天理よろづ相談所学術発表会 2015 天理医学紀要 2016;19(2):90-94 DOI: /tenrikiyo 血栓一次予防 - 循環器領域から - 近藤博和 天理よろづ相談所病院循環器内科 はじめに循環器疾患における主要な血栓一次予防として, 二つの病態があげら

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3 病型別 初発再発別登録状況病型別の登録状況では 脳梗塞の診断が最も多く 2,524 件 (65.3%) 次いで脳内出血 868 件 (22.5%) くも膜下出血 275 件 (7.1%) であった 初発再発別の登録状況では 初発の診断が 2,476 件 (64.0%) 再発が 854 件 (22

イントロダクション

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天理よろづ相談所学術発表会 2015 天理医学紀要 2016;19(2):90-94 DOI: 10.12936/tenrikiyo.19-011 血栓一次予防 - 循環器領域から - 近藤博和 天理よろづ相談所病院循環器内科 はじめに循環器疾患における主要な血栓一次予防として, 二つの病態があげられる. 一つは虚血性心疾患の一次予防としての抗血小板薬の投与であり, もう一つは心房細動患者における主に脳血栓塞栓症予防としての抗血栓薬の投与である. これらについて概説し, 近年の動向を紹介する. 虚血性心疾患の一次予防としての抗血小板療法虚血性心疾患の一次予防とは, 虚血性心疾患 ( 狭心症や心筋梗塞など ) の既往のない人の発症を未然に防ぐための予防的対策のことである. 虚血性心疾患の二次予防 ( 虚血性心疾患の既往のある人の再発予防 ) としての抗血小板療法の地位は確立されているが, 一次予防に関してはどうだろうか. 1. 欧米における研究 1) Physicians' Health Study 抗血小板療法の一次予防効果については,1980 年代の研究に遡る.Physicians Health Study は, アメリカの健康な男性医師 22,071 例を対象にした大規模な試験である. アスピリン 325 mg 隔日投与群とプラセボ群に分けて約 5 年間追跡したところ, アスピリン投与群は, 急性心筋梗塞の発症率が約 44% 低下したとの衝撃的な結果が報告された. 1 2) British Doctors' Trial 同年代にイギリスでは,British Doctors Trial が行われた. 健康な男性医師 5,139 例を対象に, アスピリン 500 mg/ 日投与群と非投与群にランダム化して割り付け,6 年間追跡した. 総死亡率と非致死性心筋梗塞の発症率は, 両群で有意差は認められなかった. 2 これは, 前述の Physicians Health Study とは全く異なる結果である. また, 血管死は アスピリン投与群で発症率が低下したものの有意 差は認められなかった. 一方, 一過性脳虚血発作 (transient ischemic attack; TIA) は, アスピリン投与 群で有意に低下した (P<0.05). 2 以降, 数々の研究が報告されているが, 有効性 と安全性のバランスにおいて, 研究によって結果 は異なり, 虚血性心疾患に対する一次予防として の抗血小板療法に関する確定した見解は得られて いない. 3) Antithrombotic Trialists' Collaboration 2009 年に, アスピリンの一次予防に関する 6 つ の大規模試験 1-6 のメタ解析が報告された. 7 対象を 50-59 歳と 65-74 歳の 2 つのグループに分けて, 心 血管イベントと出血性イベントを 5 年間の累積リ スクで調べた. アスピリン群では両グループとも に, コントロール群と比較して心血管イベントは わずかに減少するが, 出血性イベントは増加した. アスピリンの一次予防効果は限定的であり, 一次 予防においてはアスピリンの効果ははっきりしな い と結論づけている. 7 2. 日本における研究 1) Japanese Primary Prevention of Atherosclerosis with Aspirin for Diabetes (JPAD) 試験 一方, 日本では,2008 年に JPAD 試験の結果が 報告された. 8 対象はアテローム性動脈硬化症の 既往歴がない 30 歳以上 85 歳未満の 2 型糖尿病患 者 2,539 例で, 低用量アスピリン内服群と非内服 群に割り付けて,PROBE (Prospective, Randomized, Open, Blinded-Endpoint design) 法で実施した試験で ある. 約 5 年間の追跡の結果, 一次エンドポイン トである動脈硬化性複合イベントについては, 有 90

学術発表会 (2015 年度 ) 意差は認められなかった.65 歳以上を対象としたサブ解析では, アスピリン群で一次エンドポイントが有意に減少した (P = 0.047). 出血性イベントに関しては, 有意差は認められなかった. 8 2) Japanese Primary Prevention Project (JPPP) 試験さらに,2014 年には JPPP 試験の結果が報告された. 9 対象は,60 歳以上でアテローム動脈硬化性疾患を有しないが, 高血圧, 脂質異常症, 糖尿病のいずれかを有する 14,464 例である. 低用量アスピリン内服群と非内服群に割り付け,PROBE 法で実施された. 約 5 年の追跡の結果, 一次エンドポイント ( 心血管死 + 非致死的脳卒中 + 非致死的心筋梗塞の複合エンドポイント ) は, この研究においても有意差は認められなかった. 非致死的な心筋梗塞と TIA に関しては, 抑制する傾向がみられた. 輸血または入院を必要とする頭蓋外出血に関しては, アスピリン内服群で増加していた. 9 このように, 虚血性心疾患の一次予防としての抗血小板療法については確定的な効果は認められていない. 高齢者や糖尿病などのハイリスク群においては一定の効果が得られる可能性があり, 出血のリスクを考慮して使用を検討する必要がある. 日本循環器学会の虚血性心疾患の一次予防ガイドラインでは, 一次予防としてのアスピリンの投薬は, 複数の冠危険因子を有する高齢者に対してはクラスⅡ, 若年者に対してはクラスⅢとしており, 疾患を抑制するベネフィットが出血イベントを起こすリスクを大きく上回ると考えられる場合にされている. 10 心房細動患者における脳血栓塞栓症予防としての抗血栓療法心房細動では心房内の血流低下により血栓を生じやすく, その血栓が剥がれて全身に流出するリスクがある. 脳に流出すると, 脳塞栓による急速な意識障害や片麻痺などの症状が現れ, 大きな脳梗塞になってしまうことが多い. あるいは四肢に流出すると, 四肢の痛み, 動脈拍動の消失, 皮膚蒼白などの症状が現れ, 腎梗塞や脾梗塞などを起こすリスクもあり, 塞栓症の発症は心房細動患者 における臨床上の問題点といえる. 11 1. による虚血性脳卒中の発症抑制効果塞栓症の発症を予防するために, が抗血栓療法として使用されてきた. 心房細動症例を対象とした虚血性脳卒中の再発抑制効果を, コントロール群と群もしくはアスピリン群で比較した 5 つの大規模試験 (AFASAK 12, BAATAF 13,CAFA 14,SPAF 15,SPINAF 16 ) が行われた. これら 5 試験のメタ解析を行った結果, 内服群はコントロール群に比べて虚血性脳卒中の発症リスクの減少率が 68% であると報告された. 17 2. 心房細動に対する抗血小板療法以前は, 心房細動患者の脳梗塞予防にアスピリンをはじめとする抗血小板薬も使用されていたが, 最近ではあまり使用されなくなった.Japan Atrial Fibrillation Stroke Trial(JAST) 研究では, 非弁膜症性心房細動患者 871 例を対象に, アスピリン 150-200 mg/ 日投与が脳卒中予防に有効であるかを検討した. 約 5 年の追跡を行ったところ, コントロール群とアスピリン群で一次エンドポイントに有意差は認められなかった. つまり, アスピリンの効果は認められないという結果であった. 18 また,Atrial Fibrillation Clopidogrel Trial with Irbesartan for Prevention of Vascular Events(ACTIVE W) 試験では, 経口抗凝固薬と抗血小板薬併用療法の脳卒中発症抑制効果を検証している. 永続性, 持続性, 又は 2 回以上の発作性心房細動の既往があり,1 つ以上の脳卒中リスクを有する 6,706 例を対象に, クロピドグレル + アスピリンの併用群 3,335 例と経口抗凝固薬群 3,371 例に分けて追跡した. 一次エンドポイントの脳卒中発症リスクは, クロピドグレル + アスピリン群が 5.60%/ 年, 経口抗凝固薬群が 3.93%/ 年であり, 抗血小板薬併用群で発症リスクが有意に上昇した ( 相対リスク = 1.44,P = 0.0003). 19 これらの検討結果を受けて, 日本循環器学会のガイドラインでは, 心房細動に対する抗凝固薬の脳梗塞予防効果は, 抗血小板薬のそれを大きく上 天理医学紀要第 19 巻第 2 号 (2016) 91

2015 Symposium 回ることが明らかにされている. 抗血小板療法は, 発作性心房細動でも持続性 永続性心房細動でも大梗塞の予防効果はなく, ラクナ梗塞やアテローム血栓性脳梗塞に伴う小梗塞の予防効果だけが推定されているので, 第一選択としては勧められず, 抗凝固療法が行えない場合に限り考慮する と提唱されている. 20 3. 新しい経口抗凝固薬の登場経口抗凝固薬は, 長い間, が唯一の薬として用いられてきたが,2011 年から新しい経口抗凝固薬が相次いで登場してきた. 現在, ダビガトラン ( プラザキサ ), リバーロキサバン ( イグザレルト ), アピキサバン ( エリキュース ), エドキサバン ( リクシアナ ) の 4 剤が販売承認を得ており, これらの薬剤は直接経口抗凝固薬 (direct oral anticoagulants; DOACs) と呼ばれている. 作用機序については, はビタミン K 依存性凝固因子のプロトロンビン (II 因子 ), VII 因子, IX 因子, X 因子の生合成を阻害する. 一方,DOAC のダビガトランはトロンビン (IIa 因子 ), 残りの 3 剤は Xa 因子の阻害薬であり, と作用機序が異なる. の問題点は,1 PT-INR による用量調整が必要,2 食事 ( 納豆などのビタミン K を多く含む食品 ) の影響を受けやすい,3 相互作用のある薬剤が多い,4 効果発現や中止後の効果減弱まで一定の期間を要するなど, 使用に際しての注意点が多々あることである. 一方, DOAC は,PT-INR による薬効のモニタリングは基本的には不要で, 食物や他の薬剤との相互作用も少ない. また, 効果発現や中止後の効果減弱までの時間が比較的短いなど, と比べて扱いやすいという利点がある. 心房細動症例を対象に DOAC の有効性と安全性をと比較検証した大規模な臨床試験 (ENGAGE AF,RE-LY,ROCKET AF, ARISTOTLE) が行われている. 21-24 これら 4 つの大規模臨床試験の結果を図 1 に示す.A は虚 A (%/ 年 ) 3.0 B 2.0 1.0 0.0 5.0 HR 0.80 (0.71-0.91) 4.0 3.0 2.0 1.0 0.0 HR 1.00 (0.83 1.19) P = 0.97 HR 0.47 (0.41-0.55) 3.60 3.43 3.43 3.36 3.36 3.40 3.11 2.75 2.71 1.61 エドキサバン 60 mg 30 mg ENGAGE AF HR 1.41 (1.19 1.67) P <0.001 HR 0.76 (0.59-0.97) P = 0.03 1.77 1.42 1.34 1.25 1.25 1.25 1.34 1.20 1.20 0.92 HR 0.93 (0.81-1.07) P = 0.32 図 1. DOAC の大規模臨床試験の結果 血性脳卒中,B は大出血の発症率である. エドキサバ ンは低用量群で脳卒中の発症が少し増加したが, 大出 血発症率は, 低用量 高用量群ともに群 に比べて有意に減少した. 21 タビガドランにおいては, 高用量群で脳卒中発症率が減少し, 低用量群では大出 血発症率が有意に減少している. 22 リバーロキサバン は, 虚血性脳卒中 大出血発症率ともに と有意差はなく同等であった. 23 ては, 大出血発症率が有意に減少した. 24 アピキサバンにおい さらに, これら大規模臨床試験のメタ解析で, DOAC 群の脳卒中または全身性塞栓症の発現率をワ ルファリン群と比較したところ, 相対危険度 (RR) 0.81,95% 信頼区間 0.73-0.91, 有意差は P<0.0001 で あった. 25 大出血の発現率は, 有意差は認められなかっ たが,DOAC 群で減少傾向がみられた (RR: 0.86, 95% CI: 0.73-1.00; P = 0.06). 25 HR 1.11 (0.88-1.39) P = 0.35 HR 0.8 (0,70-0.93) P = 0.003 HR 1.03 (0.96-1.11) P = 0.44 ダビガトランリバーロ 150 mg 110 mg キサバン RE-LY ROCKET AF HR 0.69 (0.60-0.80) このように, 心房細動患者 における DOAC の使用は, と比較して 2.13 3.09 アピキサバン ARISTOTLE 心房細動症例を対象に DOAC とと比較検証した大規模臨床 試験 (ENGAGE AF 20, RE-LY 21, ROCKET AF 22, ARISTOTLE 23 ). A は虚血性脳卒中, B は大出血の年間発症率. HR 0.94 (0.75 1.17) P = 0.58 DOAC HR 0.92 (0.74-1.13) P = 0.42 1.05 0.97 92 Tenri Medical Bulletin Vol. 19 No. 2 (2016)

学術発表会 (2015 年度 ) 同等以上の血栓塞栓予防効果があり, さらに出血性イベントも少ない. DOAC 承認後のガイドラインでは実際に, 心房細動における抗血栓療法はどのように行われているのか.2001 年に, 脳卒中の発症リスクの評価法として CHADS 2 スコアが提唱された ( 表 1). CHADS 2 とは, 5 つの評価項目の頭文字で, 各項目スコアの合計点 (0 ~ 6 点 ) によって脳卒中の発症リスクを評価する. たとえば, 年齢が 75 歳で糖尿病の既往があれば CHADS 2 スコアは 2 点となり, 脳卒中発症率は年間 4.0% で中等度リスクとされる ( 図 2). 26 DOAC 承認後に改訂されたガイドラインでは,CHADS 2 スコアによる血栓症リスクの層別化を行い, 高リスク群では DOAC の 4 剤とが同等に 2 点 ダビガトランリバーロキサバンアピキサバンエドキサバン *3 CHADS2 スコア ( 表 1 に示す ) 考慮可 非弁膜症性心房細動 1 点 ダビガトランアピキサバン リバーロキサバンエドキサバン *3 同等レベルの適応がある場合, 新規経口抗凝固薬がよりも望ましい. *1 : 血管疾患とは心筋梗塞の既往, 大動脈プラーク, および末梢動脈疾患などをさす. *2 : 人工弁は機械弁, 生体弁をともに含む. *3 : 2013 年 12 月の時点では保険適応未承認. 日本循環器学会 : 心房細動治療 ( 薬物 ) ガイドライン (2013 年改訂版 ) 参照 20 図 3. DOAC 承認後の心房細動における抗血栓療法 され, 低リスク群では DOAC のタビガドランとア ピキサバンがされている. 以前と比較すると, より低リスクの症例に対しても経口抗凝固薬によ 考慮可 その他のリスク心筋症 65 年齢 74 血管疾患 *1 ダビガトランリバーロキサバンアピキサバンエドキサバン *3 る治療が勧められている ( 図 3). 20 僧帽弁狭窄症人工弁 *2 表 1. CHADS2 スコア C H congestive heart failure/ LV dysfunction hypertension 評価項目 スコア 心不全, 左室機能不全 1 高血圧 (>140/90 mmhg もしくは加療中 ) A age 年齢 (75 歳以上 ) 1 D diabetes mellitus 糖尿病 1 S 2 stroke/transient ischemic attacks 脳卒中 / 一過性脳虚血発作の既往 1 2 おわりに虚血性心疾患の一次予防としての抗血小板療法は確定的な効果は認められず, 効果とリスクを考慮して使用を検討しなければならない. また, 心房細動患者における脳血栓塞栓症の一次予防に関しては, 今まで使用されてきたに加えて DOAC が使用できるようになった.DOAC は, より安全に安定した薬効が期待できるため, 低リスク症例にも適応が広がりつつある. (%/ 年 ) 20 15 卒中の10 発症率5 * 0 低リスク中等度リスク高リスク脳1.9 0 2.8 4.0 1 2 3 4 5 6 CHADS2 スコア Gage BF, et al. JAMA2001;285:2864 2870. より改変 * 図 2. CHADS2 スコアと脳卒中の発症率 * アスピリンを服用していない患者における脳卒中の発症率 ( 多変量解析 ) 5.9 8.5 12.5 18.2 参考文献 1. Steering Committee of the Physicians' Health Study Research Group. Final report on the aspirin component of the ongoing Physicians' Health Study. N Engl J Med 1989;321:129-135. 2. Peto R, Gray R, Collins R, et al. Randomised trial of prophylactic daily aspirin in British male doctors. Br Med J (Clin Res Ed) 1988;296:313-316. 3. The Medical Research Council's General Practice Research Framework. Thrombosis prevention trial: randomised trial of low-intensity oral anticoagulation with warfarin and low-dose aspirin in the primary prevention 天理医学紀要第 19 巻第 2 号 (2016) 93

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