細胞間コミュニケーションによる 細胞社会の自己組織化ダイナミクス 理化学研究所 生命システム研究センター (QBiC) 古澤力
多細胞生物の特徴 異なる役割を持つ細胞から構成される 細胞間の相互作用によって集団としての性質が組織化される 細胞数のダイナミックな増減がある 集団レベルでの安定性が維持されている 最もエレガントなマルチエージェント システムの一つン
セントラル ドグマ 細胞 DNA mrna A T A C G C A T T A T G C G T A 転写 核 DNA ( 遺伝情報 ) mrna A T G C A C タンパク質 ( 化学反応を触媒 ) リボソーム A T A C G C 反応を触媒 翻訳 アミノ酸 折れ畳み タンパク質
遺伝子発現の制御の例 :lac リプレッサー laci プロモータ lacz laci プロモータ lacz タンパク タンパク 合成 mrna 合成を阻害 合成 タンパク合成を開始 ( ラクトースの代謝酵素 ) リプレッサー リプレッサー ラクトース リプレッサーが不活性化 ラクトースが存在しないラクトースが存在する ( 乳糖 ) lacz タンパクの合成されない lacz タンパクは合成される ( 乳糖をエネルギー源として利用 ) プログラム的応答 (If-Then 型の制御 )
多細胞生物の発生過程 多細胞生物は一般に 多数の異なるタイプの細胞から構成されている Gilbert, Developmental Biology
幹細胞システム 幹細胞システムは多細胞生物という体制の根幹をなす Development stem type cell Tissue maintenance differentiated cells Regeneration
http://www.sabiosciences.com ES 細胞内の制御ネットワーク
多様な細胞状態を表現する 細胞タイプ A 遺伝子発現量 状態空間のイメージ本当はもっと高次元 遺伝子 A 細胞タイプ B 遺伝子発現量 遺伝子 A 遺伝子 B 遺伝子 C タイプ A タイプ B 遺伝子 B 遺伝子 C 遺伝子 A 遺伝子 B 遺伝子 C 遺伝子発現のみを考えているが タンパク質や代謝物質量も同様
細胞状態の時間発展を力学系として捉える 力学系とは 変数の組の時間変化がその変数の組と系のパラメータで決定される系のこと ある瞬間の状態が決まれば次の瞬間の状態が求められる 例えば などが遺伝子やタンパク質の量で E が環境の状態を表すパラメータ
アトラクタ 力学系では 系の時間変化は状態空間内の軌道によって表 現される このとき 状態が時間発展して 十分時間がたった 十分時間 ときに 状態空間のうちで軌道が通る領域をアトラクタと呼ぶ アトラクタに落ちるまでの軌道を遷移状態 (transient) と呼ぶ 固定点アトラクタ 十分時間がたった後 状態が一点に収束するとき その点を固定点アトラクタ (fixed-point attractor) と呼ぶ 十分時間がたった後 軌道が周期的に振動する状態に収束するとき その周期軌道をリミットサイクルと呼ぶ
複数のアトラクタ アトラクタ 1 ベイスンの境界 アトラクタ 2 系にアトラクタが複数ある場合 どのアトラクタに軌道が収束するかは 初期状態によって異なる あるアトラクタに収束するような初期状態の集合をそのアトラクタのベイスン ( 吸引圏 ) と呼ぶ アトラクタ 1 アトラクタ 2 アトラクタ 1 のベイスン アトラクタ 2 のベイスン
細胞内ダイナミクスは複数のアトラクタを持つ 遺伝子 A 多細胞生物は一般に 複数の細胞タイプを持つ それぞれの細胞タイプは 化学反応のゆらぎなどに対して安定であり アトラクタとして捉えるのが適切である 遺伝子 B 遺伝子 C
細胞内ダイナミクスは複数のアトラクタを持つ 多細胞生物は一般に 複数の細胞タイプを持つ それぞれの細胞タイプは 化学反応のゆらぎなどに対して安定であり アトラクタとして捉えるのが適切である ES 細胞 分化した細胞 環境を変える 環境を元に戻す type1 type0 Kauffman, S. (1969)
発生の過程を考える : 細胞状態の移り変わり 動物の発生過程をすごくラフに書くと : 骨細胞 造血系の模式図 外胚葉 神経細胞リンパ性幹細胞? T 細胞 分化 受精卵 中胚葉 筋細胞 内胚葉細胞 骨細胞 肝細胞 脾細胞 造血幹細胞 骨髄性幹細胞? B 細胞好酸球好塩基球好中球血小板 どのようにして 細胞は状態 ( アトラクタ ) 間を移り変われるか? 赤血球 細胞の分子生物学 第 3 版より
分化の 誘導 A C は B によって A から誘導される A C D と E は C によって A と B から誘導される A D C B B E B 分子生物学においては 多細胞生物の発生過程は あるタイプの細胞 ( あるいは組織 ) がシグナルを出し 別のタイプの細胞を誘導する過程の積み重ねと記述される (if-then 的なプログラムとしての記述 ) この見方だと 発生過程がゆらぎで 間違う 場合や 一部が取り除かれるという摂動に対して安定であることがうまく説明できない
例 : ショウジョウバエの初期発生 bicoid の濃度勾配 nanos の濃度勾配 nanos の濃度勾配 前後 bicoid の濃度勾配 ショウジョウバエの卵 前 後 前 後 Bicoid タンパク質の抗体染色 Houchmandzadeh, et al., Nature 415 (2002) 798-802
例 : ショウジョウバエの初期発生 bicoid の濃度勾配 nanos の濃度勾配 hunchbackhb の濃度勾配 nanos の濃度勾配 前後 bicoid の濃度勾配 ショウジョウバエの卵 前 後 前 後 Bicoid タンパク質の抗体染色 Houchmandzadeh, et al., Nature 415 (2002) 798-802
例 : ショウジョウバエの初期発生 タンパク量 Bicoidのタンパク量は卵ごとに 30% くらいのゆらぎがある しかし その後の発生過程は だいたい正常に進行する 前 後 Houchmandzadeh, et al., Nature 415 (2002) 798-802
例 : ショウジョウバエの初期発生 正常胚 このどちらも 正常な成虫に成長する Bicoid 発現強化胚 単に最初の濃度勾配で全てが決定されているわけではない Bicoidタンパクに even skippedの対する抗体産物に対する抗体 ( 体節のパターン ) 細胞の分子生物学第 3 版
例 : ヒドラの再生 ヒドラとは : 刺胞動物門ヒドロ虫綱ヒドロ虫目に属する生物体長は数ミリ~1センチ程度数種類の細胞へと分化している高い再生能力を持つ http://homepage3.nifty.com/keikoszk/hidora/
例 : ヒドラの再生
細胞状態は細胞間相互作用に影響を受ける ポテンシャルは一定ではなく 周囲の状況によって変動する maintaining environment cell society each cell determining cell fate
Questions to be addressed 分化能を持つ幹細胞と 分化能を持たない末端細胞の細胞内ダイナミクスは何が異なるのか? 不可逆な分化過程をダイナミクスの視点でどのように理解できるか? 細胞分化の過程はどのような機構によって制御され 細胞集団レベルでの安定性が維持されるか?
細胞分化モデル そこで以下の 3 つの条件 1. 細胞内に化学反応のネットワークがある 2. 細胞間に相互作用がある 3. 細胞が分裂などによってその数を変動させる を満たすモデルを計算機上に構成し その系での幹細胞の振る舞いを観察することによって そこでの普遍的性質を探ることにする 現実の細胞系の詳細までを真似たモデルを用いるのではなく 上の条件を満たす簡単なモデルを用いて そこでの性質を探求する
オン / オフ的な遺伝子発現ダイナミクスを持つ細胞モデル 発現促進 細胞分裂 発現抑制 細胞 細胞間相互作用
オン / オフ的な遺伝子発現ダイナミクスを持つ細胞モデル 発現促進 細胞分裂 発現抑制 i 番目の遺伝子発現量の時間変化 : dm dt k i = f k k ( Wij p j θ i ) mi with f ( z) = μ z j 1 + e mrna の合成 分解 i 番目のタンパク質量の時間変化 : dp dt k i = α m 合成 k i p k i + D i 分解 希釈 k ( p p ) i i 細胞内外の輸送 1 f(z) 細胞間相互作用 input z シグモイダル関数 (on off switch)
分化を生じる制御ネットワークのスクリーニング 5 遺伝子 10 制御パスの全ての可能な制御ネットワークについて 32 細胞までの発生過程のシミュレーションを行う 145269760 種類の制御ネットワーク? 幹細胞からの分化過程を生み出し得る制御ネットワークを取ってくる
相互作用による細胞状態の多様化 expression time time 環境を通じた相互作用 細胞間相互作用 Furusawa and Kaneko Bull. Math. Biol. (1998) Furusawa and Kaneko Phys. Rev. Lett. (2000) Furusawa and Kaneko Jour. Theor. Biol (2001) Suzuki, Furusawa and Kaneko PLoS One (2011)
Differentiated cells 状態空間での分化ダイナミクス Stem type t cells
分化頻度の制御 Remove differentiated cells
空間パターン rules of differentiationi i time この分化した細胞による空間パターンも 集団レベルでの安定性を持つ この分化した細胞による空間パタンも 集団レルでの安定性を持つ 例えば 青の細胞を取り除くと 辺縁部の赤の細胞が青に分化する
ネットワーク構造のスクリーニング 幹細胞からの分化を生み出す制御ネットワーク 共通のネットワーク構造は存在するか? : diffusing protein
幹細胞からの分化を生み出すネットワーク構造 幹細胞からの分化を生み出す制御ネットワークは 以下の 2 つの module を持つ : Oscillation module 多くが 3 遺伝子からなる負の制御ネットワークのループ Switching module activator inhibitor の構造を持つ Oscillation i module activation Switching module repression
幹細胞からの分化をもたらすネットワークのデザイン Oscillation module 3 つの細胞へ分化をもたらす制御ネットワーク S A B C Switching modules
幹細胞から 3 つの細胞タイプへの分化 S S B S A S C
幹細胞からの分化をもたらすネットワークのデザイン Oscillation module 幹細胞からの階層的な分化をもたらす制御ネットワーク S A A1 Switching modules
ダイナミクスの複雑性の減少 : 未分化さの表現 このモデル系において分化による分化能の消失は以下のダイナミクスの変化を伴う : 細胞内の化学物質の多様性の減少 例えば 以下の定義のエントロピーの減少 S i k i = i i with i k m j m= x 1 i = p ( j) log p ( j) p ( j) x 細胞内ダイナミクスの複雑さの減少 例えば KSエントロピーの減少
ダイナミクスの複雑性の減少 : 未分化さの表現 実際の幹細胞系においては : 細胞内の化学物質の多様性の減少 幹細胞は一般に そこから分化によって出現する細胞タイプのマーカ遺伝子の多くを弱く発現している (multi lineage lili priming) i ) 細胞内ダイナミクスの複雑さの減少 1 細胞計測によって 幹細胞の細胞状態 1 細胞計測によって 幹細胞の細胞状態が一般に多様な状態間を巡っていることが示されている
ES 細胞における細胞状態の多様性 Stella expression Nanog expression Hayashi et. al, Cell Stem Cell (2008) Hes1 expression Oct4 Hes1 Chambers et. al, Nature(2007) 細胞状態の多様性の起源は 確率的なゆらぎ? 高自由度のダイナミクス?
ES 細胞内での Hes1 遺伝子発現量の振動 Expression of Hes1 exhibit an oscillatory behavior with a period of 3 5 hours. Kobayashi et. al, Genes & Development (2009)
ES 細胞内での Hes1 遺伝子発現量の振動 Hes1 に制御される下流の遺伝子も同様に振動する induce differentiation (=Stella) Hes1の発現量に応じて その後の分化過程が異なる Kobayashi et. al, Genes & Development (2009)
Science 13 Oct., 2012
まとめ 内部に反応ダイナミクスを持つ細胞が相互作用している系で 幹細胞共通の現象が見出された : 振動する発現ダイナミクス 相互作用による細胞状態多様化 細胞集団レベルでの安定性 共通のネットワーク構造 共同研究者 金子邦彦 ( 東京大学 ) 金子邦彦著 生命とは何か - 複雑系生命論序説 - 東京大学出版会