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1 第 1.0 版 2018 年 4 月 5 日 日 本 肺 癌 学 会 バ イ オ マ ー カ ー 委 員 会 阪本智宏 松本慎吾 後藤功一 池田貞勝 菓子井達彦 木村英晴 里内美弥子 清水淳市 曽田学 蔦幸治 豊岡伸一 西尾和人 西野和美 畑中豊 三窪将史 谷田部恭 横瀬智之 秋田弘俊

2 目次 はじめに 3 1. BRAF 遺伝子とその遺伝子変異 3 2. BRAF 遺伝子変異陽性肺癌の臨床病理学的特徴 5 3. BRAF V600E 陽性肺癌に対する治療戦略と臨床試験 6 4. BRAF 遺伝子変異の診断 6 4.1. 次世代シークエンス (NGS) 法 7 4.2. PCR 法 9 4.3. ダイレクトシークエンス法 9 4.4. 提出検体の選択における注意事項 10 4.4.1 適切な提出検体の選択 10 4.4.1.1 新鮮凍結組織 10 4.4.1.2 FFPE 検体 11 4.4.1.3 細胞診検体 11 4.4.1.4 血中遊離 DNA 検体 ( リキッドバイオプシー ) 12 4.4.2 NGS 法における検体の取り扱い 12 5. BRAF 遺伝子変異検査のアルゴリズム 13 おわりに 14

3 はじめに v-raf murine sarcoma viral oncogene homolog B1 BRAF 遺伝子は EGFR ALK ROS1 と同様に肺癌の重要なドライバー遺伝子である また BRAF 遺伝子変異は肺癌のみ ならず 悪性黒色腫や大腸癌など様々な悪性腫瘍で起こることが知られており BRAF 遺伝 子のコドン 600 に変異 V600 変異 のある悪性黒色腫には既に分子標的薬が承認されて いる 肺癌においても BRAF V600E 陽性例に対して BRAF 阻害薬ダブラフェニブと MEK 阻害薬トラメチニブ併用療法の高い治療効果が報告され この結果に基づいて 2017 年 4 月に欧州で 同 6 月に米国でこの併用療法が承認されて 2018 年3月に我が国でも承認さ れた EGFR ALK ROS1 に遺伝子異常を有する肺癌と同様に BRAF V600E 陽性肺癌に 対するダブラフェニブとトラメチニブの併用療法は有効な個別化治療の一つと考えられる が BRAF V600E 変異の頻度は非小細胞肺癌の 1 3 と希少であり 実臨床において BRAF V600E 変異を正確に診断するためには様々な注意が必要である 米国では 遺伝子パネル を用いた次世代シークエンス NGS 検査が BRAF V600E 陽性肺癌に対するダブラフェ ニブとトラメチニブ併用療法を含む複数の分子標的治療のコンパニオン診断薬として既に 承認されている 我が国においても同様の検査法が導入される見込みであるが NGS がコ ンパニオン診断薬として臨床応用されるのは今回が初めてのことであり 検査を実施する うえでの検体の取扱いや 検査の特性をよく理解する必要がある 本手引きでは 日常臨床における BRAF V600E 陽性肺癌の診断 特に NGS による BRAF 遺伝子の診断に関する注意事項を概説する 1. BRAF 遺伝子とその遺伝子変異 BRAF タンパク質は 細胞内シグナル伝達経路の一つである RAS-RAF-MEK-ERK 経路 MAPK 経路 の構成因子であるセリン/スレオニン プロテインキナーゼ RAF ファミリー タンパク質の一つであり 細胞の分化 増 殖に関与している 図 1 このタンパク質 をコードする BRAF 遺伝子は 7 番染色体 長腕 7q34 に位置し 全長 190kb 18 エクソンで構成されている 2002 年に Davies ら 1 は 悪性黒色腫や 大腸癌 肺癌などの様々な癌種において BRAF 遺伝子変異が起こっていることを発 見した 悪性腫瘍で起こる BRAF 遺伝子変

4 異は BRAF タンパク質の activation loop A-loop をコードするコドン 599 602 と phosphate binding loop P-loop をコードするコドン 464 469 およびこれらの周辺 に集中している 図 2 悪性黒色腫においては BRAF 遺伝子変異のほとんどが V600E 変 異であるが 肺癌で起こる BRAF 遺伝子変異は V600E 変異が約半数であり その他の変異 タイプ non-v600e 変異 が比較的多いのが特徴といえる 2 BRAF V600E 変異は BRAF キナーゼの活性化を引き起こし 下流シグナルである ERK の恒常的なリン酸化が起こるこ と またこのシグナル伝達経路の活性化によって悪性細胞への形質転換をもたらすことが 知られているが 1 BRAF non-v600e 変異には生物学的意義が不明なものもあり これま でのところ肺癌における BRAF を標的とした治療開発は V600E 陽性例に限定して行われ ている 悪性黒色腫や甲状腺癌における BRAF 遺伝子変異の頻度は約 40 であるが 非小細胞肺 癌においては 1 3 と希少頻度である 2,3 2013 年から我が国で行われている 全国規模 の肺癌遺伝子スクリーニングプロジェクト Lung Cancer Genomic Screening Project for Individualized Medicine in Japan: LC-SCRUM-Japan では EGFR 遺伝子変異陰性の非 扁平上皮非小細胞肺癌において BRAF 遺伝子変異は 5 83/1688 例 で V600E 変異に 限ると 2% 34/1688 例 であり ALK ROS1 や KRAS 等のその他のドライバー変異と 相互排他性が認められた 4 LC-SCRUM-Japan は 主に EGFR 遺伝子変異陰性例を対象に して遺伝子解析を行っていることから EGFR 遺伝子変異が非扁平上皮非小細胞肺癌の約

5 50%を占めると考えると BRAF V600E 変異の頻度は非扁平上皮非小細胞肺癌の約 1%と 考えられる 図 3 2. BRAF V600E 陽性肺癌の臨床病理学的特徴 Ding らの報告では non-v600e 変異 4 例を含む BRAF 遺伝子変異患者 28 例のうち 43 12/28 例 が男性 21 6/28 例 が喫煙者であり 年齢中央値は 64 歳 37-78 歳 であった 8 LC-SCRUM-Japan においては BRAF V600E 陽性患者の 68 23/34 例 が男性 65 22/34 例 が喫煙者であり 年齢中央値は 65 歳 39-85 歳 であっ た また 腺癌が 97 33/34 であり 1 例は扁平上皮癌 1/264 例 小細胞肺癌 309 例の解析では変異例を認めなかった 以上より BRAF V600E 陽性肺癌の特徴として 組 織型は非小細胞肺癌 特に腺癌であること 非喫煙者/軽喫煙者にも認められるが 喫煙者 に多い傾向があること EGFR/ALK/ROS1 といったその他のドライバー変異とは相互排他 性があることが挙げられる 2,5-7 EGFR/ALK/ROS1 肺癌とは異なり 若年者や女性に多い 傾向はなく 傾向としては KRAS 肺癌と類似している 病理学的には 腺癌の亜型として acinar predominant type が最も多く solid predominant type が次いで多くみられると される 7 LC-SCRUM-Japan で同定された BRAF V600E 陽性肺癌において 1 次治療としてプラ チナ併用化学療法が行われた 20 例の治療成績をみると 奏効割合は 30 6/20 例 病 勢制御割合は 75 15/20 例 無増悪生存期間中央値は 13.7 ヶ月 95 CI 7.9 31.9

6 ヶ月 であった これは過去の非小細胞肺癌に対する 1 次化学療法の治療成績と比較して やや良好な傾向を示しており 細胞障害性抗癌剤も BRAF V600E 変異陽性肺癌に対して一 定の効果を有すると考えられる 3. BRAF V600E 陽性肺癌に対する臨床試験 BRAF V600E 陽性非小細胞肺癌に対する治療開発として 未治療例または既治療例を対 象に BRAF 阻害薬ダブラフェニブ単剤療法 あるいはダブラフェニブと MEK 阻害薬トラメ チニブ併用療法の国際多施設共同第Ⅱ相試験 BRF113928 試験 が行われた この臨床試 験は 3 つのコホートで行われ BRAF V600E 陽性非小細胞肺癌に対するダブラフェニブ単 剤の治療効果をみたコホート A には 未治療例が 6 例 二次治療以降の症例が 78 例登録 された 既治療例 78 例のうち 26 例で部分奏効 PR が得られ 奏効割合は 33 95 信頼区間 [CI] 23 45 奏効期間中央値は 9.6 ヶ月 95 CI 5.4 15.2 ヶ月 無増 悪生存期間中央値は 5.5 ヶ月 95 CI 3.4 7.3 ヶ月 であった また 未治療例 6 例の うち 4 例は PR が得られ 無増悪生存期間は 4.0 ヶ月 16.6 ヶ月であった 9 BRAF V600E 陽性の既治療非小細胞肺癌に対するダブラフェニブとトラメチニブの併用療法の効果をみ たコホート B では 57 例中 2 例の完全奏効 CR と 34 例の PR が得られ 奏効割合は 63.2 95 CI 49.3 75.6 奏効期間中央値は 9.0 ヶ月 95 CI 6.9 18.3 ヶ月 無増悪生存期間中央値は 9.7 ヶ月 95 CI 6.9 19.6 ヶ月 であった 10 一方 コホー トCでは 未治療の BRAF V600E 陽性非小細胞肺癌に対してダブラフェニブとトラメチニ ブの併用療法が行われ 36 例中 2 例の CR と 21 例の PR が得られ 奏効割合は 64 95 CI 46 79 奏効期間中央値は 10.4 ヶ月 95 CI 8.3 17.9 ヶ月 無増悪生存期間 中央値は 10.9 ヶ月 95 CI 7.0 16.6 ヶ月 であった 11 これらの結果に基づき BRAF V600E 陽性肺癌に対するダブラフェニブ タフィンラー とトラメチニブ メキニスト の併用療法が 2017 年 4 月に欧州 EMA で 同 6 月に米国 FDA で承認された 同様に 我が国でも 2016 年 12 月に承認申請され 2018 年 3 月に承認された 4. BRAF V600E 変異の診断 BRAF V600E 変異の検出方法は 主に リアルタイム PCR 法 polymerase chain reaction 遺伝子パネルを用いた次世代シークエンス法 Next generation sequencing: NGS ダイレクトシークエンス法の 3 種類である これらは ホルマリン固定パラフィン 包埋 FFPE 新鮮凍結組織 細胞診検体などの検体を用いて行われるが 近年では患者血 漿中に遊離した DNA cfdna を用いた高感度 PCR 法や NGS 法による遺伝子変異検出 リ

7 キッドバイオプシー の開発も進んでいる ここでは それぞれの手法について解説する 4.1. 次世代シークエンス NGS 法 NGS とは 膨大な数のシークエンシング DNA の配列決定 反応を 同時並列的に行う ことのできる技術のことである NGS 法は DNA ゲノム DNA/cDNA ライブラリーの調 製 PCR による増幅 シークエンス反応の 3 段階で行われるが その各段階においてさま ざまな特徴をもつ機器が各社で開発されている 現在 体外診断薬やコンパニオン診断薬 CDx として開発が進められているのは 予め解析する遺伝子を選定してパネル化し 標 的遺伝子の塩基配列を解読するターゲットシークエンス法である また シークエンス反 応の前段階として行うライブラリー調整法には シークエンスする標的領域を PCR で増 幅する方法 アンプリコンシークエンス と合成核酸でハイブリダイズして濃縮する方法 キャプチャーシークエンス がある 図 4 LC-SCRUM-Japan では 2013 年から 2014 年にかけて Ion AmpliSeq Cancer Hotspot Panel ver.2 50 遺伝子パネル を 2015 年から 2017 年 4 月までは Oncomine Comprehensive Assay (OCA) ver.1 143 遺伝 子パネル を用いて NGS 解析を行った また 2017 年 5 月からは OCA ver.3 161 遺伝 子パネル を用いて NGS 解析を行っている これらはいずれもアンプリコンシークエンス

8 を解析原理とした NGS 法であり EGFR 遺伝子変異陰性の非扁平上皮非小細胞肺癌を対象とした場合 上述のように BRAF V600E 陽性肺癌が 2%(34/1688 例 ) スクリーニングされている これは既報における変異頻度と一致した結果であり NGS 法による BRAF V600E 診断が可能であることを示している 一方 米国 FDA は BRAF V600E 陽性肺癌に対するダブラフェニブ + トラメチニブ併用療法の承認に合わせて 2017 年 6 月に 遺伝子パネルを用いたアンプリコンシークエンス法である Oncomine Dx Target Test を承認した Oncomine Dx Target Test の BRAF V600E の検査精度は BRF113928 試験の検体を用いて検証された 使用された 230 例のうち DNA 量の不足等で検査ができなかったものを除く 190 例では PCR で BRAF V600E 陽性であった 73 例中 67 例 (91.8%) で NGS 法でも陽性 PCR 陰性であった 117 例中 114 例 (97.4%) で NGS 法でも陰性が確認され 判定結果の一致率は 95.3% であった ( 表 1) この結果には NGS 法で判定不能であった 9 例が含まれており これらを除くと NGS 法と PCR 法の結果は全て一致していた 同様の検証がその他のドライバー遺伝子についても行われており この結果をもって Oncomine Dx Target Test は EGFR 阻害薬であるゲフィチニブ ROS1 阻害薬であるクリゾチニブ そして BRAF V600E 陽性肺癌に対するダブラフェニブ + トラメチニブ併用療法の CDx として承認された さらに米国では 2017 年 11 月に 300 超の遺伝子をパネルにした FoundationOne CDx も承認されている FoundationOne CDx は 解析原理としてキャプチャーシークエンス法を用いており 非小細胞肺癌を含む 5 つの癌種に対する 17 種類の分子標的薬の CDx として承認されている この中には BRAF V600E 陽性肺癌に対するダブラフェニブ + トラメチニブも含まれる 我が国では ダブラフェニブ + トラメチニブ併用療法の肺癌への適応拡大の承認に際して オンコマイン TM Dx Target Test CDx システムが承認される見込みである まずは BRAF V600E 陽性肺癌に対するダブラフェニブ + トラメチニブ療法の CDx として承認される見込

9 みであるが おそらく 今後 EGFR, ALK, ROS1 などその他の分子標的薬の CDx としても追加承認されることが予想される 従って 今後は NGS 法で一度に複数のドライバー遺伝子を診断し 分子標的薬を選択する個別化医療が現実化するであろう なお NGS を用いた遺伝子パネル検査を実施するにあたり 日本臨床腫瘍学会 日本癌治療学会 日本癌学会の 3 学会から合同で 次世代シークエンサー等を用いた遺伝子パネル検査に基づくがん診療ガイダンス 12 が発出されているので こちらも参照されたい このガイダンスには 主に コンパニオン診断以外の遺伝子パネル検査について 検査対象となる疾患や解析結果の取扱いが解説されている 4.2. PCR 法 PCR 法は 古くから DNA の解析に用いられる手法であり 目的とする DNA 領域に設定したプライマーを用いて DNA を増幅する方法である 遺伝子変異検査においては 変異アリルに特異的なプライマーを用いて 標的とした変異アリルの増幅の有無を判定するアリル特異的 PCR 法や PCR 反応に変異特異的な蛍光プローブを用いて変異アリルを検出する方法が用いられる 手技が比較的容易で汎用性が高く 肺癌における EGFR 遺伝子変異検査や 大腸癌における KRAS 遺伝子変異検査など 既に臨床応用されている遺伝子検査においても同様の手法が多く用いられている 悪性黒色腫では アリル特異的 PCR 法を原理としたロシュ ダイアグノスティックス社の コバス BRAF V600 変異検出キット が BRAF 阻害薬ベムラフェニブの CDx として承認されている また同様に ダブラフェニブおよびトラメチニブの CDx としてはシスメックス ビオメリュー社の THxID BRAF キット が承認されている 悪性黒色腫の場合 コバス BRAF V600 変異検出キットは ダイレクトシークエンス法との比較において 陽性一致率 92.7% 陰性一致率 90.8% であったとされる また THxID BRAF キットもダイレクトシークエンス法との比較において 98% の陽性一致率を示したとされる これらの結果から PCR 法は BRAF V600E 変異診断において有用な手法であると言えるが 現在のところ これらのキットの適応は悪性黒色腫のみであり 肺癌における BRAF 遺伝子検査法としては承認されていない 4.3. ダイレクトシークエンス法ダイレクトシークエンス法は PCR 法で増幅した DNA を鋳型として クローニングを経ずに直接配列決定する手法である 開発者の名前からサンガー法 サンガーシークエンスと呼ばれることも多い NGS の登場以前は 塩基配列決定といえばダイレクトシークエン

10 ス法が主流であった 解析波形から遺伝子変異の有無を直接目視できることが利点であるが 高感度化された PCR 法などと比較すると変異の検出感度が劣ること NGS と比較して大量の塩基配列解読には時間を要すことから 近年ではあまり使用されなくなっている 現在では 診断薬の開発段階における比較対象や NGS の解析結果の確認目的に用いられることが多くなっている 4.4. 提出検体の選択における注意事項 4.4.1. 適切な提出検体の選択 BRAF 遺伝子変異検査においては さまざまな臨床検体が検査対象となりうる 具体的には 新鮮凍結組織やホルマリン固定パラフィン包埋 (formalin-fixed paraffin embedded; FFPE) 組織検体 胸水 気管支擦過細胞 気管支洗浄液等の細胞診検体が用いられる可能性があるが これらの検体の選択にはその特徴をよく理解することが重要である 特に 使用する検体の種類やその採取方法によって 含有する腫瘍細胞の量や核酸の状態が異なることに注意が必要である 以下に 主として NGS 法による BRAF 遺伝子検査に用いられる可能性のある検体の特徴やその注意点について概説する 4.4.1.1. 新鮮凍結組織最も高品質の DNA RNA を抽出可能な検体であり NGS を用いた遺伝子解析を行う場合には最適な検体と言える 一方で 新鮮凍結組織は検体に腫瘍細胞が含まれているか否かを直接確認できないため 必ず同時に作製した FFPE 標本を用いて腫瘍細胞の含有とその比率を顕微鏡的に確認する必要がある 周囲の炎症が強い腫瘍や 粘液産生が高度な腫瘍 中心部の線維化が広範な腫瘍では 採取された検体が大きくても含有する腫瘍細胞が少なく解析結果が偽陰性となる可能性も認識しておく 肺癌においては 主として気管支鏡を用いた生検検体や 針生検 手術検体を用いる場合が多い 手術検体など十分量の組織が得られた場合には 検体に割を入れ その半分の組織を凍結保存し 残りの半分の組織で作製した FFPE 標本を用いて腫瘍細胞の含有比率を確認した後 凍結組織を遺伝子解析に提出する 気管支鏡生検や針生検で得られた検体は微量で半割できないことも多いため 必ず 同一箇所から同じ手法で採取した対となる検体で FFPE を作製し 腫瘍細胞の含有比率を確認した後 保存しておいた凍結組織を遺伝子解析に提出する また DNA は RNA に比べて変性しにくいが 長時間の室温放置や凍結と融解の繰り返しは 核酸の質を低下させ 検査精度を下げる可能性があるため 避けるべきである 可及的速やかに-80 以下に凍結 保管することが推奨される LC-SCRUM-Japan では新鮮凍結組織もしくは細胞診検

11 体を用いて NGS 法を行っているが 提出された検体のうち約 57% は新鮮凍結組織であっ た これらを用いた NGS の解析成功割合は 92% であり このことから 我が国の日常診 療において採取される生検検体を凍結して利用すれば NGS 法は十分可能と考えられる 4.4.1.2. FFPE 組織検体悪性黒色腫で承認されている 2 つの PCR キットを用いた BRAF 遺伝子検査は いずれも FFPE 組織検体が標準測定試料として指定されている NGS 法においても FFPE 組織検体は使用可能であるが FFPE 組織検体を用いる場合 核酸の品質はホルマリンの種類と固定時間に大きく影響を受ける 固定液は 10% 中性緩衝ホルマリンが推奨されており 生検組織では 4~24 時間 手術検体においては 18~36 時間の固定時間が推奨される 10% 中性緩衝ホルマリンは 通常 1 時間に 1mm 程度浸透するとされていることから 検体の大きさも十分考慮して固定時間を設定する必要がある また 過去に検体が採取され長期間 (3 年以上 ) 保管された FFPE からの DNA RNA は分解が進んでいることが多く 可能な限り新しい検体を用いることが望ましい パラフィン包埋標本を作製した後は 切片を複数枚作製し そのうちの 1 枚で HE 染色を行い 腫瘍細胞の含有比率を確認する 特に気管支鏡を用いた生検検体では 検体が微量であることが多く すでに病理診断などで薄切したあとに再薄切した切片では組織自体がほとんど消失している場合や 腫瘍細胞が含まれていない組織片になっている可能性があるため 注意を要する オンコマイン TM Dx Target Test CDx システムでは 手術検体を用いる場合は 5μm 厚の薄切を 2 枚 生検検体では 9 枚を要求される また 組織中の腫瘍含有割合が 20% に満たない場合には マクロダイセクションによって腫瘍を集めることが推奨されている 臨床において採取可能な検体には限りがあるため NGS の臨床応用によって複数のドライバー遺伝子のマルチプレックス診断が可能な状況となるまでは 検体量を節約する工夫も必要である 具体的には 細胞診検体が利用可能な場合は最大限活用する 薄切スライドを作製する際に検査ごとに複数回に分けて依頼をするとその都度検体のロスが発生するため 可能な限りまとめて依頼をする などによって限られた検体を有効に活用できる また 病理診断報告書において腫瘍細胞の存在が報告されていても その含有量は様々であり 腫瘍細胞の含有比率 ( 標本内の有核細胞における腫瘍細胞の割合 ) について報告書に記載するよう 予め病理医に依頼しておくのも良い また 遺伝子検査のための FFPE 組織検体の取扱いについては 日本病理学会から出された ゲノム診療用病理組織検体取扱い規程 13 も参照されたい

12 4.4.1.3. 細胞診検体肺癌の診断に多く用いられる細胞診検体としては 気管支洗浄液 胸水がある 細胞診検体では腫瘍細胞の含有量が少ない場合があるため 腫瘍細胞の確認が必須である 特に 胸水は非腫瘍細胞を多く含むため 遺伝子変異の検出が偽陰性になる可能性を認識しておく必要がある 細胞を浮遊させたまま二つに分け 一方を細胞診に提出し 残りは遺伝子検査用に遠心分離 ( 室温で 760 g [2000~3000rpm] 10 分間 ) して上清を出来るだけ取り除き 細胞ペレットの状態で凍結保存する 細胞診で腫瘍細胞を確認後 凍結保存してある細胞ペレットを遺伝子検査に提出する また腫瘍細胞の含有量が多い検体では FFPE セルブロックを作製して検査に利用することも可能である 4.4.1.4. 血中遊離 DNA 検体 ( リキッドバイオプシー ) 遺伝子解析に血中遊離 DNA(cfDNA) を用いることは リキッドバイオプシーとも呼ばれ 癌細胞や組織の採取に比べて患者の負担が小さく, 簡便であるため 様々な癌種において遺伝子変異検査への利用に期待が高まっている 我が国では非小細胞肺癌において ロシュ ダイアグノスティックス社の コバス EGFR 変異検出キット v2.0 を用いたリキッドバイオプシーによる EGFR 遺伝子検査が 2016 年 12 月にオシメルチニブの CDx として承認された さらに 2017 年 8 月には 同検査がゲフィチニブ エルロチニブ アファチニブの適応を判定するための CDx としても承認されている BRAF V600E 変異の検出においても リキッドバイオプシーの応用が期待されるが 現時点では臨床診断に用いることはできず あくまで研究を目的とした検査となる また近年では リキッドバイオプシーに NGS を導入する試みも盛んに行われており 将来的に臨床応用される可能性も十分にある 4.4.2. NGS 法における検体の取り扱い NGS を用いた BRAF 遺伝子検査においては DNA の質を落とさぬよう 検体の取り扱いには注意する必要がある さらに今後 融合遺伝子の検出など RNA を用いた解析を同時に行うような検査法が承認された場合 RNA は DNA よりも変性しやすいため より一層の注意が必要となる 検体採取後は 可及的速やかに凍結保存 (-80 以下 ) またはホルマリン固定処理を行うこと 長時間のホルマリン固定は避けることに注意する また 検体を提出する際には 検査結果の偽陰性を避けるために 可能な限り大きな かつ腫瘍細胞含有の多い検体を選択すること 古い検体の使用は避けることに注意する 胸水や気管支洗浄液などの細胞診検体は腫瘍細胞の含有が極めて少ない場合も多いため できるだけ新鮮

13 凍結組織を用いて NGS 法を行うことが推奨され その際には 必ず 半割した組織 ある いは対となる組織で FFPE を作製したうえで 腫瘍細胞の含有を確認する必要がある ホル マリン固定標本は取り扱いが容易で 良質な検体である場合は NGS 法が十分可能であるが その一方でホルマリンにより核酸が断片化し 解析が困難となる可能性も十分考慮してお く必要ある 一般的に 単一領域を解析する PCR と比較して複数領域を解析する NGS 法 では ホルマリンによる核酸の断片化による影響が大きく 解析不能となる可能性が高い NGS による高い診断精度を担保するためには 本手引きでは新鮮凍結組織を NGS へ活用す ることを推奨したい 5. BRAF 遺伝子検査のアルゴリズム BRAF V600E 陽性肺癌は 非扁平上皮非小細胞肺癌の 1 3%という希少頻度であるが EGFR 遺伝子変異や ALK 融合遺伝子 ROS1 融合遺伝子を有する肺癌と同じように 分子 標的薬による高い治療効果が期待される このため 出来るだけ早期に診断し ダブラフ ェニブ トラメチニブ併用療法の適応を検討する必要があり 治療開始までの時間を短縮 するためにも 初回診断時に EGFR 遺伝子変異 ALK 融合遺伝子 ROS1 融合遺伝子 PD-L1 の検査と同時に BRAF 遺伝子変異も測定することが推奨される 図 5 患者から得られた 検体を節約して浪費を回避し 短期間で正確なドライバー遺伝子の診断結果に到達するた めにも 4 つのドライバー遺伝子を可能な限り同時測定することが望まれる 最終的に NGS 法による BRAF 遺伝子検査が実用化され さらにその他のドライバー遺伝子のコンパニオ ン診断薬としても NGS 法が承認されれば 遺伝子パネル検査により 一度に複数のドライ バー遺伝子を短時間で診断することが可能となる もし ドライバー遺伝子陽性で かつ PD-L1 の高発現が認められた場合には 最適な 1 次治療として 免疫チェックポイント阻 害薬よりドライバー遺伝子に対する分子標的治療薬の方が高い治療効果が期待されるため 分子標的治療薬を優先すべきである 14 さらに これまでの検査で EGFR 遺伝子変異 ALK 融合遺伝子 ROS1 融合遺伝子がいずれも陰性と診断された非扁平上皮非小細胞肺癌 特に 肺腺癌の患者では 残余検体や再生検による検体を用いて 出来るだけ速やかに BRAF 遺 伝子変異の検査の実施を検討する BRAF V600E 変異は EGFR ALK ROS1 の各遺伝子 異常が陰性となることが多い男性や喫煙者でも検出されるため 患者背景によらず積極的 に BRAF 遺伝子検査を行うことが望まれる

14 おわりに BRAF V600E 陽性肺癌に対するダブラフェニブ+トラメチニブの治療効果は非常に高く 日本肺癌学会の 肺癌診療ガイドライン 2017 年版 14 において 同治療法は既に 1 次治 療の標準治療のひとつとして位置づけられている BRAF V600E 変異の頻度は非扁平上皮 非小細胞肺癌の 1 3%と非常に希少であるが 有効な治療を適切な患者に提供するため BRAF V600E 変異が陽性となる可能性を常に意識し 積極的に遺伝子検査を行っていく必 要がある 今後 BRAF 遺伝子検査のみならず NGS を用いた遺伝子パネル検査が承認されれ ば 一度に複数のドライバー遺伝子を迅速に診断出来るようになり これを契機として更 に個別化医療が加速することを期待したい 固形腫瘍において個別化医療の概念が最も浸透している肺癌の診療に従事する医師は 遺伝子診断の重要性を十分に理解していると思われるが 検査精度を担保するために 検 体の採取 処理および管理について関係各所と密に連携しながら良質な検体を確保して 診療を行っていく必要があるだろう BRAF 遺伝子検査として導入される見込みの NGS 検 査には FFPE を用いることも可能であるが 診断精度を高いレベルで保つためにも 本手 引きでは新鮮凍結組織を積極的に活用することを推奨したい ただし 新鮮凍結組織では 腫瘍細胞の含有が直接確認できないことに注意する必要があり 特に気管支鏡生検や針生

15 検で得られた検体では 同一箇所から同じ手法で採取した対となる検体で FFPE を作製し 腫瘍細胞の含有比率を確認した後 保存しておいた凍結組織を遺伝子解析に提出するなど 診断精度を上げる工夫を行うべきである 今後 本手引きが有効活用されることを願う

16 引用文献 1 Davies H, Bignell GR, Cox C, et al. Mutations of the BRAF gene in human cancer. Nature 2002; 417:949-954 2 Paik PK, Arcila ME, Fara M, et al. Clinical characteristics of patients with lung adenocarcinomas harboring BRAF mutations. J Clin Oncol 2011; 29:2046-2051 3 Pao W, Girard N. New driver mutations in non-small-cell lung cancer. Lancet Oncol 2011; 12:175-180 4 松本慎吾. 全国肺癌ゲノムスクリーニングプロジェクト (LC-SCRUM-Japan) におけ るクリニカルシークエンス. 第 58 回日本肺癌学会学術集会 2017(S2-1). 5 Kinno T, Tsuta K, Shiraishi K, et al. Clinicopathological features of nonsmall cell lung carcinomas with BRAF mutations. Ann Oncol 2014; 25:138-142 6 Litvak AM, Paik PK, Woo KM, et al. Clinical characteristics and course of 63 patients with BRAF mutant lung cancers. J Thorac Oncol 2014; 9:1669-1674 7 Zheng D, Wang R, Pan Y, et al. Prevalence and Clinicopathological Characteristics of BRAF Mutations in Chinese Patients with Lung Adenocarcinoma. Ann Surg Oncol 2015; 22 Suppl 3:S1284-1291 8 Ding, X,Zhang, Z,Jiang, T,et al.clinicopathologic characteristics and outcomes of Chinese patients with non-small-cell lung cancer and BRAF mutation.cancer Med 2017;6:555-562 9 Planchard D, Kim TM, Mazieres J, et al. Dabrafenib in patients with BRAF(V600E)-positive advanced non-small-cell lung cancer: a single-arm, multicentre, open-label, phase 2 trial. Lancet Oncol 2016; 17:642-650 10 Planchard D, Besse B, Groen HJM, et al. Dabrafenib plus trametinib in patients with previously treated BRAF(V600E)-mutant metastatic non-small cell lung cancer: an open-label, multicentre phase 2 trial. Lancet Oncol 2016; 17:984-993 11 Planchard D, Smit EF, Groen HJM, et al. Dabrafenib plus trametinib in patients with previously untreated BRAFV600E-mutant metastatic non-small-cell lung cancer: an open-label, phase 2 trial. Lancet Oncol 2017; 18:1307-1316 12 日本臨床腫瘍学会, 日本癌治療学会, 日本癌学会. 次世代シーケンサー等を用いた

17 遺伝子パネル検査に基づくがん診療ガイダンス ( 第 1.0 版 ).2017 年. 13 日本病理学会. ゲノム診療用病理組織検体取扱い規程 ( 初版 ).2017 年. 14 日本肺癌学会. 肺癌診療ガイドライン 2017 年版.Ⅳ 期非小細胞肺癌薬物療法. 金原出版.2017 年.