバーの振動振幅を示す プローブに印加した DC 電圧に依存して (3.2.2) 式の第 2 項の静電気力に起因した ω 2 の振動振幅が変化することが分かる 図 3.2.4 の V 字曲線が極小になる DC 電圧が プローブとサンプルの接触電位差に相当する 通常 この接触電位差を求めるために KFM のフィードバック回路を利用してプローブとサンプル間に DC 電圧を印加する この制御は 図 3.2.4 に示すように AAC-AFM( タッピングモード AFM) のための周波数 ω 1 の振動のフィードバック制御とは独立に行うことができるため サンプル表面のプローブ走査によって表面形状像と KFM 像を同時に取得することができる 当施設の AFM は 3 つのロックインアンプ (Lock-in #1, #2, #3) を有しており 通常 AAC-AFM による形状測定には Lock-in #1 を KFM 測定には Lock-in #2 を使用している 高感度な KFM 測定のためには ω 2 としてカンチレバーの共振周波数を利用するのが有効である サンプルから十分に離れた状態で 励振ピエゾを使ってカンチレバーを機械的に振動させたときの典型的な振動スペクトル ( 図 3.2.5 (a)) から このカンチレバーの共振周波数は 70 khz と 430 khz であることが分かる 通常 低周波数 (70 khz) の共振周波数は AAC-AFM による形状測定のため ω 1 に設定する 一方で AAC-AFM 法により十分に接近させたプローブと高抵抗 Si 基板 ( 約 2000 Ω cm) 間に AC 電圧を印加したときの振動スペクトルを図 3.2.5 (b) に示す 更にプローブと Si 基板の間に DC 電圧を重畳すると 共振周波数 (430 khz) の振動振幅が顕著に変化することが分かる ( 図 3.2.5 (c) (d)) 特に図 3.2.5 (c) は DC 電圧が接触電位差とほぼ等しくなっているため 430 khz の振動振幅がほとんど観察されない このように (3.2.2) 式の第 2 項の静電気力に共振周波数 (430 khz) の振動は非常に敏感であるため KFM 測定のための周波数 ω 2 をカンチレバーの共振周波数に設定することで高感度な測定が期待できる 39
KFM 測定は 図 3.2.1 に示すようにサンプルのフェルミ準位が外部電圧に応じることを利用している そこで カンチレバー 装置 サンプル間の電気的接触の信頼性を確認するために 図 3.2.6 (a) に示したサンプルバイアスモジュールを作製して サンプルに任意の電圧を印加した状態で KFM 測定を行った テストサンプルとして 高抵抗 Si 基板 ( 約 2000Ω cm) を用いた KFM 本体とサンプルを繋ぐ電圧印加用ケーブルの途中にサンプルバイアスモジュールを挿 40
入し 3 本の Pt 線にて高抵抗 Si 基板に接触させた Si 基板に -3~+3V まで電圧 (Sample bias) をかけ 図 3.2.4 に示したように Lock-in #2 の振幅が最小になる Tip bias を読み取ると 印加し た Sample bias に対応した結果が得られた ( 図 3.2.6 (b)) 41
3-2-3 金属の仕事関数測定典型的な 4 種類の金属 (Pt Ni Cu Zr) について KFM 測定を行った 測定のためにプローブとサンプル間に印加する AC 電圧 (V AC sinω 2 t) の振幅は V AC = 0.4 V とした また 装置のグランドと繋がった 1 本の Pt 線を接触させることでサンプルを接地した Pt コートの Si カンチレバー (NanoWorld 社 ; EFM-20) をサンプルから十分に離した状態で図 3.2.5 (a) のように励振ピエゾに印加する AC 電圧の周波数を掃引することでカンチレバーの振動を検出し 共振周波数 ω 1 = 58 khz ω 2 = 367 khz を決定した AAC-AFM モードにてサンプル表面にカンチレバーを接近させた後 表面を走査することで形状像と KFM 像を取得した Ni 表面の形状像と KFM 像の観察例を図 3.2.7 に示す 表面形状には 10 nm 程度の起伏があるが KFM 測定値は 0.05 V 程度の範囲で一様に見える KFM 測定値を V DC とすると プローブとサンプルの仕事関数をそれぞれ W probe W metal として V DC = W probe W metal が成り立つ Pt Ni Cu Zr の V DC とバルクの仕事関数の文献値を図 3.2.8 に示す 各金属の仕事関数の大小関係はバルク金属の仕事関数と同じであるが 各金属の相対値にずれが生じている また プローブは Pt 膜でコーティングされているにも関わらず Pt の測定値が 0 となっていない これらは 金属表面の酸化やナノスケールサイズのプローブ先端の表面状態を捉えた結果であると考えらえる 42
3-2-4 半導体のフェルミ準位測定 KFM により半導体のフェルミ準位を測定するために ドーピング条件の異なるいくつかの Si 基板に対して接触電位差が 0 になる Tip Bias 値を測定し 定性的 定量的な検討を行った 11 種類の電気抵抗率の異なる p 型 n 型の Si 基板を実験に用いた 各サンプルの詳細を表 3.2.1 にまとめた KFM 測定のためにプローブとサンプル間に印加する AC 電圧 (V AC sinω 2 t) の周波数 ω 2 は 401 khz 振幅は V AC = 0.4 V とした 装置のグランドと繋がった 1 本の Pt 線を接触させることでサンプルを接地した Pt コートの Si カンチレバー (NanoWorld 社 ; EFM-20) を AAC-AFM モードにてサンプル表面に接近させた 周波数 ω 1 の振幅を下げることで 更にカンチレバーをサンプル表面に近づけながら数点にて Tip bias を掃引したときの ω 2 の振幅を Lock-in #2 で検出した 振幅の Tip bias 依存性は 図 3.2.4 のような V 字曲線になるので 振幅が極小になる Tip bias すなわち プローブと Si 基板の接触電位差が 0 になる Tip Bias 値を読み取った 全ての Si 基板の測定は同一個体のカンチレバーを用いた Pt プローブと Si 基板の接触電位差が 0 になる Tip bias をプロットした結果を図 3.2.9 に示す グラフの縦軸は周波数 ω 1 の振幅を示しており 基板表面とプローブの距離に相当する 振幅が小さいほど 基板とプローブが近接していることを意味する 各 Si 基板の電導型および抵抗率に対応して 異なる Tip Bias 値が得られた Pt プローブと p 型 Si 基板のエネルギーバンド構造の模式図を図 3.2.10 に示した Pt の仕事関数を 5.65eV( バルクの文献値 ) とすると 接触電位差を 0 にするための Tip bias は正の値であることが分かる 一方 n 型 Si 基板は伝導体にフェルミ準位の近いため フェルミ準位が価電子帯側に近い p 型 Si よりも Tip bias は大きくなる 実験で得られた KFM 測定結果の定性的 及び 定量的な妥当性を調べるために 図 3.2.11 (a) に示された Si 基板における比抵抗と不純物濃度の関係 及び 図 3.2.11 (b) の不純物濃度とフェルミ準位の関係を用いた 表 3.2.2 に各 Si 基板の電気抵抗率をもとに求めた不純物濃度とフェルミ準位を示す 表中の E f - E i は 図 3.2.11(b) を用いて Ec - Ei = 0.574 ev Ei - Ev = 0.574 ev Eg = 1.148 ev T = 300 K として計算 43
した 接触電位差を 0 にする Tip Bias は χ Si = 4.05 ev φ Pt = 5.65 ev として計算した 図 3.2.12 に各 Si 基板の E f - E i をプロットした 数 Ω cm 以上の Si 基板 (p-si_1, p-si_2, p-si_hr, n-si_1, n-si_2) については Tip Bias の極性および電位の順序と それぞれの電気抵抗率から見積もられたフェルミ準位の間に妥当性が示された しかし χ Si = 4.05 ev φ Pt = 5.65 ev として計算された Tip Bias の絶対値 ( 表 3.2.2) とは 約 0.4 ~ 0.5V ほどの差が認められた プローブ先端の付着物 Pt 層や先端形状の不完全性に起因する表面準位のために プローブ先端の仕事関数はバルクの φ Pt = 5.65 ev と必ずしも同じになるとは限らない 表面準位を調べるために 例えば高抵抗の Si 基板を標準サンプルとして採用する方法が考えられる 一方で 低抵抗の Si 基板 (p+si_1, p+si_2, n+si_1, n+si_2, n+si_3) については真性 ~n 型の間に相当する Tip Bias にて 接触電位差が 0 になる傾向がみられた この結果は 一般的にフェルミレベルピニングで知られる高濃度不純物による表面準位の影響が示唆される 不純物濃度の測定精度に関して更なる検討が必要である 44
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フェルミ準位の温度変化を KFM 測定で調べるためにサンプル加熱ステージを作製し 電気抵抗率の異なる 9 種類の p 型 n 型の Si 基板をテストサンプルとして試験測定を行った KFM 測定のためにプローブとサンプル間に印加する AC 電圧 (V AC sin ω 2 t) の振幅は V AC = 0.4 V とした また 装置のグランドと繋がった 1 本の Pt 線を接触させることでサンプルを接地した Pt コートの Si カンチレバー (NanoWorld 社 ; EFM-20) の共振周波数 ω 2 を決めるために カンチレバーをサンプルから十分に離した状態で 図 3.2.5(a) のように励振ピエゾに印加する AC 電圧の周波数を掃引することでカンチレバーの振動を検出した 測定された共振周波数は温度に依存し 室温で 434.7 khz 100 で 434.2 khz 150 で 433.7 khz であった AAC-AFM モード ( 振動周波数 ω 1 = 69 khz) にてカンチレバーの振幅が 1.7 V になるまでサンプル表面に接近させ Tip bias を掃引したときの ω 2 の振幅を Lock-in #2 で検出した 振幅の Tip bias 依存性は 図 3.2.4 のような V 字曲線になるので 振幅が極小になる Tip bias を読み取ることでプローブとサンプ 46
ルの接触電位差を求めた 表 3.2.3 に示した順番にて それぞれのサンプルを室温 ( 約 25 ) 100 150 で測定した 全ての測定は同一個体のカンチレバーを用いた 9 種類の Si 基板の測定結果を図 3.2.13 に示す 各サンプルの温度変化に注目すると p 型 Si 基板は図 3.2.13 (b) のように 温度上昇で伝導体側にフェルミ準位が移動する 一方 n 型 Si 基板は期待とは逆方向に移動した この点については 加熱中のカンチレバー周辺の保持具の変形やサンプルへの接地線の安定性も含めて 解釈の検討が必要である また それぞれのサンプルの室温でのフェルミ準位の位置も 図 3.2.9 の時ほど妥当なものとなっていない 昇温した際に プローブ先端が何らかの影響を受けた可能性もあるため 各サンプルの測定の前に 室温で基準となるサンプル ( 例えば 高抵抗の Si 基板など ) で校正を行うなどの測定方法の改善も検討が必要である 47