平成24年度 青森県埋蔵文化財発掘調査報告会

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1 表紙 : 土器内出土のヒスイ製大珠 ( 水上 (2) 遺跡 ) 表紙.indd /12/05 15:25:18

2 平成 24 年度青森県埋蔵文化財発掘調査報告会 日程 日時 : 1 2 月 8 日 ( 土 ) 受付開始 9:30 (1) スライド等による発掘調査報告 ( 大研修室 ) 開催挨拶 ( 青森県公立発掘調査機関連絡協議会会長 ) 1 水上 (2) 遺跡 ( 県埋蔵文化財調査センター ) 2 大川添 (3) 遺跡 ( 県埋蔵文化財調査センター ) 3 大川添 (4) 遺跡 ( 県埋蔵文化財調査センター ) 質疑応答 休憩 4 芦沢 (2) 遺跡 川原平 (6) 遺跡 ( 県埋蔵文化財調査センター ) 5 薬師遺跡 ( 県埋蔵文化財調査センター ) 6 十三盛遺跡 ( 県埋蔵文化財調査センター ) 質疑応答 休憩 遺物展示 7 田小屋野貝塚 ( つがる市教育委員会 ) 8 五月女萢遺跡 ( 五所川原市教育委員会 ) 9 田代遺跡 ( 八戸市教育委員会 ) 10 安部遺跡 ( 尻労安部洞窟 ) ( 慶應義塾大学 ) 質疑応答 休憩 11 土人長根遺跡 ( 鰺ヶ沢町教育委員会 ) 12 堀越城跡 ( 弘前市教育委員会 ) 13 蔵主町遺跡 ( 県文化財保護課 ) 質疑応答 10:00 ~ 10:05( 5 分 ) 10:05 ~ 10:25(20 分 ) 10:25 ~ 10:40(15 分 ) 10:40 ~ 10:55(15 分 ) 10:55 ~ 11:05(10 分 ) 11:05 ~ 11:20(15 分 ) 11:20 ~ 11:35(15 分 ) 11:35 ~ 11:50(15 分 ) 11:50 ~ 12:00(10 分 ) 12:00 ~ 13:00(60 分 ) 13:00 ~ 13:20(20 分 ) 13:20 ~ 13:40(20 分 ) 13:40 ~ 14:00(20 分 ) 14:00 ~ 14:20(20 分 ) 14:20 ~ 14:30(10 分 ) 14:30 ~ 14:50(20 分 ) 14:50 ~ 15:10(20 分 ) 15:10 ~ 15:30(20 分 ) 15:30 ~ 15:40(10 分 ) (2) 出土品とパネル展示 ( 第 1 研修室 ) 10:00 ~ 16:30 報告遺跡から出土した遺物をパネル展示と併せてご覧いただけます 編 集 青森県埋蔵文化財調査センター 青森県青森市新城字天田内 : FAX: ホームページアドレス 本報告会は県民カレッジ単位認定講座です 単位認定希望の方は 受付までお知らせ下さい 表紙.indd /12/05 15:25:18

3 1研修室目 次 日程目次平成 24 年度発表遺跡一覧 1 水上 (2) 遺跡 1 2 大川添 (3) 遺跡 2 3 大川添 (4) 遺跡 3 4 芦沢 (2) 遺跡 川原平 (6) 遺跡 4 5 薬師遺跡 6 6 十三盛遺跡 7 7 田小屋野貝塚 8 8 五月女萢遺跡 10 9 田代遺跡 安部遺跡 ( 尻労安部洞窟 ) 土人長根遺跡 堀越城跡 蔵主町遺跡 川原平 (4) 遺跡 E 区 ( 紙上報告のみ ) 17 用語解説 18 年表 22 機械室 会場のご案内遺物展示 スライド発表は 2 階で行います 第トイレ 学習情報サービス室 受付 エレベーター 出入口 大研修室 スライド発表会場 ロビー テラス エレベーター 展示ホ ル トイレ トイレ 遺物展示会場1F 食堂 2F

4 平成 24 年度発表遺跡一覧 10 安部遺跡 ( 尻労安部洞窟 ) 8 五月女萢遺跡 7 田小屋野貝塚 6 十三盛遺跡 11 土人長根遺跡 5 薬師遺跡 9 田代遺跡 1 水上 (2) 遺跡 14 川原平 (4) 遺跡 E 区 12 堀越城跡 2 大川添 (3) 遺跡 13 蔵主町遺跡 3 大川添 (4) 遺跡 4 芦沢 (2) 遺跡 川原平 (6) 遺跡 0 50km 番号 遺跡名 所在地 調査担当機関 調査原因 1 水上 (2) 遺跡 中津軽郡西目屋村大字砂子瀬字水上 県埋文センター 津軽ダム建設事業 2 大川添 (3) 遺跡 中津軽郡西目屋村大字川原平字大川添 県埋文センター 津軽ダム建設事業 3 大川添 (4) 遺跡 中津軽郡西目屋村大字川原平字大川添 県埋文センター 津軽ダム建設事業 4 芦沢 (2) 遺跡 川原平 (6) 遺跡 中津軽郡西目屋村大字砂子瀬字芦沢外 県埋文センター 津軽ダム建設事業 5 薬師遺跡 弘前市大字新岡字薬師 県埋文センター県営一般農道整備事業 ( 山村振興 ) 6 十三盛遺跡 五所川原市大字新宮字稲村外 県埋文センター 一般国道 101 号五所川原西バイパス建設事業 7 田小屋野貝塚 つがる市木造館岡田小屋野 つがる市教委 史跡整備に伴う内容確認調査 8 五月女萢遺跡 五所川原市相内 五所川原市教委 土砂採取 9 田代遺跡 八戸市南郷区大字島守字番屋 八戸市埋文センター 個人農地造成 10 安部遺跡 ( 尻労安部洞窟 ) 東通村大字尻労字安部 慶應義塾大学 学術調査 11 土人長根遺跡 西津軽郡鰺ヶ沢町大字明石町 鰺ヶ沢町教委 一般廃棄物最終処分場建設事業 12 堀越城跡 弘前市大字堀越字川合 大字川合字岡本 弘前市教委 13 蔵主町遺跡 弘前市大字蔵主町 県文化財保護課 14 川原平 (4) 遺跡 E 区 中津軽郡西目屋村大字川原平字福岡 県埋文センター 史跡整備に伴う内容確認調査県立弘前中央高等学校校舎等改築事業津軽ダム建設事業

5 みずかみ水上 (2) 遺跡 - 縄文時代前期 ~ 中期の大規模集落跡 - 所在地 : 中津軽郡西目屋村大字砂子瀬字水上調査機関 : 青森県埋蔵文化財調査センター調査期間 : 平成 24 年 5 月 8 日 ~ 11 月 20 日調査原因 : 津軽ダム建設事業 遺跡の概要水上 (2) 遺跡は 岩木川 ( 現美山湖 ) 右岸の標高 171 ~ 182 m の段丘上 岩木川と湯ノ沢川の合流点付近に位置します 平成 18 年度から発掘調査を実施しており 段丘の平坦部および縁辺部では 縄文時代前期末葉から後期初頭までの竪穴住居跡や土器埋設遺構 石棺墓 捨て場などが確認されています 遺構の種類今年度は 段丘の平坦部と縁辺部の調査を実施し 竪穴住居跡 87 軒 掘立柱建物跡 4 軒 焼土遺構 47 基 土器埋設遺構 82 基 石棺墓 2 基のほか 多数の土坑 ピットを検出しました それらの他 遺跡北端部の標高 171 ~ 177 m 程度の斜面部に 東西方向に約 120 m の範囲で捨て場が広がっていることが判明しました 土器や石器が多量の土や自然礫とともに細かい単位でくりかえし廃棄が行われた結果 厚さ 5 cmから 20 cm程度の層が何層も重なり 厚い地点で 1.4 m ほどの堆積が確認されました 時期は 縄文時代前期末葉から中期後葉 ( 円筒下層 d 式 ~ 大木 10 式併行 ) にかけてのものであることがわかりました また捨て場の土層中から 縄文時代前期末葉から中期前葉 ( 円筒下層 d 式 ~ 円筒上層 a 式 ) の土器埋設遺構や 中期前葉から末葉 ( 円筒上層 a 式 ~ 大木 10 式併行 ) の竪穴住居跡 焼土遺構 土坑 ピットなども見つかっています 捨て場が遺物を廃棄する場というだけでなく 生活の場としても利用されていたことが明らかになりました 遺物の説明遺物は段ボール箱で約 2500 箱出土しました 縄文時代前期から中期の土器や石器を主体として 土偶 耳飾り ミニチュア土器 石棒 石冠 垂飾品などが出土しています なかでも特筆される遺物として 四脚をもつ土偶 表裏に線刻のある垂飾品 ヒスイ製大珠があげられます ヒスイ製大珠は中期後半の小型の土器内に納められた状態で見つかりました 遺跡の特徴及び注目される遺物等竪穴住居跡や石棺墓 捨て場の調査で 集落における場の使われ方やその変遷を考える上での重要な手がかりが得られました 調査は来年度以降も継続して行われるため 集落の全体像がさらに明らかになるものと考えられます ( 加藤隆則 ) 捨て場の調査風景 - 1 -

6 おおかわぞえ大川添 (3) 遺跡 - 蓋に用いられたキノコ形土製品の発見 - 所在地 : 中津軽郡西目屋村大字川原平字大川添調査機関 : 青森県埋蔵文化財調査センター調査期間 : 平成 24 年 5 月 8 日 ~ 11 月 20 日調査原因 : 津軽ダム建設事業 遺跡の概要大川添 (3) 遺跡は 岩木川 ( 現美山湖 ) 左岸の標高 188~192m の河岸段丘上に立地しています 本遺跡は 平成 22 年度から発掘調査が行われており これまでの調査により縄文時代早期から晩期 平安時代の遺構や遺物が確認されていますが その中でも主体となるのは縄文時代中期から後期であることが判明しました 遺構の種類今年度の発掘調査では 縄文時代の竪穴住居跡 9 軒 土坑 56 基 土器埋設遺構 2 基 焼土遺構 36 基 配石遺構 15 基等のほか 平安時代の竪穴住居跡 2 軒を検出しました 遺物の説明遺構の内外から土器や石器等が段ボール箱で 170 箱出土しました 土器は縄文時代早期から晩期 平安時代のものが出土しましたが 縄文時代中期から後期が中心です 石器は石鏃 石匙 石槍 石篦 スクレイパー 磨り石 敲石 凹石 石皿 半円状扁平打製石器 磨製石斧 石錘等が出土しました 遺跡の特徴及び注目される遺物等縄文時代の遺構は上 中面の段丘から検出され 竪穴住居跡や土坑は段丘端に並ぶように構築されています 調査区中央付近からは平面形が隅丸長方形の配石遺構が検出されました それとは別に調査区北東端では複数の配石遺構が並んだ状態で検出されました 平安時代の遺構は上面の段丘から検出されています 縄文時代と平安時代では 段丘の利用に違いがあったものと考えられます 注目される土器としては 赤色顔料入りの土器が出土しています 一部剥落している痕跡が見られるものの それ以外は欠損がないほぼ完形品の土器で キノコ形土製品を蓋に用いているのが特徴的です ( 齋藤正 ) 赤色顔料入り土器の出土状況 - 2 -

7 おおかわぞえ大川添 (4) 遺跡 - アスファルト入土器が出土した縄文時代後期集落 - 所在地 : 中津軽郡西目屋村大字川原平字大川添調査機関 : 青森県埋蔵文化財調査センター調査期間 : 平成 24 年 5 月 8 日 ~ 11 月 20 日調査原因 : 津軽ダム建設事業 遺跡の概要大川添 (4) 遺跡は 岩木川 ( 現美山湖 ) 右岸の河岸段丘上にあり 標高は約 200 m です 対岸には大川添 (3) 遺跡があります 調査の結果 縄文時代後期前葉を中心とした集落跡であることが判明しました 遺構の種類調査の結果 縄文時代後期の竪穴住居跡 10 軒 掘立柱建物跡 2 軒 土坑 181 基 土器埋設遺構 5 基 環状配石遺構 1 基 ピット 80 基などを検出しました また 近世のものと思われる炭窯跡も検出しています 遺物の説明遺物は段ボール箱で 60 箱出土しました 土器は縄文時代後期前葉のものが多数を占めていますが 縄文時代後期後葉の十腰内 Ⅴ 式の完形の注口土器も出土しています また 調査区南側の土坑からは土偶 石棒などの遺物が出土しました その他 石鏃 石匙 石錐 スクレイパー 石錘 敲磨器類 有孔石製品 円盤状土製品 切断蓋付土器などが出土しました 遺跡の特徴及び注目される遺物等調査の結果 竪穴住居跡及び環状配石遺構は岩木川に面した西側の縁辺部から検出されました また 中央部付近では 6 本の柱穴跡を伴う掘立柱建物跡 北側では亀甲形の掘立柱建物跡 南側の土坑からは土製品 石製品が多く出土しています 注目される遺物として 竪穴住居跡の床面からアスファルトが入った鉢形土器 ( 縄文時代後期前葉 ) や赤色顔料が付着した礫があります 特に アスファルトは当時の交流 交易を知る上で貴重な資料になると思われます ( 大平哲世 ) アスファルトが入った土器 - 3 -

8 あしざわ芦沢 (2) 遺跡 - 土器を埋設したフラスコ形土坑群 - 所在地 : 中津軽郡西目屋村大字砂子瀬字芦沢調査機関 : 青森県埋蔵文化財調査センター調査期間 : 平成 24 年 5 月 8 日 ~ 9 月 7 日調査原因 : 津軽ダム建設事業 遺跡の概要芦沢 (2) 遺跡は 岩木川 ( 現美山湖 ) 右岸の河岸段丘上に立地します 標高は約 185 m であり 遺跡東側に所在する芦沢 (1) 遺跡より一段低い段丘面に所在する遺跡です 本格的な調査は今年度が初めてとなります 遺構の種類竪穴住居跡 4 軒 土坑 49 基 小ピット ( 柱穴 )51 基 焼土跡 3 基が検出されました 竪穴住居跡は縄文時代後期後葉から後期末にかけて 土坑をはじめとするその他の遺構は縄文時代中期から後期にかけてのものと思われます 竪穴住居跡の中には 3 回建て直しをしているものや 埋まりきらないフラスコ形土坑を利用しているものなどがあります 遺物の説明縄文時代前期から晩期にかけての土器 石器などが 段ボール箱で 25 箱分出土しました 時期の中心となる遺物は縄文時代後期後葉から後期末にかけてのものであり 竪穴住居跡や土坑からは ほぼ完形になる深鉢形土器が数個体見つかっています 石器は 石鏃 石匙 石錐 磨製石斧 磨り石 敲き石 石皿 台石などが見つかっています 遺跡の特徴及び注目される遺物等調査の結果 小規模ではありますが 縄文時代後期後葉から後期末にかけての集落跡であることがわかりました 集落の特徴として 竪穴住居跡は遺跡北側の川沿いに並ぶように建てられ 土坑はフラスコ形の土坑が 30 基ほど 遺跡東側に集中してつくられているということがあげられます 特に フラスコ形土坑群の中には 縄文時代後期後葉から後期末にかけての深鉢形土器を 底面に倒立させた状態で埋設したと思われる土坑が数基見つかっています 当時の風習などを知る手がかりとして 貴重な発見であると言えるでしょう ( 新山隆男 ) フラスコ形土坑遺物出土状況 ( 東から ) - 4 -

9 かわらたい川原平 (6) 遺跡 - 縄文時代中期末葉の大型竪穴住居跡 - 所在地 : 中津軽郡西目屋村大字川原平字宮元調査機関 : 青森県埋蔵文化財調査センター調査期間 : 平成 24 年 9 月 11 日 ~ 10 月 26 日調査原因 : 津軽ダム建設事業 遺跡の概要川原平 (6) 遺跡は 岩木川 ( 現美山湖 ) 右岸の河岸段丘上に立地します 標高は約 197 m であり 遺跡西側に所在する川原平 (4) 遺跡 (A B 区 ) や川原平 (1) 遺跡などとほぼ同じ高さの段丘面ということになります 今年度は遺跡の南東側部分の調査を実施しました 遺構の種類大型竪穴住居跡 1 軒 竪穴住居跡 2 軒 土坑 2 基 配石遺構 1 基 小ピット ( 柱穴 ) 31 基が検出されました 大型も含め竪穴住居跡は全て縄文時代中期末葉のものであり 土坑をはじめとするその他の遺構も同時期のものであると思われます また 特殊な遺構として 粘土を採掘したと思われる遺構も見つかっていますが 詳細な時期などはわかっていません 遺物の説明縄文時代中期を中心とした土器 石器などが 段ボール箱で 21 箱分出土しました 遺物の多くは竪穴住居跡内から出土したものですが 土器の中には住居床面に埋設されていたほぼ完形になる深鉢形土器も数点あります 石器は 石鏃 石匙 石錐 磨製石斧 磨り石 敲き石 石皿 台石などが見つかっています 石皿の中には 4 つの脚部を有するほぼ完形品もあります 遺跡の特徴及び注目される遺物等調査の結果 縄文時代中期末葉の集落跡であることがわかりました 集落の中でも 大型竪穴住居跡 ( 第 1 号竪穴住居跡 ) が特徴的な遺構と言えるでしょう 規模は長軸 14m 短軸 11m で ほぼ楕円形に近い形状となります 炉と思われる施設は 2 つあり いずれも石囲炉です 東側で見つかった石囲炉は長軸 1.5m 短軸 1.1m とかなり大型なものです 主となる柱穴が U 字状に巡るという点も特徴的だと言えるでしょう 今後の調査で集落がどのような広がりを見せるのかが楽しみです ( 新山隆男 ) 大型竪穴住居跡の様子 ( 東から ) - 5 -

10 やくし薬師遺跡 - 盛土遺構と縄文時代晩期の捨て場 - 所在地 : 弘前市大字新岡字薬師調査機関 : 青森県埋蔵文化財調査センター調査期間 : 平成 24 年 4 月 24 日 ~ 7 月 27 日調査原因 : 県営一般農道整備事業 ( 山村振興 ) 遺跡の概要薬師遺跡は岩木山東南斜面上にあり 調査地点の標高は約 160 m です 本遺跡では昭和 33 年 35 年に岩木山麓古代遺跡発掘調査事業が行われ 集石遺構の検出や縄文時代前期末から晩期までの遺物が多量に出土したことで その重要性が知られていました 県埋蔵文化財調査センターでは平成 22 年度から平成 24 年度までの 3 ヶ年にわたって 本発掘調査を実施しました 遺構の種類今年度の調査では 竪穴住居跡 1 軒 土坑 16 基 埋設土器 9 基 焼土遺構 17 基 ピット 45 基 捨て場 1 ヶ所 盛土遺構 2 ヶ所などが検出されました 遺構の多くは縄文時代晩期のものと思われますが 竪穴住居跡やいくつかの土坑 埋設土器などは縄文時代前期のものです 遺物の説明遺物は段ボール箱で 246 箱分出土しました 縄文時代前期のものが少量ありますが大半は縄文時代晩期の土器 石器類が主体で 土偶 耳飾り 土版などの土製品や 玉類 石冠 石棒 石刀 岩版 円盤状石製品などの石製品も出土しました 遺跡の特徴及び注目される遺物等今年度の特筆すべき調査成果として 縄文時代晩期から弥生時代にかけて形成されたと推定される大規模な盛土遺構と 縄文時代晩期の捨て場が挙げられます 今年度調査を行った盛土遺構は 縄文時代晩期終わり頃から弥生時代のものと推定され 青森県内には類例がなく貴重です 台地上の起伏部分を削って緩斜面地に土を盛って平坦面を造り出す造成工事が行われたものと考えられます そして盛土遺構が形成される以前には 晩期の捨て場が広がっていることが確認できました 完形遺物が潰れた状態で数多く出土しています 盛土南西側の斜面地では完形の壺が 2 個体並んで出土したものが数例あり 意図的に置かれた可能性が考えられます ( 神康夫 ) 盛土遺構の下層に広がる縄文時代晩期の捨て場 - 6 -

11 じゅうさんもり十三盛遺跡 点を超える 10 ~ 11 世紀の木製品 - 所在地 : 五所川原市大字新宮字稲村ほか調査機関 : 青森県埋蔵文化財調査センター調査期間 : 平成 23 年 5 月 10 日 ~ 6 月 29 日調査原因 : 一般国道 101 号五所川原西バイパス建設事業 遺跡の概要十三盛遺跡は 五所川原市街地の北部に位置し 岩木川と十川に挟まれた標高 5 m ほどの沖積地に立地します 現在は平坦な水田地帯となっていますが 微高地上に営まれた遺跡と考えることができます 同時代の周辺遺跡としては つがる市石上神社遺跡や懸河遺跡 久米川遺跡などの遺跡があり いずれも沖積地の自然堤防上や微高地上に立地しています なお 平成 20 ~ 22 年度にも本遺跡の発掘調査が 青森県埋蔵文化財調査センターと五所川原市教育委員会で実施されており 今年度の調査区は前回調査区の隣接地にあたります 遺構の種類今年度の発掘調査では 10 世紀後半から 11 世紀代を主体とする大溝 4 条 その他の溝 51 条 土坑 4 基 井戸 1 基 柱穴 81 基のほか 自然流路 1 条を検出しています 大溝は集落の外縁を囲む溝と考えられ 大きく 3 回の作り替えが行われており 集落が徐々に大きくなった様子が分かります その他の溝の多くは 住居の外周溝と考えられます 遺物の説明土師器や須恵器 15 箱 石器 金属製品 4 箱 木製品約 300 点が出土しました また 種実 貝 獣骨 昆虫などの動植物遺体も多く出土しています 遺跡の特徴及び注目される遺物等これまでの発掘調査成果から 十三盛遺跡は 10 世紀後半から 11 世紀にかけての集落跡であることが確認できました 集落は 外縁を大溝で囲み その内側に周溝を伴った建物跡を配置する構造であったことがわかりました 建物跡の外周溝は整然と並んでいます 集落の長軸は最大約 400 m 以上となり 大規模で計画的な集落であったと考えることができます また 十三盛遺跡ではこれまでに 4000 点を超える木製品が出土しています これらの木製品は 農工具 紡織具 漁労具 服飾具 祭祀具など多様で 古代の生産活動や生活の様子を考える上で非常に重要な資料として注目できます ( 鈴木和子 ) 木製鍬出土状況 - 7 -

12 たごやの史跡田小屋野貝塚 - 類例少ない日本海側の縄文時代貝塚で人骨発見 - 所在地 : つがる市木造館岡田小屋野調査機関 : つがる市教育委員会調査期間 : 平成 24 年 7 月 2 日 ~ 11 月 30 日調査原因 : 史跡整備に伴う内容確認調査 遺跡の概要青森県西部の日本海岸にあるつがる市の西部で 日本海と平行して南北に展開する屏風山砂丘の丘陵の東端部が 津軽平野の西縁と接する部分の 標高 10m ~ 15m の丘陵の平坦面 ~ 南向きの緩斜面上に位置する 年代的には 縄文前期 ~ 中期の主に円筒土器文化の時代 約 5500 ~ 4500 年前の遺跡で 日本海側に少ない しかも内陸部に位置する縄文前期の貝塚を伴う集落遺跡として貴重な遺跡である 1944( 昭和 19) 年 6 月 26 日に田小屋野貝塚の南約 200 m のところに隣接する亀ヶ岡石器時代遺跡とともに国史跡に指定された 現在 世界文化遺産登録を目指す 北海道 北東北を中心とした縄文遺跡群 の構成資産の 1 つとなっている 今回は 情報が少なかった田小屋野貝塚の史跡指定地内の内容確認調査を行った 主な成果としては 1 地点より 縄文前期の竪穴住居 2 棟 土坑墓 2 基 竪穴住居覆土内の貝層 ( ヤマトシジミ主体 ) とその貝層下に人骨 1 体が発見された点があげられる 人骨は 縄文前期のものと考えられ 頭部から脚部にかけ ほぼ全身が発見された 右側側面を下にした側臥屈葬状態で発見され 頭部が東に位置し 顔は北を向く 日本歯科大学の奈良貴史准教授によると 骨盤 ( 寛骨 ) の観察所見から 出産歴のある成人女性であるとのことである また 今回の調査によって 以下の点が明らかとなった (1) 史跡指定地内には 円筒土器文化期の貝層や遺構が良好な状態で遺存していること (2) 県立郷土館による 2 地点の調査成果から 田小屋野貝塚 = 地点貝塚 との見解があるが 今回の同一地点の調査で 遺構がないところにも貝層が分布する可能性が窺えたため 単純に 地点貝塚 ではない可能性が考えられること (3) 史跡指定地内のほか 史跡南西部隣接地 ( 2 地点 ) にも貝層が分布していること (4) 他にも 地表面に貝層が確認できない部分にも良好な状況で貝層が遺存している可能性が高い 総じて史跡指定地内やその付近では 貝層や遺構の保存状態も良好である可能性が高いといえること 縄文前期人骨検出作業 ( 佐野忠史 ) - 8 -

13 2012( 平成 24) 年度調査による史跡田小屋野貝塚貝層等分布状況 竪穴住居跡 ( 縄文前期 ) 住居内貝層 ( 縄文前期 中期 ) 住居内貝塚 ( 縄文前期 ) 100m 骨盤の骨に出産痕のある成人女性人骨と貝層 ( 縄文前期 ) : 地表に貝が分布 : ボーリングステッキで貝層を確認 : かつて貝層が分布 ( 現在は土に覆われ目視できない ) 遺構内外の貝層 ( 縄文前期 ) : 史跡範囲 - 9 -

14 そとめやち五月女萢遺跡 - マウント を伴う縄文後期末葉 ~ 晩期後葉の環状集団墓地 - 所在地 : 五所川原市相内調査機関 : 五所川原市教育委員会調査期間 : 平成 24 年 5 月 8 日 ~ 10 月 31 日調査原因 : 土砂採取 遺跡の概要五月女萢遺跡は津軽平野を流れる岩木川の河口 十三湖北岸の砂丘上で 日本海までの距離が 1.1 kmと近接した場所に位置しています 季節風の影響を受けやすい立地環境にあるため 一帯は標高 6.5 ~ 11 m の起伏がある海岸線に直交した縦列砂丘の高まりが連続する地形となっており そこには最大で 3 m 近くも及ぶほど厚く堆積した新期砂丘砂によって 遺跡が被覆されていました 調査は平成 22 年度から始まり 今年で 3 年目となっています 今年度の発掘調査では 昨年度までに検出 確認された土壙墓の内部調査を中心に実施しました 土壙墓群についてこれまでの調査で検出した土壙 194 基のうち 墓と判定したもの ( 土壙墓 ) が 130 基あります その分布は大きく 2 ヶ所に分かれています 土壙墓 1 群は 丘陵頂部を囲むように環状に巡ることが判明しました 一方 土壙墓 2 群は丘陵西端部で検出された集石遺構 (SX01) 周辺に土壙墓が確認されています さらに 土壙墓は上部構造が残っているものが多く 黄褐色粘土を盛ってマウンドを作り 墓を造成していることが判明しました (19 基 ) なかには石を立て墓標としている例もありました (SK ) また 埋設土器 ( 土器棺墓 ) が 4 基検出されています (SK ) 平面の形態は楕円形 ( 隅丸方形も含む ) のものがほとんどで わずかに円形が認められます また マウンドを伴う楕円形の墓は 長さ 70cm ~ 280cm 幅 50cm ~ 150cm 深さ 30cm ~ 110cm の規模におさまります なお 楕円形の墓には土壙の底面に周溝を巡らすものが現在までに 6 基ほど確認されていますが その性格は不明です (SK など ) また 土壙墓内から赤色顔料 ( 酸化第二鉄 ベンガラ ) が確認された例が 29 基もありました 特に土壙の内部がすべて赤色顔料で覆われていたものが 2 基ありました (SK06 153) 副葬品とみられるヒスイや緑色凝灰岩の勾玉や丸玉を出土した土壙墓は 今のところ 11 基確認されています (SK ) 特にヒスイ玉類を多く出土した遺構には SK06(40 点 ) SK153(28 点 ) 緑色凝灰岩の玉類を多く出土した遺構には SK131(173 点 ) があります 土器の副葬品とみられるものは 小型の壺形土器 1 点を伴うものがそれぞれ 3 基ありました (SK ) が 土器の副葬品は以外と少ないようです そして 土製の耳飾りを伴うもの 2 基 (SK06 67) 石鏃を副葬したもの 2 基 (SK ) 珍しいものではサメの歯 8 点を副葬したものが 1 基見つかっています (SK136) 今後の分析調査でさらに詳細が明らかになるものと思われます -10-

15 まとめと意義について a) これまでの調査で 縄文時代後期末葉 ~ 晩期後葉 ( 十腰内 V 式 ~ 大洞 A 式までの土器型式 ) までの土壙墓が 130 基確認され 今後の調査でさらに増加するとみられます また これらの土壙墓が環状に巡る縄文時代晩期 ( 亀ヶ岡文化期 ) を中心とした集団墓地としては規模が非常に大きいことが挙げられます 今後 土壙墓と副葬品を分析することで亀ヶ岡文化期の社会構造の解明につながることが期待できます b) 土壙墓に上部構造が分かるマウンドを伴う事例が多く確認されており 従来の縄文の墓地景観を大きく塗り替える発見と言えます c) これまでの調査によって 縄文時代晩期 ( 亀ヶ岡文化期 ) を中心とした集団墓地 掘立柱建物跡 柵木列 道路状遺構 土偶が多く伴う集石遺構 貝塚を含む捨て場遺構など 祭祀施設を構成するさまざまな要素が発見されています d ) また 今回初めて平安時代の畑跡が検出されました ( 約 1000 m2 ) 畑跡は 10 世紀前半に降下したとされる白頭山 - 苫小牧火山灰 (B - T m) の上層で確認されています その後 飛砂で遺跡が被覆されてしまったことが分かりました ( 榊原滋高 ) マウンドを伴う土壙墓の調査風景 -11-

16 たしろ田代遺跡 - 縄文時代中期末から後期前葉の集落跡 - 所在地 : 八戸市南郷区大字島守字番屋調査機関 : 八戸市埋蔵文化財センター是川縄文館調査期間 : 平成 24 年 4 月 25 日 ~ 6 月 30 日調査原因 : 個人農地造成 遺跡の概要田代遺跡は 八戸市南郷区大字島守字番屋に所在し 階上岳から連なる標高約 215 ~ 225 m の丘陵地に立地します 平成 年度に 青森県埋蔵文化財調査センターによって道路改良工事に伴う発掘調査が行われており 縄文時代 弥生時代 近世の遺構 遺物がみつかっています そのなかでも 縄文時代中期末から後期初頭の竪穴住居跡が多く確認されています 八戸市では 平成 23 年度に試掘調査を行い 多数の遺構 遺物がみつかったため 同年本調査を実施しました 今年度は 昨年度に引き続き同じ地点の調査を行いました 遺構の種類今年度は 2700 m2を調査しました 調査の結果 縄文時代中期末 ~ 後期前葉の竪穴住居跡 12 棟 土坑 30 基 屋外炉 1 基 弥生時代前期 中期の竪穴住居跡各 1 棟 近世と考えられるピットが多数検出されています 縄文時代の竪穴住居跡の多くには 複式炉と呼ばれる炉がみつかりました 複式炉は 縄文時代中期末頃に東北地方や北陸地方でさかんにつくられました 弥生時代中期の竪穴住居跡は 青森県内でも発見例が少なく 今回みつかった竪穴住居跡のように全体の規模 構造が明確に分かるものは珍しいため 弥生時代中期の人々の生活のようすを考えるうえで貴重な発見となりました 遺物の説明遺物は 縄文土器 弥生土器 石鏃 石皿などの石器のほか キノコ形土製品 土製耳飾りなどが出土しています 遺跡の特徴及び注目される遺物等昨年度の調査に引き続き 沢に面した南向きの緩やかな斜面に 縄文時代中期末 ~ 後期前葉の集落の広がりを確認しました 田代のムラはこの時期に最盛期を迎えたようです その後 しばらく人々の生活の痕跡はみられませんが 弥生時代になると 再び少人数ながら生活していたことが分かりました ( 田中美穂 ) 弥生時代中期の竪穴住居跡 -12-

17 あ安 べ しつかりあべどうくつ 部遺跡 ( 尻労安部洞窟 ) - 旧石器時代の洞窟遺跡 - 所在地 : 下北郡東通村大字尻労字安部調査機関 : 慶應義塾大学 * 調査期間 : 平成 24 年 7 月 29 日 ~ 8 月 11 日調査原因 : 学術調査 遺跡の概要安部遺跡は 下北半島北東部の桑畑山の麓で太平洋に面し 標高約 33m に位置する旧石器時代から縄文時代にかけての複合遺跡です 慶應義塾大学を中心とする調査団は 旧石器時代の石器とともに人骨や動物骨の保存が期待される当石灰岩洞窟で より総合的に旧石器時代を研究することを目指して 2002 年より毎年発掘調査を行っています これまでの調査では 旧石器と動物骨が同一層準で発見される成果が得られました 遺物の説明 2011 年度までに発見されている旧石器は 3 点です ( 図 2) 内 2 点はナイフ形石器 1 点はトラピーズ ( 台形石器 ) です トラピーズは 現在 石材を明らかにするために理化学分析も行っています ナイフ形石器周辺では ウサギの歯を中心に小型動物骨や大型動物骨がまとまって出土しています 本年度の調査成果今年は 洞奥部へ調査区を広げ ( 図 1) 新たに旧石器の破片 1 点 ( 図 2-4) 石器やウサギの歯の集中部付近から大型陸獣の歯を数点 原位置で発見しました また 掘削土の水洗選別によってもクマの歯牙 ( 図 3) を始め多くの動物骨が見つかっています ( 金井紋子 ) * 金井紋子 竹内俊吾 澤浦亮平 千葉毅 澤田純明 渡辺丈彦 佐藤孝雄 奈良貴史 阿部祥人ほか cm 図 2. 出土旧石器 図 1. 過年度調査区と旧石器出土グリッド ( 番号は図 2 に対応 ) 3 2 cm 4 1. クマ科 ( ヒグマ?) 犬歯 2. クマ科 ( ヒグマ?) 右下顎第 1 後臼歯 3. クマ科 ( ヒグマ?) 左下顎第 2 切歯 4. 大型の可能性のある偶蹄目臼歯破片 図 3. 出土哺乳動物歯牙 -13-

18 どじんながね土人長根遺跡 - 西海岸地方における大規模な製鉄遺跡 - 所在地 : 西津軽郡鰺ヶ沢町大字明石町調査機関 : 鰺ヶ沢町教育委員会調査期間 : 平成 24 年 5 月 1 日 ~ 9 月 21 日調査原因 : 一般廃棄物最終処分場建設事業 遺跡の概要土人長根遺跡は 大和田川の河口から約 2.5 km上流の丘陵地帯にあります 遺跡は早くから発見されており 昭和 36 年の寺田元統氏 ( 松源寺先代住職 ) による踏査では 洞穴住居跡 として 入口約 1.5m 深さ 2 m 洞内高さ 1.8m 煙突穴あり周囲は焼化 した洞窟があると報告されています また付近には 製鉄に関連しそうな 金イソ平 の地名があり 鉄滓も分布していたと述べています ただし当時は 洞窟の性格も時代もまったく分からない遺跡だったようです 地下式大型炭窯の調査 ( 平成 年度 ) 沢に面した南向き斜面の岩盤を 下からトンネル式に掘った炭窯が 2 基並んで確認されました 1 号炭窯は天井部分が崩落していましたが 2 号炭窯は天井がそのまま残った状態で発掘されています 2 号炭窯の焚口下には溝状の前庭部と前道があり それらが 1 号炭窯の前に盛られた盛土の一部を壊して構築していることから 1 号炭窯 2 号炭窯の構築順序が推定されます また焼成室の入口部には 石などに混じって 製鉄炉用のフイゴ羽口 鉄滓 炉壁などが積み重なって出土しており 窯内消火のための閉塞材に転用されたものとみられます 製鉄炉跡の調査 ( 平成 24 年度 ) 炭窯の発見に続き 谷川の川岸では 鉄づくりを行った製鉄炉が 2 ヶ所見つかりました 製鉄炉内に砂鉄と木炭を入れ ふいごの送風で高温にし 砂鉄を溶かして鉄を取り出したと推定されます 炉の地上部分は生成された鉄塊をとり出す際に壊されており 地下の基礎構造だけが残っている状態で発掘されました この他 炉の付属施設として 掘立柱建物の上屋や 排水溝などが見つかっています 製鉄の過程で出来る鉄滓 ( 不純物が混じった鉄かす ) 壊された製鉄炉の壁 捨てられた羽口などは 川岸に大量に廃棄されていました 鉄滓等は 土のう袋 500 以上 重量 2.8 トンも出土しています まとめ土人長根遺跡で見つかった製鉄炉や炭窯については 北陸地方などで発見されている同構造の遺構との類似性 木炭の年代測定の結果から 鎌倉時代中期 (13 世紀中頃 ) の操業年代が推定されます 今回の調査では炭生産から鉄生産まで一連の工程を明らかにできましたが さらに周辺にも地下式炭窯を思わせる洞窟穴や鉄滓の確認情報があることから かなり広範囲にわたる大規模製鉄遺跡である可能性が考えられます 鎌倉時代 津軽の西海岸地方は安藤氏の勢力下にあることから 安藤氏がこうした大規模な鉄生産に関わっていたものと考えられます ( 中田書矢 ) -14-

19 しせきつがるししろあと史 ほりこしじょうあと 跡津軽氏城跡堀越城跡 - 大型の門跡と本丸御殿へつながる掘立柱建物 - 所在地 : 弘前市大字堀越字川合 大字川合字岡本調査機関 : 弘前市教育委員会調査期間 : 平成 24 年 5 月 21 日 ~ 9 月 28 日調査原因 : 史跡整備に伴う内容確認調査 遺跡の概要堀越城跡は平川とその支流の河川に囲まれた平城で 津軽平野南部に位置します 弘前藩初代藩主 津軽為信が大浦城から移転した文禄 3 年 (1594) から 二代信枚が弘前城へと移転する慶長 16 年 (1611) までの 17 年間 津軽氏の居城として使用されました 昭和 60 年 (1985) には津軽氏に関わる重要な城跡として国指定史跡となっており 弘前市教育委員会では平成 10 年 (1998) から継続して調査を実施しています 15 年目となる今年度は 本丸東側と二之丸西端 北の曲輪 ( 仮称 ) で約 1200 m2を調査しました 本丸調査の概要本丸では東側の虎口 ( 出入口 ) を中心に調査を行いました 調査の結果 本丸の東側には幅約 28 m 奥行き約 6 m で 石の基礎をもつ大型の門跡が建てられていたことが判明しました また 門の内側には掘立柱建物跡も見つかりました この建物は 過去の調査で見つかっている本丸御殿へとつながり 御殿の出入口として機能していたようです なお これらの建物は 為信が堀越城を本拠とした文禄 3 年 (1594) 頃に建てられたものと考えられます 本丸東側の門跡 二之丸調査の概要二之丸では西端で調査を行いました 調査の結果 現在の道路 ( 熊野宮参道 ) の下から 外堀を渡るための土橋の跡が見つかりました また 二之丸を囲む土塁の外側に平坦面 ( 犬走り ) が作り出されていることと この平坦面が現在 土塁の途切れている地点 ( 開口部 ) に連結することも判明しました これらのことから 二之丸に入る道は 外堀を土橋で渡ったあと 土塁横の犬走りを通り さらに土塁開口部を抜けていくルートとなる可能性が出てきています ( 岩井浩介 ) 二之丸西端 -15-

20 くらぬしちょう蔵主町遺跡 - 姿をあらわした弘前城下の町割 - 所在地 : 弘前市大字蔵主町調査機関 : 青森県教育庁文化財保護課調査期間 : 平成 24 年 8 月 20 日 ~ 11 月 2 日調査原因 : 県立弘前中央高等学校校舎等改築事業 遺跡の概要蔵主町遺跡は 弘前城跡東側隣接地 岩木川とその支流の土淵川に挟まれた標高約 35 m の台地上に位置する縄文時代から江戸時代の遺跡です 江戸時代に弘前藩が作成した絵図によると 今回の調査区は 城下町が建設された当初は町人地 弘前城内に居住していた家臣団の郭外移転が行われる元禄 9 年 (1695) 以降には上級藩士の武家地として利用されたことが知られています 遺構の種類今回の調査区は 弘前城跡東門の北東約 200m に位置し 調査面積は約 1500 m2です 発掘調査の結果 平安時代の溝跡 江戸時代の竪穴遺構 井戸跡 溝跡 土坑 柱穴跡 整地層などを検出しました 特に 今回の調査では 絵図に描かれた町割を裏付ける区画遺構や区画溝を確認したほか 弘前城下を建設する際に大規模な土木工事 ( 土地造成 ) を行ったうえで町割をしたことも明らかになりました 遺物の説明江戸時代の陶磁器 ( 碗 皿 香炉 すり鉢 壺 瓶 甕など ) を主体とし 瓦類 石製品 ( 砥石 硯 ) 銭貨 ( 寛永通寶 ) 玩具 ( サイコロ 碁石 土人形 ) 金属製品 ( 鉄釘 キセル ) 木製品 ( 曲物 箸 ) 漆器 建築部材 動物骨 種子などが出土しました 陶磁器は 肥前産 ( 伊万里 唐津 ) を中心に 京焼や志野 瀬戸などの製品もあります その年代は 16 世紀末 ~ 19 世紀代です このほか 縄文時代後期の土器 石器 土偶 平安時代の土師器 ( はじき ) や須恵器 ( すえき ) なども出土しました 蔵主町遺跡遠景 ( 南東から ) 遺跡の特徴及び注目される遺物等今回の発掘調査は 江戸時代の弘前城下の人びとのくらしを知るうえで 貴重な成果を収めました また 現存する文献史料では不明瞭であった弘前城下の整備過程の様子も明らかになりました ( 中澤寛将 ) 江戸時代の地割 整地層 ( 北西から ) -16-

21 かわらたい川原平 (4) 遺跡 E 区 - 津軽地域で数少ない縄文時代早期遺跡 - 所在地 : 中津軽郡西目屋村大字川原平字福岡調査機関 : 青森県埋蔵文化財調査センター調査期間 : 平成 24 年 5 月 8 日 ~ 9 月 28 日調査原因 : 津軽ダム建設事業 遺跡の概要川原平 (4) 遺跡 E 区は 岩木川 ( 現美山湖 ) 右岸の河岸段丘上に立地します 標高は約 185m で A B 区より 20m 程低く 段丘の中でも低位面に位置しています 遺構の種類縄文時代の竪穴住居跡 1 軒 土坑 13 基 焼土跡 7 基などが検出されました 竪穴住居跡は 出土した土器から縄文時代後期末葉のものと思われます 土坑の中には 縄文時代晩期の土器が出土したものがありました 遺物の説明縄文時代早期から晩期にかけての土器 石器などが 段ボール箱で 50 箱分出土しました 特に 貝殻文系土器やトランシェ様石器など 縄文時代早期を特徴づける遺物がまとまった範囲から出土しました 遺跡の特徴及び注目される遺物等調査の結果 岩木川右岸の低位面である当調査区においても 縄文時代早期から晩期の複数の時期にわたり生活の場として利用されていたことがわかりました また 出土した縄文時代早期の遺物は 津軽ダム関連遺跡のこれまでの調査で確認された中では最も古い時期のものであるとともに 津軽地域でも出土例が少なく 重要なものです ( 平山明寿 ) 調査風景 -17-

22 用語解説 アスファルト あすふぁると主成分は炭化水素 粘性が高いことから 石鏃の装着や土器 土偶などの補修のさいに接着剤として利用された 伊万里焼 いまりやき佐賀県有田地方を中心とした肥前国で焼かれた磁器 伊万里の名は製品のほとんどが近くの伊万里港から出荷されたことに由来する 寛永 ~ 元禄年間 (1624 ~ 1704) に生産がもっとも盛んになった 円筒式土器 えんとうしきどき東北地方の縄文時代前期から中期にわたる土器型式 円筒下層式と円筒上層式に分かれ 下層式は前期に 上層式は中期に編年される 円筒土器文化 えんとうどきぶんか縄文時代前期から中期にかけて北海道南部と東北地方北部に分布した文化 バケツ状の円筒式土器を特徴とする 一部 ) で焼かれた陶器 慶長 ~ 元和 寛永年間 (1596 ~ 1644) にかけて生産が盛んになった 京焼 きょうやき京都から産出する陶磁器の総称 キノコ形土製品 きのこがたどせいひんきのこの形をした土製品 東北地方の縄文時代後期に多く認められ 祭祀に関わるものとされる 旧石器時代 きゅうせっきじだい人類が打製石器を主要な利器として使用していた時代 このうち 更新世後期終末の 3 万 5000 年 ~ 1 万 3000 年くらい前の時期を後期旧石器時代という 新人の段階に対応する 日本の旧石器時代の遺跡の多くはこれに属する 曲輪 くるわ土塁や堀で囲まれている区域 貝殻文系土器 かいがらもんけいどき縄文時代早期の土器 東日本一帯に分布する 東北地方北部ではサルボウやアカガイの腹縁で様々な文様を施したものがみられる 貝塚 かいづか食料とされた貝の殻が堆積した跡 貝殻のカルシウムにより土壌が中和されるため 通常の遺跡では残りにくい動物 魚の骨などが残存する 土器や石器の出土をはじめ 人や犬が埋葬される場合もあり 単なるゴミ捨て場ではなくモノを送る場でもあったとも考えられている 自然堤防 しぜんていぼう河川の流れの両側に自然形成された堤防状の高まり 河川の下流にみられ この上に集落が営まれる場合が多い 集石遺構 しゅうせきいこう大小様々の礫が多数集まってみられる遺構 集石の下に土坑が見られるもの 火を受けて焼け石となっているものなど様々なものがある 縦列砂丘 じゅうれつさきゅう卓越風 ( 青森県では西よりの風 ) に平行したやせ尾根筋が連続する砂丘 唐津焼 からつやき唐津を中心に肥前 ( 佐賀県と長崎県の 新期砂丘 しんきさきゅう弥生時代の小海退の後に形成された砂 -18-

23 丘 旧期クロスナ層を覆っている クロスナ層は砂丘の砂を主な材料にしてできた 砂質で 植物などの腐食を多く含む層 形成時期が異なる複数の層がある その中で縄文時代中期の小海退と弥生時代の小海退の間に形成されたものを旧期クロスナ層と呼ぶ 捨て場 捨て場遺構 すてば すてばいこう一定のまとまった範囲に遺物が人為的に廃棄 集積された場所 炭窯 すみがま薪を蒸し焼きにして炭化し 炭に加工する窯 世界文化遺産 せかいぶんかいさん世界遺産はユネスコ ( 国連教育科学文化機関 ) の世界遺産条約に基づき 世界遺産リスト に登録される 世界遺産は 自然遺産 複合遺産 そして優れた普遍的価値をもつ建築物や遺跡などの 文化遺産 に分類されている 赤色顔料 せきしょくがんりょう土器などに塗布したり 墓などに散布することで 装飾的あるいは呪術的な効果をあげる赤色の素材 縄文時代には水銀成分を含む朱 ( 水銀朱 ) や酸化第二鉄を発色成分とするベンガラが使われた 石刀 せきとう石製品の一種 日本刀に似て一側辺が薄く 刃をつけたような形状のもの 縄文時代晩期に多い 石棒 せきぼう棒状に加工された石製品で 断面形は円形またそれに近い形のもの 一端または両端にふくらみを持つものと持たないものがある 石冠 せっかん冠に似た形の縄文時代の石製品 正確な用途は不明で祭祀の道具と考えられている 北海道から東北北部には 石冠に似た形の北海道式石冠があり 磨石の一種と考えられている 石棺墓 せっかんぼ長方形の土坑の内壁に石を配した墓 石で蓋をした例もある 時期的には縄文時代後期前半を中心とする 切断蓋付土器 せつだんふたつきどき壷形土器の胴部を焼き上げる前に工具を使い上下に切り分けた土器 縄文時代中期末 ~ 縄文時代前期に東北地方北部を中心にみられる土器である 志野 しの桃山時代に美濃 ( 岐阜県 ) で焼かれた白釉陶器 作品は茶陶で占められる 瀬戸焼 せとやき現在の愛知県瀬戸市を中心にした地域で焼成された陶磁器 近世の瀬戸焼に対して鎌倉 ~ 室町時代の製品は古瀬戸と呼ぶのが一般である 側臥屈葬 そくがくっそう縄文時代の埋葬方法の一つ 死者は四肢を屈折し 体を横に向けた姿勢をとって埋葬される 大木式土器 だいぎしきどき宮城県七ヶ浜町大木囲貝塚出土の土器を標識として設定された縄文時代前期から中期にわたる土器型式 大木 1 ~ 6 式までが前期 7a 式から 10 式までが中期に大別される 竪穴遺構 たてあないこう地面を掘りくぼめて床とし その上に -19-

24 上屋をかけた建物で 居住の痕跡に乏しいものをさす 竪穴住居 たてあなじゅうきょ地面を掘り下げて床とし その上に屋根をふいた住居 本県では縄文時代から平安時代までの一般的な家屋である 煮炊きの施設として炉が伴い 古墳時代以降は炉に代わりカマドが壁際につくられるようになる 注口土器 ちゅうこうどき筒状の注ぎ口がついた土器 縄文時中期末葉に現れ 後期 晩期に多い なお 器の口の部分をゆがめた注ぎ口がついたものは 片口付き土器 と呼ばれる 土器埋設遺構 埋設土器 どきまいせついこう まいせつどき地面に穴を掘り 土器を埋設した施設 縄文時代に多く 乳児などの墓と考えられている 土偶 どぐう土でつくられた人形 縄文時代の重要な信仰的遺物で 草創期から晩期にわたってつくられた 用途については 護符 豊穣祈願など諸説がある 土坑 土坑墓 どこう どこうぼ土坑 ( 土壙 ) は地面に掘られた穴の総称 貯蔵施設と考えられるフラスコ状土坑 ( 断面の形がフラスコに似ている ) や 落とし穴と考えられる溝状土坑 (T ピット ) とよばれるものなどがあり 墓として用いられたものは土坑墓 ( 土壙墓 ) とよばれる 柱穴などの小さな穴をピットと呼んで区別することもある 土橋 どばし堀を横断する通路として設けられる土の堤をさす 土版 岩版 どばん がんばん縄文時代晩期に多くみられる祭祀遺物 形状は長方形ないしは楕円形で 扁平なものが多い 土製のものは土版 石製のものは岩版と呼ぶ 土偶と同じような性格をもつものと考えられている トラピーズ とらぴーず台形石器とも 1 辺か 2 辺に素材の縁辺を残し 台形または四角形 三角形に仕上げられた小形の石器 ナイフ形石器に含めて考える場合が多い トランシェ様石器 とらんしぇようせっき左右対称の撥形で 直線的な片刃の刃部を持つ小形の打製石器 刃部の表側は細部調整がほとんどされておらず 剥離面ないしは礫表皮のままである 縄文時代早期末にみられ 北海道 ~ 東北地方に分布している 土塁 どるい外敵の侵入を防ぐために城などの周囲に築かれた連続した土盛り ナイフ形石器 ないふがたせっき剥片の鋭い縁辺を刃部とし 他の辺に剥離もしくは刃つぶしの加工を施した石器 旧石器時代に特徴的にみられる 配石遺構 はいせきいこう環状列石 組石遺構など 石を配置して構築した遺構の総称 新石器時代以降 世界各地で見られる 日本では主に縄文時代にみられ 中でも後 晩期のものが多い 墓 あるいは祭祀に関わる施設と見られる場合が多い 羽口 はぐちラッパ状の土製の送風管 ふいごから出た風は羽口を通って炉内に送られる 炉壁に固定されて使用される -20-

25 白頭山 - 苫小牧火山灰 (B-Tm) はくとうさんとまこまいかざんばい西暦 940 年頃に降り積もった朝鮮半島北部の白頭山の噴火に由来する火山灰 火山灰は短期間で広範囲に降下するため 複数の遺跡 遺構の年代を知る重要な指標となる 青森県内ではこのほか 高舘火山灰 ( 約 10 万 ~ 2 万年前 ) 八戸火山灰 ( 約 1 万 3000 年前 ) 十和田 b 火山灰 (To-b: 約 2200 年前 ) 十和田 a 火山灰 (To-a: 西暦 915 年 ) などの火山灰がみられる 半円状扁平打製石器 はんえんじょうへんぺいだせいせっき円筒土器文化に特徴的に認められる半円状の石器 明確な用途は不明であるが 形態や加工痕から堅果類などを敲打する際に用いられたとする見解がある ヒスイ製大珠 ひすいせいたいしゅ 5 cm以上の大きさをもつ製品を指し 硬玉製大珠ともいう 縄文時代中期に発達した装飾品で 緒締形や鰹節形などの形態がある 北陸の糸魚川 姫川で産出されたヒスイが用いられている 掘立柱建物 ほったてばしらたてもの地面に穴を掘って柱を立てた 平地式や高床式の建物 堀 ( 濠 壕 ) ほり地面を細長く掘り下げ一定の範囲を区画する遺構 集落や城郭 町 墳墓の周囲に設けられることが多い マウンド まうんど墓の上の盛り土 縄文時代には周りに石を配置した墓や墓の上に土を盛り 大きな石をのせる墓がみられ 墓のしるしのようなもの ( 墓標 ) とされていたと考えられている ミニチュア土器 みにちゅあどき 10 cm以下の小型の土器 文様は粗雑で簡略化されたものが多い 縄文時代中期以降に現れるが 用途については明らかでない 盛土 盛土遺構 もりど もりどいこう土砂や遺物を継続的に廃棄した結果 周囲よりも高くなった場所 炉 ろ調理や暖を取るために繰り返し火を焚いた場所 地面で直接火を焚いた地床炉 周囲を石で囲った石囲炉 ( いしがこいろ ) 周囲に石を組み合わせて配置した配石炉 土器を埋め込んだ土器埋設炉など 時期 地域によって様々な種類がある 縄文時代中期末葉には土器埋設炉と石囲炉が組み合わされた複式炉 ( ふくしきろ ) とよばれるものもある 住居の中に作られたものを屋内炉 外に作られたものを屋外炉と呼ぶこともある 引用 参考文献青森県 2001 青森県史自然編地学 阿部猛ほか編 1995 日本古代史研究事典 東京堂出版江坂輝禰ほか編 1983 日本考古学小辞典 ニューサイエンス社大川清ほか編 1996 日本土器事典 雄山閣小野正敏ほか編 2007 歴史考古学大辞典 吉川弘文館加藤晋平 鶴丸俊明 1980 図録石器の基礎知識 Ⅰ - 先土器 ( 上 )- 柏書房旧石器文化談話会編 2000 旧石器考古学辞典 学生社小林達雄監修 2008 総覧縄文土器 アム プロモーション田中琢 佐原真ほか編 2002 日本考古学事典 三省堂 -21-

26 年 表 年代 約 30,000 年前 約 13,000 年前 約 9,000 年前 約 6,000 年前 約 5,000 年前 約 4,000 年前 約 3,000 年前 約 2,300 年前 約 1,760 年前 ( 西暦 250 年頃 ) 1,302 年前 ( 西暦 710 年 ) ( 平城京遷都 ) 1,218 年前 ( 西暦 794 年 ) ( 平安京遷都 ) 弥生時代古墳時代 時代 時期県内の代表的な遺跡主な土器 石器県内の主なことがら 後期旧石器時代 縄 文 時 代 続縄文時代 飛鳥時代 奈良時代 平安時代 草創期 早期 前期 中期 後期 晩期 前期中期後期 前期中期後期 安部 ( 東通村 ) 大森勝山 ( 弘前市 ) 大平山元 Ⅱ Ⅲ( 外ヶ浜町 ) 五川目 (6)( 三沢市 ) 長者久保 ( 東北町 ) 大平山元 Ⅰ( 外ヶ浜町 ) 表館 (1)( 六ヶ所村 ) 櫛引 ( 八戸市 ) 日計 ( 八戸市 ) 川原平 (4)( 西目屋村 ) 根井沼 ( 三沢市 ) 赤御堂 ( 八戸市 ) 長七谷地貝塚 ( 八戸市 ) 田小屋野貝塚 ( つがる市 ) 畑内 ( 八戸市南郷区 ) 一王寺 (1)( 八戸市 ) 三内丸山 ( 青森市 ) 水上 (2)( 西目屋村 ) 川原平 (6)( 西目屋村 ) 田代 ( 八戸市 ) 大川添 (3)( 西目屋村 ) 大川添 (4)( 西目屋村 ) 小牧野 ( 青森市 ) 十腰内 ( 弘前市 ) 風張 ( 八戸市 ) 芦沢 (2)( 西目屋村 ) 五月女萢 ( 五所川原市 ) 亀ケ岡 ( つがる市 ) 是川中居 ( 八戸市 ) 大森勝山 ( 弘前市 ) 薬師 ( 弘前市 ) 砂沢 ( 弘前市 ) 二枚橋 ( むつ市 ) 垂柳 ( 田舎館村 ) 森ヶ沢 ( 七戸町 ) 田向冷水 ( 八戸市 ) 市子林 ( 八戸市 ) 丹後平古墳群 ( 八戸市 ) 阿光坊古墳群 ( おいらせ町 ) 根岸 (2)( おいらせ町 ) 高屋敷館 ( 青森市 ) 十三盛 ( 五所川原市 ) 林ノ前 ( 八戸市 ) 新田 (1) (2)( 青森市 ) 五所川原須恵器窯跡群 ( 五所川原市 ) ナイフ形石器槍先形尖頭器細石刃 局部磨製石斧無文土器隆起線文系土器爪形文系土器多縄文系土器押型文系土器沈線 貝殻文系土器条痕文系土器縄文系土器長七谷地 Ⅲ 群土器円筒下層 a 式土器円筒下層 b 式土器円筒下層 c 式土器円筒下層 d 式土器円筒上層 a 式土器円筒上層 b 式土器円筒上層 c 式土器円筒上層 d 式土器大木式系土器牛ケ沢式土器十腰内 Ⅰ 式土器十腰内 Ⅱ 式土器十腰内 Ⅲ 式土器十腰内 Ⅳ 式土器十腰内 Ⅴ 式土器大洞 B 式土器大洞 BC 式土器大洞 C1 C2 式土器大洞 A A 式土器 砂沢式土器二枚橋式土器田舎館式土器天王山式土器土師器 須恵器後北式 北大式 土師器 須恵器 土師器須恵器灰釉 緑釉陶器擦文土器かわらけ陶磁器 ( 中国産 ) 針葉樹林帯における狩猟 採集生活 氷河期の終焉 落葉広葉樹林帯の形成土器づくりが始まる ( 最古の土器 ) 弓矢による狩猟の発達 定住生活 縄文海進の始まり貝塚の出現 尖底土器の使用 円筒土器文化の始まり大規模集落の形成と大量の土器 他地域との活発な交易大規模貝塚の形成円筒土器文化の終焉 十腰内文化の始まり大規模環状列石の出現石棺墓 甕棺墓など特殊葬制祭祀遺構 遺物の多様化 ( 動物意匠遺物 ) 亀ケ岡文化の始まり卓越した土器製作技法と豊富な器種漆文化の発達 米づくりの始まり稲作と狩猟 採集の生活遠賀川系土器 寒冷な時代希少な遺跡数かまど付き方形竪穴住居の構築北方文化との強い結びつき蝦夷の地 律令国家の支配地外終末期古墳群の造営馬産の開始 集落の急激な増加 ( 集団移住?) 五所川原に日本最北の須恵器窯塩 鉄関連遺跡の増加十和田湖の噴火と降灰 (915 年頃 ) 白頭山の噴火と降灰 (940 年頃 ) 環壕集落や防御性集落の出現奥州藤原氏の支配 820 年前 ( 西暦 1192 年 ) ( 鎌倉幕府成立 ) 鎌倉時代 室町時代 十三湊 ( 五所川原市 ) 土人長根 ( 鰺ヶ沢町 ) 根城 七戸城 浪岡城 珠洲 常滑 瀬戸 ( 国産 ) 青磁 白磁 染付 ( 中国産 ) 御家人の配置安藤氏の繁栄と南部氏の台頭他地域 国外との交易活発化中世城館の構築 422 年前 ( 西暦 1590 年 ) ( 秀吉天下統一 ) 安土桃山時代江戸時代 三戸城 ( 三戸町 ) 堀越城 ( 弘前市 ) 弘前城 ( 弘前市 ) 蔵主町 ( 弘前市 ) 肥前系陶磁器小久慈焼 ( 八戸領 ) 悪戸焼 下河原焼 ( 弘前領 ) 南部氏の支配と津軽氏の独立盛岡藩 八戸藩 津軽藩の支配 太字は本日発表予定の遺跡です -22-

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紀要6.indd 4 5 4 6 9 6 4 5 5 7 6 7 8 7 9 8 8 5 6 9 4 8 4 4 9 4 44 km 4846 45 5 47 49 5 5 乙女不動原北浦 西 千網谷戸 蜆塚 八坂 4 宮ノ前 4 谷地 5 下島 5 山間 6 岩切森本 6 注連引原 7 中村 7 八祖 8 阿曽田 8 向方南 9 北裏 9 下沼部 牛牧 大六 中川原 4 中手山 5 御用池 6 真宮 5 石行 4

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