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松本直樹 1 はじめに 日本経済は, 長年にわたってデフレーションに直面してきた. これに対して, 日本銀行はゼロ金利政策, 量的緩和政策さらには包括的金融緩和政策を実施してきたが, デフレーションから脱却することはできなかった. ところが,2012 年の冬から, 為替レートについては円安が進み, 株価は上昇し始めた. しかし, このとき金融政策が質的に変化していたわけではない. 日本銀行が 物価安定の目標 を発表し, 同時に政府と日本銀行が デフレ脱却と持続的な経済成長の実現のための政府 日本銀行の政策連携について という共同声明を発表したのは,2013 年 1 月 22 日である. 円安の進行と株価上昇のきっかけとなったのは, おそらく 2012 年 11 月の衆議院解散により政権交代が予想されたこと, そして当時の安倍晋三自民党総裁の一連の発言であろう. 安倍氏は, 総理大臣に就任する直前に, 日本銀行法の改正にまで言及して, 日本銀行に対して物価目標の導入を求めている. もしこのことが円安の進行と株価上昇を生じさせたとすれば, それは, 安倍氏の一連の発言が人びとに大胆な金融緩和を予想させ, さらにその結果としてデフレーションからの脱却を予想させた効果であると考えることも可能である. また, 前述の 物価安定の目標 と政府 日本銀行の共同声明が, これらの予想を強めたかもしれない. さらに,2013 年 4 月 4 日に日本銀行が発表した 量的 質的金融緩和 導入についても, 同 1

様の効果をもちうると考えることができよう. もちろん, これらが最終的にどのような効果をもつかはわからない. しかし一連の金融緩和のアナウンスが, 少なくともその直後に, 為替レートや株価に影響をおよぼしたことは間違いないであろう. 小論の目的は, 金融緩和のアナウンスがマクロ経済におよぼす影響を, 開放マクロモデルを用いて理論的に検討することである. ここで強調されるのは, 具体的に金融政策が実施される前にアナウンスが行われ, それが予想物価を変化させるという点である. 以下では, まず 2 節でモデルを提示する. このモデルは基本的には総需要 総供給分析のモデルであるが, 輸入原材料の存在を明示的に考慮する 1). このことによって, 為替レートの変動が原材料コストの変化となって物価水準に影響するという経路を考えることができる.3 節では, 金融緩和のアナウンスがマクロ経済変数にどのような影響を与えるかを, 比較静学によって示す.4 節は, 結論にあてられる. 2 モデル 小論では, 自国は小国であると仮定し, 輸入原材料の存在を明示した開放経済モデルを提示する. モデルは, 基本的には総需要 総供給分析のモデルであり, 以下では, まず総需要曲線, ついで総供給曲線の順に説明する. まず, 自国生産物の供給は, 次式で示される. (1) 1 ) 輸入原材料の存在を明示的に考慮したモデルを提示した文献としては, Findlay and Rodriguez(1977),Bruno(1978),Buiter(1978), 植田 (1983; 第 5 章 ), 奥村 (1985; 第 5 章 ),Sarantis(1986),Lai and Chang(1989), Araujo(1999), 松本 (2007; 第 4 章 ), 吉川 (2013; 第 5 章 ) 等を挙げることができる. 2

ここで,y S は自国生産物の供給,y は実質所得,E は邦貨建為替レート,P は自国の物価水準,P R は輸入原材料の外貨建価格,R M は原材料の投入量をそれぞれ表している. ただし, 原材料はすべて輸入に依存していると仮定する. このように, 輸入原材料の存在を明示するモデルにおいては, 自国生産物の供給と実質所得が区別される. さらに, 原材料の投入量は実質所得とつぎのような関係があると仮定する. (2) ここで,j は自国生産物を 1 単位生産するのに必要な原材料の量を表しており, 議論を単純にするため, 一定と仮定する. 一方, 自国生産物に対する需要は次式で表される. (3) ここで,y D は自国生産物に対する需要,A はアブソープション,r は実質利子率,g は政府支出を含むシフト パラメーター,X は輸出,y F は外国の実質所得,Im は外国の最終生産物の輸入, そして P F は外国の最終生産物の物価水準をそれぞれ表している. アブソープション A は, 具体的には消費, 投資および政府支出の合計である. アブソープションが実質所得 y の増加関数になっているのは, 消費需要が実質所得の関数であることを反映しており, したがって所得の変化に対するアブソープションの変化は, 限界消費性向を表している. また, 3

アブソープションは実質利子率 r の関数になっている. これは, 物価が変化することを前提にしたモデルにおいては, とくに投資需要に影響するのは名目利子率ではなく, 実質利子率であると考えられるからである. 輸出 X は, 実質為替レート EP F /P の増加関数, 外国の所得 y F の増加関数である. ただし, 小国の仮定により, 外国の所得は所与として扱われる. そして, 外国の最終生産物の輸入 Im は, 実質所得の増加関数, 実質為替レートの減少関数である. 自国生産物市場の均衡条件は, (4) で表され, これを整理すると, (5) となる. ただし, (6) である. ここで,T は輸出マイナス外国の最終生産物の輸入を表しており, 実質所得 y と実質為替レート EP F /P の関数である.T が実質所得の減少関数になっているのは, 所得が増加した場合には輸入が増加するからであり, したがって T y は外国の最終生産物に関する限界輸入性向を表している. また,T が実質為替レート EP F /P の増加関数となっているのは, マーシャ 4

ル=ラーナー条件が満たされていることを前提にしていることを意味する. また,T マイナス輸入原材料が通常の経常収支 ( 貿易収支 ) である. 実質利子率 r は, (7) で表され,i は自国の名目利子率を,pˆe は予想物価変化率を表している. 小論では, 利子率コントロールの金融政策が実施されることを前提とする. 利子率コントロールのモデルにおいては, 中央銀行は利子率の水準にターゲットを設定して金融政策を実施すると仮定され, したがって貨幣は需要に応じて同調的に供給されることになる. その結果, 名目利子率 i はつねに中央銀行が設定するターゲット利子率 i T の水準に等しくなる. (8) 金融政策の目的は物価の安定であり, これは次式で表される. (9) すなわち, 物価が上昇するときは中央銀行は利子率のターゲット水準を引き上げ, 逆に物価が下落するときは利子率のターゲット水準が引き下げられる. 予想物価変化率 pˆe は (10) で表され,P e は予想物価水準である. 予想物価水準 P e は物価水準 P の関数で, 予想の弾力性が 1 より小であると仮定すると, 次式のようになる. 5

(11) なお,x はシフト パラメーターである.(8) 式,(9) 式,(10) 式および (11) 式を (7) 式に代入すると, 実質利子率は次式で表される. (12) 為替レートについては, 各時点において, 次式のカバーなし金利平価条件によって決定されると考える. (13) i F は外国利子率,E e は邦貨建ての予想為替レートをそれぞれ表している. なお, 小国の仮定により, 外国利子率は所与として扱われる. ここで, 人びとは長期的には購買力平価が成立すると予想していると仮定しよう 2). 購買力平価は, (14) で表されるので, 人びとが長期的には購買力平価が成立すると予想しているという仮定は, (15) で表される. ここでも小国の仮定により, 外国の最終生産物の物価水準は自国にとっては所与として扱われる.(15) 式を前提とすると, 予想為替レートをつぎのように表すことができる. 2) Vernengo(2001) は, 購買力平価を Wicksell の自然利子率になぞらえている. 6

(16) (11) 式と (16) 式を考慮すると,(13) 式のカバーなし金利平価条件は次式の ように書き換えることができる. (17) このカバーなし金利平価条件がつねに成立していると仮定すると, 為替レートはつぎのように表される. (18) (5) 式に (12) 式と (18) 式を代入すると, 生産物市場の均衡条件は, 次式のように書き換えられる. (19) この (19) 式は, 輸入原材料を明示的に考慮した総需要 ( AD ) 曲線を表している. つぎに, 自国生産物の価格は, マークアップ原理によって, 次式で決定 7

されると仮定する. (20) ここで π はマークアップ率,W は貨幣賃金率,N は雇用量をそれぞれ表している. つまり, 生産物価格は, 生産物 1 単位あたりの労働コストと原材料コストにマークアップを加えた水準に設定されると考えられているのである. また貨幣賃金率は, (21) のように, 実質所得の関数であると仮定しておく. これは, 所得水準が上昇するときは労働需要が増加して貨幣賃金率が上昇し, 所得水準が低下するときは労働需要が減少して貨幣賃金率が低下すると考えられるからである.(18) 式と (21) 式を (20) 式に代入すると, 次式が得られる. (22) ここで,q は労働の生産性の逆数を示しており, 以下では議論を単純にするために,q を一定と仮定する. この (22) 式は, 輸入原材料を明示的に考慮した総供給 (AS ) 曲線を表している. モデルは,AD 曲線を表す (19) 式と,AS 曲線を表す (22) 式で構成される. そして, このモデルの動学的調整は, つぎのように考えられている. 8

(23) (24) ただし, と は, それぞれ調整係数である. 上の 2 式をそれぞれ均衡点 の近傍でテーラー展開し一次近似して整理すると, 次式のようになる. ただし, 以下ではゼロ金利政策が実施されていることを前提とし, そのため, とおく. なお, アステリスク (*) は均衡値を表している. (25) (26) ただし, である. これより特性根を とすると, 特性方程式は次式のようになる. (27) 9

(28) (29) Routh=Hurwitz の安定条件より, モデルが安定であるためには, すなわち, (30) でなければならない. 以下では, これが満たされると仮定する. このことは, モデルを図示すると,AD 曲線が右下がり (b 12 < 0)( 図 1) であるか, AD 曲線が右上がり ( b 12 > 0 ) であっても AS 曲線よりも傾きが急である ( 図 2) ということを意味する. 次節では, 一般的なケース, すなわち AD 曲線が右下がりのケースのみをとりあげる. P AD AS O 図 1:b 12 < 0 のケース 10 y

P AD AS O 図 2:b 12 > 0 で安定のケース y 3 金融緩和のアナウンス 本節では, 金融緩和のアナウンスがマクロ経済にどのような影響をおよぼすかを, 比較静学によって検討する. 金融緩和のアナウンスは, シフト パラメーター x で表すことができる. つまり, 金融緩和が実施される前に, そのアナウンスが予想物価水準に影響をおよぼすという経路を考えるのである. 金融緩和のアナウンスが行われる場合は,dx > 0 になる. 均衡条件 (19) 式と (22) 式を全微分して整理すると, つぎのようになる. (31) 11

ここで,AD 曲線が右下がりのケースをとりあげるということは, (32) を仮定するということを意味している. 実質所得 y と物価水準 P への効果は, それぞれつぎのように示される. 実質所得 y への効果 (33) 物価水準 P への効果 (34) すなわち, 金融緩和のアナウンスによって, 実質所得は増加し, 物価水準は上昇する. これは, 図 3 に示されている. 12

P AD AD Q AS AS Q O 図 3: 金融緩和のアナウンスの効果 y つぎに, 金融緩和のアナウンスが実質利子率, 名目為替レートおよび実質為替レートに与える影響をみると, 以下のようになる. 実質利子率 r への影響 (35) 為替レート E への影響 (36) 13

実質為替レート EP F /P への影響 (37) 金融緩和のアナウンスにより, 実質利子率は低下し, 名目為替レートと実質為替レートはともに上昇, つまり自国通貨は名目的にも実質的にも減価するという結果が得られた. 実質所得水準が上昇し, 物価水準が上昇するのは, 実質利子率の低下と実質為替レートの上昇 ( 自国通貨の実質的減価 ) の効果と考えることができる. は,2 段階にわけて考えることができる. 第 1 次効果は, 金融緩和のアナウンスが予想物価水準 P e を瞬時に上昇させることから生じる効果である. 予想物価水準の上昇は予想物価変化率を上昇させることによって実質利子率を下落させ, 実質所得水準と物価水準を上昇させる要因となる. また, 人びとが長期的には購買力平価が成立すると予想するという仮定から, 予想物価水準の上昇は予想為替レートを上昇 ( 自国通貨の減価を予想 ) させ, 現実の為替レートを上昇 ( 自国通貨を減価 ) させることによって実質為替レートの上昇 ( 自国通貨の実質的な減価 ) をもたらす. 実質為替レートの上昇も, 実質所得水準と物価水準を上昇させる要因となる. また名目為替レートの上昇は, 自国通貨ではかった原材料価格を上昇させ, コスト面からも物価水準を上昇させる. 14

第 2 次効果は, 第 1 次効果によって生じた現実の物価水準の上昇によってもたらされる効果である. 現実の物価水準の上昇は, 予想の弾力性が 1 より小という仮定の下では, 予想物価変化率の下落をもたらし, これは実質利子率を上昇させる. また物価水準の上昇は, 実質為替レートを下落 ( 自国通貨を実質的に増価 ) させる. 実質利子率の上昇と実質為替レートの下落は, ともに実質所得水準を下落させる要因である. 金融緩和のアナウンスが最終的に実質所得水準を上昇させるという結果は, 第 1 次効果が第 2 次効果を上回っていることを意味している. ここで 1 つ注意しておかなければならないのは, 以上の結論はゼロ金利政策が維持されていることを前提としているということである. もしゼロ金利政策が解除され, 物価水準が上昇したときに利子率のターゲット水準 i T が引き上げられるとすれば, 実質利子率の上昇と為替レートの下落 ( 自国通貨の増価 ) が生じるため, 金融緩和のアナウンスが実質所得水準と物価水準を上昇させるとは限らないのである. 4 むすび 小論で得られた結果をまとめておこう. 金融緩和のアナウンスは, 実際にその政策が実施される前に, 予想物価水準を上昇させることによって, 実質利子率を低下させ実質為替レートを上昇 ( 自国通貨を実質的に減価 ) させることによって, 実質所得水準と物価水準の双方を上昇させることができる. つまり, 金融緩和のアナウンスによってデフレからの脱却を実現することも可能である, ということになる. ただし, この結論はゼロ金利政策が維持されることを前提としている. したがって, デフレからの脱却を確実なものとするためには, 少なくともゼロ金利政策は維持されなければならない. さらに注意しなければならないのは, この金融緩和のアナウンスの効果 15

は, おそらく一度限りのものだということである. もし実際に金融政策が実施されたあと, 実質所得水準と物価水準に期待されたほどの効果が見られなかった場合, さらに一層強力な金融緩和策を検討しそれをアナウンスしなければならない. そしてもしその金融緩和を実施することができなければ, 人びとの予想が逆方向に向かうことも考えられる. 人びとの予想に働きかける政策の効果は, 人びとの予想によって覆されることもありうる. その点を考慮に入れると, デフレーションからの脱却のためには, 実体経済に直接働きかける政策も必要であろう 3 ). 参考文献伊藤隆敏 (2013) インフレ目標政策 日本経済新聞出版社. 植田和男 (1983) 国際マクロ経済学と日本経済 東洋経済新報社. 奥村隆平 (1985) 変動為替相場制の理論 名古屋大学出版会. 松本直樹 (2007) 開放マクロ経済分析 日本評論社. 吉川洋 (2013) デフレーション 日本経済新聞出版社. Araujo, J. T. (1999), The Cambridge Theory of Distribution in the Short Period: An Open Economy Approach, in Sardoni, C. and P. Kriesler (eds.), Keynes, Post-Keynesianism and Political Economy: Essays in Honour of Geoff Harcourt, (Vol.3), London and New York: Routledge. Bruno, M. (1978), Exchange Rates, Import Costs, and Wage-Price Dynamics, Journal of Political Economy, Vol.86, No.3, June: 379-403. Buiter, W. (1978), Short-run and Long-run Effects of External Disturbances under a Floating Exchange Rate, Economica, Vol.45, No.179, August: 251-72. Findlay, R. and C. A. Rodriguez(1977), Intermediate Imports and Macroeconomic Policy under Flexible Exchange Rates, Canadian Journal of Economics, Vol.10, No.2, May: 208-17. Lai, C.-C. and W.-Y. Chang(1989), The Fleming Proposition with Oligopolistic 3 ) 伊藤 (2013;pp.136-38) は, 中長期的には財政再建が必要であることは明らかであるとしながらも, 短期的には財政政策による刺激が必要である, と述べている. 16

Pricing, Journal of Post Keynesian Economics, Vol. 11, No. 3, Spring: 460-73. Sarantis, N. (1986), The Mundell-Fleming Model with Perfect Capital Mobility and Oligopolistic Pricing, Journal of Post Keynesian Economics, Vol.9, No.1, Fall: 138-48. Vernengo, M.(2001), Foreign Exchange, Interest and Prices: The Conventional Exchange Rate, in Rochon, L.-P. and M. Vernengo(eds.), Credit, Interest Rates and the Open Economy, Cheltenham, UK and Northampton, MA, USA: Edward Elgar. (2013 年 6 月 28 日受理 ) 17