精神科病床における 転倒予防対策について 武蔵野中央病院 医療安全推進委員会
精神科病床で最も数多く発生している 医療事故は, 転倒です 実際にどのくらい 多いのでしょう?
精神科病床の転倒事故と予防対策の 現状について全国調査を行った結果 年間, 在院患者の 4 人に 1 人が転倒 していることが分かっています
また, 転倒予防対策では (%) 100 90 80 70 60 50 40 30 20 10 0 89.0 82.3 75.1 64.6 64.6 32.0 16.6 21.0 全国の精神科病床における転倒予防対策実施内容 n=181 病院 運動療法の実施率が低く, 対策が 不十分であることも分かっています 細井匠, 他 : わが国の精神科病床における転倒事故実態調査. 精神障害とリハビリテーション,12(2),163-170,2008
なぜ, 精神科では転倒 が多いのでしょう?
理由 1: 若い頃から身体機能が低下している 垂直跳び, 反復横跳び, ジグザグドリブルなどの結果が同年代の健常者よりも低下 ( 藤井洋男, 他 : 精神分裂病患者の運動能力に及ぼす薬物療法の影響. 病院精神医学.26,81-91,1969 ) 全身持久力が低下 ( 土澤健一, 若松健 : 精神疾患患者の体力評価. 作業療法 vol.8,617-623,1989.) 片足立ち時間を健常者と比較すると, どの年代においても立位安定性が低下 ( 鈴木正孝 : 向精神薬を服用している精神障害者の立位安定性. リハビリテーション医学 43,431-437,2006) 握力, 片足立ち,FRT, 体前屈,10m 歩行速度, 骨密度の全てにおいて同年齢平均を下回る ( 岩井和子, 他 : 精神科病院長期入院患者の身体能力およびその関連要因. 精神障害とリハビリテーション 11(2): 164-169, 2007)
理由 2: 在院患者の高齢化 近年, 精神科医療は地域化が促進し, 新規入院患者の 9 割が 1 年以内に 退院する その一方で, 統合失調症患者の年齢別の平均在院日数は, 15~34 歳 104 日,35~64 歳 375 日 65 歳以上 1403 日,75 歳以上 1606 日 高齢の精神疾患患者の入院が長期化
理由 3: 転倒に繋がる副作用を有する, 向精神薬を大半の方が服用している 転倒の危険因子 ( 外因性 ) 高齢者の薬剤使用と転倒リスクに関するメタ解析 精神科において使用頻度が高い ベンゾジアゼピン系薬剤 抗うつ薬 抗精神病薬 抗けいれん薬の投与は 転倒のリスクを高める (Woolcott JC, et al : Meta-analysis of the impact of 9 medication classes on falls in elderly persons. Arch Intern Med 2009;169:1952-60. より引用改変 )
理由 4: 精神科病床の環境が, 構造上, 高齢化に対応しきれていない n=392 段差がある動線が狭い 46.7 41.3 n=437 1.6% サンダル 床が濡れていることが多い手すりがないベッド下に収納がある床が滑りやすい材質だ和式トイレがある畳部屋がある内開きドアがある 38.3 25.0 21.2 19.9 18.1 11.0 5.6 22.0 % 27.5 % 49.0 % スリッパ靴その他 その他 16.6 精神科病棟における環境面での転倒危険因子 0 100 (%) 精神科入院患者の使用頻度が高い履物 環境面での転倒危険因子と履物の使用状況について全国調査した結果, 多くの病院で危険因子が共通 細井匠, 他 : わが国の精神科病床における環境面での転倒危険因子に関する調査. 精神障害とリハビリテーション,20(1),91-95,2016
理由 5: 認知機能障害によって転倒しやすい 最大一歩幅の 認識誤差を評価 健常群よりも患者群で誤差が大きく, 患者群の中でも転倒していた人は, より誤差が大きかった 細井匠, 他 : 統合失調症患者における最大一歩幅の見積もり誤差と転倒との関係. 精神障害とリハビリテーション,16(1),57-61,2012
以上のように, 複数の転倒危険因子が重複しているために, 精神科病床では転倒が多いものと思われます そのため, 予防対策も多面的 な対策が必要となります
当院では2002 年に転倒の調査を行った結果,1 年間に精神科在院患者の約 2 割が転倒していました 細井匠, 他 : 精神科病棟における転倒事故の現状. 障害者スポーツ科学 2(1),53-58, 2004 そこで, 精神科病床における多面的な転倒予防対策に先進的に取り組んできました 次ページから当院の取り組みについてご紹介します
当院における実践的取り組み (1) 医療安全推進委員会 入院時と毎年 9 月に全入院患者の転倒危険度の評価を実施 環境整備( 病室の変更, 転倒に繋がる物品の撤去など ) 履き物の指導, 靴の購入の促進 運動療法 服薬調整
高齢者に有効な転倒予防対策とは? John T Chang,Sally C Morton,et al:intervention for the prevention falls in order adults:systematic review and meta-analysis of randomised clinical trial.bmj328(20 March),7441,680,2004. 単純な筋トレや, 歩行練習だけでは 効果が無い 有効な転倒予防対策は対象者の 転倒リスクの多角的な評価と, 評価に基づくマネージメント
転倒予防に有効な運動とは? meta- Catberine Sherrington, Julie C.Whitney,et al:effective exercise for the prevention of falls : A systematic review and analysis.the American Geriatrics Society56,2234-2243,2008. 総合的な運動を高頻度に行うこと ( 筋トレ バランス ストレッチ等 ) 片足立ちなどの高度なバランス練習を含めた運動を, 少なくとも, 週 2 回以上の頻度で, 25 週間以上, 年間で計 50 時間以上継続すること
ある程度, 身体機能の保たれた群 総合的な運動に加え, 二重課題や, 注意機能を賦活するようなトレーニング 基本動作に介助を要する群 関節可動域制限や, 筋力低下, 基本動作能力に対するトレーニングに加え, 環境設定や歩行補助具の選定 本来は個々の対象者の機能に 合わせた運動介入が必要
当院における実践的取り組み (2) リハビリテーション科 転倒予防を目的に各病棟で週 2 回, 30 分ずつ, ストレッチ, 筋トレ, バランス練習を取り入れた総合的な運動プログラムを2002 年から継続 効果測定として集団体操参加者の 体力測定を半年ごとに実施
当院における実践的取り組み (3) 転倒ハイリスク者に対しては, 個別対応での運動療法を実施 有酸素運動 バランス練習 筋力強化
転倒予防対策開始から半年間の結果 (1) 転倒リスクの高い人を中心に 運動療法を実施 ( 転倒率 ) 3 2.7 参加群 n=47 n.s p=0.08 2.5 2 1.5 1 * 1.9 1.4 不参加群 n=66 * 0.5 0 0.3 介入前半年間 介入後半年間 介入前後半年での転倒率の比較 Wilcoxon signed-rank test,*p<0.05 参加群で転倒減少, 不参加群で増加
転倒予防対策開始から半年間の結果 (2) p=0.078 25 22.7 20 15 16.5 ** 10 8.6 7.0 5 0 開眼片脚立位時間 ( 秒 ) TUG( 秒 ) n=31 Wilcoxon signed-rank test,**p<0.01,*p<0.05 バランス機能の半年間での比較 バランス機能も向上
転倒予防対策開始から 3 年間の結果 ( 転倒率 ) 2.5 2 1.5 1.80 1.87 1.34 2.00 1.94 n.s 参加群 n.s n=41 不参加群 * n=59 1 0.79 0.5 0 2003 2004 2005 3 年間の転倒率の変化 ( 反復測定分散分析,*p<0.10) 不参加群で転倒が増加 転倒リスク評価, 環境整備などに加えて, 運動療法を実施しないと効果がない
( 転倒率 ) 6 5 4 3 2 1 0 転倒予防対策開始から 10 年間の結果 2.74 1.74 1.74 1.25 0.30 0.53 1.14 1.14 3.73 4.23 4.98 4.73 4.22 2.50 1.60 1.49 1.29 1.14 1.22 0.91 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 * 参加群 n=11 不参加群 n=36 n.s n.s 10 年間の転倒率の推移 ( 反復測定分散分析,*p<0.05) ( 秒 ) 20 15 10 5 15.4 7.2 16.9 15.8 15.9 12.4 11.3 11.4 11.8 11.5 8.1 6.1 6.3 7.0 6.5 6.8 6.9 7.4 6.8 7.8 7.5 7.4 開眼片脚立位時間 TUG P=0.059 * 0 初回 1 年後 2 年後 3 年後 4 年後 5 年後 6 年後 7 年後 8 年後 9 年後 10 年後 参加群 10 名のバランス機能 10 年間の推移 n=10 ( 反復測定分散分析,*p<0.05) 徐々にバランス低下 転倒増加
転倒リスクの高い在院統合失調症患者 運動療法を含めた多角的な転倒予防対策 半年間でバランス機能向上 転倒減少転倒予防効果が3 年間は持続長期的には 加齢 閉鎖的な環境 低い活動量により バランス機能が低下 転倒率も上昇 細井匠 : 精神科病床における転制予防対策に関する研究 統合失調症患者を中心に 筑波大学審査学位論文 ( 博士 )2015 より抜粋
精神科病床において, 転倒予防に対する 身体的介入の需要は高い 精神科病床における身体面へのリハビリテーションの必要性について ( 回答者 : 精神科病床に従事する作業療法士 436 名 ) 必要必要とは思わない無回答 3% 1% 96% * 回答は各施設 1 名 左記設問で 必要 と回答した理由 ( 複数回答 ) ( 回答者 : 精神科病床に従事する作業療法士 436 名 ) 歩行が不安定な方が多いから 高齢者が多いから 転倒事故が多いから 廃用症候群の方が多いから 身体的介護は必要な方が多いから 活動性が低下している方が多いから 精神面にも良い効果がありそうだから 生活習慣病の方が多いから 運動器疾患を有する方が多いから 脳血管疾患を有する方が多いから 循環器疾患を有する方が多いから 呼吸器疾患を有する方が多いから その他 4.2% 3.7% 2.1% 22.3% 21.9% 17.2% * 回答は各施設 1 名 57.2% 49.3% 63.3% 62.3% 61.6% 72.6% 82.6% 0.0% 50.0% 100.0% 細井匠, 他 : わが国の精神科病床における身体的リハビリテーションの需要と実施状況に関する調査. 作業療法,35(1),11-21,2016 24
全国の精神科病床で, 身体的介入を含めた多面的な転倒予防対策が行われることを期待します
参考文献 藤井洋男, 他 : 精神分裂病患者の運動能力に及ぼす薬物療法の影響. 病院精神医学.26,81-91,1969 土澤健一, 若松健 : 精神疾患患者の体力評価. 作業療法 vol.8,617-623,1989 Catberine Sherrington, Julie C.Whitney,et al:effective exercise for the prevention of falls : A systematic review and meta-analysis.the American Geriatrics Society56,2234-2243,2008 Woolcott JC, et al : Meta-analysis of the impact of 9 medication classes on falls in elderly persons. Arch Intern Med 169:1952-60,2009; John T Chang, et al:interventions for the prevention of falls in older adults:systematic review and metaanalysis of randomised clinical trials.bmj328(20),653-654.2005 細井匠, 他 : 精神科病棟における転倒事故の現状. 障害者スポーツ科学 2(1),53-58.2004 鈴木正孝 : 向精神薬を服用している精神障害者の立位安定性. リハビリテーション医学 43,431-437,2006 岩井和子, 他 : 精神科病院長期入院患者の身体能力およびその関連要因. 精神障害とリハビリテーション 11(2),164-169, 2007 細井匠, 他 : わが国の精神科病床における転倒事故実態調査. 精神障害とリハビリテーション 12(2),163-170,2008 細井匠, 他 : 統合失調症患者における最大一歩幅の見積もり誤差と転倒との関係. 精神障害とリハビリテーション 16(1), 57-61,2012 細井匠 : 精神科病床における転制予防対策に関する研究 統合失調症患者を中心に 筑波大学審査学位論文 ( 博士 )2015 細井匠, 他 : わが国の精神科病床における環境面での転倒危険因子に関する調査. 精神障害とリハビリテーション 20(1), 91-95,2016 細井匠, 他 : わが国の精神科病床における身体的リハビリテーションの需要と実施状況に関する調査. 作業療法, 35(1),11-21,2016