日本大学大学院総合社会情報研究科紀要 No.8, 379-387 (2007) プリンシパル エージェントモデルによる考察 田村直彦日本大学大学院総合社会情報研究科 The Relationship between Congress and the Bureaucracy The Principal-Agent Model Analysis TAMURA Naohiko Nihon University, Graduate School of Social and Cultural Studies The purpose of this paper is to focus on the relationship between Congress and the bureaucracy. First, I explain the principal-agent model. Second, I study the relationship between Congress and the bureaucracy. Third, I examine congressional control of the bureaucracy. Fourth, I explain the information asymmetry and goal conflict between Congress and the bureaucracy. はじめに官僚制の研究において, 議員と官僚制との関係はプリンシパルとエージェントとの関係で捉えることができる 議員がプリンシパルであり官僚制はエージェントとなる 1 官僚制に対する政治によるコントロール理論は政治学に基づくものである そこで扱われていることは議会の官僚制に対するコントロールについてである 経済学において発展したプリンシパル エージェントモデルは政治学においても活用されている 2 本稿の目的は, をプリンシパル エージェントモデルによって考察することである 最初にプリンシパル エージェントモデルの概要について確認する 第 2に, について考察する 第 3に, 議会の官僚制に対するコントロールに言及する 最後に, プリンシパルとエージェントとの間における情報の非対称性及び目標の相違について整理する 1 プリンシパル エージェントモデルプリンシパル エージェントモデル 3 はプリンシパル ( 依頼人 ) が自己の要望する成果を実現できると 期待できるエージェント ( 代理人 ) との間の関係を分析するものである プリンシパルが自己の目標を実現させるためにエージェントへ依頼するときは, 目標を実現するためには特別な知識や能力が必要となり, プリンシパル自身にそのような知識等がなくエージェントがそれらを保持している場合である プリンシパルがエージェントに依頼する際に気になることは, エージェントが本当にプリンシパルの要望を実現するために尽力するかということである エージェントは自分自身が追求する目標があるため, プリンシパルの目標実現に対する努力はプリンシパルと締結した契約の範囲内に押さえようとするのである 4 プリンシパルにおける問題はモラル ハザードや逆選択が発生することである 5 モラル ハザードは隠された行動とも呼ばれる 逆選択は隠された情報とも言われる 6 一般的に, 隠された行動とはエージェントにとってのプリンシパルの要望実現に対する努力に関することである それには, エージェントにとって努力をすることは効用を高めることにはならないが, プリンシパルにとっては目的を達成するためにはエージェントのより多くの努力が望ましいという考え方が根底にある モラル ハザードとはプリンシパルの要望を実現するために必要な知識や
技能を保持しているエージェントがプリンシパルのために最善の行動を取ったかどうかについて確認が困難できないことである 7 一方, 隠された情報問題は, エージェントはプリンシパルにとって有用な情報を保持しているが, その情報をプリンシパルのために適切に活用するかどうかを確認することができないことにより発生する 8 また, それはプリンシパルから依頼を受けたエージェントはプリンシパルが利用できない情報に接することにより, 既に保持している知識や技能にその新たな情報が追加され, エージェントの私的情報として形成されるものである 9 2 プリンシパル エージェントモデルにおいて, はどのように位置付けられるのであろうか 民主主義の政治は容易にプリンシパル エージェントの用語で考察される 住民はプリンシパルであり, 政治家は住民のエージェントである 政治家はプリンシパルであり, 官僚は政治家のエージェントである 官僚制の上位者がプリンシパルであり下位者が上位者のエージェントである 更に, 政治全体がプリンシパル エージェント関係の鎖によって構築されている すなわち, 住民から政治家, 政治家から官僚制の上位者, 官僚制の上位者から官僚制の下位者へと政府のヒエラルキーを下って実際に, 直接住民に行政サービスを提供する最下層の職員に連なっている 究極のプリンシパルと究極のエージェントは別として, ヒエラルキーにおける各アクターはプリンシパル及びエージェントとして任務を果す二重の役割を担っている プリンシパル エージェントモデルの形式的な枠組みと演繹的な力点は政府のこれらヒエラルキーにおける各階層に適用が可能であり最も基本的な問である民主主義におけるコントロールと成果の研究に, 有益な活用が可能となろう 10 このように有権者である住民は究極のプリンシパ ルであり 11, 官僚制内部における住民と接する現場の職員が究極のエージェントに位置付けられる 12 この住民から官僚制の現場職員へ至る連鎖の過程において, 議員と官僚との関係に着目すると前者はプリンシパルであり後者はエージェントとなる 13 議員の目標は次回の選挙での再選とされる 再選されることによって, 名誉や地位の維持といった自己利益の追求や公共政策の実現に継続して取り組むことが可能となるのである 官僚の目標は一義的に規定することは難しいが, 通常, 所属する官僚制の人員や予算, 所掌事務の拡大が想定されている 住民は費用負担をできるだけ少なくして政府から多くの便益を受取ることを望む 14 議員がプリンシパルとしてエージェントである官僚制に対して, 権限を委任するのはなぜだろうか 第 1に, 議員はエージェントに委任することによって時間や資源を節約できることである 第 2に, 政策作成に必要となる専門知識の習得が容易でないことである 15 議員は時間, エネルギー, 知識について限られているため, 政策決定に関するかなりの権限を官僚制に委任する必要がある この委任の潜在的な利点は官僚制における専門家の専門知識を引出し政策決定の際に変化している環境に柔軟な対応ができることである 16 このように委任することによって得られる時間等をその他の活動に利用できるメリットが議員にある一方, デメリットも生じる 委任によって議員の利益に一致せず, したがって議員が示す公共の利益に一致しない決定のリスクの発生である この問題は政治学の コントロール問題 として知られている すなわち, 民主主義の制度において議員は自分たちの利益, より一般的に国民の利益の一致を確実にしながら権限を官僚制にどのようにして委任するかということである このことをコントロール問題と定義している 17 380
田村直彦 議会が政策決定に関する権限を官僚制に委任しているにもかかわらず, 議員が官僚制に対して影響を与えようとするのはなぜであろうか 第 1に, 官僚制は議会が通した法律の単なる執行者ではないからである もし官僚制が単なる実行者であるならば, 議会は影響力を行使する必要はないのである 官僚制は専門知識を保持し, 所管事項について熟知している 官僚制はさまざまな政治アクターからの支持や圧力を受ける 官僚制内部の官僚は各自の見方を政策に反映させようとする このようなことから, 官僚制は他の政治アクターからの影響力に対抗することが可能となってくるのである 官僚制は議会の意向に反する政策を実行する場合があるので, 議会は無条件で権限を官僚制に委任することはできないのである 18 官僚制に対する影響力を保持する背景には2つの動機がある まず, 選挙での支持の期待に基づく動機である 議員を支持する後援者や利益団体に, 官僚制に対する影響力を誇示することによって, その議員が役に立つことを示すことができる 支持者や利益団体の利益に反する官僚制の行動を議員は影響力を行使し, 是正することによって信頼を得るのである また, 後援者等の利益に関係する官僚制の行動を調整することによっても支持を強めるのである この動機は後援者等がに対する関心の度合いによって影響を受ける 後援者や利益団体が官僚制の行動に落胆した場合には, 議員はその批判を避けるために責任を官僚制に転嫁するであろうが, 官僚制の行動に対して支持者等に不満がない場合には, 議員はその官僚制に権限を委任したことを自分の功績とするであろう しかしながら, このような行為が非難を受けないようにするものであることが判明することを避けるために, 議員は一旦委任した政策分野には継続的に関与し, 意図した政策の推進に努めることになるのである 次の動機は政策を優先するものである 議員は政策を取扱う十分な時間や専門知識を持ち合せていないので, 官僚制に委任する必要がある しかしながら, 無条件に官僚制に権限を委任する場合, 議員が意図しない政策が決定される危険性を否定することができないのである このような危険性を避けるために, 議員 は政策に関心を持ち官僚制の行動を監視するのである 19 議員が官僚制に対して影響を及ぼそうとする第 2 の理由は議員が多数党に属していることである 与党の議員は所属政党が優位である印象を確実にすることができる有利さを保持している 更に, 多数党は現状維持を望むことから, 支持者の利益になる法律の成立を確実にしようとする このような法律は官僚制に権限を委任するものであることが多い その委任をされたことによって, 官僚制が投票者にとって不利益な行動を取らないようにするために, 多数党の議員は官僚制に対する一定の影響力を保持し続けるのである 20 議会が官僚制に対して影響を与える手段として, 以下の5つがある 21 予算によるコントロール法律によるコントロール官僚制の意思決定手続き及び組織設計議会拒否権及び議会審査監視議会が官僚制に対するコントロールを実施する際に, 時間やその他の費用を節約する方法が上記手段の監視に含まれる火災警報器型の監督である この型と対称的な監督が警官パトロール型である 22 これらの監督は以下の仮定に基づいている 第 1 の仮定は技術的なものである この仮定は, 議会は 2つの型の監督の片方だけもしくは両方の組合せを選ぶことが可能であることである 第 2の仮定は動機に関わるものである この仮定は議員が次回の選挙での再選を実現するために, 選挙区内で支持者となる可能性がある住民や利益団体からの信頼をできるだけ得ようとすることである 第 3の仮定は制度的なものである この仮定は官僚制が議会の代理人として行動することである 23 警官パトロール型の監督の特徴は集中的, 主体的, 直接的である 実際の警官パトロールからの類推である 議会は主体的に議会の目標に合致しない行動を見つけだし改善するために官僚制を監督するのである 具体的な監督方法は文書の確認, 現地調査, 381
官僚や住民に対する聞き取りである 一方, 火災警報器型の監督の特徴は分散的 受動的, 間接的である 議会は官僚制の行動を自ら監視しない 住民や利益団体が官僚制の行動が議会の意思と異なると考える際に, その行動の改善を官僚制や裁判所, 議会に求めることができるような仕組みを議会は構築するのである 住民や利益団体はこのような仕組みを利用することによって, 自分たちに関係する情報を取得し, 官僚制の政策形成の過程に関与することが可能となる 更に, そのような過程を通して, 議員は住民や利益団体の利益に反する官僚制の行動に対して関心を持ち, 住民等の行動に手助けすることになる 議会はこのような分散化された仕組みを構築し実行する この型は実際の火災警報器からの類推に基づくものである 火災警報器の作動後に消防車が出動し, 消防士が消火活動に携わるのである 24 議員は警官パトロール型よりも火災警報器型の監督を採用する場合が多い 第 2の動機に関わる仮定に基づき, 再選を実現するために住民や利益団体からの信頼を得ようとするためには火災警報器型の方が警官パトロール型に比較して効率的だからである その理由は3つある 第 1に, 警官パトロール型を採用する議員は議会の目標や議員の支持者の利益を阻害していない官僚制を調査するために時間を費やすことになることである 更に, 議員を後援しない者の利益侵害を発見し, その改善をするために時間を取られる可能性がある このことは動機に関わる仮定に反し, 不必要なことに時間を使うことになるのである 火災警報器型は支持者から具体的な利益侵害の連絡を受けるから議員はその侵害に対処することになる そのため, 議員は確実に支持者の利益侵害を取扱うことになり, その改善に対し支持者からの信頼を得ることになる 火災警報器型の採用することによって, 議員は官僚制の監督を実施する時間を節約することができ, 議員に利益となるその他の活動に多くの時間を費やすことが可能となるのである 問題発見のための時間よりも問題解決のために時間を費やすことにより支持者からの信頼を得るのである 第 2に, 警官パトロール型においては, 議員が多くの事項を調査することができないため, 支持者の利益侵害を発見するこができない可能性が 高くなり, その侵害の是正機会を失い信頼を得ることができなくなりやすいことである 一方, 支持者にとって, 火災警報器型は損なわれた利益に対して議員の注意を向けさせやすいのである 第 3に, 火災警報機型は警官パトロール型と同様に費用がかかるが, その費用負担は議員よりも支持者の方が多く負担するからである 25 3 官僚制支配論と議会支配論警官パトロール型の監督とは議員が主体的に官僚制を調査することによって情報を収集し監督するものであるが, 費用と時間がかかる特徴がある 一方, 火災警報器型の監督は官僚制の行動に影響を受ける利益団体や後援者から情報を得ることで官僚制を監督するための費用等を節約できる監督である 通常, 利益団体等は自分たちの利害に関係する事項についてよく把握していると考えられる 官僚制が自分たちの利益を侵害する行動を取る場合には, その事態の発生を議員に通告することになるのである 議員は自ら動くことなく官僚制を監督するのである 26 議会の官僚制に対する2つの型による監督方法は議会支配論に関係している 27 ワインガストとモラン (Weingast and Moran [1983] ) はに関する捉え方を2つに区分している すなわち, 官僚制アプローチと議会支配論アプローチである 前者は伝統的なアプローチであり, 官僚制は議会から影響を受けないという見方である 後者は, 議会が官僚制に影響を与えるという見方である 28 通常, 議会が官僚制をコントロールしているとは議会が実際に官僚制を監督している状態を想定している この想定に基づく場合, 議会は官僚制をコントロールしているとは言えないことになる 無数の官僚制の意思決定を個別に調査し自分たちの利益を侵害しているかどうかを確認し, 利益侵害の是正することを行うことは困難である そのため, 議会は一部の官僚制に対してのみ監督を実施することになる そのため, 議会は官僚制に対してほとんど影響力を及ぼさないことになるのである 29 したがって, 官僚制アプローチにおいては, 議会が官僚制をコントロールしていないとされる その結果, 官僚制は 382
田村直彦 議会からの自律性が高くなり, 与えられた目標より私的な目標の実現に尽力するようになるのである 30 議会支配論アプローチにおいては, 議会の官僚制に対する制裁の発動と報酬を与える仕組みが機能することが前提となっている 31 議員と後援者との関係には選挙時における後援者から議員への支持に対して, 政策による議員からの後援者への利益供与という暗黙の約束事項があると言える 後援者や利益団体は火災警報器型の監督について言及したとおり自分たちの利益に関する事項をよく把握しているとされる 議員は自ら収集した情報でなく後援者等からの情報に基づき, 官僚制の行動を評価することになる 官僚制にとって, 議会の意向に沿った政策を実施した場合には議会から予算の増加等の利益が与えられる 一方, 議会の意向に反する行動を取る官僚制は予算の減額などの事後的な制裁が加えられることになる このような制裁が官僚制にとって事前の制約となるのである 32 議会支配論アプローチにおける議会と官僚制の関係には微妙なコントロールの仕組みがあると言える この仕組みでは議会からの官僚制の意思決定に対する直接的かつ明示的な介入はほとんど確認することができない 仮に, 官僚制による議員の支持者の利益侵害が認められる場合には, 議会の監督がその都度実施されることになるが継続的なものではない 直接かつ継続的な監督を実施している場合に議会が官僚制をコントロールしていると捉える通常的な前提に立つと, 議会のコントロールは行われていないことになる しかしながら, 議会の直接的な監督は時間などを費やす必要があることから, ほとんど活用されていないのである この前提に基づくと, 議会のコントロールは行われていないという見方になるのである したがって, 議会の官僚制に対する監督が行われていないということは, 議会の官僚制に対するコントロールが欠如していることとコントロールが行われていることの両方を示していることになるのである 33 以上のことは, 次のようにまとめることができよう 官僚制支配論においては, 議会の監督はほとんど行われないため官僚制が業務の執行を怠る事態が発生することになり, 議会の官僚制に対する影響力 は少ないものとなる 一方, 議会支配論での見方では議会の意向に反する行動を取る官僚制に対して事後的に制裁を課し, 意向を尊重する官僚制には利益が与えられる仕組みが機能することになる この仕組みが支障なく機能する場合, 事後に制裁が行われるという脅威が事前的な抑制となり, 制裁が実際に行われることは皆無となるのである 結果として, 監督は実施されないことになる 34 同様に, 火災警報器型の監督に不備がない場合には, 官僚制が議員の支持者の利益に反する行動を取ることはなく警報器は作動することがないのである 35 官僚制が議会を支配しているという見方に立つのがニスカネン (Niskanen [1971]) である 36 ニスカネンのモデルは次のように要約される 官僚は予算極大者であると仮定し, 彼がはじめて官僚に形式的モデル化可能な単純な効用関数を与えた また, 彼は,2 人の行為者, すなわち行政部局と議会というスポンサーだけを中心にしてモデルを構築することによって, 予算を巡る政治の複雑さを取り除く 彼らの関係は, 双方独占のそれであり, 行政部局が2つの決定的な優位性をもつ 第 1に, 唯一の供給者としてのその立場は, 行政部局に生産の真の費用についての情報に関する独占権を与える 第 2に, 行政部局は, 議会がアウトプットのそれぞれの水準にどの程度の価値を置くか知っており, ( 一定の予算に対する一定のアウトプットの ) 選択の余地のない形での付け値を提示するためにこの情報を利用することができる 行政部局は, 議会がそれを受け入れることを知っている 行政部局は情報力をもっており, またアジェンダ設定権をもっている これらの権限は, 行政部局が完全な差別独占者として行動することを可能にし, いかなる余剰も行政部局によって維持され, 支出される一方, それによって議会は, ゼロの予算よりはわずかに好む過大な予算を受け入れざるをえなくなる 最終結果は, 過大な政府であり全体として非効率な政府である 37 383
ニスカネンのモデルは官僚制の影響力と予算 アウトプットに関して, 合理的な説明を最初に試みたものであり, プリンシパル エージェントモデルよりも先に研究が進展したにもかかわらず情報の非対称性及び政治によるコントロールの含意に焦点を当てたものである ニスカネンモデルにおいて, 行政部局と議会との関係は双方独占の状態であり, 前者はあらゆる手段を保持しているのである 議会はプリンシパルとして位置づけられが, エージェントである官僚制を支配することはできないのである 4 情報の非対称性と目標の相違プリンシパルとエージェントの間には情報の非対称性と相互の目標の相違があるとされる プリンシパルとエージェント間における情報の非対称性が存在するとはどのようなことなのであろうか このことを明確にするため, 情報の非対称性をプリンシパルとエージェントとの間の情報量の違いとすると, 次のように区分され整理できよう 38 プリンシパルの情報が多い場合 プリンシパルの情報が少ない場合 エージェントの情報が多い場合 エージェントの情報が少ない場合 39 プリンシパルとエージェント間における情報の非対称性の状態はプリンシパルの情報が少なくエージェントの情報が多い場合である 他の組合せとしてはプリンシパルの情報が多くエージェントの情報も多い場合 プリンシパルの情報が少なくエージェントの情報も少ない場合, 最後にプリンシパルの情報が多くエージェントの情報が少ない場合である 40 一方, プリンシパルとエージェントの間には目標の相違があるとされる 相互の目標の相違とはどのようなことであろうか 目標の不一致に対して目標が一致している場合が考えられる この2つの区分の各々に情報の非対称性を関連させると8つの事例が想定される 41 まず, プリンシパルとエージェントとの目標が相違する場合において, 両者の情報保持量が少ないと きである このような状態は両者が政策をイデオロギーに基づいて主張している場合に発生する このような状態を車のバンパーにスローガン等を記入したステッカー政治と呼べよう このような場合, 知識は考慮されず, エージェントの役割は限定されたものとなる すなわち, 官僚制の役割は受動的なものなり, 事務遂行機関となろう 42 第 2の状況は, プリンシパルとエージェントとの目標が一致しない場合において, エージェントがプリンシパルよりも情報を多くもつ場合である この事例はプリンシパル エージェント間の典型的なものであり, プリンシパル エージェントモデルと言えよう 43 第 3の状態は, プリンシパルとエージェントとの目標が異なる場合において, 両者が情報を保持しているときである この場合, 官僚制は多くの政治アクターの中での1つに位置付けられるため, 官僚制は唯一の専門家とはならない 44 第 4は, プリンシパルとエージェントとの目標が異なる場合において, プリンシパルは情報を保持しているがエージェントは情報を保有していない状態である この状況において, 官僚制は議員に対して主体性がなく設定された政策を設定されたとおりに実行する従属的な立場に位置付けられる 45 第 5は, 第 1の状況から第 4の状況とは異なりプリンシパルとエージェントとの間の目標が一致する場合において, プリンシパル及びエージェントの双方が情報を保持していないときである このような状況下における官僚制はプリンシパルに対して受動的な立場となりプリンシパルの要求する政策の忠実な支持者の役割を果すことになる 政策が採択された後, 官僚制は機械的に政策を実行することになるのである 46 第 6は, プリンシパルとエージェントとの間の目標が一致する場合において, エージェントがプリンシパルよりも多くの情報を保持しているときである この場合, 官僚制は専門知識をもつ集団となり, プリンシパルとの関係は政治 行政二分論の考え方に類似した状況になる 47 第 7はプリンシパルとエージェントとの間で目標の相違がない場合において, エージェントとプリン 384
田村直彦 シパルの双方が情報を保持しているときである このような状況は長期間にわたるプリンシパルとエージェントとの間の相互作用により形成される プリンシパルはこの相互作用の過程でエージェントと対等の立場で接することにより専門的な知識を増加させていくことになるのである この第 7は議会支配論の状況として把握される場合がある しかしながら, この場合は支配というよりもプリンシパルとエージェントの双方に利益をもたらす関係として理解する方がより適切であろう 相互信頼関係に基づき, 官僚制は一定の自律性が議会から承認されることになる また, 議会の官僚制に対する監督は断続的に行われる議会の意思表明の一環として捉えられる 48 第 8は, プリンシパルとエージェントとの間で目標の同意がある場合において, プリンシパルは情報を保持しているがエージェントは情報を保持していないときである このような状況はエージェントである官僚制に行政執行能力が備わっていない場合に発生する傾向が高い プリンシパルは政策実行に必要となる情報を保持していることから, エージェントの自律性は低いものとなる 49 おわりに 本稿ではをプリンシパル エージェントモデルによって考察した 最初に, プリンシパル エージェントモデルの概要について確認をした 第 2に, このモデルをに適用し, 考察を行った 第 3に, 議会の官僚制に対するコントロールに言及し, 官僚制支配論及び議会支配論の含意について検討を行った 最後に, 議会と官僚制との間の情報の非対称性と目標の相違について確認をした 注 1 Moe [2005] p. 1. 2 Moe [2005] p. 2. 3 契約理論とは 少数主体間の情報の偏在を前提にして, ゲーム理論や情報の経済学を応用することに より, 取引に関わる当事者と取引に利用される契約に焦点を当てながら分析する研究領域 ( 三浦 [2003] 31-32 ページ ) である 契約理論は完備契約理論とも言われるエージェンシー理論と不完備契約理論から成る ( 三浦 [2003] 33 ページ, 図 2.1) 前者においては エージェントのタイプや行動については, エージェント自身, 完全に把握しているがプリンシパルはそれらを完全に知り得ないという, プリンシパルとエージェントの間に情報の非対称性が存在すること ( 三浦 [2003] 32 ページ ) 及び 主として, 将来生じうる状態 (state) に応じた契約が作成できることを前提 ( 三浦 [2003] 32 ページ ) とされている 一方, 後者は 将来生じうる状態について, 能力の限界のため完全な予測ができなかったり ( 限定された合理性 ) あるいは仮に予測が可能であったとしても状態に応じた契約を書くことがコスト面で採算が合わないなどの理由から, 完備契約が利用できないケース ( 三浦 [2003] 33 ページ ) を前提としている したがって, 契約が不完備にならざるを得ないが故に, 契約を補完する組織, 制度, 法律のあり方が特に重要 ( 三浦 [2003] 33 ページ ) となる 4 Moe [1984] p. 756. 5 Moe [1984] p. 756. 6 Arrow [1985] p. 38; 伊藤 [2003]6-7 ページ参照 7 Arrow [1985] p. 38; 伊藤 [2003]5-6 ページ参照 8 Arrow [1985] p. 39; 伊藤 [2003]6-7 ページ参照 9 Laffont and Martimont [2002] p. 28. 10 Moe [1984] pp. 765-766. 筆者訳 11 Weingast [1984] p. 151. 12 このような見方とは異なり, 住民に直接対応する現場職員の視点から官僚制を把握する概念がリプスキーの ストリート レベルの官僚制 (Lipsky [1980]) である リプスキーは ストリート レベルの官僚 とは 仕事を通して市民と直接相互作用し, 職務の遂行について実質上裁量を任されている行政サービス従事者 (Lipsky [1980] p. 3. 邦訳,17 ページ ) と規定している そして, ストリート レベルの官僚制とは ストリート レベルの官僚をその必要な労働力に応じて相当数雇っている行政サービスのための組織 (Lipsky [1980] p. 3. 邦訳,17-18 ページ ) のことを言う リプスキーはストリート レベルの官僚の具体的な例として 教師, 警官やその他の法の施行に携わる職員, ソーシャル ワーカー, 判事, 弁護士や裁判所職員, 保健所職員, そして政府や自治体の施策の窓口となりサービスの供給を行うその他の公務員 を示している (Lipsky [1980] 385
p. 3. 邦訳,18 ページ ) 13 Moe [1984] p. 766. 14 Fiorina [1989] pp. 37-39. 15 Weingast [2005] p. 333. 16 Shipan [2005] p. 433. 筆者訳 17 Weingast [2005] pp. 313-314. 筆者訳 18 Shipan [2005] p. 435. 19 Shipan [2005] pp. 435-436. 20 Shipan [2005] p. 437. 21 Shipan [2005] pp. 438-446. 22 Shipan [2005] pp. 445-446. 23 McCubbins and Schwartz [1984] pp. 166-167. 24 McCubbins and Schwartz [1984] p. 166. 25 McCubbins and Schwartz [1984] pp. 167-168. 26 Epstein and O Halloran [1999] p. 24. 27 Epstein and O Halloran [1999] p. 24. 28 Epstein and O Halloran [1999] p. 23. 29 Weingast [1984] p. 152. 30 Weingast and Moran [1983] p. 767. 31 Weingast and Moran [1983] p. 768. 32 Weingast [1984] p. 155. 33 Weingast [1984] pp. 157-158. 34 Weingast and Moran [1983] pp. 766-767. 35 Epstein and O Halloran [1999] p. 24. 36 Moe [1984] p. 769. 37 Moe [2005] pp. 458-459.( 邦訳,565-566 ページ ) 38 Waterman and Meier [1998] pp. 185-187; Waterman and Meier [2004] pp. 23-24. 39 Waterman and Meier [1998] pp. 185-187; Waterman and Meier [2004] pp. 23-24. 40 Waterman and Meier [1998] pp. 185-187; Waterman and Meier [2004] pp. 23-24. 41 Waterman and Meier [1998] pp. 187-194; Waterman and Meier [2004] pp. 25-34. 42 Waterman and Meier [1998] pp. 188-189; Waterman and Meier [2004] p. 26. 43 Waterman and Meier [1998] p. 189; Waterman and Meier [2004] p. 26. 44 Waterman and Meier [1998] pp. 189-190; Waterman and Meier [2004] pp. 26-27. 45 Waterman and Meier [1998] p. 190; Waterman and Meier [2004] p. 27. 46 Waterman and Meier [1998] pp. 190-191; Waterman and Meier [2004] p. 28. 47 Waterman and Meier [1998] pp. 191-192; Waterman and Meier [2004] p. 29. 48 Waterman and Meier [1998] pp. 192-193; Waterman and Meier [2004] p. 30. 49 Waterman and Meier [1998] pp. 193-194; Waterman and Meier [2004] pp. 30-31. 参考文献 Arrow, Kenneth J. [1985] The Economics of Agency, in John W. Pratt and Richard J. Zeckhauser, ed., Principals and Agents: The Structure of Business, Boston MA: Harvard Business School Press, pp. 37-51. Epstein, David and Sharyn O Halloran [1999] Delegating Powers: A Transaction Cost Politics Approach to Policy Making under Separate Powers, New York: Cambridge University Press. Fiorina, Morris P. [1989] Congress: Keystone of the Washington Establishment, 2nd ed., New Haven: Yale University Press. 伊藤秀史 [2003] インセンティブ設計の経済学 伊藤秀史 小佐野広編著 インセンティブ設計の経済学契約理論の応用分析 勁草書房 Laffont, Jean-Jacques and David Martimont [2002] The Theory of Incentives: The Principal-Agent Model, Princeton NJ: Princeton University Press. Lipsky, Michael [1980] Street-Level Bureaucracy: Dilemmas of the Individual in Public Services, New York: Russell Sage Foundation.( 田尾雅夫 北大路信郷訳 行政サービスのディレンマストリート レベルの官僚制 木鐸社,1986 年 ) 三浦功 [2003] 公共契約の経済理論 九州大学出版会 McCubbins, Mathew D. and Thomas Schwartz [1984] Congressional Oversight Overlooked: Police Patrols versus Fire Alarms, American Journal of Political Science 28, pp. 165-179. Moe, Terry M. [1984] The New Economics of Organization, American Journal of Political Science 28, pp. 739-777. Moe, Terry M. [1997] The Positive Theory of Public Bureaucracy, in Dennis C. Mueller ed., Perspectives on Public Choice: A Handbook, New York: Cambridge University Press, pp. 455-480.( 関谷登 大岩雄次郎訳 官僚制の実証理論 関谷登 大 386
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