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免疫染色と in situ hybridization 法で決める最近の乳癌治療 Recent Trends of Breast Cancer Therapy Decided by the Results of Immunohistochemistry and in situ Hybridization 黒住昌史 Masafumi Kurosumi a 埼玉県立がんセンター病理診断科 要 旨近年, 癌の薬物療法は癌細胞の生物学的な性状によって適応を決定するいわゆる tailor-made therapy の方向に進んでいる. 特にホルモン依存性癌である乳癌では,ER(estrogen receptor) もしくは PgR(progesterone receptor) 陽性の患者のみが内分泌療法の対象になっている. また, ヒト上皮細胞増殖因子受容体である HER2 に対するモノクローナル抗体製剤である trastuzumab が, HER2 のタンパク過剰発現ないしは遺伝子増幅のある乳癌に有効であることが明らかになり, 広く臨床で使用されるようになった. 現在, これらの治療法の適応を決めるために,ER, PgR の発現状況と HER2 タンパクの過剰発現の有無を免疫組織化学的方法 (IHC 法 ) で,HER2 遺伝子増幅を ISH 法 (FISH, SISH, CISH) で検索することがスタンダードになった. このような乳癌領域における新しい展開は, 長年の基礎的, 臨床的研究の結実であり, 地道な研究と実地医療が結びついた理想的な事例の 1 つと思われる. キーワード :HER-2, ER, PgR, FISH, DC-SISH 1. はじめに 免疫組織化学 IHC(immunohistochemistry) 的方法である 蛍光抗体法は 1940 年代, 酵素抗体法は 1960 年代に開発され, 生物学, 細胞学, 組織学, 病理学などの分野の基礎研究に利用され, 数多くの研究成果が発表されている. その後,IHC 法の技術の著しい進歩と一次抗体の質の向上によって実地臨床の場でも使えるレベルに達し, 多くの臓器の病理診断に必要不可欠な検索方法になった. その中で特に乳癌領域においては,1990 年代になって治療法の選択に IHC 法が利用されるようになり,ER(estorogen receptor),pgr(progesterone receptor),her2(human epidermal growth factor receptor 2) の発現状況の検索は必須な項目になり 1), 世界中でルーチンに行われるようになった. 本邦においてもいずれも保険収載され, 正式の診療報酬を請求できるようになった. 一方, 特定の RNA もしくは DNA の局在を検索できる in situ hybridization(ish) 法は 1970 年代に確立され,ISH 法,FISH(fluorescence ISH) 法が基礎研究の分野で広く利用されるようになった. その後,1990 年代になって FISH 法も乳癌領域で臨床応用されるようになり,HER2/neu 遺伝子の増幅状況の検査法として行われるようになり 1), やはり保険収載されている. さらに FISH 法を発展させた方法として銀粒子を用い a 362 0806 埼玉県北足立郡伊奈町小室 818 番地 TEL: 048 722 1111; FAX: 048 723 5197 E-mail: mkurosumi@cancer-c.pref.saitama.jp 2009 年 1 月 5 日受付 る SISH(silver ISH) 法や色素を用いる CISH(chromogenic ISH) 法が開発され, 通常の光学顕微鏡でも遺伝子増幅検査が可能になった. 筆者は 25 年前から IHC 法や ISH 法の臨床応用の可能性について追究してきたが, 最近になってようやく治療に直結する検査法として評価されるようになり, 形態学を長く行ってきた者としては非常に感慨深いものがある. 本解説では, 特に乳癌領域での免疫染色および ISH 法の意義と現状について概説する. 2. ER,PgR の免疫組織化学的判定 2.1 ホルモンレセプター検索の意義 1895 年に Beatson は再発乳癌に対して卵巣摘出術を施行し, 内分泌療法が乳癌に有効であることを最初に報告した. その後, 種々の内分泌療法が開発されたが,1970 ~ 80 年代の多くの生化学的研究によって内分泌療法はホルモンレセプター陽性の乳癌のみ有効であることが明らかになった 2). また, 乳癌の標準的な初期治療の戦略を協議する St. Gallen コンセンサス会議では,2001 年に 乳癌の内分泌療法の適応を決定するためには乳癌組織における ER と PgR の発現状況を検索することが必要である. という recommendation が発表された 3). すなわち, ホルモンレセプター陽性の患者は, anti-estrogen 剤,LH-RH analog 剤,aromatase 阻害剤などを用いた内分泌療法の対象となり, ホルモンレセプター状況に基づいた治療法の選択が行われるようになった. 2.2 免疫染色の評価方法と Score 別頻度ホルモンレセプターの検査方法としては,1990 年代までは DCC 法や EIA(enzyme immunoassay) 法などの生化学的 30

方法が主に行われてきたが, 本邦では 2003 年にようやく IHC 法による検索が認められた.IHC 法では ER,PgR 染色のいずれも癌細胞の核が染色されるため, 核の染色状況によって陰性か陽性の判断を下すことになるが, 判定方法や判定基準については国際的に統一されていないのが現状である. 日本乳癌学会の 適切なホルモンレセプター検索に関する研究 班では,2005 年に班員のコンセンサスに基づいて日本独自の判定基準 (J-Score) を提唱した.J-Score は染色占有率のみで判定し, 染色強度を考慮しない基準である. 占有率の cutoff 値については,St. Gallen 国際会議のコンセンサスの cutoff 値が 10% であったため 10% を major cutoff line にした. また, いくつかの臨床試験で 1% も cutoff 値にしていることから,1% も minor cutoff line として採用した. その結果, 判定 Score の内容は,J-Score 0: 陰性,J-Score 1: 陽性細胞占有率 1% 未満,J-Score 2: 陽性細胞占有率 1% 以上 10% 未満,J-Score 3: 陽性細胞占有率 10% 以上ということになった. また, 判定区分としては, 陰性 :J-Score 0, 境界域 : J-Score 1, 2, 陽性 :J-Score 3 とした ( 表 1) 4,5). 埼玉県立がんセンターの 439 症例での Score 別頻度は,ER では,J-Score 3: 77.9%,J-Score 2:0.9%,J-Score 1:1.8%,J-Score 0: 19.4% であり,10% 以上の細胞が陽性の症例が 77.9% を占めていた ( 図 1). また, 微妙に染色される判定の難しい J-Score 1 と 2 の症例はわずか 2.7% に過ぎなかった. 一方, PgR では,J-Score 3:68.1%,J-Score 2:4.8%,J-Score 1:6.2%, J-Score 0:21.0% であり,10% 以上の細胞が陽性の症例は 68.1% であった ( 図 2). 多くの施設では, 術後の内分泌療法は主に Score 3 の症例に行っており, 再発時には Score 2, 1 の症例についても内分泌療法を考慮している. 本邦の多くの施設では, 現在はこの J-Score に基づいて判定を行っている 5). 一方, 判定基準の 1 つとして,1998 年に Allred らが提唱した Score 分類が最近になって注目されており, いくつかの臨床的な研究結果が報告されている. この判定基準 (A-Score) では, 染色された細胞の占有率によって PS(Proportion Score) を 6 段階に, 染色強度によって IS(Intensity Score) を 4 段階に分類している.PS は,Score 0( 全く陰性 ), Score 1(1/100 未満 ),Score 2(1/100 ~ 1/10),Score 3(1/10 ~ 1/3),Score 4(1/3 ~ 2/3),Score 5(2/3 以上 ) であり, IS は,Score 0(negative),Score 1(weak),Score 2(intermediate),Score 3(strong) である. 最終的には2 つの Score 値を合計して Score 0, 2 ~ 8 の 8 段階に分類している ( 図 3) 6). この Score と内分泌療法の効果との関係では Score 3 以上で治療効果があると報告されている 7). 埼玉県立がんセンターの ER 陽性 354 例の Score 別頻度は,A-Score 7 8: 表 1 乳癌学会判定基準 (J- スコア ) 1. 判定スコア 陽性細胞数 J-Score 0 陰性 J-Score 1 陽性細胞占有率 1% 未満 J-Score 2 陽性細胞占有率 1% 以上 10% 未満 J-Score 3 陽性細胞占有率 10% 以上 2. 判定区分陰性 J-Score 0 境界域 J-Score 1, 2 陽性 J-Score 3 図 2 PgR 判定における J-Score 別頻度内分泌療法の適応となる Score 3 は 68.1% を占めていた. 図 1 ER 判定における J-Score 別頻度内分泌療法の適応となる Score 3 は 77.9% を占めていた. 図 3 Allred score の評価方法染色細胞の占有率によって 6 段階, 染色強度によって 4 段階の Score で評価し, それぞれの Score の合計を算出し, 総 Score として評価する. 解説免疫染色と in situ hybridization 法で決める最近の乳癌治療 31

80.8%,A-Score 6:9.3%,A-Score 5:4.8%,A-Score 4:2.8%, A-Score 3:1.1%,A-Score 2:1.1% であり ( 図 4),A-Score 7 8 から 2 まで順に頻度が低くなっていた 5).2008 年の San Antonio Breast Cancer Symposium で発表された tamoxifen と exemestane の効果を比較検討した TEAM trial の病理学的検 討では,A-Score 7 8 以上が治療に対して有効であるという 結果であった. 一方,PgR 陽性 347 例の Score 別頻度は, A-Score 7 8:58.2%,A-Score 6:15.6%,A-Score 5: 11.5%,A-Score 4:5.2%,A-Score 3:6.6%,Score 2:2.9% であり ( 図 5), これもほぼ Score 順に頻度が低くなっていた 5). TEAM trial の症例群では,PgR は A-Score 5 点以上が治療に 対して有効であった. このように,A-Score は内分泌療法剤 である tamoxifen や aromatase inhibitor の適応を決める上で も重要視されており 8),Score の正しい判定が望まれている. 図 4 ER 陽性例における A-Score 別頻度ホルモン剤の効果が高いといわれている Score 7 8 は 80.8% を占めていた. 3. HER2 の免疫組織化学的判定 3.1 HER2 過剰発現検索の意義 HER(human epidermal growth factor type)2/neu は, ヒト 上皮細胞増殖因子受容体 (EGFR) 遺伝子に類似した構造を 示す癌遺伝子として発見された.HER2 は細胞の増殖や悪性 化に関与するとされており, 予後因子としても重要視されて いる. 一方, 抗癌作用を有する trastuzumab は遺伝子を組み 換えた HER2 モノクローナル抗体であり, 乳癌の治療薬と して 1998 年に米国で承認されている.trastuzumab は HER2 が過剰発現している癌にのみ効果が認められ, 一般的には HER2 タンパクの過剰発現は IHC 法で,HER2 遺伝子の過剰 発現は FISH 法で検索されている 1).2001 年 6 月に IHC 法が 保険収載されている. 3.2 免疫染色の評価方法と Score 別頻度 IHC 法では, 癌細胞の細胞膜に HER2 タンパクが局在す るため, 陽性細胞では細胞膜が縁どりされるように染色され てくる. 染色性は面積と強度で判定され,10% 以上の癌細胞 が染色された場合のみ強度について評価する 10% ルール がキットの基準として用いられている. また, 染色強度に従っ て 4 段階に分けて判定している.Score 0 は 10% 未満の癌細 胞の膜が陽性を示すか全く染まらないもの,Score 1 は膜が 不完全に染まるもの,Score 2 と Score 3 は膜がきれいに縁ど りされて染まるもので, 弱から中等度に染まるものを Score 2, 強く染まるものを Score 3 と判定する ( 図 6). 浸潤巣の みで判定し, 乳管内進展巣では判定しない. また, 細胞質が 染色されても判定の対象とはしない 1). 埼玉県立がんセン ターにおける 1,482 症例の判定結果は,Score 0:33.7%, Score 1:38.0%,Score 2:15.7%,Score 3:12.9% であり, Score 2 以上が 28% を占めていた ( 表 2).trastuzumab 治療 の適応基準については現在も議論されているが,Score 3 の 患者は治療対象とし,Score 2 は FISH 法で遺伝子増幅が確 図 5 PgR 陽性例における A-Score 別頻度ホルモン剤の効果が高いといわれている Score 5 以上は 85.3% を占めていた. 図 6 IHC 法の HER2 染色像 10% 以上の癌細胞の膜が完全に強く染色される場合に Score 3 と判定する. 32

表 2 認された場合のみ治療対象とするという考え方が一般的であ る.2006 年から術後療法においても trastuzumab が使われる ようになり, より厳密な基準によって HER2 status を評価す る必要があるといわれており,2007 年 1 月に ASCO/CAP は 新しい HER2 検査ガイドラインを発表した. すなわち,IHC 法では強い染色を示す癌細胞が 30% 以上の場合に Score 3 と 判定する 30% ルール に改訂され, 今後 10% ルールに替 わる可能性がでてきている. IHC 法 HER2 スコア別乳癌患者数 Score 0 1+ 2+ 3+ total number 499 563 232 188 1,482 % 34 38 16 13 100 ( 埼玉県立がんセンター,2001 2007 年 ) 図 7 FISH 法の蛍光写真像 HER2 がオレンジ,CEP17 がグリーンの蛍光を発している. HER2/CEP17 のシグナル比が 2.0 以上の場合を陽性と判定する. 3.3 HER2 遺伝子増幅の判定 FISH 法では, 蛍光を発する HER2 遺伝子の数と対照となる CEP17 の数との比で遺伝子増幅の有無を判定する方法がとられている ( 図 7).CEP17 は 17 番染色体のセントロメア部分のことであり, ほとんどの正常細胞では HER2 と同数が認められる.HER-2/CEP17 の比が 2.0 以上の場合 (Path Vysion 法 ) に HER2 遺伝子の増幅があると判断されている. 2003 年 4 月 ( 転移性乳癌のみ ),2008 年 4 月 ( すべての浸潤性乳癌 ) に FISH 法が保険収載された. 埼玉県立がんセンターの Score 2 の症例について FISH 法で再検査したところ, そのうち 66% が陽性と判定されたことから,HER2 の推定陽性率は 23.6% となる. 日本の浸潤性乳癌患者を 40,000 人とするとその約 25%,10,000 人ほどが trastuzumab の適応となりうると推定された.2007 年 1 月に ASCO/CAP が発表した HER2 のガイドラインでは,FISH 法の判定において, 陽性 陰性 の他に HER2/CEP17 のシグナル比が 0.8 ~ 2.2 の部分を Equivocal( 境界域 ) とし,HER2/CEP17 のシグナル比 >2.2 を 陽性 と判定する基準に改訂された. 今後の臨床試験の結果により,ASCO/CAP の判定基準が世界的な標準になる可能性がある.HER2 検査のさらなる展望として, 将来的に導入が期待される新たな HER2 遺伝子増幅の検査法を紹介する.FISH 法では,HER 遺伝子増幅を蛍光シグナルとして描出させるため評価には蛍光顕微鏡が必要であることと標本の永久保存ができないという難点がある. それに対し, 新しい方法である SISH 法は銀粒子,CISH 法は色素産生物質によって染色体シグナルを可視化するので, 通常の光学顕微鏡下で判定でき, 標本の永久保存が可能である. Single-color の SISH 法と CISH 法では 2 枚の連続切片を作製し,CEN17 と HER2 遺伝子の増幅を別々に検索しなければならないが ( 図 8),2008 年の ASCO で我々のグループが発表した DC-SISH(dual color-sish) 法は FISH 法と同様に 1 図 8 SISH 法の顕微鏡像 a.cen17 が黒色の dot として描出されている.b.HER2 遺伝子が黒色の dot もしくは cluster で描出されている.HER2/ CEN17 比が 2.0 以上の場合を陽性と判定する. 解説免疫染色と in situ hybridization 法で決める最近の乳癌治療 33

してきた. さらに日常の臨床で使われるようになり, 多くの企業が改良や研究開発に力を注いだため, 技術と精度は著しく進歩した. 一方, 乳癌医療においてはいくつかの重要な生物学的因子が明らかになり,tailor-made therapy として治療法の選択にも関わってくるようになった. このような物質の存在診断は, 当初は生化学的方法で行われていたが, 現在では組織, 細胞像を確認する in situ での判断が重要視され, 形態学的な検査法である IHC 法および ISH 法が主流になってきた. このように長年の基礎的な研究の積み重ねが実地医療の場において極めて有用な実を結ぶことがあることが実証された例である. 文 献 図 9 DC-SISH 法の顕微鏡像 CEN17 が赤色の dot として,HER2 遺伝子が黒色の dot で描出されている.CER2/CEN17 比が2.0 以上の場合を陽性と判定する. 枚の切片で HER2 遺伝子 ( 黒い粒子 ) と CEN17( 赤い粒子 ) を同時に光学顕微鏡下で評価できる方法であり, 新しい方法 として有望視されている ( 図 9) 9). さらに,IHC 法と SISH 法の組み合わせにより,HER2 遺伝子増幅と HER2 タンパク の過剰発現を同時に判定できる方法も確立されつつある. このように HER2 検査の精度向上を目指し, 新たな検査法の開発も進められている. 4. まとめ IHC 法と ISH 法は基礎的研究の中で開発された形態学的な技術であり, 各方面の基礎研究の分野で発達してきた. その後, 実際の病理診断の分野にも取り入れられ, 大きく進歩 1) 黒住昌史 : 乳腺疾患の臨床, 金原出版, 東京,pp. 91 95(2006) 2)Kurosumi, M.: Breast Cancer, 10,97 104(2002) 3)Goldhirsch, A., Glick, J.H., Gelber, R.D., Coates, A.S. and Senn, H.J.: J. Clin. Oncol., 19,3817 3827(2001) 4)Umemura, S., Kurosumi, M., Moriya, T., Oyama, T., Arihiro, K., Yamashita, H., Umekita, Y., Komoike, Y., Shimizu, C., Fukushima, H., Kajiwara, H. and Akiyama, F.: Breast Cancer, 13,232 235(2006) 5)Kurosumi, M.: Breast Cancer, 14,189 193(2007) 6)Allred, D.C., Harvey, J.M., Berardo, M. and Clark, G.M.: Mod. Pathol., 11,155 168(1998) 7)Harvey, J.M., Clark, G.M., Osborne, C.K. and Allred, D.C.: J. Clin. Oncol., 17,1474 1481(1999) 8)Ellis, M.J., Coop, A., Singh, B., Mauriac, L., Llombert-Cussac, A., Janicke, F., Miller, W.R., Evans, D.B., Dugan, M., Brady, C., Quebe- Fehling. E. and Borgs, M.: J. Clin. Oncol., 19,3808 3816(2001) 9)Nitta, H., Hauss-Weqrzyniak, B., Lehrkamp, M., Murillo, A.E., Gaire, F., Farrell, M., Walk, E., Penault-Llorca, F., Kurosumi, M., Dietel, M., Wang, L., Loftus, M., Pettay, J., Tubbs, R.R. and Grogan, T.M.: Diagn Pathol, in press 34