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(4) ものごとを最後までやり遂げて, うれしかったことがありますか (5) 難しいことでも, 失敗を恐れないで挑戦していますか

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小学校国語について

◎公表用資料

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(3) 将来の夢や目標を持っていますか 平成 29 年度 平成 28 年度 平成

領域別正答率 Zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz んんんんんんんんんんんんん 小学校 中学校ともに 国語 A B 算数( 数学 )A B のほとんどの領域において 奈良県 全国を上回っています 小学校国語 書く B において 奈良県 全国を大きく上回っています しかし 質問紙調査では 自分

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(4) 学校の規則を守っていますか (5) いじめは, どんな理由があってもいけないことだと思いますか

学力向上のための取り組み

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第2章 主な回答結果一覧(3ヵ年比較)

生徒用プリント ( 裏 ) なぜ 2 人はケンカになってしまったのだろう? ( 詳細編 ) ユウコは アツコが学校を休んだので心配している 具合の確認と明日一緒に登校しようという誘いであった そのため ユウコはアツコからの いいよ を 明日は登校できるものと判断した 一方 アツコはユウコに対して 心

平成 28 年度全国学力 学習状況調査の結果伊達市教育委員会〇平成 28 年 4 月 19 日 ( 火 ) に実施した平成 28 年度全国学力 学習状況調査の北海道における参加状況は 下記のとおりである 北海道 伊達市 ( 星の丘小 中学校を除く ) 学校数 児童生徒数 学校数 児童生徒数 小学校

平成 20 年度全国学力 学習状況調査回答結果集計 [ 児童質問紙 ] 松江市教育委員会 - 児童 小学校調査 質問番号 (1) 朝食を毎日食べていますか 質問事項 選択肢 その他 無回答 貴教育委員会 島根県 ( 公

総合的な探究の時間 は 何を 何のために学ぶ学習なのか? 総合的な探究の時間 は与えられたテーマから みなさんが自分で 課題 を見つけて調べる学習です 総合的な探究の時間 ( 総合的な学習の時間 ) には教科書がありません だから 自分で調べるべき課題を設定し 自分の力で探究学習 ( 調べ学習 )

資料3 平成28年度京都府学力診断テスト 質問紙調査結果 28④ 28中① 27④ 27中① 平成28年度京都府学力診断テスト小学4年質問紙調査結果 平成28年度京都府学力診断テスト中学1年質問紙調査結果 平成27年度京都府学力診断テスト小学4年質問紙調査結果 平成27年度京都府学力診断テスト中学1

世論調査報告書

世の中の人は信頼できる と回答した子どもは約 4 割 社会には違う考え方の人がいるほうがよい の比率は どの学年でも 8 割台と高い 一方で 自分の都合 よりみんなの都合を優先させるべきだ は 中 1 生から高 3 生にかけて約 15 ポイント低下して 5 割台にな り 世の中の人は信頼できる も

 


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< 評価表案 > 1. 日本人 ( ロールプレイ当事者 ) 向け問 1. 学習者の言っていることは分かりましたか? 全然分からなかった もう一息 なんとか分かった 問 2 へ問 2. 学習者は, あなたの言っていることを理解し, 適切に反応していましたか? 適切とは言えない もう一息 おおむね適切

報道関係各位 2012 年 1 月 25 日 株式会社ベネッセコーポレーション 代表取締役社長福島保 高校受験調査 ~ 高校 1 年生は自らの高校受験をどのように振り返っているのか ~ 高校受験を通じて やればできると自信がついた 71% 一方で もっと勉強しておけばよかった 65% 株式会社ベネッ

6 女子 : あれ この子は銃みたいなものをもっているわ まさか 本物? 先生 : そう これは本物なんだ 子ども兵士 と呼ばれ 武器の使い方を習い 実際の戦場へ出ていくんだよ 男子 : 戦場に 先生 : 世界では飢餓や病気 戦争などさまざまな理由で 何百万人もの子どもたちが5 歳未満で亡くなってい

Ⅲ 目指すべき姿 特別支援教育推進の基本方針を受けて 小中学校 高等学校 特別支援学校などそれぞれの場面で 具体的な取組において目指すべき姿のイメージを示します 1 小中学校普通学級 1 小中学校普通学級の目指すべき姿 支援体制 多様な学びの場 特別支援教室の有効活用 1チームによる支援校内委員会を

小 4 小 5 小 6 男子 女子 小計 男子 女子 小計 男子 女子 小計 合計 度数 % 度数 % 度数 % 度数 % 度数 % 度数 % 度数 % 度数 % 度数 % 度数 % F-3 あなたの家庭はあなた自身を入れて何人ですか 2 人家族 2 1.6% 3 2.5% 5 2.0% 2 1.9

目 次 1 学力調査の概要 1 2 内容別調査結果の概要 (1) 内容別正答率 2 (2) 分類 区分別正答率 小学校国語 A( 知識 ) 国語 B( 活用 ) 3 小学校算数 A( 知識 ) 算数 B( 活用 ) 5 中学校国語 A( 知識 ) 国語 B( 活用 ) 7 中学校数学 A( 知識 )

中 1 中 2 中 3 男子 女子 小計 男子 女子 小計 男子 女子 小計 合計 度数 % 度数 % 度数 % 度数 % 度数 % 度数 % 度数 % 度数 % 度数 % 度数 % F-3 あなたの家庭はあなた自身を入れて何人ですか 2 人家族 2 1.6% 3 2.5% 5 2.0% 2 1.9

小学校の結果は 国語 B 算数 A で全国平均正答率を上回っており 改善傾向が見られる しかし 国語 A 算数 B では依然として全国平均正答率を下回っており 課題が残る 中学校の結果は 国語 B 以外の教科で全国平均正答率を上回った ア平成 26 年度全国学力 学習状況調査における宇部市の平均正答

平成 21 年度全国学力 学習状況調査結果の概要と分析及び改善計画 調査実施期日 平成 21 年 10 月 2 日 ( 金 ) 教務部 平成 21 年 4 月 21 日 ( 火 )AM8:50~11:50 調査実施学級数等 三次市立十日市小学校第 6 学年い ろ は に組 (95 名 ) 教科に関す

生徒用プリント ( 裏 ) 入力した内容はすべて記録されている!! 印 : 授業で学んだこと 管理者のパソコンには どのパソコンから いつ どのような書き込みがされたか記録されています 占いだけではなく メールや掲示板の内容も同じように記録されています もし 悪意のある管理者から個人情報が洩れたらど

解説 1-1 SNS での不用意な発言によりトラブルになった事例 軽い気持ちで書き込んだ言葉でも 相手をひどく傷つけてしまうことがあります 友達限定だからと安心して軽い気持ちで書き込んだ悪口が 思わぬ形で広がりトラブルにつながることがあります 平成 23 年 12 月現在 国内ネットユーザー 9,5

調査の結果 問 1 あなたの性別は 調査に回答していただいた生徒の性別は 男 が問 % 女 が 49.5% です 男 女 問 2 あなたは, 生まれてからずっと鈴鹿市に住んでいますか 生まれたときから鈴鹿市に ずっと住ん

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Water Sunshine

(2) 国語 B 算数数学 B 知識 技能等を実生活の様々な場面に活用する力や 様々な課題解決のための構想を立て実践し 評価 改善する力などに関わる主として 活用 に関する問題です (3) 児童生徒質問紙児童生徒の生活習慣や意識等に関する調査です 3 平成 20 年度全国学力 学習状況調査の結果 (

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ども これを用いて 患者さんが来たとき 例えば頭が痛いと言ったときに ではその頭痛の程度はどうかとか あるいは呼吸困難はどの程度かということから 5 段階で緊急度を判定するシステムになっています ポスター 3 ポスター -4 研究方法ですけれども 研究デザインは至ってシンプルです 導入した前後で比較

学習指導要領の領域等の平均正答率をみると 各教科のすべての領域でほぼ同じ値か わずかに低い値を示しています 国語では A 問題のすべての領域で 全国の平均正答率をわずかながら低い値を示しています このことから 基礎知識をしっかりと定着させるための日常的な学習活動が必要です 家庭学習が形式的になってい

HからのつながりH J Hでは 欧米 という言葉が二回も出てきた Jではヨーロッパのことが書いてあったので Hにつながる 内開き 外開き 内開きのドアというのが 前の問題になっているから Hで欧米は内に開くと説明しているのに Jで内開きのドアのよさを説明 Hに続いて内開きのドアのよさを説明している

資料1

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年 9 月 24 日 / 浪宏友ビジネス縁起観塾 / 法華経の現代的実践シリーズ 部下を育てない 事例甲課乙係のF 係長が年次有給休暇を 三日間連続でとった F 係長が三日も連続で休暇をとるのは珍しいことであった この三日の間 乙係からN 課長のところへ 決裁文書はあがらなかった N

============================== < 第 6 章 > 高校生 大学生 社会人の反応 ============================== 本調査研究では 高校生が社会に出ていく上での実効性のある資質 能力の重要性が感じられ また 調査問題そのものについての興味 関

(1) 体育・保健体育の授業を改善するために

ひめぎん情報259

岐阜市における「医薬品の正しい使い方」に関する調査アンケート結果

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3. ➀ 1 1 ➁ 2 ➀ ➁ /

ホームページ掲載資料 平成 30 年度 全国学力 学習状況調査結果 ( 上尾市立小 中学校概要 ) 平成 30 年 4 月 17 日実施 上尾市教育委員会

国語の授業で目的に応じて資料を読み, 自分の考えを 話したり, 書いたりしている

高齢者の健康及び長寿医療制度アンケート調査のご協力のお願い

がんの診療の流れ この図は がんの 受診 から 経過観察 への流れです 大まかでも 流れがみえると心にゆとりが生まれます ゆとりは 医師とのコミュニケーションを後押ししてくれるでしょう あなたらしく過ごすためにお役立てください がんの疑い 体調がおかしいな と思ったまま 放っておかないでください な


5 教5-1 教員の勤務時間と意識表 5 1 ( 平均時間 経年比較 教員年齢別 ) 中学校教員 調査年 25 歳以下 26 ~ 30 歳 31 ~ 40 歳 41 ~ 50 歳 51 ~ 60 歳 7:22 7:25 7:31 7:30 7:33 7:16 7:15 7:23 7:27 7:25

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1. 子どもとの朝活歴 半数近くに上る Q. 朝活 について質問です 子どもと一緒に何らかの朝活をしたことがありますか? もしくは現在朝活をしていますか? ( 単一回答 N=417) 子どもと一緒に朝早くに何らかの活動に取り組んでいるかを質問したところ 現在 朝活している と回答したのは全体の 43

習う ということで 教育を受ける側の 意味合いになると思います また 教育者とした場合 その構造は 義 ( 案 ) では この考え方に基づき 教える ことと学ぶことはダイナミックな相互作用 と捉えています 教育する 者 となると思います 看護学教育の定義を これに当てはめると 教授学習過程する者 と

l. 職業以外の幅広い知識 教養を身につけたいから m. 転職したいから n. 国際的な研究をしたかったから o. その他 ( 具体的に : ) 6.( 修士課程の学生への設問 ) 修士課程進学を決めた時期はいつですか a. 大学入学前 b. 学部 1 年 c. 学部 2 年 d. 学部 3 年 e

1 家庭生活について 朝食及び就寝時刻 早寝早起き朝ごはん の生活リズムが向上している ( 対象 : 青少年 ) 朝食を食べている 0% 20% 40% 60% 80% 100% 1.2 今回 (H27) 経年 1.7 前回 (H22)

Taro-小学校第5学年国語科「ゆる

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5 児童生徒質問紙調査 (~P23) (1) 運動に対する意識等 [ 小学校男子 ] 1 運動やスポーツを [ 小学校女子 ] することが好き 1 運動やスポーツをすることが好き H30 全国 H30 北海道 6 放課後や学校が休みの日に 運動部や地域のスポーツクラブ以外で運動やスポーツをすることが

< ワーク > あなたが市町村社協の職員として相談を受けた場合 ケアマネジャーにどのような質問をしますか どのような目的から どういった情報収集が必要でしょうか 必要な情報をもっている関係機関はどこでしょうか 例 : 本人の収支の状況 必要な情報情報収集の目的情報を持つ関係機関 次ページから C さ

[ 中学校男子 ] 1 運動やスポーツをすることが好き 中学校を卒業した後 自主的に運動やスポーツをする時間を持ちたい 自分の体力 運動能力に自信がある 部活動やスポーツクラブに所属している 3 運動やスポーツは大切 [ 中学校女子

課題研究の進め方 これは,10 年経験者研修講座の各教科の課題研究の研修で使っている資料をまとめたものです 課題研究の進め方 と 課題研究報告書の書き方 について, 教科を限定せずに一般的に紹介してありますので, 校内研修などにご活用ください

2 教科に関する調査の結果 (1) 平均正答率 % 小学校 中学校 4 年生 5 年生 6 年生 1 年生 2 年生 3 年生 国語算数 数学英語 狭山市 埼玉県 狭山市 61.4

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P5 26 行目 なお 農村部は 地理的状況や通学時 間等の関係から なお 農村部は 地理的状況や通学時 間等から P5 27 行目 複式学級は 小規模化による学習面 生活面のデメリットがより顕著となる 複式学級は 教育上の課題が大きいことから ことが懸念されるなど 教育上の課題が大きいことから P

かたがみ79PDF用

6 女性への暴力やセクシュアル・ハラスメントの防止

令和元年度第 1 回いじめ問題対策調査会 令和元年 5 月 23 日 ( 木 ) 調査会の開催確認 〇会長挨拶 事務局自己紹介 会長より いじめ問題の解決に向けて 皆さんと活発な意見交換ができたらと思う では指導室より 報告願う 事務局取組報告 平成 30 年度におけるいじめの大和市独自調査について

< 受験生トレンド > 受験生に必須のアイテム 受験生の半数以上が勉強に SNS を活用 3 人に 1 人以上が活用している Twitter が第 1 位に 目的は モチベーションを上げたい 記録に残したい 共有して安心したい が上位に 勉強専門アカウントについては約 5 割が興味 約 2 割が活用

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豊川市民病院 バースセンターのご案内 バースセンターとは 豊川市民病院にあるバースセンターとは 医療設備のある病院内でのお産と 助産所のような自然なお産という 両方の良さを兼ね備えたお産のシステムです 部屋は バストイレ付きの畳敷きの部屋で 産後はご家族で過ごすことができます 正常経過の妊婦さんを対

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Ⅲ 調査研究報告 / 若者の結婚観 子育て観等に関する調査 77 交際中 (n=671) 交際経験あり (n=956) 交際経験なし (n=767) 早く結婚したいいい

こんにちは! ふっさんです 今回は 時間で数万円を 今 稼ぐ方法をレポートにまとめたので公開します 僕がこのレポートを作った理由は 多くの人が抱える 2 つの悩みを解決するためです. 稼げる自信がなくて 不安です 2. 教材などを買って学びたいが お金を捻出するのが難しいです というものです まず

基調講演

難聴児童の伝える力を 高めるための指導の工夫 -iPadを活用した取り組みを通して-

PowerPoint プレゼンテーション

教職員の事故 1 負傷事故 前の対策 安全点検日 1 日常的に器具 器材の安全点検をする 毎月 1 0 日 事故発生 2 危険を予測して授業の安全面に配慮する 1 負傷者の応急処置をする 養護教諭等 状況把握 1 応急処置をする 命にかかわる 2 場合によっては救急車 番手配を 物は躊躇

本文横組み/3 岸 俊彦

2 教科に関する調査の結果 ( 各教科での % ) (1) 小学校 国語 4 年生 5 年生 6 年生 狭山市埼玉県狭山市埼玉県狭山市埼玉県 平領均域正等答別率 話すこと 聞くこと 書くこと

PISA 型読解力と国語科の融合 -PISA 型読解力とワークシート- ( ア ) 情報を取り出す PISA 型読解力ア情報の取り出しイ解釈ウ熟考 評価エ論述 情報を取り出す力 とは 文章の中から無目的あるいは雑多に取り出すことではない 目的つまりこの場合は学習課題に沿って 自己の判断を加えながらよ

家庭における教育

最初に 女の子は皆子供のとき 恋愛に興味を持っている 私もいつも恋愛と関係あるアニメを見たり マンガや小説を読んだりしていた そしてその中の一つは日本のアニメやマンガだった 何年間もアニメやマンガを見て 日本人の恋愛について影響を与えられて 様々なイメージができた それに加え インターネットでも色々

3 第 3 学年及び第 4 学年の評価規準 集団活動や生活への関心 意欲態度 集団の一員としての思考 判断 実践 学級の生活上の問題に関心 楽しい学級をつくるために を持ち 他の児童と協力して意 話し合い 自己の役割や集団と 欲的に集団活動に取り組もう してよりよい方法について考 としている え 判

平成23年度全国学力・学習状況調査問題を活用した結果の分析   資料

不登校傾向にある子どもの実態調査報告書

町全体の状況を把握 分析するとともに 平均正答率については 全国 全道との比較を数値以外の文言で表現します また 質問紙調査の結果や 課題解決に向けた学力向上の取組を示します (3) 学校ごとの公表小規模校において個人が特定される恐れのあることから 学校ごとの結果公表はしません (4) 北海道版結果

Transcription:

半世紀にわたる 問題 を いま問い直す #29 横湯園子さん学校基本調査で 学校嫌い の統計が開始されたのは1966年 今年はそれから50 年にあたります 学校を長期欠席する子どもは 学校制度とともに常にいました しかし 現在につながる 問題 として不登校が社会現象化してきたのは この統計開始以降とも言えます この50 年 不登校は 問題 であり続けてきました それは 学校 教育行政 精神科医療 家族のあり方 働き方などが さまざまに問われてきた 問題 だったと言えます この50 年は学校に行かない子どもたちにとって受難の歴史だった一方 親の会やフリースクールなどの市民運動が立ち現れてもきました いったい 不登校50 年 の歴史は何を語るのでしょう 不登校をめぐって 時代ごとにどんな状況があり どのように問題とされ どう対応されてきたのでしょうか 不登校新聞社では 不登校50 年 を機に 証言プロジェクトを開始し 不登校経験者 親 親の会 居場所 フリースクール 医者 教員 学者 弁護士など さまざまな関係者の生の声を集め アーカイブにしていきます インタビュー 寄稿は 社会的意義を考え 購読者に限定したものではなく 無料で公開します そのため プロジェクトは 寄付によって運営します ぜひ このプロジェクトへのご支援 ご協力をよろしくお願いします 2016年7月15 日全国不登校新聞社プロジェクトチーム ( 統括 : 山下耕平 ) 関東チーム委員 : 奥地圭子 木村砂織 朝倉景樹 石林正男 加藤敦也 佐藤信一 須永祐慈 関川ゆう子 野村芳美 藤田岳幸 前北海 増田良枝 松島裕之 山口幸子関西チーム委員 : 山下耕平 石川良子 貴戸理恵 栗田隆子 田中佑弥 山田潤

- 2 - - 3 - #29 横湯園子さん不登校 50 年証言プロジェクト #29 横湯園子 ( よこゆ そのこ ) 1939 年 静岡県生まれ 心理臨床家 日本社会事業大学社会福祉学部卒業 1970 年 ~ 1985 年まで国立国府台病院児童精神科病棟の院内学級で教員を務める その後 千葉県市川市教育センター指導主事 女子美術大学助教授 北海道大学教授 中央大学教授などを歴任 定年退職後はフリーの心理臨床家として子ども 青年に関わる 著書に 登校拒否専門機関での援助と指導の記録 ( あゆみ出版 1981) 登校拒否 新たなる旅立ち ( 新日本出版社 1985) アーベル指輪のおまじない ( 岩波書店 1992) 魂への旅路戦災から震災へ ( 岩波書店 2014) など多数 インタビュー日時 :2017 年 10 月 8 日聞き手 : 山下耕平場所 : 飲食店 ( 東京都 ) 写真撮影 : 山下耕平さん山下まずは子ども時代のことからうかがいたいと思います お生まれは どちらでしたでしょう 横湯1939年 静岡県三島市に生まれました 5歳のときに沼津大空襲を経験して 沼津は98 %以上が焼失し 私たちの住んでいた家も焼かれてしまいました その後 母の故郷に移って そこで高校生が終わるまで過ごしました それと 父は私が1歳1カ月のときに亡くなりましたので 母子家庭で育ったんです 山下お父さんが亡くなられた経緯をうかがってもよいでしょうか 横湯父は治安維持法で逮捕されたようなんですね 9 18 事件*1 と聞いてますが それがどういう事件だったのかは調べたことがなくて わかりません 2年半の実刑に処せられて 獄中で満身結核になったそ*11933年9月18 日 神奈川県や静岡県で共産党員が一斉検挙された事件 横湯さんの父 芹澤総一郎さんは 労農運動に関わっていた うです 獄中で亡くなると抗議運動が起きるということで仮釈放になって 釈放後に亡くなったようです それまでにも何回も逮捕されていたようですが 山下何か活動されていたんでしょうか 横湯文学青年であった父は 文学サークルを通して社会主義に近づき 労農運動に身を投じていました 沼津空襲のとき 母が父の原稿用紙とノートと写真を持って逃げて それが唯一 父の遺したもので それ以上のことはわからないんです 山下お母さんも苦労されたことでしょうね 横湯母は父の身元引受人になるために 新聞紙上で 獄中結婚宣言 をして 一族から勘当された女性だったそうです 父が亡くなったあとは 父の実家からも追い出されて 子どもを抱えて苦労したようです 母の記録では 父が亡くなったあと思想犯の未亡人として辛酸をなめ 戦争が終わるまでの4年間で 30 回以

- 4 - - 5 - #29 横湯園子さん不登校 50 年証言プロジェクト上 住所を変えてるんです 母はあまり語らなかった人ですが 活動家ではなかった母自身も2回逮捕されているそうです 恋人だった父をさがしてアジトを訪ねたところを 張り込んでいた警察官たちによって逮捕されています 東京の親族が動いて すぐに釈放はされたものの その際にむごい拷問も受けていたんです いっしょに逮捕された人から少し聞いたところでは 畳針で手足の爪のあいだや腿を刺されたと言ってました 実際にはそれ以上のことがあったそうです 私もまだ中高生のころだったので ひどすぎるので 園子ちゃんには教えられない と言ってました 母は84 歳で亡くなったんですが 入院中に看護婦さんが点滴を失敗したとき 大暴れしたんです 肌をぶすぶすやられる感覚から 拷問のときのフラッシュバックが起きたんだと思います 処置室に入って 身を寄せている私に気づくと 母は 結核菌を飲まされるかもしれないから 断固闘ったんだよ と言ったんです 私は母に身をよせて手を握って 点滴は成功しましたが 残っていた体力を使いはたしたのでしょうか 母は その2日後に亡くなりました 拷問というのは こんなに時間が経っても 人の人生に影響するのだと あらためて思いました 山下ほんとうに苛酷な状況を生きてこられて お母さんも さぞかしご苦労されたことと思いますが 子どもの苦労も相当だったのではないでしょうか 横湯たいへんでしたけど 母の苦労と比べれば たいしたことはなかったと思います 戦後も 一族とは連絡をとらず 食べ物もないなかで 間借りしての貧しい母子生活でした 文学少女だった山下横湯さんは 学校では どういうふうに過ごされてたんでしょう 横湯去年 めずらしく中学校の同級会に出たんです これまで 故郷に帰るのは好きではなく疎遠になっていて 同級会にもめったに出てなかったんですが みんな亡くなっていくと思って みなさんと会いました そこで男子の同級生の何人かが 僕らは 親がアカだと言って園子ちゃんをいじめていた と言うんですが 私のほうは ぜんぜん記憶にない いわゆる 無視 程度のいじめだったのでしょう 私は文学少女で 休み時間は本ばかり読んでいたので気がつかなかったんでしょうね 母は 貧しい生活のなかでも お誕生日にはかならず本をくれる人だったんです 中学生のころには トルストイやドストエフスキーなどのロシア文学や フランス文学を夢中になって読んでました ドイツのショル兄妹の 白バラは散らず も忘れられません ただ 基地の女 (中本たか子)を読んだときは 嘔吐して体調を崩してしまって しばらく本を読むのは禁止 と先生に言われたほどです おませですよね 山下貧しくても文化はあったのですね 先生との関係はどうだったんでしょう横湯先生たちは やさしかったですね たとえば 小学校1年生のとき 弟を連れて学校に行くと 授業のときは廊下に弟を置いて 先生は弟が見えるように扉を開けておいてくれました 休み時間になると 弟を教室に入れてくれる その先生のことはよく覚えてます 特別いい先生というわけではなかったですが 子どもたちを河原に連れていっては ご自身の好きな小説 宮本武蔵 (吉川英治)を読み聞かせてくれる先生もいました 敗戦直後からしばらくは 先生たちも自由で 子どもたちにやさしかったように思います 山下中学校はどうだったんでしょう 横湯とくに覚えているのは国語の先生で 綴方*2をやっておられて 授業とは別に 原稿用紙をくれて あ*2生活綴方運動は 1910年ごろに始まった教育運動 子どもたちが自分の生活を自分の言葉でつづり それを推敲する過程や 文集を出しておたがいに討議することなどを通じて学ぶことが目指された そのひとつ 山びこ学校 については 本プロジェクト#12 無着成恭さん参照

- 6 - - 7 - #29 横湯園子さん不登校 50 年証言プロジェクトなたの思っていること 感じていることを書いてごらん と言ってくれたんです それが書くことに対する関心になっていきました 橋本登先生といって 戦後 社会運動をされていたようです 私も 亡くなられてから本を読んで知ったのですが 山下一方で コンプレックスもあったと書かれてますね 横湯この年になると ぜんぶ消えたみたいですけど 算数や理科はきらいでしたね 私は直観像素質者傾向の人間のようで パッと見たものを覚えてしまうんですね ですから テストで点数はとれたんですが 理論や理屈はわかってなかったんです 小学校4年生のとき 音楽会での合唱で 私が音程をはずしていたのでしょう 先生に あなたは声を出さずに口だけ動かしなさい と言われたことがあったんですね それはすごくショックで 以後 この年になるまで 人前でうたったことがないんです 子守歌もうたったことがない 4年生と言えば思春期に入るころです 自意識過剰だったのでしょうか 音楽を聴くのは好きですのに 歌をうたえない人間になってしまいました 山下子どもにとって 大人からの言葉の影響力は大きいですよね 多かれ少なかれ 誰しも そういった経験はあるように思いますが 一方で そういう自分のなかの未解決のコンプレックスを自覚していることが ご自身のお仕事には役に立ったとおっしゃってますね 横湯そうですね 私は ほかの人のいる前で子どもの欠点をあげつらったり 何かできないことに対して責めるようなことを言ったことはないと思います 指摘するときは一対一のとき でも指摘というより話し合い的 貧しかった経験や 劣等感を抱えていたことが 人に対して厳しく言わないことにつながっているように思います 意識してというより 自然とそうなっているんですね 山下子どもの側もそれを察知するんでしょうね 国府台病院の分校で山下横湯さんは国立国こうのだい府台病院の院内学級に勤めておられましたね 最初に行かれたのは 何年のことだったのでしょう?横湯見学に行ったのは 1969年の秋でした 千葉県市川市で養護学校の教員をしていたんですが 病気でも怠けでもなく学校に行けない子の学校ができた と聞いて どんな学校だろうと思って見学に行ったんですね 病院は広くて 秋雨が降っているなか 草がぼうぼうに生えたグラウンドで ひとりの少女がコスモスを摘んでいたんです 私がその少女に 病気でも怠けでもなくて学校に行けない生徒の学校はどこ? とたずねたら 彼女は黙って コスモスを握った手で指さしたんです それが 院内学級の木造校舎だったんです それで 職員室で話を聞いていたら その彼女が入ってきて 先生に黙ってコスモスの花を渡したんです それを先生も黙って受けとる そのとたん 彼女の体の線がやわらかく変わったのがわかったんです 花を渡すと少女は教室を出ていって それを見送る女性の先生の目もやさしくて ここの教員になりたいと思ったんです 転勤をしたくて教育委員会まで行ってお願いをして 翌1970年に転勤しました 山下どういう学級だったんでしょう 横湯治療的教育の場としての学級だったんですね 通称は 分校 でしたが 正式には 情緒障害児学級 日本で初めての試みでした 教員は3名いたんですが 主任が転勤して 私は71 年から主任になって 85 年まで勤めました 学級は 小学校と中学校の両方あって 私は中学校の担当で 最初に受け持った子どもは12 名でした 当時は中学校でも留年があったのでしょうか 過年児もいました

- 8 - - 9 - #29 横湯園子さん不登校 50 年証言プロジェクト山下この学級は 情緒障害児短期治療施設*3とは別ですよね 情短施設では 教科をせず 体験学習が多かったと聞きましたが?横湯それについては 私は断固闘ったんです 国府台病院の情緒障害児学級は 日本で初めての登校拒否児を対象とした院内学級として1965年に開設 1968年から3年間 文部省の研究委託を受けて 情緒障害児の教育内容 方法の実験研究 をしていたんです 私はその3年目に入って ちょうど研究結果を出す年でした 私たちが教育実践の報告をして それをもとに精神科医や小児科医 教育委員会 校長会の方も入って議論して 結論として答申を出すのですが その内容に 若かった私はナマイキにも異を唱えたんですね この子たちは病気ではなく 症状がとれれば ふ*31961年の児童福祉法改正で定められた施設 当初は学校恐怖症(不登校)や年少非行児童のメンタルケアなどを目的とし 12 歳未満を対象としていた しかし 近年は児童虐待への対応が求められるようになり 現在は在籍児童の7割以上を被虐待児が占める 2016年4月より児童心理治療施設と名称変更された つうの子である とあったのはよかったんです しかし 情緒の障害だから 教育は音楽 図工 技術 体育だけでいい とされていることに対しては 私はひとりで猛反対しました ふつうの生徒たちであれば その後 自己実現に必要な科目が保証されるべきである 道を狭めてしまってはいけない と 会議終了後 校長室に呼ばれて えらい精神科医や大学の先生たちを前に なんてこと言うんだ と校長に叱られ 次の会議であやまりなさい と言われました その場では わかりました と言って引き下がったんですが 次の会議では また言い張ったんです(笑) そうしたら 平井信義先生(小児科医 児童心理学者/1919 2006)が それはそうだ とおっしゃってくださって すべての科目を保証すべきだという結論になったんです 校長はにらんでましたけど それ以上はおとがめなしですみました(笑) 教育って難しい山下横湯さんは何を教えておられたんですか?横湯私は社会科だったんですが 英語の教員がいなかったので 英語も担当してました 全科目が保証されるようになったのはよかったんですが 長期欠席による学力の遅れもあったので 英語と数学はグループをつくっていました 個人の希望を重視し そのふたつの科目は同時限 全教室展開となり 3グループに対して教師が複数つくことにしていました しかし かけ算九九や分数がわからないとか ABCもあやふやな生徒は別教室で個別指導をしてグループに入れるように配慮もしていました 体育と音楽は 先生がいなかったので 体育はふつうに遊べばいいことにして 音楽の授業はなかったです 教員の私たちが忙しいと まれにですが医者が数学を教えにきてくれたり 看護婦(現在の看護師)が個別に勉強をみてくれたりしてました 一対一だと プライドの高い生徒でも 抵抗なく基礎から学べたりしましたし どの先生もやさしく ていねいに教えられていたと思います フリータイムという時間を設けていて 農作業だとか 遠足やバーベキュー パーティーや劇だとか いろんな活動をやってました そういう意味では かなり自由に ゆるやかにやっていたと思います 山下分校に来ていたのは 入院している子たちだったんですよね 横湯原則としては入院している子たちだったんですが だんだん不登校の子たちが増えて ベッドが足りなくなったんですね ベッドは54 床ありましたけど 緊急のために少しは空けておかないといけないですし 自宅から通学して来る生徒もいました 山下そうすると 最初は12 名だったのが増えたということですか 横湯そうなんです 途中からは50 名を越してました 定数オーバーで無理してやってました ただ 教育委員会のほうも 教員の数を5~6人ぐらいまでは増やしてくれたんです 毎年 4月時点では人数が少ない

- 10 - - 11 - #29 横湯園子さん不登校 50 年証言プロジェクトんですが 年度内に増えることを見越して 教育委員会が柔軟に対応してくれてました それと 私がいた最後のころは 元将校病棟の木造校舎ではなくプレハブ校舎でやってたんです 小学校のほうで お金を盗んだ子がいて それに対して 絶対に許してはいけない と厳しく指導されて 隠し場所までわかったんですが その次の日に深刻な仕返しをされてしまったんです 厳しく隠し場所も言わせた先生は 満蒙開拓団に積極的に生徒を送った反省から 戦後は 教え子を再び戦場に送るな と 真っ先に日教組に入って運動した先生でした それなのに 自分がまた子どもを追いつめてしまったと心を痛められて その事件をきっかけに結核を再発して まもなくして亡くなってしまったんです その先生のことは忘れられません ものすごく自分に対して厳しい方でした そういう方でも 子どもの問題行動に対して どこまで指導していいのか悪いのか 迷われる 教育って難しいなと思いました こちらがいいと思っていても やりすぎてしまうことがある 給料袋まで盗まれても山下横湯さんがおられた中学校のほうでも たいへんな子はおられたんですよね 横湯いろんな子どもがいました たとえば 盗みのひどい生徒がいて(そのことは本人の了解を得て 耕助という仮名にして 登校拒否 新たなる旅立ち (新日本出版社1985)にも書いてますが) たいへんでした 私も 給料袋を持っていかれてしまったり 遠足のバス代を盗まれてしまって 私が補填したり ありとあらゆることをやられました でも 私は叱ったことはなかったんですね だから 教員や医者や看護婦さんには 横湯先生はやさしすぎる 甘すぎると言われてました しかし あるとき 彼がプロパンガスの栓を開けて ちょっとでも火の気が起きたら 児童精神科病棟が吹っ飛ぶところだったという事態があったんです 予感というのでしょうか 看護婦が何か怖い感じがすると言って 窓を開けて発見して 事なきを得ましたが 彼は強制退院させられたんです 退院させられても お父さんは亡くなっているし お母さんは経済的にも精神的にも厳しい状態にあって 結局 強制退院にはするけれど 外来の治療は続けるということで 分校への通学は継続になりました ただ 泣かれたりすると 弱かったですね 亡くなったお父さんのことや 兄たちのこと 母親のこと 苦しい状況を吐露して泣くんですね そうると 私もつらくなって叱るなんてしない でも ガマンの限度を越すことが一度あり 私も警察に届けようとしたことがあったんです それを若い男性の先生に 僕らにまわしてください と言われた 教員たちも おたがいにぶつかりながら彼と向き合ってました いろんなことがありましたけれど 医者も看護婦も分校の教員も 彼を見捨てなかったことが大事だったと思います そういうなかで 彼は人間に対する基本的な信頼感を取り戻していったように思います いま 彼は看護師として働いていて 彼の働いている病院の用務員さんに聞いたところでは あんなやさしい看護師に出会ったことがないということでした それを聞いたときは うれしかったですね 山下自分が受けとめられた経験が大きかったのでしょうね 横湯そうですね 彼の主治医は上かんばやし林靖子先生で 心が広くてやさしくて 彼をかばうことも多かったです 耐えがたいことがいくつもあって かばった人が批判にさらされることもありましたが 大人の集団の許容量はすばらしかったです でも 彼にかぎらず 窮地に立たされて追い込まれている人を まわりがなんとかしたいと思う気持ちというのは 理屈ではなく 愛とでも言うのでしょうか そんな気がします 山下冷静さも必要でしょうけど たしかに 振りまわされたり 巻き込まれたりするほかないことって ありますよね 耕助さんと関わっておられたのは いつごろのことだったんでしょう

- 12 - - 13 - #29 横湯園子さん不登校 50 年証言プロジェクト横湯80 年代初めごろのことです 医者とのケンカ山下国府台病院のなかで お医者さんと分校の教員との関わりは どんな感じだったんでしょう?横湯始終 いい意味でケンカしてました(笑) 医療と教育の両面から子どもに関わるわけですが 3段階あって 第1段階では医療が主導 第2段階では医療と教育が協働しつつも医療が主導 第3段階では教育が主導して 医療がそれをカバーするとでも言いますか そこで教員と医者とは やりあうことも多々ありました お医者さんは診断 治療方針を出す立場にあり 教員も看護婦も心理職もそれに従って関わるわけですが 常時関わる職種でもあるわけで 関わり方がちがうわけです 医療と教育は組織が別ですから 医者の下にはつきません というようなことを言って よく対立してました 山下たとえば どんなことで?横湯耕助のことで言うと 盗みをして 医者たちが 強制退院だ となった でも私が 彼には帰る場所もないのに どうしてそんな無責任なことが言えるのか とやり合う あるいは 盗みがひどいので カンファレンスで合同で話すことになったとき ある医者が 盗み飽きるまで盗ませたらいい と言うわけです 私は だったら 先生があちこちにお金を置いて 先生が盗まれてください って怒ってしまったり こちらは給料まで盗まれてますからね(笑) そういうやりあいは 始終でした 山下その 盗み飽きるまで盗ませたらいい と言ったお医者さんというのは?横湯渡辺位*4さんです(笑) 渡辺先生は いつもそ*4(わたなべ たかし/1925 2009):児童精神科医 国府台病院で児童精神科医長を務め 登校拒否は個人病理ではなく 学校を含めた社会への子どもの防衛反応であると いち早く世に訴えた ういう感じだったんですけど さすがの渡辺先生も 音をあげていたことがありました 耕助が問題を起こしていたころ 別の外来の子で なぜだかわかりませんが渡辺先生に腹を立てて おそばやおすしを30 人ぶんくらい 渡辺先生の名前で注文したり ありとあらゆるかたちで 渡辺先生を苦しめていたことがあったんです それには さすがの渡辺先生も音をあげていて 私は思わず やりたいだけ注文させたらどうですか と言ったりしてね(笑) でも さすがにそういうわけにはいかないですから 本気で怒って 親御さんを呼んで話されたりしていました 現場の現実って そのようなことはよくあるんです 渡辺先生のよさであったと 後になってからわかったように思います 齊藤万かずひこ比古先生(児童精神科医)とも やりあうことがありました 子どもたちも そのようすはよく見ていて 遠足のとき 病棟の子は医者の側につき 外来の子は私の側について 別々に行動したこともありました でも お昼はいっしょに食べようということで 齊藤先生のほうから この地点で 昼下がりの決闘ではなく 昼下がりの食事にしましょうか と言ってきたりね(笑) 齊藤先生も楽しい方でした ですから 意見のちがいでやりあっていましたけど 信頼し合っていました 山下心理職との関わりはどうだったんでしょう?横湯心理の先生たちは 入院した最初のところでていねいに関わって その後は必要に応じて ということでした ですから 重い子どもの場合やミーティングやカンファレンスの場でのつきあいが多くて 分校に来ている生徒のことでは あまり関わってなかったです 教員の私たちが日常的に関わるのは むしろ看護の人たちとの付き合いが多かったです 山下お医者さんは基本的に診察の局面だけで 教員や看護の人たちは子どもたちと日常をともにしている というちがいはあるのでしょうね 横湯教員よりも看護の人のほうがたいへんですね 朝から晩までですから 基本的にはあたたかくて や

- 14 - - 15 - #29 横湯園子さん不登校 50 年証言プロジェクトさしかったんですが 当然 厳しい要求を出してくることもあって 看護の人たちと対立することもありました 戦争神経症と登校拒否山下国府台病院は元陸軍病院で 戦争神経症の方も入院されていたそうですね 横湯さんは 成人病棟のお医者さんとの出会いで 登校拒否は戦争神経症と同じく その人の置かれた状況を見ないといけないと教えられたと書いておられましたが その医師というのは どなただったんでしょう?横湯それが申し訳ないことに覚えてなくて 精神科の成人男性病棟の医者だったことしか覚えてないんです 児童精神科の医長は渡辺位先生だったんですが 当時はまだお若かったですし 私も分校の教員になったばかりのころでもあって 相談に乗ってくれそうな精神科医をさがしていました 精神科エリアで白衣を着ている人は精神科医ですから この先生なら と 男子成人病棟までついていったんです ふつうの子どもなんだというけれども いろいろ問題行動もあって どう扱っていいかわからないです と相談したとき その先生が 一人ひとりの子どもとつきあう前に もっと大事なことがあります と言われて 戦争神経症の話をされたんですね 戦争がなかったら 戦争神経症はありません いま学校恐怖症とか登校拒否と言われている子どもたちも 社会や学校状況が悪くなかったら学校を拒否しなかっただろうし 神経症にもならなかったでしょう そういう意味で あなたは まずは社会現象を見る目を自分のなかに育てないといけないですよ と言われたんです そして 神経症と結核 トラコーマが急増したときが 戦争前夜の徴候と言えます あなたはしっかりとその徴候を見る目を育てなさい そのうえで 目の前の子どもと関わりなさい とおっしゃったんですね その言葉 視点が いまでも私の原点です でも 目の前の子どもとどう関わっていいかわかりません と食い下がったら あなたはまだ若いし情熱もいっぱいあるのだから 子どもとぶつかりなさい とおっしゃいました でも 目いっぱいやったら やり過ぎてしまうかもしれません と言ったら そのときは私たちが手伝いますよ と言ってくれたんですね それで すごく安心したんです でも その先生の名前を確認さえしなかった 若かったですね あとから思うと あの先生は元軍医だったんだろうなと思います 私が教員になったころは 婦長も 元従軍看護婦の軍曹だったんです 怖い方で 医長の渡辺先生でさえ坊や扱いされてました(笑) 分校の校舎も 元将校病棟でした 山下私は 戦争神経症の話は渡辺位さんからうかがっていたのですが 国府台病院は陸軍病院だったゆえに 精神科のなかでは そういう見方が共有されていたのかもしれないですね 横湯そうだと思います 私も若いころ 戦争神経症のカルテを見せてください と総婦長にお願いしたことがあったんですが あなたに見せるわけにはいきません と断られました 最近 あきらかになったことなのですが 戦争神経症のカルテは すでに国府台病院から別の場所に移されてたんですね 戦争が終わったとき 軍部からカルテを焼却するように命令があったそうです しかし 浅井利勇先生と諏訪敬三郎先生が ドラム缶に詰めて地面に埋めて隠していたそうです それを1951年に掘り起こして 下総精神医療センターに移して保管した 8000人分ということですから 膨大量です その事実を最近 東京新聞が報じたのですが(2017年2月19 日) 保管場所が明らかになったら いまの安倍政権は その資料を焼却しかねないですね そういう意味では 時代の急激な変化は怖いです 山下戦争神経症の資料というのは 重要でしょうね 消してはいけない過去だと思います おたがいに悪さを許容山下国府台病院での話にもどりますが 横湯さん

- 16 - - 17 - #29 横湯園子さん不登校 50 年証言プロジェクトは ときには子どもといっしょに悪さするのも必要だとおっしゃってますね 横湯そうですね 悪さといっても ちょっぴりですけど よく いっしょに騒いだり いたずらしたりもしました 子どもたちから おまえ それでも教師か なんちゅうセン公だ! ってあきれられたりね いたずらではないですが 毎年 秋になると 病院の敷地内の銀杏を拾って売るんですね 若い男の先生たちも飲み屋で売ってましたし 子どもたちは外来の待合室でたたき売りしたりして それが始まると秋が来たなという風物詩みたいになってました 乾かしている最中に 盗んで売ったことがあると おとなしい女子グループの卒業生に告白されたこともありました 私たちも悪いことができたとうれしかった と打ち明けてくれました 山下子どもにとって 大人は正しい存在と思われがちですが 悪さをいっしょにしたりすることも 子どもと響き合うのに大事かもしれないですね 横湯それはあります 教師の役割からはみ出す部分ですね 私はおしゃれが好きなので リボンだとかイヤリングをつけたりしてたんですけど 教師がそんなことでいいのか と 看護婦にも言われたりしてました それと ある年のキャンプで 私が参加しなかったことがあったんです 齊藤万比古先生が下見調査に行ったんですが そのときに蛇が出たという話をミーティングでされたんです 私は蛇が大きらいなので 私は行かない と言いはって とうとう その年のキャンプは行かなかったんです 主任で 分校の責任者だったのに 別の年に 八ヶ岳でキャンプしたときは 渡辺位先生と私で もう疲れたからサボろうよ と言って みんなが作業しているとき 木に登って 隠れてサボったこともありました(笑) でも 子どもたちにもバレてて 夜になってから みんなの前でバラされたりとかね 子どもも教員も医者も おたがいに悪さをして 許容の範囲は許し合っていた感じでした 山下大人がワガママを言えているというのは 子どもにとって楽かもしれないですね そういう土壌があるから ちょっと極端に振れている子がいても 受けとめられる土壌があったのでしょうね 横湯そうだと思います でも 蛇がきらいでキャンプに行かないというのは ワガママですよね(笑) 主任が来ないというのですから まあ そういうワガママだとか 悪さみたいなことも どこまでを許して どこからがダメなのか おたがいに幅を持っているというのは 大事なことだと思います 山下完全に排除してしまうと もっと大きくなってしまいますしね しかし 当時は医者もキャンプに参加してたんですね そういうことは いまのお医者さんでは なかなかなさそうですね 横湯そうだと思います 齊藤先生も渡辺先生も上林先生も ほんとうに よく子どもたちとつきあっていたと思います 私たちは対立やケンカもしましたけど よく飲みにも行きましたしね 領域のちがいからの対立ですから たがいに引けないところはありましたけど ちゃんと線引きした境界域での対立で どこかで許し合っていました そういうケンカは いまは医者も教員も なかなかできないように思います 私たちも そこで成長し 幅も培えたと思います 山下子どもも含めて 揉めごとを通して おたがいが変わっていくということがあったわけですね 渡辺位さんが国府台病院で開かれていた親の会 希望会とのつながりはあったんでしょうか?横湯ときどき のぞくことはありましたけど その程度でした 山下分校に来ていた人の親御さんは参加されてたんでしょうか?横湯参加している親の方もいましたが 外来の人の

- 18 - - 19 - #29 横湯園子さん不登校 50 年証言プロジェクトほうが多かったと思います 渡辺先生とのことで言いますと 退院して高校を卒業後に結婚した女子生徒で 自分が不登校していたことを結婚相手に言えなくて 自分が罪人のように感じて 結局 離婚してしまったという例がありました それで 渡辺先生が私のところに来られて 退院したあとも不登校を悪いことのように感じてしまっていて 苦しい思いをしている人がいる 不登校はプラスのことなんだと知らせていったほうがいいね と 不登校のイメージを大きく変えていこうという話をしたんです ちょうど希望会が始まったあとぐらい 70 年代半ば過ぎだったと思います そのころから 不登校は悪いことではない 悪いのは学校であり社会であり 子どもたちをとりまく環境なんだと 強調して言うようになりました それまでも 不登校をダメなこととは思ってなかったんですが 前面に出してはいなかったんですね 山下直接のきっかけとして そういうことがあったのですね 規則ありきではなく子どもの側から山下少し話は変わりますが 教員のあり方についてうかがいたいと思います 横湯さんは 教員というのは なかなか子どもに ごめん の一言が言えないのが問題だということをおっしゃってますね 横湯教員の多くは 子どもありきではなくて規則ありきで 規則に子どもをあてはめてしまってますでしょう こうでなければならない というのが前面に出ていて それに合うか合わないかで子どもを見ている だから 問題が起きたとき それがどういう背景から起きているかを見ないで 行動だけを見て 悪いと判断してしまう それでは子どもの側から考えることはできません 山下一度 問題行動として見てしまうと その後もずっと そのフィルターで見てしまうということはありますよね 横湯そうですね それではちがうんだということを教えてくれたのは 不登校の子どもたちでした いろんな子どもがいて 変化球は出しますし 次から次へと問題を起こして 自殺の危険性のある子たちもいましたし たいへんでしたけど そこで学んだんですね 子どもの側に立って 子どもが何を求めているのか 何に苦しんでいるのかを考える それがわからないかぎり 子どもの行動を判断してはいけないと思います とくに私は 3人に自殺されてますので 山下教え子を亡くされたことは 自分の人格が崩れるような経験だったと書かれてらっしゃいますね 横湯どう受けとめていいかわからなかったですね ひとり目の生徒のことは 登校拒否 新たなる旅立ち に 佳奈という仮名で書きました 彼女は 毎日のように死にたいと言ってました 私たちも ほんとうに根気よくつきあっていたのに 死なれてしまった どうしたらよかったのかわからない 彼女の死は私にとって ものすごく大きな転換点でした 上原専禄の 死者 生者 (未來社1974)を読み続け 悩み続けて ある夜 父の気配を感じたとき 佳奈と共に生きていこう 死者と共生 共存していこうと思えたのです そこにいたるまで 1年くらいはかかりました 山下いろいろあっても受けとめることができた場合は その後につながっていきますけれども 亡くなられてしまうと とりかえしがつかないですから 整理をするのは難しいですよね 横湯難しいですね もうひとりは通院していた男の子でした ヘルプミー と大学ノートにびっしり書いていました 男性の先生がカウンセリングしていたんですが ある日 約束の時間に来ないので 遅刻しない彼が来ないのはおかしいと思って すぐ自宅に電話したんです おばあさんが出て いま2階で休んでます と言う とにかく ようすを見にいってく

- 20 - - 21 - #29 横湯園子さん不登校 50 年証言プロジェクトださい と頼んだんですが 寝てますから と言って応じてもらえなかった しかし そのときに部屋を閉めきってガス管をくわえて自殺されていたんです ご家族は すごくご自身を責めておられて それを見ているこちらもつらかったです もうひとりの女子生徒は 自我が壊れていくような感じがあって 主治医からも いじらないほうがいい 深入りしてはいけない と言われてました 彼女との関わりは すごくバランスが難しかったです 彼女の大好きだった元主治医が病院を退職してしまっていたんですが その先生がひさしぶりに訪ねてくるときに 自我が壊れていくような自分の姿を見せたくなかったのか 自殺してしまったんです どうすればよかったのか 一人ひとり背景もちがいますし 一概には言えないです そういう経験があるからでしょうか 夜中に あの子が危ない と感じることがあって 駆けつけて間に合ったこともあります 自殺に対しては ものすごく敏感になりました 重い課題ですけど 死なせてはいけないという思いは強いです 山下亡くなった3人の方は 国府台病院にいたときの方ですか 横湯そうです 渡辺先生も 担当の子どもに自殺されてしまったことがあって ご自身が入院されてました どんなにトレーニングされた医者であっても 防げないことはある 患者に死なれるというのはショック以上のショックです 山下どういう対応だったら防げたかというのも わからないことでしょうね 一方で 問題と思われることを起こしてしまう子に対して あまりサーチライトで照らすように把握しすぎてしまうのも よくないことだとおっしゃってますね 横湯もちろん サーチライトをあてることで見えることもありますが 始終 光をあててたらよくないです 問題行動ばかり取りだして そこばかり見ていては子どもを追いつめてしまう その元になっていることをわかりたい 学校でのいじめや暴力があるかもしれない 虐待があるかもしれない 何に追いつめられているかをわかりたい でも それは時間をかけてわかることだと思います 山下信頼関係がないと言えないこともありますから 子どものほうから言ってくれるのを待たないといけないこともありますよね それには 直してやろうという人よりも 力の抜けている人のほうがいいこともあるように思います そういう意味で言うと いまは なんでも早期発見 早期対応が求められてますね 不登校でも 休み始めたらすぐにシートを作成して対応するとか 発達障害でも 早期に発見して特別支援学級へという流れがあります そのあたりについては どうお考えでしょう?横湯そうですね 早期発見と言っても 表面に出た行動は見えても その行動の背景に何があるかは すぐにはわからないですよね 相手が話せる時機を待つ必要もあると思います それまでは おつきあいしていくしかない 子どものほうからSOSを出してくれる 出してもらえるつきあいですよね それと 対応と言うなら 押しつけがましいものではなくて どうしたらよい?教えて といった 子どもが安心できるような対応ですよね スクールカウンセラーの役割は山下1995年からスクールカウンセラーが配置されるようになりましたが その役割はどのようにお考えでしょう 横湯役割の前に 条件を考えたいと思います スクールカウンセラーは 週に2回 4時間ずつの勤務ということになっていますが 実際には 週に1回8時間になってますね しかし いま学校では 不登校だけではなくて いろんな問題が起きているのに 週1回だけの勤務で何ができるのでしょう 相談室に座っているだけでは仕事になりませんね 子どもたちの抱えている困難に対応しようとするの

- 22 - - 23 - #29 横湯園子さん不登校 50 年証言プロジェクトであれば スクールカウンセラーは 常勤か非常勤かはともかくとして 毎日1~2名は常駐する必要があると思います アメリカに視察に行った際 スクールカウンセラーは相談だけではなくて 小集団カウンセリングで 子どもたちが自分たちの問題を自分たちで解決するプログラムを持って コンサルテーション コーディネーションの役割を果たしていました 子どもたち自身が ピアヘルプ活動 コンフリクトマネジメントなどをやっていました 日本でも そういうプログラムを持てたらいいと思っています それと スクールカウンセラーだけではなく スクールソーシャルワーカーも必要です 生活困難層も増えていますし 虐待の問題も増えていますし アメリカでは スクールソーシャルワーカーは ハローワークの役割も果たしていました つまり 親が生活できるように 仕事の確保も支援する 生活面を支えることが 心を支えることにもつながる カウンセラーとソーシャルワーカーが協働していました 日本でも そのようになれば 教員もずいぶん楽だろうなと思います 先生は忙しすぎます 何か問題や事故があるたびに 膨大量の報告業務が求められる そのために生徒とつきあう時間が減ってしまっている せめて報告業務をなくすだけでも 先生たちの疲労や多忙感を減らすことができる 山下教員の置かれている状況を変えないと 意識の問題ではすまないわけですね 横湯そう思います 私は 2013年に東京都足立区のいじめに関する調査委員会の委員長をしていたんですが 自殺した生徒の友だちにヒアリングしたとき 彼らは先生たちの問題点をいっぱいあげたあとで でも 僕らは先生たちといっしょに過ごしたいです 先生は 僕らのところに降りてきてほしい と言ってました また 教員たちのアンケートでも 私たちは生徒とともに過ごしたい という回答が多かったんです つまり 子どもの思いと教員の思いはいっしょなんです 調査委員のひとりが 文科省の係長をしていた人だったんです 彼が 報告業務をやめたら 半分は楽になると言うので 提言に盛り込んだんですが それを聞いた先生たちは手を叩いて喜んでました それで 国連子どもの権利条約市民 NGO報告書をつくる会の提言のなかでも 報告業務の多さを指摘しました 現在も 東京都葛飾区で 自殺に関する調査委員会の委員をやってます 自殺しないで せめて登校拒否してほしいです 山下むしろ 学校に行っている人のほうが心配ですよね 横湯もちろん 学校に行かないことは苦しいですけど 生きていれば いつか何とかなりますから 不登校になったからといって 自分を過剰に責めないでほしいです 用務員や事務員が大事山下学校に他領域の専門職が入ってくることで 教員も楽になって 子どもと関わる余裕を持てるようになるというのはわかります しかし 一方で専門家依存になって 丸投げになってしまう問題もあるように思いますが いかがでしょう 横湯さんも 心理で子どもを見立てていくより 子どもとぶつかりながら つきあってこられたわけですよね 横湯そうですね 具体的なことで言いますと 私もスクールカウンセラーとして中学校に入ったことがあるんです 東京都内の学校のことを知りたくて 1999年に中央大学に赴任したときから3年間 週1で中学校に行きました ほんとうに勉強になりました 相談室に座っているだけでは 来る生徒は少ないんです とくに いじめられている生徒は 加害者の監視の目が入っているから来ない 教員からは授業を見にきてくれと言われたんですが 授業を見てしまうと どの生徒が勉強ができて できないかわかってしまって 劣等感のある生徒は来なくなってしまいますから それも断わりました その代わり 休み時間とお昼休みに 校内をぶらついたんです それで 遊んでいるように見えても いじめだなと

- 24 - - 25 - #29 横湯園子さん不登校 50 年証言プロジェクト思う生徒たちに近づいたりしますでしょう すると ひとりがグループから離れる いじめられている生徒が カウンセラーが来たから行け と言われるのでしょう いなくなります さらに近づくと セカンドくらいの生徒が声をかけてくるんです その生徒とボスらしき生徒の顔だけ覚えて あとで生徒台帳を見て確認するんです でも その時点で教員に言ってしまうと すぐ動かれてしまうので黙っておいて 事務室に行って聞くんですね 事務の方たちは 家庭状況から何からよく知っている 次に 用務員室に行って 現場をおさえてくれと頼むんです いじめ集団の子たちというのは 用務員を自分たちより下に見ていて 警戒してないんです 現場をおさえてもらって そこで初めて 教員に言うんです 用務員の方は ほんとうによく動いてくれて 翌週に行くと 何かが動いて 何かが解決していました ですから 私は用務員のおじさんたちとは親しくしていて よくおみやげを持っていってました(笑) それと ツッパリの子と仲良しになったんですね 彼らは 意外といじめの加害者にはなってないことが多かったです 俺らは許さない と言って 情報をくれたりね ただ 生徒指導の先生には私の評判は悪かったです 相談室にいないで ぶらついて遊んでばかりいる とか言われて 山下心理の枠組みで子どもを見ることや その専門性の良し悪しについては いかがでしょう 横湯いじめの構造やプロセスについては話し合いました 個人的に相談に来られた先生とは いっしょに分析し手立てを相談したりもしました でも 専門性と関係ないことで言えば 疲れた顔をした先生が相談に来られると どうぞ眠ってください と申し上げて そのまま寝入ってしまわれることも よくありましたね 専門性ということで言うなら むしろ養護教諭のほうが重要だと思います 私は週1回だけでしたから 養護教諭からよく話を聞いてましたし お願いもしました 養護教諭は 虐待をよく見つけられるんですね いじめも ほかの教員よりも よく気づいてました ですから 私は 事務員 用務員 養護教諭の方たちと仲良くしてました スクールカウンセラーと養護教諭とは親戚関係だと思います ほんとうに勉強になりました 山下いわば周辺の人たちで それが重要なわけですね 虐待や貧困の問題は 以前からずっとあった問題だと思いますし いわゆる不登校ではなく 虐待や貧困で長期欠席していることもありますね そのあたりについては どのような関わりが必要だと思われますか 横湯虐待の場合も 貧困の場合も やはり養護教諭の先生が重要だと思います 貧困の場合でも ネグレクトの場合でも 子どもは あまり食べてないときは ふらふらっと養護教諭のところに行ったりしています 養護教諭の方たちは ほんとうに子どもたちの生活をよく知っています どの子が食べてないだとか あの子はどうも性虐待を受けているようだとか 山下家庭が厳しい状況のとき 親以外の大人の存在が重要だということはありますよね 横湯他領域のスクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカーが入れば 本来 力強いはずなんです 教員と連携すれば いい仕事ができる これだけ貧困が広がって 家庭の困難が蔓延しているなかで スクールカウンセラーだけでは何もできません 山下心理職だからというよりも 教員が 教員以外とネットワークを組むことが必要ということですね 横湯そうです 心理職なんて 私を含めて たかが知れてます 受苦の共同化山下横湯さんは 受苦の共同化 ということも言われてますね すぐに専門家に解決してもらおうとい

- 26 - - 27 - #29 横湯園子さん不登校 50 年証言プロジェクトうのではなく 苦しみこそ共同化していく必要がある ということでしょうか 横湯子どもや大人が抱えている困難の多くは すぐ解決できることではないですね 政治や国のあり方にも関わりますし おたがいが苦しみを共有しあうことが第一だと思います どういう工夫で それを超えられるか 同じ思いを共有しながら ときに分析しながら ときにアイディアを出し合いながら 子どもと大人 生徒とカウンセラー 教員どうし 共に考え合っていくほかない そこで問題になるのは やはり 教員が多忙すぎて 聞こえているはずの声が 聞こえなくなってしまっていることでしょうね 多くの先生は子どもが好きで 子どもといっしょに生きていきたいと思って教員になったはずでしょうしね 教員が子どもといっしょにいられるようにするには 事務職を増やすことも必要だろうと思います 敗戦直後の教員は 自分の好きな 宮本武蔵 を読み聞かせたりしてたわけです(笑) その先生が持っている長所とか特技が 自然に出て それが共有されてたんだと思います そういうことが いまの教員には もっと必要でしょうね 山下学校が具体的に変わっていく必要がある一方で フリースクールなどについては どうお考えですか?横湯それは大事ですよね 不登校になった子にとっては 自分のいまを支えてくれる場所がないですからね 居場所は もっといろんなかたちの場があっていいと思ってます 山下フリースクールなども 子どもが親以外の大人と出会える場ですしね 横湯そうですね 子どもと関わるのは心理職だけではダメで さまざまな人が必要だと思います たとえば 何か特技のある兄ちゃんとか おじさん おばさん おじいさん おばあさんとかね 専門職だけでなく そういう人が大事かな 昔は 祖父母世代がその役割を果たしてましたでしょう 山下一見 役に立たない大人のほうが かえっていいということもありますしね 子どもの言うことをキャッチできる余白のある大人が必要ですね 横湯そうですね そうしたら ヒマを持てあましてテレビだけ見ている年寄りたちが社会参加できるということにもなりますし 居場所への老人の参加は大事かもしれません ひきこもりについて山下かつては不登校として現象化していたことが その後は学齢期を越えて ひきこもりとして現象化して いまや世代を越えて大きな問題になってますね そのあたりは どうお考えでしょう 横湯難しいですね 不登校だった子どもの一部はひきこもりになっていき 40 ~50 代になっている人も多くなっています 不登校のきっかけが いじめや暴力だった場合 深く心の傷を負って その後も ずっとひきこもっています その心の傷 心的外傷後遺症と どうつきあっていくのか 心的外傷を想起し 服喪し 追悼して 終わりにして 再び出発するのにつきあう 信頼され 安心だと感じてくれたら 共同作業ができます 心的外傷で苦しんでいる方たちは 直接は会えないので その家族とつきあうことになります ひきこもりは悪いことではなくて 元をただせば背景があるんだということを家族に理解してもらって 家族がひきこもりにつきあっていくこと それを私たちがどう支えられるかが課題です 追いつめられると 自殺の危険性もありますから 実際 いまも 自殺の緊急相談がよくあります 山下自立にはしっかりとした依存が必要だと言えるでしょうけれども それを支えるのは家族だけでは無理で 家族だけで抱え持っていると危ないということ

- 28 - - 29 - #29 横湯園子さん不登校 50 年証言プロジェクトはあるでしょうね 横湯ですから 家族を問題視するのではなくて 支えることで安心 安全を感じてもらう 医療 保健 教育 福祉 心理などが重なり合うことが大事になります 支え合いのあり方は その本人 家族のようすで決まっていくのではないでしょうか そういう理解が必要だと思います 山下教員にしても 家族にしても 余裕のなさを指弾するのではなく 外の風も入れながら 支え合っていくことが必要だということでしょうね 今日は長時間 ありがとうございました 本プロジェクトにおける用語の取り扱いについて 不登校 を意味する用語は 長い年月のあいだに 学校恐怖症(school phobia ) 登校拒否(school refusal ) 学校嫌い 不登校 など さまざまな用語が使われてきました 立場や人によって その言葉の使い方や 意味するところが異なります 不登校50 年証言プロジェクトでは 統一した用語に整理するのではなく 話し手の文脈に即して使うこととします 本プロジェクトは寄付で運営し すべての記事を無償で公開しています ご寄付のほど よろしくお願いします 郵便振替口座 :00100-6-22077 加入者名 : 全国不登校新聞社一口 1000 円 / 3000 円 / 5000 円不登校 50 年証言プロジェクト http://futoko50.sblo.jp #29 横湯園子さんインタビュー日時 :2017 年 10 月 8 日場所 : 飲食店 ( 東京都 ) 聞き手 : 山下耕平写真撮影 記事編集 : 山下耕平記事公開日 :2017 年 11 月 29 日編集 発行 : 全国不登校新聞社 C 2017 Zenkoku Futoko Shimbun sha 東京編集局 ( 関東チーム事務局 ) 114-0021 東京都北区岸町 1-9-19 TEL:03-5963-5526 / FAX:03-5963-5527 E-mail:tokyo@futoko.org 大阪通信局 ( 関西チーム事務局 ) TEL:050-5883-0462 E-mail:osaka_c@futoko.org