血流と脳動脈瘤形成 Hemodynamic stress triggers intracranial aneurysm formation 青木友浩 Tomohiro Aoki Key words 脳動脈瘤, 壁面せん断応力, 慢性炎症,NF-κ B, 内皮細胞 要約脳動脈瘤は, 頻度が高くかつ重篤なくも膜下出血の主要な原因疾患であることから社会的に重要な疾患である しかし現在, 脳動脈瘤発生機序の詳細が不明であるため有効な薬物治療が存在しないことが問題となっている 脳動脈瘤の発生には脳血管分岐部に負荷される高い血流ストレス ( 壁面せん断応力 ) が深く関与することが, ヒト脳動脈瘤症例および脳動脈瘤モデル動物を使用した流体力学的解析から示唆されている 一方, モデル動物を使用した分子生物学的検討から, 転写因子 NF-κ Bを中心とする血管壁の慢性炎症反応が脳動脈瘤形成の分子機序として重要であることが示されている NF-κ B は, 血流ストレスに呼応し血管内皮細胞で活性化される転写因子であることはよく知られており, この事実から脳血管分岐部に負荷される血流ストレスが転写因子 NF-κ B の活性化を介して慢性炎症を惹起し脳動脈瘤発生に寄与していることが推定される はじめに脳動脈瘤は, 形態学上は脳血管分岐部が嚢状に膨隆した病変であり, 組織学的には血管壁の内弾性板の消失と中膜の変性を特徴とする疾患である 脳動脈瘤は一般的な認知度は高くないが, 実際は一般人口の数 % に認められる高頻度の疾患である また, 破裂により致死的な疾患であるくも膜下出血を来し, その主要な原因となっている くも膜下出血は,50 % におよぶ死亡率の高さ, 社会復帰率の低さそして生産年齢層では脳卒中死亡の半数を占めるなど社会的な損失が大変大きい疾患である 1) しかしながら, 脳動脈瘤の形成 機序の詳細はいまだ明らかでなく, 結果として脳動脈瘤治療法は従来の外科的治療に頼らざるを得ないのが現状である そのため, 脳動脈瘤形成機序の解明が社会的にも急務である 脳動脈瘤の発生には脳血管分岐部にかかる血流ストレスが重要であることが, コンピューターシュミレーションやモデル動物を使用した流体力学的検討から提唱されている 2-6) 一方, 主にモデル動物を使用した分子生物学的検討から, 脳動脈瘤形成には脳血管壁に生じる慢性炎症反応が深く寄与することが明らかとなってきた 7,8) その中でも特に, 炎症反応を司る中心的な因子として転写因子 NF-κ Bの役割が注目されている 7) NF-κ B は, 血管内皮細胞において血流ストレスにより活性化される代表的な因子であること 9,10) から, 血流ストレスと脳動脈瘤発生を関連付ける因子として機能していることが推定される 本稿では, 脳動脈瘤発生機序について主に血流ストレスと脳血管壁での慢性炎症反応の関連に注目して近年の研究成果を概説する 1. 脳動脈瘤発生と血管壁の慢性炎症反応の関係 脳動脈瘤発生機序の解明は, 従来はヒト脳動脈瘤標本を使用して行われてきたが, 近年の分子生物学的手法の発展からモデル動物を使用した分子生物学的研究が精力的に行われ目覚ましく進展した 8) 本稿では, 血流ストレスに関与する機序を中心に概説するため, その他新規治療薬開発の展望などの詳細は他稿に譲る 8) ヒトの脳動脈瘤標本を用いた病理学的検討から脳動 京都大学大学院医学研究科神経細胞薬理学講座 Department of Pharmacology, Kyoto University Graduate School of Medicine 606-8501 京都府京都市左京区吉田近衛町 TEL:075-753-4399 FAX:075-753-4693 4(326) 細胞 43(9),2011
特集 図1 血流と血管内皮 血流ストレス負荷による脳動脈瘤モデル作成 A 片側総頸動脈 CCA 閉塞により対側内頚動脈 ICA の血流が代償的に増加し 前大脳動脈 ACA 嗅動脈 OA 分岐部に脳動脈瘤が誘発される B-C ACA-OA 分岐部 矢印 に嚢状の動脈瘤 矢頭 が誘発されている B 正常 の ACA-OA 分岐部 C と比較すると形態変化が明らかである D 拡大すると 内弾 性板の断裂 矢印 と血管壁のひ薄化が明らかである Elastica van Gieson 染色 脈瘤壁内における炎症細胞浸潤の存在や炎症関連因子 していた これらの結果から脳動脈瘤発生には脳血管 の発現が明らかとなり 脳動脈瘤形成機序に血管壁の 内皮細胞における NF-κ B の活性化とそれに転写レベ 炎症反応が含まれることが推測されてきた モデル ルで制御された炎症関連遺伝子群の発現亢進が重要で 動物を使用した検討から 脳動脈瘤壁に浸潤する炎症 あることが示唆された 8 細胞の主要なものはマクロファージであり その数は 脳動脈瘤の形成とともに増加しており脳動脈瘤形成へ の慢性炎症反応の寄与が示唆された 8 その後主にモ 2 脳動脈瘤発生と血流ストレスの関係 デル動物を使用した検討から 脳動脈瘤壁では 蛋白 脳動脈瘤の発生には多彩な要素例えば 環境因子と 分解酵素の発現亢進 活性酸素産生 炎症性サイトカ しての喫煙や個々の遺伝背景 高血圧 性別 年齢な イン分泌やアポトーシス誘導といった多様な炎症関連 どが複雑に関与している 1 その中でも 脳動脈瘤が脳 反応が生じており脳動脈瘤形成に関与していることが 血管分岐部に生じること 高血圧やウィリス動脈輪の 明らかとなった これら脳動脈瘤壁で生じる炎症反 左右差など血管壁への血流ストレスを亢進させ得る因 応を仲介する因子のうち我々は 炎症に深く関連する 子が脳動脈瘤発生増大の危険因子となっていること1 ことで知られる転写因子である NF-κ B が中心的なも から血流ストレスが脳動脈瘤発生に関与していること 8 のであることを提唱してきた NF-κ B は 脳動脈 7 8 が推測されてきた 臨床症例の流体力学的解析では 瘤壁でその形成初期では主に内皮細胞において 後期 脳動脈瘤好発部位において血流ストレスが高いことが にはマクロファージなどの炎症細胞を含めた血管壁全 示されており この結果からも高い血流ストレスが脳 体で活性化していた 7 また NF-κ B を欠損させる 動脈瘤発生に関与していることが示唆されている 2 ことや薬剤により抑制することによりモデル動物にお モデル動物においては 脳動脈瘤発生と血流ストレス いて脳動脈瘤の誘発を著明に抑制することが可能であ の関係がより明確に示されている モデル動物におい った 7 8 NF-κ B が抑制された脳動脈瘤壁では サイ て脳動脈瘤は 片側ないしは両側頚動脈閉塞や高血圧 トカインである IL-1 β マクロファージの走化因子 誘導により血流ストレスが上昇していると推定される である monocyte chemoattractant protein MCP -1 蛋 閉塞側とは反対側や後方循環の脳血管分岐部に高率に 白分解酵素である matrix metalloproteinase MMP -9 な 誘発される 図 1 3 また 高血圧誘導の程度により ど炎症関連遺伝子群の発現が転写レベルで有意に減少 脳動脈瘤発生の程度が異なる 我々が モデル動物の 細 胞 43 9 2011 (327)5
眼血流と糖尿病網膜症 Ocular blood flow in Diabetic retinopathy 長岡泰司 Taiji Nagaoka Key words Retinal blood flow,laser Doppler, endothelium,nitric oxide, diabetic retinopathy 要約糖尿病網膜症は我が国の成人失明の主因であり, その早期診断法の確立と治療法の開発は急務である 糖尿病網膜症の本態は微小血管障害であり, 我々は眼微小循環に着目して糖尿病網膜症の基礎および臨床研究を行ってきた まず, 我が国の糖尿病患者の大部分を占める 2 型糖尿病では, 通常の眼科検査では異常を認めない病期からすでに網膜血流は低下しており, 早期から網膜循環障害が引き起こされていることを明らかにした さらに, 基礎研究の結果からも, 高血糖 糖尿病状態では, 網膜血流量の低下のみならず血管内皮機能の障害も引き起こされることがわかってきた そこで, 網膜循環改善 血管内皮保護作用を有する薬物による早期介入により, 糖尿病網膜症の発症 進展を抑制することにより, 新しい糖尿病網膜症治療法の開発が期待される はじめに我が国の糖尿病人口は増加の一途をたどり, 今後もさらに増える事が予想されている 糖尿病慢性合併症の一つである糖尿病網膜症は我が国における成人の失明原因の主因であり, 社会経済的損失も計り知れず, その予防法と治療法の確立, とくに網膜症発症早期から鋭敏に異常を検出する検査法の確立および新しい網膜硝子体疾患治療法の開発は急務である しかしながら, 網膜光凝固術や硝子体手術, 眼局所薬物治療など糖尿病網膜症に対する外科的治療法の目覚ましい進歩にもかかわらず, 未だ年間 3000 人もの糖尿病網膜症患者が失明に至るという事実は, 眼局所での外科的治療法のみでは限界があるこ とを示しており, 薬物などによる新しい糖尿病網膜症治療の開発が期待される 本稿では, これまでの糖尿病網膜症における眼循環研究を紹介し, 網膜血管内皮を標的とした新しい糖尿病網膜症治療の可能性について述べたい 1. 眼循環評価法解剖学的に網膜は内境界膜から網膜色素上皮細胞層まで 10 層で構成され, 内層を網膜循環, 外層を脈絡膜循環に支配されている また, 視力に重大な影響を及ぼす黄斑部 ( 中心窩 ) には網膜血管がなく脈絡膜循環に支配されており, 黄斑機能には脈絡膜循環も大きな影響を及ぼす 本稿では, 眼循環を網膜循環と脈絡膜循環に分け, その評価法と糖尿病網膜症に及ぼす影響について概説する 1) 網膜血流量測定造影剤を使わない非侵襲的な眼循環測定法として, これまでいくつかの測定機器 原理が開発されてきた その中で, 世界で初めて開発されたのがレーザードップラー速度計 (Laser Doppler Velocimeter: LDV) である 直径 100-200μ mの網膜血管 ( 第一分岐第二分岐 ) にレーザー光を照射すると, 血管内を移動する赤血球のスピードに応じてドップラーシフトが増加する この変化を 2 方向から捉えることで, 血流速度の絶対値測定が可能となった いくつかの改良を重ねて作られた LDV 装置 ( 写真 ) は, 血流測定と同時に取り込んだ血管像のプロファイル 旭川医科大学眼科学講座 Asahikawa Medical University Department of Opthalmology 078-8510 北海道旭川市緑が丘東 2 条 1-1-1 TEL:0166-68-2543 8(330) 細胞 43(9),2011
写真レーザードップラー速度計から血管径を同時に測定でき, 血流速度 ( 単位 : mm/sec) と血管径 ( 単位 :μ m) の値から, 循環動態を評価する上で最も重要な網膜血流量の 絶対値 ( 単位 :μ l/min) を測定できる 1) この測定機器は, 眼底カメラをベースに作られているため, 眼科医療従事者にとって非常に扱いやすい 散瞳下にて網膜血管を直接観察し, 測定したい部位の網膜血管を自由に選ぶことができる 一回の測定は約 30 秒であり, 一部位につき数回測定し, その平均値を測定値としている 左右両眼の動脈 静脈を測定しても 10 分程度で検査は終了する わずかな眼球の動きに対してもその動きを追従して同一部位を測定し続けること ( オートトラッキング ), さらに測定部位を自動的に記憶できるため, 信頼性 再現性の高い経時的に測定することが可能である 2) 脈絡膜血流量測定レーザードップラー血流計 ( Laser Doppler Flowmetry:LDF) は,LDV とは異なり脈絡膜や視神経乳頭の毛細血管の血流量を測定する方法である 測定したい部位にレーザー光を照射すると, 組織中を移動する赤血球に当たり, それがランダムに反射するが, それを受光して周波数偏位を得て, そこから組織中の血流速度, 赤血球数, 組織血流量を求めることができる 中心窩には網膜血管がないため, 視力に重大な影響を与える中心窩の脈絡膜毛細血管の血流量を得ることができる 2) 2. 糖尿病網膜症と眼循環 1) 糖尿病網膜症の病期と眼循環糖尿病網膜症は, 網膜毛細血管瘤 網膜出血などの単純網膜症, 軟性白斑や硬性白斑, 網膜内血管異 常など虚血性変化を伴う前増殖期を経て, 新生血管や増殖膜を伴う硝子体出血, 牽引性網膜剥離などの増殖期に至り, 重篤な視力障害を来す また, 血管透過性亢進による黄斑浮腫が生じれば, 前増殖期網膜症でも視力障害を来すこともある 糖尿病網膜症の病期と眼循環との関連については, これまでに主に1 型糖尿病患者での報告がなされている しかし,LDV を用いて網膜循環動態を評価しているにもかかわらず, 網膜症早期には網膜血 3) 流が増加するという報告と, 逆に低下するという 4) 報告があり, 報告は一致していない しかも, 我が国の糖尿病患者の大部分は生活習慣病を背景とした 2 型糖尿病であり, 高血圧や高脂血症などのリスクファクターを合併しており, 若年で全身疾患の合併のない1 型網膜症の結果をそのまま当てはめるわけにはいかない そこで我々は,2 型糖尿病患者を対象とした網膜循環動態の解析を行い, 網膜症のない病期ですでに網膜血流は低下し, 単純網膜症でも血流は低下したままであることを明らかにした ( 図 1) 5) これらの結果から, 糖尿病患者では, 通常の眼科検査では異常を検出できない極早期から網膜循環が障害されていることが明らかとなった 2) 網膜循環障害における血管内皮さらに,LDV では血管径と血流速度を同時に測定できることから, 血管内皮細胞の接線方向に持続的にかかる物理的応力であるずり応力の指標であるずり速度を求めることができる 6) 我々の検討では,2 型糖尿病患者では網膜症のない病期ですでにこのずり速度が低下しており, 糖尿病状態では網膜血管のシェアストレスがすでに低下している可能性が考えられる 網膜血管内皮はシェアストレスを一定に保つよう血管を収縮 拡張させる (= 血流依存性調節 ) ことが知られており, シェアストレスが低下していることは糖尿病状態では極早期から網膜血管内皮機能が障害され, それがのちの網膜血流低下を引き起こしている可能性が考えられる STZ 誘発糖尿病ラットを用いた研究では, 網膜血流の低下と同時にアセチルコリンによる血流増加も抑制されており 7), 血流低下に血管内皮機能障害が関与する可能性が示唆されている 我々は動物実験においても, 高血糖負荷が部分的に酸化ストレス亢進を介して網膜血管内皮機能障害を引き起こすことを明らかにしており, 以上の結果から, 持続する高血糖負荷により酸 細胞 43(9),2011 (331)9
流れ刺激による 3 次元毛細血管ネットワーク形成 Three dimensional formation of capillary network due to the shear stress stimulus 須藤亮 谷下一夫 Ryo Sudo Kazuo Tanishita Key words 血管形成, せん断応力, 毛細血管, 血管内皮細胞, マイクロ流体システム 要約毛細血管は組織に酸素や栄養を供給する重要な役割を果たしており, その形成プロセスを理解し, コントロールすることは再生医療や創傷治癒, がん治療など, 様々な分野において重要な課題である 毛細血管を形成する血管内皮細胞は生体内において様々な生化学的および力学的環境に曝されている 血管の内腔を覆う血管内皮細胞には常に血流に起因する力学的因子が作用しており, この流れ刺激が毛細血管ネットワーク形成において重要な役割を果たすことが知られている 流れ刺激と毛細血管ネットワーク形成は生体外 3 次元血管新生モデルを用いて研究されてきた 特に, 血管内壁に平行な流れに起因するせん断応力や血管壁を透過する間質流が血管形成を促進させることが分かってきた 最近の研究では微細加工技術を応用した新しい細胞培養デバイス ( マイクロ流体システム ) が開発され, 血管形成プロセスにおける微小環境因子をより精密に制御することが可能になってきた はじめに毛細血管ネットワークの形成を自在にコントロールすることは 3 次元組織の再生において必要不可欠な技術であり, 近年様々な臓器の再生を目指すティッシュエンジニアリングの分野において注目を集めている たとえば, 肝臓, 心臓, 膵臓などの複雑な 3 次元構造を有する臓器には, 機能を担う実質組織に加えて, 組織に酸素と栄養を供給する毛細血管ネットワークが張り巡らされており, これらの臓器を再生するためには毛細血管ネットワークを再生させ ることが必須となる すなわち, 生体外で再構築した組織をより生体内に近い生理的な状態で培養するために, 毛細血管を含む形で組織を培養し, 血の通った臓器を再生させることが望まれている 1) 血管形成をコントロールする因子には生化学的因子と力学的因子があるが, ここでは力学的因子の中でも特に流れ刺激に着目し, 生体外において血管ネットワークを再構築する手法について紹介する 1. 血管形成の三次元培養モデル血管新生は様々なプロセスを経て既存の血管から新しい血管が形成される現象であり, 血管を構成している血管内皮細胞が増殖, 遊走を繰り返しながら新しい血管を構築する 生体外で血管新生を再現する実験モデルとしてコラーゲンゲルやフィブリンゲルを用いて血管内皮細胞を培養する三次元血管新生モデルが用いられてきた ( 図 1) 培養ディッシュにコラーゲンゲルを作成し, ゲル上で血管内皮細胞を培養すると, 細胞は増殖しコラーゲンゲルの表面を一層に覆うコンフルエントの状態となる この時, 位相差顕微鏡で観察すると敷石状の形態を有する血管内皮細胞がコラーゲンゲル表面を覆っていることが分かる (step 1 コンフルエント, 図 1) さらに, 培養液に血管新生因子である血管内皮増殖因子 (vascular endothelial growth factor; VEGF) や線維芽細胞増殖因子 (basic fibroblast growth factor; bfgf) などを添加すると活性化した血管内皮細胞が新しい血管を作り始める すなわち, コンフルエント層を形成 慶應義塾大学理工学部システムデザイン工学科 Dept. of System Design Engineering, Keio University 223-8522 神奈川県横浜市港北区日吉 3-14-1 TEL: 045-566-1733 12(334) 細胞 43(9),2011