めるアジア 市 場 であり 国 内 市 場 は 販 売 台 数 から 見 ると 取 るに 足 らないものであるという ことがわかる 表 にはないが 生 産 についても 同 様 であり 国 内 生 産 はわずかに 64 万 台 であ る つまり 世 界 で 売 れている 二 輪 車 の 半 数 を 占



Similar documents

平成24年度税制改正要望 公募結果 153. 不動産取得税

<819A955D89BF92B28F BC690ED97AA8EBA81418FA48BC682CC8A8890AB89BB816A32322E786C7378>

<4D F736F F D E598BC68A8897CD82CC8DC490B68B7982D18E598BC68A8893AE82CC8A C98AD682B782E993C195CA915B C98AEE82C382AD936F985E96C68B9690C582CC93C197E1915B927582CC898492B75F8E96914F955D89BF8F915F2E646F6


個人住民税徴収対策会議

入 札 参 加 者 は 入 札 の 執 行 完 了 に 至 るまではいつでも 入 札 を 辞 退 することができ これを 理 由 として 以 降 の 指 名 等 において 不 利 益 な 取 扱 いを 受 けることはない 12 入 札 保 証 金 免 除 13 契 約 保 証 金 免 除 14 入

Microsoft Word 第1章 定款.doc

平成25年度 独立行政法人日本学生支援機構の役職員の報酬・給与等について

定款  変更


私立大学等研究設備整備費等補助金(私立大学等

一般競争入札について

市 町 村 税 の 概 況 市 町 村 税 の 概 況 は 平 成 25 年 度 地 方 財 政 状 況 調 査 平 成 26 年 度 市 町 村 税 の 課 税 状 況 等 の 調 及 び 平 成 26 年 度 固 定 資 産 の 価 格 等 の 概 要 調 書 等 報 告 書 等 の 資 料 に

別 紙 第 号 高 知 県 立 学 校 授 業 料 等 徴 収 条 例 の 一 部 を 改 正 する 条 例 議 案 高 知 県 立 学 校 授 業 料 等 徴 収 条 例 の 一 部 を 改 正 する 条 例 を 次 のように 定 める 平 成 26 年 2 月 日 提 出 高 知 県 知 事 尾

1 予 算 の 姿 ( 平 成 25 当 初 予 算 ) 長 野 県 財 政 の 状 況 H 現 在 長 野 県 の 予 算 を 歳 入 面 から 見 ると 自 主 財 源 の 根 幹 である 県 税 が 全 体 の5 分 の1 程 度 しかなく 地 方 交 付 税 や 国 庫 支

続 に 基 づく 一 般 競 争 ( 指 名 競 争 ) 参 加 資 格 の 再 認 定 を 受 けていること ) c) 会 社 更 生 法 に 基 づき 更 生 手 続 開 始 の 申 立 てがなされている 者 又 は 民 事 再 生 法 に 基 づき 再 生 手 続 開 始 の 申 立 てがなさ

(1) 率 等 一 覧 ( 平 成 26 年 度 ) 目 課 客 体 及 び 納 義 務 者 課 標 準 及 び 率 法 内 に 住 所 を 有 する ( 均 等 割 所 得 割 ) 内 に 事 務 所 事 業 所 又 は 家 屋 敷 を 有 する で 内 に 住 所 を 有 し ないもの( 均 等

●電力自由化推進法案

定款

事 業 概 要 利 用 時 間 休 館 日 使 用 方 法 使 用 料 施 設 を 取 り 巻 く 状 況 や 課 題 < 松 山 駅 前 駐 輪 場 > JR 松 山 駅 を 利 用 する 人 の 自 転 車 原 付 を 収 容 する 施 設 として 設 置 され 有 料 駐 輪 場 の 利 用

Microsoft Word - 佐野市生活排水処理構想(案).doc

Microsoft PowerPoint - 経営事項審査.ppt

<8BB388F58F5A91EE82A082E895FB8AEE967B95FB906A>

Microsoft Word - 奨学金相談Q&A.rtf

(3) 善 通 寺 市 の 状 況 善 通 寺 市 においては 固 定 資 産 税 の 納 期 前 前 納 に 対 する 報 奨 金 について 善 通 寺 市 税 条 例 の 規 定 ( 交 付 率 :0.1% 限 度 額 :2 万 円 )に 基 づき 交 付 を 行 っています 参 考 善 通 寺

経 常 収 支 差 引 額 等 の 状 況 平 成 26 年 度 予 算 早 期 集 計 平 成 25 年 度 予 算 対 前 年 度 比 較 経 常 収 支 差 引 額 3,689 億 円 4,597 億 円 908 億 円 減 少 赤 字 組 合 数 1,114 組 合 1,180 組 合 66

セルフメディケーション推進のための一般用医薬品等に関する所得控除制度の創設(個別要望事項:HP掲載用)

Taro-条文.jtd

< CF6955C976C8EAE DE82C28E73816A2E786C73>

<6D313588EF8FE991E58A778D9191E5834B C8EAE DC58F4992F18F6F816A F990B32E786C73>

平成16年年金制度改正 ~年金の昔・今・未来を考える~

3 独 占 禁 止 法 違 反 事 件 の 概 要 (1) 価 格 カルテル 山 形 県 の 庄 内 地 区 に 所 在 する5 農 協 が, 特 定 主 食 用 米 の 販 売 手 数 料 について, 平 成 23 年 1 月 13 日 に 山 形 県 酒 田 市 所 在 の 全 国 農 業 協

2. ど の 様 な 経 緯 で 発 覚 し た の か ま た 遡 っ た の を 昨 年 4 月 ま で と し た の は 何 故 か 明 ら か に す る こ と 回 答 3 月 17 日 に 実 施 し た ダ イ ヤ 改 正 で 静 岡 車 両 区 の 構 内 運 転 が 静 岡 運

4 参 加 資 格 要 件 本 提 案 への 参 加 予 定 者 は 以 下 の 条 件 を 全 て 満 たすこと 1 地 方 自 治 法 施 行 令 ( 昭 和 22 年 政 令 第 16 号 ) 第 167 条 の4 第 1 項 各 号 の 規 定 に 該 当 しない 者 であること 2 会 社

は 固 定 流 動 及 び 繰 延 に 区 分 することとし 減 価 償 却 を 行 うべき 固 定 の 取 得 又 は 改 良 に 充 てるための 補 助 金 等 の 交 付 を 受 けた 場 合 にお いては その 交 付 を 受 けた 金 額 に 相 当 する 額 を 長 期 前 受 金 とし

答申第585号

小 売 電 気 の 登 録 数 の 推 移 昨 年 8 月 の 前 登 録 申 請 の 受 付 開 始 以 降 小 売 電 気 の 登 録 申 請 は 着 実 に 増 加 しており これまでに310 件 を 登 録 (6 月 30 日 時 点 ) 本 年 4 月 の 全 面 自 由 化 以 降 申

< F2D A C5817A C495B6817A>

2 役 員 の 報 酬 等 の 支 給 状 況 役 名 法 人 の 長 理 事 理 事 ( 非 常 勤 ) 平 成 25 年 度 年 間 報 酬 等 の 総 額 就 任 退 任 の 状 況 報 酬 ( 給 与 ) 賞 与 その 他 ( 内 容 ) 就 任 退 任 16,936 10,654 4,36

高松市緊急輸送道路沿道建築物耐震改修等事業補助金交付要綱(案)

その 他 事 業 推 進 体 制 平 成 20 年 3 月 26 日 に 石 垣 島 国 営 土 地 改 良 事 業 推 進 協 議 会 を 設 立 し 事 業 を 推 進 ( 構 成 : 石 垣 市 石 垣 市 議 会 石 垣 島 土 地 改 良 区 石 垣 市 農 業 委 員 会 沖 縄 県 農

<4D F736F F D F5A91EE8BC F368C8E3393FA8DC48D F C8E323893FA916493C B95AA8D CE3816A>

m07 北見工業大学 様式①

<4D F736F F D D3188C091538AC7979D8B4B92F F292B98CF092CA81698A94816A2E646F63>

Microsoft PowerPoint - 基金制度

総合評価点算定基準(簡易型建築・電気・管工事)

財団法人○○会における最初の評議員の選任方法(案)

Microsoft Word - 目次.doc

03 平成28年度文部科学省税制改正要望事項

検 討 検 討 の 進 め 方 検 討 状 況 簡 易 収 支 の 世 帯 からサンプリング 世 帯 名 作 成 事 務 の 廃 止 4 5 必 要 な 世 帯 数 の 確 保 が 可 能 か 簡 易 収 支 を 実 施 している 民 間 事 業 者 との 連 絡 等 に 伴 う 事 務 の 複 雑

容 積 率 制 限 の 概 要 1 容 積 率 制 限 の 目 的 地 域 で 行 われる 各 種 の 社 会 経 済 活 動 の 総 量 を 誘 導 することにより 建 築 物 と 道 路 等 の 公 共 施 設 とのバランスを 確 保 することを 目 的 として 行 われており 市 街 地 環

Microsoft PowerPoint - 報告書(概要).ppt

岡山県警察用航空機の運用等に関する訓令

Taro-08国立大学法人宮崎大学授業

<4D F736F F D208ED089EF95DB8CAF89C193FC8FF38BB CC8EC091D492B28DB88C8B89CA82C982C282A282C42E646F63>

Taro-○離島特産品等マーケティング支援事業に係る企画提案募集要領

Microsoft Word - 全国エリアマネジメントネットワーク規約.docx

18 国立高等専門学校機構

(4) 運 転 する 学 校 職 員 が 交 通 事 故 を 起 こし 若 しくは 交 通 法 規 に 違 反 したことにより 刑 法 ( 明 治 40 年 法 律 第 45 号 ) 若 しくは 道 路 交 通 法 に 基 づく 刑 罰 を 科 せられてから1 年 を 経 過 していない 場 合 同

<4D F736F F D208E52979C8CA78E598BC68F5790CF91A390698F9590AC8BE08CF D6A2E646F6378>

損 益 計 算 書 自. 平 成 26 年 4 月 1 日 至. 平 成 27 年 3 月 31 日 科 目 内 訳 金 額 千 円 千 円 営 業 収 益 6,167,402 委 託 者 報 酬 4,328,295 運 用 受 託 報 酬 1,839,106 営 業 費 用 3,911,389 一

Microsoft Word

経 常 収 支 差 引 額 の 状 況 平 成 22 年 度 平 成 21 年 度 対 前 年 度 比 較 経 常 収 支 差 引 額 4,154 億 円 5,234 億 円 1,080 億 円 改 善 赤 字 組 合 の 赤 字 総 額 4,836 億 円 5,636 億 円 800 億 円 減

スライド 1

2. 建 築 基 準 法 に 基 づく 限 着 色 項 目 の 地 区 が 尾 張 旭 市 内 にはあります 関 係 課 で 確 認 してください 項 目 所 管 課 窓 口 市 役 所 内 電 話 備 考 がけに 関 する 限 (がけ 条 例 ) 都 市 計 画 課 建 築 住 宅 係 南 庁 舎

16 日本学生支援機構

平成17年度高知県県産材利用推進事業費補助金交付要綱

Microsoft Word - 結果・異動プレス_ _clean.doc

の 提 供 状 況 等 を 総 合 的 に 勘 案 し 土 地 及 び 家 屋 に 係 る 固 定 資 産 税 及 び 都 市 計 画 税 を 減 額 せずに 平 成 24 年 度 分 の 固 定 資 産 税 及 び 都 市 計 画 税 を 課 税 することが 適 当 と 市 町 村 長 が 認 め

<4D F736F F D F8D828D5A939982CC8EF68BC697BF96B38F9E89BB82CC8A6791E52E646F63>

(別紙3)保険会社向けの総合的な監督指針の一部を改正する(案)

untitled

長崎市民間建築物耐震化推進事業の概要

能勢町市街化調整区域における地区計画のガイドライン

1 総 合 設 計 一 定 規 模 以 上 の 敷 地 面 積 及 び 一 定 割 合 以 上 の 空 地 を 有 する 建 築 計 画 について 特 定 行 政 庁 の 許 可 により 容 積 率 斜 線 制 限 などの 制 限 を 緩 和 する 制 度 である 建 築 敷 地 の 共 同 化 や

39_1

4 松 山 市 暴 力 団 排 除 条 の 一 部 風 俗 営 業 等 の 規 制 及 び 業 務 の 適 正 化 等 に 関 する 法 律 等 の 改 正 に 伴 い, 公 共 工 事 から 排 除 する 対 象 者 の 拡 大 等 を 図 るものです 第 30 号 H H28.1

消 費 ~ 軽 減 率 消 費 の 軽 減 率 制 度 が 消 費 率 10% 時 に 導 入 することとされています 平 成 26 年 4 月 1 日 平 成 27 年 10 月 1 日 ( 予 定 ) 消 費 率 5% 消 費 率 8% 消 費 率 10% 軽 減 率 の 導 入 平 成 26

財政再計算結果_色変更.indd


国 家 公 務 員 の 年 金 払 い 退 職 給 付 の 創 設 について 検 討 を 進 めるものとする 平 成 19 年 法 案 をベースに 一 元 化 の 具 体 的 内 容 について 検 討 する 関 係 省 庁 間 で 調 整 の 上 平 成 24 年 通 常 国 会 への 法 案 提

社会保険加入促進計画に盛込むべき内容


ていることから それに 先 行 する 形 で 下 請 業 者 についても 対 策 を 講 じることとしまし た 本 県 としましては それまでの 間 に 未 加 入 の 建 設 業 者 に 加 入 していただきますよう 28 年 4 月 から 実 施 することとしました 問 6 公 共 工 事 の

注 記 事 項 (1) 当 四 半 期 連 結 累 計 期 間 における 重 要 な 子 会 社 の 異 動 : 無 (2) 四 半 期 連 結 財 務 諸 表 の 作 成 に 特 有 の 会 計 処 理 の 適 用 : 有 ( 注 ) 詳 細 は 添 付 資 料 4ページ 2.サマリー 情 報 (

(2)大学・学部・研究科等の理念・目的が、大学構成員(教職員および学生)に周知され、社会に公表されているか

2 役 員 の 報 酬 等 の 支 給 状 況 平 成 27 年 度 年 間 報 酬 等 の 総 額 就 任 退 任 の 状 況 役 名 報 酬 ( 給 与 ) 賞 与 その 他 ( 内 容 ) 就 任 退 任 2,142 ( 地 域 手 当 ) 17,205 11,580 3,311 4 月 1

預 金 を 確 保 しつつ 資 金 調 達 手 段 も 確 保 する 収 益 性 を 示 す 指 標 として 営 業 利 益 率 を 採 用 し 営 業 利 益 率 の 目 安 となる 数 値 を 公 表 する 株 主 の 皆 様 への 還 元 については 持 続 的 な 成 長 による 配 当 可

(Microsoft Word - \203A \225\345\217W\227v\227\314 .doc)

課 税 ベ ー ス の 拡 大 等 : - 租 税 特 別 措 置 の 見 直 し ( 後 掲 ) - 減 価 償 却 の 見 直 し ( 建 物 附 属 設 備 構 築 物 の 償 却 方 法 を 定 額 法 に 一 本 化 ) - 欠 損 金 繰 越 控 除 の 更 な る 見 直 し ( 大

(5) 給 与 制 度 の 総 合 的 見 直 しの 実 施 状 況 について 概 要 の 給 与 制 度 の 総 合 的 見 直 しにおいては 俸 給 表 の 水 準 の 平 均 2の 引 き 下 げ 及 び 地 域 手 当 の 支 給 割 合 の 見 直 し 等 に 取 り 組 むとされている

3. 選 任 固 定 資 産 評 価 員 は 固 定 資 産 の 評 価 に 関 する 知 識 及 び 経 験 を 有 する 者 のうちから 市 町 村 長 が 当 該 市 町 村 の 議 会 の 同 意 を 得 て 選 任 する 二 以 上 の 市 町 村 の 長 は 当 該 市 町 村 の 議

サッカーの話をしよう 旅するワールドカップ 立ち読み版

質 問 票 ( 様 式 3) 質 問 番 号 62-1 質 問 内 容 鑑 定 評 価 依 頼 先 は 千 葉 県 などは 入 札 制 度 にしているが 神 奈 川 県 は 入 札 なのか?または 随 契 なのか?その 理 由 は? 地 価 調 査 業 務 は 単 にそれぞれの 地 点 の 鑑 定

<4D F736F F F696E74202D2082C882E982D982C DD8ED88EE688F882CC82B582AD82DD C668DDA9770>

【労働保険事務組合事務処理規約】

資料3 家電エコポイント制度の政策効果等について

Taro-01 議案概要.jtd

< EE597768E968BC688EA97972D372E786477>

Transcription:

日 本 二 輪 車 産 業 史 0. はじめに 日 本 を 代 表 する 産 業 といえば 自 動 車 産 業 であろう 自 動 車 は 我 々の 生 活 になくてはなら ないものであり かつ これらの 産 業 において 日 本 企 業 が 世 界 を 席 巻 している(していた) ことは 間 違 いないだろう 売 上 高 25 兆 円 を 誇 るトヨタ 自 動 車 をはじめ 多 くの 巨 大 企 業 を 抱 える 自 動 車 産 業 は 長 く 日 本 の 経 済 日 本 の 製 造 業 を 支 えてきた 日 本 の 製 造 業 の 衰 退 が 囁 かれるなかで 日 本 車 の 世 界 自 動 車 販 売 シェアは 30%ほどを 維 持 しており 日 本 メーカー は 依 然 強 い 競 争 力 を 持 つと 言 われている しかし 一 方 で 世 界 の 二 輪 車 市 場 において 日 本 メーカーのシェアが 50%にも 及 ぶことを 知 らない 人 は 多 いのではないのだろうか 国 内 において 二 輪 車 産 業 は 昔 から 四 輪 車 の 陰 に 隠 れ ニッチな 産 業 であるとも 言 われてきた しかし 日 本 の 二 輪 車 メーカーは 世 界 の 二 輪 車 産 業 の 発 展 普 及 において 非 常 に 重 要 な 役 割 を 果 たしてきた 本 論 文 では 日 本 の 二 輪 車 産 業 企 業 がいかにしてその 地 位 を 得 るに 至 ったのかを 概 観 する そのため 本 論 文 では 主 に 1970 年 代 に 日 本 メーカーが 世 界 トップメーカーとしての 地 位 を 確 立 するまでに 重 点 を 置 い ている しかしながら 著 者 の 実 力 ではその 軌 跡 を 整 然 と 描 くことができなかった そのため 時 代 ごとにトピックを 取 り 上 げ 解 説 することで 読 者 に 二 輪 車 産 業 発 展 のおおまかな 雰 囲 気 を つかんでいただければと 考 えている 1. 日 本 二 輪 車 産 業 の 現 況 世 界 の 二 輪 車 市 場 は 戦 後 急 激 な 伸 びを 見 せ 1974 年 に 年 間 販 売 台 数 1,000 万 台 を 突 破 し た その 後 やや 停 滞 していた 80 年 代 を 越 え 90 年 代 に 入 って 再 び 拡 大 の 様 相 を 呈 し 95 年 には 2,000 万 台 に 到 達 2009 年 現 在 は 5,000 万 台 程 度 に 達 している 特 に アジア 中 国 市 場 での 伸 びは 大 きく 09 年 の 中 国 は 1,742 万 台 そして 中 国 を 除 いたアジア 地 域 は 2,202 万 台 となっている 一 方 北 米 では 58.5 万 台 欧 州 では 211.6 万 台 そして 日 本 では 43.4 万 台 である このように 現 在 の 二 輪 車 産 業 はアジア そして 中 国 の 旺 盛 な 需 要 に 依 存 して いるといってよい 日 本 の 二 輪 車 メーカーは 本 田 技 研 工 業 ( 以 下 ホンダ) ヤマハ 発 動 機 ( 以 下 ヤマハ) スズ キ 川 崎 重 工 業 ( 以 下 カワサキ)の4 社 であるとする メーカーとして 市 場 に 影 響 力 を 持 っ ている 企 業 は 実 質 的 にこの 4 社 である これらの 日 本 メーカーの 現 在 の 世 界 における 地 位 は 表 1 においてよく 示 されている 表 1 から 以 下 のことが 読 み 取 れる まず 競 合 メーカーの 多 い 欧 州 ではやや 落 ちるものの 北 米 アジア 中 南 米 ではおよそ 50%のシェアを 持 っていること そして メーカーにとって 主 戦 場 は 世 界 需 要 の 80%を 占

めるアジア 市 場 であり 国 内 市 場 は 販 売 台 数 から 見 ると 取 るに 足 らないものであるという ことがわかる 表 にはないが 生 産 についても 同 様 であり 国 内 生 産 はわずかに 64 万 台 であ る つまり 世 界 で 売 れている 二 輪 車 の 半 数 を 占 める 2,400 万 台 の 日 本 車 のうち 2,300 万 台 あまりは 現 地 生 産 によるものである これは 1970~80 年 代 以 降 メーカーが 一 斉 に 海 外 へと 生 産 拠 点 を 移 した 結 果 である これに 伴 い 80 年 前 後 まで 盛 んだった 完 成 車 輸 出 も 次 第 に 減 少 し 現 在 国 内 では 一 部 の 上 位 車 種 を 生 産 輸 出 しているのみである 国 内 で 販 売 される 車 種 であっても 低 排 気 量 の 車 種 の 多 くは 中 国 やタイ インドネシアなどで 生 産 さ れ 輸 入 ( 逆 輸 入 )されているのである 表 1 世 界 における 日 系 メーカーのシェア 世 界 における 日 系 4メーカーの 販 売 状 況 (2009 年 )( 万 台 ) 地 域 日 本 欧 州 北 米 中 南 米 アジア その 他 合 計 全 メーカー 43.5 213.6 84.2 316.6 3961.6 321.2 4940.7 日 系 メーカーのみ 38.8 66.7 44 190.5 2050.3 27.2 2417.5 日 系 シェア% 89.2 31.2 52.3 60.2 51.8 8.5 48.9 地 域 別 販 売 割 合 % 0.9 4.3 1.7 6.4 80.2 6.5 100 ( 環 境 庁 二 輪 車 産 業 等 の 概 況 より) 2. 二 輪 車 産 業 発 展 の 経 過 1 明 治 ~ 大 正 輸 入 車 による 一 般 社 会 への 浸 透 二 輪 にエンジンを 載 せて 走 るオートバイを 世 界 で 初 めて 完 成 させたのはガソリンエンジ ンの 完 成 者 としても 知 られるゴットリープ ダイムラーであった それは 1885 年 のことで あり その 後 ヨーロッパではフランス ドイツ イギリスなどを 中 心 に 開 発 が 続 けられ 1892 年 には 既 にドイツなどで 量 産 車 が 現 れていた これらの 製 品 が 初 めて 日 本 に 入 ってきたのは 1896 年 のことと 言 われ 四 輪 自 動 車 よりも 早 い 段 階 であった 当 時 自 転 車 はすでに 広 く 全 国 に 普 及 しており オートバイは 自 動 自 転 車 と 呼 ばれた そして 1910 年 ごろになると 欧 米 人 や 日 本 人 の 経 営 する 商 社 による 輸 入 が 活 発 になってくる 当 時 輸 入 されていたのはトライアンフ(イギリス)やインディアン (アメリカ) NSU(ドイツ)などの 先 進 メーカーの 製 品 であった もっとも 輸 入 初 期 の オートバイは 始 動 装 置 や 変 速 機 の 付 いていない 非 常 に 扱 いづらいものであった 上 極 めて 高 価 であったので ごく 一 部 の 趣 味 人 のあいだで 広 まったに 過 ぎなかった こうした 製 品 が 実 用 性 を 持 った 輸 送 機 器 として 認 められるようになったのは 大 正 時 代 に 入 ってからであった この 時 期 には 1914 年 にアメリカから 輸 入 された スミス モーター ホイール が 流 行 した これはエンジンとガソリンタンクがついた 動 力 車 輪 で 自 転 車 に 取 り 付 けると 二 輪 + 動 力 車 輪 の 三 輪 で 簡 単 にオートバイとして 乗 車 できるというものであ った 大 正 期 の 数 年 間 において 盛 んに 利 用 され 自 動 自 転 車 の 利 便 性 を 一 般 社 会 に 浸 透 する 役 割 を 果 たしたと 言 われている 同 時 期 には 始 動 装 置 や 変 速 機 付 きの 優 秀 な 製 品 が 輸

入 されるようになった 当 時 輸 入 されたのはインディアン ハーレーダビッドソンといった アメリカ 車 トライアンフ カルソープ BSA といったイギリス 車 ABC などのフランス 車 であった しかし 当 時 においても 一 般 人 が 簡 単 に 購 入 できる 価 格 ではなかった 為 輸 入 商 社 は 官 庁 への 納 入 を 強 く 働 きかけていった 1916 年 にエールが 逓 信 省 の 郵 便 逓 信 用 に 試 験 採 用 され 翌 年 にはインディアンが 警 視 庁 ハーレーダビッドソンが 陸 軍 に 納 入 された このように 官 庁 関 係 でオートバイが 採 用 されることは 社 会 的 な 有 用 性 を 実 証 することに 繋 がり 一 般 への 宣 伝 効 果 としても 大 きなものであった 国 産 への 動 き 先 進 国 から 輸 入 され 普 及 していくオートバイを 国 産 化 する 動 きは 1905 年 ごろからはや くも 始 まり 純 国 産 のオートバイは 1909 年 に 島 津 楢 蔵 によって 完 成 された このオートバ イは 氏 のイニシャルをとって NS 号 と 名 付 けられた その 後 1960 年 代 までオートバイ 製 造 を 続 けた 宮 田 製 作 所 の アサヒ 号 をはじめ 複 数 の 企 業 で 研 究 開 発 が 進 められ 製 品 化 された 1924 年 の SSD 号 1926 年 の エーロファースト 号 など 優 秀 な 製 品 も 登 場 したが しかし 国 産 メーカーとして 力 を 持 つものは 昭 和 の 時 期 まで 待 たなければならな い 2 大 正 ~ 終 戦 輸 入 車 全 盛 時 代 大 正 の 中 期 から 昭 和 初 期 にかけてはオートバイの 普 及 期 といえるが この 時 代 にはアメ リカ イギリス ドイツといったオートバイ 先 進 国 から 様 々なブランドが 輸 入 された 背 景 には 1000cc クラスの 大 排 気 量 車 の 官 庁 への 普 及 が 進 んだこと 新 聞 社 の 原 稿 輸 送 などにオ ートバイが 使 われ 始 め 速 さという 点 で 四 輪 車 よりも 優 れていると 認 められていったこと などの 要 因 がある こうした 中 で 最 も 普 及 したのがアメリカのハーレーダビッドソンであった 1917 年 に 同 社 製 品 が 輸 入 された 当 初 は 大 手 自 動 車 販 売 代 理 店 であった 日 本 自 動 車 が 輸 入 元 であった 日 本 自 動 車 は 大 口 納 入 先 として 陸 軍 を 開 拓 し 大 量 納 入 を 実 現 したが 1924 年 には 三 共 系 列 の 貿 易 会 社 に 輸 入 代 理 権 が 移 った 同 社 の 米 国 本 社 は 日 本 市 場 を 重 視 し 本 社 自 らが 日 本 に 乗 り 込 む 形 で 販 売 店 網 の 形 成 と 近 代 的 なアフターサービス 重 視 の 販 売 戦 略 を 展 開 し 都 市 部 のみならず 地 方 にまでオートバイを 浸 透 させるべく 販 売 店 教 育 にも 努 めた その 結 果 1928 年 には 米 国 以 外 でのハーレーの 販 売 台 数 がオーストラリアについで 日 本 が 二 位 という 結 果 になった ハーレーは 耐 久 性 などの 点 で 優 れた 性 能 を 誇 っていたばかりでなく 巧 みな 販 売 戦 略 を 採 用 したことにより 日 本 市 場 において 絶 対 的 な 地 位 を 占 めることができた ハ ーレーは 1932 年 三 共 が 米 国 本 社 から 製 造 権 を 買 い 取 って 国 産 化 を 図 り 国 産 ハーレー の 開 発 製 造 を 経 て 陸 王 と 名 付 け 陸 軍 に 納 入 するようになった 国 産 オートバイ 輸 入 車 によって 市 場 が 形 成 され 始 めた 20 年 代 にも 国 産 化 への 努 力 は 各 地 で 行 われてい

た 東 京 の 安 倍 工 業 所 日 本 自 動 車 大 森 工 場 目 黒 製 作 所 名 古 屋 の 岡 本 自 動 車 大 阪 の 中 川 幸 四 郎 商 店 栗 林 部 品 店 などから 多 くの 製 品 ( 外 国 車 の 模 倣 車 が 大 半 )が 市 販 された 業 界 全 体 の 生 産 量 は 30 年 代 に 年 間 1,200 台 から 1,700 台 で 推 移 し 1940 年 の 3,037 台 が 戦 前 における 最 大 の 生 産 量 であった( 軍 用 車 含 む) ところが 日 本 が 戦 時 体 制 に 入 っていく 中 で まさに 量 産 が 始 まろうとしていた 民 需 用 のオートバイ 開 発 は 1937 年 ごろにストップ してしまうこととなる 四 輪 の 自 動 車 が 1918 年 に 公 布 された 軍 用 自 動 車 補 助 法 によっ て 国 策 として 産 業 育 成 が 図 られていったのに 対 し オートバイに 関 しては 産 業 としての 保 護 策 が 存 在 しなかったからである 民 需 用 としての 開 発 生 産 は 資 材 の 割 り 当 て 等 の 面 で 困 難 となっていき オートバイ 開 発 は 1935 年 ごろから 軍 需 用 に 限 られるようになっていった そして 1940 年 にはオートバイレースが 全 面 禁 止 となり メーカーも 軍 需 品 の 生 産 に 切 り 替 えられ 終 戦 まで 日 本 のオートバイ 生 産 は 軍 用 を 除 いては 完 全 に 停 止 することとなった 軍 用 としての 発 達 オートバイは 第 一 次 世 界 大 戦 のヨーロッパにおいて 初 めて 軍 隊 で 使 われたと 言 われてい る 主 に 連 絡 用 などにサイドカー 付 きオートバイが 盛 んに 利 用 されたという 日 本 において も 陸 軍 が 軍 用 オートバイの 開 発 に 関 心 を 示 しており 1918 年 にハーレーが 納 入 されたほか 日 本 内 燃 機 三 共 岡 本 自 動 車 などが 軍 用 オートバイの 開 発 に 関 わった 三 共 は 1932 年 に ハーレーの 製 造 権 を 買 い 取 り 米 国 から 工 作 機 械 一 式 を 購 入 して 国 産 化 に 着 手 したが 輸 入 材 料 を 一 切 使 用 しない という 軍 の 方 針 を 満 たした 純 国 産 車 が 完 成 したのは 1935 年 のこ とだった その 後 テストを 繰 り 返 し 1937 年 にはようやく 九 十 七 式 側 車 付 自 動 二 輪 車 として 量 産 を 開 始 し 前 線 にも 投 入 された 3 日 本 二 輪 車 産 業 の 成 立 期 (1945~1960 年 ) 軍 需 産 業 から 平 和 産 業 へ 1945 年 8 月 15 日 の 敗 戦 後 日 本 の 経 済 政 治 社 会 は GHQ による 強 力 な 統 制 のもと に 置 かれた 1930 年 代 末 から 戦 時 統 制 のもとにあった 日 本 の 産 業 界 は その 方 針 を 180 度 転 換 して 平 和 産 業 として 歩 みだすこととなった 1945 年 当 時 商 工 省 自 動 車 課 にオートバ イメーカーとして 登 録 されていたのは 陸 王 内 燃 機 ( 三 共 が 1937 年 に 改 称 ) 宮 田 製 作 所 昌 和 製 作 所 丸 山 製 作 所 目 黒 製 作 所 の5 社 であった 生 産 資 材 の 厳 しい 統 制 のもとで 生 産 が 始 まったのは 1946 年 になってからのことであり この 年 は 陸 王 が 252 台 宮 田 が 15 台 昌 和 が 3 台 というありさまであった その 多 くも 警 備 用 や 報 道 機 関 用 などに 用 いられた 例 が 多 かったため 一 般 向 けへの 販 売 はほとんど 行 われていなかった 生 産 が 年 間 2000 台 に 達 して 一 般 にも 知 られるようになったのは 1949 年 になってからであった スクーターの 生 産 軍 需 産 業 から 平 和 産 業 への 転 換 として 最 も 特 徴 的 だったのはスクーターの 生 産 である スクーターは 戦 前 の 日 本 では 全 く 生 産 されたことのない 製 品 であり 従 来 のオートバイ 企 業 も 注 目 していない 分 野 であった スクーターの 生 産 に 携 わったのは 富 士 産 業 と 中 日 本 重

工 業 であった 富 士 産 業 は 戦 時 中 に 中 島 飛 行 機 として 戦 闘 機 などの 生 産 に 携 わっていた 会 社 ( 現 富 士 重 工 業 )であり 中 日 本 重 工 業 は 旧 三 菱 重 工 業 が 財 閥 解 体 で 三 者 に 分 割 された うちの 一 つで こちらも 軍 用 機 を 生 産 していた これらの 重 工 業 企 業 も 戦 後 は 民 需 転 換 が 企 業 存 続 の 条 件 とされたため 資 材 の 残 りを 使 って 鍋 ややかん あるいは 自 転 車 やリアカーを 生 産 して 食 いつないでいるという 状 況 であった 富 士 産 業 は 米 軍 で 使 われていたスクータ ーを 1945 年 末 に 入 手 し 民 需 転 換 品 目 の 一 つとして 検 討 し 始 めた そして 車 輪 には 戦 闘 機 銀 河 の 尾 輪 を 使 うなど 資 材 難 の 中 ではあったが 1946 年 末 には ラビット の 名 で 販 売 が 開 始 された 中 日 本 重 工 業 でもやはりアメリカ 製 品 をモデルに 開 発 を 続 け 1947 年 に シルバーピジョン が 発 売 された これらの 製 品 は 庶 民 にとっては 高 嶺 の 花 であり 一 部 の 金 持 ちにのみ 買 うことができる 価 格 であったが それでも 販 売 開 始 からまもなく 生 産 台 数 はそれぞれ 月 300~500 台 に 達 するほどの 人 気 であった バイクモーターの 普 及 オートバイもスクーターも 庶 民 には 縁 遠 い 存 在 であったこの 時 期 の 近 距 離 交 通 手 段 はや はり 自 転 車 であった その 自 転 車 に 小 型 エンジンを 取 り 付 けて 改 造 したものが 1946 年 頃 か ら 現 れはじめた このエンジンは 戦 時 中 に 無 線 機 用 発 電 機 として 製 造 されたものの 残 りで 初 めは 自 転 車 店 やマニアが 改 造 して 取 り 付 けていたが これに 浜 松 の 本 田 技 術 研 究 所 ( 現 本 田 技 研 工 業 )が 燃 料 タンクを 取 り 付 けるなどして 製 品 化 し 1946 年 に 発 売 した 1947 年 にはエンジンを 自 主 開 発 した ホンダモーターA 型 を 売 り 出 し 大 好 評 となった バイク モーターは 自 転 車 に 取 り 付 けるエンジンであるという 点 で 大 正 期 に 流 行 した スミス モー ターホイール と 同 様 の 製 品 であり 敗 戦 直 後 の 日 本 も 大 正 期 と 同 様 の 需 要 があったことを 示 している 1947 年 にはホンダ A 型 を 含 め 10 種 類 以 上 のエンジンが 販 売 され 原 動 機 付 自 転 車 の 名 称 で 日 本 中 に 流 行 した オートバイ 企 業 の 勃 興 1950 年 に 勃 発 した 朝 鮮 戦 争 特 需 によって 日 本 は 未 曾 有 の 好 景 気 に 突 入 した そして 1951 年 に 入 ってからオートバイのメーカー 数 及 び 生 産 は 急 激 に 増 加 し 戦 国 時 代 ともいえ る 状 況 に 入 っていった 表 2 は 二 輪 車 生 産 台 数 の 推 移 である 1951 年 以 降 生 産 台 数 が 爆 発 的 に 増 加 している 様 子 が 見 て 取 れる また 図 1 はメーカー 数 の 推 移 である 1953 年 に はメーカー 数 も 80 社 を 超 えるまでに 増 加 した ここにおいて 戦 後 オートバイ 産 業 の 本 格 的 な 始 動 とみることができる 終 戦 直 後 の 混 乱 の 中 で 二 輪 車 生 産 の 主 役 となったのは 確 かにスクーターとバイクエンジン であった しかし 主 役 といっても 1950 年 までの 生 産 台 数 はスクーターの 場 合 でも 年 間 6,000~8,000 台 程 度 で オートバイに 比 べると 多 いものの 産 業 として 成 り 立 つ 規 模 であ ったとは 言 い 難 い ところが 表 2 で 明 らかなように 1951 年 にはオートバイの 生 産 台 数 は 15,000 台 を 超 えており その 後 の 二 輪 車 産 業 発 展 へと 直 接 的 につながる 第 一 歩 と 考 えるこ とができる

表 2 戦 後 日 本 の 二 輪 車 生 産 台 数 ( 原 動 機 付 自 転 車 除 く) 戦 後 の 二 輪 車 生 産 台 数 年 度 250cc 以 下 250cc 以 上 スクーター 1946 18 252 200 1947 120 326 2,412 1948 709 685 8,298 1949 933 675 5,763 1950 2,636 851 6,316 1951 13,647 2,329 14,414 1952 56,316 5,045 37,014 1953 110,856 14,599 57,890 1954 106,732 11,674 42,395 1955 222,330 6,445 59,201 ( 日 本 自 動 車 工 業 会 編 モーターサイクルの 日 本 史 (1995)より) 一 方 で バイクエンジンを 搭 載 した 原 動 機 付 自 転 車 も 同 時 期 に 著 しい 伸 びをみせている この 普 及 に 一 役 買 ったのが 1952 年 の 道 路 交 通 取 締 法 改 正 であった それまではエンジ ン 付 き 自 転 車 を 運 転 するには 軽 自 動 二 輪 車 免 許 が 必 要 であったが この 時 の 改 正 で 原 付 の 運 転 免 許 制 が 新 設 され 4 サイクル 90cc 2 サイクルの 60cc 以 下 の 車 については 許 可 申 請 するだけで 無 試 験 で 運 転 ができることになった さらに 許 可 年 齢 が 14 歳 であった ことも 加 わって 1953 年 には 過 去 最 高 の 12 万 台 以 上 が 生 産 された メーカーの 淘 汰 1951 年 からにわかに 盛 り 上 がったオートバイ 生 産 を 担 ったのは 好 景 気 の 波 に 乗 って 二 輪 車 産 業 に 参 入 した 多 くの 企 業 であった その 数 は 1950 年 ~1955 年 で 150 社 にも 上 った ただし そのほとんどは 町 工 場 程 度 の 規 模 で バイクエンジンを 専 門 に 造 っているなど 量 産 というには 程 遠 いものがほとんどだった 実 際 図 1 に 明 らかなように 1953 年 をピークとして 退 出 する 企 業 が 続 出 するようになっ た 造 れば 売 れるという 時 代 から 二 輪 車 としての 性 能 の 良 さ 部 品 の 供 給 修 理 などのア フターサービスが 求 められる 時 代 になったからだと 考 えられる

図 1 二 輪 車 企 業 数 の 推 移 ( 宮 部 公 明 編 日 本 モーターサイクル 史 (1997) 日 本 自 動 車 工 業 会 自 動 車 統 計 年 報 ( 年 表 ) 各 年 版 および 富 塚 清 日 本 のオートバイの 歴 史 (2001)より 作 成 ) 特 に アフターサービスに 欠 けるバイクエンジンの 場 合 は 1953 年 以 降 生 産 自 体 が 急 速 に 減 少 していくこととなる 理 由 としてはエンジン 付 き 自 転 車 の 強 度 の 弱 さが 挙 げられる 当 時 舗 装 されている 道 路 は 少 なく 走 行 中 の 車 体 へのダメージが 大 きかったことに 加 え エ ンジンの 性 能 上 昇 により 走 行 スピードも 上 昇 していたことから 自 転 車 の 車 体 を 流 用 して いたエンジン 付 き 自 転 車 は 車 体 の 強 度 不 足 による 事 故 が 多 発 するようになっていた さら に オートバイの 普 及 につれて そのシェアはオートバイおよびスクーターに 奪 われていっ た メーカー 数 が 頂 点 を 迎 えた 1953 年 から 1960 年 代 にかけて 日 本 の 二 輪 車 産 業 の 主 役 とな ったのは バイクエンジンなどの 販 売 で 実 力 をつけたホンダ( 本 田 技 研 ) トーハツ( 東 京 発 動 機 ) スズキ( 鈴 木 自 動 車 工 業 ) メイハツ( 川 崎 明 発 工 業 = 現 在 のカワサキ)や 1955 年 に 日 本 楽 器 製 造 から 独 立 したヤマハ(ヤマハ 発 動 機 )であった これらの 企 業 はすべて 戦 後 から 二 輪 車 産 業 へ 参 入 した 企 業 である そして 1951 年 以 降 続 々と 参 入 した 多 数 のメ ーカーは これら 有 力 メーカーの 技 術 力 販 売 力 の 前 に 数 年 の 間 に 転 業 廃 業 という 経 緯 を たどった モータースポーツの 活 発 化 モータースポーツは 二 輪 車 企 業 にとって 非 常 に 重 要 な 要 素 である モータースポーツの 重 要 性 はそこで 培 われる 技 術 が 市 販 車 へもフィードバックされるということばかりでなく レースの 結 果 は 販 売 実 績 に 大 きく 影 響 するという 面 にもある 特 に 多 数 のオートバイ 企 業 が 存 在 していた 1950 年 代 においては レースの 結 果 はユーザーにとってメーカーの 信 頼 度 を 計 るという 意 味 合 いもあり メーカーにとっては 絶 好 の 宣 伝 の 場 であった 戦 後 初 めて 日 本 で 開 催 されたレースは 1953 年 3 月 に 名 古 屋 周 辺 の 行 動 を 舞 台 に 開 催 さ れたもので 正 式 名 称 は 全 日 本 選 抜 優 良 軽 オートバイ 旅 行 賞 パレード 通 称 名 古 屋 TT

レース であり ホンダ 昌 和 など 17 社 が 参 加 した 同 年 7 月 には 第 一 回 富 士 登 山 レー ス 1955 年 には 第 一 回 浅 間 火 山 レース が 行 われるなど 各 地 でレースが 催 された こ うしたレースで 勝 利 を 収 め 製 品 としての 優 秀 さを 証 明 したのがホンダ ヤマハ スズキと いったメーカーであった 原 付 運 転 許 可 の 範 囲 拡 大 1952 年 の 法 改 正 に 引 き 続 いて 1954 年 に 道 路 交 通 取 締 法 が また 1955 年 には 道 路 運 送 車 両 法 がそれぞれ 改 正 され 無 試 験 の 運 転 許 可 だけで 乗 ることのできる 原 付 の 範 囲 が 4 サイクル 90cc から 125cc に 引 き 上 げられた この 改 正 によって 125cc 以 下 の 小 排 気 量 車 の 販 売 にはずみがついた しかし 50cc 以 下 の 車 種 はエンジン 付 き 自 転 車 がほとんどであったため 各 メーカーは エンジンとフレームを 一 体 化 してモペット 化 する 技 術 を 模 索 していく 各 社 による 技 術 力 向 上 1951~1953 年 を 新 規 参 入 の 時 期 だとすると その 後 1965 年 ごろまでは 業 界 への 参 入 よ り 退 出 の 目 立 つ 時 期 であった この 時 期 はオートバイの 普 及 に 伴 い その 実 用 面 だけではな く レジャー スポーツとしての 側 面 に 注 目 が 集 まった 時 期 でもある その 中 で 企 業 を 存 続 していくにはユーザーの 要 求 に 応 えるだけの 技 術 力 とアフターケアのための 販 売 店 網 を 整 える 必 要 があった これらの 点 で 特 筆 できるのがホンダ ヤマハ スズキ カワサキといっ た 現 在 にも 続 くメーカーであった とりわけ ホンダでは 1954 年 から 世 界 のオートバイレースの 最 高 峰 ともいえるイギリス の マン 島 TT レース への 出 場 を 目 標 に 掲 げ レースを 見 学 するとともに 先 進 的 なオート バイ 工 場 などを 視 察 し 優 秀 な 部 品 や 工 作 機 械 などを 購 入 して 独 自 の 工 夫 を 加 え 生 産 ライ ンに 生 かしていった これらの 努 力 は 1958 年 にモペット 型 (エンジンとフレームが 一 体 と なった)バイクとして 発 売 された スーパーカブ C100 に 結 実 した ここにおいて 実 現 し た 50cc で 4.5 馬 力 という 性 能 は 当 時 125cc にも 匹 敵 するものであり 文 句 なく 世 界 最 高 の 性 能 であった このスーパーカブは 5 万 5000 円 で 販 売 され 発 売 と 同 時 に 爆 発 的 に 売 れ 他 メーカーを 大 きく 引 き 離 すきっかけとなった ホンダはこの 後 スーパーカブに 加 え て 125cc の ベンリィ 号 250cc の ドリーム 号 を 三 本 の 柱 として 強 力 な 販 売 活 動 を 展 開 し 二 輪 車 業 界 のトップとしての 座 を 不 動 のものとしていく 業 界 団 体 や 行 政 の 政 策 この 時 期 の 業 界 団 体 の 積 極 的 な 活 動 や 行 政 の 動 きはとりわけ 需 要 振 興 策 と 技 術 開 発 促 進 の 両 面 で 非 常 に 効 果 的 であった 日 本 小 型 自 動 車 工 業 会 ( 以 下 小 自 工 )は 40 年 代 には 物 資 の 確 保 50 年 代 には 外 車 輸 入 防 止 輸 出 奨 励 技 術 力 強 化 に 向 けた 活 動 に 注 力 した ま た 先 述 の 免 許 制 度 改 正 に 加 え 物 品 税 の 引 き 下 げ 割 賦 販 売 制 度 の 認 可 レースの 後 援 な ど 行 政 も 需 要 促 進 政 策 を 実 施 した 各 企 業 の 開 発 競 争 に こうした 政 策 が 加 わって 1960 年 には 国 内 二 輪 販 売 台 数 がフランスを 抜 いて 世 界 一 となった

4 確 立 期 (1960 年 代 ) ヨーロッパのレース 界 における 活 躍 1960 年 代 は 日 本 のオートバイ 企 業 の 実 力 が 世 界 で 認 められるようになった 時 期 である 1950 年 代 末 から 日 本 メーカーは 相 次 いでヨーロッパのレースに 参 戦 するようになった 日 本 メーカーによる 海 外 レース 初 出 場 は 1958 年 のヤマハによるアメリカで 開 催 されたモト クロスレース 参 戦 であった このレースでヤマハは 6 位 入 賞 を 果 たした そして 翌 年 つい にホンダは 目 標 として 掲 げてきたマン 島 TT レース 参 戦 を 果 たした この 大 会 でホンダは 出 走 した4 台 全 てを 完 走 させ 初 出 場 にしてメーカーチーム 賞 を 受 賞 するという 快 挙 を 成 し 遂 げた 1960 年 にはスズキもマン 島 TT に 参 戦 し ホンダとともに 好 成 績 を 収 めた そし て 1961 年 にはマン 島 TT の 50cc(スズキ) 125cc(ホンダ) 250cc(スズキ)の 3 クラス を 日 本 勢 が 制 覇 したのである ホンダは 同 年 の 世 界 GP でも 125cc 250cc の 2 クラスにて メーカーチャンピオンとなった さらに 1962 年 には 世 界 GP で 50cc(スズキ) 125cc(ホ ンダ) 250cc(ホンダ)の 3 クラスで 日 本 メーカーが 年 間 チャンピオンとなり 1963 年 に はヤマハも 250cc クラスで 年 間 チャンピオンとなるなど 日 本 メーカーはほんの 数 年 の 間 に 世 界 のトップメーカーとして 君 臨 することとなった 生 産 の 大 規 模 化 自 動 化 開 発 競 争 ホンダは 1960 年 にスーパーカブの 単 一 機 種 月 産 5 万 台 の 大 量 生 産 工 場 として 鈴 鹿 製 作 所 を 建 設 した これ 以 降 日 本 の 二 輪 車 生 産 は 高 度 な 自 動 化 と 規 模 重 視 の 傾 向 が 強 まってい く さらにホンダは 研 究 開 発 部 門 を 分 社 化 して 本 社 の 売 上 高 の 一 定 比 率 を 毎 年 研 究 予 算 化 した こうした 日 本 メーカーの 動 きによって 欧 米 で 成 熟 産 業 とみられていた 二 輪 車 産 業 は 再 び 技 術 革 新 期 に 入 った こうした 動 きは 国 内 メーカーの 淘 汰 を 促 進 した 海 外 に 販 売 生 産 拠 点 を 設 立 海 外 レースの 勝 利 と 連 動 して 活 発 化 したのが 輸 出 の 伸 びであった 1950 年 初 頭 から 日 本 のオートバイはアジア 中 南 米 アメリカ 等 に 輸 出 されていたが 商 社 に 依 存 していたこ ともあり 数 量 としては 微 々たるものであった しかし 1960 年 代 に 入 るとホンダ スズ キ ヤマハは 海 外 市 場 の 開 拓 に 本 腰 を 入 れ 続 々と 販 売 会 社 や 工 場 などの 現 地 法 人 を 設 立 し 始 めた レースへの 参 戦 や 生 産 実 績 においてやや 出 遅 れていたカワサキ( 川 崎 航 空 機 工 業 ) も 1960 年 に 目 黒 製 作 所 と 業 務 提 携 (1964 年 に 合 併 )を 行 うなど 先 行 メーカーとの 競 争 を 展 開 していたが 1960 年 代 に 世 界 GP に 参 戦 1966 年 には 海 外 法 人 を 設 立 するなど 先 行 3 社 と 肩 を 並 べて 世 界 的 メーカーへ 仲 間 入 りしていった ちなみに 目 黒 製 作 所 の 消 滅 により 戦 前 から 続 く 二 輪 車 企 業 はすべて 倒 産 するか 二 輪 車 産 業 から 撤 退 したことになっ た 4 メーカーによる 寡 占 の 形 成 海 外 で 日 本 のトップメーカーが 強 力 な 販 売 戦 略 を 展 開 していたこの 時 期 国 内 ではメー カーの 淘 汰 がさらに 進 行 していた 日 本 経 済 は 朝 鮮 特 需 の 好 景 気 に 続 く 高 度 経 済 成 長 政 策 を 土 台 に 成 長 を 続 けていたが 同 時 にオートバイに 対 する 要 求 は 高 度 になっていき 高 い 性

能 と 同 時 にデザイン 性 が 求 められるようになった すなわち 四 輪 車 の 生 産 が 活 発 化 するに 伴 い オートバイは 人 やモノの 輸 送 手 段 としての 利 用 は 少 なくなり スポーツや 趣 味 の 乗 り 物 としての 価 値 が 高 まってきたのである そのような 中 で 1960 年 には 道 路 交 通 法 の 施 行 によって 125cc 以 下 の 無 試 験 での 運 転 許 可 制 が 廃 止 され 試 験 による 運 転 免 許 が 必 要 となった さらに 50cc 以 下 では 免 許 年 齢 が 14 歳 から 16 歳 へ 引 き 上 げられるとともに 二 人 乗 りができなくなった この ような 逆 風 の 結 果 1958 年 の 9 万 台 から 1959 年 の 41 万 台 1960 年 に 111 万 台 へと 急 激 に 伸 びた 50cc の 生 産 は 1961 年 以 降 は 急 激 に 落 ち 込 んだ こうした 50cc の 需 要 落 ち 込 み は 弱 小 メーカーにとって 大 打 撃 であった こうしたメーカーは 50cc が 売 れなくなったから といって 簡 単 に 大 排 気 量 車 の 生 産 に 転 換 することはできなかったからである こうした 事 情 の 中 で ユーザーの 需 要 に 応 えることのできなかったメーカーは 次 々と 脱 落 していった 1951 年 から 1955 年 までの 間 にオートバイ 生 産 に 携 わっていたメーカーは 150 社 にも 上 ると 言 われたが そのうち 1962 年 まで 生 き 残 ったのはわずか 15 社 であった そして 1966 年 には 現 在 の 4 メーカーの 国 内 出 荷 シェアはおよそ 95%に 達 し 国 内 4 メー カーによる 寡 占 体 制 が 完 成 した スポーツ 趣 味 としての 車 種 分 化 大 排 気 量 車 の 開 発 日 本 の 戦 後 モータースポーツは 1950 年 代 の 富 士 登 山 レース 浅 間 火 山 レース など に 始 まるが 日 本 勢 の 海 外 レースでの 活 躍 に 刺 激 されて 国 内 でもモータースポーツが 盛 ん になり 1961 年 には 鈴 鹿 サーキットが 完 成 本 格 的 なモータースポーツの 時 代 が 訪 れた こうして 趣 味 としてのオートバイの 普 及 が 進 むにつれて 様 々な 種 類 が 登 場 し 各 メーカ ーは 競 って 個 性 豊 かなオートバイを 発 売 した 1959 年 に 発 売 された 250cc のヤマハ YDS- 1 やホンダドリームスーパースポーツ CB72 は 高 い 人 気 を 誇 った また 各 メーカーは 大 排 気 量 車 の 開 発 を 手 がけるようになった というのも 当 時 既 に 欧 米 では 高 速 道 路 網 がかなり 整 備 されており 高 い 速 度 での 長 距 離 移 動 が 一 般 的 におこなわ れていたため 大 排 気 量 車 で 先 行 する 欧 米 メーカーに 対 抗 できる 製 品 が 求 められたのであ る 戦 後 大 排 気 量 のオートバイは 陸 王 など 戦 前 からのメーカーが 生 産 していたが 高 価 だ ったこともあって 普 及 しているとはいえない 状 態 であった そうした 状 況 を 打 ち 破 ったの が 各 社 で 発 売 された 大 排 気 量 車 で 1966 年 のカワサキ W1 1968 年 のスズキ T500 1969 年 のホンダ CB750FOUR 1970 年 のヤマハ XS-1 など 各 社 から 相 次 いで 発 売 された こ の 時 期 以 降 日 本 のオートバイは 本 格 的 に 高 速 モデル 化 していくこととなる 5 日 本 を 代 表 する 産 業 へ(1970 年 代 ) 国 内 販 売 量 の 増 加 70 年 代 はオイルショック 後 の 不 況 期 において 経 済 性 に 優 れる 二 輪 車 が 好 まれたことな どにより 国 内 市 場 での 販 売 台 数 は 増 加 した 一 方 で 任 意 保 険 料 の 引 き 上 げ ヘルメット の 着 用 義 務 化 大 型 二 輪 免 許 取 得 の 難 化 ( 禁 止 に 近 いもの)など 二 輪 車 をめぐる 規 制 や 制

度 が 徐 々に 強 化 されていった 時 期 でもあった 輸 出 量 の 増 大 日 本 メーカーは 1960 年 代 以 降 海 外 のレースで 活 躍 を 続 け 日 本 メーカーの 技 術 の 優 秀 さは 世 界 に 知 れ 渡 るようになっていた その 結 果 として 1970 年 代 の 飛 躍 的 な 輸 出 量 の 増 大 があった 日 本 メーカーの 輸 出 台 数 は 1962 年 に 20 万 台 を 超 えフランス イタリアを 抜 い て 世 界 一 となって 以 降 1968 年 には 100 万 台 を 突 破 し 1970 年 代 から 80 年 代 にかけて 毎 年 200~400 万 台 の 輸 出 量 を 維 持 することになる 国 内 ではこうした 動 きに 対 応 するため 生 産 体 制 の 強 化 が 各 社 で 行 われた 大 排 気 量 車 開 発 の 進 行 この 時 代 には 国 内 の 様 々なニーズに 答 えて より 細 かい 車 種 分 化 が 起 こった 1960~ 70 年 代 にかけて 日 本 勢 がモトクロスの 世 界 大 会 においても 優 秀 な 成 績 を 残 したことから オフロード 車 に 対 する 関 心 も 高 まっていった 50cc の 分 野 ではファッション 化 が 進 行 し 女 性 ユーザーを 意 識 したようなデザインが 重 視 されるようになった 各 社 から 1975 年 の スズキミニ 50 1976 年 の ホンダロードパル 1977 年 の ヤマハパッソル などが 相 次 いで 発 売 された 一 方 先 述 のとおり 舗 装 路 をより 高 速 で 走 行 できる 大 排 気 量 車 の 開 発 が 一 層 進 められた 1969 年 には 名 神 東 名 高 速 道 路 が 開 通 し 国 内 においても 高 速 交 通 時 代 にふさわしいモデ ルが 求 められていたのである 国 産 大 排 気 量 車 として 象 徴 的 なモデルが 1969 年 にホンダか ら 発 売 された ドリーム CB750Four であった このオートバイは 二 輪 量 産 車 初 の 並 列 4 気 筒 エンジンを 搭 載 し さらに 二 輪 量 産 車 として 初 めて 公 称 最 高 速 度 200km/h を 達 成 した 発 売 直 後 から CB750Four は 世 界 の 最 人 気 車 種 となり 日 本 二 輪 車 企 業 の 技 術 力 の 高 さを 改 めて 世 界 に 知 らしめることとなった さらに 1972 年 にはカワサキから Z1(900 Super Four)が 発 売 され 欧 米 で 高 い 人 気 を 博 すなど 日 本 メーカーは 中 小 排 気 量 車 で 得 ていた 高 い 評 価 を 大 排 気 量 車 の 分 野 でも 得 ることに 成 功 した 6 成 熟 期 (1980~90 年 代 ) 50cc ファミリーバイク の 普 及 1980 年 代 には 50cc スクーターの 爆 発 的 なブームがおこった 先 述 のとおり 1970 年 代 の 車 種 分 化 の 結 果 スクーターはギア 操 作 なしで 簡 単 に 乗 れる 上 車 体 もカラフルなものなど 女 性 がファッション 感 覚 で 乗 ることのできるものも 多 く 発 売 された 50cc 以 下 の 二 輪 車 の 工 場 出 荷 台 数 で 見 ると 1975 年 までは 年 間 60~80 万 台 で 推 移 していたが 1976 年 以 降 81 年 まで 大 幅 な 増 加 を 示 し 81 年 には 287 万 台 とピークを 示 した ただし この 急 速 な 普 及 はメーカー 間 の 競 争 激 化 の 産 物 でもあった 90 年 代 には 100 万 台 の 水 準 にまで 落 ち 込 み その 後 も 徐 々に 減 少 若 者 のバイク 離 れ の 進 むと 言 われる 現 在 では 25 万 台 前 後 にまで 落 ち 込 んでいる 80 年 代 は 国 内 生 産 量 輸 出 量 ともにピークを 迎 えた 時 期 であった

HY 戦 争 ホンダはすでにこの 時 期 世 界 のトップメーカーとしての 地 位 を 確 固 たるものとしてい た また この 時 期 のホンダは 四 輪 へ 集 中 的 に 経 営 資 源 を 投 下 していた 時 期 であった こう した 状 況 を 見 て ヤマハの 小 池 社 長 はホンダに 対 し 盟 主 の 座 を 奪 う と 宣 言 し 80 年 に は 年 間 出 荷 台 数 95 万 台 という 計 画 を 打 ち 上 げた 実 際 にヤマハは 81 年 にはホンダに 肉 薄 するなど 追 い 上 げを 見 せた しかし 82 年 にはホンダがおよそ 10 ヶ 月 で 45 車 種 を 投 入 す るなど 反 撃 に 出 て 競 争 は 泥 沼 化 した 特 に 営 業 の 現 場 では 熾 烈 なダンピング 合 戦 が 繰 り 広 げられ 両 社 ともに 疲 弊 した 結 局 経 営 危 機 に 陥 ったヤマハは 83 年 の 1 月 末 に 敗 北 を 宣 言 翌 月 には 両 社 社 長 が 会 談 を 行 った 両 者 の 値 引 き 合 戦 によって 膨 張 した 市 場 は 以 降 現 在 に 至 るまで 縮 小 の 一 途 をたどることとなった モーターサイクルスポーツブーム オートバイによるレースは 1950 年 代 から 継 続 的 に 行 われてきたが 1980 年 代 にその 人 気 はピークを 迎 えた オートバイレースの 観 客 動 員 数 も 1980 年 代 中 頃 から 90 年 代 中 頃 ま では 毎 年 100 万 人 を 超 えていた モーターサイクルスポーツを 中 心 的 に 運 営 する MFJ( 日 本 モーターサイクルスポーツ 協 会 )の 会 員 数 も 1980 年 代 入 って 急 激 に 伸 びている ロード レースの 流 行 に 伴 い レーサーレプリカと 呼 ばれる メーカーがレース 活 動 で 得 た 技 術 を 投 入 し ロードレーサーを 模 したカウリングを 搭 載 したオートバイが 流 行 した ロードレース を 題 材 とした 漫 画 などの 流 行 もあり いわゆる 走 り 屋 が 出 現 するなど 社 会 現 象 にもなっ た 海 外 生 産 の 増 加 日 本 のオートバイは 1970 年 代 になって 急 激 に 輸 出 量 が 増 加 し オートバイは 日 本 の 花 形 輸 出 品 目 となった その 一 方 で 70~80 年 代 にかけて 日 本 メーカーは 積 極 的 に 海 外 生 産 を 推 し 進 めた この 動 きは 85 年 の 円 高 以 降 一 貫 して 進 行 していった 特 に 発 展 途 上 国 で は 自 国 産 業 保 護 の 観 点 から 完 成 車 輸 入 の 制 限 や 高 関 税 率 を 課 している 場 合 も 多 く こうし た 国 への 輸 出 はメーカーにとって 不 利 だったため 当 該 国 での 生 産 拠 点 づくりを 進 めてい った 海 外 での 最 初 の 現 地 生 産 は 日 本 からほとんどの 部 品 を 輸 出 し 現 地 で 組 み 立 てる ノック ダウン 方 式 で 行 われていたが 徐 々に 現 地 での 部 品 調 達 率 を 高 め 最 終 的 には 現 地 で 素 材 部 品 の 全 てを 調 達 することを 目 指 すようになった 現 地 での 雇 用 促 進 や 産 業 育 成 にもつな がることから 途 上 国 ではこうした 方 式 のほうが 歓 迎 されるのである 海 外 生 産 が 増 加 した 結 果 完 成 車 の 輸 出 はその 後 減 少 し 生 産 部 品 の 輸 出 が 増 加 する 結 果 となった 輸 出 先 としては 当 時 二 輪 車 市 場 が 活 性 化 していた 中 国 インド タイ 台 湾 な どであった

7 衰 退 期?(2000 年 代 現 在 ) ブームの 沈 静 化 と 国 内 市 場 の 収 縮 80~90 年 代 にかけての 国 内 でのブームが 沈 静 化 すると 国 内 オートバイ 市 場 は 長 期 的 な 需 要 低 下 の 傾 向 が 現 れ 現 在 においても 市 場 縮 小 はより 深 刻 なものとなっている オートバ イの 国 内 出 荷 台 数 は 全 盛 期 (1982 年 の 328 万 台 )の 8 分 の1にまで 落 ち 込 み 09 年 は 42 万 台 である この 出 荷 台 数 激 減 の 最 も 大 きいウェートを 占 めているのは 原 付 (50cc 以 下 ) の 減 少 であり 51cc 以 上 の 趣 味 性 の 高 いオートバイは 減 少 傾 向 にあるものの およそ 30 年 で 半 減 といったところである 縮 小 する 市 場 に 対 応 して 生 産 設 備 の 縮 小 だけでなく 本 社 機 構 にも 大 きな 改 革 が 行 われ るようになった ヤマハが 本 社 部 門 の 改 革 やシステムサプライヤー 制 度 ( 研 究 開 発 部 門 の 権 限 分 散 )へ 移 行 し ホンダは 国 内 の 二 輪 営 業 部 門 を 本 社 から 切 り 離 し 国 内 での 流 通 合 理 化 に 取 り 組 み 始 めた 海 外 市 場 90 年 代 から 国 内 市 場 の 収 縮 が 起 こっていたが 対 照 的 にアジア 市 場 は 急 成 長 を 遂 げてお り 日 本 の 二 輪 車 業 界 もその 視 点 を 海 外 に 移 していった 海 外 生 産 拠 点 の 成 長 に 伴 い 90 年 代 からホンダ ヤマハなどでは 海 外 からの 一 部 製 品 の 逆 輸 入 が 開 始 された 00 年 代 には 海 外 に 生 産 設 備 だけではなく 研 究 開 発 部 門 を 新 設 する 動 きも 見 られている 国 内 における 規 制 の 強 化 様 々な 規 制 が 国 内 の バイク 離 れ を 加 速 させているという 声 もある 規 制 の 主 なものと して 駐 車 取 締 の 強 化 と 相 次 ぐ 排 出 ガス 規 制 騒 音 規 制 が 挙 げられる 2006 年 6 月 に 改 正 道 路 交 通 法 が 施 行 されると 取 締 りの 民 間 委 託 ( 駐 車 監 視 員 制 度 の 導 入 )が 始 まっ た その 結 果 特 に 都 市 部 において 路 上 に 駐 車 せざるを 得 ない 二 輪 車 の 駐 車 違 反 件 数 が 激 増 するという 状 況 が 生 まれている 駐 車 監 視 員 制 度 導 入 以 前 の 2005 年 に 比 べ 2007 年 の 二 輪 車 駐 車 違 反 取 締 件 数 はおよそ5 倍 となっている 二 輪 車 を 受 け 入 れている 駐 車 場 が 圧 倒 的 に 不 足 している 中 で 取 締 りの 強 化 のみが 先 行 して 行 われてしまった 結 果 である また 多 くのユーザーが 路 上 駐 車 が( 事 実 上 ) 許 されてきた 点 を 二 輪 車 の 利 点 として 考 えている という 側 面 もあり このまま 駐 車 場 の 整 備 が 遅 れると 手 軽 なコミューターとしての 二 輪 車 の 魅 力 が 損 なわれてしまうのではないだろうか また 排 出 ガス 規 制 は 常 に 二 輪 車 メーカーにとって 大 きな 痛 手 であった 平 成 10 11 年 排 出 ガス 規 制 では 二 輪 車 が 初 めて 規 制 の 対 象 となり 80~90 年 代 に 隆 盛 を 誇 った 2 サイ クル 車 がほぼすべて 姿 を 消 すこととなった そして 07 年 ~09 年 にかけての 排 出 ガス 規 制 では 世 界 一 厳 しいと 言 われる 規 制 が 敷 かれ 多 くの 人 気 車 種 が 販 売 終 了 に 追 い 込 まれた こ れらのケースでは 技 術 的 に 達 成 が 困 難 というよりは 触 媒 などの 装 着 によるコスト 上 昇 に 伴 って 採 算 が 取 れなくなり 販 売 終 了 に 至 ったものが 多 い 騒 音 規 制 に 関 しても 同 様 で 日 本 の 規 制 は 世 界 一 厳 しい 水 準 であると 言 われている

メーカーの 努 力 ユーザーの 高 齢 化 が 激 しい 2003 年 に 39.9 歳 だったユーザーの 平 均 年 齢 は 2011 年 には なんと 48.5 歳 に 上 がっている 原 因 としてはまず 趣 味 の 多 様 化 若 者 の 貧 困 といった 要 因 により 若 年 層 のユーザーが 減 少 していることが 挙 げられる エコ 志 向 健 康 志 向 を 追 い 風 とした 自 転 車 の 人 気 も 要 因 の 一 つにであろう 一 方 で 経 済 的 に 余 裕 のある 中 高 年 のあいだ では リターンライダー と 呼 ばれる 若 い 頃 オートバイに 親 しんだ 人 たちの 回 帰 現 象 も 起 こっている 一 度 オートバイを 降 りた 人 たちが 第 2 の 人 生 の 趣 味 として 再 びオートバイに 乗 り 始 めるケースで 主 に 大 排 気 量 車 の 需 要 を 下 支 えしていると 見 られる しかし 彼 らが 再 びオートバイを 降 りたあとの 市 場 を 支 えるのはやはり 若 い 世 代 でなくてはならない メ ーカーは 若 年 層 を 中 心 とした 新 規 ユーザーの 取 り 込 みを 狙 って 車 検 がなく 扱 いやすい 250cc のラインナップ 拡 張 や 交 通 安 全 教 室 の 開 催 などに 取 り 組 んでいる 特 にホンダは 2014 年 前 半 だけで 20 モデルを 投 入 するなど 国 内 需 要 の 喚 起 に 積 極 的 である そして 実 際 に ここ 2~3 年 は 250cc 以 上 の 二 輪 車 において 販 売 台 数 が 徐 々にではあるが 回 復 してい る 3. ホンダ 二 輪 車 事 業 の 歴 史 第 2 章 では 日 本 の 二 輪 車 産 業 の 形 成 発 展 の 歴 史 を 概 観 した 第 3 章 では 戦 後 の 黎 明 期 から 70 年 代 に 二 輪 車 産 業 が 日 本 を 代 表 する 産 業 に 発 展 するまでの 時 期 においてホンダがど のような 行 動 をとっていたのかについて 述 べ 二 輪 車 産 業 史 への 理 解 を 深 めることを 目 的 とする 本 章 においても 体 系 的 というよりはスポット 的 な 叙 述 になってしまうことをお 断 りする 1ホンダによる 市 場 の 牽 引 前 章 で 国 内 二 輪 車 市 場 において 60 年 代 中 頃 には 4 社 による 寡 占 が 形 成 されたと 述 べた また その 過 程 は 国 内 市 場 が 急 激 に 拡 大 する 過 程 でもあった 図 2 はメーカー 別 国 内 生 産 台 数 の 推 移 図 3 は 主 要 4 社 の 国 内 市 場 占 有 率 の 推 移 である これらの 図 から 4 社 による 寡 占 の 形 成 といっても 実 質 的 にはホンダの 一 強 であったことがわかるだろう また ホンダ が 巨 大 な 国 内 市 場 を 作 り 上 げたのだということができる

1945 年 1947 年 1949 年 1951 年 1953 年 1955 年 1957 年 1959 年 1961 年 1963 年 1965 年 1967 年 1969 年 図 2 メーカー 別 国 内 生 産 台 数 の 推 移 3000000 2500000 2000000 1500000 1000000 500000 ホンダ ヤマハ スズキ カワサキ その 他 合 計 0 ( 日 本 自 動 車 工 業 会 自 動 車 統 計 年 表 1958 年 版 本 田 技 研 世 界 二 輪 車 概 況 各 年 度 版 より 著 者 作 成 ) 図 3 主 要 4 社 の 国 内 生 産 台 数 における 割 合 の 推 移 100% 90% 80% 70% 60% 50% 40% 30% 20% 10% 0% ホンダ ヤマハ スズキ カワサキ その 他 4 社 ( 同 上 )

2ホンダの 創 業 本 田 宗 一 郎 は 1906 年 磐 田 郡 光 明 村 ( 現 在 の 浜 松 市 )にて 鍛 冶 屋 の 長 男 として 生 まれ た 尋 常 高 等 小 学 校 を 卒 業 後 東 京 本 郷 の 自 動 車 修 理 会 社 に 修 行 に 入 り ここで6 年 間 修 行 した 後 22 歳 の 時 に 暖 簾 分 けを 許 されて 浜 松 に 店 を 開 いた 優 れた 技 量 と 客 扱 いの 上 手 さ から その 後 わずか 2 年 ほどで 従 業 員 50 名 規 模 の 会 社 にまで 発 展 した 本 田 は 28 歳 の 時 にピストンリング 製 造 の 会 社 をおこし 戦 時 統 制 のもとで 中 島 飛 行 機 やトヨタ 自 動 車 など に 納 入 していた しかし 戦 争 が 終 わると 本 田 は 持 ち 株 をすべて 売 り 払 い 事 業 から 手 を 引 いた 終 戦 後 は 織 機 開 発 や 製 塩 などの 事 業 に 手 を 出 していたが 1946 年 秋 本 田 宗 一 郎 は 陸 軍 の 放 出 した 無 線 用 小 型 エンジンを 改 良 し 自 転 車 に 取 り 付 けた この 製 品 は 400 台 ほど 製 造 され たが これこそが 本 田 宗 一 郎 が 初 めて 手 がけた 二 輪 車 であり 同 時 に 浜 松 の 二 輪 車 産 業 の 始 まり でもあった 陸 軍 放 出 エンジンが 尽 きると 初 の 自 社 製 品 A 型 エンジン の 開 発 に 取 り 組 み 48 年 には 本 田 技 研 工 業 株 式 会 社 ( 以 下 ホンダ)を 設 立 した 原 動 機 付 自 転 車 に 満 足 していなか った 本 田 は 49 年 外 国 製 オートバイを 参 考 にして 初 の 本 格 的 オートバイ ドリーム 号 を 完 成 させた もっともこれは 当 初 売 れ 行 き 不 振 でホンダは 資 金 繰 りが 悪 化 した しかし 52 年 には カ ブ F 型 を 販 売 し 爆 発 的 な 売 れ 行 きを 見 せ ホンダは 一 気 に 業 界 のトップに 躍 り 出 ることとな った カブ F 型 の 販 売 においてホンダは 全 国 の 自 動 車 販 売 店 5 万 5000 軒 にダイレクトメール を 送 付 し 注 文 を 受 付 けるという 方 法 で 販 売 網 を 拡 大 し これが 大 成 功 であった この 戦 略 を 立 てたのは 49 年 に 入 社 した 藤 沢 武 夫 であった その 後 ホンダは 大 規 模 な 設 備 投 資 を 繰 り 返 し 綱 渡 り 的 な 資 金 繰 りの 中 で 成 長 を 続 けた 3 藤 沢 武 夫 本 田 宗 一 郎 がいなければ 現 在 のホンダは 存 在 しないのと 同 様 に 藤 沢 武 夫 がいなければ ホン ダの 急 激 な 発 展 は 望 めなかったと 言 われている 天 才 肌 の 技 術 屋 で 経 営 手 腕 の 欠 けていた 本 田 の 参 謀 役 として 本 田 から 実 印 と 経 営 の 全 権 を 任 せられ 本 田 との 二 人 三 脚 で 会 社 を 世 界 的 企 業 に 成 長 させたのが 藤 沢 であった 本 田 は 技 術 に 徹 し 藤 沢 は 経 営 販 売 に 徹 することで お 互 い の 職 分 を 守 り 経 験 と 直 感 でものを 考 える 本 田 と 理 詰 めで 長 いスパンでものを 考 える 藤 沢 の 相 互 信 頼 がホンダを 大 きく 発 展 させた マン 島 TT レースへの 挑 戦 を 助 言 し 宣 言 文 を 書 いたのも 藤 沢 である 50 年 代 当 時 ホンダと 競 い 合 っていた 丸 正 自 動 車 やトーハツとの 競 争 を 勝 ち 抜 くこ とができたのも 藤 沢 の 巧 みな 経 営 手 腕 によるところが 大 きかった 4スーパーカブ C100 57 年 に 各 社 は 一 斉 にモペット(エンジンと 車 体 を 一 体 化 した 50cc 以 下 の 原 付 )を 市 場 投 入 し た 欧 州 市 場 では 当 時 51cc 以 上 に 代 わり 50cc のモペットが 伸 びていた 一 方 日 本 では 50cc 以 下 の 生 産 量 は 停 滞 し むしろ 125cc や 250cc の 生 産 が 伸 びていた 国 内 メーカー 各 社 はバイク エンジンとは 異 なる 製 品 によって 底 辺 需 要 を 喚 起 するべくモペットの 開 発 を 進 めたのである そこで 58 年 にホンダが 投 入 したのが スーパーカブ C100 であった スーパーカブはエンジ ン 型 式 最 高 出 力 女 性 にも 乗 りやすいスタイル タイヤサイズにおいて 競 合 他 社 の 製 品 とは 全

く 異 なるものであり 世 界 的 に 大 ヒットした 特 筆 すべきはそのエンジン 性 能 で 当 時 の 50cc の 市 販 車 は 2 馬 力 前 後 だったのに 対 し スーパーカブは 4.5 馬 力 を 誇 り しかも 丈 夫 低 価 格 と いう 製 品 であった 60 年 にはスーパーカブだけのために 単 品 種 大 量 生 産 のための 鈴 鹿 製 作 所 を 建 設 した ちなみにスーパーカブは 改 良 を 加 えられながら 現 在 でも 販 売 されており 2014 年 時 点 で 8,000 万 台 以 上 という 基 本 設 計 の 変 わらない 輸 送 機 器 の 1 シリーズとしては 世 界 最 多 生 産 販 売 台 数 を 誇 っている 5レースにおける 活 躍 50 年 代 中 頃 ~60 年 代 前 半 はホンダが 社 運 を 賭 けて 二 輪 レースに 取 り 組 んだ 時 期 であった 54 年 ホンダは 世 界 最 高 峰 の 二 輪 レース マン 島 TT レース への 出 場 を 宣 言 した 当 時 は 国 内 で もレースが 開 催 され 始 めたばかりであったが その 宣 言 文 には 世 界 一 でないと 日 本 一 になれな い と 常 々 語 っていた 本 田 の 世 界 一 へ 対 する 熱 い 想 いが 込 められていた そして 5 年 後 宣 言 通 りホンダはマン 島 TT に 出 場 し 6 位 に 入 賞 さらにメーカーチーム 賞 を 獲 得 するという 快 挙 を 成 し 遂 げた そして 61 年 にはついに 世 界 GP 初 優 勝 に 加 え マン 島 TT レースで 初 優 勝 し 有 言 実 行 を 果 たした ホンダはレースへ 挑 戦 するなかで レース 用 エンジンの 技 術 史 において 重 要 な 功 績 を 残 しており この 時 期 は 技 術 者 としての 本 田 宗 一 郎 が 最 も 光 り 輝 いた 時 期 であったと いえる 6アメリカ 市 場 拡 大 と 大 型 二 輪 車 50 年 代 中 頃 からホンダは 本 格 的 な 輸 出 に 向 けた 調 査 を 開 始 していた 主 戦 場 はアメリカに 定 められた 当 時 のアメリカは 二 輪 車 普 及 台 数 が 1000 人 あたり 2.7 台 (57 年 )と 著 しく 低 く 輸 入 が 急 速 に 伸 長 していたからである アメリカ 市 場 はハーレーやイギリスのトライアンフ BSA といった 大 型 二 輪 と 56 年 から 急 速 に 輸 入 が 伸 びたドイツやイタリアからの 小 型 二 輪 を 中 心 と した 二 層 からなっていた そして 当 時 のホンダは 小 型 車 の 輸 出 を 計 画 していた まず 輸 出 されたのは 国 内 の 技 術 開 発 競 争 が 激 しくなる 中 で 開 発 されたホンダが 手 がけた 初 の 2 気 筒 車 である 250cc4サイクル 2 気 筒 エンジンを 積 んだ C70 であった その 後 アメリカ 向 けに 改 良 された C72 は 堅 実 な 作 りや 神 社 仏 閣 スタイル と 呼 ばれた 独 特 のデザインで 好 評 であった その 後 スポーツ 向 けニーズの 高 まりに 応 え 60 年 に CB72 68 年 に CB250 が 相 次 いで 発 売 輸 出 された この 頃 にはすでにアメリカの 250cc 以 下 のクラスではホンダをは じめとする 日 本 車 が 席 巻 していた すなわち 日 本 車 が 小 中 排 気 量 欧 州 車 が 大 排 気 量 という 住 み 分 けがアメリカ 市 場 では 成 立 していた もっとも アメリカにおいても 市 場 規 模 は 非 常 に 小 さ く 年 間 6 万 台 程 度 であった 当 初 大 排 気 量 車 を 手 掛 ける 計 画 はなかったものの 利 益 率 の 高 い 大 型 二 輪 車 市 販 化 に 対 する 要 求 がアメリカから 寄 せられるようになった そこで 65 年 に 投 入 されたのが CB450 であっ た これがホンダの 大 排 気 量 エンジンの 始 まりである しかし 総 合 的 にはトライアンフなどの 伝 統 的 なイギリス 車 に 勝 つことはできなかった 当 時 の 日 本 メーカーでは 高 回 転 高 出 力 こ そが 良 いバイクの 条 件 であるという 考 え 方 が 支 配 的 であり CB450 の DOHC2 気 筒 のエンジン

はハイメカニズムの 結 晶 でもあったが 欧 州 ではともかくアメリカではそうしたスーパースポ ーツ 的 な 性 能 は 求 められていなかった 一 方 その 頃 スズキは T500 カワサキは 650W1 と 他 社 も 大 排 気 量 の 開 発 を 進 めていた 60 年 代 後 半 のアメリカ 大 型 市 場 ではイギリスのトライアンフ BSA ノートン ドイツの BMW カワサキの W1 そしてホンダの CB450 がしのぎを 削 っていた そうして 中 で 69 年 ホンダはついに 世 界 初 のビッグマルチエンジンを 搭 載 した ドリーム C750Four を 投 入 した 開 発 の 狙 いは 長 距 離 高 速 走 行 をより 快 適 に より 安 全 にこなすということであり 100~ 160km/h における 余 裕 と 耐 久 信 頼 性 に 重 点 が 置 かれた 当 時 において 4 気 筒 750cc が 選 択 さ れた 理 由 はトライアンフの 新 モデルが 3 気 筒 750cc であるという 情 報 が 入 り それに 対 抗 する ためであった CB750Four の 主 要 な 特 徴 は 市 販 車 初 の 並 列 4 気 筒 エンジン 4 キャブレター 67 馬 力 の 超 高 出 力 最 高 速 度 200km/h 高 剛 性 フレーム ディスクブレーキというハイメカニ ズムであった それでありながら 価 格 設 定 も 当 時 のアメリカ 市 場 においては 安 めの 水 準 で 欧 州 車 の 開 拓 したアメリカ 市 場 から 覇 権 を 奪 うのに 十 分 な 競 争 力 を 持 っていた CB750Four の 登 場 は 日 本 の 二 輪 車 産 業 が 技 術 販 売 において 世 界 を 征 した 証 でもあった CB750Four の 登 場 以 降 各 社 の 大 型 二 輪 車 は 3~4 気 筒 のマルチシリンダーが 主 流 となって いった また 日 本 メーカーも 次 々とアメリカの 大 型 市 場 へ 参 入 していった 72 年 にカワサキ が 投 入 した Z1(900 Super Four)は CB750Four の OHC エンジンに 対 し DOHC エンジンを 採 用 し 大 ヒットした CB750Four 以 降 日 本 車 は 急 速 に 北 米 市 場 に 浸 透 60 年 代 に 日 本 車 が 目 標 としてきたトライアンフ BSA ノートンなどのイギリス 車 は 市 場 からほぼ 消 えてしまうこ ととなった イギリス 車 は 59 年 にはアメリカ 市 場 の 半 分 のシェアを 占 めていたが 66 年 には 日 本 メーカ ー3 社 (ホンダ ヤマハ スズキ)で 市 場 の 85%のシェアに 達 し 60 年 代 末 の 日 本 メーカーの 大 型 二 輪 車 投 入 によってイギリス 二 輪 車 産 業 の 衰 退 は 決 定 的 なものとなった その 理 由 は 明 ら かで イギリスメーカーは 技 術 開 発 に 余 念 のなかった 日 本 メーカーに 対 し 十 分 な 開 発 投 資 をせ ず 製 品 技 術 で 立 ち 遅 れていたのである また 生 産 技 術 においても 製 品 の 均 質 化 フォードシ ステム 的 なコストダウンを 図 った 日 本 に 対 抗 することはできなかった 4. おわりに 現 在 二 輪 車 産 業 史 において 主 要 な 論 点 は 浜 松 や 熊 本 における 産 業 集 積 や アジアの 二 輪 車 産 業 の 形 成 完 成 車 企 業 とサプライヤーとの 部 品 取 引 関 係 など 様 々であり 研 究 が 進 めら れている 一 方 本 論 文 ではこれといった 分 析 や 研 究 などをおこなっておらず ほぼすべてが 既 存 の 研 究 からの 引 用 であり 学 術 的 な 価 値 は 皆 無 であると 思 われる しかし この 論 文 を 通 して 日 本 を 代 表 する 産 業 である 二 輪 車 産 業 の 歴 史 と 現 状 への 理 解 を 少 しでも 深 めていただければ 幸 いである 最 後 に 先 日 ネット 上 で 最 も 偉 大 なオートバイ 3 つは? という 話 題 を 見 かけた 日 本 で 市 販 車 で という 条 件 のもとで 私 がこの 問 いに 答 えるとするならば 本 論 文 でもとりあげた

スーパーカブ CB750Four は 外 せない これらはホンダが ひいては 日 本 メーカーが 世 界 へ 進 出 するきっかけとなった 象 徴 的 な 2 台 である それではもう 一 台 は 何 だろうか GSX1300R ハヤブサ RG250Γ GSX1100S カタナ CB400Four Z1 GPZ900R ニンジャ Zephyr SR400 等 々 候 補 はたくさんあるもののなかなか 選 べない もとより 答 えのない 問 いではあるが あな たの 考 える 3 台 はどれだろうか 是 非 ともあなたの 考 えを 教 えていただきたい 参 考 文 献 日 本 自 動 車 工 業 会 モーターサイクルの 日 本 史 (1995) 宮 部 公 明 編 日 本 モーターサイクル 史 (1997) 富 塚 清 日 本 のオートバイの 歴 史 (2001) 出 水 力 オートバイ 乗 用 車 産 業 経 営 史 (2002) 出 水 力 二 輪 車 産 業 グローバル 化 の 軌 跡 (2011) 佐 藤 百 合 大 原 盛 樹 編 アジアの 二 輪 車 産 業 (2006) 日 本 自 動 車 工 業 会 自 動 車 統 計 年 表 各 年 版 本 田 技 研 工 業 世 界 二 輪 車 概 況 各 年 度 版 片 山 三 男 日 本 二 輪 車 産 業 の 現 況 と 歴 史 的 概 況 (2003) 水 川 侑 二 輪 自 動 車 産 業 における 寡 占 体 制 (1)~(8)( 2006~2012) 環 境 庁 二 輪 車 産 業 等 の 概 況 http://www.env.go.jp/council/former2013/08noise/y081-10/ref01.pdf(2014 年 10 月 取 得 )