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- けいざぶろう はまもり
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1 平成 27 年度 第 3 回考古学講座 日時 平成 27 年 7 26 ( )13:00 16:30 ( 開場 12:30 ) 口頭発表 13:05 13:40 原東遺跡第 3 次調査 ( 相模原市緑区 ) 青木雄大 ( 大成エンジニアリング株式会社 ) 13:40 14:00 王禅寺口横穴墓群第 2 次調査 ( 川崎市麻生区 ) 横山太郎 ( 有限会社吾妻考古学研究所 ) 14:00 14:35 諏訪前 A 遺跡第 12 地点 ( 平塚市 ) 北平朗久 ( 株式会社玉川文化財研究所 ) :35 14:45 休憩 (10 分 ) 14:45 15:05 西富岡 長竹遺跡第 2 次調査 ( 伊勢原市 ) 麻生順司 ( 株式会社玉川文化財研究所 ) 15:05 15:40 上粕屋 和田内遺跡第 2 次調査 ( 伊勢原市 ) 土任隆 ( 国際文化財株式会社 ) 15:40 16:15 北仲通一丁目遺跡 ( 横浜市中区 ) 紙上発表 太田雅晃 ( 株式会社玉川文化財研究所 ) 船久保遺跡第 2 次調査 ( 横須賀市 ) 石川真紀 ( 株式会社玉川文化財研究所 ) 神成松遺跡第 6 地点 ( 伊勢原市 ) 土本医 ( 大成エンジニアリング株式会社 ) 浄業寺跡第 2 次調査 三ノ宮 上竹ノ内遺跡 ( 伊勢原市 ) 高橋直樹 早田利宏 ( 大成エンジニアリング株式会社 ) 会場 : かながわ県民センター 2 階ホール主催 : 神奈川県教育委員会教育局生涯学習部文化遺産課中村町駐在事務所 ( 神奈川県埋蔵文化財センター )
2 縄文時代中期の立石を持つ竪穴住居址の発見 はらひがし原東遺跡 ( 第 3 次調査 ) 所在地相模原市緑区小倉字原 270 番地 1 調査期間平成 26 年 9 月 30 日 ~27 年 3 月 2 日調査面積 1,625 m2調査組織大成エンジニアリング株式会社担当者青木雄大 市川康弘調査概要本遺跡はJR 線 京王相模原線橋本駅の西方約 5.0 kmに位置し 地形的には標高 117~118mを測る相模川左岸の段丘平坦面に立地しています 発掘調査の結果 近世 縄文時代 ( 早期 中期 ) 旧石器時代の遺構と遺物が出土しました 縄文時代主な遺構として竪穴住居址 9 軒 竪穴状遺構 2 基 屋外埋設土器 2 基 焼土址 2 基 土坑 38 基 第 1 図遺跡位置図 (1/50,000) 陥し穴 18 基 炉穴 6 基などが発見されました ( 第 2 図 ) 竪穴住居址は中期勝坂式期と曽利式期のもので 平面形は円形ないし楕円形を呈します 竪穴住居址は複数が重複しているものや 数回の建替えが考えられるものが見られます また 竪穴住居址の中には入口部に祭祀的なものと思われる立石 ( 写真 1) や 土器を地下に埋設する埋甕 ( 写真 2) を有するものもあります 炉は石囲炉が主に見られ 竪穴住居址の中央やや北寄りに配置されており 形態は長方形や楕円形を意識した作りをしています 土坑は大量の礫を伴うものが発見されました 礫は下層から底面にかけてまとまった状態で検出されており 人頭大程の角礫や岩盤礫が出土しています 陥し穴は西から東へ下る傾斜に直交して配置されていますが 規則性は見られません 早期の炉穴は平面形が不整形や長楕円形のものが見られ 調査区中央に分布が集中しています 遺物は縄文時代中期の土器と打製石斧などの石器が主体ですが 早期の土器 ( 条痕文 ) や草創期の尖頭器も出土しました 縄文土器の特徴として曽利式が多く出土しており また他地域の土器も出土しています まとめ本遺跡はこれまで 2 回の発掘調査が行われており その調査成果から径 50~60m 規模の環状を呈する縄文時代中期の集落跡と考えられています 今回の調査地点は集落範囲の西側に位置し 縄文時代中期の竪穴住居址が南西から北東にかけて展開することが新たに明らかになりました 今後はこれまでの調査成果を考慮しながら集落の様相を考える必要があり また 相模川を挟んで対岸に位置する川尻遺跡や川尻中村遺跡など周辺の縄文時代中期の集落跡との関連も検討すべき課題であると言えます ( 青木雄大 ) 1
3 第 2 図原東遺跡調査区全体図 写真 1 J1 号竪穴住居址立石 ( 北西から ) 写真 2 J5 号竪穴住居址埋甕 ( 西から ) 2
4 おうぜんじ 王禅寺 早野川流域における横穴墓の調査 くち口 横穴墓群第 2 次調査 所在地川崎市麻生区王禅寺東 5 丁目地内調査期間平成 26 年 5 月 12 日 ~5 月 28 日調査面積 14.3 m2調査組織有限会社吾妻考古学研究所担当者横山太郎 有馬多恵子調査概要本遺跡の所在する地点は多摩丘陵の中調査地点央部 川崎市の北西側に当たり 小田急電鉄小田原線柿生駅の南東 1.9km 同新百合ヶ丘駅の南方 2.7km に位置しています 王禅寺という地名は 本遺跡の北東約 850m に現存する王禅寺 ( 星宿山蓮華蔵院 ) の寺領であったことに由来するもので第 1 図遺跡位置図 (1/50,000) す 今回の調査地点から南西約 800m の位置に谷本川が流れており 周辺の台地は谷本川の支流である麻生川 真福寺川 早野川によって複雑な起伏が形成されています この鶴見川とその支流により開析された小支谷の崖面には 多くの横穴墓群が存在しており 早野川右岸の崖面に展開する本横穴墓群もそれらのうちの一つです 昭和 56 年に行われた分布調査では2 区 10 基からなる横穴墓群として報告されており そのうちの2 区とされた北側の支群の北端の2 穴が平成 24 年度に調査されています ( 第 1 次調査 ) 今回行われた第 2 次調査では 同じ 2 区の最も南側に位置する 5 号横穴墓が対象となりました 5 号横穴墓は床面の標高が 40.7~41.2mで 第 1 次調査の1 号横穴墓よりも約 2.3m 高く 東側の崖裾部との比高は約 8m あります 調査着手時には玄門の上部 1/3 程度が南東向きに開口していました 流入土を除去した結果 玄室の平面形は逆台形で 羨道との境は前壁が退化して屈曲のみ残した形状であることがわかりました 玄室の規模は奥壁の幅が 2.51m 主軸方向に 2.55m を測り 床面積は 5.84 m2となります 玄室の横断面形はアーチ形で 天井は奥壁で高さ 2.07m 玄門で高さ 1.57 mを測り 開口部に向かって直線的に下降していました 横穴全体の主軸の全長は 4.74m で 主軸方位はN-55 -Wを指します 流入土の最下層には近代以降の釘や磁器片などが含まれており 遺構の形状に部分的に後世の改変が見られました このような状況のため 副葬品など横穴墓の構築時に関わる遺物は出土しませんでした まとめ王禅寺口横穴墓群 5 号横穴墓は 関連する遺物が残されていなかったため詳細な時期を明らかにすることはできませんでしたが 形状などから概ね古墳時代後期 7 世紀代の所産と考えられます 覆土中に径 10cm 程度の川原石が少量含まれており 第 1 次調査の1 号横穴墓では礫床が確認されていることから 本横穴墓にもかつては礫床が施されていたのではないかと推測しています 本横穴墓と 1 号横穴墓は玄室の形状や規模も似通っており 周辺地域に一般的に見られる横穴墓の系譜に位置づけて差し支えないものと考えられます ( 横山太郎 ) 3
5 第 2 図 5 号横穴墓 4
6 相模国府推定域における新知見 すわまえ諏訪前 A 遺跡第 12 地点 所在地平塚市東真土二丁目地内 調査期間平成 26 年 4 月 15 日 ~12 月 15 日 調査面積 1,218.7 m2 調査組織株式会社玉川文化財研究所 担当者北平朗久 伊藤貴宏 調査概要本調査は 都市計画道路 号湘南 新道街路整備事業に伴う埋蔵文化財発掘調査として実 施され 3 面にわたって遺構が検出されました 1 面 からは近世以降 2 面からは中世 3 面からは古墳時 代後期 ~ 奈良 平安時代の遺構が検出されました うね近世以降道状遺構 1 条 溝状遺構 5 条 畝状遺構 38 条 土坑 21 基 ピット 17 基が検出されました 道状 遺構および溝状遺構は すべて東西方向に延びます 畝状遺構は 南北方向に延びる 30 条と東西方 向に延びる 8 条に分けられます 土坑は 主に調査区北側で溝状遺構と重複して検出されています 各遺構の覆土には 宝永火山灰が含まれるものが多くあります 中世畝状遺構 25 条 土坑 11 基 ピット 25 基が検出されました 畝状遺構は 東西方向に延びる 23 条と南北方向に延びる 2 条に分けられます 土坑は調査区北東側を中心に検出されています 遺 構外からは龍泉窯系の青磁碗 (12 世紀中葉 ~13 世紀前半 ) の小片が出土しました 古墳時代後期 ~ 奈良 平安時代竪穴住居址 45 軒 掘立柱建物址 3 棟 竪穴状遺構 2 基 道状遺構 1 条 溝状遺構 13 条 井戸址 2 基 土坑 62 基 ピット 172 基が検出されました 竪穴住居址は 調 査区中央の北西寄りおよび東側に重複しながら密集しています 7 世紀代から 10 世紀代まで存続し たと推定され 7 世紀後半および 8 世紀中頃の住居が多く検出されました 掘立柱建物址はいずれもけたゆきはりゆき側柱式で 規模は桁行 3 間 梁行 2 間 桁行 3 間 梁行 3 間 桁行 4 間 梁行 3 間です 道状遺構は 北西から南東方向に延び 波板状圧痕が確認されました 溝状遺構は 南北方向が 4 条 東西方 向が 3 条 北西 - 南東方向が 3 条 北東 - 南西方向が 3 条に分けられます 土坑の平面形は楕円形や 略円形のものが多く 規模は長軸で 1~2m が中心です まとめ諏訪前 A 遺跡第 12 地点からは 主に古墳時代後期から奈良 平安時代の遺構 遺物が検出 されましたが そのなかでも古墳時代後期 (7 世紀代 ) の竪穴住居址が多く検出されました 今回のかんが調査地点は 相模国府推定域に含まれますが 官衙的遺構や遺物も極めて少ないことが指摘できます 当該地を含め 周辺には官衙関連の遺跡が数多く存在しており それらを検討するうえで資料の追加 は大きな成果と考えられます ( 北平朗久 伊藤貴宏 ) 第 1 図遺跡位置図 (1/50,000) 5
7 第 2 図調査区全体図 (1/400) 6
8 にしとみおか西富岡 江戸時代から続く道を発見 ながたけ 長竹遺跡第 2 次調査 所在地伊勢原市西富岡地内 調査期間平成 26 年 8 月 25 日 ~ 継続中 調査面積 2,507 m2 調査組織株式会社玉川文化財研究所 担当者麻生順司 御代七重 調査概要本遺跡は小田急小田原線伊勢原駅の北西約 3 kmに位置します 地勢的には丹沢山塊の東端に位置 する大山の東麓にあたり 上粕屋扇状地を東西に縦断 する渋田川支流の左岸に立地します 今回の調査は伊 勢原市西富岡地内で新たに計画された県道 603 号 ( 上 粕屋厚木 ) と旧県道 603 号との交差点部分の道路改良 工事に伴って行われました 中 近世竪穴状遺構 2 基 掘立柱建物址 1 棟 土坑 30 基 道状遺構 3 条 溝状遺構 12 条 ピット 多数が発見されました 2 号竪穴状遺構は鍛冶遺構と考えられる遺構で 1 号掘立柱建物址は 2 間 ひさし 4 間の南側柱列に廂を持つ高床式の遺構と考えられるものです 道状遺構では北西 - 南東方向に延びる2 号道状遺構が現状では最も大きく この遺構の南東部で4 号道状遺構と 5 号道状遺構が分岐な いし合流して交差点となっているようです 最下層に宝永火山灰が厚く (30 cm前後 ) 堆積し その 直上にはローム土や黒色土などによる硬化面が 20 枚以上検出されていることから 近代まで途切れ ることなく改修が行われて使用されていたことが推定されます また 溝状遺構も 2 号道状遺構に直 行するものが多く認められ さらに断面形が V 字あるいは逆台形状を呈して覆土上層に硬化面を持つ ものが多い事から これらの溝状遺構も 2 号道状遺構に関連する遺構と考えられます 平安時代発見された遺構は調査区の北東側に位置する竪穴住居址 1 軒です 平面形は方形を呈し竪 穴の北隅にカマドを持つタイプです 周溝はカマドを除いて全周し 柱穴は住居の中央部に 1 本検出 されました また 床面には小規模な地床炉も 2 ヵ所確認されています 遺物はカマドを中心に土師 器甕 坏 須恵器坏 灰釉陶器片等が出土しました これらの遺物から時期的には 9 世紀後半 ~10 世紀初頭に属する住居と考えられます 第 1 図遺跡位置図 (1/50,000) 縄文時代縄文時代の遺構は 陥し穴状土坑 15 基と土坑 2 基です 陥し穴状土坑の深さは 50 cmから 140 cmを超えるものまで認められ 底面には 1~4 本の小ピットが認められました 土坑は円形と楕 円形を呈するものが認められ 深さは 30 cm前後を測ります 遺構の時期は遺物が認められないこと から不明ですが 陥し穴状土坑はその特徴から縄文時代中期以前に属するものと考えられます まとめ今回の調査では中 近世を中心に平安時代と縄文時代に属する遺構や遺物が検出されました 現在は旧石器時代の調査を行っているところであり 今後の成果が注目されます ( 麻生順司 ) 7
9 第 2 図中 近世 ~ 平安時代遺構配置図 第 3 図縄文時代遺構配置図 8
10 かみかすやわだうち 和田内 上粕屋 中世の社寺関連遺構を発見 遺跡第 2 次調査 所在地伊勢原市上粕屋 他調査期間平成 26 年 2 月 3 日 ~27 年 3 月 31 日調査面積 2,998 m2調査組織国際文化財株式会社担当者脇本博康 土任隆調査概要本調査は 神奈川県広域幹線道路事務所 ( 現平塚土木事務所 ) による県道 603 号 ( 上粕屋厚木 ) の道路改良工事に伴う事前調査です 調査地点は小田急小田原線の伊勢原駅から北西へ約 3.1km に位置し 地形的には 丹沢山地東端の大山の南東側 河岸段丘上 標高 50~55mに立地しています 第 1 図遺跡位置図 (1/50,000) 江戸時代の天保 12 年 (1841) に成立した 新編相模国風土記稿 によれば 本遺跡周辺には熊野かすや神社や別当寺の極楽寺 ( 鎌倉幕府の有力御家人である糟屋氏一族の菩提寺 ) が所在していました 検出された遺構今回の調査では近世 中世 奈良 平安時代 弥生 ~ 古墳時代 縄文時代の遺構 遺物が検出されました ここでは 中世前半に該当すると思われる遺構のうち2 区から発見された石組み遺構について紹介します 石組み遺構中世 2 面で検出された遺構で 方形に河原石を並べた SX202 盛土の中央に石を並べた基壇状の SX203 SX202 に接し北西方向に走る石組みの溝 SD222 からなります SX202 は平面形が 2.09m 1.85m の方形を呈し 河原石の平らな面を上に向けて並べています 中央及び北東側は石が欠損しています SX203 は平面が 5.89m 3.22m の不整形で 中央に土を盛り上げて石を並べた基壇状を呈しています 後世の土坑やピット等により欠損していますが 本来は長方形を呈していたものと思われます 石が並んだ内側は 焼土と炭化物 河原石 浅黄色の粘土が堆積していました SD222 は SX202 の北西辺中央から北西方向に走る石組みの溝で 長さ 4.5m 上端幅 0.6m を計ります 扁平な河原石を両側面及び底面に並べています 北西端はこれらの 3 基の石組み遺構を L 字状に囲む溝状遺構 SD に接続しています 出土遺物 SX203 の表面で平瓦 2 点 軒平瓦 1 点の破片と焼土内から陶器の破片 2 点 ( 細片の為 時期 産地不明 ) 等が出土しました まとめこれら遺構の性格については検討中ですが 瓦の出土が見られ 中世初期には周辺に熊野神社や極楽寺が存在していたこと等から 中世前半頃の社寺に関連した遺構と推測されます ( 土任隆 ) 9
11 10 10
12 横浜日本人市街 における初の調査 きたなかどおり北仲通一丁目遺跡 所在地横浜市中区北仲通 1 丁目 1 番 1 調査期間平成 26 年 6 月 9 日 ~12 月 12 日 調査面積 m2 ( 拡張区 36.6 m2含む ) 調査組織株式会社玉川文化財研究所 担当者小林晴生 太田雅晃 調査概要本調査地点は 県庁新庁舎駐車場内に位さし置しており 地勢的には東京湾に接する砂嘴の上に立地しています 本調査地点を含む横浜関内地区は 安政 6 年 (1859) の開港後 運上所 ( 当時の税関 現在の県 庁本庁舎 ) 東側の日本大通を境に 南西側を外国人 居留地 ( 山下居留地 ) 北東側を日本人市街に分けられました 本調査地点は運上所に面した日本人 市街に位置しており 開港以来 明治を代表する横浜商人である渡邉福三郎とその子孫が代々店舗を 構えていた土地として知られています 今回の調査で 3 期にわたる遺構面の存在が明らかとなりま した 第 1 面 : 明治時代前期 ~ 大正時代の遺構群で 切石基礎建物址や礎石建物址 便所遺構 瓦敷遺構 土坑などを検出しました 主な遺構は切石基礎建物址 ( 布掘りの中に土丹を充填し その上に切石を 複数段重ねて基礎とした建物 ) です 建物の上面には瓦礫や焼土が堆積しており 出土した遺物や当 該地の古写真も踏まえると 今回検出した建物群は大正 12 年 (1923) の関東大震災によって倒壊した 渡邉合名会社の蔵および倉庫等と推定されました その他 第 1 面では 西洋磁器 近代色絵京焼 あわびウシの骨 鮑などの貝類を含む多数の遺物が投棄されたゴミ穴 (21 号土坑 ) を検出しました 第 2 面 : 幕末 ~ 明治時代初頭の遺構群で 開港直後の建造物にあたります 慶応 2 年 (1866) の大火に よる焼土層の下から検出されました 主な遺構は掘立柱建物址 柵列 井戸 土坑などで 柵列によ って仕切られた空間に建物 井戸 ゴミ穴などが点在している状況が明らかとなりました 第 3 面 : 弥生時代後期末葉 ~ 古墳時代前期初頭の遺構群で 竪穴住居址 土坑などを検出しました てあぶり主な遺構は 稀少な手焙形土器が出土した 85 号土坑です 本調査地点を含む周辺一帯は 東京湾に接する砂嘴の上に立地しており 旧横浜村のあった微高地にあたります 海岸に面した旧地形上には 弥生時代の終わりから古墳時代の初めにかけての集落の一部が残されていることが分かりました まとめ今回の調査は 横浜日本人市街初の調査事例となります 明治期を代表する横浜商人の店舗 跡が確認されたことは大きな成果です また 開港直後に構築された遺構も残っていることが分かり ました その他 今回の調査地点では弥生時代後期末葉 ~ 古墳時代前期初頭の遺構が検出されていま す 当該地周辺でこの時代の遺構が検出されたのは初めてのことであり 砂嘴の微高地に集落の一部 が遺存していることが分かりました ( 太田雅晃 ) 第 1 図遺跡位置図 (1/50,000) 11
13 第2図 明治前期 大正期の遺構群 第 1 面 12
14 旧石器時代の遺物集中を発見 ふなくぼ船久保遺跡第 2 次調査 所在地横須賀市林 5 丁目 2473 他調査期間平成 26 年 8 月 28 日 ~ 継続中調査面積約 7,330 m2調査組織株式会社玉川文化財研究所担当者石川真紀 前川昭彦調査概要船久保遺跡は神奈川県の南東部に張り出す調査地点三浦半島のほぼ中央部の西海岸域にあり 横須賀市南西部の小田和湾を眼下に見渡す標高 30~40m の起伏に富んだ丘陵上に位置しています 今回の調査は神奈川県横須賀土木事務所による県道 26 号 ( 横須賀三崎 ) 三浦縦貫道路 Ⅱ 期工事に伴う事前調査として実施され第 1 図遺跡位置図 (1/50,000) ました 調査地点は平成 25 年度に実施された第 1 次調査の西側に隣接しています 近世以降段切り状遺構 3 箇所 溝状遺構 9 条 小溝群 2 箇所 土坑 66 基などが発見されました これらの遺構はすべて耕作に関連する遺構と考えられます 段切り状遺構は斜面地を開削して平場を造ったもので 溝状遺構は土地の境界を表していたものと考えられます 小溝群は畑の耕作による畝状の溝の一群と考えられ 段切りや溝で区画された平坦面に造られています これらの遺構から出土した遺物をみると 江戸時代以降と推測されます 縄文時代陥し穴状土坑 4 基 土坑 2 基 ピット 118 基が発見されました 陥し穴状土坑は 底部に複数のピットを持つものや 下部を狭く掘り 獲物の自由を奪う構造を持った Tピット などと呼ばれるものがあります また調査区西側の緩斜面では 土器片や石器類 大小の礫が密集する遺物集中区が検出されました 出土した土器群は 早期初頭の大浦山 Ⅱ 式土器をはじめ 早期後半の条痕文系土器 前期最終末の十三菩提式土器があります 旧石器時代ローム層中に含まれる遺構や遺物の確認を目的としたグリッド (4 2m) を 45 箇所で設け この内 9 箇所から重層的に石器や剝片が出土し さらに 2 箇所で土坑状の落ち込みが発見されました グリッドを拡張して遺物の広がりを調査したところ 相模野 B1~B2 相当層からは礫群 1 箇所と9 箇所の遺物集中区が確認され ナイフ形石器やスクレイパーなどが出土しています さらに下層からは3 箇所の遺物集中区が確認されたほか 単独の出土でしたが黒曜石製の台形石器が 1 点出土しています なお 土坑状のプランは 4 箇所で確認されています まとめ本遺跡の調査では 近世以降から旧石器時代まで遡る複合遺跡であることが明らかとなりました なかでも旧石器時代の土坑の検出例は少なく 県内では横須賀市打木原遺跡や高原北遺跡 一本松遺跡など数遺跡が知られるのみです 現在も旧石器時代の調査を継続して行っており 遺跡の内容については今後の調査で明らかになると思われます ( 石川真紀 ) 13
15 第 2 図船久保遺跡第 2 次調査遺構配置図 (1/1,500) 14
16 中世から近世の耕作跡を確認 かみなりまつ神成松遺跡第 6 地点 所在地伊勢原市上粕屋 調査期間平成 26 年 4 月 1 日 ~27 年 1 月 31 日調査面積 2,969 m2調査組織大成エンジニアリング株式会社担当者土本医 伊藤俊治調査概要神奈川県広域幹線道路事務所 ( 現平塚調査地点土木事務所 ) による県道 603 号 ( 上粕屋厚木 ) の道路改良工事に伴う 事前の発掘調査として平成 25 年 9 月 2 日から開始しました 神成松遺跡は小田急小田原線伊勢原駅から北西約 3 kmに位置します 調査地点は大山の南縁に広がる上粕屋扇状第 1 図遺跡位置図 (1/50,000) 地内で 標高約 70m の谷底に立地します 本年度は主に斜面を中心に調査し 近世から中世の遺構面を 4( 近世 1 中世 3) 面確認しました うね近世昨年度に引き続き畝状遺構 溝状遺構 道状遺構を確認したほか 斜面一帯で段切 盛土遺構を確認しました 段切遺構は南北の斜面に位置します 傾斜のついた階段状に地形を改変しており整地を目的としていたと考えられます 盛土遺構は南側の階段状となった斜面とその裾部分で確認しました 盛土は性質の異なる土を交互に幾層にも盛り重ねて突き固めていました また裾部の盛土遺構上には溝状遺構 道状遺構が構築されていることから斜面部分では崩落の保護 裾部分では地盤改良を目的としていたと思われます 遺物は陶磁器類のほか 煙管 銭貨 ( 寛永通宝 ) 動物の歯などが出土しました 中世近世と同じく畝状遺構 溝状遺構 道状遺構が主体で 段切 盛土遺構 井戸跡なども確認し ました 段切 盛土遺構は近世より整然と構築されており 段切遺構の最も古い段階では 階段状の 段差部分を等間隔に設置しており また本来凹凸のある斜面を直線的に成形している状況でした 盛 土遺構では土のほかに砂が用いられ 更に積み重ねている層も多く より堅固に構築していました 井戸跡は計 3 基検出し 2 基では内部から人頭大以上の大型礫や加工が施された樹枝 ( 先端を加工ま たは表面を整形 ) が重なるように出土しました とこなめ遺物は各面毎に傾向が捉えられました 中世 1 面では瀬戸 美濃産の陶器が多く 2 面では常滑産はくさいの甕が増え 3 面では常滑 渥美産の甕 鉢が主体となります また各面において 舶載青磁 かわらけ 渡来銭が出土しました まとめ昨年度は主に平坦地を調査し 耕作跡と考えられる畝状遺構の広がりを確認しました 本年 度は斜面部分を調査し 大規模な土木工事の痕跡を確認しました この結果から 本地点は畠地で 経営にあたっては運営し易いように地形を大きく改変していることが分かりました 畠地の開発 以 降の維持 運営の変遷を知ることのできる貴重な遺跡と考えられます ( 土本医 ) 15
17 第 2 図遺構配置図 16
18 じょうぎょうじあと 中近世における計画的な土地造成 浄業寺跡第 2 次調査 三ノ宮 さんのみやかみたけのうち 上竹ノ内 遺跡 所在地伊勢原市三ノ宮字竹ノ内地内調査期間平成 26 年 12 月 2 日 ~27 年 5 月 14 日調査面積 624 m2調査地点調査組織大成エンジニアリング株式会社担当者高橋直樹 石田広美調査概要 1. 遺跡の位置と調査経過本遺跡は 小田急小田原線伊勢原駅の北西約 3.2 kmの鈴川右岸の河岸段丘上に立地し 標高は 81.5~87.2 mです ( 第 1 図 ) 本調査は 県道 611 号 ( 大山板戸 ) の道路改良事業に伴う事前調査として実施したもので 調査区は 現況崖地の上段 (2 3 区 ) と下段第 1 図遺跡位置図 (1/50,000) (1 区 ) の3 区に分かれています ( 第 2 図 ) 2. 調査の概要今回の調査は浄業寺跡第 1 次調査の隣接地で 狭小な範囲にも関わらず中世から近世に至る遺構 遺物が検出されました 以下 その概略を述べます 近世検出された遺構は 建物址 2 棟 柱穴列 2 条 石組 ( 石垣 )2 基 配石 7 基 礫集中範囲 1 群 溝址 5 条 井戸址 7 基 道状遺構 2 条 土坑 9 基 ピット 270 本です 遺物は 1 区の盛土層を中心に江戸時代中頃 (18C 代 ) の陶磁器類が多く出土し 他に鉄製品 銅銭 石製品 木製品が出土しました 調査区の上 下段に分布する盛土と各遺構の確認面及び出土遺物等を考慮すれば 本遺跡の時期は 1 中世末期から江戸時代初頭 (16C 代 ~17C 代前半 ) 2 江戸時代中頃 (18C 代 ) 3 幕末以降 (19C 後半以降 ) の大略 3 期に区分できると考えられます 中世第 1 次調査の課題であった中世浄業寺跡に直接関連付けうる遺構は確認されませんでした しかし 遺物では 2 区の盛土層の下から 鎌倉 ~ 戦国時代 (13~15C 代 ) の陶器 中国産陶磁器 瓦 かわらけ 青銅製飾り金具など 寺院 の存在を匂わせる遺物が出土し 第 1 次調査の成果を補足する資料が得られました また 炭化物集中範囲の下から見つかった焼土址からは灰と微細な骨片がだびあと検出され 荼毘跡 の可能性が示唆されます まとめ本遺跡の最も大きな特徴は 中世末期 ~ 江戸時代中頃の時期に 調査範囲の上段から下段わたり計画的に土地造成が行われていること そして 1 2 区の江戸時代の遺構群はこの造成面を基盤として形成されていることです また 検出された石垣などから土地造成を行った後は 南東側の低地を埋立て 用地を拡大した状況が看取されます 今後 遺跡の具体的な様相を明らかにすることが課題となります ( 高橋直樹 早田利宏 ) 17
19 C4 号焼土址 近世面全景 ( 南 ) K6 号石垣検出 ( 南 ) 第 2 図調査区全体図 K7 号石組検出 ( 南東 ) 1 区盛土層断面 ( 北 ) C4 号焼土址検出 ( 南 ) 18
20 今回発表の遺跡 神奈川県発掘調査成果発表会は 神奈川県が行う事業に伴って実施された発掘調査の最新の成果を一般の方々に公開し 埋蔵文化財への理解を深めていただくことを目的にしています 平成 27 年度第 3 回考古学講座神奈川県発掘調査成果発表会 2015 発行日平成 27(2015) 年 7 月 26 日編集 発行神奈川県教育委員会教育局生涯学習部文化遺産課中村町駐在事務所 ( 神奈川県埋蔵文化財センター ) 神奈川県横浜市南区中村町 TEL FAX
す 遺跡の標高は約 250 m前後で 標高 510 mを測る竜王山の南側にひろがります 千提寺クルス山遺跡では 舌状に 高速自動車国道近畿自動車道名古屋神戸線 新名神高速道路 建設事業に伴い 平成 24 年1月より公益財団法人大 張り出した丘陵の頂部を中心とした 阪府文化財センターが当地域で発掘調査
高 速 自 動 車 国 道 近 畿 自 動 車 道 名 古 屋 神 戸 線 建 設 事 業 に 伴 う 埋 蔵 文 化 財 発 掘 調 査 ( 茨 木 市 域 )その5 現 地 説 明 会 資 料 千 提 寺 西 遺 跡 の 調 査 平 成 25 年 3 月 23 日 公 益 財 団 法 人 大 阪 府 文 化 財 センター す 遺跡の標高は約 250 m前後で 標高 510 mを測る竜王山の南側にひろがります
I.平 成12年 遺跡発掘調査 につ い て 加茂市教育委員会社会教育課主事 伊 藤 秀 和 本年 の発掘調査 は下条陣ケ峰線道路建設工事 に伴 い 中沢遺跡が調査 され 加 茂市 では唯 一 の 弥生時代 の集落跡が確認 された 試掘 確認調査 は下条地区で行 われ 3遺 跡 4遺 跡周辺地 を 対象 に行 つた 1口 中沢遺跡 一弥生 平安 一 所 在 地 加 茂市大字下条字芝野地内 調 査 面
~ 4 月 ~ 7 月 8 月 ~ 11 月 4 月 ~ 7 月 4 月 ~ 8 月 7 月 ~ 9 月 9 月 ~ 12 月 7 月 ~ 12 月 4 月 ~ 12 月 4 月 ~ 12 月 4 月 ~ 12 月 4 月 ~ 6 月 4 月 ~ 6 月 4 月 ~ 8 月 4 月 ~ 6 月 6 月 ~ 9 月 9 月 ~ 12 月 9 月 ~ 12 月 9 月 ~ 11 月 4 月 ~
新潟県立歴史博物館研究紀要第4号
新潟県立歴史博物館研究紀要 写真1 第4号 2003年3月 塙東遺跡の土器1 6 層 は 3層 に隣接して ローム の直上に堆積する 石組の南側で 5ピットの開口部の平面位 置から出土した土器4及び その 下部より出土 した土器5は ローム の直上 3層 相当の垂 直位置にある 第1図D これらの土器3 5は 土器1に共伴して 同じ住居跡の床面付近から出 土したものと想定されることになる この想定は
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月 古 墳 ガイドブック 日 文 化 の 日 出 発 : 午 前 8 時 半 帰 着 : 午 後 4 時 頃 見 学 場 所 庚 申 塚 古 墳 山 の 神 古 墳 ( 柏 原 ) 長 塚 古 墳 ( 沼 津 市 ) 清 水 柳 北 1 号 墳 ( 沼 津 市 ) 原 分 古 墳 ( 長 泉 町 ) 浅 間 古 墳 ( 増 川 ) 実 円 寺 西 1 号 墳 ( 三 ツ 沢 ) 富 士 市 教 育
調査を実施した 調査成果としては 3 面の遺構面を確認し 中世後半 (l 5 ~ (l 3 ~ ところが 調査の結果は 中世後半 (1 5 世紀以降 ) 中世前半 (1 3 ~ ~m ~ 2mm ~ ~ ~ 0.125 ~ 0.063 ~ 0. 1 25111111 ~ 0.063mm ~ 細粒砂 ( ~ 中粒砂 (m.) - 一 \~ ら平安 ~ 鎌倉時代と弥生時代 ( 中期 )~ 古墳 5
加茂市の遺跡 平 成 19年遺跡発掘調査について 加茂市教育委員会社会教育課係長 伊 計 溺 三 秀 禾口 本年 の遺跡調査 は 開発事業 に関連 した確認調査が 3地 区 本調査が 1事 業 によ り2遺 跡を 対象 に行われた 1.荒 叉遺跡一 古墳 古代一 所 在 地 加 茂市大字下条地 内 調 査 面積 約7 2 1 面 調 査期 間 平成 1 9 年 8 月 8 日 9 月 1 2 日 1地
膳所城遺跡 記者発表資料(2012.7)
記者資料提供資料提供日 : 平成 24 年 (2012 年 )7 月 17 日 ( 火 ) ( 県庁教育記者クラブ ) 機関 : 公益財団法人滋賀県文化財保護協会 件名 : 大津市膳所城遺跡の発掘調査の成果 ぜぜじょう膳所城 北の丸 の石垣を確認 内容 公益財団法人滋賀県文化財保護協会では 滋賀県教育委員会ならびに滋賀県道路公社からの依頼により 近江大橋有料道路建設工事 ( 西詰交差点改良 ) に伴い平成
KANTO_21539.pdf
8 20 5 6 9 4 10 21 1 11 13 7 3 2 12 22 14 摩国府 17 定域 18 15 19 23 25 16 24 33 26 32 27 28 29 31 0 500 1000 1500 第5図 2000ⅿ 遺跡の位置及び周辺の遺跡 1 25,000) 16 30 2.7ⅿ
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長野県下伊那郡阿智村 狐塚1号古墳の調査 第1次調査概要報告書 2009 東海大学文学部歴史学科 考古学第1研究室 1 3 2 4 5 6 7 8 9 1 武陵地1号古墳 2 北本城古墳 3 高岡1号古墳 4 石塚1号 2号古墳 5 郭1号古墳 6 飯沼雲彩寺古墳 7 姫塚古墳 8 上溝天神塚古墳 9 おかん塚古墳 10 塚越1号古墳 11 御猿堂古墳 12 馬背塚古墳 10 11 12 狐塚1号古墳
福知山-大地の発掘
福知山市の遺跡 平成18年1月に行われた1市3町の合併により 広大な市域を得た福知山市には現在約500箇所の遺跡が登録さ れています このうち古墳や窯跡など群として登録されているものも 多く 実数としては約2000箇所を越えることとなります 遺跡の位置と立地 福知山市域は本州の内陸部やや北側に位 置し 日本海へと注ぐ由良川とその支流によって形作られた盆地 周辺山岳部からなります 市域の約80パーセント近くは山林であり
6-3
6-3 6-3-1 2 3 2 168 6-10 169 6-3-2 空間形成への影響要因 以上のような過程を経て白山 2 丁目地区の斜面地は現在の状況を呈するようになるわけだが 斜面地の空間形成に関わる要因としては 次の 3 点が挙げられる 例えば 白山地区の台地端に 向かって南北に伸びる袋小路周辺 以下 A 図 6-10 では 3 つの因子が複合作用しながら斜 面地空間を構造的に規定するとともに
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松崎遺跡から南に約3 隔てた砂堆上に知 多市法海寺遺跡がある 図5 法海寺遺跡で は5世紀後半のマガキ ハマグリを主体とする 貝層から 鞴羽口2点 鉄滓 骨鏃や刀子など の骨角製品 加工段階の骨角製品 骨角素材が 出土した 他に鉄鏃2点などの鉄製品も出土し て い る 図 6-1 10 法 海 寺 遺 跡 は 東 山 111 号窯期を主体とする初期須恵器 図6-11 17 も多く 加えて韓式系土器に系譜する
象鼻山ペラ校正
第98 図 象鼻山山頂部の地形分類 S 1/1,000 162 第5章 考 察 出土した土器は 質 量ともに十分であり 具体的な編年的位置を示すことができる 一方 ②盛土中や遺構面から土器が出土し その編年的位置が築造時期の上限や下限を示すのみの 墳墓として 3号墳 砂岩礫集積 や4号墳 6号墳 9号墳がある また 遺構として平坦面2が ある このうち 遺構面から出土した3号墳 砂岩礫集積 の土器はその下限
KOBAYASI_28896.pdf
80 佛教大学 合研究所紀要 第22号 状況と一致していない 当地の歴 を幕末期に って 慶応4 1868 年に刊行された 改正 京町御絵図細見大成 を見ると 寺町通の東側に妙満寺 本能寺 誓願寺 歓喜光寺 金 寺といった大規模な寺院境内地が連続し 誓願寺以南では寺町通の東を走る裏寺町通の両側に 小規模な寺院境内地が展開しており 寺町と呼ばれた理由が良く かる 図1 図1 慶応4 1868 年の 寺町
ほんぶん/pdf用表紙
公園としての整備 収蔵庫の建設が行われ 本遺跡の整備が完成した 発掘調査風景 金堂跡の瓦堆積 和同開珎 銀銭 法 量 外縁径 24 4 内郭 6 9 縁厚 1 4 重量 4 06g 品 質 銀 88 66 硫黄 9 01 その他塩素 カルシウム 鉄 銅等 和同開珎は7 08 和銅元 年に日本で鋳造 発行された銭であり 我が国で最初の流通貨 幣であるといわれる 特に銀銭は7 08年5月 に発行され翌年8月に廃止された鋳造
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平野遺跡第 4 次 1 はじめに所在地調査目的調査期間調査面積 スライド説明会平成 26 年 5 月 18 日 ( 日 ) 14:00~ 鈴鹿市平野町地内保育施設建設に伴う埋蔵文化財の記録保存平成 25 年 1 月 29 日 ~6 月 9 日約 600 m2 2 主な遺構 古代 竪穴建物 13 棟以上 掘立柱建物 2 棟以上 柵 5 条以上 井戸 1 基 中世 溝 2 条 3 主な遺物土師器須恵器製塩土器鉄製品
同志社大学所蔵堺市城ノ山古墳出土資料調査報告 1 城ノ山古墳 城ノ山古墳は現在の大阪府堺市北区百舌鳥西之町1丁目 百舌鳥古墳群の東南部分 に所在していた 丘陵上に前方部を西に向けて築かれた古墳である 大山古墳の南側 百舌鳥川左 岸の台地が一段高くなる部分に築かれている 墳丘上からは大山古墳や御廟山古
同志社大学所蔵堺市城ノ山古墳出土資料調査報告 1 城ノ山古墳 城ノ山古墳は現在の大阪府堺市北区百舌鳥西之町1丁目 百舌鳥古墳群の東南部分 に所在していた 丘陵上に前方部を西に向けて築かれた古墳である 大山古墳の南側 百舌鳥川左 岸の台地が一段高くなる部分に築かれている 墳丘上からは大山古墳や御廟山古墳など百舌鳥古墳 群を一望に見渡せたであろう 百舌鳥古墳群では平坦な土地に築かれる古墳が多いなか 眺望のよ
177 箇所名 那珂市 -1 都道府県茨城県 市区町村那珂市 地区 瓜連, 鹿島 2/6 発生面積 中 地形分類自然堤防 氾濫平野 液状化発生履歴 なし 土地改変履歴 大正 4 年測量の地形図では 那珂川右岸の支流が直線化された以外は ほぼ現在の地形となっている 被害概要 瓜連では気象庁震度 6 強
177 箇所名 那珂市 -1 都道府県茨城県 市区町村那珂市 地区 瓜連, 鹿島 1/6 発生面積 中 地形分類自然堤防 氾濫平野 液状化発生履歴 なし 土地改変履歴 大正 4 年測量の地形図では 那珂川右岸の支流が直線化された以外は ほぼ現在の地形となっている 被害概要 瓜連では気象庁震度 6 強を記録し 地震動が強い マンホールの浮上または周辺地盤の沈下 液状化によるものかどうかは明瞭でないが
Microsoft Word 【詳細版】.doc
3 3 4 藤沢厚木線 区間-1 1 1横浜湘南道路 W=18 m 3 1国道1号線 W=1m 3 藤沢羽鳥線 と交差 W= 3m W= 3m W= 3m W=3m W=3m 3 藤 沢羽鳥 線 W=1 m 3 1藤沢駅辻堂駅線 と立体交差 JR東海道本線 と立体交差 W=m 未着手 L=180 現道なし =1m 鳥線 W 羽 山 高 3 3 3 3 辻堂駅 W=m =m 遠藤線 W 県道と 交差
割付原稿
極大型であり それは 大規模 長期継続 集 落 遺跡なのであるから時期ごとの数量を描き 出すことは困難である せいぜい すでに崩壊 し去った数多の遺構に思いを馳せるのみである そもそも大規模であれば それが 過度な集 住 ということでなくても なぜ大規模な集落 遺跡が成立したのか その背景は何なのか と いう単純な問題設定で十分ではないかと考え 犬山扇状地 八王子 二タ子 猫島 大地 台地 大塚 野口
表紙 : 鎌倉市下馬周辺遺跡 裏表紙 : 伊勢原市西富岡 宿西富岡 向畑遺跡出土漆塗土器
茅 35 回紳奈 lll 県遺跡調査. 締究発来会 発表要旨 2011 年 11 月 26B( 土 ) 於 : 川崎市市民ミユージアム 主催 共催 後援 神奈川県考古学会 川崎市市民ミュージアム 神奈川県教育委員会 横浜市教育委員会 川崎市教育委員会 相模原市教育委員会 表紙 : 鎌倉市下馬周辺遺跡 裏表紙 : 伊勢原市西富岡 宿西富岡 向畑遺跡出土漆塗土器 可 開催要項 開催日 :2010 年 11
0900167 立命館大学様‐災害10号/★トップ‐目次
22 西山 第2表 被害程度 昭仁 小松原 琢 被害状況と被害程度 被害状況 気象庁震度階級 大 建造物の倒壊が明らかに認められるもの もしくは倒壊数が多いもの 中 小規模な建造物に倒壊はあるが 大規模な建造物に倒壊が認められないもの 小 建造物に破損が認められるもの 史料記述の信憑性 震度 5 強 6 弱程度 震度 4 5 弱程度 震度階級については以下の文献を参照した 宇佐美龍夫 歴史地震事始
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津山弥生の里文化財センターは 名称のとおり沼弥生住居址群 ( 沼遺跡 ) に隣接して建てられ その資料館も兼ねて平成 2 年 11 月に開館しました この沼遺跡の調査は昭和 27 年にまで遡りますが 当初より遺跡は教材公園として位置づけられ 幅広い市民の支援を受けて 逐次津山市が整備を重ねてきました すでに昭和 30 年 1 月には 発見された火災住居跡の炭化材を基にして大型の竪穴住居を復元し 同
塚畠遺跡Ⅲ ーE地点の調査ー
序 本庄市が所在する埼玉県の北部に位置する児玉地方は 県内でも有数の遺跡の宝庫として知られており 本庄市だけでも市内に 500 ヵ所以上もの埋蔵文化財の包蔵地が存在しています これらの遺跡は 旧石器時代から中近世の長い時代に及ぶものですが 中でも古墳時代の遺跡の多さは 県内随一とも言われています 特に 県指定史跡の鷺山古墳 市指定史跡の金鑽神社古墳 八幡山古墳 庚申塚古墳 秋山古墳群 二本松古代住居跡
かない金 しもしんでん 井下新田遺跡 ( 渋川市金井 ) 勾玉の古墳人 と上屋構造がわかる平地建物の発見 主任調査研究員 岩上千鶴 1 平成 29 年度発掘調査の概要 金井下新田遺跡は国道 353 号金井バイパス ( 上信自動車道 ) 建設工事に伴い 渋川土木事務所から委託を受けて平成 29 年 4
過去現在未来をつなぐ埋蔵文化財 MAIBUNGUNMA 埋文群馬 63 最新レポートⅠ 金井下新田遺跡 - 勾玉の古墳人 と上屋構造がわかる平地建物の発見- 岩上千鶴 2 最新レポートⅡ 西宮遺跡 - 江戸時代の建物跡建築部材の発見と機織り具 - 宮下寛 石田真 関明愛 飯田陽一 4 目次 いま 地域が見えてくる 2 万木沢 B 遺跡縄文から弥生へ - 二つの文化が融合した大型溝の調査 - 関口博幸
高野遺跡序文
日田市埋蔵文化財調査報告書第 65 集 2006 年日田市教育委員会日田市埋蔵文化財調査報告書第 65 集日田市教育委員会 2 0 0 6 年高野遺跡高野遺跡 遺跡全景写真 ( 北から ) 巻頭写真図版 序 文 高野遺跡は日田市の西側 大肥川沿いに開けた谷の南部に位置します 大肥川の谷は平成 9 年から大規模な農業基盤整備事業が行われ それに伴って発掘調査を実施してきました その結果 縄文時代から江戸時代にいたる遺跡や遺構
Taro13-表紙(五位堂第二).jtd
香芝市 1. 施行地区の位置 1 位置図 西名阪自動車道 JR 和歌山線 本地区は奈良市の南西約 18km 大阪市の南東約 25kmにあり 奈良県香芝市の東部に位置する南北約 400m 東西約 700mの区域であり 面積は約 17.6haである 近鉄大阪線 中和幹線 地区の東約 200mには近鉄大阪線五位堂駅がある 国道 165 号 五位堂駅前北第二地区 近鉄五位堂駅 国道 168 号 1 2 地区の従前の状況
Microsoft Word - 24_11景観.doc
10-13 電波障害 存在 供用時における施設の存在に伴う電波受信状況の悪化が考えられるため 計画地周辺の電波の受信状況に及ぼす影響について予測及び評価を行った また 予測及び評価するための基礎資料を得ることを目的として 電波の受信状況等の調査を行った 1. 調査 1) 調査内容 (1) 電波の発信送信状況地上デジタル放送 衛星放送 (BS) 及び通信衛星による放送 (CS) 等のチャンネル 送信場所
再販入札⇒先着順物件調書
Ⅴ [ 物件調書 ] 9 街区 7 画地 物件名 流山都市計画事業木地区一体型特定土地区画整理事業 所在地千葉県流山市 ( 木地区一体型特定土地区画整理事業区域内 9 街区 7 画地 ) 保留地面積 860.25 m2 用途地域第一種中高層住居専用地域建ぺい率 :60% 容積率 :200% 地区計画 造成履歴概要 交通 保留地接道状況 上水道 雨水排水 汚水排水 木地区地区計画地区名称 : 中層住宅地区
調査範囲全景 ( 写真上が北 合成写真 ) 巻頭図版 1
東京都町田市 鶴間公園遺跡 ( 町田市 999 遺跡 ) - 町田市南町田駅周辺整備事業に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書 - 2017 町田市 株式会社四門 調査範囲全景 ( 写真上が北 合成写真 ) 巻頭図版 1 巻頭図版 2 1 号住居跡使用面全景 ( 南から ) 2 号住居跡遺物出土状況 ( 南東から ) 例言 1. 本書は東京都町田市鶴間三丁目 1-1( 鶴間公園内 ) に所在する鶴間公園遺跡
平方・中野久木物流施設地区
平方 中野久木物流施設地区のまちづくり 地区計画のルールブック 地区整備計画の運用について 流山市 目 次 平方 中野久木物流施設地区地区計画計画書 平方 中野久木物流施設地区地区計画計画図 平方 中野久木物流施設地区地区計画 地区整備計画 の内容の解説 1P 3P 4P (1) 建築物等の用途の制限 5P (2) 建築物の敷地面積の最低限度 6P (3) 建築物等の高さの最高限度 6P (4) 壁面の位置の制限
資料 -2 第 2 回東京外環地下水検討委員会 資料 今後の地下水位観測について (1) 中央 JCT 周辺における深層地下水の観測井について (2) 大泉 JCT 周辺における観測井について (3) 今後実施する地下水位観測 ( 案 ) について 平成 26 年 8 月 1 日 国土交通省関東地方
資料 -2 第 2 回東京外環地下水検討委員会 資料 今後の地下水位観測について (1) 中央 JCT 周辺における深層地下水の観測井について (2) 大泉 JCT 周辺における観測井について (3) 今後実施する地下水位観測 ( 案 ) について 平成 26 年 8 月 1 日 国土交通省関東地方整備局東京外かく環状国道事務所東日本高速道路株式会社関東支社東京外環工事事務所中日本高速道路株式会社東京支社東京工事事務所
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複式炉を有する住居に住まう - 床面痕跡から見る空間利用試論 - 三浦武司 1 はじめに本文では 縄文時代中期末葉に福島県内において 普遍的に存在する複式炉をもつ竪穴住居跡を用いて考察を行う 複式炉をもつ竪穴住居跡内の床面上に認められる様々な痕跡や遺物の出土状況から 住居平面の空間利用について考査したい 基礎資料として 福島県双葉郡楢葉町に位置する馬場前遺跡 ( 註 1) 検出の竪穴住居跡を事例として用いる
物件番号 物件名称小出島住宅用地 伊那市西春近 584 番 自治会 ( 行政区 ) 名小出島 最低売却価格金,450,000 円 連番 登記地目 現況地目 公簿面積m2実測面積m2 1 西春近 584 番 雑種地 雑種地 坪 2 合計
物件番号 2018-1 物件名称西箕輪住宅用地 伊那市西箕輪 40 番 74 自治会 ( 行政区 ) 名西箕輪大萱 最低売却価格 金,110,000 円 連番 登記地目 現況地目 公簿面積m2実測面積m2 1 西箕輪 40 番 74 済宅地宅地 48.14 48.14 12.5 坪 2 合計 48.14 48.14 接面道路 正面 ( 幅員 接道 ) 東側市道 8.4m 12.8m ガードレールあり
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16 297 297 297 297 14 140 13 13 169 81 32 32 24 409 P48 P54 P56 P50 P52 2 3 4 5 6 7 8 9 11 12 13 14 15 みちしるべ 調べるほどに興味深い Q&A 上総国分寺 国分尼寺 Q 国分寺という地名は全国に多数ありますが どうしてなのですか A てんぴょう しょうむてんのう 国分寺は 天平13年(741)に聖武天皇が国情不安を鎮めるため
物件番号 1 ポケートパーク 仮換地面積価格状況備考 E-27 街区 11 画地 従前地 法律等に基づく制限 m2約 66 坪 6,384,504 円引渡可 北側 西側で幅員 6m の舗装市道に面している 地番地目面積 ( 公簿 ) 名取市閖上字新大塚 156 番田 401 m2 都市
物件番号 1 ポケートパーク E-27 街区 11 画地 217.16 m2約 66 坪 6,384,504 円引渡可 北側 西側で幅員 6m の舗装市道に面している 地番地目面積 ( 公簿 ) 名取市閖上字新大塚 156 番田 401 m2 内市街化区域 なとりん号 閖上中央第一団地北 停まで約 0.1Km 道路の工事に応じて 停位置を変更する場合があります JR 東北本線 名取駅 まで約 5.5km
一定規模以上の土地の形質変更時の手続きについて 改正土壌汚染対策法が平成 22 年 4 月 1 日から施行されたことにより 平成 22 年 5 月 1 日以降に 3,000 m2以上の面積の土地の形質変更をしようとする者は 工事に着手する日の 30 日前までに 法に基づき届出を行うことが義務付けられ
一定規模以上の土地の形質変更時の手続きについて 改正土壌汚染対策法が平成 22 年 4 月 1 日から施行されたことにより 平成 22 年 5 月 1 日以降に 3,000 m2以上の面積の土地の形質変更をしようとする者は 工事に着手する日の 30 日前までに 法に基づき届出を行うことが義務付けられました 1 届出が必要な行為土地の形質変更 ( 土地の形状を変更する行為全般 : 盛土 切土 掘削 整地及び基礎を含む解体工事等
鹿児島県内出土のガラス玉の化学分析 中井泉 1, 柳瀬和也 1, 松﨑真弓 1, 澤村大地 1, 永濵功治 Chemical Analysis of glass beads excavated from Kagoshima prefecture Nakai Izumi,Yanase Kazuya,M
2 調査課第一調査係 3 4 遺 5 5 6 8 8 鹿児島県内出土のガラス玉の化学分析 中井泉 1, 柳瀬和也 1, 松﨑真弓 1, 澤村大地 1, 永濵功治 Chemical Analysis of glass beads excavated from Kagoshima prefecture Nakai Izumi,Yanase Kazuya,Matsuzaki Mayumi,Sawamura
第四横.indb
千葉県印西市 ( 旧印旛郡印旛村 ) 戸ノ内貝塚第 6 次発掘調査概報 45 千葉県印西市 ( 旧印旛郡印旛村 ) 戸ノ内貝塚第 6 次発掘調査概報 高橋龍三郎 川畑隼人 中門亮太 青木弘 大網信良 岩井聖吾 服部智至 平原信崇 1. はじめに 戸ノ内貝塚では 今までの継続調査を通じて 発掘区全体にわたり縄文時代後 晩期を中心とする多くの土器や遺物が分布し それに対応して多くの遺構が展開していることがわかった
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( 再生瀝青安定処理 ) 構成の合理化について 木内建設株式会社 土木部 1. 工事概要 橋本 安雄 1) 工事名 : 平成 23 年度駿市舗第 14 号東町豊田線舗装工事 2) 発注者 : 静岡市建設局道路部道路整備第 2 課 3) 工事場所 : 静岡市駿河区小黒 1 2 丁目地内 4) 工期 : 平成 23 年 3 月 25 日 ~ 平成 23 年 11 月 28 日 本工事は 市道東町豊田線
Microsoft Word - 第5章07地盤沈下.docx
5. 7 地盤沈下 5. 7. 1 現況調査 (1) 調査内容事業計画地周辺における地盤沈下及び地下水位の状況を把握するために 既存資料調査を実施した また 事業計画地における地盤状況等について 現地調査を実施した 現況調査の内容は 表 5-7-1 に示すとおりである 表 5-7-1 調査内容 調査対象項目調査対象範囲 地点調査対象期間調査方法 事業計画地周辺における地盤沈下の状況及び地下水位の状況
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日本の地形 地盤デジタル マップと表層地盤特性 松岡昌志 防災科学技術研究所地震防災フロンティア研究センター 1 巨大地震の想定震源域 東南海地震 (M J 8.1) 南海地震 (M J 8.4) 東海地震 (M J 8.0) ( 内閣府中央防災会議 ) 0 200 km 南海トラフ 2 推定震度分布 ( 内閣府中央防災会議 ) 3 地震動予測地図 ( 確率論的地震動予測地図 ) ( 地震調査研究推進本部
考古学ジャーナル 2011年9月号 (立ち読み)
遺 跡 速 報 福岡県 首羅山遺跡 福岡平野周縁の山岳寺院 Syurasan-Ruins in Fukuoka Prefecture えがみ ともえ 江上 智恵 久山町教育委員会 Tomoe Egami Hisayama Town Board of Education 近世の地誌類が記すとおり 調査前の首羅山遺 はじめに 跡は藪に覆われ 僅かな文献と伝承のみが残ってい 首羅山遺跡は福岡県糟屋郡久山町大字久原の白
