上原記念生命科学財団研究報告集, 24(2010) 2. 薬剤耐性菌発生における変異原の影響解析 竹内亨 Key words: 変異原, 薬剤耐性菌, 緑膿菌 (Pseudomonas aeruginosa),ciprofloxacin, rifampicin * 鹿児島大学大学院医歯学総合研究科健康科学専攻人間環境学講座環境医学分野 緒言薬剤耐性菌の出現は医学的並びに社会的に大きな問題となっており, その出現は世界的に増加している 1). 薬剤耐性菌が出現する原因は, 不適切な抗菌剤の使用, 特に過剰な抗菌剤の使用により薬剤耐性菌が選択されるためと考えられてきた. しかし薬剤耐性菌が抗菌剤の存在下で生育するためには, まず薬剤耐性を獲得する必要がある. 細菌が薬剤耐性を獲得する機構として, 抗菌剤分解酵素の獲得, 薬剤汲み出しポンプの発現亢進, 薬剤の標的となる分子の変異を挙げることができる 2). 臨床で分離される多くの薬剤耐性菌では薬剤標的分子に変異が存在している 2). しかし臨床的に薬物耐性獲得が問題となっている細菌に対し, 何が, どのような変異を誘発し, それが薬剤耐性を賦与するかを検討した研究はない. 一方環境や医薬品には変異原, 即ち変異を誘発する要因や物質が数多く存在する. 本研究では, これらの変異原が, 薬剤耐性菌の出現が臨床的に問題となっている Pseudomonas aeruginosa に, 薬剤耐性を獲得させるか, どのような機構で薬剤耐性を獲得させるか, 変異原誘発薬剤耐性菌と臨床で分離された薬剤耐性菌に分子生物学的な差異があるかを検討し, 薬剤耐性菌発生制御に資するデータを得ることを目的とした. 方法本研究では近年臨床現場で薬剤耐性菌の出現が問題となっている P. aeruginosa を用いた. 変異原物質として, 変異誘発実験に用いられる ethylmethane sulphonate (EMS) 並びに N-nitroso-N-methylurea (MNU), 抗がん剤である 1, 3- bis (2-chloroethyl)-1-nitrosourea (BCNU), 燃焼時に発生する benzo[a]pyrene (BP) 並びに 1, 6-dinitropyrene (1, 6-DNP), たばこ煙中に存在する N-nitrosonornicotine (NNN) を用いた. 抗菌剤としては,rifampicin(Rif) と ciprofloxacin(cpfx) を用いた. P. aeruginosa を Dulbecco s Phosphate Buffered Saline(DPBS) に懸濁し, 変異原物質を添加し 1 時間培養後, NB 培地を添加し更に一晩培養した. 変異原物質を添加しない非暴露群には変異原物質の溶解に用いた溶媒を等量添加した. 培養後細菌懸濁液をそのまま, あるいは希釈し,Rif(150μg/ml) 又は CPFX(4μg/ml) を含有する寒天培地並びに抗菌剤を含有しない寒天培地に塗布し1 日培養後, 出現したコロニー数を勘定した. 薬剤耐性菌出現頻度は,( 抗菌剤を含有する寒天培地のコロニー数 ) ( 抗菌剤を含有しない寒天培地のコロニー数 希釈倍数 ) から算出した. BP 曝露については,DPBS に懸濁した P. aeruginosa に BP 並びに S9 を添加し 20 分間培養後,NB 培地を加え一晩培養した. 薬剤耐性菌の出現頻度は上記同様に算出した.S9 存在下の BP の変異原性は Ames 試験で確認した 3). 薬剤耐性獲得機構の解析のために,Rif 標的分子である RNA polymerase β-subunit をコードする rpob 遺伝子の塩基配列 4) 並びに CPFX 標的分子である gyrase 及び topoisomerase IV をコードする gyra,gyrb,parc,pare 遺伝子の塩基配列を解析した 5). また薬剤排出ポンプの発現を制御する nfxb 並びに mexr 遺伝子の塩基配列も解析した 6). EMS により誘発した gyra 遺伝子に変異を有する CPFX 耐性菌が CPFX 存在下で選択的に増殖するかどうかは,CPFX 耐性菌を野生株 10 9 個の中に接種し,CPFX(4μg/ml) を含有する NB 培地で培養した. 変異 gyra を効率良く増幅するプ * 現所属 : 鹿児島大学大学院医歯学総合研究科人間環境学講座環境医学分野 1
ライマーと総 gyra( 野生型並びに変異型 ) を増幅するプライマーを用い, 総 gyra のコピー数に対する変異 gyra のコピー数の比を,real time PCR にて経時的に解析した. 曝露群, 非暴露群間における薬剤耐性菌の出現頻度の差は Wilcoxon rank sum test で検定した. 結果 EMS,MNU 並びに BCNU 曝露群では Rif 耐性 P. aeruginosa の出現頻度が有意に高かった.1,6-DNP 曝露で Rif 耐性 P. aeruginosa の出現頻度が非暴露群に比し約 2 倍になったが, 有意な増加ではなかった.BP 並びに NNN 曝露群では Rif 耐性 P. aeruginosa の出現頻度に変化はなかった ( 図 1). EMS,MNU,1,6-DNP 曝露群では CPFX 耐性 P. aeruginosa の出現頻度が有意に高かった.BCNU 曝露で CPFX 耐性 P. aeruginosa の出現頻度が非暴露群に比し約 34 倍になったが, バラツキが大きく有意差は認められなかった.BP 並びに NNN 曝露群では CPFX 耐性 P. aeruginosa の出現頻度に変化はなかった ( 図 1). 図 1. 変異原物質曝露による薬剤耐性菌出現頻度の変化. P. aeruginosa に各種変異原物質を曝露し,Rif あるいは CPFX 耐性菌の出現頻度を算出し, 非暴露群における耐 性菌出現頻度に比し何倍変化したかを示した. 各変異原物質について 3 回以上の検討を行い, その平均値を示した. MNU 曝露群では Rif 耐性菌あるいは CPFX 耐性菌の出現頻度が顕著に増加したため,MNU 濃度と Rif 耐性菌あるいは CPFX 耐性菌の出現頻度の関係を検討したところ,MNU 曝露濃度に依存して Rif 耐性菌あるいは CPFX 耐性菌の出現頻度が増加した. Rif 耐性菌から DNA を抽出し,rpoB 遺伝子の塩基配列を解析したところ, 約 93% の Rif 耐性菌に変異を認めた. 検出した変異は Rif 結合領域に存在し, いずれもアミノ酸置換を伴うものであった ( 表 1). CPFX 耐性菌から DNA を抽出し,gyrA 遺伝子の quinolone 結合領域の塩基配列を解析したところ,80% の CPFX 耐性菌でアミノ酸置換を伴う変異を認めた.20% の CPFX 耐性菌では変異を認めなかったため,gyrB,parC,parE 遺伝子の塩基配列を解析した. その結果約 9% の CPFX 耐性菌の gyrb あるいは pare にアミノ酸置換を伴う変異を認めた. これらの遺伝子に変異を認めなかった CPFX 耐性菌については nfxb 並びに mexr 遺伝子の塩基配列を解析したが, 両遺伝子に変異を認めなかった ( 表 1). 2
表 1. 自然発生並びに変異原誘発耐性菌で検出したアミノ酸置換を伴う変異 Rif あるいは CPFX 耐性菌から DNA を抽出し,Rif 耐性菌については rpob 遺伝子を,CPFX 耐性菌については gyra, gyrb, parc, pare 遺伝子を PCR で増幅し, 塩基配列を解析した. 野生株の塩基配列は遺伝子情報データベースに登録さ れているものと同じであった. 野生株と比較し変異を認めたものを記した. なお parc 遺伝子には変異を認めなかった. EMS で誘発した gyra のコドン 83 に ACC ATC 変異 (T83I) を有する CPFX 耐性株を野生株とともに CPFX 存在下で 培養したところ, 変異 gyra を有する細菌が選択的に増殖した ( 図 2). 図 2. 変異 gyra を有する CPFX 耐性株の CPFX 存在下での増殖. 約 10 9 個の野生株に gyra コドン 83 に ATC 変異を有する CPFX 耐性株を約 100 個接種し,CPFX 存在下で培養した. 約 10 9 個の野生株あるいは CPRX 耐性株のみも CPFX 存在下で培養した. 経時的に細菌培養液を採取し, 総 gyra 並びに変異 gyra のコピー数を real time PCR で解析し, 総 gyra に対する変異 gyra の相対的コピー数を算出した. 3
考察 薬剤耐性菌の出現が世界的に増加し, 医学的 社会的に大きな問題となっている 1). 薬剤耐性菌の出現原因として抗菌剤の 不適切な使用が一義的な原因とされているが, 抗菌剤の存在下で選択的に増殖するためにはまず薬剤耐性を獲得する必要が ある. 臨床で分離される多くの薬剤耐性菌では当該薬剤の標的となる分子に変異が見つかっている 2). しかし臨床的に問題と なる細菌に対し, 何が変異を誘発するかについて全く検討されていない. 我々は酸素ガスが偏性嫌気性菌に DNA 損傷を誘発 し,rpoB 遺伝子に変異を引き起こし Rif 耐性を獲得させることを見いだした 7). 環境, 医療機関, 家庭には数多くの変異原が 存在する. それら変異原が臨床的に問題となる細菌に作用し薬剤耐性を獲得させている可能性が考えられるが, その可能性に ついては全く検討されていない. 一方変異原が変異原性試験用の細菌に変異を誘発することは周知の事実である. 本研究では常在菌, 即ち変異原を含めた環境中の種々の物質に曝露する機会が多く, しかも薬剤耐性菌の出現が臨床的に 問題になっている P. aeruginosa を用いて, 変異原物質が薬剤耐性菌を誘発するかを検討した. 薬剤として, 細菌による耐性 獲得が問題になっている Rif 並びに CPFX を用いた. これらの薬剤は標的分子が明確で, 多くの耐性菌において標的分子の 変異が報告されている 4,5). 変異原としては, 主に点突然変異を誘発する DNA アルキル化剤を用いた. P. aeruginosa をこれらの変異原物質に曝露することで,Rif あるいは CPFX 耐性菌の出現頻度が増加することが明らかに なった ( 図 1). 変異原で誘発した耐性菌では予想通り抗菌剤の標的遺伝子に変異が誘発されていたが ( 表 1), それらの変 異は他の Rif 耐性病原細菌や臨床で分離される CPFX 耐性 P. aeruginosa と同じアミノ酸置換を引き起こす変異であった 8,9). 特に BCNU や 1,6-DNP は医療機関や環境に存在する変異原物質であり, 医療機関や自然界における薬剤耐性菌発生を説 明しうる. 一方 BP は Ames 試験では変異を引き起こしたが, 薬剤耐性 P. aeruginosa の出現頻度を増加させなかった.BP の変異誘発能は Salmonella 株間でも異なるため 10),BP は P. aeruginosa 以外の病原細菌には変異を誘発し薬剤耐性を獲 得させる可能性がある.NNN でも同様の可能性, 即ち細菌属 種 株によっては薬剤耐性を獲得させる変異を誘発する可能性 がある. 変異原物質で誘発した薬剤耐性菌が薬剤存在下で選択的に増殖することも明らかになり ( 図 2), 薬剤耐性菌の蔓延や薬剤 耐性菌感染症を予防するためには変異原による薬剤耐性菌の誘発を阻止する必要がある. 薬剤耐性菌の出現が特に問題となる医療機関には, 抗がん剤や電離放射線, 紫外線等多数の変異原が存在する. またた ばこの煙には多くの変異原物質が含まれており 11), 喫煙を許可している環境下では更に多くの変異原が存在することになる. 薬 剤耐性菌の発生を制御することは喫緊の課題であるが, 抗菌剤の適切な使用のみが強調されてきた対策に, 本研究成果は新 たな対策の必要性を示唆し, 薬剤耐性菌発生制御に資すると考えられる. 薬剤耐性菌の出現が問題となる医療機関には多数 の変異原とともに病原細菌も存在するため, 変異原と病原細菌の分離, 例えば抗がん剤等変異原物質の調整 使用 廃棄の管 理, 施設内禁煙, 紫外線や電離放射線照野の細菌の除去, 感染症症例における喫煙の停止等の措置が, 薬剤耐性菌の発 生制御に必要と考えられる. 共同研究者 本研究の共同研究者は, 鹿児島大学大学院歯学総合研究科人間環境学講座環境医学分野准教授の堀内正久および大学院 生の宮原恵祢子である. 文献 1) Fischabach, M. A. & Walsh, C. T.:Antibiotics for emerging pathogens. Science, 325:1089-1093, 2009. 2) Walsh, C.:Molecular mechanisms that confer antibacterial drug resistance. Nature, 406:775-781, 2000. 3) Jemnitz, K., Veres, Z., Torok, G., Toth, E. & Vereczkey, L.:Comparative study in the Ames test of benzo[a]pyrene and 2-aminoanthracene metabolic activation using rat hepatic S9 and hepatocytes following in vivo or in vitro induction. Mutagenesis, 19:245-250, 2004. 4) Campbell, E. A, Korzheva, N., Mustaev, A., Murakami, K., Nair, S., Goldfarb, A. & Darst, S. A.: Structural mechanism for rifampicin inhibition of bacterial RNA polymerase. Cell, 104:901-912, 2001. 5) Mouneimne, H., Robert, J., Jarlier, V. & Cambau, E. : Type II topoisomerase mutations in ciprofloxacin-resistant strains of Pseudomonas aeruginosa. Antimicrob. Agents Chemother., 43: 62-66, 1999. 6) Higgins, P. G., Fluit, A. C., Milatovic, D., Verhoef, J. & Sclunitz, F. J.:Mutations in GyrA, ParC, MexR and NfxB in clinical isolates of Pseudomonas aeruginosa. Int. Antimicrob. Agents., 21:409-413, 2003. 4
7) Takumi, S., Komatsu, M., Aoyama, K., Watanabe, K. & Takeuchi, T.:Oxygen induces mutation in a strict anaerobe, Prevotella melaninogenica. Free Radic. Biol. Med., 44:1857-1862, 2008. 8) Mariam, D. H, Menquistu, Y., Hoffner, S. E. & Andersson, D. I.:Effect of rpob mutations conferring rifampin resistance on fitness of Mycobacterium tuberculosis. Antimicrob. Agents Chemother., 48: 1289-1294, 2004. 9) Akasaka. T., Tanaka, M., Yamaguchi, A. & Sato, K. : TypeⅡ topoisomerase mutations in fluoroquinolone-resistant clinical strains of Pseudomonas aeruginosa isolated in 1998 and 1999:Role of target enzyme in mechanism of fluoroquinolone resistance. Antimicrob. Agents Chemother., 45: 2263-2268, 2001. 10) Saito, J., Sakai, Y. & Nagase, H.:In vitro anti-mutagenic effect magnolol against direct and indirect mutagens. Mutat. Res., 609:68-73, 2006. 11) Yim, S. H. & Hee, S. S. Q.:Bacterial mutagenicity of some tobacco aromatic nitrogen bases and their mixtures. Mutat. Res. Genet. Toxicol. Environ. Mutagen., 492:13-27, 2001. 5