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人体デジタルモデルを用いた交通事故傷害予測に関する研究 平成 21 年度タカタ財団助成研究論文集 ISSN 2185-8950 研究代表者宇治橋貞幸

研究実施メンバー 研究代表者 東京工業大学大学院 情報理工学研究科教授 宇治橋貞幸 研究協力者 金沢大学大学院自然科学 研究科助教 宮崎祐介 研究協力者 日本医科大学千葉北総病院 救命救急センター医師 阪本雄一郎

目次 第 1 章まえがき... 1 1.1 本研究の背景と目的... 1 1.2 本報告書の構成... 3 第 2 章 乗員および車室マルチボディモデルの概要および改良... 5 2.1 はじめに... 5 2.2 乗員マルチボディモデルの改良... 6 2.2.1 日本人男性の代表形状を有する乗員マルチボディモデル... 6 2.2.2 先行研究における乗員モデルの問題点およびその改良... 10 2.3 車室マルチボディモデルの改良... 16 2.3.1 車室マルチボディモデルの概要... 16 2.3.2 先行研究における車室モデルの問題点および改良点... 20 2.4 まとめ... 21 第 3 章 前面衝突試験を用いた交通事故シミュレ -ションモデルの妥当性検証... 22 3.1 はじめに... 22 3.2 前面衝突シミュレーションモデルの概要... 23 3.2.1 再現に用いる JNCAP データの概要... 23 3.2.2 シミュレーションの初期条件... 25 3.3 シミュレーション結果の検証および考察... 30 3.3.1 乗員挙動... 30 3.3.2 各部位の加速度および荷重... 33 3.4 まとめ... 35 第 4 章 乗員傷害予測式の構築... 36 4.1 はじめに... 36 4.2 交通事故シミュレーションによる傷害データベースの構築... 37 4.2.1 力学モデルを用いた車両特性の算出... 37 4.2.2 傷害予測式に用いる事故条件パラメータの選定... 45 4.2.3 傷害データベースの構築... 55 4.3 重回帰分析による乗員傷害予測式の導出... 56 4.3.1 各部位に対応した AIS ( Abbreviated Injury Scale ) の算出式... 56 4.3.2 重回帰分析による乗員傷害予測式の導出... 59 4.4 実事故データを用いた乗員傷害予測式の精度検証... 63 4.4.1 実事故データの概要... 63 4.4.2 頭部... 66 4.4.3 胸部... 68 4.4.4 大腿部... 70 4.5 考察... 72 4.6 まとめ... 74 -I-

第 5 章 成果のまとめ... 75 5.1 各章のまとめと総括... 75 5.2 今後の展望... 76 参考文献 77 -II-

Number of death Number of accidents Number of casualties 第 1 章まえがき 第 1 章まえがき 1.1 本研究の背景と目的 Fig.1.1 に示すように, 日本国内における 2009 年度の交通事故死傷者数は 90 万 8874 人であり, そのうち死者数は 4914 人である (1). この死者数は過去最悪を記録した 1970 年の 16765 人の 30% 以下に相当し,1992 年より一貫して減尐傾向を示している. しかし, 減尐傾向にあるものの交通事故による死者が未だに存在することに変わりはない. 今後も自動車が人類の良きパートナーであり続けるためには, エネルギー問題の解決とともに 交通事故による死者ゼロ の達成が非常に重要な命題であることは間違いない. 現に, 日本政府は 2018 年までに死者を 2500 人以下にまで減尐させるという新たな目標を 2009 年度に宣言しており, 時間的猶予もそれ程無いといった状況である. [million] 150 15000 10000 Death Casualties Accidents 100 5000 50 0 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000 2005 Dominical year Fig.1.1 Number of deaths, casualties and accidents in the past 30 years 0 死者 2500 人以下というのは現状の約半数に相当する数であり, 目標達成のためには考え得る様々な方策を動員しなければならない. ここ数年における死者数の減尐は,1986 年に施行された運転席 助手席のシートベルト着用義務化などによる法規の整備, エアバッグや ABS(Anti-lock Braking System) などといった自動車自体の安全性能の向上, および ITS(Intelligent Transport System) などによるインフラの整備などといった, 予防安全 と 衝突安全 による効果が大きい. 一方では, 被害者の救出方法や救急医療サービス体制の確立などによる被害拡大防止を目的とした 衝突後安全 に関する取り組みは, これら 予防安全 と 衝突安全 に関する取り組みと比較して整備が遅れている. 2000 年に厚生労働省が行った調査によると,2000 年の 1 年間に全国の救急救命センターにおいて死亡した外傷症例のうち, 適切な処置が施されていれば防ぎえたであろう外傷死 PTD(preventable trauma death) の割合は 38.6% であると報告された (2). また, 千葉県事故調査委員会が 2004 年に行った調査によると, 交通事故死亡者として注目した 96 例のうち,50% が PTD であったと報告されている (2). -1-

第 1 章まえがき 救急救命医療には, 診断の正確さ と 治療開始の迅速さ の両方が求められるが, 事故現場におけるトリアージでは決定的に情報が不足しており, 誤った判断が起こりやすい. したがって, 救急隊員の判断を助ける傷害予測情報があれば, 誤った判断を大幅に減尐させることができ, 死傷者数の大幅削減の効果が期待できる. ここで言う 傷害予測 とは, 現実に起こってしまった事故によって被害者がどのような傷害を被った可能性が高いのかについての情報である. 傷害予測を行う手法として,1 つは質 量ともに十分な実事故データベースに基づいて統計式を構築するという方法が挙げられる. しかし, 大量の実事故データを取得するには多大な労力とコストおよび時間が必要となり, また乗員が受傷にいたる過程の情報が反映されないなど, 実事故データのみでは不十分である. そこで, 人間 車 環境のコンピュータモデルを用いた工学シミュレーションを利用する方法が有効である. 工学シミュレーションを利用すれば, 比較的短時間で大量の事故を作り出すことが可能であるし, 事故過程の情報を取得することが出来る. 以上の背景より, 本研究では工学シミュレーションを用いて傷害予測手法を構築することを目的とする. 詳細な傷害予測モデルの構築方法については 1.2 に後述する. -2-

第 1 章まえがき 1.2 本報告書の構成本報告書は 人体デジタルモデルを用いた交通事故傷害予測に関する研究 と題し, 下記の 5 章により構成される. 本研究では, 傷害予測手法として 乗員傷害予測式 の構築を目指す. つまり, 事故時の状況 ( 車種, 衝突速度もしくは加速度, 乗員体型, シートベルトやエアバッグの有無等 ) を与えれば, 乗員の受傷部位および受傷内容が算出されるといった予測式の構築である. 傷害予測式構築の概要は,Fig.1.2 に示す通りである. まず, マルチボディにて作製した人体モデルおよび車室モデルを用いて事故再現シミュレーションモデルを構築する. 事故条件としては, 交通事故のうち最も多数を占める前方衝突を取り上げる. この事故再現シミュレーションモデルの妥当性は, 日本国内における自動車の安全性能テストである JNCAP データ (3) を用いて検証する. 次に, このシミュレーションモデルを用いて事故の条件を多様に変更した大量の事故シミュレーションを行い, 乗員傷害データベース を構築する. この乗員傷害データベースは衝突速度, 衝突方向, エアバッグ着用有無, シート位置, 乗員体形といった事故情報と, シミュレーション結果から得られる傷害部位や内容といった受傷情報が対応するデータベースである. さらに, この仮想的な傷害データベースに対して統計的な分析を行うことにより, 事故情報と受傷情報を関連付ける傷害予測式の導出を行う. 本研究においては, 傷害データベース構築のため大量にシミュレーションを実行する必要があるため, 計算コストに優れるマルチボディモデルを用いたシミュレーションモデルを採用している. 現状のモデルでは, 人間の能動的な反応など実現象を十分に反映出来ていない点が多々あるが, 本研究では現モデルを積極的に応用利用して傷害予測式を構築し, それと並行してシミュレーションモデルの精度向上を目指すこととした. 得られた傷害予測式を運用しながら実事故データを収集し, 収集された実事故データと傷害予測式を照合することにより, 継続的にその精度向上を図る. また, 実事故データを活用して事故再現シミュレーションを繰り返すことにより, シミュレーションモデルそのものの精度向上も図っていく. このような方法によって, 比較的尐数の実事故データを基に, より早期に精度の高い傷害予測式を構築できると考えられる. また, 多種多様な車種間の個体差を傷害予測式に反映させることが必要となるが, 車種ごとにシミュレーションを行い, 傷害データベースを構築することは非常に困難である. そこで, シミュレーションについては代表的な 1 車種についてのみ構築し, 車種間の個体差の影響を JNCAP データから補正することとした. -3-

第 1 章まえがき Traffic reconstruction simulation JNCAP data Driver model Vehicle model Validation Reconstruction simulation Full-wrap frontal crash Data of 2000~2008 Injury Database Parameter study Accidental data Domestic data from traffic accident Statistical procedure Validation Prediction Formula for Occupant Injuries Fig.1.2 Schematic procedure of developing prediction formula for occupant injuries with traffic reconstruction simulation 本報告書は, 以上の流れに応じて構成される. 第 1 章 緒論 では本研究の背景と目的について述べた. また工学シミュレーションを用いた傷害予測式構築の概要を示し, 本報告書の構成を述べた. 第 2 章 乗員および車室マルチボディモデルの修正および検証 では, 交通事故シミュレーションモデルの構築要素である, 先行研究にて構築された乗員マルチボディモデルの問題点, 修正した内容, および検証結果について述べ, また車室マルチボディモデルの修正内容について述べた. 第 3 章 前面衝突再現シミュレーションによる交通事故シミュレーションモデルの妥当性検証 では, 交通事故シミュレーションモデルの妥当性検証のために構築した JNCAP データを用いた再現シミュレーションの概要について述べ, 試験結果とシミュレーション結果の比較について述べた. 第 4 章 乗員傷害予測式の導出 では, 第 3 章にて検証を行った交通事故シミュレーションモデルを用いた傷害データベースの構築手法について述べ, 頭部, 胸部および大腿部について導出した乗員傷害予測式について述べた. また実事故データを用いた各予測式の精度検証について述べた. 第 5 章 結論 では, 本研究により得られた結果をまとめ, 今後の展望について述べた. -4-

第 2 章乗員および車室マルチボディモデルの概要および改良 第 2 章乗員および車室マルチボディモデルの概要および改良 2.1 はじめに 本研究の目的である乗員傷害予測式を導出するため, まずは大量の交通事故シミュレーションを行い傷害データベースを構築した. 大量のシミュレーションを実行するため, 一つ一つの計算負荷は低いことが望ましい. そこで, 本シミュレーションモデルを構成する乗員モデル, および車室モデルは計算負荷の低いマルチボディモデルと有限要素モデルの組み合わせにて作製することとした. 一方で, シミュレーションモデルの精度は乗員傷害予測式の精度に直接影響をおよぼすため, 計算時間の短縮と同時にシミュレーションモデルの精度向上も非常に重要である. 本研究の先行研究において, 既に乗員マルチボディモデルとして日本人男性の代表形状を有する全身マルチボディモデル, 車室マルチボディモデルとして実車寸法にもとづいた車室モデルおよびエアバッグモデルが作製されてきたが (4)(5), 先行研究において様々な問題点が報告されるなど改良の余地を多分に残している. そこで本章では, 先行研究にて報告されているモデルの問題点を乗員モデル, および車室モデルそれぞれについて紹介し, 改良を加えた点について述べる. -5-

第 2 章乗員および車室マルチボディモデルの概要および改良 2.2 乗員マルチボディモデルの改良 2.2.1 日本人男性の代表形状を有する乗員マルチボディモデル 本研究の先行研究において土佐ら (4) によって構築された, 日本人男性の代表形状を有する乗員マルチボディモデルの概要を示す. このモデルの特徴は個体差を定義するパラメータとして身長 体重を用いている点であり, 簡単に計測できる入力データを用いることによりモデル化に要する時間が短縮されるメリットがある. Fig.2.1 に示すように, この全身モデルは,15 個の体節 ( 頭部, 頚部, 胸部, 腹部, 腰部, 上腕部, 前腕部, 大腿部, 下腿部, 足部 ) から構成される.Fig.2.2 に日本人男性の代表形状を有する乗員マルチボディモデルを示す. まず, 産総研デジタルヒューマン研究センターにより提供された人体寸法データベース (6) から日本人男性の平均体型に近い人を選び, 実人体の三次元形状計測に基づいた形状忠実性の高い標準モデルを作製した. 仰向け姿勢にて計測された人体形状の腕部および下肢の関節角を変更し, 運転姿勢へとモデル形状変換された. さらに, この人体寸法データベースを用いて従属変数が身長および体重, 独立変数が各体節の寸法という重回帰式を算出した. この標準モデルと重回帰式を組み合わせることにより, 身長 体重をパラメータとした個体差を有する全身マルチボディモデルが作製可能となった. 具体的には, 各体形に応じた身長 体重を重回帰式に代入することにより各体節の寸法を求め, 標準モデルの寸法を形状変換して外形状を構築するといった手順である. また各体節の質量特性は, 阿江ら (7) および鈴木ら (8) の手法により算出した. -6-

第 2 章乗員および車室マルチボディモデルの概要および改良 Head plane Neck plane Shoulder plane Elbow plane Thorax plane Abdomen plane Hip plane Knee plane Ankle plane Fig.2.1 Division planes of body joints (a) perspective front view (b) side view Fig.2.2 Multi-body occupant model of Japanese 50 th percentile male -7-

第 2 章乗員および車室マルチボディモデルの概要および改良 乗員モデルの関節剛性について, 自動車事故における高いレベルの衝撃を想定しているため受動的な筋発揮力をモデル化は行せず, 受動的な抵抗のみを考慮した. 受動抵抗には, 当初土佐 (4) らが欧米人標準の値を用いていたが, 肩関節, 肘関節, 股関節 ( 屈曲伸展, 内外転 ), 膝関節, 足関節に関しては江尻 (5) らにより日本人の関節受動抵抗 (9) へ変更されている. 日本人データが存在しない関節については欧米人の特性が用いられたままである. 各体節の接触剛性は Hybrid-Ⅲ ダミーの値を参考に定義した. 関節剛性, 接触剛性はともに体形によらず同一と仮定した. 関節受動抵抗の例として Fig.2.3 に膝部関節受動抵抗の修正前および修正後の値を示す. また, 接触剛性の例として Fig.2.4 に腕部接触剛性を示す. Fig.2.3 Joint stiffness of the knee. Tosa (4) (before) and Ejiri (5) (after) Fig.2.4 Contact stiffness of the arm -8-

第 2 章乗員および車室マルチボディモデルの概要および改良 また, 人体寸法データベース (1) を用いて 5 体の乗員モデルを作製した.Fig.2.5 に示すように, まず横軸を標準化体重, 縦軸を標準化身長にとった標準化身長 体重散布図を描き,95% 信頼限界の確率楕円を作製した. この楕円の長軸, 短軸における 5th %ile および 95th %ile を平均体形とし, Table 2.1 に示す身長 体重をもとに,Fig.2.5 に示す 5 体の乗員モデルを作製した. Table 2.1 Heights and weights of occupant models Model Height [mm] Weight [kg] Average 5 th percentile on major axis 5 th percentile on minor axis 95 th percentile on minor axis 95 th percentile on major axis 1714 1578 1785 1643 1850 63 45.3 54 72.6 81.3 Fig.2.5 Scatter diagram for standardized heights and weights of Japanese male with the 95% probability ellipse -9-

第 2 章乗員および車室マルチボディモデルの概要および改良 2.2.2 先行研究における乗員モデルの問題点およびその改良 先行研究 (5) や本研究において, 前項 2.2.1 にて述べた乗員モデルを用いた交通事故シミュレーショ ンが行われてきたが, 様々な問題点が見られた. 本研究ではそのうち, 为要な問題であると考える 2 点について改良を行った. (1) 乗員モデルを構成する Body 要素および Joint 要素の改良 2.2.1 にて述べた乗員モデルを用いた先行研究の交通事故シミュレーションにおいて,Fig.2.6 に示すような乗員挙動が得られた. 特に体幹部の不連続な変形, および股関節の過度な前方への変形という点で実際の乗員とは明らかに異なる挙動が見られた. そこで, 乗員モデルの構成を見直すこととした. (a) overview (b) unnatural torso motion (c) unnatural lower limb motion Fig.2.6 Occupant behaviour in simulation with the previous occupant model (5) -10-

第 2 章乗員および車室マルチボディモデルの概要および改良 本研究におけるシミュレーションの解析ソルバーは MADYMO(TNO Automotive) であり, この乗員モデルは MADYMO に対応して作製されている.MADYMO において扱われるマルチボディモデルは,Fig.2.7 に示すような Body 要素および Joint 要素により構成され, 各 Body 間の連結や重心位置,Joint 特性などを定義することでモデルを作製する. 本乗員モデルは各体節につき 1 つの Body 要素計 15 個, 各関節につき 1 つの Joint 要素計 14 個にて構成されている. Joint element Body element Fig.2.7 Body-element and Joint-element system in MADYMO Fig2.8 (a) のように, 先行研究の定義では Body-pelvis とBody-abdomen の位置が上下反転しており, 体幹の連結が正しく表現できていなことが確認出来る. 乗員体幹部が不自然な挙動を示した原因は, Body-abdomen と Body-thorax および Body-abdomen と Body-pelvis が別個の連結を構成していることであると考えられる. また,Body-pelvis と Body-abdomen の位置が上下反転していることで, Body-femur と Body-pelvis 間の Joint 要素に入力した股関節の関節剛性が正しく作用しないために, 乗員下肢が不自然な挙動を示したと考えられる. 以上に示した 2 点の問題点を修正し,Fig.2.8 (b) のような新たな Body 要素および Joint 要素の構成を作製した. このような改良を加えたことによる乗員モデルの妥当性については,3 章にて後述する. -11-

第 2 章乗員および車室マルチボディモデルの概要および改良 Body-thorax Body-pelvis Body-abdomen (a) Before modification Body-thorax Body-abdomen Body-pelvis (b) After modification Fig.2.8 Perspective front view (left) and close-up side view (right) of the body and Joint construction of occuapnt model -12-

第 2 章乗員および車室マルチボディモデルの概要および改良 (2) 乗員モデル初期姿勢の改良人体外形状を計測して作製された本乗員モデルは, 形状忠実性が高く.Fig.2.9 に示す楕円体の体節から成る従来マルチボディ乗員モデルより優れている. 先行研究 (4) において, シートベルトと乗員との接触が滑らかであり, 楕円体モデルにおいて見られた楕円体間へのシートベルトの食い込み発生しないなどのメリットが報告されている. Fig.2.9 Existing ellipsoid occupant model 形状忠実性は高い一方で, 先行研究における乗員モデルの初期姿勢は,Fig.2.10(a) に示すように, 腹部が前に突き出しており自然な運転姿勢ではない. これは, 人体外形状を測定する際に被験者が仰向けに寝ている状態であったため, 上体が沿っていたことが原因であると考えられる. また, このような上半身姿勢の問題により, シートベルトと乗員との関係が正しく表現できていなかった. 特に Fig.2.10(b) に示すように, 腹部の突き出しによりラップベルトが腰部と腹部との間に挟まれ, 上方に移動できなくなっていた. 上方に移動したラップベルトによる腹部圧迫が傷害を発生させる事故例が多数報告されていることから (1), 修正が必要であることが伺える. そこで,3D メッシュ作製ソフトである Hyper Mesh (Altair Engineering, Inc.) を用いて,Fig.2.11 のように初期姿勢の修正を行った. 修正の基準として背骨に注目し, 乗員が自然な前傾姿勢を取れるよう背中のカーブを決定した. そして Hyper Mesh の Hyper Morphing 機能を用い, 上半身の大きさを変えることなく, 修正した背中のカーブを基準に上半身形状を変換した. 前項 2.2.1 にて述べた 5 体の乗員モデルのうち, 長軸上の 5 th %ile,average,95 th %ile の 3 体を使用することとしたため, 同様の作業をこの3 体について行った.Fig.2.12 に, 形状変換を行った乗員モデルである Short_model, Average_model,Tall_model を示す. 自然な前傾姿勢を取り, 腹部の突き出しも無くなっていることが確認出来る. -13-

第 2 章乗員および車室マルチボディモデルの概要および改良 Lap-belt doesn t move to upper direction Unnatural abdomen posture (a) protruding abdomen in the initial posture (b) stuck lap-belt between abdomen and pelvis during a collison Fig.2.10 Questionable points of the previous occupant model (5) (a) before modification (b) after modification Fig.2.11 Occupant model in initial position. -14-

第 2 章乗員および車室マルチボディモデルの概要および改良 (a) Short_model (b) Average_model (c) Tall_model Fig.2.12 Perspective front (left) and side (right) view of modified occupant models -15-

第 2 章乗員および車室マルチボディモデルの概要および改良 2.3 車室マルチボディモデルの改良 2.3.1 車室マルチボディモデルの概要 車室マルチボディモデルは, 江尻ら (5) の作製した車室モデルに改良を加えたものを用いた. 本車室有限要素モデルとマルチボディモデルの組み合わせにて構成され, シートベルトおよびエアバッグは有限要素モデル, それ以外はマルチボディモデルにて作製された.Fig.2.13 に, 車室マルチボディモデル, シートベルトモデルおよびエアバッグモデルを示す. Airbag Front glass Steering Seat belt Seat Pillar Dash board Knee board Toe board Floor Brake pedal (a) overview Shell Multi-body (b) seat belt (c) airbag Fig.2.13 Vehicle interior model -16-

第 2 章乗員および車室マルチボディモデルの概要および改良 車室モデルの幾何形状は, 渡辺ら (10) によって測定された実車の車室寸法をもとに作製された. 対 象とした車種は, クラウンコンフォート ( トヨタ自動車株式会社 ) である.Fig.2.14 にクラウンコ ンフォートの車室寸法測定の様子を,Table 2.2 に測定諸元を示す. Fig.2.14 The scene of measuring the size of Toyota Crown Comfort Table 2.2 Measured specification of Toyota Crown Comfort Vehicle mass [kg] Front Rear Total Length [m] Width [m] 720 610 1330 6.49 1.69-17-

第 2 章乗員および車室マルチボディモデルの概要および改良 シートベルトは, ショルダーベルトおよびラップベルトにて構成され,3 節点シェル要素を用いて作製した. 材料特性として,Fig.2.15 に示すようなヒステリシスを有する応力 -ひずみ関係を入力した. また,Fig.2.13(b) に示すように乗員と接触が発生しない部分は MADYMO が提供するマルチボディベルトモデルを用いた. このベルトモデルは引っ張りのみを許し,Fig.2.16 に示すようなヒステリシスを有する荷重 - 相対のび関係を入力した. エアバッグは,National Crash Analysis Center (NCAC) のホームページ (11) で公開されている有限要素モデルを用いた. エアバッグ展開時の影響を考え, ステアリングもこのエアバッグモデルに付属のステアリングモデルを用いた. どちらも 4 節点シェル要素にて作製した. このモデルは外国車の標準的なサイズに合わせて作製されていると思われ, 日本車の寸法をもとに作製された本研究の車室モデルには比較的大きかった. そこで, 日本車のサイズを参考にエアバッグ展開時の直径を 500mm, ステアリングの直径を 380mm となるようにスケーリングを行った. シートの接触剛性は荷重 - 貫入量の関係で表され,Fig.2.17 のように設定した. これは MADYMO が提供するデータベースにおいて標準的な値として用いられているものであり, ソフトウエアの開発元である TNO Automotive において計測されたものである. また, シートと乗員モデル間の摩擦係数は, デニム生地製パンツとシート素材を用いて計測した動摩擦係数を参考に,1.0 とした. シートベルト, エアバッグ, およびシート以外の車室構成物は全て剛体とした. -18-

Load [N] Force [kn] Force [kn] Stress [MPa] Stress [MPa] 第 2 章乗員および車室マルチボディモデルの概要および改良 200 200 100 100 0 0 0.05 0.1 Strain 0 0 0.05 0.1 Strain (a) Shoulder belt Fig.2.15 Material properties of the FE part of belts (b) Lap belt 10 10 5 5 0 0 0.05 0.1 Relative Elongation 0 0 0.05 0.1 Relative Elongation (a) Shoulder belt (b) Lap belt F.2.16 Material properties of the string 5000 4000 3000 2000 1000 0 0.02 0.04 0.06 0.08 0.1 Penetration [m] Fig.2.17 Relation of Load-Penetration contact force between seat and hip -19-

Volume [m 3 ] 第 2 章乗員および車室マルチボディモデルの概要および改良 2.3.2 先行研究における車室モデルの問題点および改良点 2.3.1 にて述べた車室モデルを用いて江尻ら (5) が行った前面衝突事故シミュレーションによると, エアバッグの展開が頭部最大並進加速度を高める結果が報告されている. このエアバッグモデルは, 詳細な形状データを用いたが, ガスを送り込むインフレータ特性については Fig.2.18 に示すようなガスの流入量のみをモデル化したため, 緩衝性が表現されていないと考えられる. その結果頭部への接触反力が大きくなり, 最大加速度を高めてしまったと考えられる. エアバッグは, ガスが流入して展開が完了した後, エアバッグ後部からガスを放出することで衝撃を吸収する仕組みとなっている. このガス放出のメカニズムはメーカーや製品によって様々であり, また一般には公開されていない. そこでシートの接触剛性と同様に,MADYMO が提供するデータベースにおいて用いられているガス放出の定義を用いることとした. この定義においては, エアバッグ内の圧力が 50 kn/m 2 に達した後,1 ms の間にエアバッグ後方の孔からガスが放出される. このガス放出特性を加えたことによるエアバッグモデルの妥当性については,3 章にて後述する. 2 1 0 0 10 20 30 40 Time [ms] Fig.2.18 Volume-time curve of inflow gas into airbag -20-

第 2 章乗員および車室マルチボディモデルの概要および改良 2.4 まとめ 本章では, 先行研究 (4),(5) により作製された乗員マルチボディモデルおよび車室マルチボディモデルの概要と改良点について述べた. 乗員モデルは人体外形状の計測にもとづいた形状忠実性の高いモデルであり, 乗員モデルを構成する Body 要素および Joint 要素の連結について, 上下反転していた Body-abdomen と Body-pelvis の位置を修正し, 体幹の連結を改良した. これに伴い,Body-pelvis と Body-femur 間の Joint 要素に入力した股関節の関節剛性も正常に作用するようになった. また, 乗員モデルの初期姿勢が自然な運転姿勢を取るよう, 上半身についてモデルの形状変換を行った. 車室モデルは実車の計測をもとに作製され, 有限要素モデルおよびマルチボディモデルの組み合わせで作製された. 先行研究 (5) にて見られたエアバッグモデルの過度な反発を修正するため, 新たにガス放出の定義を入力した. -21-

第 3 章前面衝突試験を用いた交通事故シミュレ - ションモデルの妥当性検証 第 3 章前面衝突試験を用いた交通事故シミュレ - ションモデルの妥当性検証 3.1 はじめに 本章では, 前章にて改良を行った乗員モデルおよび車室モデルを用い, 交通事故シミュレーションモデルを構築し, その妥当性を検証した. 前章で改良し本章で検証する項目は, 先行研究 (5) にて見られた乗員モデル上半身の不連続な挙動, 股関節の過度な前方移動, ラップベルトと乗員モデルとの関係, およびエアバッグの過度な反発である. また, 改良を加えた点以外にも, シートベルトやエアバッグ, シートなどの車室構成物と乗員の各部位との接触が妥当かどうかを検証した. そこで本章では, 前面衝突試験を模擬したシミュレーションを行い, 試験結果とシミュレーション結果を比較することにより交通事故シミュレーションモデルの妥当性を検証する. 前面衝突試験として, 自動車アセスメント JNCAP におけるフルラップ前面衝突試験を用いる. そして, 試験およびシミュレーションにおける衝突時の乗員挙動, および各部位の加速度と荷重を比較することにより, 本シミュレーションモデルの妥当性を検証する. -22-

第 3 章前面衝突試験を用いた交通事故シミュレ - ションモデルの妥当性検証 3.2 前面衝突シミュレーションモデルの概要 3.2.1 再現に用いる JNCAP データの概要 交通事故シミュレーションモデルの妥当性を検証するため, 前面衝突試験と比較を行った. 前面衝突試験として, 本研究では自動車アセスメント (JNCAP) のフルラップ前面衝突試験を用いることとした. JNCAP とは, 自動車ユーザーの安全な車選びをしやすい環境の整備, および自動車メーカーのより安全な自動車開発の促進を目的として, 国土交通省と独立行政法人自動車事故対策機構 (NASVA) によって実施されている公的な自動車衝突テストである. 対象は国内で販売されている自動車であり, 毎年 20~30 台が試験されている. 全ての新車が満たしている自動車の認証試験の安全基準より厳しい基準で実施され, 毎年春にその結果が公表される. 試験は, フルラップ前面衝突試験, オフセット前面衝突試験, および側面衝突試験の 3 種の衝突テストと, ブレーキ性能テストおよび歩行者頭部保護性能テストの計 5 つから成る. Fig.3.1 に, フルラップ前面衝突試験の概要を示す. フルラップ前面衝突試験とは, 自動車を 55 km/h でコンクリート製の障壁 ( バリア ) に前面から衝突させる試験である. 運転席および助手席に前面衝突用ダミーである 50 th %ile Hybrid-Ⅲ を載せ, 衝突の際ダミーに発生する現象や車体の変形量をもとに自動車の乗員保護性能を評価する. 計測項目は Table 3.1 に示す通りである. ダミー, 車両に搭載された加速度計および荷重計のデータの他に, 衝突時の高速度映像も記録される. Fig.3.1 Full-wrap frontal impacted test in JNCAP -23-

第 3 章前面衝突試験を用いた交通事故シミュレ - ションモデルの妥当性検証 Table 3.1 Measuring contents in Full wrap frontal impact test Head liner Acc. Thorax liner Acc. Thorax displacement Neck force Dummy (Driver, Passenger) Neck moment Pelvis liner Acc. Femur force (Left, Right) Knee displacement (Left, Right) Tibia force (Lower, Upper / Left, Right) Tibia moment (Lower, Upper / Left, Right) Engine Acc. Vehicle Side-sill Acc. C.O.G. Acc. -24-

第 3 章前面衝突試験を用いた交通事故シミュレ - ションモデルの妥当性検証 3.2.2 シミュレーションの初期条件 乗員モデルおよび車室モデルの妥当性を検証するべく,3.2.1 にて述べたフルラップ前面衝突試験を再現したシミュレーションモデルを作製し, 結果を比較した. 以下に, 再現シミュレーション条件の概要を示す. フルラップ前面衝突試験のうち, セレナ ( 日産自動車株式会社 ) の試験結果に注目することとした.Fig.3.2 にセレナおよびダミー着座の様子を示す. (a) Nissan Serena (b) Occupant dummies in initial position Fig.3.2 Full-wrap frontal impact test of Nissan Serena -25-

第 3 章前面衝突試験を用いた交通事故シミュレ - ションモデルの妥当性検証 シミュレーションに用いた乗員モデルは,2 章にて述べた 3 体のモデルのうち試験に用いたダミ ーである 50%ile Hybrid-Ⅲ の身長に最も近い Average_model を用いた.Fig3.3 および Table 3.1 に 50 th %ile Hybrid-Ⅲ と Average_model における身長 体重の比較を示す. (a) 50%ile Hybrid-Ⅲ (b) Average_model Fig.3.3 Occupant 50 th %ile Hybrid-Ⅲ in JNCAP test and simulation model Table 3.2 Comparison of heights and weights between 50 th %ile Hybrid-Ⅲ and Average_model 50%ile Hybrid-Ⅲ Average_model Height [cm] Weight [kg] 173 78 171 63-26-

第 3 章前面衝突試験を用いた交通事故シミュレ - ションモデルの妥当性検証 車室モデルは,2 章にて説明したモデルを JNCAP データにおける日産セレナの幾何形状に従い修正した.Fig.3.4 に, 修正前および修正後の車室モデルの概要を示す. また乗員のシート上での初期位置は, シートとの接触反力が静的な釣り合いを保つ位置とした. 釣り合いの位置を求めるため, 各関節を固定した乗員モデルをシートと接触する位置から自由落下させ, 静止した位置を初期位置とした. この初期位置が試験状況と一致するようシート, ハンドルおよびトゥーボードの位置を修正した.Fig.3.5 および Table 3.3 に, 試験とシミュレーションの乗員初期位置の比較を示す. また乗員モデルが初期位置にある状態でシートベルトのフィッティングを行い, 体にフィットした位置で固定した. (a) Original (b) Modified model for Nissan Serena Fig.3.4 Vehicle interior model -27-

第 3 章前面衝突試験を用いた交通事故シミュレ - ションモデルの妥当性検証 Fig.3.5 Occupantt s initial position defined with four positioning distances (A, B, C, and D) and angles (α, β, and γ) Table 3.3 The values of positioning indexes of Nissan Serena and Vehicle interior model Distance (mm) Angle (degree) A (Nose Steering upper) B (Thorax Steering center) C (Knee Toe board) D (Floor Steering center) Nissan Serena 427 296 111 683 Simulation Before modification After modification 501 404-313 - 101-640 α - 37 48 β - 48 40 γ - 36 36-28-

Acc. [m/s 2 ] 第 3 章前面衝突試験を用いた交通事故シミュレ - ションモデルの妥当性検証 衝突時の車室内状況をシミュレーションにて再現するため, 試験より得られた車両重心の並進加速度の正負を逆転させて乗員モデルに入力した.Fig.3.6 に, シミュレーションモデルにおける座標系の定義および乗員モデルに入力した並進加速度を示す. エアバッグの展開開始は, 衝撃により車両に発生する加速度をトリガーとしている. しかし, 衝撃加速度がどのような条件に達した際にエアバッグが展開するかは不明であるため, 衝突時の高速度映像を参考に衝突開始から 15 ms 後に展開することとした. Z Y X (a) Coordinate system in the simulation 500 0 X Y Z -500 0 100 200 Time [ms] (b) Acceleration-time curves Fig.3.6 Liner acceleration obtained in JNCAP test and inputted to simulation model -29-

第 3 章前面衝突試験を用いた交通事故シミュレ - ションモデルの妥当性検証 3.3 シミュレーション結果の検証および考察 シミュレーションモデルの妥当性を検証するため, 前節 3.2 の条件にて作製したモデルを用いた シミュレーションと試験の結果を, 乗員挙動, 各部位の加速度および荷重について比較した. 3.3.1 乗員挙動 乗員挙動について, シミュレーションにおける乗員モデル挙動と,JNCAP 試験の衝突時の高速度映像から確認されるダミー挙動を比較した. 試験映像では, ドアの存在によりダミーの腹部より上の挙動しか確認できないため, 頭部とエアバッグの関係に注目することとした. また,2 章にて改良した乗員モデルおよびエアバッグの妥当性を検証するため, 試験結果に加えて, 改良前の乗員モデルおよびエアバッグの設定を用いたシミュレーションの結果とも比較した. Fig.3.7 に示すように, 衝突後 0~150 ms における乗員挙動について, 試験とモデル改良前後のシミュレーションを比較した. エアバッグと頭部の衝突に注目すると, モデル改良前のシミュレーションでは, 衝突後 100 ms 付近で頭部が大きく反発しているのに対し, モデル改良後は衝突後 50 ms 付近で頭部とエアバッグが衝突を開始し,75~100 ms 付近で沈み込みが最大になり,150 ms 付近で離れ始め, 試験での乗員挙動とよく一致している. このことから, エアバッグのガス放出特性の改良により, 緩衝性が正しく表現できるようになったことが確認できた. また, 乗員の体幹部の挙動に注目すると, モデル改良前に見られていた不連続な動きはなく時間経過とともに滑らかに前傾しており, ラップベルトの上下への動きも抑制されていない. また下肢の前方への移動はほとんど見られず, 運動も滑らかである. 試験のダミー挙動と直接比較することは出来ないが, 不自然さが無くなったという点で改善が確認できた. 一方,75~100 ms 付近について, シミュレーションにおける乗員は試験ダミーより前傾姿勢を示している. 試験では, 衝突の後ダミーとともにシートも前方に移動しており, それにともないダミーの移動量も多くなっている. しかし, 本車室モデルはモデル全体に対するシートの動きを拘束しているため, このような前方への移動を表現していない. その結果, 特に乗員モデルの上半身の移動量が尐なく, 相対的に頭部の移動量が多くなったことによって傾きが大きくなったと考えられる. これは車室モデルを簡略化したマルチボディモデルで作製していることの弊害であるが, 上半身の傾きを除けば乗員挙動はよく一致しており, 大きな問題ではないだろう. エアバッグのガス放出状況を見てみると,Fig.3.8 (a) に示したインフレータ修正前は供給されたガスが全てエアバッグの中に収まっているのに対し,Fig.3.8 (b) に示したインフレータ修正後は衝突後 20 ms 付近からガス放出が開始され, 変更したガス放出特性が正しく反映されていることがわかる. 以上, 乗員挙動の比較というマクロ的視点からは, 試験とシミュレーションの結果がよく一致しモデル改良の効果が見られた. -30-

第 3 章前面衝突試験を用いた交通事故シミュレ - ションモデルの妥当性検証 0 ms 150 ms (a) JNCAP 0 ms 150 ms (b) Simulation with initial models 0 ms 150 ms (c) Simulation with modified models Fig.3.7 Comparison of occupant motions between JNCAP test and simulations -31-

Mass [kg] Mass [kg] 第 3 章前面衝突試験を用いた交通事故シミュレ - ションモデルの妥当性検証 50 Total In bag 0 0 50 100 150 Time [ms] (a) simulation with initial models 50 Total In bag Exhausted 0 0 50 100 150 Time [ms] (b) simulation with modified models Fig.3.8 Behaviour of airbag gases -32-

第 3 章前面衝突試験を用いた交通事故シミュレ - ションモデルの妥当性検証 3.3.2 各部位の加速度および荷重 前項 3.3.1 にてマクロ的視点に対して, 本項ではミクロ的視点として各部位の加速度および荷重について, シミュレーションと試験ダミーより計測されたデータを比較した. 本研究において乗員の傷害発生部位として着目した 4 つの部位は, 頭部, 胸部, 大腿部, さらに, 高速度映像から確認できなかった上半身下腹部の動きを検証するための腰部である. 試験ダミーより計測される各部位の物理量は, 頭部, 胸部, および腰部が並進加速度, 大腿部が軸方向荷重であったため, これにともないシミュレーションにおける出力を決定した.Fig.3.9 に, 各部位におけるシミュレーション結果 ( モデル改良前, 改良後 ) と試験結果を示す. 大腿部荷重は, 試験にて計測された最大荷重が大きかった右足の結果に注目し, 改良まえの乗員モデルでは出力が出来なかったため試験結果およびモデル改良後のシミュレーション結果のみを示した. まず, モデル改良前と改良後のシミュレーション結果を比較すると, 改良後は, 頭部, 胸部, 腰部の全ての部位において試験結果に近づいたことが確認できる. 特に胸部および腰部に関しては最大値が大幅に減尐し, 波形の定性的特徴も実験結果と近いものとなった. 胸部および腰部は乗員モデルの修正による影響が大きいと考えられる. 股関節剛性が正しく作用することで下肢の動きが抑制され, それにともない腰部へ発生する加速度が減尐した. 体幹部の一番上に当たる胸部は体幹部の Body 要素構成に最も影響される部位であり, 体幹部 Body 要素の連結を修正した結果が加速度の減尐につながっている. また頭部は, 体幹部の影響を受けると同時に, エアバッグの改良による影響が大きいものと考えられる. 次に, モデル改良後のシミュレーション結果と試験結果の比較を行うと, 全ての部位について波形の定性的特徴はよく一致している. シミュレーション間で比較できなかった大腿部荷重についてもよく一致しており, 車室モデルのジオメトリおよび接触剛性の設定が正しく表現できていることが確認できた. 一方で, よく一致しているというものの, 頭部を除く部位に若干の定量的なずれが見られ, 最大値を示す時間がシミュレーションの方が早いという点で試験結果との差異が見られた. これは, 変形を考慮しないマルチボディモデルにてシミュレーションを作製したことが原因であり, 特に, 前項 3.3.1 でも挙げたシートの移動, および人体胸部の変形を無視していることによる影響が大きく, 試験結果において 30 ms 付近で見られる加速度の減尐を発生させていると考えられる. これらモデルの変形をシミュレーションに組み込めば, 結果の改善は望めるであろう. しかし, 今回挙げた問題点を改善したところで, 試験結果を完全に再現できるシミュレーションモデルを作製することは不可能であり, ある段階で打ち止めなければならない. 本研究においては結果の処理に統計的な手法を用いることを考慮すると, 本シミュレーションモデルの精度は十分であると考えられる. -33-

Acc. [m/s 2 ] Force [kn] Acc. [m/s 2 ] Acc. [m/s 2 ] 第 3 章前面衝突試験を用いた交通事故シミュレ - ションモデルの妥当性検証 1000 Exp Sim-before Sim-after 3000 2500 2000 Exp Sim-before Sim-after 1500 500 1000 500 0 0 100 200 Time [ms] (a) Head acceleration 0 0 100 200 Time [ms] (b) Thorax acceleration 3000 2500 Exp Sim-before Sim-after 5 Exp. Sim. 2000 1500 0 1000 500 0 0 100 200 Time [ms] (c) Pelvis acceleration -5 0 100 200 Time [ms] (d) Right Femur force (axial) Fig.3.9 Comparison of body segments accelerations and axial force between JNCAP test and simulations -34-

第 3 章前面衝突試験を用いた交通事故シミュレ - ションモデルの妥当性検証 3.4 まとめ 本章では, 前面衝突試験を模擬したシミュレーションを行い, 交通事故シミュレーションモデルの妥当性を検証した. 前面衝突試験として JNCAP におけるフルラップ前面衝突試験を用い, 乗員モデルおよび車室モデルを用いて再現シミュレーションを作製した. 乗員挙動および各部位の加速度と荷重に注目し, シミュレーションモデルの妥当性を検証した. 乗員挙動は, エアバッグによる頭部への反発が軽減され, 試験結果とよく一致した. 体幹部の動きは試験結果と比較できなかったが, モデル改良前に見られた不自然な体幹部の変形が滑らかになり, また股関節の過度な前方への移動も解消された. 各部位の加速度および荷重は, モデル改良により大幅な改善が見られ, 試験結果とシミュレーション結果がよく一致した. シミュレーションモデルの精度について依然改善の余地は残すが, 本研究が求める精度は十分に満たすと考え, このシミュレーションモデルを用いて乗員傷害予測式を構築することとした. -35-

第 4 章乗員傷害予測式の構築 第 4 章乗員傷害予測式の構築 4.1 はじめに 前章では,2 章にて述べた乗員モデルおよび車室モデルの修正結果を確認し, 交通事故シミュレーションモデルの妥当性検証を行った. 本章では, この交通事故シミュレーションモデルを用いて乗員傷害予測式を導出した. 本研究では, 様々な交通事故状況による乗員の傷害状況を含んだ傷害データベースを用い, 乗員傷害予測式を導出する. この傷害データベースを構築するため, 条件を様々に変化させた交通事故シミュレーションを大量に行う. シミュレーションは自由度が高く, あらゆる条件が変更可能だが, 乗員や衝突条件に関するパラメータを決定する際には, 事故発生時に入手可能であり, かつ乗員傷害に影響を及ぼすという点を考慮した. またシミュレーションだけでなく, 車両特性の算出には JNCAP データを利用することとした. 傷害予測の対象とする部位は, 交通事故において傷害発生が多いと報告される頭部, 胸部, および大腿部とし, 各条件におけるシミュレーション結果を外傷スケールである AIS ( Abbreviated Injury Scale ) を用いて評価することとした. そして統計的手法により各部位ごとの傷害予測式を導出し, 実事故データを用いて式の精度を検証する. -36-

第 4 章乗員傷害予測式の構築 4.2 交通事故シミュレーションによる傷害データベースの構築 前章においては, 交通事故シミュレーションモデルの妥当性検証を行い, シミュレーションモデ ルの精度が十分であることを確認した. 本節では, この交通事故シミュレーションモデルを用いた 傷害データベースの構築手順について述べる. 4.2.1 力学モデルを用いた車両特性の算出 本項では, 力学モデルを用いた車両特性の算出について述べる. 車両特性として, 具体的には (1) 車両剛性,(2) 車両慣性特性を算出した. 以下に詳細を述べる. (1) 車両剛性の算出衝突事故において, 乗員が傷害を受ける車両の変形状況は,1) 生存空間の減尐,2) 乗員移動の 2 つに分けることができる.1) については, 衝突エネルギーを Fig.4.1 に示すエンジンコンポーネントだけでは吸収出来ない場合, キャビン変形が生じ, ステアリングやインストルメンタルパネルの後退により乗員との二次衝突が発生し, 受傷に至る可能性がある. このため, 変形を抑制するような剛性の高いキャビンが望まれる. 一方 2) については, エンジンコンポーネントの変形が尐ないことにより減速度が高くなり, その結果拘束装置に高い荷重が発生して乗員移動量が大きくなり, 車室構造物との二次衝突により受傷に至る. また, 二次衝突で発生した減速度により, 乗員が内臓や頚部に傷害を受ける事例もある. 車体減速度による受傷の危険性は車体剛性が高いほど増加する可能性が有り, 変形により衝突エネルギーを吸収する性能が要求される. このように, 車体剛性は乗員の受傷に関して非常に重要な要素である. また, 高すぎても低すぎても適当でなく, エンジンコンポーネントなど車体の寸法, 構造などにも対応していると考えられ, 車両ごとの車体剛性と車体変形を考慮に入れる必要がある. そこで,JNCAP におけるフルラップ前面衝突試験の結果をもとに, 各車両の車体剛性を算出することとした. Fig.4.1 Engine compartment and cabin -37-

第 4 章乗員傷害予測式の構築 JNCAP データとして, 自動車対策機構 (NASVA) のホームページにて一般に公開されている車両寸法や重量, 車両安全性の評価, およびダミーより計測された各物理量の最大値などに加え,NASVA より衝突時の高速度映像, 試験状況の写真, およびダミーと車両の計測データの提供を受けた.Table 4.1 に, データを入手した 6 種類の車両を示す. 入手したのはヴェルファイヤ, マーク X( 以上, トヨタ自動車株式会社 ), エクストレイル, セレナ ( 以上, 日産自動車株式会社 ), フィット ( 本田技研工業株式会社 ), およびワゴン R( スズキ株式会社 ) の 6 車種のデータであり, 車両カテゴリごとの売上の多さを参考に決定した. Table 4.1 The vehicles to calculate stiffness Year Category Vehicle 2004 Auto-C > 2000 cc displacement Toyota MARK-X 2005 One box & Minivan Nissan SERENA 2007 2008 Auto-A < 1500 cc displacement Auto-B 1500 cc~2000 cc displacement One box & Minivan Light vehicle Honda FIT Nissan EXTRAIL Toyota VELLFIRE Suzuki WAGON-R フルラップ前面衝突試験は自動車が固定壁に衝突する試験であるので, その場合の力学理論につ いて述べる. 自動車の車体変形特性は Fig.4.2 に示すような塑性変形するバネと仮定することができ, 車体剛性はバネ定数に相当する. Fig.4.2 Dynamic model of off set frontal impact -38-

第 4 章乗員傷害予測式の構築 ここで, 力 F によって長さ s だけ変形するバネを想定し, バネ定数を k, エネルギー吸収量を E とすると, 次のような式が成立する. F ks (4.1) E 1 2 1 2 2 Fs ks (4.2) そして, 固定壁に衝突した場合の反発係数を e, 自動車の質量を m 1, 衝突速度を v 1 とし, 固定壁 については m 2 =,v 2 = 0 と考えられるので, エネルギー吸収量は 1 2 2 E m1v 1 (1 e ) (4.3) 2 (4.2),(4.3) 式から, m1 2 s v1 (1 e ) (4.5) k となる. また, 固定壁に高速で衝突した場合の反発係数はゼロに近いので,e = 0 とし,k について 整理すると, k 2 1 1 m v (4.6) s よって, 車両剛性を算出するには, 質量 m 1, 衝突速度 v 1, 変形量 s が必要である. 質量および衝突速度はフルラップ前面衝突試験のデータから容易に入手することができるが, 車両の変形量については報告されていない. そこで, 衝突試験後の写真より変形量を求めることとした. 変形後の車両全長は,Fig. 4.3 のような試験後の写真を用い, 車体横に貼り付けられた 500mm 間隔のマーカーがを利用して計算した. 車両全長の前端は, 変形量が最も大きくなる地点とした. そして, 変形前の全長との差を車両変形量とした.Table 4.2 に, 各車両の質量, 全長, 変形量と, 式 (4.6) より算出した車両剛性を示す. なお, 衝突速度は全て 15.3 m/s 2 である. -39-

第 4 章乗員傷害予測式の構築 Fig. 4.3 Measuring a deformed length of vehicle in a picture of JNCAP test Table 4.2 Weights, lengths, deformations, and stiffnesses of JNCAP test vehicle Vehicle Weight [kg] Length [mm] Deformation [mm] Stiffness [kg/s 2 ] Toyota MARK-X Nissan SERENA Honda FIT Nissan EXTRAIL Toyota VELLFIRE Suzuki WAGON-R 1510 1610 1010 1500 1890 810 4730 4650 3900 4590 4865 3395 136.8 302.1 186.3 190.0 151.0 183.7 18822187.4 4118446.1 6789715.1 9694924.8 19347397.9 5605136.1 Table 4.2 より各車両の剛性に注目すると, サイズおよび重量が大きいトヨタヴェルファイヤとトヨタマーク X の剛性が高く, 逆にサイズおよび重量が小さいワゴン R の剛性が低いなど, 車両の大きさと重さに剛性が比例している傾向にあることがわかる, 一方で, 比較的大型な車両であるセレナは変形量が大きく,6 車種中最も小さな剛性となっており, 車両ごとに剛性を求める必要があることが伺える. -40-

第 4 章乗員傷害予測式の構築 (2) 車両慣性特性の算出実際の前面衝突事故において, 自動車は様々な角度を有して衝突すると考えられ, むしろ真正面から衝突するケースの方が珍しい. 斜め前面衝突においては, 衝突後に車両は回転運動する. 傷害データベースに斜め前面衝突を組み込むためには, 車両の回転運動に関わる慣性特性を算出する必要がある. 先行研究 (5) においては, Fig.4.4 に示すように, 衝突加速度を進行方向および横方向に分解するといった単純な手法によりシミュレーション上で斜め前面衝突を表現している. このような加速度の分解は 衝突後に車両が回転しない という仮定の上で成り立っているが, 実際には車両の回転運動により車室内の乗員に慣性力が働いており, すなわち乗員への衝撃が過小評価されていると考えられ, 衝突後の回転運動を考慮に入れた入力条件を作製する必要がある. そこで,JNCAP におけるオフセット前面衝突試験を用いて, 各車両の慣性特性を算出することとした. Fig.4.4 Diagonal frontal impact in previous study -41-

第 4 章乗員傷害予測式の構築 Fig.4.5 にオフセット衝突試験の概要を示す. オフセット前面衝突試験とは, 自動車を時速 64 km でアルミ製のデフォーマブルバリアに運転席側の一部 ( オーバーラップ率 40%) を前面衝突させる試験である. ダミーの乗車状況は,3 章にて述べたフルラップ前面衝突試験のものと同様であり, 計測項目はバリア荷重を加えている. Fig.4.5 Off set frontal impact test 車両剛性を k V, バリア剛性を k B とすると, オフセット前面衝突は Fig.4.6 のように表現できる. Fig.4.6 Dynamic model of off set frontal impact model -42-

第 4 章乗員傷害予測式の構築 荷重 F は車両幅 L の中心から 10% の位置とする. ここで, 荷重 F は進行方向にしか働かないため, 重心周りの角速度を ω とすると, 重心周りの運動方程式は, L F I (4.7) 10 となり, 慣性モーメント I について整理すると, FL I (4.8) 10 と表すことができる. ここで,F および L はそれぞれ JNCAP データから取得できるので, 車両の重心加速度および左右サイドシル加速度に注目して重心周りの角速度 ω を算出することとした. Fig.4.7 に左右サイドシルの位置を,Table 4.3 に, 各車両の重心および左右サイドシル加速度の最大値を示す. フィットおよびマーク X は変形の影響により左右サイドシルで回転の向きが異なっていたが, 支配的な方向の値のみを採用した. Fig.4.7 Locations of C.O.G and Side sill acceleration meter -43-

第 4 章乗員傷害予測式の構築 Table 4.3 Accelerations of C.O.G and Side sill (Left, Right) Accelerations Vehicle C.O.G. [m/s 2 ] Left sill [m/s 2 ] Right sill [m/s 2 ] Left C.O.G. [m/s 2 ] Right C.O.G. [m/s 2 ] a [m/s 2 ] VELLFIRE EXTRAIL SERENA FIT MARK-X WAGON-R 366.1 454 338.1 264.9 458.5 357.5 361.5 343.6 282.5 275.4 357.5 298.1 410.2 519.4 418.3 427.1 419.1 393.4-4.6-110.4-55.6 10.5-101 -59.4 44.1 65.4 80.2 162.2-39.4 35.9 48.7 175.8 135.8 162.2 101 95.3 左右サイドシル加速度と重心加速度の差を求め, 重心を原点とした左右サイドシルの相対加速度を算出した. また, 重心加速度計から左右サイドシル加速度計までの距離 r については各車両の寸法データを入手することが出来なかったため, 平成 18 年度の ( 財 ) 交通事故総合分析センター (ITARDA) の再現実験における寸法データ (12) をもとに, 車両の横幅中心より左右各 40% の位置とした. 以上, 左右サイドシルの相対加速度を a とすると,r = 0.4 L より, 2 a r 5a 2L (4.9) となり,ω を算出することができる. 以上, 式 (4.8),(4.9) を用いて各車両における ω および I を算出し,Table 4.4 に示す. Table 4.4 Each vehicle s ω and I L [mm] r [mm] ω [s -1 ] I [kn m s] VELLFIRE EXTRAIL SERENA FIT MARK-X WAGON-R 1840 1785 1695 1695 1775 1475 368 357 339 339 355 295 10.9 22.2 20.0 69.2 16.9 18.0 9764.2 3832.9 3773.42 822.42 5530.0 2220.0-44-

第 4 章乗員傷害予測式の構築 4.2.2 傷害予測式に用いる事故条件パラメータの選定 実事故データではなくシミュレーションを用いて傷害データベースを構築するメリットは, 様々な交通事故状況における乗員の傷害状況を短時間, 低負荷, および簡便に取得できる点である. しかし, その傷害データベースを基に導出される傷害予測式を有効なツールとして使用するためには, 事故発生時に入手可能な状態や値をパラメータとして用いる必要がある. 例えば, 衝突時の乗員の動きや車室内の構造物との衝突の様子などは, 傷害状況を予測する上で非常に重要であるが, これらを瞬時に判断することは今現在では不可能である. また, 詳細な水準を持つ多種のパラメータを用いたシミュレーションでは計算時間は膨れ上がり, 計算負荷が短いという利点が薄らいでしまう. 本研究が提案する傷害予測式の算出手法は, シミュレーションモデルおよび統計的手法の修正に取り組みながら予測式の精度を高めていく, という循環的なものであり, 乗員傷害の因子と考えられる为要なパラメータを選定する作業が必要である. 以上の理由より, パラメータをエアバッグ有無, シートベルト有無, 乗員体形, 衝突方向, 衝突速度, 車種の 6 種類とした. 各パラメータの変更水準および詳細を以下に述べる. (1) エアバッグ有無エアバッグの展開は頭部および胸部への傷害発生に大きな影響を及ぼすと考え, パラメータに採用した. 変更水準は,Fig.4.8 に示すような展開する場合および展開しない場合の 2 水準である. ITARDA の評価によると, エアバッグ装備車の死亡重傷率はエアバッグ非装備車と比較して低くなっており, 車両の中破以上の場合で死亡重傷率は約 25% 低減し, 事故に関与した全ての車でも約 26% 低減している (13). (a) deployment (b) without deployment Fig.4.8 Airbag parameter -45-

第 4 章乗員傷害予測式の構築 (2) シートベルト有無シートベルトの装着は, 乗員全体の傷害発生に大きな影響を及ぼすと考え, パラメータに採用した. 変更水準は,Fig.4.9 に示すような装着する場合および装着しない場合の 2 水準である. シートベルトは車の衝突時, 車内の乗員の動きを拘束し傷害を軽減するためのもので, ベルト非着用の場合には乗員が車外へ放出される, またフロントガラスやステアリング, ダッシュボードなどへ二次衝突する可能性が高い. このような二次衝突による傷害発生を防止するのがシートベルトの为な役割であり, シートベルト着用は法的に義務化された 1986 年より, 交通事故による死傷者数は減尐している. (a) with seatbelt (b) without seatbelt Fig.4.9 Seatbelt parameter (3) 乗員体形乗員の身長や体重は, 車室構造物との接触や拘束, また各体節における慣性特性にも影響を及ぼし, 衝突時の乗員挙動に大きな影響を与えることが考えられる. そこで,2 章にて述べた乗員モデルである Short_model (1.578 m, 45.3 kg),average_model (1.714 m, 63 kg),tall_model (1.85 m, 81.3 kg) を使用することとした.Fig.4.10 に乗員モデルを示す. (a) Short_model (b) Average_model (c) Tall_model Fig.4.10 Occupant parameter -46-

第 4 章乗員傷害予測式の構築 (4) 車種前項で述べたように, 衝突時の乗員への衝撃は車種により異なるため, 車種の違いは乗員傷害に大きな影響をおよぼす. そこで, フルラップ前面衝突試験について,6 車種の車両重心の加速度を比較してみたところ, 車種の大きさやカテゴリに関わらず加速度波形の大まかな定性的特徴は Fig.4.11 のように説明できることが確認できた. 自動車が衝突を開始するとまずボンネットが変形し加速度が増加するが, エンジンルーム内に設けられたクリアランスにより一度減尐に転ずる. そのクリアランスを経て変形がエンジンまで達した後再び増加し, 加速度の最大値を示して 0 に収束する. また, 衝突時の高速度映像にて車両の変形進行状況を確認すると,Fig4.12 に示すように, フロントタイヤに達した後はあまり変形が進行せず, 車両前面からフロントタイヤまでの距離が車両の変形および加速度へ大きな影響をおよぼしていると考えられる. Fig.4.11 Schematic acceleration-time curve in Full wrap frontal impact test in JNCAP Fig.4.12 The moment that front tire stops deformation -47-

第 4 章乗員傷害予測式の構築 そこで, 車両特性に応じた加速度波形を作製するため, 衝突加速度波形の構成要素である a 1,a 2, および t 1 ~ t 3 と車両特性を示す物理量との相関を調査したところ,Table 4.5 に示すような結果となった. 今回はデータのある車種が 6 種類と尐なかったため統計的な処理は行わず, 傾向の一致性をもとに決定した. ここでいうノーズ長は車両前面からフロントタイヤ中心までの距離,k は前項にて算出した車両剛性,m は車両重量である. Table 4.5 Elements of acceleration curve Elements of acceleration Dominant factor a 1 a 2 t 1 t 2 t 3 1/ Bonnet length Bonnet length Bonnet length k/m 1/ Bonnet length この結果をふまえ, 各車両に対応した加速度波形を作製した.Fig.4.12 に示した定性的特徴と最も近いトヨタヴェルファイヤの加速度を基準とし, ヴェルファイヤの Bonnet length および k/m との比率を参考に, 各車両の a 1,a 2, および t 1 ~ t 3 を算出した.Table 4.6 に, 各車両の a 1,a 2, および t 1 ~ t 3 における試験データおよび計算結果より算出した値の比較を示す. 軽自動車であるスズキワゴン R のみ計算結果に大幅な誤差が生じたため, ノーズ長を 2 倍とすることとした. また,Fig.4.13 に作製した各車両の入力加速度を示す. Table 4.6 Compare the element of acceleration between from experiment and calculation Vehicle A 1 a 2 Experiment Calculation Experiment Calculation VELLFIRE 19 19.0 21 21.0 EXTRAIL 28 19.9 14 13.3 SERANA 21 20.0 9 5.2 FIT 12 16.7 19 13.8 MARK-X 23 18.5 23 25.6 WAGON-R 12 12.6 10 14.2 t 1 T 2 t 3 Experiment Experiment Experiment Calculation Experiment Calculation 67 60 64 68 64 53 67 64 63.5 76.0 68.0 50.5 265 290 257 400 295 410 265.0 253.3 251.3 300.7 272.1 399.5 527 742 530 480 591 610 527.0 551.3 555.8 464.4 513.2 534.9-48-

Acc. [m/s 2 ] 第 4 章乗員傷害予測式の構築 500 0 0 20 40 60 80 100 Time [ms] VELLFIRE FIT EXTRAIL MARK-X SERENA WAGON-R Fig.4.13 Calculated acceleration curves of the test vehicles 変更水準は, 車両重量を参考にヴェルファイヤ, フィット, ワゴン R の 3 水準とし,Fig.4.13 に 示す加速度波形をシミュレーションに用いた. (5) 衝突速度乗員の傷害発生について, 衝突速度が大きな影響を与えるのは言うまでも無いことである. 衝突速度が大きくなるほど車両の変形量が大きくなり, また減速度が高くなることにより二次衝突による傷害発生の確率も高くなる. 本シミュレーションモデルは入力として衝突時に発生する車両加速度を用いるため, 運動量保存則を用いて衝突速度と衝突加速度の関係を求めることとした. ここで, 衝突による力積が全て車両の変形に変換に保存されたと仮定すると, mv Fdt madt (4.10) より, v adt (4.11) -49-

Acc. [m/s 2 ] Acc. [m/s 2 ] Acc. [m/s 2 ] 第 4 章乗員傷害予測式の構築 という関係が衝突速度と加速度の間に成り立つことがわかる. これをふまえ, 衝突速度の変更水準を 30 km/h,55 km/h,80 km/h の 3 水準とし,Fig.4.13 に示した加速度波形をスケーリングすることにより各車種の加速度を作製した.Fig.4.14 に, ヴェルファイヤ, フィット, ワゴン R の加速度 3 水準をそれぞれ示す. 500 0 0 20 40 60 80 100 Time [ms] (a) VELLFIRE 500 0 0 20 40 60 80 100 Time [ms] (b) FIT 500 0 0 20 40 60 80 100 Time [ms] (c) WAGON R 30 km/h 55 km/h 80 km/h Fig.4.14 Accelerations of Toyota VELLFIRE, Honda FIT, and Suzuki WAGON-R -50-

第 4 章乗員傷害予測式の構築 (6) 衝突方向衝突方向により乗員に発生する衝撃の向きも変化するため, 衝突方向は乗員の傷害発生に影響を与えると考えられる. また前項にて述べた通り, 斜め前方衝突により発生する車体の回転運動が乗員への衝撃を増加させることが考えられる. そこで, 前項にて算出した慣性特性 I を用いて, 斜め前方衝突時に車室内の乗員に働く加速度を求めることとした. Fig.4.15 Dynamic model of diagonal frontal impact Fig.4.15 に, 斜め前方衝突の力学モデルを示す. 車両剛性は進行方向および横方向で等しいとし, 衝突点は最前面の端点とする. ここで, 衝突角度を θ とすると,x,y 方向加速度成分はそれぞれ, a a x y a cos a sin (4.12) となる. また,Fig.4.15 より, 車両の重心周りの運動方程式は, F L F L I (4.13) x y y x となり,F x = ma x,f y = ma y より式 (4.12) は, -51-

第 4 章乗員傷害予測式の構築 maxl y ma I y L x (4.14) と整理できる. ここで, 車両重心を原点とした車室座標系における車両の加速度 a x,a y は, 絶対 座標における車両の加速度 a x,a y を用いて, a a x y ' cos t sin t a ' sin t cos t a x y ' ' (4.15) 表すことができ, 乗員に働く加速度としてこの車室加速度 a x,a y の正負反対を入力することとした. 以上, 式 (4.11)~(4.14) を用い, 斜め前面衝突において車室に発生する加速度を算出した. 加速度の算出に用いた各車両の物理量を Table 4.7 に示す.L y に関する各車種のデータを入手することができなかったため, 平成 18 年度の ITARDA の再現実験 (12) における寸法データをもとに, 車両全長の 35% にあたる位置とした.L x は全幅の中心とした. Table 4.7 Each vehicle s L x and L y VELLFIRE EXTRAIL SERENA FIT MARK-X WAGON-R L x [mm] 1702.7 1606.5 1627.5 1365.0 1655.5 1188.2 L y [mm] 920.0 894.25 847.5 847.5 887.5 737.5 衝突角度は -30,0,30 の 3 水準とし, 前述した計算手法により算出した x,y 方向の加速度を入力した. 加速度の一例として,Fig.4.16 にヴェルファイヤの -30,0,30 における車両加速度を示す. また, 比較のため先行研究の手法により算出した加速度も合わせて示す. -30 および 30 の加速度波形について, 回転運動に影響する x 方向加速度はどちらも増加していることが確認出来る. また y 方向の入力加速度は -30 と 30 で反対となるため, 回転運動により -30 の y 方向加速度は減尐し,30 は増加することが確認出来る. 乗員モデルには, この加速度波形の x 方向 y 方向ともに反対方向を入力した. -52-

Acc. [m/s 2 ] Acc. [m/s 2 ] Acc. [m/s 2 ] 第 4 章乗員傷害予測式の構築 500 400 300 200 100 0-100 -200 0 20 40 60 80 100 500 400 Time [ms] (a) -30 300 200 100 0 0 20 40 60 80 100 Time [ms] (b) 0 500 400 300 a x 200 100 0 0 20 40 60 80 100 a y Time [ms] (c) 30 Fig.4.16 Vehicle interior s acceleration of VELLFIRE to input simulation -53- a x (previous) a y (previous)

第 4 章乗員傷害予測式の構築 以上,6 種類のパラメータおよび変更水準をまとめると Table 4.8 のようになり, 合計 324 通りの 交通事故シミュレーションを行った. Table 4.8 Parameters to construct injury database Number Parameters Levels 1 Airbag 2 Seatbelt 3 Rider s Body size 4 Vehicle 5 Impact speed 6 Direction of impact 2 (On, Off) 2 (On, Off) 3 (Short, Average, Tall) 3 (VERFIRE, FIT, WAGON-R) 3 (30, 55, 80 km/h) 3 (-30, 0, 30 ) Total 324-54-

第 4 章乗員傷害予測式の構築 4.2.3 傷害データベースの構築 前節にて述べたパラメータを用いて 324 通りの交通事故シミュレーションを行い, 傷害データベースを構築した. 本シミュレーションは衝突後 150 ms までの状況を表現しており, 本研究の計算環境では 1 試技約 18 分であり, 全てのシミュレーションを計算するのに約 4 日を要した.324 個のシミュレーションのうち,35 個について 150 ms に達する前にエラーで計算が停止してしまったが, 加速度および荷重の最大値を示した後にエラーが発生していたため全ての結果を用いて傷害データベースを構築した. エラーの発生原因を考察すると, まず斜め前方衝突への対応が十分でないことが挙げられる.35 個のエラーが発生したシミュレーションのうち,34 個が斜め前方衝突であった. 本車室モデルはドアや助手席側の車室構造部などを再現していないため, 乗員が過度に横方向へ移動した際車室の外に飛び出してしまったことでエラーが発生していた. また, 乗員モデルがエアバッグモデルに激しく衝突した際にもエラーが発生してしまっていた. エアバッグモデルは有限要素にて作製されており, また内部をガスで充満しているため非常に柔らかく表現されている. そのため変形量が大きく, 異常変形によるエラーが発生しやすくなってしまっていると考えられる. エアバッグモデルのインフレータ特性については改善の余地が多々あり, 計算の安定化をさらに追求していく必要がある. 乗員モデルが原因で発生したエラーは見られず, 高速度領域においても安定して使用できることを確認した. -55-

第 4 章乗員傷害予測式の構築 4.3 重回帰分析による乗員傷害予測式の導出 4.3.1 各部位に対応した AIS ( Abbreviated Injury Scale ) の算出式 AIS (Abbreviated Injury Scale) は, アメリカ医師会の Committee on medical aspects of automotive safety (14) により作成された交通外傷患者の解剖学的重症度評価指標である.AIS は当初自動車事故の衝突傷害のみを対象としていたが, 改訂を重ねることにより, 火傷, 鋭的外傷 ( 弾丸による傷害 ) のスケーリングも可能となっている. 解剖学上の分類は 9 部位 ( 頭部, 顔面, 頚部, 胸部, 腹部および骨盤内臓器, 脊椎, 上肢, 下肢, その他 ) となっており, それぞれの部位において傷害内容がまとめられている. また, それぞれの特定部位における傷害は 7 桁の数字によるコード化が行われ, 小数点の右側の数字が AIS スコアとなっている.AIS スコアは, 重傷度に応じて 1~5 の 5 段階の点数をつけている.AIS はいわゆる 生命に対する危険度 の尺度であり, 生命への危険度の程度を意味するが, その数値は順位を示す以上の重要性はない.Table 4.9 に, 傷害発生部位として本研究が注目する頭部, 胸部, および大腿部 ( 下肢 ) における傷害の AIS コード化の例を示す. Table 4.9 Example of each part injuries coded to AIS scale AIS Head Thorax Lower limb 1 Headache, Swim Costa fracture (1) Toe fracture 2 Blackout( 1 hour) ; liner fracture Costa fracture (2-3) ; breastbone fracture Simple fracture (tibia, pelvis, geniculum) 3 Blackout(1-6 hours) ; basilar fracture Ribs fracture ( 4) ; costa fracture with hematothorax or aerothorax (2-3) Dislocated knee ; femur fracture 4 Blackout(6-24 hours) ; complex, open fracture Costa fracture with hematothorax or aerothorax ( 4) ; open thorax injury Amputated, crash wound ; crash wound of pelvis (closed) 5 Blackout( 24 hours) ; large epidural Heart abrasion Crash wound of pelvis (open) -56-

第 4 章乗員傷害予測式の構築 この AIS は, 傷害程度と相関の強い衝撃物理量, 例えば, 加速度, 力, モーメント, 変位などの基本的な物理量との関数として示される. それらの関数は, 特定の傷害発生を引き起こす人体の衝撃耐性レベルをもとに求められ,Pike によると, 頭部および胸部の AIS はそれぞれ HIC および胸部加速度により判断できると報告されている (15). 本研究でもこれにならい, 交通事故シミュレーションより得られる HIC および胸部加速度を傷害データベースに加えることとした. また米国高速道路交通安全局 (NHTSA) (16) は, 大腿部については Kuppa ら (17) が屍体テストデータの正規分布にて算出した, 大腿部軸方向荷重による AIS2+ および AIS3+ のリスクカーブ ( 正規累積分布関数 ) を用いている. これにならい, 大腿部に対する AIS は, リスクカーブを用いて傷害発生確率が 50% となる大腿部軸方向荷重を算出し, その値を閾値とすることとした.AIS1+,2+,5+, および 6+ の閾値は,AIS3+, および 4+ の値を参考に決定した. このため, 傷害データベースに大腿部軸方向荷重を加える. 式 (4.16),Table 4.10 および Fig.4.17 に大腿部のリスクカーブを示す. 各部位の AIS は, 前節 4.2 で構築した傷害データベース 324 例について, 頭部, 胸部および大腿部の AIS を Table 4.11 に示す閾値を基に判断した. 1 P MAISn {1 exp( a b Ffemur )} (4.16) Table 4.10 The coefficients of prediction formula for Pelvis s AIS AIS a b 2 5.7949 0.5196 3 4.9795 0.3260 Fig.4.17 AIS2+ and 3+ risk curve of femur injury -57-

第 4 章乗員傷害予測式の構築 Table 4.11 The threshold of head, thorax and femur AIS AIS Head (HIC) Thorax (Acceleration [G]) Femur (Force [kn]) 1+ 135 519 17 37 2.9 6.9 2+ 520 899 38 54 6.9-11.1 3+ 900 1254 55 68 11.1 15.3 4+ 1255 1574 69 79 15.3 19.5 5+ 1575-1859 80 90 19.5 23.7 6+ > 1860 > 90 >23.7-58-

第 4 章乗員傷害予測式の構築 4.3.2 重回帰分析による乗員傷害予測式の導出 4.2. 節にて構築した傷害データベース 324 例について, 各シミュレーションの傷害状況を AIS にて分類する. 前項にて述べた通り, 頭部, 胸部, および大腿部の AIS を支配する物理量はそれぞれ HIC, 胸部加速度最大値, および大腿部軸方向荷重であり,Table 4.12 のように分類した. AIS のばらつきについて注目すると, 頭部は AIS0+ ~ 6+ まで比較的均等であるのに対し, 胸部は AIS が高い事例が多く, 大腿部は逆に AIS が低い事例が多くなっている.AIS スケールの分類についてはなるべく偏りが無いような傷害データベースを構築することが望ましいが,AIS スケールの均等さまで考慮してパラメータを決定することは簡単でない. 一度 AIS スケールの分類を行った後, 不足している AIS スケールを補うようにシミュレーションを足していくといったことが有効であると考えられる. Table 4.12 AIS classification of 324 cases in the injury database AIS Head (HIC) Thorax (Acceleration [G]) Femur (Force [kn]) 0+ 53 0 156 1+ 46 42 74 2+ 22 37 60 3+ 19 33 24 4+ 11 14 6 5+ 9 21 3 6+ 164 175 1 total 324 322 324 この分類した AIS スケールを目的変数として, 傷害データベースに統計的手法を加えることで乗員傷害予測式を導出した. 本研究では, 統計的手法として順序ロジスティック重回帰分析を用いることとした. ロジスティック重回帰分析は, 疾患のリスクファクターを分析するためによく用いられる多変量解析手法であり, 現在も为に医学分野で用いられている (18). この手法は, 数学的には説明変数が計量尺度のデータで, 目的変数が名義尺度を計量尺度化したデータである重回帰分析に相当し, 目的変数を 0/1 のダミー変数で表し, さらにそれを 1 の出現率に計量尺度化して式 (4.17) のような回帰直線を求める. そして, この回帰直線を式 (4.18) に代入することで出現率 0 から 1 の間で変化するシグモイド曲線にて表現し, これを用いて目的関数を評価することとした. ここで, 目的関数は AIS スケールであり, 説明変数は Table 4.13 に示す 7 つである. 車種の違いを表現する説明変数として, 車両剛性 [kg/m 2 ] およびノーズ長さ [mm] の 2 つを用いることとした. この値は 1 対 1 関係にあるため, シミュレーション試技数は 324 のままである. ロジスティック重回帰分析のうち, 順序ロジスティック重回帰分析を用いるのは, 目的関数である AIS スケールが 2 水準以上であるためである. -59-

第 4 章乗員傷害予測式の構築 Z (4.17) 0 1x1 2x2 7x7 P 1 1 exp( Z) (4.18) x Airbag, x 1 5 Body size, x 2 Seatbelt, x 6 Speed, x 3 x Stiffness, 7 Direction x 4 Bonnet length, Table 4.13 Explanatory variables and levels Explanatory variable Level Airbag 0, 1 Seat belt 0, 1 Stiffness [kg/m 2 ] 6920, 6722.5, 10236.7 Bonnet length [mm] 562.2, 746.8, 847.5 Body size [m] 1.578, 1.714, 1.85 Speed [km/h] 30, 55, 80 Direction [degree] -30, 0, 30 以上の条件で, 各部位および AIS における乗員傷害予測式を導出した. 統計には SAS(SAS Institute Japan Ltd.) を用いた.Table4.14 ~ 4.16 に, 導出された各説明変数における係数を頭部, 胸部, および大腿部のそれぞれについて示す. 頭部および大腿部に関しては, 車両剛性および衝突角度が予測式に関与しないパラメータとなった. また胸部に関しては, 車両剛性が予測式に関与しないパラメータとなった. -60-

第 4 章乗員傷害予測式の構築 (1) 頭部傷害予測式 Table 4.14 Coefficient values of head injury prediction formula Parameter AIS 1+ 2+ 3+ 4+ 5+ 6+ Airbag -1.7057-17.057-17.057-17.057-17.057-17.057 Seat belt -1.8017-18.017-18.017-18.017-18.017-18.017 Stiffness 0 0 0 0 0 0 Bonnet length 0.00328 0.00328 0.00328 0.00328 0.00328 0.00328 Human 5.0987 5.0987 5.0987 5.0987 5.0987 5.0987 Speed 0.1067 0.1067 0.1067 0.1067 0.1067 0.1067 Direction 0 0 0 0 0 0 Constant -11.6483-13.1316-14.4297-15.4545-16.2231-16.6683 (2) 胸部傷害予測式 Table 4.15 Coefficient values of thorax injury prediction formula Parameter AIS 1+ 2+ 3+ 4+ 5+ 6+ Airbag -0.5673-0.5673-0.5673-0.5673-0.5673-0.5673 Seat belt -5.0124-5.0124-5.0124-5.0124-5.0124-5.0124 Stiffness 0 0 0 0 0 0 Bonnet length 0.00872 0.00872 0.00872 0.00872 0.00872 0.00872 Human 1.9838 1.9838 1.9838 1.9838 1.9838 1.9838 Speed 0.2037 0.2037 0.2037 0.2037 0.2037 0.2037 Direction 0.00957 0.00957 0.00957 0.00957 0.00957 0.00957 Constant 0-13.249-15.7314-17.4153-18.1198-19.0738-61-

第 4 章乗員傷害予測式の構築 (3) 大腿部傷害予測式 Table 4.16 Coefficient values of thorax injury prediction formula Parameter AIS 1+ 2+ 3+ 4+ 5+ 6+ Airbag 0 0 0 0 0 0 Seat belt -4.257-4.257-4.257-4.257-4.257-4.257 Stiffness 0 0 0 0 0 0 Bonnet length 0.00295 0.00295 0.00295 0.00295 0.00295 0.00295 Human 11.3288 11.3288 11.3288 11.3288 11.3288 11.3288 Speed 0.1112 0.1112 0.1112 0.1112 0.1112 0.1112 Direction 0 0 0 0 0 0 Constant -25.8891-28.4683-31.1481-33.0453-34.1853-35.6352 Table 4.17 に, 導出した乗員傷害予測式の傷害データベースへの適合度を示す. 傷害予測式の結果は, 各事故発生状況において乗員に傷害が発生する確率が AIS1+~6+ それぞれについて算出される. 以前行った救急救命医師との意見交換において, 各 AIS スケールにおける傷害発生確率のみでも十分医療行為に役立つ という意見を得たが, 傷害データベースや事故事例との適合度を検証するため, 確率の閾値を決定することとした. 救急救命医師との意見交換にて, さらに 傷害状況の判断にて,AIS3+ かどうかが予測できれば有効 という意見得た. そこで,AIS3+ の傷害発生確率に閾値を設け,AIS3+ 以下の傷害と AIS3+ 以上の傷害とを分類することにより, 傷害データベースと計算結果の傷害を比較することとした. AIS3+ の傷害発生閾値は, 頭部, 胸部, および大腿部について, それぞれ 60%,80%,40% 以上とした. その結果, 傷害データベースのとの適合率がそれぞれ 88.6%,95.7%,96.3% と高い水準で予想できることが確認できた. Table 4.17 Degree of conformance between injury database and injury predicted formula Segments Baseline Precision Head Thorax Femur P AIS3+ > 60 % P AIS3+ > 80 % P AIS3+ > 40 % 88.6 % 95.7 % 96.3 % -62-

第 4 章乗員傷害予測式の構築 4.4 実事故データを用いた乗員傷害予測式の精度検証 前節にて, 傷害データベースを統計的に処理することにより頭部, 胸部, および大腿部について の乗員傷害予測式を導出した. 本項では, 実事故データを用いてこの傷害予測式の精度を検証する. 4.4.1 実事故データの概要 乗員傷害予測式の精度を検証するためには, 入力としての事故発生時の事故状況, 車両情報, お よび乗員データと, 出力としての乗員の傷害情報が必要であるが, 国内での実事故データは個人情 報保護の観点などから現時点では入手が困難な状況である. そこで本研究では, 平成 18 年度および 20 年度の ITARDA から報告されている,13 例の前面衝突事故事例と 2 例の前面衝突事故再現実験 (12)(19) を用いて乗員傷害予測式の精度検証を行うことにした. Table 4.18 に, 事故発生状況および乗員の傷害状況を示す. 平成 20 年度の事故事例には乗員身長 が記載されていなかったため, 日本人成人男性の平均値として男性は 1.71 m, 女性は 1.58 m とした. 何例かの乗員傷害状況が不明な点は, ハイフンで示した. 事故車両の変形量については, 最大変形 量のみが記載されていいたため, 車両剛性とオーバーラップ率は比例するという仮定のもとフルラ ップ前面衝突時の変形量を計算した. 例えば, オーバーラップ率 50% の前面衝突事故において最大 変形量が 500 mm の場合, フルラップ前面衝突時の変形量は 250 mm とした. 衝突速度は, バリア 換算速度を用いた. ノーズ長は, 事故車両の車種を特定できなかったため,JNCAP データのうちも っとも近いと思われる車種の値を用いた. この実事故データを用いて, 各部位における乗員傷害予測式の精度検証, および考察を行った. -63-

Table 4.18 Accidental data from ITARDA (2006, 2008) 第 4 章乗員傷害予測式の構築 -64-

Table 4.18 Accidental data from ITARDA (2006, 2008) 第 4 章乗員傷害予測式の構築 -65-

第 4 章乗員傷害予測式の構築 4.4.2 頭部 Table 4.19 に頭部傷害の実事故データと傷害予測式の算出結果の比較を示す. まず事故による傷害状況をみると, ほとんど傷害が発生しておらず, 発生している傷害も AIS1+ のみであった. エアバッグやシートベルトといった衝突時の乗員保護性能が向上していることが伺える. 予測式の計算においても, 全ての事故について AIS4+ 以上の傷害発生確率は低く計算されており, 全体的に重傷度は低いという傾向はよく一致している. 実事故による重傷度が低いため, 傷害確率が高く計算された. 事故では傷害が発生していない AIS レベルにおいて, 予測式が算出した傷害確率が大きくなった原因として. まず衝突速度が挙げられる. 衝突速度が 50 km/h 付近の NO.36-A,B,NO.50-A,NO.52-B はいずれも高い傷害確率を示し, AIS3+ が 60% 近い確率を示していることがわかる. もう一点は, シートベルトおよびエアバッグの有無である. 特にシートベルトを装着していなかった NO.52-A,B,NO.47-B については AIS3+ が 60% を超える結果となった. 一方で, 頭部における AIS1+,2+ に相当する傷害は裂傷など小さな傷であり, 事故例によっては正しく報告されていない可能性がある. 頭部の傷害予測式は加速度をもとにした HIC にて作製されているため, 脳への損傷など外からは確認出来ない傷害の発生を予測している可能性がある. 事故データと予測式が算出する傷害内容が一致していないため, この予測式から算出された傷害確率が高いかは断定できないと考える. 以上, 全体的な傾向はよく一致したが, 乗員に高負荷が生じる事故状況において, 実際の傷害より危険度が高く計算されていた. -66-

第 4 章乗員傷害予測式の構築 Table 4.19 Comparison of head injuries in accidents from ITARDA reports with results by injury prediction formula -67-

第 4 章乗員傷害予測式の構築 4.4.3 胸部 Table 4.20 に胸部傷害の実事故データと傷害予測式の算出結果の比較を示す. まず事故による傷害状況をみると, 傷害が発生していない乗員は 3 例のみであり,AIS3+ や AIS4+ 相当の傷害も見られるなど重傷度が高い. 車室内構造物への二次衝突だけでなくシートベルトの圧迫によっても傷害が発生していることが報告されており, 胸部は前面衝突事故において傷害発生が多い部位であると考えられる. 傷害予測式よる計算結果に注目すると, まず全ての事例において AIS1+ がほぼ 100% を示しており, 実際の傾向をよく表現できていると考えられる. 胸部においては肋骨の骨折が AIS1+ にあたるため, これを正しく予測できることは重要である. 傷害確率に支配的なパラメータは, 頭部と同様に衝突速度および拘束装置の有無であるが, 特にシートベルの有無が傷害確率に大きく影響している. シートベルトを装着していなかった NO.40-A, NO.47-B,NO.52-A,B,NO.54-A,B はいずれも高い傷害確率が算出されている. これらの事故においても全員に傷害が発生しており, 重傷度も高いなど傾向はよく一致していると考えられる. また衝突角度に注目すると, 角度がプラス方向の時に傷害発生確率が増加している. これは, 車室内にて乗員が右方向に移動してシートベルトに押し付けられる方向であり, 実際の現象を正しく説明できている. シートベルトが装着されていた NO.36-A,B,NO.50-A においても, 衝突速度が 60 km/h 以上となると傷害確率が高く算出されている. 実際の傷害状況と比較すると, シートベルトがない場合よりもよく一致しており, シートベルトにより乗員に発生する衝撃がシミュレーション上にて精度良く表現出来ていることが示唆される. これは, 前述した衝突方向による傷害発生確率の変わり方でも確認ができる. 実際の傷害状況より低く算出された事例,NO.40-A および NO.55-A では, 重傷者は 58 および 57 歳と中年齢者が多く, 年齢が傷害発生に影響をおよぼしていると考えられる. であった. 本シミュレーションモデルは乗員の年齢を考慮に入れていないが, 人体胸部は骨格構造の変化や骨密度の減尐などにより, 高齢化するにつれて強度が減尐すると報告されている. 今後, 自動車を利用する中高年齢者がさらに増加すると考えられ, 改善する必要がある. 以上, シートベルトのおよぼす影響の大きさ, およびシートベルトによる傷害発生が精度良く算出できていることが確認できた. -68-

第 4 章乗員傷害予測式の構築 Table 4.20 Comparison of thorax injuries in accidents from ITARDA reports with results by injury prediction formula -69-

第 4 章乗員傷害予測式の構築 4.4.4 大腿部 Table 4.21 に大腿部傷害の実事故データと傷害予測式の算出結果の比較を示す. まず事故による傷害をみると, 胸部よりもさらに重傷度が高いことがわかる. 下肢においては大腿骨骨折が AIS3+ に相当する. 衝突による変形が車室内まで達し, 車室に侵入してきたニーボードやフロアと下肢が強く衝突することにより傷害が発生すると考えられ, 胸部と同様に大腿部は前面衝突においては傷害発生が多い部位であると考えられる. 傷害予測式による傷害確率は全体的に低く,AIS3+ は全ての事例で 10% 未満を示し, 衝撃が激しい事故状況における傷害を正しく表現出来ていない. これは, 本シミュレーションモデルに用いた車室モデルが変形を表現していないためであると考えられる. この点を補うため, 各車両の車両剛性を重回帰分析に組み込み統計的処理を試みたが, 有意差がなかったためパラメータとして除外されてしまった. 前面衝突においては, ボンネットの変形と車室の変形は等しくならず, 車室の変形の方が小さい場合が多い. また, 車室の変形量がわかったとしても変形量と大腿荷重との相関が不明であるため, 今後車室の変形を考慮したモデルにてシミュレーションを行う必要があると考える. 傷害予測式が算出した傷害確率に支配的なパラメータは, 胸部と同様にシートベルトであった. シートベルトがない事故状況における傷害確率はどれも高く算出されおり, また実際の傷害状況も同様に重傷な場合が多い.NO.40-A,NO.47-B,NO.52-A,B,NO.54-A,B がそれに相当する事例である. 以上, 大腿部については傷害予測式により傷害確率が低く算出され, 実事故の傷害状況を正しく表現できていなかった. しかし, シートベルを装着しない事故例における傷害状況はよく一致しており, 下肢と車室の衝突は精度良く表現されていると考えられる. つまり, 車室の変形による下肢と車室の接近をシミュレーション上で表現できれば, シートベルト装着時においても精度良く傷害確率を算出できる傷害予測式が算出可能ということである. -70-

第 4 章乗員傷害予測式の構築 Table 4.21 Comparison of femur injuries in accidents from ITARDA reports with results by injury prediction formula -71-

第 4 章乗員傷害予測式の構築 4.5 考察 前節において, 実事故を用いた各部位における傷害予測式の精度検証を行った. 各部位ごとの考 察は前節にて述べたが, 本節では全体的な考察を述べる. (1) 実事故の傷害状況と傷害データベースの関係比較対象とする実事故と傷害データベースの傷害状況に差があると, 傷害予測式の精度が低くなることが示唆された. 頭部について, 比較対象とする実事故ではほとんどの乗員に傷害が発生していなかったのに対し, 傷害データベースにおける頭部の傷害は HIC 値を基に算出され AIS3+ 以上に偏っており, 傷害発生確率が高めに算出する事例が多かった. 大腿部はこの逆で, 重傷度の高い実事故に対し AIS3+ 以下に偏った傷害データベースという関係であり, 傷害発生確率が低めに算出する事例が多かった. 一方で,3 部位の中で最も傷害データベースの偏りが小さかった胸部に関しては実事故の傷害状況をよく表現できており, 傷害データベースに偏りが無いことの有効性を示している. 今後傷害データベースを構築する際はこの観点に注目し,AIS スケールに偏りが生じないようパラメータおよび変更水準を決定する必要がある. (2) 胸部傷害とシートベルトの関係前面衝突事故において, 衝突による急激な減速により胸部傷害が発生することは前述した. 今回の実事故データを見ても, シートベルトを装着していてかつ胸部に重傷が発生する事例は衝突速度が高い場合である. 胸部の傷害予測式ではこの傾向をよく表現しており, 具体的には速度が 60 km/h 付近になると AIS3+ 以上の傷害発生確率が高く算出された. これは, シミュレーションにて胸部とシートベルトの接触が精度良く表現できているためであると考えられる. 胸部傷害にのみ衝突角度がパラメータとして採用されたのも, 横方向への移動により胸部とシートベルトの接触関係の変化が傷害発生に影響するためであると考えられる. (3) 交通事故シミュレーションモデルの不十分な点交通事故シミュレーションモデルを構成する乗員モデルおよび車室モデルについて,2 章にて先行研究のモデルに改良を加え,3 章にて結果の改善が見られたが, さらに改善を必要とする問題が多々見られた. まず, エアバッグのインフレータ特性について調査をすすめる必要がある. 先行研究のモデルにガス放出特性を加えたが, 実際のガス放出特性がどう定義されているかは不明であり, また計算中に不安定な挙動を示すという問題もある. エアバッグは頭部運動に大きく影響を与える要素であるので, 引き続き情報収集および改良が必要である. 次に, 斜め前面衝突への対応として, ドアモデルおよび助手席側モデルの追加が必要であると考える. 本研究において回転運動を考慮した斜め前方衝突時の車室加速度を算出したが, 乗員が横方向に移動することで発生するドアや助手席側構造物への二次衝突が表現出来ていないため正面前方衝突との差が尐なく, 胸部を除いては傷害予測式のパラメータに採用されない結果となってしまった. また, 乗員モデルが車室内から飛び出すことで発生するエラーも防ぐことが出来る. 最後に, トゥーボードやフロアの変形による車室内への侵入の表現が必要である. 大腿部傷害の考察でも述べた通り, 大腿部の傷害発生確率が実事故と一致しない理由は, 車室の変形を表現していないことにあると考えられ, 特にオフセット衝突など変形量が多い事故状況については, 車室変形は重要な傷害因子である. 頭部および胸部傷害と比較して大腿部傷害は致命傷とはなりにくいが, 大腿部骨折などが日常生活へおよぼす影響は大きく傷害発生確率を正確に算出することは重要であり, 引き続き改善を目指すべきである. -72-

第 4 章乗員傷害予測式の構築 (4) 年齢の取り扱い胸部傷害の考察で述べたように, 胸部に重傷を受けた乗員の多くが 40~60 歳と比較的高齢であった. 人体各部位の傷害耐性値は年齢とともに減尐していき, 特に骨密度の減尐などにより骨折が発生しやすくなる. 現在の乗員モデルにおいては年齢を考慮していないが, 年齢による人体特性の変化を考慮に入れる必要があると考える. -73-

第 4 章乗員傷害予測式の構築 4.6 まとめ 本章では, 前章にて作製した交通事故シミュレーションモデルを用いて傷害データベースを構築し, 頭部, 胸部, および大腿部における乗員傷害予測式を導出した. そして, 実事故データを用いて各傷害予測式の精度検証および考察を行った. 傷害データベースを構築するためのパラメータをエアバッグ, シートベルト, 人体形状, 車種, 衝突速度, 衝突方向の 6 つとし, それぞれの変更水準について述べた. 車種の違いとして JNCAP データを用いた車両剛性の算出方法を提案し, 車両剛性およびノーズ長を用いて車種ごとの衝突加速度波形を作製した. また斜め方向前面衝突において, 回転運動を考慮にいれた車室加速度の算出方法を提案した. 傷害データベースに順序ロジスティック重回帰分析を用いて各部位における AIS スケール別の乗員傷害予測式を導出し, 実事故データを用いて精度検証を行った. 頭部および胸部についてはある程度の一致が見られたが, 大腿部については予測式から算出された傷害発生確率が実事故データより大幅に低かった. これは, 前面衝突による車室の変形をシミュレーションにて表現していなかったためであると考えられる. 以上, 本研究にて導出した乗員傷害予測式は, 致命傷に至る頭部および胸部の傷害発生確率をある程度の精度で予測できる, ということが確認された. -74-

第 5 章成果のまとめ 第 5 章成果のまとめ 5.1 各章のまとめと総括 本研究では, まず先行研究にて作製された乗員マルチボディモデルおよび車室マルチボディモデルの問題点を修正し, 交通事故シミュレーションモデルの精度を改善した. そして, このシミュレーションモデルを用いて車両特性, および斜め前方衝突を考慮に入れた乗員傷害予測式を導出し, 頭部および胸部の傷害発生に関してはある程度正確に予測できることを確認した. 第 1 章では, 本研究の背景と目的について述べ, 乗員傷害予測式の導出手法および本報告書の構成について述べた. 第 2 章では, 先行研究にて作製された乗員モデルおよび車室モデルの概要を示し, 問題点と修正内容について述べた. 乗員モデルについては, 衝突時の体幹部変形に問題があったため,Body 要素および Join 要素の連結を修正した. また腹部が前に突き出しているという問題があったため, 自然な運転姿勢となるように外形状を修正した. 車室モデルについては, 頭部に対するエアバッグ反発が大きすぎるという問題があったため, インフレータ機能にガス放出特性を加えた. 第 3 章では,JNCAP におけるフルラップ前面衝突試験を用いて交通事故シミュレーションモデルの妥当性を検証した. 衝突時の乗員挙動を比較したところ, モデル修正前に見られた頭部の過度な反発が無くなり, エアバッグモデルの改善が確認できた. また体幹部の不自然な変形も見られなかった. さらに各部位における加速度および荷重について比較したところ, 全ての部位についてモデル修正前からの大幅な改善がみられ, 修正によるモデルの精度が向上したことが確認できた. 修正後のモデルと試験結果について比較したところ, 若干の定量的なずれを除いては全ての部位についてよく一致しており, 実際の事故と比較してもモデルの精度が十分であることを確認した. 第 4 章では, 交通事故シミュレーションモデルを用いて傷害データベースを構築した. 車両特性をパラメータとして用いるため,JNCAP データを用いた車両剛性および車両慣性特性の算出手法を提案した. この車両剛性およびノーズ長を用いて車両ごとの衝突加速度波形を作製し, さらに車両慣性特性を用いて回転運動を考慮した斜め前方衝突時の車両加速度波形を作製した. この傷害データベースに順序ロジスティック重回帰分析を用いて, 頭部, 胸部, および大腿部に対する乗員傷害予測式を導出し, 実事故データを用いて精度を検証した. 乗員の傷害発生確率におよぼす影響が大きいパラメータは衝突速度およびシートベルト装着の有無であった. これは実事故においても同様の傾向が見られ, 予測式が実際の傷害状況を精度良く表現できている. 頭部については,AIS3+ 以上の傷害発生確率が低いという全体的な傾向はよく一致したものの, 実事故における頭部傷害がほとんど発生していないという状況とは一致しなかった. 胸部については, ほとんどの事例にて傷害が発生し, 重傷度が高いという状況を正しく予測していた. また高速度衝突下のシートベルトによる傷害発生も精度良く表現できていた. 大腿部については, 重傷度が高いという事故状況を正しく予測できていなかった. 前面衝突事故による下肢への傷害は車室の変形による影響が大きいのに対し, 本車室モデルは変形を表現していないため低く算出してしまったと考えられる. しかし, シートベルトを装着していない事故状況における傷害状況はよく一致していることから, 下肢と車室内構造物との接触は正しく表現出来ていると考えられる. -75-